サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【WEIV訳】ジョンヒョンという色

【WEIV訳】ジョンヒョンという色

 

by チョングォン
http://www.weiv.co.kr/archives/23525/amp?__twitter_impression=true

 

彼らにTVで初めて出会ったのは高校3年生のころ、おそらく何かのバラエティ番組が終わった後に流れていたミュージックビデオだ。 「お姉さんはとてもきれいで/男たちがじっとしてない」と歌う、自分が「幼い」という事実を積極的にアピールしていた5人の男性アイドル。曲のタイトルは「お姉さんはとても綺麗(Replay)」でグループの名前が「SHINee」だった。「男子高校生五人で構成されたコンテンポラリーバンド」「『Shine』に名詞形語尾『ee』を組み合わせて作った新造語」という説明があった。

 

実は変だなとは思った。 SMがまた何か商売を開始するのかという否定的な声も聞いた。 しかし、そのすべての否定的な考えを覆うひとつの印象「歌がいい」という感情がリードした。 歌詞は気恥ずかしくてもメロディーはよく取り入れられており、以前のアイドルグループとは違う種類のエネルギーが感じられるという考え。暗い高校3年生の時代の自主学習時間のプレイリストに「お姉さんはとても綺麗」も入っていた。 私がこんな歌を聞いていいのだろうか、という若干の恥ずかしさとともに。

 

WONDER GIRLSが「Tell Me」で、BIGBANGが「嘘」で大きな成功を収めたころであった。 例えればその時は、今過去を振り返る時のように全てのことを悟ることはできなかった。 しかし、新しい流れが始まっているという直感は明らかだった。私と同じ年代の人々が主軸になってアイドルとしてデビューしているという、そして彼らが以前とは違う新しい姿を見せているという、青臭いながらも悪くない感覚。そしてその中心に、ジョンヒョンがいた。90年生まれ。私と同い歳だった。

 

振り返ってみると、SHINeeというグループのアイデンティティはいつも簡単には見当がつかなかった。 どのようなアイドルグループでも活動中に様々なコンセプトを図ったが、SHINeeは特にその選択の振り幅が巨大だった。 「お姉さんはとても綺麗」の幼い少年から「Ring Ding Dong」や「Lucifer」のようなSMP、「Sherlock」や「Everybody」のプログレッシブさや「Dream Girl」の爽やかさ、「View」の青春ドラマと「1 of 1」のレトロまで。 彼らが見せてくれたパフォーマンスとサウンドは誰でもなくSHINeeだけが試みることのできる種類のものだったが、いざそれを一つのアイデンティティとして表現できる方法は曖昧だ。 「コンテンポラリー」という、SMが自主的に掲げた単語でしか。

 

ややもすれば曖昧になるグループとしてのアイデンティティをしっかり支えてくれたのは、やはりメンバーたちの力だった。 SHINeeの5人のメンバーひとりひとりは、各自のポジションから急激に変化するグループのコンセプトをどうすればあれほどまでにできるのかと思わせるほど完璧に消化した。 そしてその過程で、SHINeeは何でもできるグループというアイドルシーン内でのあらゆる「完璧さ」の象徴とされた。 ダンスならダンス、パフォーマンスならパフォーマンス、ライブならライブ、たったひとつの部分でもSHINeeは他のグループより劣っている部分がなかった。

 

それは歌とボーカルの領域においても同様だった。 そしてその中心にいるのは、ジョンヒョンだった。 単純に彼がメインボーカルとして優れたライブの実力を見せてくれただけではない。 ジョンヒョンの声には他のどのアイドル、いや、どんな歌手にも真似のできない彼だけのカラーが鮮明にあった。 強烈でパワフルでありながらも「これはジョンヒョンの声だ」とはっきり区別できる特徴のある声色、そしてR&Bやエレクトロニック、ダンス音楽に特化されたおしゃれなスタイルはSHINeeというグループが語ることのできる音楽の幅をさらに広げた。 それが「Dream Girl」以前に出たSHINeeのすべてのタイトルトラックで、ジョンヒョンが第一声を放っていた理由であろう。

 

だからジョンヒョンの初のソロ作品「BASE」が出るというニュースを聞いた時、大きな期待を持った。 彼が持っている音楽的力量と野心はSHINeeというグループの中でのみ実装されることができる種類のものではないと思ったので。そしてその予想は的中した。

 

ジョンヒョンのソロレコーディングは、単純にアイドルメンバーの音楽的成長を証明する手段を越えて、アイドルメンバーがどのようにメインストリームのポップシーンで自分の位置を再確立しなければならないのかに対するひとつの模範事例として残った。 従来のグループ、あるいは所属会社の音楽的方向とはちょっと違った現代的なR&Bサウンドを基調として自分の色を明確に表すと同時に、SMという大きな「資産」を鋭敏に活用すること。アイドルメンバーという従来の領域を無視していないが、そのままそこに埋没されない姿。「She is」まで続いたジョンヒョンの姿を見ながら、Justin Timberlakeが成し遂げた成果を連想するのは難しいことではなかった。

 

しかし、Justin Timberlakeよりジョンヒョンの姿がさらに格別に近づいてきたのは、単に彼が韓国のアーティストだからではない。 小品集連作「 話」で彼が見せてくれた姿は、立派なポップアーティストとしての野心的な姿だけでなくジョンヒョンという個人が持っている一面を少しでも感じられる断面であったからだ。 「一日の果て」と「U&I」でのささやかな楽しみ、「Skeleton Leaf」と「Happy Birthday」での苦痛、「Lonely」と「エレベーター」での孤独は、全ての人に愛される歌手が「演技」できることからさらに遠いところにある生の感情だった。 ジョンヒョンほどの地位にいるミュージシャンが見せてくれるとは簡単には想像しにくい感情だったが、彼はそれをさらけ出すのをためらわなかった。

 

彼が「青い夜、ジョンヒョンです」で行ってきたリスナーとの疎通、「皆さん、こんにちは」とセウォル号惨事をはじめとする各種の社会的/政治的問題について率直に話していた正直さ、「ミューズ」という概念が女性を対象化しているという批判に対し、ひとりのツイッターユーザーと対話を交わして自分の誤った点を認めていた器は彼が「話」を通じて示した自分の姿から離れたところにはない。人間がもっとましな存在になる事は他人との交流と疎通を通じてこそ可能で、そのためには自分がどんな人間なのか、自分の姿がどのようなものなのかを示さざるを得ない。 自分を取り囲む社会的地位の壁が存在するにもかかわらず、彼はどうすればより良い人間になることができるか苦悩する過程でその壁を恐れずに超えた。 それは決して簡単なことではなかっただろう。

先週、ジョンヒョンがこの世を去ったという知らせが初めて伝えられた。 この文章と記事を書いているこの瞬間にも、その事実が十分には実感できていない。 もっと沢山の時間が過ぎて彼の新しい作業物が出てこないということを認知したとき、彼が残した歌が徐々にさらに遠い過去のものとされ始めたとき、彼がいないという現実がようやく近づいてくるのだろう。死は時に牛歩を保ったままで我々を迎える。

 

韓国だけではなく、世界のメディアを覆ったニュースと各国のファンがSNSYouTubeに残した悲しみのこもったメッセージ、韓国大使館に積もった弔花を見守りながら、私が初めてSHINeeそしてジョンヒョンに出会ったその芸能番組からどれだけ多くの時間が過ぎたのだろうかと振り返ってみている。 KPOPは成長し、広まり、より華やかになった。 しかし、その変化が果たして肯定的なものだったのか、私はすぐに答えを出すことができない。 今この瞬間を前に置いたままでは更にだ。

 

ただし今は、私と同じ時代を生きて私の時代を更に豊かにしてきたあるアーティストの死を追悼するだけだ。 同時代がひとつのターニングポイントを迎える方式は時にあまりにも暴力的であり、息を殺すこともある。しかし、それがジョンヒョンの残した歌、言葉、そしてミュージシャンとリスナーの関係を越えて人間として尊重したかった態度までを隠すことはできないだろう。 その鮮やかな色が、私たちの記憶の中に残っている限りは。

 

一人で我慢するのに慣れてしまったあなたを悲しむ。 残った私は、より良い人間になると約束する。

 

チョングォン lacelet@gmail.com

 

 1990 4. 8 - 2017. 12. 18

 

*この記事を読んで精神的苦痛と耐え難い落ち込みを感じた場合、次の相談ホットラインを利用してほしいです。
精神保健センター1577-0199
いのちの電話1588-9191
保健福祉部運営希望の電話129
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(訳注:上記は韓国内の電話番号です)

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