サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【スターニュース記事】「児童向け」という烙印を押されたアニメの新たな挑戦 [独立芸術映画公開新作レビュー]「あの夏」

「児童向け」という烙印を押されたアニメの新たな挑戦 [独立芸術映画公開新作レビュー]「あの夏」

https://star.ohmynews.com/NWS_Web/OhmyStar/at_pg_m.aspx?CNTN_CD=A0002934087

2023.06.07

 

初夏に訪れたうれしい客

「あの夏」を見たとたん、いよいよ来るべき時が来たなと思った。 訳もなく大げさに言うのではない。 私たちはアニメーション、すなわち「漫画映画」と言えば依然としてほとんどが「子供が見るもの」として学習された遺伝子で反応したりする。 それで独立短編アニメーションとは正確に対称を成すように、「国産」劇場封切り用長編アニメーションは「全体観覧可」で家族全員が手に手を握り、幼い子供たちと共に週末に外食と結合した形態で観覧するものだと規定されてきたのが事実だ。

もちろん、最近悲鳴を上げる映画館街に日照りの後の恵みの雨のように降ってきた底力のある日本のアニメーションや、ハリウッドブロックバスター級大作アニメーションもまたこの属性から完全に抜け出すことはないが、それでも比較的多様性が確保されている反面、特に国産アニメは「剥製」から抜け出せずにいる。 だからこそ「あの夏」が余計に嬉しい。

 

「あの夏」は「コロンブスの卵」のような存在だ。 全年齢が見ることが全てなら、熱心に商業的に必敗する悲劇的な運命から抜け出す余地が少しでもうかがえるので、アニメーション監督たちは苦労して折衷するケースが多い。 いずれにせよ、相当な予算を投資して収益を上げなければならない制作側は、まるで固く縛られたかのようにさらに狭く新作の素材とレベルに苦心している。 その中で自然に踏襲が行われ、観客は飽きて無視する。 なぜ私たちには日本のアニメの名家ジブリスタジオが出てこないのか、何かを言う前にこのような前後の事情を理解しなければならない。 いざ破格的な冒険を繰り広げようとすれば、制作段階で詰まったり、苦労して完成して披露しても、漫画映画はただ夢と希望を与えなければならないと言い張られるのが常だ。 そんな中、「あの夏」は(もちろん商業的計算がなくはないが)勇猛に新しい分野に挑戦する。 まさにLGBTの主人公たちのラブストーリー、すなわち「クィア」ジャンルだ。

もちろん、本作品も製作許諾がおりるまでは市場開拓の意図が最も絶対的根拠になっただろう。 依然として社会的には苦しい生活を送って偏見と嫌悪に苦しんでいるが、大衆文化では現在最も活力があふれる素材のひとつがまさにクィアジャンルであるためだ。 今ではクィアジャンルを背景にした映画やドラマには不慣れではない状態だ。 独立芸術映画ではむしろ逆転現象に見えるほど、該当分野の創作物が増加の一途をたどっている。 しかし、ついに劇場公開長編アニメでも試みが行われたのはかなり驚くべきことだ。 そのように「あの夏」は興行可否とは別に今後も続く試みの最初のランナーとなった。

 

ある者は反問するだろう。 物語映画であれドキュメンタリーであれ、YouTubeやウェブ配信ドラマでもクィアコードは数多く発見できるのではないか。 もちろん間違った言葉ではない。 しかし、国内での映画ジャンルの中で(隣国日本とは劇的に対照的に)アニメーション分野がどれほどマイナーに属し冷遇されているかを理解する人なら、「あの夏」の登場は衝撃に違いない。

 

2020年代の韓国文学の傾向と触れ合うストーリーの中で

【訳注:以下ストーリーのネタバレが含まれています】

 


時代はミレニアム前後、忠清道のある田舎の学校のグラウンドで18才のイ・ギョンとスイという名前の「少女が少女に出会う」。その運命的な初めての出会いは偶然な事故から始まる。 グラウンドのベンチに座っていたメガネ少女のイ・ギョンは、サッカー選手のスイが蹴ったボールに当たって、うっかりメガネが折れてしまう。 始まりはそんな風に痛かった。 しかし、2人は申し訳なく思っていたスイが、イ・ギョンに渡したイチゴ牛乳のように甘く惹かれあい、いつのまにか毎日出会いを待つことになる。 その時代の初々しい恋愛感情というのは、もともとそんな感じではないだろうか。

 

イ・ギョンは平凡に見えるが、他人には言えなかった苦しみがある。 染めたと誤解されるほど濃い茶色の髪、そして注意深く見れば目立つほど濃い茶色の瞳を持っている。 そのため、イ·ギョンは幼い頃から無念極まりない差別と嫌悪にさらされてきた。 今なら表向きでも口に気をつけるだろうが、その時代にはそんな配慮は存在しなかったから。 2023年の同世代的な視線ならそれこそ、「野蛮の時代」のような2000年のミレニアム前後当時にはイ・ギョンの同世代はもちろん、さらに教師たちまでが平気で当事者に「犬の目」のようだとして見えない矢を平気で飛ばす。 18歳の少女に向かって。それこそ、思わず投げた石にカエルが当たって死んでも気にしなかった時代だ。

 

もはやイ・ギョンとかけがえのない仲になったスイは、そのようなパートナーの瞳を違う目で見てくれる初めての他人だ。 今まで自分の瞳に対して誰よりも長く凝視しながらも、スイは恋人がいつも恐れていたが日常になった反応、すなわち嫌悪を一切出さない。 2人は磁石の異なる極が引き合うように、世の中のすべての初恋が出発するように自然に結合する。 見るだけでもミルクと蜂蜜が流れだしそうな風景が続く。 ああ、甘い愛よ。

 

しかし、2023年現在もクィア当事者たちは現実で想像もできないほどの不利益に苦しんでいる。 まして、ほぼ四半世紀前の人物であるイ・ギョンとスイの周辺状況も、決して侮れない。 初恋の熱病の中でスイは、世の中のすべての恋人がそうであるように1cmでももっと密着したい。しかし、当の相手であるイ・ギョンは集団生活に慣れているからか、世の中の偏見がどれほど恐ろしいかをスイよりは多少よく知っている。そのため、もしかするとふたりのパートナー関係が周辺に明らかになるのではないかと、スイののべつまくなしなスキンシップに困らせられる。 そしてふたりの甘い10代は終わりつつある。 もうスイとイ・ギョンは、登下校の時に自然に一緒にしていたようには同じ道を歩くことができない。

 

太陽の光り輝く「あの夏」に起こった関係の終わり

ふたりの恋人の道は20歳を迎え、はっきりと分かれる。 イ・ギョンはソウルのかなり良い大学に、それも就職がうまくいく学部に合格し、成功的な将来に入ろうとしている。 しかし、体育特技生として大学に進学した後、実業選手になるのが目標だったスイは、高校3年生の夏に十字靭帯の負傷で選手生命が終わってしまった。 韓国の無数のスポーツ特待生志望者がそうであるように他の代案は準備していたはずがなく、イ・ギョンに比べて家庭の事情も良くない。 スイは自立するために自動車整備を学ぶことを決意する。 それぞれ進路はかけ離れているが、20歳になった2人はそれぞれ上京してソウルで暮らすことになる。

 

すでにふたりはぼんやりとお互いの道が大きく変わったことに気づいている。 しかし、まだ愛ですべてを克服できると期待していることもまた真実だ。 むしろ大都市の匿名性のおかげで見る目の多い家と田舎町を離れ、ふたりは顔色を伺わず物理的にはより身近になる。 大学生活と技術学校の実習生で身分は違うが、ふたりは随時会ってスイの考試院とワンルームで一緒に泊まったりする。 見た目は仲の良い親友、実際には同居する恋人になったわけだ。 しかし、悲しい予感は間違いない。 ふたりには些細に見えるが、いくつかの節目が浮かび上がってくる。そのような感情の停車場を経て、初々しかった恋人たちは悲しい予感が間違っていないことに気づき始める。

 

忠清道の田舎ではイ・ギョンとスイは「唯二」、いや「唯一」お互いを共有する存在だった。 2人はすべての違いにもかかわらずひとりと同じで、他の代わりは想像すらできなかった。 しかし、家から離れてソウルという空間、それも名門大学で比較にならない多様な文化的体験機会を持つようになったイ・ギョンは、スイとの関係を続けながらも1990年代から徐々に生まれ始めたクィア当事者たちのアジトを象徴する「ムーンリバークラブ」に出入りし、同じ指向を持つ人々と交わることになる。 一方、お互いに社会的身分が変わったことを意識するスイは、イ・ギョンが一緒にそこに行こうと言っても嫌がる。 あえてイ・ギョン以外の他の人たちと付き合う必要も、理由もないと思うからだ。 あっという間に恋に落ちたように、そんなふうに悲しい予感は突然、しかしふたりが前々から兆候としては気づいていたように、あっという間に染みこんでいく。

 

結局ふたりは別れる。 もちろん、初恋の終わりは私たちが想像して期待していたこととは絶対に程遠い。 一方的な別れの知らせと涙が流れるだけだ。 映画は原作の描写を最大限まで純度高く再現しようと、それこそ全力を尽くしている。


時代的感性と初恋の郷愁を組み合わせた原作の映像化

「あの夏」の原作は「ショウコの微笑」小説集で大きな注目を集めた作家チェ・ウニョンの2作目の小説集に収録された同名の短編だ。 小説の始まりは次のとおりだ。

 

「イ・ギョンとスイは18才の夏に初めて出会った。 始まりは事故だった。」

(チェ·ウニョン小説集「わたしに無害なひと」2018[文学トンネ]「あの夏」

 

それこそ、20〜30代の女性主人公たちの限りなく壊れて傷ついた心をコピーするように再現する、すでに定評のある作家の描写力が極点に達する文章で満たされており、限りなく発揮されている短編小説だ。 優れた原材料の味を生かすために、映像化の際には最小限度脚色に集中する基調が一貫している。 そのような方向性の下でアニメーション変換過程を経た。 そのおかげで、それこそ一編の映像小説に近い結果が完成した。最近、軽いタッチでセクシュアル・マイノリティ問題を扱おうとする映像化素材としてよく脚光を浴びているウェブトゥーンやライトノベル原作とは次元が違う。 短編小説ではあるが、本格文学を基盤に創作が行われた点が非常に異彩だ。 そのような背景から、確かに物語密度の高い展開だ。

 

そこに、最近出版市場で脚光を浴びている若い作家たちの作品傾向のひとつの頂点ともいえる原作が噴き出す非常に繊細な描写が、誰もが一度は経験した初恋のおぼろげさと喪失の感情を、極限の精度で作品を鑑賞することになるひとりひとりの観客に与えてくれる。 このような部類の文章が巨大な叙事を解きほぐすには限界があるというが、「都市の中に原子化された個人」と解説される2020年代の感性には、それこそ密着するようにぴったりの相性に違いない。 映画はそのような原作の強みと属性を徹底的に理解し、その再現に没頭する。 そのおかげで「原作破壊」なしにテキスト中心の文学ジャンルを漏水率は最低限度で映像化するのに成功した結果として完成した。

 

そのため、本作品に対する好き嫌いはほぼ完全に、原作と作家の世界観に関する批判点と同じ範囲内で満たされそうだ。 物語は、限りなく純度の高いガラスが割れてまるで宝石の破片のように散らばった光景を連想させる。 少しでもミスすれば足の裏に刺さるガラス片、あるいはふとめくった瞬間に指が切れた経験のように、文を読ませる極限の感情線が画面いっぱいに広がり、そのような感性は完全に原作に基づいているからだ。 それゆえに「あの夏」は誰かに絶対的な共感で近づくが、他の誰かにとってはただ感情消耗の極致と見なされるはずだからだ。

 

映画は、几帳面に2002年ワールドカップの思い出とイ・ギョンが再生していた携帯用コンパクトディスクプレーヤー、携帯メールだけを送ることができた2Gフューチャーフォン時代の郷愁を再現する。 一部の人々は背景に登場するスラッシュ(フラッペ)や粉食店のメニュー価格を目にし、正確な時代背景を推理するほどだ。そのように心強いストーリーを支える背景の中で、初恋の手に余る序盤と交差する終盤の痛みが、ちょうど1時間を満たす分量で繰り広げられる。 そんな風に隠しておいた思い出の日記帳がキラキラと輝く。 イ・ギョンとスイが密かに故郷で共にしていた時間に思わず発見したホタルのようにだ。 そのような感性は、遠くはファン・スンウォンの「夕立」から思い出の映画「クラシック」や「建築学概論」が伝えてくれた感興を記憶する人たちに合わせた仕事だろう。

 

K−アニメーションの遵守した再跳躍に壮大な未来を祈りつつ

もともと「あの夏」の始まりはアニメーション専門配信チャンネル「LAFTEL」で、7部作オリジナルで2021年9月に独占公開されたオムニバスバージョンだった。 この7部作を(アニメ系列では「総集編」と呼ばれる)劇場用長編アニメーションに再編集して封切りを迎えたわけだ。 韓国映画ジャンルの中で最も収益率が低いという劇場用アニメーション界に新しい市場開拓を狙った果敢な投資であるため、嬉しく思わざるを得ない。

 

かつて才能を認められた新鋭ハン・ジウォン監督とグローバル作業を遂行してきた製作チームレッドドッグカルチャーハウスが結合したおかげで、本作品は私たちがよく韓国アニメーションに対して持つ偏見、主に児童およびファミリー層の観客が見るのに合わせられた水準だろうという先入観を、果敢に破る。 そのような希少性のある挑戦は、当然点を取って入らなければならない。 ただ停滞したまま限られた需要と観客集団に経路依存性が激しかった、国内劇場用アニメ市場に新しい扉を開けようとする本作品の試みが、以後どのような評価で残るのかも興味深い鑑賞ポイントだ。

 

そのように冒険的な試みなので、すべてが満足できるはずはない。 どうせなら原作を脚色したのではなく、オリジナルシナリオの創作に挑戦していたならという残念さ、構成面で(封切りのためにランニングタイムを1時間以上にしなければならない事情のため)感性的な短編を手足をぎゅっと握って無理に引き伸ばしたような構成な問題も指摘することができる。 ウェブドラマと同じ形で配信公開されたバージョンが原作の半分強の分量の脚色にとどまり、人物の後日談をもっと見たかった人たちには残念な気持ちを残したが、特に新しく追加された分量はない。 それでイ・ギョンとスイの別れの触媒になった「ウンジ」のキャラクターが簡単にしか紹介されていない点が残念ではある。

 

それでも「あの夏」の限界は、ひとまず越えてもよさそうだ。 その後、さらに多くの期待値と高まる目線については、後続の作業に渡してもいいのではないかと、なんとなく寛大になる気持ちだ。 それだけKコンテンツブームの中で、十分潜在力のあるアニメーションジャンルがもう少し注目されることを願うためだろう。そのような余韻の中で、念入りに2Dイメージで再現された当時の感興と完全に化学的に結合を成す(ソヌ・ジョンアやMeaningful Stoneキム・ウィドル、JUNGWOOなど)優れた陣容のインディーズ女性ミュージシャンたちの曲調がますます耳元に漂う。


物語は10代のセクシュアルマイノリティカップルが主人公だが、ラブストーリーの構成は非常にありふれた恋愛物語だ。 ゆえにクィア素材をもう少し濃く盛り込むことを望む人なら多少残念かもしれないが(ウェブドラマの水準で適度に精製された、悪く言えば「ファンシー化」されたかのように)異性愛者でも共感できるかすかな昔の恋の影を、久しぶりにまともに感じることができる。


あの頃、私が好きだった少女は元気に暮らしているだろうか? そんな風に気になるが、どうしても埋めておいた秘密の感性が、それこそ夏の日花火のように爆発する、長く待っていた嬉しいお客さんのような作品だ。

 

<作品情報>

「あの夏 The Summer」

2023年/韓国/成長ロマンス

2023年6月7日公開 :61分┃12歳観覧可

監督:ハン・ジウォン

声の出演:ユン·アヨン(イ・ギョン役)、ソン・アリム(スイ役)、イ・ダスル(ウンジ役)

原作:チェ・ウニョン「あの夏」 (短編集「わたしに無害なひと」収録)

音楽:イ・スビン

企画:LAFTEL

製作:RED DOG CULTURE HOUSE

共同提供:LAFTEL・RED DOG CULTURE HOUSE・ソウル産業振興院(SBA)

配給 パンシネマ(株)

 

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「唯二」...韓国のネット用語で「ただ2人だけ」という意味で使われる。


「あの夏」の原作は「わたしに無害なひと」(亜紀書房)のタイトルで邦訳されているチェ・ウニョンの短編集に収録されており、韓国では第8回若い作家賞を受賞しています。


個人的には、文章を書いた人が「(韓国では)アニメは基本的に子供のものと見られている」」ことを「残念なもの」として書いているのに、なん小説原作の今作が「軽い」ウェブトゥーンやライトノベル原作ものとは次元が違うクィア題材作品であるみたいな言い方をしているのはちょっと気にはなりました。ウェブトゥーンやラノベのような娯楽的なクィア作品があってもいいはずだし、個々の内容によって判断されるべきでジャンルによる「次元の違い」はないはずです。漫画やラノベのようなエンタメ的な表現手法や媒体を「文学・芸術」より下に置くような価値観自体が「アニメ」というエンタメ手法の軽視にも繋がる気はしますので...

【ニュース記事】「THE FIRST SLAM DUNK」381万人…韓国で公開されたアニメの中で最高興行

「THE FIRST SLAM DUNK」381万人…韓国で公開されたアニメの中で最高興行

https://m.yna.co.kr/view/AKR20230302172600005?input=tw

2023-03-05 09:38

 

6年ぶりに「君の名は」を抜いて1位…原作の面白さに高い完成度・洗練度に呼応

30・40代・男性→10・20代・女性観客層拡大「長期興行」

(イ・ジェヒ記者)


30・40代の感性刺激「SLAM DUNK」人気を集める
4日封切りと同時に1日でボックスオフィス2位に進入した1990年代の人気の日本の漫画「SLAM DUNK」の劇場版「THE FIRST SLAM DUNK」が着実に観客を集め、2〜3位の座を守っている。 写真は15日、ソウルのある映画館のスラムダンク広報物。 (ヤン・ジャンヒ記者)

 

映画「THE FIRST SLAM DUNK」がこれまで国内で公開された日本アニメーションの最高興行記録を塗り替えた。

5日、映画館入場券統合電算網によると、「THE FIRST SLAM DUNK」はこの日午前、累積観覧客数381万8千人余りを記録し、歴代国内公開日本アニメの中で興行1位に上がった。

従来の記録は2017年の新海誠監督の「君の名は。」で、380万2千人余りだった。

「THE FISRT SLAM DUNK」の最高興行記録は今年1月4日に封切りして以来、61日で達成したものだ。

1990年代に人気漫画だった「SLAM DUNK」をスクリーンに移した「THE FIRST SLAM DUNK」は原作者の井上雄彦が直接脚本と演出を担当し、早々に話題になった。

原作の面白さをそのまま持ってきながらも主人公とストーリーに一部変化を与え、立体感と洗練美あふれる演出力を披露して、青少年期に「SLAM DUNK」のファンだった30・40世代の大きなリアクションを受けた。

公開序盤はやや不振だったが、口コミを聞いて劇場を訪れた観客がどんどん増えてボックスオフィス逆走行を始め、観客層も30・40世代の男性中心から20代女性までに拡張し長期興行舞台を用意した。

 

冷めない「SLAM DUNK」ブーム
映画「ザ·ファーストスラムダンク」が観客300万人を突破した16日、ソウル市内のある映画館を訪れた市民たちがスラムダンク広報物の前で認証写真を撮っている。 配給会社NEWによると、先月4日スクリーンに上がった「THE FIRST SLAM DUNK」はこの日午後2時25分基準で累積観客数が300万81人を記録した。 

(チン・ヨンス記者)


CGVによると、同作品の年代別観客の割合は20代26.1%、30代33.6%、40代26.8%だ。 封切り序盤、10%台に留まっていた20代の比重が大きく上がった。 10代5%、50代8.6%まで考慮すれば、観覧層は事実上全世代に均等に拡張された。

性別の割合も女性55.2%、男性44.8%で封切り序盤とは異なり女性比重がさらに大きくなった。

「THE FIRST SLAM DUNK」は字幕を好む傾向が強い他のアニメ作品とは異なり、声優が直接俳優の声を演技する吹き替え版を訪れる観客がさらに多かったのも特徴だ。

この作品の配給会社NEWによると、これまで「THE FIRST SLAM DUNK」の吹き替え版を見た観客は188万8千人余り(50.8%)で、字幕版を見た観客182万5千人余り(49.2%)を上回った。

NEWのリュ·サンホン流通戦略チーム長は「『THE FIRST  SLAM DUNK』の成功要因は原作の力だと思う」とし、「原作が90年代に韓国内で大きな成功を収めたため、その時代の郷愁を呼び起こすのに十分だと判断した戦略が的中した」と説明した。

それと共に「作品の高い完成度と魅力的なキャラクター、現代を生きる人々にも響きを与えるメッセージは観客拡張につながった」と付け加えた。

【ニュース記事】韓国人メンバーが一人もいないのに… 「KPOP 3.0時代」開幕

韓国人メンバーが一人もいないのに… 「KPOP3.0時代」開幕

한국인 멤버 한 명도 없이… ‘K팝 3.0 시대’ 개막 - 조선일보

ユン·スジョン記者入力2022.10.1203:00

 

「JYPパク・ジニョンの秋夕連休返上」

秋夕連休が始まった先月9日、大衆音楽界ではアメリカに出国した歌手パク・ジニョンに注目が集まった。JYPエンターテインメントの長である彼がアメリカに向かったのは、アトランタをはじめ、シカゴ、ニューヨーク、ダラス、LAなど米国主要5都市で先月25日まで開催されたグローバルオーディション「A2K(アメリカツーコリア)」参加のためだ。 このオーディションは今年7月からJYPが米国内最大のレコード会社であるユニバーサルミュージック傘下のリパブリックレコードと手を組んで進行している。アメリカ・カナダなど英語圏の現地メンバーで満たされたKPOPガールズグループを一緒に作ることが目標だ。 両社が一緒に選んだメンバーはまずJYPが蓄積したKPOPトレーニングシステムを経て、その後、彼らの北米現地活動はリパブリックレコードが主導する。 JYPはこのために13年に北米市場から撤退した現地法人(JYP USA)も今年3月に再び設立した。

 

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(朝鮮日報オンラインより)
①2020年JYPが日本現地でデビューさせた9人組ガールズグループ「NiziU」。メンバー全員が日本人で、日本現地活動をメインとする。

②全員フィリピン現地人で構成されたKPOPボーイバンドSB19。

BTS所属事務所のHYBEが最近、日本で結成した韓日合作グループ「&TEAM」。


KPOP韓流が進化している。 最近歌謡界では特に「KPOP3.0時代」が開かれたと話している。過去WONDER GIRLS・少女時代など国内製作のKPOPグループの海外進出が1.0時代であり、2.0時代は韓日多国籍グループTWICE、タイ人が含まれたBLACKPINKなど多様な国籍の海外メンバーの迎え入れが増えたが、依然として現地会社とは海外アルバム流通だけを協業するグループが多かった。

反面、最近の3.0時代には国内企画会社がメンバー全員を海外現地出身で満たしたり、最初からメンバー選定とグループ企画段階から現地会社を参加させる。 カル群舞、音楽などはKPOPスタイルに従うが、歌詞は主に現地の言語や英語で歌うグループを企画する。 JYPは2020年にもメンバー全員が日本人のガールズグループ「Nizu」を披露し、SMは現在アメリカの大手製作会社MGMと共にアメリカ現地ボーイズグループ「NCT Hollywood」を準備中だ。

 

BTS所属事務所のHYBEは先月、日本現地合弁法人のHYBEジャパンを通じて日本テレビ・Huluジャパンなどと手を握り、日本で9人組の現地グループを選ぶ放送「&オーディション」を日本で放送した。 最終選抜メンバーのうち、韓国人と台湾人それぞれ1人を除いた7人が全員日本人。 過去には韓国活動に注力するKPOPグループデビューのために海外メンバーが韓国オーディションを受けていたとすると、今は韓国人が日本現地活動に注力するKPOPグループデビューのためにオーディションに参加しているのだ。

 

大手芸能事務所だけの行動ではない。 中小企画会社ショービティが2018年に韓国式アイドル教育法を経てデビューさせたフィリピン国籍の5人組ボーイズバンドSB19は昨年4月、米国Billboardミュージックアワード「トップソーシャルアーティスト」部門にBTSと共に上がり話題になった。 東南アジアグループの候補選定は初めてで、メイクアップ、ヘアスタイル、服装などが間違いなくKPOPグループだったためだ。

 

◇KPOPシステムの流出? 市場拡大でwin-win

一部ではこのような現地合作グループの登場について「KPOPシステムの流出」という憂慮も提起している。KPOPファッションと歌を装着しているが、メンバーの中で韓国人がいないグループをKPOPグループと呼べるのかという反論も出ている。

 

しかし、歌謡界の専門家たちはKPOPシステムの輸出がむしろ国内企画会社と現地会社の両方にwin-winだと話す。 キム・ヨンデ評論家は「世界の音楽市場規模で北米、日本などは依然として韓国より倍も大きい。 合弁過程で海外企画会社はKPOPの作業ノウハウを得て、彼らとのつながりが結局国内グループにとってはまた別の進出経路になりうる」と話した。 キム・ドホン評論家は特に「過去、テコンドーが海外に進出し韓国に対する好感度を高めた事例を考えてみよう」と付け加えた。 KPOPシステムが現地に移植される過程で、自然にKPOPと韓国文化自体に対する関心も高まるしかないということだ。

 

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フィリピンのボーイズグループSB19はビルボードのソーシャル関連でたまに名前を見かけていましたが、「KPOPシステム」を活用してデビューしたグループなんですね。

「KPOP2.0」みたいな言い方は日本でも「K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)」などで指摘されていましたが、元々はSMエンターテイメントのイ・スマンが提唱していた「CT(カルチャーテクノロジー)理論」そのまんまですね。

(以前の質問箱より引用)

2000年代初頭にSMは何回か日本進出を試みていましたが、韓国での人気グループをそのまま輸出しても当時はなかなかうまく行かず、そんな中で考え出したのが文化技術(CT=Culture Technology)理論と名づけられた「現地化戦略」でした。このCT理論というのは3段階に分けられています。


第1段階:韓国の事務所が直接作って輸出する

第2段階:海外の現地企業との協力を通じて市場拡大を図る

第3段階:現地企業と合弁会社を立ち上げ、韓国のCT(文化技術)を伝授する

【質問箱】韓国のアイドルが日本では日本語でパフォーマンスする事について - サンダーエイジ

 

また、「現地でグループを作る」のはJYPはNiziUの前にも色々試みていて、中国でもテンセントと合同でBOY STORYというグループを作っています。

 

以前韓国の人が卒論研究の流れで作ったという、「全員アメリカ人のKPOPグループ」掲げていたEXPEDITIONというグループが韓国で活動していたこともありました。

 

「何を持ってKPOPグループなのか」というのは判断が難しく、韓国内でも決まった基準がまだない見たいです。近年はavexが韓国でKPOPシステムのトレーニングを経てデビューさせたXGのように、日本の会社が作った日本人のグループだけど韓国で活動(英語で歌唱)というパターンも出てきていますが、XGの場合は「(今のところ)韓国内でメインで活動している」ということでKPOPの一種だと韓国では認識されているようです。

 

 

【質問箱】アイドルコンテンツにおける「王子と姫」コンセプトについて

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https://odaibako.net/detail/request/903f0d06-d2c3-40d6-9220-7f7342f32558

 

まず、問題そのもの以上に、この事に付随して起こった二次被害があまりに酷すぎるのでは...という感想を持ちました。こういう流れそのものが、まさに今のマイノリティの人権を取り巻く環境や社会的な状況そのものをそのまま反映しているようにも見えます。

 

男性同士〜の発言についてはシンプルに差別的な表現だったと思います。
王子と姫コンセプトについては個人的にはアイドルジャンルでいちばんどう接していいかわからないノリなので、自分だったら居心地は良くないしもしグループのファンでも場合によっては見ないかもしれないです。特にTREASUREは第4世代のアイドルの中では曲のリスナーに性別や年齢の偏りが少ないというデータもありますし、KPOP業界でも最近はファンダムネームをなるべく性別(ジェンダーセクシャリティ)が限定されないようなものにしたりという風潮はありますので、このご時世にわざわざターゲットを狭めるようなコンセプトをやる意味はあったのかな?とは思いました。特に何周年というような記念の配信はファンなら全員見たいような大切なものだと思うので。

 

とはいえ、普段の自分の個人的な対処法としては「単に自分の趣味に合わない」コンセプトだけなら「趣味じゃない(not for me)から見ない」で済ませられます。でも、このケースの場合は先述の明確に差別的な発言が同じコンテンツの中でされてしまったことで、ただ「趣味ではない」で済ませてはいけないのではないかという意見が出てもおかしくないのではないかとは思いました。

 

過去に歌詞の中の「シンデレラ」などの表現が問題とされたことがありますが、シンデレラに限らず姫や王子というシチュエーションをヘテロノーマティブなもの(恋愛や肉体関係において男女の関係性だけを「普通」とみなす価値観)ととるか、もっとオープンなものとして解釈できるかどうかは、前後の文脈に相当左右されるのではないかと思います。
例えば、某鉄道会社のSEXY ZONE中島健人がCMで主演していた「お客さまはお姫様」キャンペーンでは、男性にも全く同じようにバックハグする演出によって「(女性に限らず)全てのお客さまをお姫様のように扱います」というメッセージが読み取れたと思います。なにわ男子の「初心LOVE」には「2人はめげないロミジュリ」というフレーズが出てきましたが、男子高校生同士の恋愛がテーマだったドラマの主題歌として使われることで、ロミオとジュリエットは性別に限らず「なかなか結ばれない2人」というシチュエーションだけを象徴するものという解釈も可能でした。

 

つまり、「姫と王子コンセプト」も、ただそれだけでは排除的なものとは言えないと思います。男の子だってお姫様になれるってプリキュアで言ってましたし、女の子だって王子様になれるってプリティリズムで言ってましたしね。今となっては状況次第でそういう幅広い解釈が出来るシチュエーションになったと言ってもいいと思うのですが、それゆえにそこに「男同士は変」という価値観が乗っかってしまうと、途端に「若い男性アイドルは王子様的であるべきだし、そのファンはお姫様扱いされたい女性が多いはずだ」というようなヘテロノーマティブな価値観を持ったものに見えてしまいかねないということでもあると思います。

そして、そのような価値観の発言があった場で本来「アイドルとファン」というもっとオープンであるはずの関係性がむしろ狭くなるような限定的なコンセプトで表現されたことを、「排除」と感じるファンもいるだろうと思いました。

 

何より事務所側(韓国事務所には連絡が取れなかったようなのでJAPANの方ではないかと思うのですが。その辺別の組織なので結構重要ではないかと思いましたが、現時点ではわからないまま書いております)も差別的な表現だったと認めたということですので、最初から排除しようと言うような差別的な意図はなかったとしても、結果的にはそういう意図(異性愛的な男女関係のみを想定していた)があったと受けとられても仕方ないコンセプトだったし、それは彼らが表現するにあたっては良くない表現だったとコンテンツを出した側も今現在では認識して受け入れているということだと思います。

 

ですから、「王子と姫というコンセプトで企画をやるのは良くなかった」というより、王子と姫というコンセプトでやった企画の中で、一定の層を排除する差別的なシチュエーションだと取られかねない状況があった、ということを企画した側も認識しており、その時点でそれはすでに当初の意図はどうあれ、『差別的なものになってしまっている』ということだと思います。差別的だったと認めなければセーフということではなく、あくまでこのケースでは差別的であるという指摘が発信側の認識によっても更に補強されているというという意味です。

 

繰り返しになりますが、王子と姫のコンセプトそのものが「悪」とかそういうことではないですが、その場の雰囲気やそこで起こったことによっては差別的なシチュエーションだったり「良くないもの」になってしまうこともある、ということだと私は解釈しました。「王子と姫」という部分だけ切り離して固執しても、問題の本質は見えにくい話なのではないかと思います。

 

※「初心LOVE」の歌詞を間違えていたため修正しました。

※その後この件で声を上げた当事者の方から連絡がありましたが、差別的であると認識していると謝罪してくれたのはYG JAPANの方であるとの事でした。本国の方からはレスポンスなしだそうです。

※その後、意見を出した方への誹謗中傷が続いているようで、誹謗中傷への裁判に踏み切られたとのことです。

かかる金額も含めてかなり具体的にまとめられていますので、SNS経由での誹謗中傷や粘着行為にお悩みの方は参考になるかとおもいます。

(2023.8.15追記)

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【聯合ニュース記事】「aespaの世界観」を作る職人たち…「SMの社屋に秘密の設定集があります」

'에스파 세계관' 빚는 장인들.."SM 사옥에 비밀 설정집 있죠"

「aespaの世界観」を作る職人たち…「SMの社屋に秘密の設定集があります」

https://m.yna.co.kr/view/AKR20220708056500005?section=search/news

(ソウル=聯合ニュース)イ·テス記者=

「世界観を作っておいても構成員の考えはそれぞれ違うため、誤解が出る場合があります。 それで設定集のような資料を作って教育もします。 誤った方向にコンテンツを一度作ってしまったら、取り返しがつきません」(モ・ナリ責任者)


MZ世代で最も「HOT」なガールズグループとして挙げられるaespaには、自分だけの切り札がある。 アバターをコンセプトに2020年のデビュー時から築いてきた緻密なストーリーだ。


現実のaespaと4人のメンバーのアバター「ae」、彼女たちの連結(SYNK)を妨害する悪の勢力「BlackMamba」、aespaを助ける助力者「navis」、ストーリーが繰り広げられる空間である「KWANGYA」。


SMエンターテインメントは曲の歌詞、ミュージックビデオ、世界観の映像などを通じて、このような不慣れな設定をSMCU(SMCultureUniverse)という巨大な世界として緻密に織り成すことに成功した。


このようなSMならではの仮想世界は、全世界のKPOPファンの「オタク心」を狙撃し、aespaを一気にトップクラスのガールズグループに押し上げた。

最近、ソウル聖水洞のSMエンターテインメント社屋でパク·ジュンヨン理事、モ・ナリ、キム・ヒョヌ責任者などSMCU製作陣にインタビューした。


モ・ナリ責任は「この建物のどこかには(世界観の)設定集が秘密裏にある」と言い、「ストーリーが出てこなければ(これを基盤とする)アルバム作業にならないため、デッドラインを決めていつまでにストーリーの作業をやり遂げなければならない『悪い役割』を担っている」と冗談交じりに紹介した。

 

モ責任者が言及したように、歌とダンスが主を成して世界観がついてくる他のアイドルとは異なり、エスパはストーリー確立を最優先に置いた。 SMは過去にもEXOやNCTなどがそれなりの世界観を構築してはいたが、本格的なSMCUストーリーラインを計画したのはaespaデビューの前だと語った。

 

パク·ジュンヨン理事は「このようなストーリーが出てくるためにはかなり前から準備されなければならない」として「あらかじめ準備された企画の下でデビューすることになったaespaたちが新人チームにアバターというコンセプトを付与してSMCUを自然に知らせようと言った」と話した。

それと共に「aespaのアバターは誰が誰なのか区分されるのはもちろん、4人各自のキャラクター性を付与しようと努力した」と付け加えた。


aespaは2枚目のミニアルバム「Girls」の発表を控え、2枚目の世界観ムービー「NextLevel」を公開して好評を得た。 20分近い長さの映像はハリウッドアニメに劣らない水準を見せてくれた。


パク理事は「aespaのメンバーがブラックマンバの『幻覚クエスト』を遂行する話を表現するにあたって、最適化された絵柄と作画について悩んだ」として「2D部分は一種の詩のように簡素化されたヨーロッパ風の絵柄」と紹介した。


モ責任者は「ブラックマンバは人間とアバターの連結を断絶しようとする、観念的・実体的性格を全て備えた存在」とし、「教授の形をしたホログラムや黒い蛇で表現した。aespaに集中しているため、なぜブラックマンバがそのようなことをするのかについて、まだ解決できなかった話がある」と話した。


それと共に「『Girls』以後にもエスパの話は続く」とし「今後もブラックマンバと似た存在かも知れないが、aespaの世界観ストーリーになくてはならない助演クラスの悪党は出てくるだろう」と耳打ちした。


aespa世界観2作目の映像「Next Level」のワンシーン

 

事実、SMがメタバース(仮想世界)あるいはアバターのような「あの向こう側の世界」に関心を持ったのは、思ったよりはるかに古い。


2000年、BoAはデビュー曲「ID;PeaceB」を通じて「私だけのネットワーク世界」を周知させ、これより2年前の1998年、S.E.S.の2枚目のアルバムタイトル曲「DreamsComeTrue」のミュージックビデオには宇宙仮想世界が登場していた。


メタバースガールズグループ」aespaが昨年12月「ドリームズ·カム·トゥルー」をリメークして発表したのは偶然ではなかったわけだ。


パク理事は「S.E.S.『Dreams Come True』の時から私たちはアバター、また別の私の自我という概念を持っていた」として「それが宇宙人であれ何であれ、私たち以外にまた別のユニバース(世界)があるという話題を投げかけた」と強調した。


続けて「イ・スマン総括プロデューサーがこのように昔から持っていた考えを20年余りの間整えてきた」とし「aespaというアーティストが出てきたことを契機に話を確立し、体系化したのだ。 所属アーティスト同士でユニバース(世界)をどのようにつなげるかを悩み、整理しながらコンテンツとして紹介している」と付け加えた。


「イ・スマン総括プロデューサーは歌の中にメッセージを込めようとしています。 科学と技術が発展した未来の世の中が来た時、文化はどのようにこれを受け入れるべきか常に悩んでいました。 『未来の文化』を悩みながら、音楽などのコンテンツを通じてメッセージを大衆にどのように投げかけるか考えたのです」(キム·ヒョヌ責任)


エスパの世界観、そしてこれを越えてSMCUの核心空間は「KWANGYA(広野)」だ。aespaがアバターと統一を成し、ブラックマンバを打ち破ることになるところだ。


パク理事はこの「KWANGYA」について「シーン(Scene・場面)ごとに固定されたのではなく、無定型·無規則の空間」とし「デジタルのピースが組み替えられる空間」と紹介した。

 

SM総括プロデューサーのイ·スマンは「人々が面白く多様に楽しめる世界が『KWANGYA』として具現されてほしい」と助言したと話した。

世界の「枠」が固定されていては面白くないので、想像の幅を広げてみようと制限のない「開かれた世界」を導入したという意味だ。


想像には規格がないが、技術には限界があるという点は製作スタッフとしても大きな悩みだった。 S.E.S.時代よりは映像技術は驚くほど発展したが、依然としてアイデアを全て具現するには制約が伴うという。


パク理事は「率直に言ってまだ多くの技術が足りないし、費用もあまりにも多くかかる」として「技術的制約がなければ平面的ではなく事実的立体映像でさらにリアルに具現してみたいし、視覚と聴覚以外に『また別の感覚』を刺激する4D技術を具現して、自分が本当に『KWANGYA』に入ったような感じを出してみたい」と話した。


SMは歌·ミュージックビデオとユーチューブ映像だけでなくストーリーを巨大知識財産権(IP)としてウェブトゥーン·ゲーム·映画·ドラマなどに拡張する構想も持っている。


パク理事は「当然ゲーム化の可能性も視野に入れている」としながらも「中途半端にするよりは『手堅く』しようとするので急いで進めることはない。 どんな風に完成度の高いコンテンツにして大衆が共感させられるか、すなわち感情移入の可否が重要だ」と指摘した。


「なぜ私たちが、だからといって、例えば『SMCUドラマシリーズ』のようなものを望まないのでしょうか?aespaの話を皮切りに、徐々に進んでベースストーリーを作っていくんです。 私たちはテキストで書いておいた今後の話が「これだけ」あります。 ここで詳しく解くことはできませんが。 ハハ」(パク・ジュンヨン理事)

 

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NCTのネオカルチャーテクノロジーもそうですが、SMはイ・スマンのアイデアというかわりと昔からやりたいことが明確にあって、それを時代に沿って実現していくという芯があるのかなと思いました。

KWANGYA(広野)=광야は元々ネトゲ用語で「フィールド」のことらしいです。

「또 다른 감각(もうひとつの感覚)」というのは言い換えればthe 7th sence(NCTのデビュー曲)とも言えるかも。

【聯合ニュース】K-POPのDNAを融合させ、日本で大ヒット…「韓流ファンの子供たちがKPOPを消費」

K-POPのDNAを融合させ、日本で大ヒット…「韓流ファンの子供たちがKPOPを消費」

2022-05-01 07:00

プロデュース101日本版グループJO1・INIを企画したLAPONEチャン・ヒョクジン本部長

「最初はダンス・歌の実力不足…驚くべき速度で急成長」

 

(ソウル=聯合ニュース)イ・テス記者=ハードルの高い日本の音楽市場、その中でも気難しいことで有名な男子アイドルの分野で「KPOPのDNA」を活用して大ヒットした現地のグループがいる。

韓国のCJENMと日本の有力芸能事務所吉本興業との合弁会社「LAPONE」所属グループのINIがその主人公だ。

 

INIは数年前、国内でセンセーションを起こした有名オーディションプログラム「プロデュース101」の日本版シーズン2で輩出されたグループで、日本人10人と中国人1人で構成された。

彼らは昨年11月デビューシングル「A」を発売初週だけで50万枚売りさばき、今月20日に発売した2番目のシングル「I」は、初週の販売量58万枚以上を記録してオリコンチャートトップに上がった。

INIはもちろん、「プロデュース101ジャパン」シーズン1出身のJO1まで企画したチャン・ヒョクジンLAPONE事業本部長(COO)は1日、連合ニュースインタビューで「『KPOPのDNA』を融合させ、パフォーマンス面では高い完成度の『カル群舞』で、音楽的にはヒップホップジャンルを基盤に他の日本のグループと差別化した」と成功の秘訣を指摘した。

 

チャンCOOは「日本のKPOPファンにはすでによく知られた『プロデュース101』の日本版から輩出されたため、始めから相当なファンダムを持ってデビューすることができた」として「INIの音楽は日本のアイドル音楽としては非主流だが、一枚のシングルアルバムの中でダンスからバラードまで多様なジャンルを消化して高い評価を受けている」と付け加えた。

INIは従来、WannaOne、IZ*ONEなど人気KPOPスターを育てた経験のあるCJENM音楽コンテンツ本部のノウハウを積極的に活用しているが、厳密に言えばKPOPグループではない。 メンバー全員が韓国人ではなく、日本で現地語で歌うからだ。

INI自身も関連の質問を受けると、自分たちの音楽は「KPOPでもJPOPでもないINIポップ」と答えている。

 

釜山港に帰れ」をヒットさせたチョ・ヨンピルからBoA東方神起を経てBTSNCTに至るまで、数十年間KPOP企画会社の日本市場への進出方式は、韓国内で完成したアーティストが現地でアルバムを出す方式だった。

しかし、JO1とINIは韓国のノウハウと日本の芸能産業ネットワークを結合した新しい形態の市場進出であるため、アイデンティティが多少曖昧にならざるを得ない。

チャンCOOは「INIは世界市場で最もホットなジャンルの音楽をするアイドルグループ」とし、「今はKPOPが世界音楽市場で最もホットなジャンルであるため、韓国のエンジニアとコレオグラファーが多く関与していてJPOPらしくないように聞こえる」と強調した。

 

「プロデュース101」日本版が初めて電波に乗った時、心配する目線も多かった。 すでに完成型に近い韓国の練習生と違って、日本版の出演者たちはダンスや歌の実力がやや足りないからだ。

(注:韓国版の出演者は事務所でトレーニングを受けている練習生が基本だが、日本版は逆に事務所に所属していないことがエントリー条件だった)

チャンCOOも同様に、この部分ではうなずきながら認めた。 制作者の立場からも、この部分を心配しながら番組を見守ったという。

彼は「放送が進行されていくにしたがって、この子たちは本当に驚くほどの速度で成長した」として「本人たちが不足していることを認知しており、互いの短所を補完した。 その姿を見ていて努力がどれほど重要なのかが分かった」と話した。

 

BoAが日本現地で大きな成功を収めてからすでに20年が経ったが、依然として日本は見過ごせない市場だ。アルバム・音源・公演を合わせて年間6兆5千億〜7兆ウォンに達する市場規模は、米国に続き世界2位だ。

チャンCOOは「韓国でアイドルグループ1組を育成してデビューさせ、成長させるためにはかなり多くの投資が必要なため、グローバル市場を意識せざるを得ない」として「日本市場が持つサイズは韓国の音楽事業者にとっては魅力的」と指摘した。

彼は「LAPONEのような合弁方式の日本進出が増えそうだ」と展望し、「KPOPのDNAがあるという点でKPOPファンも抱え込むことができ、現地グループという点で日本のメジャー市場のアイドルファンも誘引できるためだ」と説明した。

実際、INIファンの年齢層は10〜20代が約70%だ。 彼らはデジタルカルチャーはもちろんKPOPに慣れている世代で、ファンダム内に既存のKPOPファンが相当数存在するという意味だ。 現在は彼らの他にも、KPOPとは関係なくINI自体が好きなファンもかなり集まっている雰囲気だという。

 

ここ数年間冷却された韓日関係にも関わらず、日本ではKPOPブームが激しかった。 JO1とINIはもちろん、BTSNCT、TWICEなどのKPOPファンダムが揺れない理由を尋ねると、「韓流ファンダムの世代交代」という答えが返ってきた。

チャンCOOは「韓日関係が文化事業に大きな影響を及ぼさなくなったのは、コンテンツを享有する世代が若くなったため」とし「現在KPOPを消費している1020世代は過去韓流ブームを楽しんだ人々の子供たちで、彼らは文化と政治を別に考える」と分析した。

続けて「母親が韓流ドラマを見ていたため娘たちも慣れ、その対象がドラマからKPOPに移ってきてコンサート現場で母娘が一緒に楽しむ姿を多く見ることができる」と付け加えた。

 

彼が携わったLAPONEは韓国式の練習生制度も運営している。 JO1とINIが成功し、予想よりはるかに多い志望生がオーディションの扉を叩くという。

チャンCOOは「COVID-19の余波で海を渡って韓国の所属事務所に入るのが難しくなり、KPOPと最も似た音楽をしている我が社に入りたかったという動機が多い」と耳打ちした。

 

INIの韓国活動計画に対して彼は、「日本のメジャー市場で確実に定着することが最初の目標であり、その次がグローバル市場」とし「この『グローバル』には韓国ももちろん含まれるだろう」と可能性を残した。

 

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「韓日関係が文化事業に大きな影響を及ぼさなくなったのは、コンテンツを享有する世代が若くなったため」というのは少し違う気がしていて、逆に世代交代しないでずっと同じジャンルが好きという人たちが前のKPOPブームだった2011前後からまだ市場を支えているからなのでは?と思ってます。大手事務所や人気のグループほど先輩グループのファンが後輩グループをそのまま支えているので、若いグループの現場に行ってももちろん若い子も多いけど、人気のグループほどいろんな世代がいるのが日本の現場という感じですね。

(CJENMは前のブームの時にKPOP事業をしてなかったのでその辺の繋がりの発想がないのかもですが)

デビューしたてや人気が出始めだったりという若いグループの現場には10〜20代が多いけど、キャリア3年目からの中堅だと20〜30代の割合が多くなってくるのでは。

 

「親が韓流ドラマ(冬のソナタとか)や東方神起のファンで自分も好きになった」というのは自分と同世代でも10年前から既に結構いたので、そのサイクルもすでに2週目に入ってるんじゃないかと思います。EXOの時にかなり日韓関係を切り離して考えるファンダムが多く流入してきた印象がありますが、それももう10年前ですし。

「サバイバル番組が好きな層」とか「サバイバル番組出身のグループを応援する層」というのは全体的に若い傾向はあるかもしれないと思います。

【質問箱お返事】ストリーミングされている曲の日韓の違いと韓国でのヒップホップの人気、アイドルと関係性について

【お題箱からのご質問】

はじめまして。

先日、ふとストリーミングサイトの国別人気曲を見てみたところ、日本は邦楽が殆どであるのに対し、韓国では洋楽のヒット曲も一定数ランクインしていました。
時期によっては、結構な数の洋楽が聞かれているみたいです。

また、洋楽人気とは別に、ランクインしたラップ曲の数も気になりました。
韓国ではそれなりに入っていますが、日本ではほぼゼロです。
日本においては、韻を踏む=ダジャレとなること、フレックスより慎ましさが好まれること、深刻な貧困に苦しむ層が少ないことなど、ラップが流行らない理由はある程度予想できるのですが、何故韓国では人気なのでしょうか?
(あくまで一つの理由に過ぎませんが、個人的には、他のジャンルほどメロディーが豊かではなく、同じトラックがループされることの多いラップに関しては、言語を話すときの抑揚の有無が重要なのかなと勝手に思っていたりはします…)

それと、上記の話とも少し関連するのですが、韓国ではヒッポホップ(ラップ)とアイドルグループの関係はどのようにみられているのでしょうか?
一般に男らしさが求められるヒップホップと中性さが求められるアイドル(さらに話を進めるならLGBTQ)との相性があまり良くないというのは、否定し難いところだと思います。
先日のmike deanの騒動でも、BTSをディスったことを称賛するヒップホップファンが日本でも多く、どっちも好きな自分としては悲しい気持ちになりました笑
しかし、韓国では殆どのグループにラップパートが存在しますし、ラップの流行りを取り入れた曲も少なくないです。
このように、アメリカや日本ではあまり受け入れられなさそうな2つの要素の組み合わせが韓国では上手くマッチしていると私は思っているのですが、韓国国内(特にK-POPアイドルファン以外の層)ではどのように受け取られているのでしょうか?

世界の中では比較的文化が近いであろう日本と韓国の音楽に大きな違いを感じたので質問させて頂きました。
長文かつ質問が複数となってしまい申し訳ありません。
音楽知識に乏しいため質問に誤りも多いかと思いますが、可能であれば回答を頂けると幸いです。宜しくお願い致します。
2022年4月12日0:19

https://odaibako.net/detail/request/dc498b22-180a-4b1e-97af-abc47d1bfad7

 

まずご質問者の方が「国別人気」を比較したストリーミングサイトがどこなのか、と言うのはかなり重要なポイントだと思います。

もしApple MusicやSpotifyの事でしたら、見ているチャート自体が「一般的」なものではなく相当偏っているという前提で見たほうが良いでしょう。

と言うのも、韓国ではアメリカでストリーミングが普及する前から自国のストリーミングサイトが定着していたため、国民全体の7割近くが国内サービスであるMelon지니などを使っています。そして韓国で一般的なMelonやGenieのチャートも、日本のストリーミングサイトのチャートと同様にチャートインしてる曲のほとんどは韓国の曲です。

日本国内でのApple MusicやSpotifyの定着割合と韓国での定着率は全く異なっていて、この2つを使っている人たちは韓国では元々がマイナーな層だということです。音源ストリーミングサービスはスマホの会社と紐づけられていることが多く、2021年の韓国でのスマートフォンシェアはSAMSUNGが85%でAppleは12 %でしたし、Spotifyは韓国でローンチしてから数年しか経っていません。まず、この前提を踏まえた上でチャートを見て比較しなくてはいけないと思います。

韓国でこの状況であえてiPhoneApple MusicもしくはSpotifyを使う人たちというのは、クリエイター(カメラのクオリティの良さから2つ持ちしているアイドル含む芸能人も多いと思います)のような「ヒップな人たち」とか、外国人だったり元々が洋楽を含む韓国以外の音楽を好んで聴く層が多いと考えられます。(Spotifyの場合はSpotifyのチャートインを狙うアイドルオタクも入ってくると考えられますが)

そのような元々洋楽好きな層が多く使っているであろう偏りのある音源サービスのチャートですので、そこに入ってくる「洋楽」は決して韓国で「一般的に流行っている」とは限りません。韓国の総合音楽チャートであるGAONチャートを見ると、ここ数年間で年間チャート上位に入ってくるくらい一般的にヒットした「洋楽」は数曲ですし、Fitz & The Tantrums Fitz「Hand Clap」エド・シーラン「Shape Of  You」(プロデュースシリーズの影響)カミラ・カベロ「Havana」アン・マリー「2002」MAROON5「Memories」ジャスティン・ビーバー「Peaches」など、いずれも「ヒップホップの曲」でもありません。The Kid Laloiの「STAY」はラップの曲ですが、これは韓国ではジャスティン・ビーバー人気の影響が大きいと考えていいと思います。前にツイートもしていました。

「Dance Monkey」のようなTikTok経由だったり唯一の例外としてクリスマス時期に毎年入るマライア・キャリーアリアナ・グランデというのありますが、これもヒップホップの曲ではないですね。

 

以上のことから、そもそものご質問者の方の「韓国では洋楽、特にヒップホップ曲が一般的に人気」という認識自体に若干の誤認があると言ってもいいのではないでしょうか。

「韓国で欧米の曲が人気」というより「韓国のチャートには洋楽が入ることもある」という感じですし、「韓国ではヒップホップが人気」は正しいですが、「欧米圏のヒップホップ曲」が人気なのではなく、韓国で人気なのは「韓国のヒップホップ曲」です。そしてこれは欧米圏の音楽というよりはすでに「SHOW ME THE MONEY」や「高等ラッパー」などドメスティックな韓国のTV番組の影響の方が遥かに大きいです。韓国のヒップホップアーティストは当然欧米のヒップホップアーティストの曲を聴いて取り入れていますが、だからこそわざわざ欧米のヒップホップアーティストを聴かなくても国内のヒップホップアーティストを聴けばいいという状況に特に一般的にはなってると思います。

 

アイドルの曲に限らず、若者向けの音楽にヒップホップ的な要素が多い事に関しては、大元を辿れば元祖アイドル的歌手の「ソテジワアイドゥル」の存在と、韓国で「若者による若者のための音楽」が生まれ始めた時期がちょうど世界的にヒップホップが流行し始めた90年代という歴史的社会的なことが大きいのではないかと思いますし、これは日本で言えば60年代の若者文化とロックの関係性にそのまま置き換えられるんじゃないかと思います。また、アイドルに特化して言うなら時期的に嵐の楽曲のサクラップの影響などもなくはないと思いますね。韓国語の子音の数の多さがラップにハマりやすいというのは確かにあると思いますが、ジャンルの定着自体に関しては社会的環境的な要因の方が大きいように感じます。

この辺は過去に何回か回答してますので、こちらもご参照ください。

 

また、韓国における「ヒップホップの大衆化」というのが実際はどのような受容のされ方なのかという問題もあると思います。以前日本のメディアに載った韓国のKid Milliと日本のHIYADAMの対談ではKid Milliのこのような発言もありました。

「日本のほうが自由度が高いように感じます。韓国は芸能人みたいになっちゃったから。何かあれば謝罪しなきゃいけないとか、僕が元々知ってたヒップホップはそんなじゃなかったのに。そんな韓国から見ると、日本のほうがアメリカのヒップホップ精神に近いように見えます。韓国ではラッパーが芸能人になってしまって、それがすごく残念です。」

日韓新鋭ラッパー2人のスペシャル対談 Kid Milli × HIYADAM | 【GINZA】東京発信の最新ファッション&カルチャー情報 | INTERVIEW

いずれにしろ、韓国には韓国独自の大衆音楽文化の歴史があって、それをヒップホップが生まれた場所だからと「洋楽」の側の視点からだけで当てはめてみても、ズレた認識になるのではないかと思います。

 

アイドル音楽におけるヒップホップ要素については、2013〜2015あたりが最も真剣に「ヒップホップ」をアイドルソングに取り入れることが試みられていた時期ではないかと思います。この流れについてや「一般的に(アイドル界隈以外から)どう見られているか」については、少し長いですがこちらの記事を読んでいただくと参考になるのではないかと思います。

【rhythmer訳】(ヒップホップとアイドルの)気まずい同居同楽 - サンダーエイジ

【idology訳】アイドル × hiphop ⑤ [対談]ロボトミー x ハバクク x idology(1) - サンダーエイジ

【idology訳】 アイドル × hiphop ⑥ [対談]ロボトミー x ハバククx igology(2) - サンダーエイジ

【idology訳】アイドル×hiphop ③ 境界地帯 - ヒップホップとアイドルの間で - サンダーエイジ

 

「一般に男らしさが求められるヒップホップと中性さが求められるアイドル(さらに話を進めるならLGBTQ)との相性があまり良くないというのは、否定し難いところだと思います。」とありますが、KPOPアイドルがやろうとしてるのが「ヒップホップ」ならそうだろうと思いますけど、今はあくまでもやってるのは音楽的な技法のひとつとなりつつある「ラップ」なので、「男らしさ」のような部分での「真正性」は今は必要なくなっていると思います。(欧米圏のヒップホップシーンでもこの辺りは変化がありますし)そして韓国では元々特にヒップホップ的な曲をやる事が多い男性アイドルとLGBTQ+の相性が良いわけではないので、そもそも絡めるようなものでもないかと。

この点に関しては女性アイドルのクリエイションの方がずっと進んでいるというか、積極的に関わろうという姿勢が見られますが、韓国の男性アイドルのクリエイションにおいては、「海外の人/ファン」がどう感じているかどうかとは関係なく、アイキャンディ的なものとして表層的に借りてくる事はままあるとしても、むしろ具体性からは距離を置いてると言ってもいいと思います。

 

韓国でのヒップホップ定着についてきかれたEPIKHIGHのTABLOは「もっと率直な話が出来る場をみんなが求めていたからでは」と言っていましたが、ヒップホップにおいての価値というか「イケてるかどうか」が判断される大きな部分を占めるのは、テクニックやトラックのかっこよさ以上に、リリックにリアルがあるか否かという事ではないかと思います。ヒップホップカルチャーとアイドルの相性の悪さというのは、disや男性性云々という以前に、「率直さ」が基本にあるヒップホップと、ある程度整えられた部分を見せる事が大前提で、ある程度の「リアルに見せたフェイク」な部分も楽しませる(それがリアルであるかのように受容することを、ファンの側もある程度理解している)のがアイドルというベースにあるあり方が相反するからではないでしょうか。その「韓国のヒップホップ」に関しても、韓国ではサバイバル番組ですら「フリースタイルバトル」が放送できない(それっぽいものがあっても事前にリハをして歌詞のチェックをしています)という事を考えると、韓国でのヒップホップ文化における「真正性」も、欧米圏でのそれとは異なるものになってきている部分もあるようにも思います。

 

2015年前後はまだアイドルが「ヒップホップしようとしていた」のでその辺の真正性との関係性が試行錯誤されていた感じがありますし、ラッパーとしてソロでアルバムを出しているようなアイドルについては「アイドルらしからぬ」歌詞の内容でバッシングされるような事もありました。逆にヒップホップメディアで取り上げられてきちんとした評価を受けたりけちょんけちょんにされることもありましたが、とりあえず「評価の俎上」自体には乗る機会がありました。「最近はヒップホップジャンルが大衆化してきた影響でヒップホップアーティストが逆にアイドル化してきた部分もあり、以前は韓国でのヒップホップジャンルの入り口としてアイドルのヒップホップ系のパフォーマンスというのが機能していた部分もあったと思うんですが、今は10代20代がヒップホップに触れたい時にアイドルの曲を聴く必要がない(ヒットチャートにあるヒップホップアーティストの曲を聴けばよいので)ため、2015年前後と比べると「ヒップホップの曲」と「アイドルのヒップホップジャンルの曲」の間によりはっきりとした境界ができている(ヒップホップ的なものを求めるリスナーとアイドルの間の距離が離れている)と思います。ですから、一般人から見れば単純に「アイドルがラップしている曲」という感じではないかと思います。

そのグループのラップ担当の人がヒップホップ系の番組やサバイバル番組に出て人気が出たりある程度勝ち進んだりした場合は「アイドルソングのラップ担当というのを超えて「ヒップホップアーティスト」と認識される可能性はあると思いますが、そうでなければどこまでも「ラップ担当」でしょうし、そうなるとむしろヒップホップ系ジャンルでの流行を曲に取り入れることに前述のような「リアル」を求められなくなるので、韓国のアイドルのラップ担当のメンバーのスキルやテクニックが全体的に高いとしても、それはすでに「ヒップホップ」とは切り離されて認識されてるということでもあると思います。

 

このように、2015年あたりが「ヒップホップ系アイドル」の最盛期だったので、この辺のラインより前の時代にデビューしたヒップホップ系のアイドルの中には、一般層やヘッズから「ヒップホップアーティスト」としても認識されている人もいます。ただ、そう「認められる」ためには先述のヒップホップ系の番組やサバイバル番組バトルで名を上げるか、ミックステープではなくヒップホップアーティストとして「商業的なアルバム」をリリースすることが最低条件ではないかと思います。それは、これらの事が「アイドルとしてのファンサ的なリリースに留まらず、ヒップホップアーティストとして批評や批判(dis)を受ける覚悟がある真正性(リアル)のある態度」だとみなされるからではないでしょうか。

2015年以降にデビューしている第3.5〜4世代と呼ばれる若手アイドルのラップ担当メンバーに関しては、それ以前とは違ってロールモデルがラッパーではなくアイドルグループになってきており、むしろ若手のラッパーのロールモデルにすらG-DRAGONやZICOのような「アイドル兼ラッパー」の名前があがるようになってきているそうです。

以前のように「ラッパーになりたいが、環境的に難しいのでアイドルになった」という人はかなり少なくなっていると思いますし、「アイドルをやりたい」という意思を明確に持ってラップをしている人がほとんどではないかと思います。故に少し前のような「アイドルとラッパーの狭間での苦悩」というのが「リアル」な姿として成り立ちにくくなっていますし、ラッパーが今よりも職業として成り立ちづらかった時代はそのような部分がアイドルラッパーならではの真正性と受容されていましたが、今現在そういう事を吐露しても「だったらアイドル辞めてラッパーになれば?」と思われるだけで、もはや「リアルな感情」としては届きにくくなっていると思います。そういう意味で今のアイドルにとって「ラッパーとしてのリアル」を見せるハードルは以前よりも高くなっているように感じます。

 

しかしそうなっていくと、韓国のアイドルグループラップ担当メンバーと日本のアイドルグループのラップ担当のメンバーの間に、個々のテクニック以外で根本的に違う何かがあるというわけではないということになりますね。ジャニーズにも今日日ラップ担当メンバーのいるグループは結構いて、リリックも自分で書いてるケースは多いですし。

ゆえに、2020年代のアイドルとヒップホップの関係性とか「ラップパート担当」については、むしろ日韓のアイドルにおいては近づいてきてると言ってもいいかもしれません。アイドルの曲に関して言えば、韓国でも欧米のトレンドを取り入れたヒップホップ系の曲が特にチャートで強いとか人気が高いということもないですし。

(90年代風のR&B要素強めなゆるいBPMの曲が全体的に見ると強い印象)

アイドルファンの主要層である10・20代の若者層の間ではTV番組の影響が大きくてヒップホップが人気の音楽ジャンルですから、アイドルの楽曲にヒップホップテイストが多いというの単純で必然的な流れもあると思います。

 

最初から「アイドル」という線引きをしてヒップホップの方へは行こうとしなかった日本と、ラッパー志望だったけど結果的にアイドルになった人も多かった時代があった韓国という、音楽ビジネス業界と社会的な受容の歴史の違いというのも影響はありそうですが、現在の時点で大きく違う部分があるとすれば、韓国ではヒップホップ系のトラックメイカーの素養があるメンバーがいて楽曲制作に関わっている事が多かったりとか、楽曲制作にヒップホップ系のアーティストが関わる事が多いというのはあるんじゃないかと思います。

YouTubeで上がってた動画でBOYCOLDやdressなどヒップホップ系のトラックメイカー達が「アイドルの楽曲に参加するとヘッズやラッパーからもセルアウトしたみたいな目線で見られるけど、ヒップホップ系のアーティストに曲を作るよりきちんとお金が貰えるし、韓国の音楽業界ではアイドルがいちばん先端だと思う(ヒップホップ系のアーティストの中にはMVにはお金をかけるけどトラックにはお金をかけたがらないパターンが多すぎる!という趣旨の話)」という話をしていました。

確かに現時点で韓国の音楽ではアイドルがいちばんお金を集められる商業的に成功したジャンルなので、そこに他ジャンルの人気アーティストや実力者が呼ばれて制作に関わりやすい、という流れもあるようです。