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【中央日報訳】[ヤン・ソンヒ論説委員が行く] KPOPは社会運動の武器になれるのだろうか

中央日報訳】[ヤン・ソンヒ論説委員が行く] KPOPは社会運動の武器になれるのだろうか


https://news.v.daum.net/v/20200618003545447

ヤン・ソンヒ

2020.06.18.


KPOPの海外ファン、BLMデモに積極的に参加

●多様性の象徴としてのKPOPの地位を再確認

●国内では「非政治性」の要求が多い

●拡大した影響力と責任感に悩む時

●KPOPの政治性という話題


果たしてKPOPは政治的な音楽のジャンルになれるのか。 米国の人種差別撤廃デモにKPOPのグローバルファンが積極的な役割を果たし、KPOPの政治性が新たな話題として浮上した。 米国のKPOPファンは警察の情報提供アプリに防弾少年団、EXOなどの映像を大量に掲載し、デモ鎮圧を妨害した。 デモ隊のスローガン「BLM(BlackLivesMatter=黒人の命も大切)」に対抗し、「WLM(WhiteLivesMatter=白人の命も大事)」のハッシュタグが登場すると、KPOPの「ファンカム(ファンが撮った映像)」に「WLM」のハッシュタグを付けて無力化させた。 KPOPファンドムのオンラインゲリラ戦に外信は、「(米デモ隊の)予想外の同盟軍」(AP通信)、「ソーシャルメディア界で最も強力な軍隊」(CNN)と注目した。


KPOPのグローバルファンは、KPOPスターや所属事務所に対しBLMを公開支持し、寄付するように要請した。 防弾少年団BTS)・NCT・Red Velvet・MONSTA X・ATEEZ・CLなどが「人種差別反対」を宣言した。 寄付の行列も続いた。 防弾少年団がBLM側に100万ドルを寄付すると、ファンクラブのARMYは27時間後に同じ金額を集めて寄付した。 グローバル・アーミー・ファンドムは「私たちは黒人ARMYを愛している」という声明も発表した。


実際、KPOPのファンダムと政治デモの出会いは異例のことだ。 韓国のファンたちがアイドルのイメージを高めるためにボランティアや慈善・寄付をするケースはあるが、KPOPアーティストの多くが「非政治的」であることが求められてきたからだ。 変化したKPOPの存在感や影響力を示す今回の事態が、KPOPの歴史の新たな幕開けと評価される理由でもある。 「アーティストの政治性」をめぐる国内外のファンドム間の立場の相違も浮き彫りになっている。


●マイノリティ文化・多様性政治の象徴KPOP

防弾少年団BTS)に象徴される米国内でのKPOP浮上は、「白人主流文化に対する反文化」「非主流・少数者・多様性のアイコン」というKPOPの地位と関係がある。 トランプ大統領の執権後に強まった白人中心主義・保守主義に対する反感は、アジア文化への関心、KPOPの「発見」につながった。 辺境の中小企画会社出身で、欧米のメインストリーム音楽界を掌握した「アンダードッグ」防弾少年団がその中心だった。 音楽評論家のミミョ氏は「(防弾少年団の米国公演会場で)韓国の地上波放送がいくら金髪白人女性を集中的に探して映したとしても、KPOPブームは人種的・性的マイノリティ中心」とし、「BLMデモの支持層にKPOPと親しんでいる人が多い。 世界の大衆にKPOPはすでに『多様性政治』という名の元で消費されている」と書いた。


カナダ・トロント大のミシェル・チョ教授はあるインタビューで、「KPOPの海外ファンは多様で進歩的で、ソーシャルメディアに長けている」とし、「KPOPは韓国では主流の商業文化だが、北米では依然としてサブカルチャーであり、有色人種とクィア(性少数者)ファンが多い」と話した。 「KPOPはLGBTレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)ファンを積極的に代弁しないが、攻撃的な異性愛規範性を強く打ち出しておらず、相対的に安定感を与える」と分析した。 海外のファンが日常的なファン活動を通じて主導者なしに一つの目標に向かって組織化・勢力化した強烈な体験が、今後彼らが社会問題を先導する政治的グループに転換する可能性を高めるという分析も出ている。


米ルイス・アンド・クラーク大のシン・ラヨン博士は「KPOPファンドムに対するクィア的視線」という論文を通じて、「外国のファンはKPOPをクィアテキスト、クィア文化の一つとして受け入れ、海外の研究者たちもこれに注目する傾向が高い」と紹介した。 論文によるとYouTubeでかなり人気のある、日本人女性で構成された防弾少年団カバーダンスチーム「爆弾ボーイズ」は、クィア文化の一つである「ファンコス(コスプレ)」グループだ。 「ファンコス」とは、女性ファンが男性アイドルのダンス、衣装、口調、行動を真似する「クロスジェンダーパフォーマンス」で、韓国のKPOPファンダムでも1990年代半ばから2000年代初めに流行した。 ファンコスは10年代に入って退潮したが、アイドルのイメージを損なうという反発がファンドム内部から出てきたからだ。 論文によると、その後、韓国のKPOPの主流ファンドムは「アンチ・クィア」という情緒で整理された。 もちろん、男性アイドル同士が恋愛をするという設定でファンが書く小説『ファンフィクション』や、男性メンバー同士が意図的に親密な関係を演出したり、身体接触をして『クィア的幻想』を呼び起こす慣行は、KPOPの陰性的な要素として依然として存在する。


一方、海外のファンたちがKPOPスターたちにBLMの公開支持や寄付を要請する過程でもたらした「無理強い」は、韓国のファンから反感を買った。 「KPOPはブラックミュージックの影響を受けているのだから支持しろ」という要旨のDMをスターたちに送ったり、韓国のファンカフェに加入したりして関連の書き込みを掲載したりした。 アーティストの政治的発言に対する負担が大きい韓国の状況を考慮せず、「強要」に近い圧迫の水位、白人歌手ではないKPOPアーティストを名指しした点などが問題として指摘された。 ただでさえKPOP市場が海外中心に変わり国内ファンダムの疎外感が大きい状況なので、国内外のファンダム間の葛藤に火をつけたわけだ。


●KPOPに投げ込まれた新たな責務

伝統的にKPOPはセックス、暴力、ドラッグがない「クリーンな音楽」として人気を集めてきた。 欧米の親が安心して子供に勧める音楽という意味だ。 現在、欧米のマイノリティ・コミュニティーがKPOPを媒介に交流するというが、KPOPのメッセージ自体は「ありのままの自分を愛そう」「世の中ではなく、自分の思うままに生きよう」など安全な「自己宣言」のレベルだ。


ただでさえ韓日中など多国籍メンバーで構成され、現実政治の問題が発生すればその飛び火がグループ全体に飛び火するため、非政治的態度を堅持する所属事務所の態度が理解されていないわけではない。 国際問題は言うまでもなく、女性アイドルがフェミニズム小説を読んだという理由だけでもサイバーテロに遭う現実だ。一言で言えばKPOPは国内では非政治的であることを、海外ではさらに政治的であることを要求されるという矛盾した状況だ。 しかし「KPOPは社会運動の声に変換できる、現在唯一のグローバル人気音楽ジャンル」(イ・ギュタク韓国ジョージメイソン大教授)という言葉のように、以前とは全く異なる状況となった。


人権、環境など政治的な問題がKPOPスターの前に置かれており、世界のファンは時には「危険な」質問を投げかけることもあり得る。 世界的な影響力を獲得したKPOPが、いつまでも政治的真空状態に留まることはできないという意味だ。 スターと所属事務所が、より大きな社会的役割と責任を悩む時だという指摘が出ている。


●現代のデモ現場で歌われたK-POPの名曲「また巡り会えた世界」

国内のKPOPファンドムと政治デモはそれほど関連がないが、例外的な状況がある。 2016年の光化門ろうそくデモの引き金となった梨花女子大学でのデモだ。 チョン・ユラの不正入学に抗議する大学生たちは大学本館を占拠し、少女時代の「また巡り会えた世界」を歌った。 大学祭ではなく、大学デモに登場した最初のKPOP、それもガールズグループの歌だ。 これまで大学のデモ現場で歌われた80年代式運動・民衆歌謡とは劇的に決別した。


「また巡り会えた世界」は2007年、10代の少女9人で登場した少女時代のデビュー曲だ。 デモに参加したこの大学生が10代前半半ばに発表された、同世代の歌というわけだ。 少女時代の曲としては、「Genie」「Gee」のようなメガヒット曲ではないが、迷いながらも夢と挑戦を諦めないという少女たちの出馬表のような清涼な歌詞とメロディーが逸品だ。


当時、デモ現場でこの歌が歌われた正確な経緯は不明だが、「分からない未来と壁変わらない...分からない道の中に微かな光を私は追いかけて…いつまでも一緒にいるの…描いてきた迷いの果て」などの歌詞が込み上げる感動を与えてくれる。 学校の要請で校内に駆け込んだ1600人の警察官に対抗し、「タマンセ(曲の原題다시만난 나의 세계タシマンナンセゲの省略形)」を叫ぶ場面はSNSで公開され、大きな話題を呼んだ。


同日のデモは、光化門キャンドルデモを経て、18年の不法撮影偏向捜査に抗議し若い女性数万人が集まった恵化駅デモなど、女性主義デモのシグナル弾でもあった。 タイトルからして新しい世界への夢を盛り込んだ「タマンセ」は、女性主義的連帯の出発点でもある名場面において登場したKPOPの名曲だ。

 

ヤン・ソンヒ論説委員

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「欧米のマイノリティ・コミュニティーがKPOPを媒介に交流するというが、KPOPのメッセージ自体は「ありのままの自分を愛そう」「世の中ではなく、自分の思うままに生きよう」など安全な「自己宣言」のレベルだ。」

っていうの、本当にその通り過ぎてネイティブの受け取り方とそうじゃない方の受け取り方のギャップが如実に現れている感。

 

確かにKPOPのファンは世界的に群れやすく声が大きい=団結して声を上げやすい特性がありますが、問題は「ファンが勝手にアイドル側を代弁するような行為を(正義の名の下に)ファンとしてしてしまう」という事ではないかと思います。トロント大の教授の発言で「KPOPの海外ファンは多様で進歩的で、ソーシャルメディアに長けている」というのがありますが、これも誤解の一端でもあると思います。たとえ「海外のファン」にそのような傾向があっても、本体のKPOP自体は、ソーシャルメディアには長けていますが実際は必ずしも「多様で進歩的」というわけではありません。また、「韓国内での政治的な正しさ」と「欧米圏や他の国での政治的な正しさ」には完全に一致しない場合もある。ジェンダーセクシャリティ、人種による差別など国や立場に関係なく「正しい」とされるべき事柄はありますが、問題は文中にもあるように韓国内ではKPOPはカウンターカルチャーではなくメジャーカルチャーで、「韓国内での文化的・社会的マジョリティ」の意向に反する主張をする事は現実的に難しいという点です。これに関しては、繊細な国家間感情を抱える日本のファンであれば特に敏感に感じ取れる部分ではないかと思います。そして先述の政治的イシューに関して韓国社会の許容度とその他の国での許容度には差があるのが現実です。まずはその社会を変えない事には自由に発言できる内容や範囲が変わるのは難しいし、個々の思想はともかく「発信力・求心力がある」という理由だけから「アイドル」であるKPOPのパフォーマー達に政治的行動・言動を求めるたり、まして同じ社会文化にいるわけではない韓国外の人たちが簡単に口を挟めるようなことではないと思います。

 

そういう意味で、政治的イシューについてまず先にアイドルの発言や主張ありきでそれに同調してファンが団結するのは理屈が通っていると思いますが、特に所属する文化や社会の異なるファンの側が先に勝手にアイドルの代表者として政治的主張をするというのは、実際非常に危険な行為だと思います。愛情や正義という大義の元に個人の「本当の意思」は覆い隠されやすいし、ましてや自分の発言でイメージコントロールもしている欧米圏のセレブリティとは異なり、自分の言葉でなんでも自由に発信しているわけではない(できるわけではないし、「だからこそ」人気がある部分もある)「アイドル」であるKPOPアーティストにとってはより大きな負担となると思います。韓国のアイドルは韓国内の規範や事情で生きていて背後には複雑なアジア各国との関係性もあります。特に、韓国の多くのトップ芸能事務所は政権とも直接的な繋がりがあって、韓国の政治的活動に担ぎ出される事もしばしばあるわけですし。一部の韓国内(韓国系)の「有識者」の皆さんは世界的に人気が拡大しているKPOPのアーティストや事務所に「グローバル国家としての韓国」とか、世界からいいイメージで韓国が見られるような役割を果たして欲しいのかもしれませんが(「KPOPは社会運動の声に変換できる、現在唯一のグローバル人気音楽ジャンル」のような発言にはそれを強く感じます)エンターテイメントが政治的に出来る事、エンターテインメントだからこそ出来る事もあると思いますけど、それが「KPOPアーティスト」の「本分」ではないはずで、それも結局、KPOPの広報性や熱狂的につくファンドムを利用しようとしているだけなのではないかとすら思います。

 

そのような韓国・アジア内の事情を無視して自分たちの身に周りのことしか見えていないように見える欧米圏の「KPOPファン」たちのKPOPを思想や行動のために利用するような活動も、個人的には良いとは思えません。「KPOPファン」というアイデンティティの元で政治的行動をする事に対しての影響やリスクのネガティヴな面に対してもっと敏感になるべきだと思いますし、最終的に何かあった時にファンはその「責任」を取ることはできません。結果的に直接批判や攻撃対象になるのは自分たちの愛する対象であるという事に、ファンは「自分たちが守る」のような幻想の元で時にものすごく鈍感だと思います。実際、今回の件では個人ではなく事務所単位でしか意見を表明しないかあるいはあくまでも「仕事」を通して表明するアイドルも少なくなかったですが、個人で表明したSNSのアカウントや事務所のアカウントに言葉だけではなく寄付をしろという「open your purse」という品のなさすぎるミームが大量にぶら下がったりしましたし、「あなた達のような存在がKPOPアーティストが政治的表明をしない理由だよ」というコメントもありました。先述のトロント大教授チョ氏も同教授も「KPOPはLGBTレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)ファンを積極的に代弁しないが、攻撃的な異性愛規範性を強く打ち出しておらず、相対的に安定感を与える」といっていますが、「相対的」というのはあくまで他の欧米文化圏内での基準と比較してという事であり「絶対的」ではないわけで、観る側の置かれた環境や捉え方次第という点が大きいはずです。KPOPアーティストが自分のいる文化圏から見てジェンダーフリー的に見えたとしても、それが必ずしもそのような文脈から来ている表現方法やルックスとは限らない、むしろファッションのための表層のイメージだけを借りているという理解の齟齬については、しばしば韓国内ではマイノリティ側から強く指摘されています。

 

韓国内で女性の連帯デモの時に韓国の女性アーティストの歌が象徴として歌われる事にはある程度関連性と意味があると思いますが、韓国外のマイノリティに関するデモの時に、海外の人種も国籍も文化も異なる、「元々ポリティカルなメッセージを自ら発信しているわけではないアーティスト」を自分が好きだから・自分が共感できるからという理由で引き合いに出して巻き込む事に正当性があるのかどうか、もっと真剣に考えるべきなのでは。日本でもセクシャル・マイノリティ系のクラブでよくKPOPイベントが催されたりしますが、それはクラブミュージックが音楽のベースにあるKPOPの音楽的だったり文化的な文脈との繋がりがメインで行われている事という部分が大きく、政治的な事もゼロではないと思いますがそれがメインではないと思います。KPOPにアイデンティティを見出して救われる事はあったとしてもそれはあくまで個人的な体験で、個人的体験を原動力に行動することと、その行動に原動力となった「対象」を象徴として許可なく持ち込む事は別の事で、区別されるべきであるはずだと思います。アーティスト/アイドルとファンは近しい存在ではあってもイコールではない。好きなカルチャーと自分はイコールではないし、あなたの好きなアーティスト/アイドルはあなたではない。彼らがあなたの気持ちを代弁してくれたような気がしたからといって、あなたが彼らの気持ちを代弁していいわけではありません。

 

KPOPにはアメリカ以外の文化圏のファンもたくさんいるし、同じファンでもKPOPファンの動画テロについて称賛するような声に対して「何でもかんでも自分の周りの事をKPOPに結びつけようとする意味がわからない」「KPOPファンはそれしかアイデンティティがないのか?個人の嗜好にすぎないKPOPを巻き込むのはおかしい」という行動の仕方そのものに疑問を呈している人もいますし。
KPOP産業にとって日本は今でも重要な市場であるにも関わらず、韓国内の一部の人たちの一方的な政治的主張で日本活動が中止になったりという事もあったし、勝手に行動するファンが常に「全てに正しい」行動をするとは限らないと思います。個人的にはKPOPファンドムの行動力は本当にすごいと思うけど、集団としての判断力に対しては全く信頼はしてないです。

(個々のファンの話とは別の、あくまで集団としてのあり方の話です)

南米圏でも鬼滅の刃のキャラクター(亥之助)がデモの象徴キャラクターになったりした事もありましたが、アメリカではマーベルのコミックキャラクターである「パニッシャー」が白人主義界隈で象徴的なキャラクターとして使われたりもしています。これらは架空の人物ですが、ましてや生身の人間相手にこれと同様の行為を行うということは「究極の対象化」とも言えると思います。いくら人間的に「正しい」行いであっても、アイドル本人が自主的に表明していない事に対して強制しようとさせたり、名前を借りて「善行」のイメージを着せようとする行為は、結局は「自分が好きなアイドルには自分が賛同するような正しさを体現してほしい」というファンのエゴイズムが根本にある事から、目を逸らしてはいけないと思います。