サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【質問箱】KPOPの世界進出と英語コンテンツ、それに対する評価について

【お題箱より】

泡沫さんは、近年のK-POPアイドルの『世界進出』についてどう思われますか?

というのも、最近、アイドルが競うように英語のコンテンツを作っているのを見ると、それは『西欧に対するアジア人のコンプレックス』の現れじゃないのか?と疑問を抱くことが増えました。
特に今年アメリカでdynamiteが流行ったこと、それ自体は勿論凄いことだとは思うのですが、自分の中では「ああ結局韓国語のままでは受け入れられないんだな」という受け止め方に落ち着きます。dynamiteが外注曲であることも、『英語圏で評価されるアジア人であるため』に評価を下す側に寄っていっているように思えてしまいます。
強者・多数派に迎合する(=全てを英語で製作する)ことで人気が出た弱者・少数派という構造は差別的ではないでしょうか?
少し極端な言い方になるかもしれませんが、本当に(この言い方が適切か否かも分かりませんが)彼ら自身が人気であるならば、アメリカをはじめとする英語圏の人達はもっと積極的に韓国語を学ぶのでは?と思います。BTSが방탄소년단のままなら今のような人気が出ることは無かったのだろうとも思ったりします。

英語圏で活動する非英語圏出身者はアジア人に限った話ではありませんし、アメリカが超大国と呼ばれるような国である以上致し方ないのかもしれませんが、『世界』は何も英語圏だけではないのに、そこ(英語圏)での評価が何よりも褒め称えられることに懐疑的にならざるを得ません。

ファンダム側の「英語のコンテンツはあって当然」というような態度も気になります。

まとまりの無い文章で申し訳ありません。
長年K-POPアイドルを見てきた泡沫さんのご意見が聞きたいです。

(一例としてBTSを出しましたが、あくまでも一例です。特定のグループへのディスりではありません。)
2020年12月11日20:46

https://odaibako.net/detail/request/11258a30-9c95-4542-95d9-8d4c603c2d72

 

かなり長くなったので、文の最後に要点だけをまとめておきました。

 

この話のコアの部分って、以前お答えした「何故日本語で歌うのか」という話と大体同じことなのではないでしょうか。


音楽というポップカルチャージャンルにおいてはアメリカを中心とする文化や市場が先行して世界的な人気を得てきた事実や、実際にアメリカが世界一の音楽市場を持っていて、アメリカの母語である英語を第一言語でも第二言語でも採用している国が多いとなると、「ポップミュージック」という欧米圏で誕生してアメリカで発展した音楽ジャンルをやるのなら、チャンスさえあれば最終的な目的地はその文化圏になるだろうというのはある意味自然の流れのようにも見えます。そもそも、海外でも支持を受けるために現地に迎合して入り込んでいくというやり方はKPOPにおいては英語に限った事ではなく、日本や中国語圏などでも同じ手法をやってきています。過去順番にアジア圏でやってきた事を今は欧米圏でやっているところで、「Dynamite」はそれの新しい段階=日本で日本語のオリジナル曲を出すという手法とほぼ同じことが英語圏でも出来るだけの環境が整ってきた段階にきたというだけではないかと思います。この辺りは以前他の何故日本語で歌うのかというご質問への答えとほぼ同じ感じです。ぶっちゃけ、英語圏だけが特別ではなくむしろBTSアメリカで初ライブをしてから6年目に日本では1年目に出来た事がやっと出来る様になったということで、むしろ問題として指摘されるべきなのは、母国語以外の楽曲に対するアメリカ音楽市場の扱い方のほうではないのでしょうか。


「強者・多数派に迎合する(=全てを英語で製作する)ことで人気が出た弱者・少数派という構造は差別的ではないでしょうか?」とありますが、ビジネス的にそうならざるを得ない業界の構造自体が差別的とは言えると思いますが、言語的にどうしても壊せない文化的なものがある現状で迎合してでも市場に食い込む事を選んだ「マイノリティ」自身を、一体誰が責める権利があるのだろうと思います。むしろ「歌手は母国語で歌ってこそ・歌うべき」という言語による縛りこそが、表現を不自由にする事もあると思います。自らの選択においては、どこの国の人がどこの国でどの言語で歌う事も自由だし、逆にひとつの言語にこだわる事も自由だと思います。そしてその選択を他の国や文化圏の人間が「こうあるべきだ」と決める権利もないと思います。

特定の言語を基準に曲を選別する事は聴き手に委ねだれられており、それを言語で選別する事が受け取る側の価値観や感性を制限する事はあるかもしれませんけど、それは受け手側の問題でしょう。


しかし、主体である制作側やパフォーマーの目指すものやそこに到達するためにとる手段と、その成果ややり方についての外側(ファンや批評家など含め)からの見方についてはまた別の話で、アーティストのパフォーマンスを見る側に過ぎない消費側が国によってそこでの業績に格差をつけるような見方をする事、例えば欧米圏での業績を特別上に見るような態度に対しては「西洋至上主義」と思われても仕方ないだろうと思います。上記のような環境で認められたアーティスト自体は素晴らしいですが、「この国で認められたからこそ素晴らしい」と当事者以外が考える事は、文化そのものに上下関係をつけるような選民意識を個人的には感じます。海外での頑張りを応援したりすごいと思う気持ちは当然だと思いますが、「異文化・異言語圏」という点では同じはずのアジアでの活躍と欧米圏での活躍を選別する事には、根本に両者の文化や感覚を選別するような視線があるのではないかと感じますし、異文化に対するなんらかの評価をする時にその文化の元々の文脈や背景を無視して自分たちの文化圏だけの価値観や感覚でジャッジするような行為は、そのパフォーマーの所属する文化を軽んじている考え方だとも取れます。「元の文化の文脈を剥奪して自分たちの文化の文脈で別の価値観を勝手に与える」というやつではないでしょうか。

ただ、これって意識してないだけで無意識にやってしまいがちな事でもあるだろうと思います。ホワイトウォッシュについての摩擦もそうですし、「日本ではありえない」で終わってしまうような考え方とか、韓国の音楽業界での流行や歴史を無視して欧米ポップスの文脈の中での基準のみで曲やパフォーマンス・ルックス・ジェンダー観への評価が行われたりとか。例えば「KPOPの男子のフェミニンでクィアなルックスや見せ方には欧米のマッチョ規範の感性を変える力がある」とかそういう部分が欧米のセクシャルマイノリティに支持されているというような言説は欧米圏では珍しくありませんが、これに対して実際の韓国のLGBTQ+の当事者からの「KPOPのコンセプトやビジュアル、ルックスの魅せ方に実際どの程度のそのような意図が含まれているのかという実情や韓国ではどのように見られているのかという事を無視し、欧米的な価値観からのみで都合の良い解釈をしている。それが当事者側からすれば相当もどかしい」という声は少なからず見かけます。

特に自分が当事者ではない文化に対して「こちら側」の倫理や感性のみでジャッジしてしまう事は、自分も無意識にやってるかもしれないしとても良くありがちなのではと思うからこそ、気をつけた方がいい部分だと考えています。

 

ファンダム側の「英語(に限らず自分たちの言語圏)のコンテンツはあって当然」という態度についてですが、最初から英語圏向けで作っているコンテンツでないものにまで当然字幕をつけるべきだというのは傲慢な態度だと思いますが、異文化のサブカルチャージャンルにおいて翻訳の少ない初期ではなく、ある程度メジャーになってから入ってくる層はそもそも自力で調べたりdigる気まではない層だと思いますので、そういう部分では基本的に「傲慢」と呼べるような部分はあるものなんだろうとは思います。KPOPアイドルに母国語以外で喋ってと要請するコメントなども似たような感じですね。その「傲慢力」が結果的にコンテンツを拡張させる事もあるかもしれませんし、大手4社の中には昨年の売り上げの7割以上が韓国以外だった事務所もあるので、実際韓国語以外の需要の方がはるかに大きくなってしまっているというところもあるみたいですが。

 

BTSが방탄소년단のままなら今のような人気が出ることは無かったのだろうとも思ったりします」とありますが、デビュー当時からBTSという呼称は「防彈少年團」と並行して使ってた記憶があります。Beyond The Sceneはここ数年からの後付けだと思いますけど、シンプルにバンタンソニョンダンのイニシャルとして海外ではBTS表記も使ってました。BANGTANGとかBULLET PLOOF BOYSとかいまいち統一性はありませんでしたが笑 今現在は海外プレス向けはBTSで統一になりましたが韓国内では방탄소년단のままです。基本的に韓国のグループは国内ではハングル表記で海外では英語の名前やアルファベット(たまに漢字)というのは昔からあったと思います。少女時代とか東方神起などもそうですけど、そもそもデビュー時からある程度の海外進出前提でグループの呼称を決めてるんじゃないかと思います。だから最近改めて欧米圏を意識して始まった事でもなく、KPOP界に少なくとも10年以上前から存在する海外進出前提の慣習のひとつに過ぎないと思います。

アメリカ進出に向けて英語の曲を出す事も10年前から色々な事務所が何回もトライ&エラーしてきてやっと「最も肝心なのはやはり海外でも楽曲や言語以上にファンドムである」「ある程度のファンドム拡大の後、一般層やラジオプレイまで狙うなら現地語化は必要」という流れが最近出てきたところなので、「最近の世界進出」という話でもないんじゃないですかね。

 

KPOPの欧米圏での受容のされ方や浸透の仕方は日本で言うアニメやゲームに近いものになるのではないかと個人的には思っているのでそういう例えになってしまうのですが、例えば今欧米圏で普通に浸透しているドラゴンボールNARUTOといったアニメやマリオやポケモンのような任天堂のゲーム(ポケモンの場合はアニメとの相乗効果もあるでしょうが)も、90年代頃までに現地でリリースされた時には現地向けの名前や設定に変更されていた歴史があり(韓国でも欧米圏とは異なる理由から日本的な名前や設定は韓国に変更されていて今も部分的に残っていますが)カードゲームが世界大会を行うくらい欧米圏でも浸透している遊戯王も、英語版では主人公の名前以外のキャラクターは西洋的な名前に変わっていました。

そしておよそ30年たった現在、全世界で320万本以上を売り上げているATLUSの「ペルソナ5」は欧米圏でも100万本を売り上げるヒット作ですが、日本の学校が舞台でキャラクターの名前や舞台設定自体は英語版でもそのままです。流石にアニメやゲームはストーリーがあるのでセリフなどは現地に合わせた翻訳なしでは無理ですが、キャラクターの設定や名前については一部を除き今は大体そのままでリリースされるようになっています。ここまで来るのに30年以上かかったわけで、異文化のカルチャーが現地にある程度自然に馴染むようになるにはまず初期に自分から相手に合わせていく時期というのは必要なんじゃないかと思うのです。そういう迎合の時期が無くてもすむ世界が理想なんでしょうが、垣根を今すぐ壊したい時には社会がそこまで変わる事を待っていられない事もありますよね。アニメに関しても今でも「吹き替えじゃないと見ない一般層」と「吹き替えは邪道。オリジナルの声優で味わってこその字幕派のオタク」という風に分かれている部分はあるようですが、「アニメの絵柄」自体はファッションやアート、音楽といった世界は勿論一般的にも徐々に受け入れられるようになってきていますし(アメコミやおもちゃの世界でも日本的デフォルメに影響受けてるようなデザインが増えてる感じします)、欧米の人気アーティストの曲のモチーフやサンプリングに前述のゲームやアニメが普通に出てきたり、LIZZOが好きなセーラー戦士について語ったりミーガンが「今日のネイルは青エクイメージなの💅」とか言ったり雑誌のグラビアで轟コスプレするぐらい「当たり前のもの」になったのは、初期の「現地化」があったからこそなんじゃないかと思うんですよね。

 

個人的には今のKPOPがアメリカを初めとする欧米圏に持ち込んだ「アイドル文化」(同じ概念の言葉がないからボーイバンドと呼んでますが、実際はちょっと異なる文化だと思います)ってアジアに比べると特にアメリカは今現在ある意味で最も「遅れている」ジャンルではないかと思います。「ボーイバンド」に関しては欧米圏ではイギリスを中心とするヨーロッパの方が受容されやすく、アメリカのグループもまずヨーロッパ先に売り出すセオリーがあったとか。近年人気のあったONE DIRECTIONもイギリスのグループですし、BACKSTREET BOYSなども先にヨーロッパで人気が出てからアメリカで活動するようになった経緯があります。過去アメリカで人気になったボーイバンドもアメリカ以外の国のグループが多いです。よく「ブリティッシュ・インベイション」と比較されますが、ビートルズアメリカで最初に人気が出た当初は「アイドルバンド」でしたし、だからこそKPOPと同様に壁を壊せた部分もあったのではないかと思ってます。

(今現在のビートルズへの評価はグループ本体以上に「楽曲」そのものに人気が出てそれが現在も支持されているからで、アメリカに入ってきた当初の受け入れられ方と現在の捉えられ方は少し違っているのではないかと思います)

 

ですから、アメリカの大衆がアジアの「アイドル文化」に「追いつく」事ができてそのまま浸透できるようになるまでには、アニメや漫画と同じように試行錯誤と時間がある程度必要なのかもと思ってます。今はネットやSNSという媒体があるので、日本のアニメやゲームよりも浸透する速度は速いかもしれませんけどね。


長くなったので結論だけまとめておきますが、

 

・欧米圏が源流であるポップスジャンルの一種であるKPOPの制作側やパフォーマーが、より幅広い支持を求めて母国語以外の曲を作ってパフォーマンスする事は必ずしも西洋至上主義思考からとは思いません。欧米圏以外のアジアでも同じ事をして人気を獲得してきた歴史があるので、それと同じでは。


・しかし、当事者以外の人たち(ファンや評論家など含む)がアーティストの功績を評価する時、アジアに比べて欧米圏での成功「だけ」を特別に凄いものだとみなして賞賛する事は、西洋至上主義にもとづく行為だと感じます。

 

・韓国語が母国語のアーティストに対して母国語以外を喋れと強要すること、全てのコンテンツに対して自分たちの言語の字幕をつける「べき」と考えて要求する事は傲慢だと思います。(「つけて欲しい」という要望に関しては傲慢とは思いません)


BTSは今も昔も방탄소년단であり同時にBTSでもあると思います