サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【idology訳】音源の「記録」〜音源チャートの意味

【idology訳】音源の「記録」〜音源チャートの意味


2018/04/14 byチョ・ソンミン

http://idology.kr/10339


まず先に重要なうやむやにできない点がある。 筆者はアルバム/音源関連のチャートがなくならなければならないとは思わない。 ここには二つの理由がある。 一つは大衆文化史に意味のある史料としての記録物が必要で、その一つがチャートになることもあると見ているからだ。 時代を代表できる、時代が愛した音楽が何だったのか記録する作業は明らかに意味がある。 そしてその基準において「人々が多く消費した」音楽がどんなものかを整理しておく作業は必ず必要だ。 また、もう一つの理由は大衆とポピュラー音楽が離れないように関与の度合いを高める役割をする媒体が必要だからだ。 先の理由とも共通する文脈だが、チャートが存在することにより大衆音楽家は大衆の消費傾向を分析することができるし、大衆の個々人は各人の趣向の領域内でどのような音楽が広く共有されているか確認することができる。

 
あらかじめ明らかにしておくが、この文は「音楽はスポーツではない」「どのようにして音楽を比べることができるのか」と主張する「チャート無用論」ではない。 むしろ逆に、厳格な基準を立てたチャートを保護しなければならないと話す予定だ。 音楽の評価基準を販売量チャートひとつに一本化する慣習は多くの間違いが盛り込まれる可能性があるが、大衆音楽を一つの完成された産業領域として認めるなら、「大衆の選択」を最も冷静に反映するチャートから絶対に目をそらしてはならないという意味だ。 従って、昨今の「LIMEZエンターテインメント(以下、LIMEZ)事態」も、まさにその「チャート絶対主義」にまい進している業界の雰囲気から生まれた弊害であるだけで、チャートが存在するということ自体から生じた問題ではない。 LIMEZ事態は「大衆の選択」という名目で大衆の本当の選択を無視し、自社のミュージシャンたちの音楽性も「チャート上位」というタイトルで保障できると信じた、まさに「チャートの罠」に陥った結果だ。

 
しかし、販売量チャートとして現存するすべてのチャートが必ず保護されなければならないわけではない。 冒頭に述べた通り、チャートは時代の記録だ。 遠い後日、特定の時期に多くの大衆がどのような音楽を共有したかどうかを語る時、ひとつの根拠として挙げられる、歴史性を持った存在でなければならない。 LIMEZ事態が初めて明らかになったリアルタイムチャートは、1時間に1回販売量を集計する。 LIMEZ事態の最も直接的な被害者とも言える、同じ時期に音源を発表したアイドルのファンドムはこのように主張する。 リアルタイムチャート、その中でも特に最上位圏の音源だけが公開される「5分チャート」のグラフが時間帯ごとに一定の販売量の推移を見せ、この推移は「大衆嗜好型」や「ファンドム集中型」などのいくつかに類型化されるということだ。 LIMEZ所属の歌手たちが「逆走」した音源がふたつのどんな類型にも該当しない、奇形的な動きを見せたために波紋の端緒を提供したわけだ。

 
「広く知られる」という意味で、Facebookなどで口コミでバイラルとなってチャート順位圏に入る歌手がありえないというわけではない。 「ファンカム神話」を作り出した「逆走」の元祖EXIDの「Up&Down」、様々なミュージシャンがカバーしながらバイラル効果を享受してきたユン・ジョンシンの「いいんだ」そしてKPOP STARを通じて知られた後、発表する曲が多くの愛を受けた赤い頬の思春期も代表的な「Facebookスター」だ。 「逆走神話」の根底にSNSバイラルがあることは、マーケッターなら分からない者はいない。 しかし、「LIMEZ事態」の核心は「バイラル」自体にあるものではない。 LIMEZの「Facebookスター」たちは「ゆっくり大衆のピックを受けた」という典型的な逆走行の誓詞を持っているが、前述した「口コミに先に乗った後」多くの人たちに知られてから音源の成績が上がっているケースとは違い、まるで初めから有名だったかのように発売と同時にチャート最上位圏にランクされた。 チャート順位操作の名分に「バイラル」を掲げたと見たほうが合理的な状況であるということだ。

 
YouTube「ユン・ジョンシン」検索

ユン・ジョンシンの「いいんだ」を検索すると、多くのカバー関連の言葉が関連検索語で表示される。 SNSバイラルの効果を体感できる一番最近の事例である]

 
ここで注目すべき点は、リアルタイムチャートが時間帯を基準に一定のサイクルをえがくという点だ。 そしてこのサイクルの根拠は、通常一般大衆の生活パターンを反映した、恒常性を持っているものだ。 「明け方には音源再生をつけておくアイドルファンドムのストリーミング回数が集計され、アイドルの順位が上がる」だとか「人が起きている時間には再び大衆性の高い歌手たちの音源がリアルタイムチャートに上がっている」という証言などがこれを代表する。 そうだとしたら、長期的にリアルタイムチャートが時代を代弁して歴史性を備えると言えるのだろうか。一定の流行の流れを反映して変化する日刊、週刊、月刊チャートに比べ、リアルタイムチャートが特別に大きな時代的な意味を含んでいると考えることは難しい。 多くの大衆の日常的な習慣によって毎日繰り返される現象を見せることが果たして1年後、10年後、100年後にどのような意味を持つようになるのだろうか?端的に言えば、我々が今この時点で「1994年5月28日の明け方4時に人気のあった歌」について強いて知るべき必要が果たしてあるのだろうか?

 
そうなると、リアルタイムチャートは何を根拠に存在するのだろうか?リアルタイムチャートがどのように認識されているかを見れば分かる。 発売と同時に発表される順位と、トップ3の音源に限って1時間も待たずに5分単位で更新される「5分チャート」、そして新たに建てられる記録を中継する各種媒体と、そのような「絵」を作り出すために仕方なく「スミン(ストリーミングの略語)」と「トルダ(ダウンロード回数の重みづけをするために、脱退とダウンロードを繰り返す行為)」にこだわるアイドルファンドムを見ればいい。ここに音楽を「聴く」人はいない。 実際このようなファンは「チャート進入順位に向けて、落ち着いた感想は一旦ランクインした後にしなければならない」と頑なに言ったりもする。 音源流通会社はファンのこのような「スミン」を防止するために音源公開時間を0時から午後6時に先送りするとしたが、逆に発売時間が変わった後の方がリアルタイムチャート成績に向けた競争はさらに熾烈になったというのが、関係者とファンドムを含めた利用者たちの大半の見方だ。 


このような過熱様相によってチャートが維持されているということを、該当DB情報をすべて持っている流通会社側が知らないわけがないことは確かだろう。 しかし、リアルタイムチャートの悪用に対する対策はまだされたことはない。 過熱のおかげで利用料を持っていくのは結局、流通会社だからだ。 もっと誘導すれば誘導するほど、絶対に放棄できなくなるという立場だと解釈しても差し支えないだろう。このような雰囲気の中で「SNSの口コミを通じての逆走」というタイトルでチャートの上位圏に安着した歌手が存在するという事実は、流通会社にとっても「言い訳」を作ってくれる。 リアルタイムチャートが「アイドルファンドムスミンチャート」であるという汚名を晴らす根拠として作用する余地が十分なものだ。 チャート最上位圏にアイドルの最新曲が布陣しているのは容認できないが、「大衆たちが多く聴いている」という噂は、たとえその実体がないとしてもなんとなく容易に納得できそうな根拠となるのだろうか。

 
チャートの細分化が必要ならば、その基準は「時間」ではなく「ジャンル」になる方がもっと理にかなっている。 実際、権威のあるチャートは通常それなりの基準で同時期公開タイトルを横に分類して販売量を集計する。多くはアルバム発売形態を基準にしたアルバム/シングルチャートであり、ジャンルや歌手のスタイルを基準に分けたチャートも多数存在する。 授賞式で与えられる賞は部門別に千差万別だが、果たしてその基準となるべきチャートは単純な販売量ただひとつに一本化されているのどうかという疑いを持ってもおかしくはない。たとえば、ほとんどの表彰式で欠かさない「新人賞」はたいていグループ、ソロや男性、女性に分けて行われる。 ところがこの基準が顕在化するのは「ネチズン人気投票」などをする時ぐらいであり、それさえも普通は部門を分けずに集計した後、受賞者選定時点において「口裏を合わせて」おいてグループを指定する方式だ。 したがって、それほど詳細に集計しファンが気をもんでいたチャート記録は、授賞式の投票をする時でなければ普段は流通会社DBの中に眠っている情報であるだけだ。 受賞の対象ではない音源の資料は余剰な情報に過ぎなくなる。


「記録」にはふたつの意味がある。 ひとつは「後日に残す目的で書いた文」を指し、もうひとつは「試合で立てた成績や結果」を指す。チャートが志向すべき「記録」がどちらに近づかなければならないのかは、きっと皆がわかっているはずだ。 大衆文化が産業の形を取ることには無視できない部分もある。 しかし、今の問題を作っているのは結局、目指しているところの問題だ。 チャートが有意義な「記録」を資料として残し、無意味な競争の「記録」を勧めないように、産業レベルで歯止めをかけなければならない。

  

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niloの件やそれに対する反応を見ると、チャートに対する権威主義と同時に、それによってチャート競争に執着し過ぎて起こる諸々の雑音要素によるチャートそのものへの不信という、ふたつの大きな矛盾によってかなりこじれてるのを感じました。互いの尻尾を飲み込むウロボロスの様です。

「販売量」ってそもそもはもっともシンプルかつ嘘をつかない・バイアスの少ないデータのはずなのに、何故そうなったのかという。

 
文中で「 授賞式で与えられる賞は部門別に千差万別だが、果たしてその基準となるべきチャートは単純な販売量ただひとつに一本化されているのどうかという疑いを持ってもおかしくはない」とありますけど、逆まさにmelon みたいな音源ポータルが賞の候補者を投票っていう販売量以外の要素で選んでる事自体が大分おかしい事のはずで...音源が強くない男性アイドルの受賞が客寄せや注目度には不可欠なんだろうとは思いますが、そこで根本がブレてるからどんどんねじれて行くし信頼がないんだろうなって気がします。リアルタイムチャートには文化的には意味がないのに無駄に競争を煽っているというのは本当にそう思いますし...。

【スポーツソウル訳】LIMEZ イ・シウ代表「変化する音楽消費パターンはまた別のジャンドクチョルを期待している」

【スポーツソウル訳】LIMEZ イ・シウ代表「変化する音楽消費パターンはまた別のジャンドクチョルを期待している」

 
2018.02.01

http://m.sportsseoul.com/news/read/596196?adtbrdg=e#_adtReady

[スポーツソウル ホンスンハン記者]

 
わずか数週間前まで、ボーカルグループジャンドクチョルを知っている大衆はそれほど多くなかった。 しかし、昨年11月に発表した「あの日のように」がSNSを通じて口コミに乗り音源チャートのトップまで上がり、ジャンドクチョルは2018年歌謡界の異変の主人公になった。 

 

事実、ジャンドクチョルの成功は昨年大人気を得たユンジョンシンの「いいの」やメロマンス「プレゼント」などと同じ延長線上にある。 過去にCD、DVDのようなアルバムを通じて消費されていた音楽はストリーミングに基盤する音源サイトに移行され、今はYouTubeソーシャルメディアでの消費パターンが変化している。 特に、Facebookのようなソーシャルメディアで話題を集めた音楽や動画は再び音源チャートに影響を与え、「逆走」という現象を起こしている。 

 
中古新人だったジャンドクチョルを発掘してソーシャルメディアを通じて紹介させた張本人は、まさにLIMEZのイシウ代表(28)だ。 イシウ代表が率いるLIMEZはクリエイティブアーティストエージェンシーだ。 まだ大衆には耳慣れない会社だが、業界ではLOEN、genie、ソニーミュージックユニバーサルミュージック、インターパークなど数多くの企画会社と既にさまざまな作業を行ってきた。 

 
「私たちは企画会社とは役割が違う。 企画会社はコンテンツをうまく作る会社であり、我々はソーシャルメディアとメディアに合わせてコンテンツを再加工する役割を果たしている。 会社の究極的な目標も、アーティストをAからZまで作ってあげるのではなく、上手く多くの人が見られるようにしてあげるというのがエージェンシーの概念だ。 チャートを見ると、今はシンガーソングライターの割合が多い。 本人たちの音楽的な力量に会社が最小限の支援をする。韓国の企画会社システムよりは、米国のエージェンシーやレーベルシステムのように細分化されている」

 
20代という若い年齢だが、イシウ代表はすでに大学時代からソーシャル・エンターテインメントという事業計画書を持ち、政府の起業支援金を受けてビジネスを開始した。 ソーシャルメディアに適したマーケティングを考えて誕生させたのがFacebookの「一般人の身の毛がよだつようなライブ(イソラ)」であり、以降ジュースTVなども一緒に製作して昨年LIMEZを創業した。 イ代表は「当時、社会的にオーディション番組がヒットしていた。一般人が歌うのに熱狂するという事について考えてみると、周辺に歌が上手いのにチャンスがないという人が多かった。 放送から始まるのではなく、大衆に人気を得てから放送に出るというのをやってみたいと思った。 『イソラ』は作るごとに大ヒットを記録した」と微笑んだ。


ジャンドクチョルの成功により、イシウ代表は2013年に書いていた事業計画書を現実として成し遂げた。 「とても満足しています。5年前に事業計画書にジャンドクチョルようなグループを作ると書いたが、自分の人生でそれを検証できた。これは偶然ではなく、過去にも40やイジュンホ・Banhanaなどが逆走をした。 これからもこのような事例を作って行き、私たちが考えている市場を検証する機会が設けられた」

 
イ代表はソーシャルメディアマーケティングにおけるコンテンツの重要性について何度も言及した。 彼は「私たちが持っていつチャンネルもあり、提携を結ぶチャンネルもあるが、コンテンツに何よりも集中する。 よく作られたコンテンツは購読者が0人から始まっても100万人が見る事もある。 人々が反応できるコンテンツが重要だ。 また、広告動画が100万アクセス数あったとしても商品購買につながることが重要であるように、音楽のような場合は自然と音源サイトと音源チャートに反映されなければならない。 私たちは流入率を高めるためのノウハウを開発している」と明らかにした。 

 
現在LIMEZをはじめ、多くの会社が変化するメディア環境に適したコンテンツの制作に力を傾けている。 トレンドを早く読み、又はトレンドを作る警戒地点に立っている会社のうち、LIMEZは目立って頭角を現している。 イ代表は「私たちが何かプロジェクトを進行すると、周辺の会社も似たような考えをしている。 双方向コミュニケーションの窓口であるソーシャルメディアが徐々に高まる時代的な流れはあるが、継続性のある市場性とビジネスをするということが重要だ。私たちは周囲の会社を通じて教訓を多く得た。 多様な事例を触覚を傾けてみている。 良かった点もあるし試行錯誤もあるが、我々は最大限リスク負担を減らしている」と伝えた。


ソーシャルメディアを通じたマーケティングと、現在大衆歌謡の一軸を担っているアイドル市場との結合は可能だろうか。 彼は「ビューティー製品もFacebookで消費されて実際の売り上げに増えた。 現在もカテゴリーは増えているが、フォーマットの問題だ。 バラードは一定部分調査し、パフォーマンス型の歌手も確かに疎通する方法があると考えて複数のデータを作っている。 大衆的に疎通できるアイドルをマーケティングする方式は作っている最中ですが、ファンドム市場ではソーシャルメディアが効率的かどうかについては悩んでいる」と話した。

 
現在、ソーシャルメディアを一番旨く活用している代表的なアイドル防弾少年団に対しては「防弾少年団は世界的に莫大な歌手に成長した。 誰よりも先にソーシャルメディアが持つ本質である、コミュニケーションの窓口をうまく活用した良いケースだ。 (コンテンツを見ると)真剣さが感じられる。 現在、IT業界でも製品とマーケティングの境界が次第になくなっているが、アーティスト本人たちがSNSの基本的な機能や意味を認知して知らなければならない。 自らが先に動画や他のコンテンツを作っていかなければならない」と説明した。

 
大衆音楽の消費パターンがスピーディーに変化する中で、音楽消費者のリアルな関心を音源チャートと繋げているリメジュの動きと、SNSマーケティングに対する関心が高まっている。 反面、一部ではこのような方式に対する否定的な視線も存在しており、未だSNSを通じて人気を集めたコンテンツやアーティストが継続性を見せられなかったのも事実だ。

 
李代表は「ジャンドクチョルの場合Facebookで近道をしたと言われたりするが、音楽市場だけでなくメディアが変わってきている時期であり、このような現象はさらに多くなるだろう。放送局も同様にマネージャーが仕事をうまくすれば様々な芸能に出られるのと同じで、私たちもメディアがSNSに最適化された方式は以前と同じだと思う」「人が最も重要だ。 私たちもこれを一つ作ってヒットをしたからとまた縮小するのではなく、才能のある人を集めて一緒に地道に良くなっていくのが会社の長期的な力量だ」と強調した。


LIMEZが行こうとしている方向と目標地点は何だろうか。 イ代表は「究極的にはクリリティブアーティストエージェンシーと書いてあるが、海外の事例でCAA(クリエーティブアーティストエージェンシー=米国最大手エンターテインメント&スポーツエージェンシー)というマネジメント会社がある。 膨大なタイプのスターが所属しており、ペプシコーラの広告もしたり等多様な領域で活躍している。 私たちもコンテンツとさらに良い価値を作っていくシステムを備え、多様な分野で力量を繰り広げていく計画だ。 一次的にはより多くの成功事例を作るのが目標だが、単に規模を育てることよりも充実してコンテンツの付加価値を高める会社になることを願っている」と期待した。

 


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「一般人の身の毛がよだつライブ(일반인의 소름돋는 라이브)」(일솔라=イソラ)

https://www.youtube.com/channel/UCAbd8xHBGObktNG6F4GeChA

 
2018年初頭にFacebookのクチコミでジャンドクチョルというボーカルトリオがブレイクして音源チャートの1位になるという事があったのですが、4月に入って再びniloという歌手が同様の行程で主要音源チャートの上位に入り、両方のミュージシャンが同じ会社に所属しているということでネットではステルスマーケティングや買い占めが疑われているそうです。

ジャンドクチョルの時は騒がれず何故今回は問題になったかというと、恐らく同じ時期に人気アイドルであるTWICEが新曲をリリースし、当然今回も音源を総ナメにすると思われていたのがチャートによっては突然現れた(ように見える)アーティストが1位になってしまった為に、主にファンを中心に騒がれているようです。しかし同時に韓国ではファン活動という名目でスミンという音源チャートの正当性を損なう行為を行っているのがアイドルファンという認識も世間的には浸透しており、それに対するバックラッシュも起こっているようです。

 
会社代表のインタビューを読むと、結局注目を浴びさせる手法はともかく、特に音楽の場合はコンテンツの中身が良くなければ生き残ってはいけないというのは確かだと思います。インタビュー見出しの「変化する音楽消費パターンはまた別のジャンドクチョルを期待している」はniloのヒットによりたしかにそういう消費層がいるのかもという証明を一歩確実にしたようです。

 
既存のアイドルが人気を獲得してきた手法とは別の形で人気を得た「プデュ」現象も同様かもしれませんが、韓国音楽チャート界をこの10年ほど支配してきた「人気アイドルという既得権益」を脅かす新しい存在が出てきたという事なのかもしれません。当然、「既得権益側」(韓国では主にファンでしょうが)からの反発もあるでしょうが、ざっくり分けるとアイドル・TV番組絡みのヒット・hiphop or R&B系メジャーアーティスト・その他インディーズミュージシャンというおおよそ4パターンに分かれていると言っても過言ではない韓国音楽チャートに一石を投じた事例というのは確かではないかと思いました。

【ize訳】101人がデビューするその日まで

【ize訳】101人がデビューするその日まで

 

2018.04.09
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018040823067238661

 

2,016,187。Mnet「プロデュース101シーズン2」出演者たちと関連のあるアイドルたちの2017年のアルバム販売量h(GAONチャート基準)を合わせた数字だ。 このうちWANNA ONEが販売した1,355,618枚を除くと、660,569枚が残る。 そのうちNU'EST Wが30万枚を、残りの30万枚をJBJ、MXM、THE BOYZ、チョンセウン、サミュエル、ヨングク&シヒョンが持っていった。 2015年の年間アルバム販売量決算チャートで100位に入った新人アイドルは3グループで、SEVENTEENとiKON、UP10TIONだけだった。 2年間でデビューと同時に人気を得ている新人アイドルチームが2倍ほどに増えた。 すべて「プロデュース101」の出身か、またはここに出演したメンバーが含まれているケースだ。 その他にはいない。

 

この数値は、2018年にいわゆる「プデュ出身」アイドルたちが着実に新しいアルバムを出したり、デビューできる原動力だ。 2018年に入ってJBJ、チョンセウン、MXM、サミュエルなどが次々と新曲を発表し、「プロデュース101シーズン2」の人気練習生として挙げられていたジュハクニョンが含まれているTHE BOYZも最近カムバックした。 今年デビューしたRAINZとフリーデビューの形を取るヒョンソプ×ウィウンをはじめ、既にデビューしていたThe East LightやN.Flyingにも「プデュ出身」メンバーたちがひとりずつ追加投入されて活動している。 デビューを目前にした新人グループNOIRとソロであるユソンホにおいては「プデュ出身」というタイトルが最も重要な広報手段だ。 「プロデュース101シーズン2」で注目されたメンバーたちが大勢含まれたあるアイドルチームの広報担当者A氏は、「他の新人グループよりも広報が楽というのがかなりの長所」だとし、「一度露出された履歴があるのでやはりその話を書くしかなく、それで楽な時がある」と話した。 依然として「プロデュース101」に出た練習生達を引き連れ新しいアイドルチーム制作に没頭する製作者たちがいる理由だ。 ある企画会社の関係者B氏は「基本的にファンドムが保障されるということを目で確認できたので、最初から露出されていない練習生たちよりはその番組に出演した子たちを連れて何かしらをしてみようと思う」と打ち明けた。「率直に言えば、いわゆる『プデュバル(プデュ祭)』というものはすべて終わったことはわかっている」と言いながらも、アイドル市場の激しい競争構図の中で少しでも優位を占めるためには仕方がないということだ。 関係者の間でも「このままだと101人全員デビューする」という冗談まで出ている。

 

このような希望的な過程が、逆に企画会社の足をとる場合もある。 中堅アイドル企画会社の関係者C氏は「普通は新人を製作する時にはアルバムがほとんど売れないという前提を置いて作っている。 ところが『プロデュース101』で自信を得たプロダクションたちの中には、アルバム販売量が当然高いだろうと仮定する場合がある」「期待値が高いため、制作費も平均以上になっていくしかない」と話した。 上がった期待値は容易に離れない。 しかも「国民プロデューサー」出身で以前より積極的に自分の意見を表すファンが多くなり、従来とは違った部分まで考慮しなければならない。 B氏は「ほんの少し品質が落ちてもファンが怒ってフィードバックを求めたり、他のグループに突き進んでしまう場合があるが、『プロデュース101』にはあまりにも練習生が多かったため移動は簡単というのが目に見えるほどだ」と説明した。 そうなると残るのは「メンバーの士気の低下」だけだ。 これを憂慮したいくつかの会社の中には「『プロデュース101シーズン2』で見せてくれた少年イメージを最大限使った後、次第に大人に成長していく姿を示すように」プランを立てているところもある。 練習生と少年というイメージから浮かぶ稚拙イメージを活用しながら、若干の猶予期間をやっと作っているのだ。 メンバーたちと会社はずっと進むところがあるという希望を得て、ファンは彼らの成長を見守りながら待つことができる。

 

「プロデュース101」が起こしたアイドル産業の変化は、今年再び「プロデュース48」を通じて再現される予定だ。 6月から放送される「プロデュース48」に練習生を出したD氏はすでに心配している。 「今、準備中のガールズグループがいるが、今回我々の練習生たちの中に最終合格するメンバーがいたとしたら、長い間準備した企画を変えなければならない」からだ。 有名なTVプログラムを通じ、メンバー自身が自分のキャラクターを掴んでくればかえってグループ活動にプラスになる。 しかし、それは認知度を得て再び元の企画会社に戻ったときの話だ。「なんとかファイナルラウンドで脱落したら良いだろう」という彼の言葉は「『プロデュース101』の最大恩恵者は12位」と言われていた関係者たちの窮屈な心境を少しだけより直接的に描く。 「出したくないのに、出ないわけにもいかない」まるで「残酷な競争は嫌いだけど、応援する練習生がよくできたら良いので投票する」というファンたちの嘆きのように。もちろんそのおかげで、今年も「プロデュース48」のすべての出演者が活動する可能性もある。D氏は言う。「9月頃にプログラムが終われば、3ヵ月以内におびただしい数のガールズグループたちがあふれ出てくるだろう」すでに今から目に見える未来だ。

 

文 パクヒア
校正 キムヨンジン

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ファイナルラウンドで落ちたらいいとか思われてたら頑張って出てる練習生もやるせないというか...それなら最初から出すなという。
でももうこういう風になっちゃったからには競争力の低い事務所にとっては乗るも地獄乗らぬも地獄、救われるほんのひと握りに入るしかないという事なのかもしれません。

【おしらせ】Real Soundで韓国の若手アイドルラッパーについての記事を書きました

Real Soundさんで韓国の若手アイドルラッパーのソロ活動についての記事を書かせて頂きました。

「Block B、iKON、WINNERなどのメンバーも 韓国で盛り上がる“アイドルラッパー”のソロ活動」という記事です。

 具体的には以下のアイドルについて書いています。

 

ZICO(Block.b)

Bobby(iKON)

MINO(WINNER)

バンヨングク(B.A.P)

Ravi(VIXX)

Vernon(SEVENTEEN)

Mark(NCT)

 

Stray Kidsも少し紹介しています。

 

 

細かい内容確認の必要があり今までで一番時間がかかりましたが、字数の関係もあり、ジュホンやイルフンなど割愛せざるを得なかったラッパーもいたのが少し心残りでした。

ちなみにBTSに関しては3人いるので別立てで記事にしてはどうでしょうとご提案があり、今回は入っておりません。

Real Soundさんでは隔週の月曜日に定期的にKPOPの記事を更新する計画があるそうで、現在は試運転中との事です。自分の記事は他のライターの方と順番に掲載になるかと思いますが、読んでくださる方が多ければKPOP記事の定期更新が本決まりになるかもしれません。

(あくまで予定との事ですが)

【idology訳】コンチュルモク(芸能人目撃談・写真)」を止揚しますか?

【idology訳】コンチュルモク(芸能人目撃談・写真)」を止揚しますか?

 

byシムデャン 2018/04/06
http://idology.kr/10217

[この文は、2018年3月23日から25日まで西橋芸術実験センターで行われた〈一行も書いていません〉(企画パクジュンウ・チョンデハン)にて展示されました。]

 

この頃ファンドムを分かつ新たな単語がある。 「コンチュルモク」がまさにそれだ。 コンチュルモクというのは、空港写真、出勤写真、目撃談を表す単語として、韓国の芸能人好きであれば自然に接する代表的な情報のこという。 ファンドム内で芸能人のプライバシー保護を目的にこれを止揚(一旦立ち止まって考える事)する人が生じ、これを超えてDispatchを含めたマスコミの過度なパパラッチ行為や卒業写真、過去写真など、より幅広い方向で芸能人のプライバシーを消費しないようにするというケースもたびたび見られる。 コンチュルモクの中で、空港写真に限定してこれと関連した話をひもといてみたい。

 

2017年からSNS上で新しいファン文化としてに浮上した「コンチュルモク止揚」は、特にアイドルファンドムの間で起きた。 コンチュルモクの中で、空港写真は別名「空港ファッション」という名で消費されてきたコンテンツであり、情報と言える。 空港写真の前提条件はアイドルに向けられた関心、つまりは熱い需要だ。 アイドルが出国もしくは入国をする度に、空港で写真を撮るホムマ(ホームマスター)と、芸能人を見るために集まったファンで陣取られている。空港はステージ以外で芸能人を近くで見られる場所だ。 空港で捕捉した彼らの自然な姿とこまごまとした日常などを理由に、空港写真はファンドム内において最もホットなコンテンツの一つと言える。 彼らが何を食べているのか、何を着るのか、どんなことがあったのかなど、持続的な関心に対してアーティストはメイクをはじめ、服を選んで着始め、更に服の協賛を受けて記者に写真を撮られ、「空港ファッション」という新たなコンテンツが生産され始めた。

 

しかし、空港写真を撮影していると空港内の混雑を避けられない。 実際にアーティストが出入国現場でセクハラを受けたり、怪我をしたケースもしばしば見ることができる。 ファンドムが最も簡単に共感するのはアーティストの負傷だけではない。 ファンたちは空港写真のすっぴんを通じて、プライバシー侵害という弊害を直視した。 多数のカメラが空港内で休息を取っているアイドルを撮影している様子が公開された。 この理解できない風景の結果物が私が好きな空港写真だなんて、とファンドムは当惑した。 その結果、アイドルのプライバシー侵害と関連された談論が登場しており、これにプライベート消費の代表格である「コンチュルモク」という単語を作ってこれを止揚するという流れにつながった。


コンチュルモク止揚というタイトルを掲げた結果、ファンドムは従来のファン文化とKPOPシーンの悪習についてもう一度考えてみるようになる。 容易に過熱される投票狂風とストリーミング戦争に疑問を提起し、徹夜文化から始まったファンドムに向けられる関係者の冷遇についても見直すようになった。 また、ファンドム内のサイバーブルリン(ネットいじめ)はもちろん、2016年からファンドムが敏感に反応しているアーティストの女性嫌悪表現とコンテンツ内に存在する嫌悪を敏感に捉えて積極的に釈明を要求しているなど、多方面で談論を形成した。

 

もちろん新たなこの流れは、「コンチュルモク止揚」という名称であまりにも多くの談論を抱いているという指摘を避けられない。 コンチュルモクを止揚しておいて、コンサート写真や動画撮影で侵害される著作権についてはまだ大きく公論化されないのが実情だ。 アーティストとファンドムの人権には敏感だが、その他のKPOPシーンを健全に形成するいくつかの部分には鈍感だ。一方、KPOPがブームを引き起こす可能性のある要素の一つであるファンメイド(fan made)をどこまで否定するべきか、これに対する代替品が存在するのかに関するジレンマも存在する。

 

継続されているファンドムのコンチュルモク消費を巡る議論に影響を受け、製作者からも変化が起きた。 アーティストの卒業式や空港写真撮影を禁止したり、ガイドラインを設定するなど、アーティストの人権に配慮する案をまとめ始めたのだ。JYPの場合、空港や宿所の近くなど非公式の日程を追いかけたり、録音、撮影する行為全般をする場合にスケジュール関連で不利益を与える「ブラックリスト」制度を施行している。 逆に、製作者は未だにコンチュルモクを消費するファンドムを人気の指標としている節もある。SMの場合、一部のVAppコンテンツやYouTubeコンテンツにおいて、空港で待っているファンドムを映像で見せ、「デビュー前なのに膨大なファンがいる」と言うように肯定的に評価する。


従来のファン文化とKPOPシーンを構築する消費行動と反する「コンチュルモク止揚」は確かに大変な運動だ。 ただ、ファンドム自らがアーティストのプライバシーの侵害に共感し消費を止め、ファンドムと制作者に対して特定の要求をするのも、また違う意味でのファンメイドと見ることができるだろう。 ファンドムの新しい声コンチュルモク、あなたはどう思いますか? コンチュルモクを止揚しますか。

 

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コンチュルモク「공출목」とは空港(공항)+ 出勤路(출근길)+目撃談(목격담)の略語でアイドルファン用語です。
韓国でもスケジュール以外のプライベートで写真を撮ることは禁止されていますが、海外スケジュール移動のための空港での写真撮影やスケジュール出退勤時の写真(音楽番組出勤時やいわゆる出待ちなど)の写真はグレーゾーンとして長年幅広く消費されてきました。芸能人のプライバシーを割と尊重する傾向のある(守れてない人もいるけど、一般的に守る事が良識とはされている)日本のファンが最初に戸惑う部分のひとつではあるかも。
韓国のアイドルファンは非公式でアイドルの写真を撮ったりそれを見たりして消費する事に慣れすぎていて、それをファンとしての当然の権利であると思っていたりむしろ広報になってやってると思ってる節もあるかも。ファンとしての欲望>アイドルに対する人権意識という矛盾があるわけです。


アイドル側もいわゆる「空港ファッション」や音楽番組出勤時コスチューム等という形で要求に応えてきてしまったという事実もありますが、数が多すぎて現実的に警備員やSPやスタッフでは制御しきれないという現実があり、どうせ撮られるならアピールの場として使おうという一種の防御策とも言えるかもしれません。

 

止揚小池百合子知事で有名になった「アウフヘーベン」の事。
矛盾をはらむ出来事について一旦立ち止まって考え、よりよい状態に導いて行くこと、との事です。この表現韓国語の記事では割と見るんですけど、日本語ではあまり使わないですよね。「再考」と大体同じ使われ方だと思うんですが、完全に同じ意味ではないので難しいです。

 

【GQ KOREA訳】アイドル消費者は王様なのか?

【GQ KOREA訳】アイドル消費者は王様なのか?

 

2018.03.29
http://www.gqkorea.co.kr/2018/03/29/아이돌-소비자는-왕인가/

 

アイドルコンテンツの消費者という理由だけで、REDVELVETのアイリーンにどのような本を読めとか読まないでなどと言うことはできない。

 

REDVELVETのアイリーンは、小説「82年生まれキム・ジヨン」を読んだと語った。 2016年に出版されて以来今まで50万部以上が販売されたこのベストセラーは、1982年に生まれ、結婚と出産でキャリアの断絶を経験して育児うつで苦しむキム・ジヨンの人生を時間順になぞりながら、女性たちが毎瞬間経験しなければならない性差別をよく表している。これまで気づかなかった女性の現実を不快なまでに生々しく描写したため、分類するとしたらフェミニズム小説であり、まさにこの部分が一部の男性ファンの機嫌をそこねた。 REDVELVETのファンコミュニティにおいて、彼らは「俺たちが金を使うおかげで生きている」ガールズグループメンバーのアイリーンがフェミニズム小説を読んだということに怒った。 アルバムに入っていたアイリーンのフォトカードを破って写真で認証した者もいる。「消費者である自分は怒っている」という表現であり、「2度とあなたにお金を使わない」という意思表示であった。 この騒ぎには何重もの問題が重ねられている。 ガールズグループは自分の考え方を表明せず、ただ見目が良くきれいに存在しなければならないという考え方。フェミニズムは悪いものだという偏見。そしてもうひとつ、ファンはすなわち消費者であり、消費者は王様であるという意識だ。

 

ファン達はアイドルにお金を使う。 ガールズグループであれ、ボーイズグループであれ同様だ。 グッズを買ってアルバムを買ってコンサートを見に行く。 音源の順位を高めるために一生懸命にストリーミングを回したりもする。 アイドルをめぐる何かを消費する文化は以前から存在してきたが、今のアイドル企画会社はファンを消費者待遇する事にはるかにもっと積極的だ。 シーズンごとにいろんなグッズを作って休む暇なく販売し、音楽チャート番組と各種の授賞式で1位になれるように投票してほしいと呼びかけている。 メンバーが公式にSNSアカウントに自ら文字を上げることもある。 写真集、アルバム制作などに向けてクラウドファンディングで資金を集める場合もある。 内需市場が小さい韓国で最大値の利益を出すには、お金をたくさん使うコアファンドムを増やさなければならない。 ファンがアイドル製作にどのような形であれ関与するというやりがいを感じるようにすることこそ、忠誠度の高いコアファンを確保する方法だ。

何よりも、アルバムを販売する方式が露骨だ。 好きなアイドルメンバーと顔を見て疎通できるファンサイン会はアルバムを購入すれば応募できる資格が与えられ、通常はアルバムを何枚も買うほどに当選確率が高くなる。 お金を使うほど待遇を受ける消費者は特別な消費者になる。 「ファンサイン会に行けば、アイドルがとてもよくしてくれます。 お金をたくさん使ってここに来たファンたちだからです。 サイン会を始める前に企画会社で事前に教育しているのではないかと思います」あるボーイズグループのファンは話す。当然、ガールズグループの場合も変わらない。 ファンサイン会では非常に短い時間でもアイドルと目を合わせて対話を交わすことが可能だ。

 

給料を使ったとしても、アイドルという人間を購買するわけではない。 しかし、アイドル産業は基本的に人を商品化するとても特殊な産業である。 だからファンたちを消費者と命名した瞬間、錯覚が発生する。 アルバムを何枚か買えば、アイドルに勝手に対面することができる権利が与えられるように思う人々が現れる。Mnet「プロデュース101」は、そのハードルを相当引き下げた。 1票あたり100ウォン程度の文字の投票だけしかしていなくても、お金を支払った消費者としてアイドルについてどうこう言うべき権利が生じた。 しかも、インターネット投票は無料だったにもかかわらず、練習生たちはきちんと視聴者たちを「国民プロデューサー様」と呼んで頭を下げて挨拶をしており、番組はアイドルのデビューを「国民プロデューサー様」が決定すると絶えず強調した。 何の消費活動をしなくても、もっと正確に言えば番組を見ただけでも消費者としての資格を付与したのだ「プロデュース101」と関連する有名なエピソードがある。 I.O.Iのメンバーであり、現在はgugudanで活動中のキムセジョンのある男性ファンが他のファンたちと資金を集め、デビュー祝いの贈り物を準備する状況で「最初から高い物を使うと行儀が悪くなる」として手頃な物を買うべきだと主張した。 一人の意見に過ぎなかったが、当該男性が募金に「銃床的に(自己犠牲的に)」乗り出したという点、募金過程で資金を横領した情況が疑われるという点のために論難は大きくなった。 彼の主張は「自分はキムセジョンのデビューを手助けした消費者であり、しかもキムセジョンは若い女だから」人間性にも口出しする権利があるという言葉と変わらなかった。

 

特に、ガールズグループはボーイズグループよりはるかに広範に消費される為にあちこちで消費者のふりをしようとする者がいる。自分が好きで関心を持つから君が食べていけるんじゃないかと、だからいつもにこにこ笑って愛嬌をしなければならないと消費者の権利について話す人々が多い。 実際にアイドルを制作するのは、彼らのそれぞれのプロダクションだ。 アイドルは誰かにとってよく見えるためではなく、職業がアイドルである為にステージで歌ってダンスをするという自分の仕事をする。 ファンがお金を使って購入するのはアイドルという人ではなく、アイドルと関連された無形あるいは有形のコンテンツだ。 そのコンテンツに100ウォンを使おうと1000万ウォンを使おうと、倫理的に間違っていない事に関して消費者の権利を主張し、アイドルを非難してもいい人は誰もいない。 彼/彼女がどんな本を読んでいようと、どんな携帯ケースを使おうと、言うとおりに愛嬌を振りまいてくれないとしても、そうなのだという意味だ。 アイドルは商品ではなく人間だ。 このように当たり前のことを、2018年にも言わなければならないとは思わなかった。


文 ファンヒョジン(コラムニスト)

 

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「82年生まれキム・ジヨン」は少女時代のスヨンも読んだと言っていたと思います。この前にAPinkのナウンが使っていたスマホケースに「Girls Can Do Anything」と書かれていたことだけでフェミニストだとバッシングを受けるという事があり、この件へのカウンターとしてGirls Can Do〜の文言をプロフに書く事でフェミニストだと宣言しているのをよく見かけるようになりました。


韓国ではここ数年人文関係書で一番売れているのがフェミニズム関連だったりブームと言っていい現象が起こっているようですが、一部行きすぎた行動への反動でフェミニズムミサンドリー(男性嫌悪)と即時見なされたりする弊害なども出てきているようです。
(もちろん両者はイコールではないのですが、他国と同様一部の過激派ラディカルフェミニストの言動や活動が殊更取り上げられて本来の意味が歪んで捉えられつつある部分もあるという事です)

 

この件ではフェミニズムでしたが、確かに過干渉の家族みたいにアイドルにこうあるべきとかこれは失望したとかやたらと進言したがる人はいるな...と思いました。そもそもこの件もアイリーンはただこの本を読んだと言っただけで、だから彼女はフェミニストだと言い出したのはフェミ寄りのファンであり、それによってアンチフェミの男性ファンが騒ぎ出したという流れだったと思います。女性アイドルがフェミニストである事は勿論問題であるはずがないですが、本人が語る以上の事を勝手に本人以外がレッテルづける事自体は、それがどのようなレッテルであれいい事のはずがないと思います。
これはセクシャリティ等にも言える事ですが、他の人が見せているある面だけから人格や考え方の深いところまで省察して断じるのは、それがどういうものであれ割と身勝手な行為のように自分は感じます。思ったり妄想するのは自由でそれもファン活の一部ではありますが、それが一個人の妄想や推察やジョークを超えてあたかも唯一の真実であるかのように発言したり振る舞うのは正しいとか「良いファン」の行動とは思えません。

 

しかし事務所がファンに消費機会を与える事はむしろ双方に良いことのはずで、問題はお金を使う側の意識が大きいとは思います。アイドルから形にならないものを受け取る「お礼」であったり自分が見たいから・聞きたいから・会いたいからその為にお金を使うのであって、「自分たちの使った金で生活してる」とか、自分が自主的に消費した金額に物理的なもの以上の見返りを期待するのは、もうアイドルファン向いてないとしか言いようがない気が...基本的には「アイドルのため」じゃなくて「自分のため」に消費するからこそ楽しいし気持ちよく消費できるんだと思うし、変な見返りも求めないんだと思うんですけどね。日本ではそれがほぼ基本的な考え方になってきてるので(そうじゃない人が問題を起こす事もありますが)よほどのケースでなければ販売スタイルが一番の問題ではないと思うんですよね...心弱い人は踊らされがちなシステムだとは思いますが。

サイン会での態度だって、個々のファンに接する機会があれば大抵のアイドルは誰にでも同じ程度よくしてくれるんじゃないかと思いますし、積んでる客だからその中でも特にやさしくしてる訳でもないだろうと思います。人気のあるアイドルの場合は、個別に対面する機会はどうしても消費金額に比例してしまう事になるかもしれませんが。

 

 

【ize訳】WANNA ONE、叙事の光と影

【ize訳】WANNA ONE、叙事の光と影

 

2018.03.26
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018032604577272960


叙事の力は強い。 世の中に起承転結がきちんと整った没入度の高い物語に勝てるものはほとんどない。 ここでは、私たちが足で立っているこの現実が更に一重に塗り替えられる。すでに限界を超えた状況やストーリーをとても愛し、ニュースにも芸能にも全て挿入してしまう韓国の特性まで加わる。 これは取り返しがつかない事だ。

 

ボーイズグループWANNA ONEは、そのような意味で見るとすでに始めから膨大なアドバンテージを背負って出発した。 彼らを誕生させたMnet「プロデュース101はアイドル練習生のデビューに向けた切々とした切実さ、彼らをめぐる惻隠の情を動力にしたプログラムであり、これは生ける叙事の終末の王そのものだった。 何より「リアル」というのが有効だった。 先立って数多くのアイドルグループが、様々な企画を通じて自分だけの叙事詩を積もうと努力したが、失敗するしかなかったのは、それがほとんど放送局や製作者によって「作られたもの」だということがすぐにバレたからだった。 しかし、WANNA ONEの叙事は違った。 彼らの流した涙たちと喜怒哀楽は、サバイバルという番組の形式を通じて徹底的にそのまま大衆に渡されたり、伝わるように巧みに演出された。

 

このように、あきれるほど成功した敍事から生まれたグループが、自分自身をアルバムに溶け込ませないことは職務遺棄の罪だろう。 何でもない自分があなたの選択によって初めて意味を持つことができた。その自分は0であり、そのおかげで初めて生まれた自分、そしてひとつになった私たちを1として生まれた各種の方程式は、そのままアルバムタイトルになった。 1x1=1、1-1=0、0+1=1。この数字の根底に何が敷かれているかわからなければ、皆目見当もつかないこの修飾が持つ意味は、そのままWANNA ONEのアルバムが持つ最大の価値になった。 そしてWANNA ONEのアルバムが抱える限界も、全てそこから始まる。

WANNA ONEの3枚目のアルバム「0+1=1(I PROMISE YOU)」は人生の頂点を称する「ゴールデン・エイジ(Golden Age)」をまず掲げる。今、私たちの生涯で最も輝く時期。間違った言葉ではない。 生まれつきの話題性はもちろん、アルバム販売量、音源チャートなどWANNA ONEは指標と数字で表すことができる歌謡界全ての記録においてデビューしたばかりのグループとしては信じられない数値を記録し、出世してきた。唯一従えられないものはたった一つ、彼らの音楽だ。

 

新しい歌「Boonerang」はデビュー当時、タイトル曲として選択されなかった「Burn it up」を称えるために用意された、一種の恨を晴らすようなものに感じられる。 最近の1、2年間のポップシーンで最も頻繁に接することができるトラップサウンドを基盤としたEDMトラック系列であり、何よりもパフォーマンスを支えるのに最適化された曲だ。 しかし、それ以外の大きな特徴はない。 導入部のエレクトリックギターサウンドをポイントとしてさわやかに抜き出したダンスポップ「GOLD」も、アルバム発売前に先行公開されて大きな注目を受けた「約束します(I.P.U.)」も、かすかな感傷を盛り込んだポップスバラードナンバー「君の名前を」も、シングルとして特別だったり魅力的な部分を快くあげにくい。 まるで「ポップ・サンプラーA to Z」で適当に分別したサンプルを一つの曲として拡張させたような歌は、とても悪くはないがとても良くもない。 一言で言えば「WANNA ONEだから」今注目される事が可能だった曲だ。

 

WANNA ONEだから出来る」という言葉は「WANNA ONEでなければいけない」という意味を同時に抱く。 二度繰り返すこともなく明確なのは、このグループの出自とアルバムに書かれた基礎的な飾りだけであり、その中に盛り込まれた音楽は、それ自体のみではWANNA ONEというグループについて何も説明してみせる事はできない。 せいぜい「ソンポッキ(訳注:ダンスの基礎練習の一種)」」しか分からなかったひよこの練習生であったがデビュー組として瞬く間に身分が変わったメンバーたちの目に見える成長や、プログラムを通じて2番目のデビューを立派に成し遂げたメンバーたちの高い能力値など、すでに準備されている強みを強調させるにとどまって、限りなく怠惰なだけだ。この世に2つとないチャンスをつかんで人々よりずっと先の地点で始めることができたが、その開始点を除いては(今のところ)まだ何も残っていない叙事。この話の最後に、何が待っているのだろう。 ただ甘いだけのハッピーエンドだけではなさそうだ。

 

文 キムユンハ(大衆音楽評論家)

 

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叙事=実際にあった出来事をそのまま記述する事。
韓国の記事ではよく使われる言葉であり表現ですが、ドキュメンタリー+ポエムのような感じ?日本語の文章ではそれほど頻繁にこのような使い方はされないように思いますので、訳では「ストーリー」とか「物語」と置き換えたりみたりていますが、この文章ではまさに「叙事」が主役なのでそのまま訳しました。
要するにフィクションではなく、ノンフィクションの出来事を文学的に表すものとしてよく使われる様です。