サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】ガールズグループは極限の職業│①GIRL IS NOT A DOLL

ガールズグループは極限の職業│①GIRL IS NOT A DOLL
2016.06.28

 

http://m.ize.co.kr/view.html?pDepth1=i2101&no=2016062610097241665

 

昨年12月、izeはMNET 「プロデュース101」の予告ステージを見て次のような記事を出した。 「『プロデュース101』、2016年には更に地獄の日々だろう」。そして、ちょうど半年が経った今、これはガールズグループ市場の不吉な予言のようにも読み取れる。市場が不況という意味ではない。むしろその「プロデュース101」を介して「夢を見る少女たち」のスローガンを抱いてデビューしたI.O.Iと同じ放送局のサバイバルプログラム「SIXTEEN」でデビューしたTWICE、初期の少女時代の感覚を再現したGFRIENDなどの登場により、久々に市場ではエンターテイメント問題の中心となった。いわゆる「アジェペン(おじさんファン)」の流入と一緒にファンドムの全体のサイズも大きくなった。しかし、このように注目が集中する状況でガールズグループが過去半年の間に苦しまされた事件を指摘してみよう。去る1月、TWICEのメンバーであるツゥイはMBC 「マイリトルテレビ」のインターネット放送で台湾の国旗を振ったことから謝罪動画を撮らなければならなくなった。 KBSは旧正月特集番組「本分金メダル」の中で、ガールズグループの本分であるイメージ管理をどれだけできるか確認すると言う名目でガールズグループの体重を公開し、模型のゴキブリドッキリを仕掛けた。 OnStyle「チャンネルAOA」で安重根義士の顔がわからなかったソルヒョンとジミンは、その後のショーケースで涙の謝罪をした。 そして今週にはガールズグループメンバーたちがよく食べる姿まで見せなければならないJTBC「よく食べる少女たち」が放送を控えている。

 

後づけ的なこじつけかもしれない。 先にあげた記事は実際にはガールズグループだけに関するものではなかった。 地獄という表現を使ったのは「他の参加者たちをどうにか蹴落とすことが必須」である「権力のある側が作ったハンガーゲームような競争のルール」のためだった。 しかし、ハンガーゲームのような各自が生き残る道のためのサバイバルゲームが問題であるのは、皆が公平にこの地獄に参加しているということだけではない。 皆が各自生き残らなければならないとき、より多くの荷物と苦痛を甘受しなければならないのは結局弱者だ。 特に自分に過ちがなくても謝罪しなければならないし、大きな過ちがなくても百拝して謝罪しなければならず、笑えと言われば笑い食べろと言われたら食べなければならない。 これらの事件とは別にSBS「ベクジョンウォンの三代天皇」やJTBC「知っているお兄さん」のようなプログラムでガールズグループのメンバーらを呼んできれいな背景のように活用するのは、現在の放送市場の階級におけるガールズグループの位置を可視的に示している。 最近、
JTBC「冷蔵庫をお願い」でMCのキムソンジュはゲストであるTWICEのジョンヨンとツゥイ、FIESTARのチャオルをこのように紹介した。 「製作陣が(シェフたちのための)大きなプレゼントを準備しました」ゲストではなく、プレゼントとして。

 

もちろん、アイドル産業は基本的にファンタジーという財産を提供する方法で市場を維持する。先日、KBS 「ハッピートゥゲザー3」にI.O.Iと一緒に出演したS.E.S出身のパダは「ガールズグループそのものの本質は、人々に幸せと喜びを与える存在」と言ってI.O.Iを励ました。しかし、パダの深い助言にもかかわらず、この日の放送は意図せずしてボーイズグループとは違うガールズグループだけに適用される奇妙な物差しを表わした。この番組のタイトルは「昔の姉VS今時の妹」である。対決構図が問題なわけではない。ボーイズグループはデビューする時もオッパであり、Sechskiesのように十数年ぶりに再結成をしてもオッパのままだ。オッパという呼称は年齢と関係なく一種の階級という説もあるが、ボーイズグループは命脈を維持すればオッパであり、文字通り偶像(IDOL)であることができる。ガールズグループはそうではない。 S.E.Sがそうであるよう、彼女たちはある瞬間には妖精から脱落し、昔のオンニになる。その場所は旬の妹たちが埋める。 1990年代後半から本格化したアイドル市場の歴史は年を重ねるごとに多くのオッパたちを累積してきたが、逆に多くの妖精を脱落させ、その場所により若くよりかわいい存在を詰め込んだ。適用される競争のルール自体が違う。生き残るのが難しくなるほどに、耐えなければならないことはより増える。

 

「プロデュース101」の国民プロデューサーシステム以降、たくさんの「アジュペン(おじさんファン)」が流入し、ガールズグループに対するファンドムに干渉がひどくなったのは、これらの理由から無視できないシグナルである。 I.O.Iのデビューが確定してDCインサイドのキムセジョンギャラリーがいわゆる「貢物」を準備したところ、「最初から高価な贅沢品を使うなんて行儀が悪くなる」という世論を集めたのは有名なエピソードだ。LOVELYZは3月の大学のイベントでイベントに当選した男性に突然無理やり抱きつかれたりしたし、APRILは5月に放映した国防TV 「慰問列車」で兵士に同意なく腰を抱かれるVTRを撮られたりもした。パダの言葉のように、ガールズグループは幸せと喜びを与える存在かもしれない。彼女たちにとって世界は慰問列車のようなステージだ。これは、お互いに合意のある上でのマーケットの本質である。問題は、この慰問列車に勝手に乱入してもいいという考え方、それすらもガールズグループは従わなければならないという考え方である。それさえも体系化されたタスクの放送でさえ、彼女たちがおじさんタレントの愛嬌自動販売機のように活用されている状況では、この歪んだ信仰からガールズグループを守る感情的なセーフティネットはほとんどないと見ても差し支えないだろう。

 

だから、今のガールズグループはアイドルではない。偶像ではないという点でそうだ。彼女たちは憧憬を受けるためにファンタジーを維持することができない。目しか出ないのに笑わなければならない。芸能界は、特にアイドル市場は当事者の多くの感情労働に支えられているが、ガールズグループはその労働に値する尊敬を受けない。いや尊重されないことが今やこの極限の仕事の本質であり、彼女たちの役割になってしまった。ギブ・アンド・テイクの世界で彼女たちが受け入れた生活と言うこともできる。それでも生き残ることができれば、イベントと広告で少なくないお金を稼ぐことができる。 それならいいのだろうか。 セーフティネットのない競争で生き残るためには何をしても良いと、あるいは何でも放棄してもいいと言っている世の中は、果たして地獄のようではないと言えるだろうか。 2016年がちょうど半分すぎた今、少女たちが経験する世の中は。 

 

記事 イグンオ
校正 キムヨジン

 

 

 

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