サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】2016年のアイドルファンドム│②アイドルと企画会社が注意しなければならない9つのこと

【ize訳】2016年のアイドルファンドム│②アイドルと企画会社が注意しなければならない9つのこと

2016.12.13

 

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2016121209427251800


2016年、政治的な正しさ=ポリティカル・コレクトネスに対する要求がますます高まり、アイドル産業もまた、このような声を無視できなくなってきた。 これまで慣性的あるいは慣行的に行ってきた企画やアイドルの行動、発言まで何一つむやみに対応できない時代に徐々になりつつある。 アイドルが提示する価値や概念はファンドムに対しては強力な影響力持っているし、また、このような問題についてファンドム内部ではさまざまな反応が出ているという点からこのような変化はさらに重要だ。 数年前にはさり気なく通りすぎた場面も政治的な正しさの基準で再評価されることが特に多かった今年、問題として提起されたアイドル産業の事件を9つに整理して注意しなければならない理由を付け加えた。 これらの記事に含まれているグループらだけの問題はないという意味であるだけでなく、これからすべて変えていかなければならないという意味でもある。


女性を守ってあげるのはいいんじゃないの⁇?

2012年、TEENTOPのCAPはMnet[ワイド芸能ニュース]に出演した時に30歳の自分の姿を想像して「息子なら何でも全部してあげながら希望のことがあったら全部買ってあげるように育てて、女性は殴りながら家に閉じ込めておかなきゃ。 外は危険だからです」と話した。 娘に暴力を振るうようなこの発言は直ちに批判を受け、CAPと所属事務所は「インタビューの途中で面白くしようと話そうとしたのが、意図と違う表現になってしまい申し訳ない」と公式に謝罪した。 しかし、これは女性を所有物と考えて危険な世の中を口実に女性に対する男性の統制権を発揮するという意味、つまり女性を一人でも自由に生きる事ができる一人の人間ではなく、男性に依存しなければならない存在とみなす発想とつながっている。 さらに、継続してこのような認識が広がっている限り、女性は身なりや行為に関係なく安全が保障されるべきであるのに、危険に直面した際の女性自身の行いが非難を受けるようになるということでより危険だ。 女性が被害者の性的暴力事件で一番多く出る意見が「君がしっかりしていなかったからだよ」だというのを思い出すと、女性の行動を検閲して統制するという発言はどんな形であれ、してはならない。


外国人だって個人特技は楽しみな人もいるんじゃないの???

SHINeeのジョンヒョンは最近、ソロコンサートのVCRでインド風の扮装をしてコミカルな状況を演出したが、インド人を戯画化したことについて「明らかに自分の過ちだ。 当該映像から削除することにする」という立場を明らかにした。彼の説明のように、自分に関心のない女性を誘惑するというストーリーではあったがインド風の扮装をしなければならない理由はなく、それで笑いを起こす理由はさらになかった。 K-POPが全世界に広がっていく状況でも外国人を卑下したり戯画化する態度はほとんど改善されていないが、特に外国出身のメンバーが属しているアイドルグループではそのメンバーの下手な韓国語を真似する姿がしばしば露出される。 EXOのベクヒョンは2013年から2014年まで放映されたMBC everyone[EXO's SHOWTIME]で、当時のメンバーだったタオの言い方を真似しながら「タオコピー機」というニックネームまで得た経緯がある。 韓国でのこのような行動はこれまでギャグコードの一つにまで受け入れられたが、韓国育ちではない人が韓国語を流暢にできないのは至極当然のことだ。 また、使用してきた言語の構造によって発音もやはり変わっていくしかないのを笑い物として消費することは問題だ。 言葉が下手だという理由で誰かを笑いの対象とするのは失礼なだけだ。


肌の色が濃いことでちょっとした冗談を言ってもいいんじゃないの???

2016年11月、VIXXのラビはインスタグラムに黒い色の卵の写真を載せ、「卵を食べようとしたのに、なぜN卵が来たんだろう」という文を掲載した後削除した。 NはVIXX内で肌色のタイプが最も濃いということを理由に長年からかわれてきており、別名もまたこれを反映した「チャフルヨン」(本名のチャハギョンとかけてチャ土ヨン)「フクヨニ」(黒ハギョニ→黒ヨニ)などであり、ラビとケンは自分の携帯にNを「VIXXフクヨニ」、「フクヨニヒョン」と登録した事実を明らかにしている。 EXOのカイもNと同様に暗い肌色のタイプのためにそこだけ照明が入ってないと思ったとか、スタジオのイメージ図で一人だけ真っ黒な色で表現されるなど冗談の素材となってきており、自ら「僕は黒いので夜には見えない」という話をしたりした。 肌の色が人より濃いことをおかしいと思って冗談の素材にするのは、外国人の「나와 다른」の言い方を真似することと同様、人種差別的な態度だ。 その場の、あるいはその社会で多数が似た皮膚の色を持っていることからそれが「正常」や「基準」にならないことは至極当然のことだ。


女性の美しさを賞賛するのはいいんじゃないの???

block.Bの'HER'は「Jesus、どんな言葉が必要なんだろう 皆君を作品と呼ぶ」と言い、「くらっとするように伸びた曲線」のために「僕はすぐ気絶」と話す。 そして「この上なくきれいな彼女の姿 並の女たちは名刺も出せずに 団結して君の悪口を分けあうだろう」と語る。 美しい女性を「作品」と崇拝するとともに、そうでない女性がこの「作品」のような女性をけなすものだということは「女性の認める女性」という構図を作る。 女性を容姿で評価し、美しいと崇拝しそうでない女性に対して「悪口」を言うだろうと言うのは、女性のありのままを見ないという女性に対する偏見と嫌悪を盛り込んでいる。 また、BIGBANGは'BAE BAE'で「君は枯れないで利己的な僕のために」「永遠に君は25歳 僕にとっては」だと言ったが、女性が年を取ることを枯れると表現したり女性を作品と称する試みは、若かったりボリューム感のあるスタイルなど、男性の立場で見て良いと思う基準に女性の特性を固定させてしまう。 当たり前だが女性は時間が経つと年を取るし、必ずしも誰かの思う基準の通りに美しくある必要もないありのままの人間だ。


慎ましい女がいいというのは自分の好みじゃないの???

理想のタイプは確かに好みの領域だ。 しかし、どのような人を理想のタイプに挙げるのかは個人の好みを越える問題になる。 EXOのカイは、中国版[BAZAAR]2014年2月号で「健康なことが最も重要だ。 それでこそ子供も健康なので」と言い、セフンは「僕と僕の両親によくしてくれたらいいですし、家事も上手だったらと思います」と理想のタイプを明らかにした。 女性を自動的に「母」の位置に置くこと、多くの要因があることにも子供の健康に影響を及ぼす絶対的な条件として母親の健康を挙げること、夫の両親をよくもてなしたり、家事をよくすることを女性の美徳として考える発想、いずれも女性の位置と役割に対する固定観念をそのままとどめている。 EXOだけでなく、今まで数えられないほど多くの男性アイドルが理想のタイプを問う言葉に朝ご飯をちゃんと作ってくれる女性または慎ましい女性と答えるなど、男性の自分に受動的で従順な女性、それ以上を想像していない様子を見せた。 一方、SEVENTEENMBC MUSIC[ある素敵な日]で「スンデが好きな女VSパスタ好きな女」という番組スタッフの質問に対し、ほとんどが「スンデの好きな女」を選んで論議が起こったが、最初に女性の食嗜好を2パターンで分けて「気さくな女」と「ややこしい女」の枠組みを作った製作陣の誤ったアプローチも指摘されるべき部分だ。 インタビュー、リアリティ・ショー、ショーケースを問わず投げられる政治的に正しくない質問に対する根本的な再考が必要だということだ。


歌手とファンの間で、過激な冗談をしたっていいんじゃないの???

防弾少年団のSUGAは2013年5月、ツイッターにカメラを持っている自分の写真と共に「これを見ている全員全部見ているから、よそ見を見つけたらこのカメラで撮って捨てるよ^^角を^^脳天に^^」という文を掲載したが、2016年にこれに対する指摘が登場するとBIG HIT エンターテインメントは公式の謝罪文を発表した。 デビューする前からSNSで身近に疎通していたファンたちとアーティストの間では、特に問題にならない合意の上での冗談と考えられるだろうが、親交を離れれば、誰かに危害を加えるような発言はそれ自体が危うい。 アーティストとファン、特に男性アーティストと女性ファンが多いファンドムの特性を考えるなら、注意しなければならない部分だ。 また最近、イジェジンはMBC「黄金漁場ラジオスター]でファンたちに自分がおじさんと呼ばれると気分が悪いといい、この時置かれていたミネラルウォーターのボトルを持ってファンに水をかけるような行動を見せたりもした。 ファンはいつも歌手を愛情として支持しがちだが、それがファンを粗末に扱ってもいいという意味ではない。


ボーイズグループの女装はみんなを笑わせようとしてするんじゃないの???

コンサートや芸能プログラムで女装を披露したボーイズグループの事例は枚挙にいとまもないほど多い。 BIGBANGとTEENTOP、GOT7、MONSTA X、block.B、B1A4、iKONなどデビューした年を問わずみなが一度はファンサービスの一環として女装しており、BTOBは今年の旧正月特集のバラエティ番組SBS[社長が見ている]でREDVELVETのよう扮装をして'Dumb Dumb'のステージを飾ったりした。 もちろん、男性が女装すること自体が問題であるとすることはできない。 しかし、通常ガールズグループの男装やボーイズグループカバーダンスは「カリスマ」「ガールクラッシュ」などの表現と共に真摯なパフォーマンスとして受け止められる一方、ボーイズグループの女装やガールズグループのカバーダンスは体格が大きい男性のルックスと女性の衣装のギャップを誇張して見せ、いわゆるギャグコードとして利用される。 そしてこの時、ほとんどの男性アイドルたちは過度にハイトーンの声を出したり、はにかむ身振りをしながら状況をもっとコミカルにしようとする。 社会的偏見の中で固定された「女性性」を定義するとともに、性的アイデンティティに指定性別の女性と指定性別の男性のみが存在すると思う発想は怠惰で偏狭だ。 ボーイズグループの女装はどうして笑わせるか、本当に笑っていいのか。


セクシャルマイノリティではないから違うと言ったのがなぜ問題なのか。

セクシャリティは尊重するが、僕はそちらではない」SHINeeのジョンヒョンはソロコンサートで男性ファンに向かってこう話したが、最終的には「同じ嗜好ではないという意味で『そちらではない』と言ったのであって、ゲイ、同性愛者やセクシャルマイノリティという言葉を使いたくないからではありません」と釈明した。続いて5〜6年前にセクシャルマイノリティを「そのような趣味の」という言葉で表現してファンドム内で広く使用されるように仕向けてしまった事について謝罪した。ジョンヒョンの言葉通り、性的指向は趣味ではなくアイデンティティーであり、ジェンダーの権力関係で多数を占めることで社会的に「正常性」を獲得している異性愛者がセクシャルマイノリティについて言及し「私はそうではない」と線を引く発言は、ただ単に自分のセクシャリティを公言する事を意味するだけではなく、セクシャルマイノリティを他者化して排除する態度でもある。俳優マット・デイモンは以前、「僕は自分がゲイではないかというような噂を絶対否定しなかった。なぜならその質問自体に怒りを感じたし、自分のゲイの友人の気分を害したくなかったから」と話した。また、防弾少年団のVは2015年にファンサイン会で積極的に愛嬌を演ずるジミンに向かってセクシャルマイノリティに関連するジョークを言い、文脈的にセクシャルマイノリティを異常とみなすような冗談を投げたことで批判を受けた。しかし、セクシャルマイノリティは正常からはずれているわけでも精神的な病気を患っている人でもなく、文字通り社会的に少数であるジェンダーアイデンティティを持っている人であるというだけだ。


「女たちはこうだ」と言ってもいいんじゃない???

2014年に放送されたSBS MTV[素敵な男BTOB]の四番目のエピソードでは「センスナム(センスのいい男)になるための最初の段階」と「男の人が理解できない女たちの行動ベスト3」というトークテーマが示された。 「トイレに行くとき数人が一緒に行く」という内容が出ると、BTOBメンバーたちは「これは本当に納得がいかない」と先を争って声を高め、「ショッピングする時服を10着以上着てみて結局何も買わない」が登場すると、イルフンは「男友達と一緒にいるときそうするという話を聞いた」と、女性が男性に買って欲しいシグナルを送っているものなのだと理解したりもした。 トイレに誰かと一緒に行ってメイクをしようと服を試着だけして買わないにせよ、実際にだれかがこんな風に行動するしても個人の自由だが、女性は特に理解できない虚栄を張ることに時間を浪費する存在として卑下される。 この過程でBTOBメンバーたちは、トイレに他人と一緒に行くというソウングァンに「女っぽい」という言葉を言い、ソウングァンは「女っぽくない!」と腹を立て、その姿を見たユクソンジェは再び「臆病なのも女っぽい」と結んだ。 「女っぽい」という表現がどんなに否定的なニュアンスで使われているのか分かるくだりだ。

 

 

文|ファンヒョジン


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「アイドルとポリコレ」という感じの内容で、概ね確かにこれからは気をつけた方がいいかもしれないという内容ですが、こういうことが過去を掘り起こしてまで執拗に追求されるようになった背景には①の記事にもあったようにアンチ文化が盛んな韓国では「アイドルファン活動は政治活動」という風潮も関連しているのでは?と思いました。「自分が好きな人だからこそここは直して欲しい」と思うファンがいるのは良いことだと思いますが、実際は敵対するファンドム同士がお互いにお互いのアイドルの弱みを発掘し合ってこき下ろしあうという事がかなり露骨に行われているおかげで、このような問題が逆に明るみに出てくるようになったような気がします。
(攻撃が双方でなく一方的に行われる場合もありますが)
必ずしもここ最近盛り上がっているポリコレに厳しい風潮だけでなく、身内を徹底的にかばうモンペ的ペンドム文化と徹底的にライバルを引き摺り下ろそうというアンチ文化が複雑にもつれあっている感じですが、逆にこれが一気に変わったらすごいことだなとも思います。国全体の儒教文化がひっくり返るぐらいのことがないと無理かもしれませんが、なにせ時の流れが早く変わる時は一気に変わる国でもあると思うので。しかしSEVENTEENの件はスンデを選ぼうがパスタを選ぼうがつっこまれるのでは…(どっちでもどうでもいい質問ですし)

ちなみに、block.BのHERの日本語版の歌詞の該当箇所は「普通の子は手も足も出せず陰で嫉妬してるだけ」「ソッコー一目惚れすべてもってかれたかも」と元の内容は離れすぎず表現は変えてありました。


日本の場合は同じグループの他のメンバーのファンが物申したり、同じ会社の先輩グループのファンがお局感覚で指摘することの方が多いかも?むしろ同じペンドムの人たちが指摘するのはいいけど、別ペンドムからのツッコミは「知らないのに適当に余計な事を言うな」と嫌な顔をされる事が多そうです。

しかし、女装に対するスタンスは男女双方の異装がシリアスな文化として受け入れられている日本とはちょっと考え方が違う感じがしました。笑わせるための女装もある思いますが笑わせるための男装もあるし、真剣に異性としての美しさを彼ら/彼女らなりに追求するための異装も存在する思うので。アイドルの女装はどちらかといえばファンにとっては後者の可愛さや美しさ、あるいは慣れない服装やメイクに戸惑いや恥じらいを見せるところがグッとくるというのが(元々のアイドルの体格や外見がどうであろうと)あるんじゃないか思うのですが...笑い者の例としてBTOBをあげているのがまず反則で、BTOBの場合はもともとの彼らのキャラクター自体が笑いを真剣に追求している方なので笑いという結果になったのであって、これは予想にすぎませんが、もし彼らが他の男性グループのダンスをそのコスチュームを身につけて真剣にやったとしても同じように笑えたんじゃないかと思います。以前彼らがEXOのWOLFを楽屋で踊っていた動画を見たことがありますが、踊ってるだけなのに何故か相当おかしかったので...。
個人的には異装をする事で自分とは異なる見方が見えたりする場合もあるので、むしろ積極的にやってもいいと思うし(女装した事で「下着からメイクから髪型からこんなに気を使わなければいけないなんて女性は大変だ」という感想や「やるからには真剣に女性として可愛くなりたい」と話していた男性アイドルも少なからずいますし)差別的かどうかはむしろそれを鑑賞する側が追及されるべきことなのかもしれないと思いました。

 

 

nenuphar.hatenablog.com

 

【ize訳】2016年のアイドルファンドム│①「花の道だけ歩こう」は、何を排除するのか


【ize訳】2016年のアイドルファンドム│①「花の道だけ歩こう」は、何を排除するのか

2016.12.13

 

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2016121210277283952

 

12月3日、SHINeeのファンL氏は、SHINeeのメンバー・ジョンヒョンのソロコンサートを鑑賞した後ツイッターに書き込みを残した。 ジョンヒョンが一人の男性の観客に向かって投げた「尊重はしますけど、しかし、僕はそちらではないです」という冗談がセクシャルマイノリティに対して嫌悪的だったということと、インド風の扮装をしたジョンヒョンがコミカルな踊りを踊る様子が撮られたVCRが異文化を戯画化したように見えたという内容だった。 インドのファンを含む多くのファンが後者について抗議する書き込みを掲載し、前者の件については比較的早期に問題を提起したL氏のツイートが広くリツイート(共有)され、知られるようになった。 この批判について知ることになったジョンヒョンは、同日の夜ツイッターに、特定文化をからかうする意図はなかったが後悔して反省し、該当シーンは削除してほかの場面に入れ替えると明らかにした。 セクシャルマイノリティに対する表現と関連してもコンサートでの発言を含め、過去の自分の無知さのために間違いがあったと謝罪した。

 

しかし、ジョンヒョンが「間違いを正してこれからは慎重にする」と述べた後も、状況は終わることはなかった。 この日の夜、ツイッターといくつかのオンラインのファンコミュニティではL氏に対する非難をはじめ、L氏の他のSNSアカウントなど個人情報を知ることができる書き込みが掲載された。 翌日にもコンサート会場を訪れたLさんは、自分を調べた2人のファンから「どの面下げてここに来たの?」などの言葉の暴力を受けた、とツイッターに書いた。 すると、L氏にコンサートのチケット認証など被害の事実を証明することを要求するファンが現れた。 L氏が断ると「席を探す」「マクコンチケット認証」アカウントが作られた。 ファンが自分のチケットを写真に撮ってあげ、「私の座席近くではL氏が主張したようなことは見なかった」と証言することで、エリアを消去していく方式だった。 チケットだけでなくCCTV(監視カメラ)映像も必要だという主張が登場しており、セウォル号の惨事を比喩に持ち出すような極端な嘲笑や罵倒など、L氏に向かったサイバーブルリン(cyber bully)=ネットいじめ(オンラインで特定の個人を人を集団的で仲間はずれにしたり、執拗にいじめる行為)はますます執拗になった。 「証拠もなしにコメントを残したことはシャイニワールド(SHINeeの公式ファンクラブ名であり、SHINeeのファンドムをひっくるめた呼称)に対する暴力だ」という主張も登場した。

 

独立した自我を持ったファン「たち」の集合であるファンドムが一つに統合された「ワールド」を目指す。 それがファンドムの主流の雰囲気を形成して、これに逆らう声を抑圧する。 これはSHINeeのファンドムだけの問題ではなく、2016年のアイドル、特にボーイズグループのファンドム全般が現在位置する場所だ。 多くのファンドムがSNS上で「否定的な内容はサーチ防止(アイドルが自分の名前を検索した時にひっかからないように名前を変えて表記すること)」、「アイドルに直接メンションを送って批判的なフィードバックしない」など暗黙的なルールを決めておいて、それを守るように要求する。 アルバムなどのコンテンツについて批判的意見を明らかにすることも、ストリーミング認証をしなかったり、2グループ以上のアイドルが好きだと明言することも不特定多数から批判を買いかねない行動だ。 一方、昨年の「森の泉問題」を皮切りに、大衆文化領域における女性嫌悪批判をはじめ、人種やセクシャルマイノリティ問題など政治的な正しさに対する要求は次第に繊細になってきた。 そして、ファンドムの一部で自分が好きなアイドルにも政治的な正しさを要求するというこの1年余りの流れは、このような既存のルールと絶えず衝突してきた。 この5月、ツイッターの「防弾少年団女性嫌悪公論化」アカウントは、ラップモンスターが2015年に発表したミックステープ収録曲の歌詞と2013年のSUGAの暴力的な冗談が盛り込まれたツイートを批判してフィードバックを要求した。 所属会社であるBIG HITエンターテインメントは公式の謝罪文を発表したが、ファンドム内では「公論化」を主導した少数のファンに対する激しい反発が起きた。

 

L氏の事例は、このようなファンドムの閉鎖的なルールが倫理的判断が必要な社会的問題とぶつかった時に起こった極端な事件だ。 ジョンヒョンがそうであったように、アイドルの過ちは当事者と所属会社が認知して反省する場合、確かにもっと良い方向に進むことができる。 しかし、多くの場合それを認知させるような状況を作った人に対しては、ファン認証や自筆の謝罪文、周辺の人たちを含めた過去の検証にまで及ぶ悪循環が発生する。 この11月に防弾少年団のVがサイン会で女性ファンの長い髪を握って振り回した映像で批判を受け、これをツイッターにコピーした他のアイドルのファンが猛烈な非難を受けた末に「私が属しているファンドムと関係がないことにもかかわらず、ファンドムの戦いを起こしかねない軽率な発言や文章を掲載してしまいました」という長文の謝罪文を掲載したのと同じような展開は珍しくない。 L氏が自分の被害事実をおおやけにした後に作られた「#ファンドム内_サイバーブルリン_アウト」ハッシュタグはこのようなアイドルファンドム全般の弊害を知らせて根絶しなければならないという声を盛りこんでいるが、L氏を攻撃している側ではL氏の被害の事実と無関係な過去ツイートやL氏を支持するユーザーの一部の発言を収集し、これらをSHINeeに対する「性犯罪者」と指摘するハッシュタグに結びつけることで論点を濁した。 しかし、ファンフィクションや「憑依文」(なりきり)を含めて実際の人物に性的な妄想を投影するRPS(Real person slash)はファンダムの長年の、そして主要な文化の一つだ。 アイドルに対する性的対象化問題について批判することは、ネットいじめ問題とは別にファンドム全般で行われなければならないほどの膨大なテーマだ。

 

このように、ファンドムの中の問題は決して単純ではない、ファンはしばしば政治的争点を自分たちが直面した問題を有利に導くための手段にする。 「私のアイドル」が批判される場合は問題を提起した人々を敵視するが、自分が嫌いなアイドルが似たような過ちをすれば批判に積極的に参加する場合も容易に目にすることができる。 音楽評論家のイミンヒが『ファンドムや追っかけや』で「ファンドムは、自分の歌手を愛し他人の歌手を嫌う経験があることによって政治を知っている。 世論を、あるいはこの世の中をどうやって説得しなければならないか、また、何をどのように排斥しなければならないのかを知っている。 混乱を予測して作る方法を知っている。 それゆえに『ファン活動は即ち政治活動』だという批判もある」と分析したように、ファンドムは自分のアイドルに対する「ロビー活動」と、自分のアイドルのライバルが「女性嫌悪歌手」であることを広く流布する行為を同時に進行したりもする。 この過程でアイドルに政治的な正しさを要求する声は、悪意を帯びた「政治活動」にだまされたりもして、逆に他で議論になるほどの事がなくても特定ファンドムを牽制することに悪用したりもする人もいる。 各自の目的がファンドム間の軋轢ともつれ合い、ファンドム内ではジェンダー、人種、社会的マイノリティに対する真っ当な意見すら否定的に受け入れる雰囲気さえ作られる。

 

第1世代アイドルの登場後、20年余りが流れる間に、アイドルファンドムの文化は年齢構成比、消費行動、活動方法などさまざまな面で変化を経験したが、その中心の情緒にはいつもアイドルに対する献身的な支持と無条件に近い愛情があった。 アイドルとそのファンたちに対する社会的視線が今よりはるかに否定的だった時期のファンドムは、外部の非難や嘲弄からアイドルを隔離して保護することを選んだし、「 까도 내가 깐다 (私が言うのはいいが、お前が言うのは許さない)」に要約されるこの態度を通じて自分たちもできるだけ傷つかないでいられる方式を具現化した。 この7月、全北大学新聞放送学科のカンジュンマン教授が娘のカンジウォンとともに発表した『追っかけは何を渇望するのか?』でコミュニケーション共同体であり連帯体としてのファンドムに注目し、この本が「積極的な『追っかけ擁護論』」としたのは、このようなファンダムの歴史から成立可能である。 しかし、この1年間の事例から分かるようにファンドム、特に「コアファン」と呼ばれる熱狂的な層は、好みの緩い連帯ではなく共通の目的に向かって突進する結社の形に近づいた。 ここ数年の間よく見られるようになった「私たちの○○○、花道だけを歩いていこう」というキャッチフレーズは、このようなアイドルファンドムのムードを代弁している。 「私のアイドルにはいいことだけを見せて聞かせてやる」、つまりアイドルの活動において「悪い」外部要因をすべて除去するというファンドムの意志は、アイドル市場の競争が激しくなると強化される。 ファンドムがチャート順位とアルバム販売量、受賞実績などに神経を尖らせるほど「私のアイドル」の傷に言及することで花道を妨げるものは敵と見なされる。 アイドルファンが自分たちを自嘲的に称する言葉である「アミの塩辛」感覚はこの時、「アイドルの前では皆同じアミの塩辛に過ぎないのに、なぜお前だけが偉そうにするのか」という空気を形成し、少数の声を排除する方向に作用する。

 

確かにアイドルファンドムがこれまで経験してきたメディアによる歪曲、人権侵害、労働力の搾取は確かに現存しており、改善していかなければならない点だが、さらに積極的に議論すべきはファンドム内部で行われる様々な暴力の様相だ。 物事の改善よりも静かな中止を望む、あるいは後者を選ぶしかないようにするファンドム内の抑圧的な雰囲気の中で、ますます多くのファンはアイドルに対する愛情と政治的な正しさを志向するものが共存しにくいというジレンマにぶつかっている。 ファンドムの一員としてアイドルに関する情報を共有して楽しむことを望む人は、ルールを脱した者達に対するネットいじめを経験したり、見守ったり、萎縮したりして大部分は徐々に順応するようになる。 L氏は「もともと使用していたアカウントではツイートはしない代わりに新しいアカウントを作りハッシュタグ宣言に賛同したり、『今所属しているファンドムの雰囲気からして連帯はしないが、応援する』というメッセージを送ってくれた人たちも多かった。 『暴力に反対する』というようなどう見ても当たり前の議題についても自分のアカウントで率直に意見を出せずにいるのを見ると、ファンドム独自のルールがどれほど頑丈か分かるようだ」と話した。 コミュニティ内部の規律が道徳的規範の上位に置かれ、構成員は民主社会の自律的な市民としてのアイデンティティと「真の正しいファン」として強要される役割の間で深刻な矛盾を経験する。 この過程で過度なストレスにより「タルドク(オタ卒)」、つまりファン活動を辞める人もいる。 内部の結束力が高まるほど、個人の考えを表明しにくくなる集団の閉鎖性は深刻化して拡張性は落ちる。 少なくとも誰かを好きになるために、個別事案に対する倫理的判断を消したくないのであれば...2016年ファンドムが現在がぶつかっている問題は、すでにその構成員各自が悩まなければならない問題なのだ。

 

この1年余りの間、アイドルに政治的な正しさを求める声はますます激しい反動にぶち当たり、ファンドム内の自浄の努力もほぼ挫折に至った。 しかしアイドルグループごとに、あるいは女性嫌悪や人種を卑下するなど、特定のテーマに対する'公論化'のためのSNSアカウントは現在も増えており、最近では「ファンドム内ネットいじめ被害者連合」までもが生まれた。 再三言うように、このような葛藤は特定ファンドムでのみ発生する悪習ではなく、「特定の集団」と「正しいファン」の間の戦いでもない。 ある場合には女性嫌悪に対することかもしれないし、またある場合には人種卑下の問題であるかもしれない、また他の社会的弱者に対する問題であるかもしれないし、誰かのファンやアンチではない人々も自由に立場を表明できる社会の普遍のテーマだ。 それでもこのすべての声を消して完璧にひとつに団結してアイドルに「花道」を常に歩かせたいというのなら、それは果たして可能だろうか。 もし可能だとしても、その狭くて閉鎖的で絶えずお互いを統制する世界は、誰のためのものなのか。


文| チェジウ


※森の泉問題=お笑い芸人のチャンドンミン・ユセユン・ユサンムがポッドキャスト「森の泉と夢みるラジオ」で女性蔑視発言をしたとして問題になり、最終的に謝罪会見を開いた事件。
※여혐=ミソジニー女性嫌悪


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以前より韓国内のファンドムのある種のモンペ的過激さは、時に他の国のファンから見ても理解しがたい側面がありましたが、国内でもオタク外部からはやはりこういう視線もあるのだなと思わされた記事でした。

日本のKドルペンドムはマルチファンドムの人が多いですし、ある程度の文化的かつ言語的距離があることで韓国よりは緩い連帯のように感じますが、いじめに加担したりはしないまでも本国のペンちゃん達がこう言ってるんです><だからそれが正しいと思うんです><という「とにかく本国のファン至上主義」の方々も一部存在はしていて、改めて集団の同調圧力について考えざるを得ない案件でした。
「(韓国の)アイドルファン活動は政治的である」という言葉で色々納得できるものがありましたが、日本のドルオタ文化にはライバルをこき下ろしたり引きずりおろそうとするアンチ文化があまり馴染みがないため政治的になりにくいのかなとも思いました。

 

 

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【ize訳】アイドルの肌を白く変えること

【ize訳】アイドルの肌を白く変えること
2016.11.14

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2016111307597257901


最近、ツイッター防弾少年団SEVENTEEN、INFINITEなど、ボーイズグループの写真が「ホワイトウォッシング(非白人キャラクターや人物を白人に変える行為)」されているという指摘が提起された。 アイドルメンバーを直接撮った写真を掲載する「ホムマ(ホーム・マスター)」たちの写真で、メンバーたちの肌が普段と違ってあまりにも白く補正されているという指摘だ。 'No Whitewash'や'w/o whitewash'という同じ名前で補正された写真をもともとの肌の色に戻した写真や、同じ日に撮られた記事写真と比較するアカウントも生まれた。

 

これに対して「ホワイト・ウォッシング」を指摘されるホームマスターたちは、写真を補正する過程に過ぎず人種的な含意はないと話す。 あるボーイズグループのホムマA氏は「肌だけではなく全体的な写真の雰囲気とトーンを調整している」と話した。 照明や撮影環境、写真全体を補正する過程によってメンバーが持った皮膚の色がもっとよく現われたりするというだけであって、白人に憧れているわけではないということだ。 しかし、「ホワイト・ウォッシング」に対する指摘は比較的明るい肌のメンバーたちだけでなく、ほとんどすべてのメンバーたちの写真で現れる。 既に放送された映像をキャプチャしたり、短い「チャルバング(添付画像)」に再編集する過程で肌をさらに明るくしたりもする。 あるボーイズグループでは比較的明るい肌色のメンバーのチャルバングに「白いシャツとほぼ同等の水準になるほど顔を明るくしてる」という書き込みがあった。 様々なメンバーがいる写真で、メンバー達間の肌色の差が感じられないほど補正したケースもある。

 

「ホワイト・ウォッシング」という批判はメンバーらの間の差異を無くし、全員を白くする行為の方にさらに集中しているようだ。 ホワイト・ウォッシングをする事は、アジア人の中でも明るい肌と暗い肌という多様性をアピールするよりも、お互いに異なる皮膚の色を持ったメンバーたちが白い肌をより良いものとする判断基準に合わせて似たような色に変えるということだ。 これは人種差別ではなく趣向問題という反論もある。 また、他のホムマB氏は「東洋でも白い肌に憧れる文化が昔からあったが、このような文脈を無視して白い肌は白人じゃないか、どうしてそうするんだと聞くことこそ人種差別だと思う」と話した。 たとえ白い肌の補正しているとしても、このような基準は東洋の文化の中で作られただけで、人種差別の含意はないということだ。 また、A氏は「個人的な趣向の違いだと感じるため、対応せずに、嫌ならアカウントをフォローしないでくださいと言っている」と付け加えた。 彼らの「ホワイト・ウォッシング」は人種差別ではなく白い肌を好きな嗜好であるだけで、社会的義務がない個々の人の好みについて不愉快ならばあえて見なければいいという主張だ。

 

ホームマスターたちの写真は各自の好みと美感を反映する二次創作物に属するともいえる。 ホームマスターの活動自体が対価がない自発的な活動だということを勘案すると、個人に政治的な正しさをどの程度まで要求できるかどうかは曖昧な領域でもある。 しかし、彼らが修正する写真のオリジナルは実在の人間だ。 実在の人物が持っている本来の要素である皮膚の色が誰かの好みによって変れられるのだ。このような状況で海外ファンが、白い肌を好むのはホムマの個人的な好みにすぎないという事を受け入れることは容易ではない。 tumblrで韓国アイドルメンバーの「ホワイト・ウォッシング」を指摘したあるファンは自分が南米出身であることを明らかにし、「彼らの写真を見るたびに私の肌について物乞いのような(shitty)気持ちになる」と話した。 他の色の肌を白い肌に変えてそれがさらに美しいというのは、ホムマの意図とは別に肌の色で優劣を分ける結果を生む。

 

このような問題は、結果的にK-POPの海外ファンをファン活動から排除させている。 ファンの活動がSNS中心に行われる状況下で、特定のコンテンツが閉鎖的な環境のみで共有されることは不可能である。 最近はホームマスターたちがサポートに参加しようとする海外のファンたちのために英語で公示を上げたりするように、海外ファンたちは企画会社だけでなくファンダム内でも一つの市場を形成している。 それでも海外のファンたちは美的な基準を白い肌に合わせた写真を受け入れるか、見ないかという選択をしなければならない。 誰かの趣向が異なる誰かを排除するようになるとき、これを単に好みの問題だけで残すのが正しい方向だろうか。 誰も「ホワイト・ウォッシング」を強制的に辞めさせることはできない。 ただ、ずっと疑問を提示する必要はあるだろう。 これが本当に好みの問題であるだけなのかと。


文|コイェリン

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最近世間で話題のいわゆるポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)に関する記事だったので訳してみました。
近い話としては以前、某グループのアイドルメンバー同士で「夜会うと気づかない」と言うような色黒をからかう冗談をしたところ、一部海外ファンから差別的だとかなり強い抗議が来て謝罪したりとか、似たような事が特に欧米圏のファンの間で起こっているのを見たような気がします。
この「ホワイトウォッシング」問題はKPOPのグローバル化に伴うペンドムの世界的拡大と、アイドル文化特有の慣習や国による文化の違いと言った複雑な問題をはらんでいるため、差別的という言葉だけでは単純に片付けられない問題だと思いました。


まずひとつめは、アイドルの写真における「修正」に慣例についてです。写真補正というのは一般誌の写真でも通常行われており、シミやほくろ、傷、皮膚のムラ、毛穴、肌色の修正諸々は特に芸能人の写真では普通に行われていますし、中でもアイドルや肌の露出が多いグラビアなどには不可欠です。身長や身体のシルエットを変えたり日常茶飯事でしょう。そして、韓国のグラビアは日本よりもはるかに大きく修正や補正を入れているようです。以前写真修正を生業としているプロの方がとあるKドルの日本でリリースされたゲームアプリの修正の仕事が来たものの、事務所の要求する修正レベルが日本のそれよりもはるかに厳しく現実ばなれしており、最終的に仕事を断って他にまわしたという話をされていました。
この極度に修正したがる癖はアマチュアであるホームマスター達の間でも当然のようにあり、またテクニックもかなりのもので(仕事でやってるプロの人もいそうですが)、フェイスラインや鼻梁の骨隆起をとてもナチュラルにまっすぐに修正している写真なども割と見かけるレベルです。Kドルの美容整形についてまとめている英語のサイト(なかなかの悪趣味)を見かけた事がありますが、整形の判断にマスコミ写真や動画ではなくマスターの写真を多用しており、とあるアイドルの鼻に関して時系列順に写真を並べて混乱していた事がありました。マスターさんが写真の鼻の形を修正している事に気づかなかったようです。今やスマホのアプリですらかなりの修正が可能ですし、報道写真以外は素人が撮ったものでも常になんらかの修正が入っていて当然なんですけどね。

 

二つめですが、韓国における美の価値観というのがあると思います。韓国には完全な対象を最も美しいものとする価値観が昔からあり、朝鮮磁器でも完璧に対称で整っている形が尊ばれていた磁器があったそうです。これは「完璧な中にある不完全な乱れ」やアシンメトリーに美を見出したりする日本とは対称的なようです(これはギャラリーフェイクというマンガからの知識なんであれですが)。これがそのまま人間の美醜にも適用されるのではないかな?例えば整形に躊躇がないのも個性よりも「パーフェクトさ」を尊ぶというあらわれなのかもしれません。八重歯やほくろなどの日本のアイドルならチャームポイントとしてしまいそうなところも、韓国のアイドルは売れてくると矯正したりかぶせて治したり、とってしまったりという事がよくありますよね。それぞれの個性を際立たせようとするよりも多くの人がひとつの価値観に向かって完璧さを求めようとするのは現代の特にヨーロッパ的な価値観からすると受け入れられないという人もいるかもしれません。ただ、だからと言って他の国の基準を押しつけてもいいのか?というのはあるのではないかと思います。アイドルというのは美を売る職業でもあり、その国の美の価値観で作られたまさにある面で美の価値観を体現する存在でもあると思います。ユルさを許さない一糸乱れぬカル群舞なども、そういう価値観を反映している部分もあるのではないかと。そして、いくらグローバル化していると言えど彼らが生きているのは「その価値観を持っている国」そのものです。他の国ではこうだ、と言っても彼らが生きている場所での常識はまた別にあり、いずれは変わっていくにしても今現在、その価値観に逆らって生きればそれを揶揄する心ない人たちに傷つけられるかもしれない。そしてその同じ「価値観」の中で生きている本国のマスター達は自分のアイドル達が傷つけられる事は望まないでしょう。それゆえに、彼女たち/彼たちは自分たちから見た基準でなるべく「美しく」推しの一瞬を整えて世の中に見せたがるのではないかと思います。例えそれが不自然に見えたとしても。

 

三つめは、記事の中にもありましたがアジア全体に昔から肌に関しては「色白」を良いものとする価値観があると言うことです。日本でも平安時代にはすでに肌の美しさについての記述に白さというのがあったそうなので(この辺りは美白・歴史などでググって頂くとして)、いわゆる白人=コーカソイドの存在は関係のない価値観だと言うことがわかります。韓国でも昔話などを見ると西洋文化が入ってくるはるか以前より黒髪・白い肌・赤い唇というのが美人の条件だったようです。記事の中でマスターさんが言っていたように、西洋文化の影響を受ける前から存在していた東洋の価値観をそれを知ってか知らずか他の文化圏から肌のトーンを明るくしただけで「白人賛美じゃないか」と言われる事こそが差別というのも一理あるのではないかと思います。いわゆる「白人」に支配されていた歴史がある文化圏からするとそういう思考回路になってしまうのかもしれませんが、それこそ他国の歴史や価値観を軽んじているのではと反論されても仕方ないように感じます。

 

そして最後は写真を撮るマスター達は公式の存在ではなく皆個人で勝手にやっているという点であり、自分が好きにとった写真を好きに加工して公開するなり写真集としてまとめている(最近では展示会なんていうのもありますが)という活動を見ると、この記事にもあるとおり「二次創作的表現」が近いような気がするという事です。仮にこれを「公式が大目に見ている二次創作」と同等に考えるとして、個人の嗜好が強烈に反映されるというか個人の嗜好しかないと言ってもいい二次創作にどこまでの精度でポリコレを要求するべきなのか?ということ(もちろん明らかに特定の人種や属性を貶めるようなものは問題ですが)、問題があると思われたとしても対象となっている作品の著作者=この場合はアイドル本人と所属事務所以外にそれについて異議を申し立てる権利があるのか?という点です。「誰かの趣向が異なる誰かを排除するようになるとき、これを単に好みの問題だけで残すのが正しい方向だろうか」と記事にありますが、特定のものを指しているわけでもなく単に個人の主観で良いと判断されたにすぎない価値観の上で作られたものを見て、「自分はこの美的基準に当てはまっていない。排除されている」と感じるのもまた個人の主観であり、最終的には主観VS主観になってしまうのではないのかと思うのですが…。


このように色々な問題が絡み合っているように思うので、現状では公式以外から文句を言われたら「じゃあ見ないでいいですよ」という対応しかできないんではないかと個人的には思います。勿論肌色に関するジョークで特定の国や文化圏を思い起こすような例えを入れたりするのは問題があると思いますが、色黒の人に「夜会ったらわからない」というのも色白の人に「シャツと同化して見える」というのも冗談として両方言える方が健全な気はします。韓国人の肌色からすると「修正で肌のトーンを明るくするとアラが飛ぶ」という程度のシンプルな理由でやっているだけのようにも思いますし。女優さんがライトあてまくって白くアラを飛ばすのと同じ手法というか。結果として白くなってしまうという。

 

しかし、個人的には肌の色に限らずあまりに修正しすぎるのは好きではありません。そもそも修正入れる前の生身を見て好きになってるわけなので、例え事故顔や肌荒れが見えちゃってる写真でも人間味があっていいと思いますし、あまりに修正された写真を見たら例えそれがとても美しい仕上がりだとしても本人が見たら複雑なんじゃないかなとも思いますし…だから「集合写真などでメンバーの肌の色をあわせようとする行為」が非難されるのは理解できます。他の人を基準にしてそこに合わせようとするという意図がより明確に見えてしまうので。
(そもそも韓国のアイドルがのべつまくなしに写真撮られすぎ問題というのもある気がしてきましたが)

BLACKPINKのイメージする女性像?

 

nenuphar.hatenablog.com

 

 

前出の記事を読み、BLACKPINKの諸々を見て思った事など。
(だらだらと長くなってしまったので下の方にまとめてみましたけど、全然まとまらなかった)


個人的には「火遊び」を聴いて描きたい女性像について、2NE1との違いがよりはっきりわかってきたように思いました。TEDDYの女性の歌がとても好きなのですが、それは歌詞に込められた女性像が自分から見て絶妙にリアリティを感じるからです。2NE1は自立していて屈しない女性が思わず憧れてしまうような自我とカリスマ性をもっているけれど、それでも人間だから愛したり自分の姿を振り返った時に弱くなる部分もあるという、一般のアイドルファンの年齢層(中高生と想定しています)のリスナーにとっては力を与えてくれる憧れの少し年上のお姉さんというイメージでした。
一方のBLACKPINKはまだその域に達するほどの人生経験もなく、好きな相手に全てを投げ出してしまいそうな純粋で危うい面もあるけれども、一方で大人をも惑わせてしまうような大人の側面もあり、つまりまだ「少女」と「大人」の中間の曖昧な時期を感じます。最近の女性グループでこういう思春期と成人の狭間の一瞬をリアルに切り取って見せるようなグループは、振り返ってみると意外にないような気がします。最初から大人のセクシーさや特異なキャラクターが設定されてデビューする一部のグループを除けば、大抵の女子アイドルグループは「少女」としてデビューし、キャリアを重ねていき「大人の女性」へとコンセプトが変化する過程においては過渡期として扱われやすい時期のように思われるからです。

 

TWICEもヨジャチングもレッドベルベットもI.O.Iも、タイプは違えど基本的には「まだ少女」のイメージで、それこそがデビューしたての女性アイドルに求められるものではないのか?という考え方ももっともだと思います。しかし今の一番のYGらしさとは何か?と考えてみると、それはあくまでも「リアル」であり「等身大」という事なのではないかと思います。WIN組で言うなら10代のメンバーもいるiKONはまだ「少年」のイメージであり、主に曲を作っているB.I.とBobbyの感性がそのまま若さとして背伸びせずに等身大に歌詞に反映されている感じですが、少し年上のWINNERはデビュー時から既に「少年」から「青年」への移行期であり、特に歌詞に現れている自己肯定と自己否定を行き来する内面の揺らぎは、実年齢よりも多少背伸びしたがっている部分も含めてそれもまた等身大なのではないかと思います。WINNERは「新人なのにフレッシュな雰囲気がない」「年齢にしてはイメージが大人っぽすぎるのでは」という批判をされたりもしていますが、やはりメンバー当人が置かれている「狭間の時期」を幼ぶる事なく見せている事で、逆に大人からはそう見えるのかもしれません。BLACKPINKにしても彼女たちの実際の年齢はちょうど少女から女性への通過点で、そしてそれは女子アイドル業界ではマニア的ファンタジーの薄いリア充臭という点で、更に少しニッチなのかもしれません。
しかし、以前より韓国のアイドルファンも年齢層が年々上がってきている事を考えた時、本来ならアイドルを卒業するはずの大学生くらいの層にとってはいちばん身近でリアルに感じられる存在なのではないかと思いました。そういえば彼女たちのヘアスタイルやメイクはちょうど同じ年頃の女子もリアルに真似したくなりそうですし、とかくアイドルが醸しがちなやりすぎな部分は抑えがちで愛玩したくなるようなお約束のアピールもなく、しかしスタイリッシュではある。いわゆるあまり女子アイドルに興味がない「マグル」層にこそ男女問わずアピールするものなのかもしれません。そしてそれがやはりアイドルファンが「ハマる」にはちょっと物足りなく見えるとしても理解できます。


BIGBANGや2NE1は音楽とイメージの両面でYG=SWAGというイメージを作り上げてきましたが、今やYGはその時期を脱してネクストステージへと姿を変えつつあると思います。それはヒップホップの中でもポエティックでポップス寄りなEPIKHIGHの移籍やアコースティックポップスデュオであるAKMUのデビュー、そしてYGドルの定型イメージを覆したWINNERのデビューのさせ方にも現れているように思います。おそらくYGは「こういうのがYGっぽい」というラベルづけをされるのがめちゃくちゃ嫌いなんだろうなと。そもそもBBや2NE1のデビューも「アイドルグループとはこういうもの」という固定観念を打ち破るような出来事でしたし、二者の成功によって型破りの存在すら定型になった世界では、そこに安住するような事こそがYGとしては避けたい事なのではないでしょうか?
とはいえYGは全て社内制作ですし、同じ面子がプロデュースをしていれば曲の雰囲気が似てしまうのは避けがたい事で、しかもおそらくブルピンに関しては故意にディレクティング(声の出し方)を寄せてきたり、2NE1をイメージさせるワード(今回だとfireでしょう)を入れてきていると思われるのでその点は言われるだろうという事は想定済みでしょうし、あえて似たように聴こえる音を違う装飾と本質的には異なる中身=歌詞で提供して「YGらしさとはなんなのか?」と世間へも問いかけている気すらします。

そういう意味ではBLACKPINKの見かけがいくらアイドルらしいとは言っても、その売り方が他事務所が行なっている「普通の」アイドルの売り出し方に完全に迎合する事はないでしょうし、その必要性もまだ感じていない気がします。TVバラエティの露出などはこれから徐々にあるかもしれませんが、YGドルの本質がリアルさとライブステージにあるとするならば、目立つステージングの派手な振付やあえてキャッチーなポイントダンスを入れる事はなさそうです。ステージングや振付の構成の運動量が多くなるほどライブコンサートの場では生歌の割合は減らざるを得ないし(ウェブ上で一瞬で興味を惹きつける必要のあるMVや数曲しか歌わないTV番組やイベントではもっとも効果的な手法でしょうが)若いうちから全て生歌でコンサートの出来ないアイドルというのは、YGがいちばん望まない姿であるような気がします。
これは良し悪しではなく、アイドルという仕事の多様性においてどこの部分を最も重要視するのかというポリシーの違いに過ぎないと思いますが、アイドル業界においてはYGの方がむしろ異質ではないかと思います。

 

YGはここ数年特に独自のリリース方式(これは安易に曲数を増やせない事をカバーするためもあるかもしれませんが、Kドルでは特殊でも割と日本に近い形式な気がしてます)やプロモーション方式が目立ちますが、果たしてこれが吉と出るのかどうか、BIGBANGが完全体で活動できなくなるであろうこの先数年間で結果が出てくるのでしょうか。

 

 


<まとめ>(られてない)と蛇足

・ブルピンのイメージは少女と大人の中間期だと思う。

・TWICEの曲に出てくる彼氏は同級生かせいぜい2・3個上の先輩っぽいけど、ブルピンの場合は10歳くらい上の大人の男が浮かぶ

・カリスマ性がありしっかり者のどこか生真面目な姉である2NE1と、そんな姉を尻目に愛され女街道をゆく妹のブルピン(しかしやはりどこか強かさもある)?

・ステージングについて言えばYGがTTみたいなポイントダンスやヨチンみたいな振付をするわけないだろうという。恐らくダンスの能力で言えば今まででデビューした全組がいわゆるカル群舞をこなせる力は十分にはあると思うが、デビュー以降のプロになってからの仕事においてはあえそういう要素を排除しているのがはっきり傾向として感じられる。恐らくライブでああいう定型のパフォーマンスをしながら生歌で2時間歌い続けるのは現実的に無理だからではないかと思う。
(実際ゴリゴリのフォーメーションダンスを踊るグループのライブはいわゆる口パクの曲も多い。2時間以上の長尺になればそれは当然の事)

・TEDDYはそもそも韓国内の曲の流行は見ていないと思う。元々海外にファンが多い事務所でありデビューの瞬間から欧米圏のオーディエンスの注目を集めるのは間違いないわけで、最初から世界的な音楽の流行ジャンルを意識するのは当然ではないか。

・ブルピンの売り方は今のところ神秘性をキープしているが、これって元々はSMのお得意の方式なわけでレッドベルベットなどもこっちの方に近いはず。最近リアリティサバイバル出身のグループや親しみやすさがウリのグループが人気ゆえに、あえての逆行という気もする。アイドル歴が長くなるほど素の部分と言うのは嫌でも見えてくる時代なのだし、最初からモロ見せばかりというのも消費されるスピードが早くなるだけなのではないか。バラエティで素を見せて人気を取る方法は事務所自体がマイナーだったり注目度が低い新人には有効ではあるが、事務所自体にファンがついていて先輩グループのファンからの恩恵がある程度望めるグループにとっては、必須ではないのだと思う。

・シングルを刻んで出してアルバムにまとめるというここ最近のYGの方式は韓国では珍しいけど、どっちかというと日本に近い気がする。YGはアルバムを埋めるためだけに曲を外注しないので捨て曲と言えるようなものはほぼないが、曲数が少ないのでこの方式をする事で活動回数を増やせたり期間を延ばせるというのはありそう。

・デビューして即いくつかのメジャーブランドの広告の仕事が入っているあたり、恐らくYGという事務所そのものに対するファッションアイコンとしての信用度が高いんだと思われる。中小事務所であれば全員がメジャーブランドの広告に採用されるというのはデビュー後しばらくして1位をとってある程度のファンドムができなければ来ない仕事だと思うし、実際特に一番欲しい仕事のジャンルのひとつではないかと思う。シーズン単位で契約できれば安定した収入源だろうし、一般への露出も多い仕事だから。

【ize訳】BLACKPINKの色は何だろうか

BLACKPINKの色は何だろうか
2016.11.07

 

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2016110608557271401&pDepth1=i2301


BLACKPINKは新曲「火遊び」で"恐怖よりは君に惹かれた気持ちがもっと大きいから"、"私の全部をあなたっていう世界に全部投げたい"と歌う。 ミュージックビデオでも男性の腰を先に抱きしめたり、近づいてくる男性を力一杯ハグするなど、ためらわない。 2016年、ガールズグループのトレンドは届くような届かないような愛のときめきと内気な心を伝えることだったが、BLACKPINKはそこからは少し離れた道を選択した。 これは2NE1からBLACKPINKまでYGエンターテインメント(以下、YG)のガールズグループのプロデュースを担当しているTEDDYの力量のおかげでもある。 2NE1はデビューの頃からガールズグループとしては異例であるほど自己愛を誇示するチームであり、よく遊んだり物事にチャレンジングでありそうな彼女たちのイメージはBLACKPINKにも相当部分移植されている。

 

しかし、BLACKPINKが「BOMBAYAH」でオッパと叫んだように、「火遊び」もやはり受身的でおとなしい、幼い少女の顔を完全に放棄しない。 「火遊び」には「うちのママは毎日私に話した」という歌詞が登場し、ミュージックビデオには地味に見えるがそれとなく露出が浮き彫りになっている服を着ておとなしく座っているメンバーたちの姿が入っている。 ダブルタイトル曲「STAY」は傷つきながらも愛を渇望する内容で、多少時代錯誤的ともいえる純粋な女性の雰囲気を補強する。 2NE1の「FIRE」や「ネガチェチャラガ」とは違う誰かに捨てられて痛みを見せる女性の歌を合間合間にリリースし、「強く見える」イメージを中和させようとした戦略と類似している。 そのためにTWICEとBLACKPINKが追求する方向の本質的な違いはとても微細な程度に止まり、大衆的な認知度を得たTWICEに比べて後発ランナーであるBLACKPINKの色はそれだけ曖昧になるしかない。

 

これは逆説的に2NE1とBLACKPINKの違いでもある。 BLACKPINKは2NE1に似た印象を与えられたが、2NE1のコンセプトにはメンバーのカラーが特に作用した。 CLの目立つキャラクターや腿を大胆に開くミンジのダンスのようなインパクトがなかったら「FIRE」は完成できなかった。 一方、BLACKPINKはYGが2NE1を通じて見せたのものに最近のガールズグループの流れを混ぜあわせ、メンバーら一人ひとりの個性は浮上しない。 デビュー曲「口笛」では魅惑的な雰囲気を造成するロゼのボーカルが、「BOMBAYAH」ではリサの覇気あふれるラップが目立っていたが、「火遊び」ではむしろメンバーたちの声を一つに調整してしまっている事も関係している。 全般的にブレスを多く混ぜない堅く力を入れて吐き出すトーンは、注意深く聞かないとジェニとジス、ロゼ、リサの中で誰か区別がつかない。

 

BLACKPINKは最近のインタビューで「ファンがたくさん待っているので、コミュニケーションの機会をくれたらと思う。 ファンと会う場や音楽放送も出てみたい」と話した。 TWICEとI.O.Iのいずれもデビュー前からリアリティ・ショーを通じてキャラクターを見せてくれたし、最終的にはひとり一人の個性を動力にしてパン・大衆的な成功まで勢いを加えることができた。 しかし、BLACKPINKには公式で撮影したいくつかのMVビハインド映像があるだけだ。 それなりの理由があるが、結果的にはデビュー後3ヵ月の間で、メンバーたちに個性を現す機会がなかなか与えられなかったという話だ。 2NE1がMnet「2NE1TV」などを通じて、当時他のガールズグループと差別化されたキャラクターを持つようになったのと対照的だ。


このような状況でムーンバートン系列の「火遊び」をタイトルに掲げたのは良い選択のようには思えない。 ムーンバートンは世界的にトレンディだが国内では依然として不慣れなジャンルであり、それだけに何をやっても応援を受けるほど堅固なファンドムを有していたり、慣れない音楽さえも魅力的に感じさせるほどメンバー個々のイメージがはっきりしていない新人には消化しにくい服だ。 よくトレンディと形容されるYGのイメージを除けば、やっと二番目のアルバムを発表したBLACKPINKがムーンバートンジャンルのタイトル曲を呼ばなければならない理由は、とくに見当たらない。 さらに、「火遊び」の舞台は印象的な一瞬を描くこともできない。 最近、アイドル市場で、ある場面に要約できるパフォーマンス演出の重要性は次第に強まっている。 トゥワイスが「CHEER UP」で見せてくれた"シャシャシャ"や指で'T'を形作る'TT'の振り付け、GFRIENDが「ガラス玉」で見せてくれた蹴りなどと比較すれば「火遊び」を代表するような振り付けは想起することはできない。 「火遊び」という単語は「TT」や「VeryVeryVery」よりも特定のイメージを直観的に表現されるが、タイトルの強烈さがコンセプトの全てを代替するわけではない。

 

2NE1がデビューした時、人の機嫌を伺わずに愛を歌っていないながらも、いくらでも視線を引き付けることができる女性のキャラクターは当時、YGだけが作ることができた。 一方、今のブラックピンクはどんな女性像を描きたいのか分からない。 トレンディさときれいに整えられた音楽と何とか洗練されたビジュアルスタイリングは存在するが、そこで浮き彫りにされるのはYGという会社の仕事だけであり、BLACKPINKというグループとそのグループを組むメンバーの個性に関する考慮は見えない。 どんな芸能事務所とも違うスタイルと方向からアーティストの色を鮮明にしたYGは、今や流行に追いつくことだけでもYGの名前と規模で市場に充分にアピールすることができると信じているようだ。 そしてその間にTWICEが「TT」で受動的な女性像をほんの少しだけ脱したように、他のグループたちも変わり始める。 市場の要求と時代の流れと会社の固執の間でまだ適切な線を見つけられなかったBLACKPINKはどこに足を踏み入れなければならないのだろうか? BLACKPINKだけでなく、すべてをグループが悩まなければならない質問でもある。


文|ファンヒョジン
校正|キム・ヨンジン


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ムーンバートン=moombahton /BPM110前後の緩やかなベースミュージックのジャンル。最近のKドルの曲だと防弾少年団の「血、汗、涙」などが該当すると思われます。

前回のデビュー時に続くBLACKPINKに関する記事でした。前回同様他のガールズグループと違う個性は何なのか?という疑問とともに、YGからデビューする最近のアイドルが一見普通のアイドルのような顔を見せながらも「一般的なアイドルっぽい売り方」をしない事に対する疑問も感じられる論調ですね。

【ize訳】ジニョンが作曲したガールズグループの曲

【ize訳】ジニョンが作曲したガールズグループの曲

2016.10.26

 

http://ize.co.kr/articleView.html?no=2016102308177265303

 


I.O.Iの新譜「miss me?」の収録曲「Hold Up(ちょっと待って)」は、グループの退場を知らせる別れのトラックであり、短い時間だけを共に過ごしたファンに送る格別の贈物である。たとえ催眠的な中毒性の服を着た 「VeryVeryVery」の方をこれからもよく耳にする事になるとしても、音楽が与える魅力の度合いということについてはこの曲に特別に言及したいくらいだ。

 

クレジットに書かれた「ジニョン」という名前に注目してみる。それに対する記憶はB1A4の「Sweet Girl」(2015)に収録された「10年後」にさかのぼる。アイドルの音楽としてはやや例外的に感じられるような、自伝的であり内面観察的な歌詞と大人っぽい感情の旋律を含んでいたこの曲は、今やいつのまにかたくさん増えていた「作曲ドル」の狭間の中でも、彼の存在感を刻みつけくれた。おそらくMnet 「プロデューサー101」は、間違いなく彼の曲を書く能力が彼のファンドムを越えてより幅広い大衆に検証されたきっかけになったものと信じる。現在のIOIを代表する曲で、多くの場合広く知られている「桜が散ったら」と「こんな場所で」の2曲は、単に作曲ドルとしての力量だけではなく、特にガールズグループの音楽が持つべき本質的な性格を正しく見抜いたセンスを持つ作曲家としてジニョンの存在感を忠実に確認させてくれる。

 

ジニョンの曲を見ると、情緒的には冷たさと温かさ、かわいらしさと哀れさの相反する姿を対比させて敍情的感情を自然に上昇させるのが特徴だ。 「ちょっと待って」を聞いてみると、忙しく走り速い脈動を作り出すシンセビートが機械的な冷たい雰囲気を作り出す一方、コーラスのメロディーが繊細で少し物悲しさを感じさせる旋律をじっくりと回しながら全体的に複雑かつ微妙な感情を引き出す。 「同じ空、同じ時間、同じ場所で」のように耳慣れたポップコード展開の構成の上におぼろげなメロディーを加え、歌詞が投影するはかなげなイメージを見事に描き出した「こんな場所で」も彼の'方程式'を理解できる良い例だ。 OHMYGIRLの「一歩二歩」のように高音の裏声が薄く広がる漸進的旋律、別の表現するなら、女性的できれいなメロディーをシンプルな単語にマッチングさせる彼の作曲スタイル、それに加えて強烈なエレキ・ギターと早いテンポでスクラッチするストリング・セクションを併置させた編曲の方向性などは、厳密に言えば新しいとは言えない部分だ。 多分にJ-POP的な要素で成り立っているこの構成は、LOVELYZを育てた作曲チームOnePiece、そしてGFRIENDのほぼすべてのヒット曲を誕生させたイキヨンベなどと同じチームの音楽をあまねく想起させる。 しかし、前述した両チームがよりポップでキャッチーな、あるいはまとめて「韓国の演歌風」程度に表現できるような魅力を出そうと集中するのに対して、ジニョンのメロディーは彼らのように露骨でなく、より洗練された美しさが担保されたR&Bのそれを連想させるという点で違いが作られる。 「桜が散ったら」から聞こえるようにメロディーだけを切り離して見れば、一見ソロR&B歌手の音楽として聴いてもたいして遜色のない旋律の曲は、彼がブラック・ミュージックのもとで訓練されたボーカリストという事実を思い浮かべて見ると合点が行くことができるだろう。


現在のアイドル音楽シーンでは、相反したイメージを複合的に羅列したデパート式のアルバムの構成が一般的な傾向となっており、そのため、タイトル曲だけではなく個性的な「収録曲」を作ってくれるスペシャリストを確実に要求している。作曲家ジニョンの歩幅は、この点においてさらに広がるだろう。似たような年齢のミュージシャンがヒップホップやエレクトロニカの強烈なビートと厚いテクスチャを前面に掲げたリズム本位の音楽を追求するのに対し、最近彼が披露した一連のガールズグループの音楽は、彼のシグネチャーが入った明瞭な旋律の美しさを前面に浮上させて普遍的で保守的な嗜好を満足させると同時に、叙情的なイメージを上手に喚起させる歌詞とともにガールズグループの変わらない必須徳目である少女の純粋さのイメージを見事に描き出している。そしてこれは、才能のある「作曲ドル」の狭間の中でもガールズグループ「オーダーメイド型」の作曲家としてのジニョンの名前が着実に挙げられる最も重要な根拠である。


記事|キムヨンデ(音楽評論家、季刊[文学トンネ]編集委員
校正|キム・ヨンジン

 

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作曲家としてのB1A4にスポットをあてた記事でした。「10年後」の歌詞は30歳くらいのアイドルが歌いそうな歌詞だなと思ってましたが、切ないけど不思議と暗さはない魅力がある曲です。
個人的に「プロデュース101」の中に出てきた曲ではジニョンの作った曲が1番印象に残っていたのと、B1A4の曲の中でも特にジニョン作曲の LONELY (없구나) が好きなのですが、ヨジャGに提供した曲も名曲ぞろいですし、これから先おまごるのプロデュースなどももっとやってくれたら面白そうだなと思ったりしました。

【ize訳】インタビュー:B1A4ジニョン│②「良い言葉も悪い言葉も50%だけ刻む 」

【ize訳】インタビュー:B1A4ジニョン│②「良い言葉も悪い言葉も50%だけ刻む 」


2016.04.27

 

 

nenuphar.hatenablog.com

 

 

http://ize.co.kr/articleView.html?no=2016042505007287855


ー短期間のうちにプロデューサーとしての経験値をたくさん積んできたようですので、これからも他のグループのプロデュースを期待したいです。


ジニョン:たくさんすることが重要だとは思っていません。 それに、今すぐ僕一人でプロデューサーとして成功したいというわけではない。 自分が色々なことをしてみたらうちのグループにとっても最終的には役に立たないだろうかと思っています。スペクトルを広げるほどB1A4のアルバムも感じが変わる感じで、そんな風に良いシナジー効果が発揮されそうで。 ソロアルバムの話もたくさん訊かれますが、うちのグループがもっとよくした後いつか機会があるのではないかと。 全てのことが自然に流れたら良いですね。 今回名前が少し世に出たからといってすぐにソロを出したり、そういうことが重要ではないと思います。

 

ー賞賛に対してあまり浮き足立たないんですね。


ジニョン:良い言葉も、悪い言葉もちょうど50%ずつだけ心に刻むようにしてます。 誰の話であれ100%正解というのはないんだと。 以前は自分が作った歌を誰かにそれほどでもないと言われたりすると、すごく傷ついたりしました。 今は「この人はそんな風に思うんだ」程度で済みます。 一人の言葉に一喜一憂していてはみんな駄目になってしまうからです。 以前に「BABY I'M SORRY」という僕が作曲した曲が初めてタイトルになりましたが、その当時ミキシングだけを7回もやり直しました。 自分の考えがなかったんですね。 誰かがあまり良くないと言ったら直して、また別の方があまりといえばまた見直して。 あるミキサーさんが「プロデューサーは自分だけのポリシーがなければならない」とおっしゃっていて。 その時感じたんです。 ある程度自分の考えを持った状態で他の人の話をお聞きしようと。 それでもその経験のおかげで、プロデュースに対する勘をもう少しつかむことができたようです。

 

ー作詞・作曲などすべて専門的に学んでいない状態で始めたとききました。

 

ジニョン:その通りです。 それで最初の頃は編曲まで考えなかった。 ただ自分で作って本当に大したことのないメロディを録音してみて、おもしろいからプログラムを触ってみる程度だった。 ところが編曲をお任せしてみると、正直私が思ったイメージとあまりに違うものが出来てきたんですね。 作曲をすればするほど僕も自分が望むものを作りたいという欲望が大きくなっていきました。 そんな感じで機材を一人でずっと触ってみて、研究しつつ、結局編曲までするようになったんです。 これが合ってるやり方みたいです。 僕の曲には僕のアイデアが全部入っていて、僕が望んだ通りに具現化する事は他の人には出来ないから。 アルバム作業中にミキシングをするときも、マスタリングをする時も、自分が直接参加する事にそれなりのプライドがあります。 学ぶことも多く、理解してくださる方も多くなり、これをエネルギーにしてさらに進むことができるという思いがします。

 

ー成長しただけに、音楽で描かれるB1A4のキャラクターも初期と今では変わったようです。


ジニョン:「僕たちはこんな風な姿を演出しなければいけない」という感じでデビューしたわけではないのでキャラクターと呼ぶのはちょっとおかしいんですが、ただこんな風に説明したいです。 デビューの時から今までの僕たちが成長してきた姿がアルバムにも盛り込まれているのだと。 年齢が反映されたB1A4の姿ですね。

 

ーそういえば、もうデビュー5周年を迎えましたね。


ジニョン:5年がどうしてこんなに早く過ぎたんだろうかと思います。 デビューした時は5年目の先輩を見て「僕たちはあんな年まで続けていく事ができるかな?」と思ったこともありましたが、遥かにこんな場所まで来ていました。 高校時代には永久に二十歳になりそうにないと思ったけど、今は二十六歳になったし。 でも、深い意味を感じてるわけではないです。 上手く流れているんだ、ただこのようにずっと流れていきそうだ、そんなことばかり考えています。

 

ーそれでもメンバーたちと一緒にいるときに、以前とは違って大人になったようだという感じたりもするんでしょうか。


ジニョン:正直、まだみんな子供みたいですね。 初めて会った時のようにみんな高校生みたいな感じ。 僕たち同士の時は昔と同じように遊ぶので、大人になったのかどうかがわかりません(笑) ただ、こんな時はちょっと感慨深いです。 仕事の時にスタッフの方が僕たちよりも年下の時。昔は全員ヌナやヒョンばかりでしたが、今は僕よりも年下の方が本当に多くて不思議です。 いつのまにか僕たちはそうなっていたんだと。

 

ーメンバーそれぞれに個人活動が多くなり、お互いを尊重するようになっている部分もあるんでしょうか。


ジニョン:確実にありますね。以前はリーダーとして緊張しました。この子が何かのプログラムに出てしくじりでもしたらどうしよう? 良いことだろうか。 そんな感じでしたが、今はみんなよくわかっていて上手くやっています。 何でも僕よりずっと上手だから心配する必要がない。 偉いこともして、格好いいこともして、こっちが習うことも多いです。 そんな姿を見ていると、メンバーたちも大人になったなあと思います。 当然デビュー当初よりは小言も減りました。 指摘するものがないのにあえて探してする必要はありません。 それこそ自然なほうがいい。 あえて文句をつける部分がなければ引き続き良好に行けばいいし、結局気になる部分があればその時に言ってあげればいい事ですし…。

 

ーファンたちも、5年の間にずっと大きいものに見えるようになったのでは。


ジニョン:以前、僕たちのあだ名は「チョトンリョン(超統領)」でしたね。僕たちのグループもそれほどベテランになったわけでもないですけど、それでも5年というのは短い時間でもなく。小学生で本当に赤ちゃんみたいだったのに、今は高校生になって僕たちを見に来るファンが多い。 ファンたちも僕たちが育っていく過程を見てきたけど、僕たちもファンたちが成長していく過程を見ているようで面白いです。

 

ーそれでは今、この時点であなたにとって最も重要なことは何でしょうか。


ジニョン:当然B1A4のカムバックです。 いつまでに出さなければなければならないと期限が決まっているわけではないですけど、たくさん模索しているところです。 僕たちもちょうど5年目だから、次のアルバムは本当に重要みたいです。 5年目以降に何が見せられるのだろうかと悩んでいます。 一応は満足のいく結果を出さなければいけませんよね。 何かきちんと整っていないのに、心だけ急いで急いでカムバックするのは曖昧ではないかと思っています。 それでも…なるべく早くしようと努力はしてます(笑) 


記事|ファンヒョジン
校正|キム・ヨンジン

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チョトンリョン=小学生に大人気の人や物のこと。超大統領、つまり大統領超えという事かな…?