サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【メディアSR】[インタビュー]女子アイドルの限界を破る...「Queendom」プロデューサー チョ・ウリ

【メディアSR】[インタビュー]女子アイドルの限界を破る...「Queendom」プロデューサー チョ・ウリ2019.11.11

http://www.mediasr.co.kr/news/articleView.html?idxno=55402


可愛さ、あるいはセクシーさ、よく女子たちはこの二つの修飾語で定義づけられたりする。彼女たちがそのような枠組みを拒否しても、長い間固着してきた市場論理は「女子アイドル」に望むイメージを規定し、彼女たちの新しい試みが生まれる事さえ許さないようにする。こうした状況でMnetの「Queendom」の登場は喜ばしい。女子アイドルに新しい試みを思いきりやる機会を与えることで、「Queendom」は対象化に終わってしまう女子アイドルに主体性を与え、新たなページを切り開いた。可愛くなくてもセクシーでなくても、彼女たちのステージは本質そのままを代弁し、「素敵だ」という感嘆詞につながった。「Queendom」の舞台演出を担当したチョ・ウリPDに会って、熱かった彼女たちの舞台裏を覗いてみた。

 

Q.「Queendom」は、普通の音楽競演プログラムとは違うという評価を受けています。特にステージにおいてはこれまで繰り広げられていたステージではなく、一つのショーとして授賞式のような雰囲気を出していました。


Mnet チョ・ウリPD(以下チョ・ウリ):「これまで出演した方々が見せていない姿を見せようとする事に最も力を注ぎました。小さなステージを限定的に使って前面だけを志向し、カメラのワンショットに特化した振り付けで構成されるなど、一般的な音楽放送のステージ文法があるとすれば、「Queendom」の競演ステージはその文法に従おうとしなかったのです。ステージ全体のデザインと構造を組むときよりもっと広く使えるように3面を活用したり、ブリッジを活用して多様な構成をしようとしていました。ショーアップが上手な先輩PD方がいて、私もやはりM countdownとMAMAの経験があるだけに、ステージ自体のスケールが感じられるパフォーマンスを組もうと思いました。


Q. そのためか、「Queendom」の舞台では空間感が大きく感じられたんです。他の音楽放送とは違って、カメラまでがステージの要素になったように動きが自由だったし。  舞台演出面で最も満足できる部分はどこでしょうか。


チョ・ウリ:スペースの活用です。スタジオの規模は一般の音楽放送とほぼ同じでしたが、多様なアングルを使い、カメラの動線を最大限に活用して最大限広く使おうとしました。現場にいらっしゃる観客の方々と視聴者の方たちという2つのターゲットのなかで、視聴者の方により親切なやり方だと思います。アーティストの方々からはやはりカメラアングルを見ているだけに、視聴者の立場からだともっと新鮮に感じられたと思います。もちろん、現場の観客の方々の「没入度」も崩さないように、多方面でカメラの動きに気を使いました。

 

Q.リアリティ部分を通じてアーティストたちが直接ステージを組む姿が出たりもしました。

 

チョ・ウリ:すべてのチームと最大限多く対話を交わそうとしました。競演曲のデモ、スケッチの段階から多くの話を交わしながら初期コンセプトを練りました。舞台と舞台を越えてブラウン管でも見られる形の演出をしなければならないだけに、アーティスト側から曲が出たらプロデューサーとアーティストの意図と自分の考えをうまく組み合わせて最大限明確なコンセプトを引き出そうと思いました。仮想のシノプシスのように毎舞台ごとに1〜2行程度のキャッチフレーズを握って、ストーリーテリングを示そうとしました。「この舞台は演劇的モノローグで独白感を活かすこと」「韓国的要素があって月がキービジュアルな舞台」というような内容ですが、各チームの特徴とカラーを最大限浮き彫りにしようと緻密に努力しました。

 

Q.演出家として各チームのレジェンド・ステージを挙げるとしたら。

 

チョ・ウリ:(G)I−DLEは「LION」、MAMAMOOはAOAの「Good luck」カバー、AOAは「Egoistic」、Lovelyzは「Cameo」、OH MY GIRLはLovelyzの「Destiny」カバー、パク・ボム氏はファイナルの舞台だった「取り返しのつかない」を挙げます。

 

Q.パク・ボムさんの舞台は象徴的な要素が満載だったようです。たとえば、主人のいないマイクと一緒に配置されたボム氏の姿は2NE1を連想させるし、歌詞にもそういうムードが十分に敷かれていたと思います。

 

チョ・ウリ:その曲のデモ初期バージョンから一緒に聴きながらコンセプトを一緒に掴んでいこうと努めましたが、パク・ボムさんは一人で競演の大変な過程をこなしながら、最後のピリオドをうまく撮りたがっていました。それだけに負担も大きく悩みました。そういう要素から、2NE1について語ろうとしていたというよりは、一人のアーティストがグループ時代を経験し今は独り立ちしようとしている状況で、過去の自分と今の現実での本人、それ以降の位置づけをしようとしている自分自身に贈る一種のモノローグドラマ的構成を考えながら配置したものです。

イントロでの鏡のシーンや過去のグループシーン、一人で立ってフィナーレを歌って自分の足で踏み出し上がるなど、4段階の場面で構成した舞台にも関わらず、大衆が受け入れてくれました。感動がある舞台でしたね。直接的な言及よりも隠喩的な表現が有効だったと思います。パク・ボムさんもそのような部分について悩んだようです。

 

Q.(G)I−DLEの「LION」の舞台はガールズグループのパフォーマンスに一線を画したという評価を受けました。果敢で破格的な試みが、(G)I−DLEのメンバーたちと完璧に合致しましたね。

 

チョ・ウリ:まず、ソヨンさんはあまりにもアイデアが溢れていて、すでに構想までされていた状態でした。「LION」はデモの段階から本当に素晴らしい曲だと思いました。放送のようにその曲は以前の競演段階からあらかじめ作られていて、歌自体が一編のストーリーだったので、それを生かすためにビジュアルとコンセプトを最大限尖らせていこうと思ったんです。ソヨンさんとも会議をしたのですが、直接PPT(訳注:プレゼンテーション)を作ってきたのが印象的で、またすごかったです。普通の人たちが考えているアイドルのイメージは限定的だけど、私が一緒にした6チームのアーティストたちはすべてそうしなかったんですよ。

ソヨンさんは、女王と獅子のイメージを変えないよう、うまく組み合わせたいという悩みが大きかったです。それで、会議を通じてVCRを置いて全体のトーンを中世ゴシック様式のステンドグラスのイメージで統一する方向で意見を交わしました。「ライオンキング」のイメージと中世の女王のイメージがよく混ざりあっていると思います。ジャンヌダルクのイメージを構想していましたが、思ったとおりにうまく具現化された本当に素敵な舞台だと思います。このステージのほかにも、「Put It Straight」もホラーな雰囲気のコンセプトすべてがソヨンさんのアイデアです。本当にすごいと思いました。

 

Q.Lovelyzは最も紆余曲折の多かったチームだと思います。初期には方向性がうまくつかめず酷評されましたが、ついに自分たちがやりたいことと最もうまくやることをまとめることができましたね。「Cameo」がまさにその副産物でした。

 

チョ・ウリ:そうですね。Lovelyzは意図しなかったんですが、浮き沈みやさまよったりというストーリーラインがありました。この方たちが経験したことを考えると、「Cameo」は自分たちがやりたいことをやってかっこいいということを見せるという意志の表明だと思います。選曲の悩みも大きかったと思います。ただ可愛く「彼氏と付き合いたいの」とか「私と会わない?」という歌ではなく、自分たちがうまくやっていることを見せるから大衆に理解してもらいたいという感じがあったんですが、それが受け入れられたと思います。私もやはり気持ちが良かったです。Lovelyzが今できる最善を尽くしたということが十分に感じられたし、本人たちもそう感じたようです。

それに、イェインさんがパフォーマンスユニットのステージで本当に苦労したんですよ。ステージそのものが難しい構成で、選曲も他の曲に比べて異質なので心配でしたが、イェインさんがやりたいという意志を明確に示してくれました。そして本当にうまくやりこなしました。

 

Q.OH MY GIRLは「QUEENDOM」の最大の恩恵者という修飾語を得ました。ともすれば見え透いたステージになりうるLovelyzの「Destiny」を完璧に再解釈しながら、自分たちの可能性を改めて示しました。OH MY GIRLの再発見という感じがするくらいでした。

 

チョ・ウリ:メンバーが足を怪我した状況でもあのようなコンセプトを引き出したというのは、本当にすごいと思います。準備過程でユアさんが足を怪我しましたが、メインパフォーマンスのメンバーであるだけに心を痛めていたんです。会社側でも悩みが多かったです。それで怪我をした瞬間からパフォーマンスの方向性について悩み始めたのですが、ユアさんにスタートとエンド、ブリッジなどでソロカットを与えればブランクがなくなるだろうと思いました。振り付けの先生とも「サブステージに力を与えるためには花や樹木がなければならない」等お話しました。

ユアさんも意見を出しましたが、他のメンバーたちがとてもうまくやってくれたし、残りの振り付けもアーティストがみんな組んでくれました。自分たちでできる最大値をやり遂げると言いながら歯ぎしりをしたわけですが、当時「BUNGEE」の活動していたにもかかわらず、完成度の高いステージをやってくれました。仲間にも大きな刺激を与えられるステージだと思います。


Q.MAMAMOOはそれぞれの個性をよく見せてくれたようですね。単純に歌が上手いグループという従来のイメージからさらに一歩進んだという印象を、MAMAMOOのパフォーマンスを見ながらしっかり受けました。


チョ・ウリ:実は「Good Luck」は本当に難しい舞台なんです。コンサートスタイルのステージでしたが、4人がそれぞれ異なる方式で他人の曲を4つに再解釈した上、最後にはその4つがひとつの舞台に統合されました。

MAMAMOOはボーカルがパワフルな実力派とひとまとめにして考える方たちが多いですが、4人のメンバーたちがそれぞれ違う個性とボイスカラー、完全に異なるスタイルでありながらも調和をなしているじゃないですか。それがそのままMAMAMOOの色だと思います。それを一番よく見せてくれたのが「Good Luck」の舞台だと思います。それぞれ違う色を一つに混ぜたのですが、異質感が感じられないように完璧に仕上ったと思います。

 

Q.AOAも大きな収穫を得ました。5人組への再編後に初めて大衆に自分たちの力量を公開しましたが、過去に7人組での活動が思い出されないほど完璧なAOAを見せてくれました。特に「Egoistic」はガールズグループの限界を越えたという点で大きな意味があるんです。

 

チョ・ウリ:「Egoistic」の反響があまりにも大きかったですが、私はあの舞台がAOAに自分たちにしかできないことを証明してくれたのだと思います。AOAは大きな期待を負って出たチームではなかったかもしれましたが、だからこそそういう舞台を作り上げることができたのです。本人がやりたいことをやったというところから生まれる満足感と、よくやったという感情が舞台で見えたので、大衆の方が喜んだようです。私はそうは思っていませんが、AOAがもしもイメージだけで消費されていた従来のガールズグループの一つだったとすれば、「Egoistic」を通じて、そのような通念を破ったと思います。ジミンさんの役割が大きく、舞台上でのソルヒョンさんの力量も目立ちました。「Egoistic」自体がAOAの曲になったという感じもしましたね。

舞台についてはジミンさんと話をしましたが、ドラァグクイーン・ダンサーやヴォーギング・ダンスなどを先に提案してくれて嬉しかったです。人々が異質だと感じる可能性もある要素にもかかわらず、うまくやり遂げたことが本当にすごいと思います。進入障壁の高い部分をステージで完璧に見せたのもすごいのですが、ビジュアルの強いダンサーの方々に埋もれず、アーティストの存在感がより引き立ったのもすごいです。すごいという言葉しか出ません。


Q.参加したチームすべてに再びスポットライトをあてたという点で、「Queendom」はすでにかなり大きな意味を持つ番組だと思います。演出者として特に「Queendom」にはこのようなことはうまくやりこなしたと自評する部分がありますか?


チョ・ウリ:「女子アイドル」という偏見を破ったところです。実は、女子アイドルは人々が思っているイメージだけで消費される部分があるのですが、「女子アイドルがこんなに格好いいんだ」と知らせる事ができて本当に良かったです。男性アイドルの舞台は素敵だと言われる反面、女性アイドルの場合、素敵だという感想よりは、きれい・清純・可愛さを中心に消費されてきました。しかし、その方向を変えてパフォーマンスが上手い姿とこの舞台を作るための熱情と慎重な態度、このようなステージが出るまでのストーリー、作る過程などを照らし合わせたという点で意味があると思います。舞台を叙述するストーリーも多くの役目を果たしましたが、リアリティ部分もよく生きていて良かったです。


Q.各グループの特性が違うだけに、彼女たちの強みをそれぞれ違うものに活かすのに悩みが大きかったようです。先にこういう部分はしっかり取っていくと思った点がありますか。


チョ・ウリ:ひとつの競演内で6チームの舞台が重ならないように、コンセプトとトーン&マナーを最大限多様に表現しようとしました。そして、視聴者の中にはグループを見分ける事が苦手な一般大衆もいるので、彼らに対してもっと親切に近づこうとするならステージのイメージが異ならなければならないと思いました。各グループの色を最大限際立たせるように緻密に努力しました。曲を聞いているうちにコンセプトが浮かぶので、これらをうまく溶かしつつも、色彩自体もグループごとに違うように配置しました。


Q.視聴者の立場からすると、舞台ごとに各グループの個性を引き立たせようとした点がよく感じられました。舞台演出についても悩んだ跡がうかがえました。競演番組であるだけに舞台を最優先に据えたというのはあると思いますが、番組の企画段階で考えていた最初の方向性が気になります。


チョ・ウリ:ありがたいことに、全体演出を引き受けてくれたチョ・ウクヒョンPDが私ステージ・ショービジュアルの全権をくれました。それで、他の部分よりは「Queendom」が女性アーティストにとってカッコよくなれる機会になればいいなという思いだけで臨みました。アーティストの方々がやりたいことと、かっこいいことができるように最善を尽くさないといけないという気持ちだけでした。みんな才能が優れていて上手な方たちなので、このような方々と一緒に出来て光栄でした。


Q.良い意図だったし、その意図を十分に生かしたプログラムだと思います。ただ、残念ながら番組開始の前後にMnetの競演番組の公正さに対する懐疑的な視線が多く、ファイナル競演にも否定的な意見が出たりしました。


チョ・ウリ:メインプロデューサーがこの部分に専ら多く悩みました。しかし、これは私たちが耐えなければならない部分です。私たちはもっと熱心に重い責任感を持ってプログラムを作らなければならないし、また、それが本当に正しいと思います。


Q. しかし、それでも「Queendom」は大きな意味を持っていると思います。有終の美を飾った今、今季について感じた部分と来季についてのプランを聞きたいです。


チョ・ウリ:来シーズンについては皆意見がまちまちです。まだ決まったこともないとわかっています。しかし、私は「Queendom」が新しい章を作るのは本当に良い事だと思います。実力があってやりたい事も確かにあるのに、徹底した市場論理によってそれを見せられない場合が本当に多いんですよ。そのようなことを見せる場を設けるという趣旨は、来シーズンになっても変わらないでほしいです。それを解決していく方式は、より良い方向に十分変わることができると思います。この番組のストーリーは「本物」なんです。そういうことをよくお見せしながら、アーティストの方が見せたい舞台を存分にお見せできるようにするのが「Queendom」がやった部分で、これからもやってほしいことです。


キム・イェスル記者


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「Queendom」の好評を受けてもうすぐ(2020年4月末)に男子版「Road To Kingdom」が始まるというのもあり、今更ですが訳してみました。

(訳したいと思ってはいたのですが、ちょっと長かったのもありそのままになっていた...)


「Queendom」は本当に素敵なステージが多くて話題にもなっていたし私も毎回わくわくして見ましたが、同時にこのプログラム自体が実際の出演グループの活動には結果的にあまり影響していない(今のところ)という現実も実感しています。Mnetのサバイバル操作問題とかぶった時期的な事もあったんでしょうけど、他の話題になったサバイバルほどは楽曲もチャート上位に入らず...

(視聴者側としてはLIONなんで音源1位にならんんのくらいの気持ちはあったけど実際はウィークリー19位程度という...)

MAMAMOOや(G)I−DLEは一回限りのステージゆえに大胆な試みをした部分はあるけど、元々の芸風からそんなに大きく変わってないですし。

 

インタビュー中に「女子は市場原理のせいで定型のイメージしか出せない」というのがありましたが、普段の活動の部分で見られない姿は見られて嬉しい反面、どうも全体的に「女子アイドル」の置かれている現況についての認識に微妙なズレがあるのではないかと思った部分はあります。よく「女性アイドルへの実力面での偏見」とか「男性に比べて定型のイメージしか出せない」という言葉が出てきますが、こういう言葉が出てくる根本的原因がどこにあるのか?と考えると、結局は韓国の女性アイドルと男性アイドルファンドムのスタンスやファンドムのお金のかけ方の違いが大きいのではないか?と思います。男性アイドルが女性アイドルよりも表現の幅が広いと言われがちなのは、基本的に今の男性アイドルがターゲットにしているのは「ファンドム」で、一旦ファンになった層は極端に言えば好きになったアイドルがどういうパフォーマンスをしても概ね受け入れる(気持ち的には色々だとしても金銭的な意味で)だろうし、だからこそそういう「固いファンドム」を大きく作るための努力を多方面でするわけで...逆に言えば女性アイドルでも男性アイドルみたいに「固いファンドム」がついているグループは定型のイメージではなくても「人気がある」んですけど、更に女子アイドルの「人気」のバロメーターが今でも韓国では曖昧で、「ファンドムが多い」人気なのか「一般層に知られている」の人気なのかがひとまとめで「人気」とか「認知度」みたいな曖昧なバロメーターで語られてる感じはあります。

 

「Queendom」に出たアイドル達は一部を除いていわゆる中堅どころー大人気グループではないが音楽番組1位の経験はあり、ある程度の固定人気や一般認知度はあるけどトップクラスと呼ばれるほどのチャート成績や認識はされていない(あるいはそれが過去のものになった)ーという人たちだと思うのですが、その原因を「定型のイメージだから」とか「実力を見せられていない・認知されてないから」という事に求めているとしたら、それ自体がちょっと違うんじゃないかと思います。現実的には「実力」があるからそれがそのまま人気の第1条件として売れているわけではないし、韓国でアイドルが売れるにはある程度以上の技能的な実力は不可欠だけどそれ以外のものの方が絶対的に必要で、そのプラスアルファ以外の実力面での差が必ずしも大きくあるというわけではないからこそ「アイドル」という形式は難しくも面白いし、何故「アイドル」をやるのかという究極の問いかけのコアの部分がそこにあるんじゃないんでしょうか。歌と踊りで魅せるというのは「アイドル」のコアであって外せない部分だけど、それをとりまく表現方法に関しては逆にそれこそQueendomにでなくてもいいようなトップクラス人気と言えるような女子グループは「いかに定型ではないか(一見定型に見えたとしても)」というのをつきつめられたグループしかいないように思います。究極大衆を切り捨ててもファンダムウケに振るか、逆にファンドム構築は切り捨てても大衆ウケを取るくらいのある意味では極端とも言える選択をして、曲なりコンセプトに力を注いでいるグループが多いと思うので。過去を見ても2NE1やBEGみたいな清純でもないし単純なガールクラッシュでもなくセクシーなだけでもない、複雑なコンセプトとパフォーマンスのグループが人気があった事もあったわけですし。

それができる資金的だったり精神的な余裕があるかどうかというのもあるでしょうけど、全体的にグループそのものの個性というよりは「何ができるか」とかなにかがブレイクするとあからさまに似たような曲やコンセプトが平気で出てしまうという事も含めての「世間」の評価・ウケを、良くも悪くも対ファンドム以上に気にしすぎてる部分は大きいような気がしています。(いわゆる「アンチ」へのスタンスなどもそうだけど)男子グループの場合は先にある程度ファンドムが固まってから世間的に知られるパターンが多いですけど、女子の場合はなぜか「人気」にそのまま「大衆の評価(音源成績等)」が付随するから、それがもしんどさの大きな一因という感じもするし。これだけ韓国でもアイドルの数やアイドルオタクが増えて大衆とドルオタ界隈の距離も離れてきている現在、ビジネス的にももうそういう時代じゃなくなりつつあると思うんですけどね。


そもそももうプロとしてデビューして活動してるアイドル達が、本業あるところの自分たちの曲の活動やライブ以外で、「やりたいことをやる」「実力をお見せする」という名目でまさに彼女たちの本業であるパフォーマンスのための場所が提供されて、「これだけ彼女達が自主的き関わったステージですよ」というのをわざわざ見せて、それに付随したカムバック自体が「サバイバル」としてウケて消費される状況ってなんなんだ...とは思います。本来は番組の外でやってきた活動でのパフォーマンスがグループでの「やりたいこと」であるべきだし(商業面でのすり合わせは必要としても)そのチャーティングそのものが「サバイバル」なはずで、それはすでに現実に確かにある。それなのに、年末の歌謡祭とかお祭り的な意味ではなく競争のあるサバイバルとして、しかもカムバックも含めてあえて別の場を「娯楽」として提供する意味ってなんなんだ?という...ファンの側としては今まで見られなかった面が色々見れたし、韓国はサバイバル好きだから〜ですませてもいいのかもしれないけど、オタクが普段応援してきた(してる)「活動」ってなんなの...?みたいなもやもやは正直産まれました。

ステージ自体はどれも本当に良かったのでステージとかパフォーマンス自体は楽しみなんですが、どういう意図とスタンスでこういう番組をTV局主導でやるのか...みたいな事と、今この現在地において韓国におけるアイドルってなになの?という事に関して、個人的にはなんとなくスッキリしない小骨感のあるプログラムです。

【ize訳】コロナ19でK-POPシーンは極寒期!

コロナ19でK-POPシーンは極寒期!

BTSを皮切りに各種公演がキャンセル!

2020.03.20

https://m.ize.co.kr/view.html?no=2020032009157271702

NCT127はコロナ19事態により特別ライブ放送やリスニングパーティーなど、別名"ランサン(LANケーブル=ヴァーチャル)ライブ"として新曲を宣伝している。

 

「4月は残酷な月」だと言うが、今年だけはその定義が変わらなければならないようだ。新種のコロナウイルス感染症の影響で、2020年3月は歌謡界、特にKPOPシーンに歴代級の残酷な月記録を連日更新している。


2月28日に伝えられた防弾少年団(BTS)の「BTSBTS MAP OF THE SOUL - SEOUL」公演のキャンセルは、極寒期のピークを迎えた。ニューアルバム「MAP OF THE SOUL:7」の発売に合わせて開催されるワールドツアーの一環として、4月にソウル蚕室総合運動場メインスタジアムで行われる予定だったこの公演は、世界各国から集まる約20万人の観客を待っていた。アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツ、スペイン、日本など、世界中で行われる予定の今後のツアー日程も、ウイルスの拡散により何も確言できなくなった。


厳しい状況に置かれているのは防弾少年団だけではない。最近、海外を除いて基本的な活動計画すら立てられなくなったKPOPシーンは、業界内外から殺到しているキャンセルや延期ニュースに頭を悩ませている。SMエンターテインメントの場合、1ヵ月足らずの間にテミンやSUPER JUNIOR、Red Velvet、NCT DREAMなどの国内や日本公演を延期・キャンセルした。今後の日程は全て未定だ。JYPエンターテインメントも同様にTWICEやGOT7、Stray Kidsのワールドツアーの日程を延期し、キャンセルした。TWICEの公演はフィナーレにあたる公演だったが、GOT7とStray Kidsの場合はツアー真っ最中で被害が大きかった。GOT7はバンコクシンガポールマカオ台北公演の延期とともに、クアラルンプール公演は完全にキャンセルする方向dw、Stray Kidsは5月の予定だった欧州ツアーを全面キャンセルする方針を固めた。このほか、YGエンターテインメントはWINNERのシンガポール公演をキャンセルし、WMエンターテインメントは5月に予定していたONFのラテンツアーを無期限延期した。


歴史上類を見ないことが繰り返されている中、KPOPを取り巻く風景も様変わりしている。これに先立つ公演が取り消された直近の正規2集でカムバックするWINNERなど、アルバム発売のショーケースや音楽番組の収録方式も格段に変わった。一般的に記者とファンを観客として開く公演型ショーケースは、2月からほとんどがオンラインリアルタイム中継形式に転換された。音楽番組も同様に、該当歌手のファンたちとステージを一緒に録画していた事前録画システムから観客を失った。ファンの歓声と応援法のない「カメラリハーサル」のような収録が2ヵ月近く続いているわけだ。


ファンとの直接的なコミュニケーションを主な目的とするファンサイン会は、被害が最大のイベントだ。相当な金額のアルバム販売収益の損失が予想されるにもかかわらず、大多数の企画会社がすでに予定をキャンセルしたり、最初から日程を決めていない中で、想像を超えるアイデアも登場した。TOP MEDIAの新人アイドルグループMCNDは「Meet & Call」という名のイベントを通じて、ファンと直接会う代わりにカカオビデオ通話(フェイストーク)を通じてメンバーひとりひとりとファンが個別にビデオ通話をするファンサイン会を企画した。画期的なアイデアの結果だったのか、彼らはデビュー3週間でM COUNTDOWN1位候補に名を連ね、また別の話題を呼んだ。


コロナ19ウイルスの世界的な拡散とともに、このような変化はしばらく続く見通しだ。誰も予想できなかった昨今の現実がKPOPシーンに伝えた最も大きな教訓は、この産業が人と人の間、国と国の間に限りなく近く存在しているという点だ。韓国大衆音楽の輸出額の大半をKPOPが占め、企画会社の総収益の半分以上をツアーが負っているケースも少なくないため、目先の利益や収益についての議論が先走ることは理解できないわけではない。ただ、災難に近い世界的な危機状況をすなわちKPOPの危機のような単純な図式で解決するのは、多方面において怠惰で非生産的だ。さらにKPOPは、いかなる危機的状況の中でもいち早く次を準備する驚くべき弾力性と柔軟性を誇る分野ではなかったか。「世界が韓国のポピュラー音楽に注目する」とか、「音楽で国境をなくす」という空虚な叫びが収まった今、KPOPと人、ひいては世界と呼吸するKPOPに対するより落ち着いて真摯な考察が行われるべき時だろう。


キム・ユンハ(大衆音楽評論家)

【ize訳】ITZY・BLACKPINK・CLC、アイドル達の歌の中の女性像

【ize訳】ITZY・BLACKPINK・CLC、アイドル達の歌の中の女性像


2019.02.25

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2019022506117252196


今やK-POPにおいて「ガールクラッシュ」は一つの流行というより、最も人気のあるジャンルと言っても過言ではない。昨年から清純さやセクシーさを強調してきたガールズグループの代わりに、堂々としてパワフルなイメージを掲げるグループが相次いで登場し始めた。今年はJYPエンターテインメントの新人ガールズグループIZTYが自らを「違う」と強調し、堂々として強い女性キャラクターを前面に出してデビューし、話題を呼んでいる。では、彼女らが叫ぶ「違う」、または「強い」という意味は何なのだろうか。近年、ガールクラッシュ的な面貌を強調して活動中のガールズグループの歌詞を通じ、彼女たちが表現する女性像について調べてみた。


ITZY、右往左往する10代

JYPエンターテインメントの新しいガールズグループ「ITZY」は、デビュー曲「DALLA DALLA」で、「きれいなだけで魅力がない子たちと私は違う」と話す。「外見だけを見て私をチャラいと思う」という評価は拒否する代わりに、自らを「I'm bad」と定義し、「分別のある考え」でなく、「自分勝手に生きること」だから「止めるな」と反抗を宣言する。同じ事務所のガールズグループmissAがデビュー曲「Bad girl good girl」で「私みたいな女は初めて」と言ったのを連想させたりするが、当時のmissAは「私をよく知りもしないのに、私の外見だけを見て情けない女だと見るあなたの視線」と他人、特男性の視線に対して話していた。反面、ITZYは他人と違う自分自身を強調するという点で、もっと自信満々に見える。ただし、彼女たちは「きれいばかりで魅力がない」人たちとどう違うのか、あるいはどのように「勝手に生きる」のかについては説明しない。また後半では、「頭を上げて君の夢を追いかけて」と少し教育的にさえ見えるメッセージを投げかけたりもする。しかし、何が違うのか自らも説明できず、人と違うと叫ぶ頑なエネルギーは10代の特徴でもある。また、ステージの上でメンバーのイェジが手を後ろに組んで前に出るダイナミックな動作や、「bad bad I'm sorry I'm bad」でユナとチェリョンのソロダンスに続きひざまづいて手を前に伸ばす振り付けは、歌詞が表現できなかった部分を舞台上のエネルギーで満たしたりする。今の10代の少女の視線を止めさせるエネルギーを見せようとしたのなら、その意図は明確に伝えられたと言っても良いだろう。


BLACKPINK、「悪い女」の恋

BLACKPINKの「BOOMBAYAH」でリサは「middle finger up F U pay me」という表現を使う。こうした卑俗語を自然に表現しているガールズグループは珍しく、それを攻撃的な態度というよりも自信に満ちた「イケてる女子」のキャラクターとして見せるのはBLACKPINKの特徴だ。「BOOMBAYAH」では、「すべての男たちは鼻血でパンパン」と言い、「望む時は露骨に奪うことができる」という自信を表している。ここにデビュー当初から彼女たちをファッショニスタにした派手な衣装、果敢なパフォーマンスなどが加わり、彼女達は圧倒的なイメージのガールズグループになった。しかし同時に「きれい」という言葉を欠かさず、「か細い体つきに隠されたvolume」のように、社会で理想的とされる美的基準を強調する。他人の注目を楽しんでこれを誇示する自信満々さを持ち「踊る明かり」の下で「終りを知らないうちに速く走った」りしたが,「今日はあなたと私若さをgamble」と言い、いまの楽しさを語りながらも愛に対する切実さを持っている。「Whistle」でも「すべての男が私を毎日check out」と言う自信は「このまま通り過ぎないで」という哀願につながり、「PLAYING WITH FIRE」では「私の全てをあなたという世界に投げたい」と語り、「AS IF IT'S YOUR LAST」でも「最後のように、明日がないように」相手に愛されることを願う。「BOOMBAYAH」でBLACKPINKは「middle finger up」と言ったりもするが、同時に「オッパ」と叫んだりもする。華やかで強気だが、心の中には男性からの関心と愛を望み、新派的(メロドラマ的)に見えるほど弱い部分があることを表すのだ。「ガールクラッシュ」を掲げながら異性愛者の男性ファンにもアピールできる戦略だが、同時にこれがまたBLACKPINKの限界とも言えるだろう。


CLC、主導権を握りたい女性

SBS MTV「THE SHOW」において新曲「No」で初の1位に上がる以前まで、CLCは一貫性が不足して見えるほど多様なコンセプトを経てきた。「PePe」や「NoOhOh」「High Heels」では溌剌とした可愛い女性像を表現し、「Where Are You?」では「Crystal Clear」の略語であるグループ名のように、清く清純に見えるコンセプトを試みた。一方、暗くて濃いメイクと強い振り付けを強調した「Hobgoblin」では、愛する相手に「今すぐ私を連れて行って」という切迫した心情を「金よ出て来い/銀よ出て来い」という独特な言葉で表現した。しかし、「もっと確実に私を見せる」ために「香水」や「Black dress」を自ら選んだことを強調した「Black dress」を経て、今やCLCは「私が私でいられる」ために「Red lip」と「Earrings」「High heels」や「Handbag」に象徴されるれる「見え透いた」ものに「No」を叫ぶ。「Hobgoblin」と「Blackdress」が「ガールクラッシュ」コンセプトのように強いイメージを見せながらも相手に選ばれたい欲望を表現していたとすれば、「No」では「私はあなたのためには変わらない」と宣言し、選択の主導権が相手ではなく自分にあることを語る。ただし、「No」で羅列されたアクセサリーに対する拒否は、結局「私に一番似合うLipstick」を探すためのものだったという結論に繋がり、「勝手に壊してみて」「私が一番自分であるように」という歌詞とは異なり、「狂った私」の前には「きれいだ」という修飾語が欠かせない。自ら選択し、自我を守ろうとする女性像の登場は意味がある。ただ、他者の視線が完全に除去されることができなかったという点は残念で、宣言的な歌詞の内容がどのようにパフォーマンスを通じて具体化されるかについての悩みはさらに必要と思われる。


(G)I-DLE、言うべきことは言う女性

(G)I−DLEのデビュー曲「LATATA」は、「長い」夜を「君と」過ごすという誘惑の繰り返しから始まる。これはソヨンのラップパートから「もっと深いところに入って私を含んで酔ってもいい」という求愛と、「Muah Muah Muah」というスキンシップの表現にまで進む。しかし、彼女たちは「私にあなたを閉じ込められるように」するために、つまり自分が望むやり方で関係を主導するために、「あなたのための」歌とダンスをすると語る。ガールズグループとしては異例的にセクシュアルな文脈をストレートな話し方で表現するが、相手ではなく自分が望むやり方で愛を語る。別れの前にしても言い返さない。少女たちは「HANN(Alone)」で「まるで何か薬を飲んだみたいに変わった」という直感的な表現で恋人の心変わりを描き、「あなたは世界で一番の悪」という冷めた恨みまで叫ぶ。そして簡潔かつ明確に宣言する。「あなたを忘れる」と。「あなた」について語りつづけるが、歌詞には登場しない「私」の視線が歌の中心である。(G)I−DLEたちは、女性の力を強調するために何かをぶち壊すような躍動的な姿を舞台の上で演出したり、「悪い女」を標榜したりはしない。ただ、恋や別れといった普遍的な感情を徹底して彼女たちの視線と言葉で語り、「言うべきことは言う」女性像を見せてくれる。アイデンティティの宣言よりも、関係の中で自ら語る方法を磨いていく。よく理解される「ガールクラッシュ」コンセプトとは多少異なるが、まさにその差が(G)I−DLE達のユニークさになりうる。


文キム・リウン

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1年前の記事ですが、あげ損ねてたので今更ですがあげます。


この記事の後でた曲を見てみると、ITZYの「ICY」は一見冷たく見えるけど中身は熱い的な歌詞で、CLCの「Me美」はやはり美しさについての曲でしたが、「Devil」はまたちょっと違う感じの怖さがある曲でした。ITZYに関しては日本で言うとSPEEDみたいなものを感じるので、それはやはりティーンならではの健全かつ溌剌としたエネルギーを表現しているという事なのかな。そうなるとやはりそのエネルギーを曇りなくまっすぐに受け止められるのは同じ10代なのかもしれないですね。ファンと一緒に成熟していく感じという。

(G)I−DLEは「Uh-Oh」や「LION」などやはり独特の主体性のある楽曲をリリースし、特にQueendomでの「LION」のパフォーマンスは圧巻でした。正直KPOP界でHIPHOPブームがちょっと去って(若手hiphopアーティストがジャンルとして確立してきてアイドル化してきたのにも伴い)特に女性グループではYGくらいしかちゃんと音楽的にもアティチュード的にも表現に積極的に取り入れているグループがほぼなくなってしまったので、ソヨンの今後にはNADAくらいの期待をしていたりして。

BLACKPINKはここで指摘されていた「愛」を歌いつつも過去の曲よりかなり強い歌詞イメージの「Kill This Love」でカムバし、一気にプリンセスイメージからクイーンへと成長した感じでしょうか。本当はこの前の2018にDDU−DU DDU−DUという大きいステップがありましたが、なぜかこの記事では触れられておらず。DDU〜は明確にBLACKPINKの歌う女性像に変化があった曲なので、この記事の論に添いにくいから除外されたのかもしれませんけど。

 

私は特にいわゆる「女性グループをメインに推してる女子オタ」ではない女子のKPOPオタなのですが、そのような層もファンになったりしやすいのがいわゆる「ガールクラッシュ」の事ではないかと思っていて(女子ドルをメインで好きな女子オタの嗜好はまた違う特有の感じもあるように思うので)、その流れで行くと今思い返して自分が最初にガールクラッシュだと思ったのはYGの2NE1で、その出現を受けて当時SMなりの定型の女性らしさとはまた違う形を追求したのがf(x)だったのだろうと思います。ソロだとヒョナとかもいましたが。

そこから今のガールクラッシュブームが来るまでにはまた少し間が空いて、2014の江南駅殺人事件に始まるいわゆるミソジニー的事件によって若年層を中心にフェミニズムの流れが来たことも大きなきっかけではあると思いますが、具体的にはMAMAMOOの登場と女性版Show Me The MoneyだったUnpretty Rapstarのヒットが実際の韓国のエンタメ業界に与えた影響としては大きかったんじゃないかと思います。特にMAMAMOOは歌詞やコンセプトで直接的に「ガールクラッシュ」というものを表現していたわけではなかったけど、グループの素のスタンス的に自然とガールクラッシュ的なものとみなされ女性のガチオタに愛されていった経緯があると感じています。異性の目線が第一にあるわけではない自然な女子の姿というか、女子校の憧れ仲良しグループ(先輩たちいつも4人で楽しそう的な)みたいな雰囲気が女性のファンも多い理由のひとつにあるんじゃないかなと思います。キャンプなDecalcomanieのMVも作られた感じがしないのは、彼女たちのキャラクターそのものにハマってたからでしょうし。また、原始のガールクラッシュは「強い女」や「カッコいい女」だけではなくもっと広義の意味での「女性の主体性」を含んでいて、例えば女性アイドルからの人気も高いOH MY GIRLやRED VELVETなんかはどちらの類型にもそのまま当てはまるわけではないけど、日記やお気に入りのぬいぐるみや人形と対話するみたいな「女性の内面にあるマイワールド」に焦点を当てているという点で、これもまたガールクラッシュであると言えたと思います。

 

しかしこれが一旦「コンセプトとしてのガールクラッシュ」という事になると、どうしても「強い女」「かっこいい女」「自分で選ぶ女」というような典型に偏りがちで、本来のガールクラッシュの上澄みをすくっているにすぎなくなる危険もはらんできているようにも感じています。例えば過去CLが書いた歌詞が「強い女のイメージらしくない」と批判を受けたりした事があったというのも典型で、その人が表現したいことを表現するか否かではなく、結局大衆の好むような特定の形にはまらない女性像を批判するという意味では、「女らしくない」女性像を批判する事とあまり変わらなくなってしまうのではないかという気がします。ステレオタイプを壊すために生まれたものが定型化してしまうと結局それがまた新しいステレオタイプになってしまうという。

そういう意味では、2NE1の後にデビューしたBLACKPINKが半分は「女性らしさ」「ステレオタイプ的な美しさ」を否定しないコンセプトになったのはそのような傾向へのカウンターとも取れますし、表向きとっつきやすい明るさを表現するREDとその裏の複雑な心理を秘めたVELVETを自在に使い分け、堂々と共依存のような関係をも歌うRED VELVETや、「典型の女性像代表」のように言われてきたTWICEが新しい姿に脱皮した時に歌ったのがまた別の典型の女性像ではなく女性同士の連帯だったというあたり、トレンドを追うのではなく作り出す先頭グループのアティチュードのように感じられるのでした。

【ニューストマト】『ユンヒへ』イム・デヒョン監督、東アジア女性とフェミニズムについて

『ユンヒへ』イム・デヒョン監督、東アジア女性とフェミニズムについて

http://www.newstomato.com/ReadNews.aspx?no=931296

2019-11-05 16:49 キム・ヒギョン

 


イム・デヒョン「女性の物語作品を作ることについてとても悩んだ」

キム・ヒエ「女性が中心であっても面白い映画だと証明されることを」


「韓国と日本の女性は確かに違います。しかし、男性中心的な社会秩序が強固に成立した国で生きてきたという点では似ていると思いました。「ユンヒへ」は東アジアの女性たちが互いに連帯し、愛を分かち合う姿を見せたかった」(イム・デヒョン監督)


イム・デヒョン監督が寒い季節を迎えるにあたり、「暖かいマフラー」のような映画を準備した。単に一人の女性のロードムービーとも見られるが、広く解釈すれば東アジア社会に生きる女性たちの物語を描いた宝石のような映画が訪れる予定だ。


5日午後、ソウル広津区ロッテシネマ建大入口店では映画「ユンヒへ」(イム・デヒョン監督)マスコミ試写会と記者懇談会が開催された。同日の席にはイム・デヒョン監督をはじめ、俳優のキム・ヒエ、キム・ソヘ、ソン・ユビンが出席した。


「ユンヒへ」は感性ロマンス映画で、偶然一通の手紙をもらったユンヒ(キム・ヒエ)が忘れていた初恋ジュン(中村優子)の記憶を求めて日本の小樽に向かう話を描いた。2019年釜山国際映画祭クロージング作にも選定され、封切り前から多くの話題を得た作品だ。


イム・デヒョン監督は「男性として、該当作品をできるだけ女性の目線で眺めるために努力した」と口を切った。「台本を書くにあたり一番悩んだのは、男性として女性のストーリーを解いていくのが果して穏当なことなのかという事だ」打ち明けた。しかしそれでも「ユンヒへ」に挑戦した理由は、それだけの価値があるからだと打ち明けた。


「もし(女性を)僕と違う存在、あるいは遠くにある存在だと思っていたらこのような作品は出なかったはずです。しかし、私たちの周りにはすぐそばに母と妹がいます。代理経験ができる存在がありました。彼女たちの目で見るために自らを疑い、質問もたくさんしたと思います」(イム・デヒョン監督)


今回の映画では韓国女性のユンヒと日本女性のジュンとの初恋を描いた。似ていながらも確実に異なる2人の違う国籍の女性。イム・デヒョン監督は韓国と日本の共通点として「長い間男性中心的な社会秩序が成立している国」と説明した。


「韓国の書籍『82年生まれキム・ジヨン』が日本で大ベストセラーになり、日本の書籍『女ぎらい ニッポンのミソジニー』が韓国でベストセラーになる事が偶然とは思わないです。このようにフェミニズムの話題が時代精神として定着しているこの時点で、東アジアの女性たちが互いに連帯し、愛を分かち合う姿を映画でお見せしたかった」(イム・デヒョン監督)

 

キム・ヒエは今回の作品を演じながら、同性愛と異性愛の違いを念頭に置いては演じなかったと説明した。劇中のユンヒと娘のセボムの家族が二人でもお互いに完全な存在になるように、ユンヒとジュンも彼女たちだけの完璧な愛だからだ。

 

「私は、ある意味娘と一緒に旅行に行くシンプルなロードムービーとして見ても良いのではないかと思いました。一人の女性が忘れていた思い出を求めて旅立つ穏やかなドキュメンタリーとでも言えるでしょうか。題材のプレッシャーは気にしませんでした。中村さんとの呼吸はとてもよかったです。俳優さんの目を見た時に本当に真心が感じられ、私もその方に報いる演技を差し上げるために最善を尽くした記憶があります。お話は長くできませんでしたが、目で全部したみたいです」(キム・ヒエ)

 

キム・ヒエは最近、大韓民国の代表的な俳優として有意義な演技的変身を試みている。「Her Story」では慰安婦被害者たちに身を捧げるムン・チョンスク次長に変身し、「優雅な嘘」ではこの世を去った末娘の秘密を暴くため、過去を取り戻そうとする母ヒョンスクに挑戦した。その他にも「消えた夜」「セシボン」など多彩なカラーの映画に顔を出し、その存在感をアピールしている。これからも彼女は「女性キャラクターの多様性を構築できる作品が出ることを望む」と口を開いた。


「私はもうこの年齢なので、配役の大小よりは面白いシナリオである事が作品選定の基準になりました。私の年齢で主演になれる作品はほとんどないと思っても構いません。でも『ユンヒへ』を通じて私たちのような女性キャラクターが前面に出てもできるのだということをお見せしたいです。既存の映画界に存在する先入観を破ることができる力になればと思います」


イム・デヒョン監督の暖かな目線とキム・ヒエの情熱的な挑戦が合わさった「ユンヒへ」。果たして今秋の観客の心を温かく溶かせる映画になれるのか、帰趨が注目される。封切りは14日だ。

 

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キャストとストーリー、舞台の殆どが小樽ということで個人的に興味がある映画の関連記事を訳しました。

「女ぎらい」は上野千鶴子氏の2010年の著作で、韓国では「女性嫌悪を嫌悪する」のタイトルで翻訳出版されており、今でも韓国ではフェミニズムの入門書としてよく推薦されているようです。

【ハンギョレ21訳】ユンヒからユンヒへ(映画「ユンヒへ」)

ユンヒがユンヒに

「「自分」なしに生きたあなた、

キム・ヒエ主演の映画「ユンヒへの手紙」

 

ホ・ユンヒ記者

登録:2019-11-15 15:44

修正:2019-11-18 15:28

http://h21.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/47861.html

*映画「ユンヒへ」のネタバレが含まれています。イム・デヒョン監督の電話インタビュー、映画試写会の取材をもとに記事を手紙形式で構成しました。


To. ユンヒ

 

ぎゅっと結んだ髪に化粧気のない顔。仕事場に向かう車の中で窓の外を見る時も、家でフォトアルバムを探して見る時も、街を歩く時も。どこかを見る目は寂しく寂しく見えます。あなたの娘はこう言います。「ママとパパが離婚する時、私はどうしてママと暮らすと言ったんだろう?」「ママはパパよりも寂しそうだったから」。幼い娘にも抱かれた寂しさは、どれほど深いことだろう。

 

映画「ユンヒへ」(11月14日封切り)で、中年女性であるユンヒ、あなたの厳しい生活を見ました。学校給食の調理師として働いて、離婚して高等学校3年生の娘、セボム(キム・ソへ)とふたりで暮らしていますね。たまに酒を飲んで訪れる前夫の訪問以外に特別なことはなく、ただ平凡に生きていきます。いや、一日一日を耐えているようですね。


ある日、日本から来た手紙が届きましたね。ユンヒへで始まるその手紙は、初恋の人からもらったラブレターです。

「ユンヒへ。元気?長い間こう聞きたかったんです。あなたは私を忘れたかもしれませんね。もう20年も経ったので。急にあなたに私の消息を伝えたくなったみたいです」


初恋、20年ぶりの手紙

この手紙をもらって、予定のない日本旅行に行きます。娘と一緒に。あなたが行った北海道の小樽は雪の地ですね。腰まで積もって目に眩しいほど美しい。そこで。あなたの初恋を見ました。あなたのように寂しい目をした中年女性ジュン(中村優子)を。韓国で青少年時代を過ごした彼女は、両親の離婚で日本に帰って叔母と住んでいます。獣医として働いているジュンは可愛い猫を一匹を飼っています。


タクシーに乗り、初恋の人のいる家の前まで行ったあなたは、ジュンが家から出てくると隠れてしまいます。遠くまで彼女に会いに行って隠れるしかないあなた。何があなたを阻んだのですか。そんな風に彼女には会えずに、ある居酒屋に入って彼女に会ったかのように話すあなたは悲しい嘘をつきますね。友達に会ってご飯を食べて話をしたと。その頃ジュンは、自分に好感を持つ別の女性に言います。自分のセクシャル・アイデンティティを隠して生きなさいと。これまで自分がそのように生きてきたように...。異性愛中心の日本社会で、ジュンもあなたのように自らのセクシャル・アイデンティティを隠しながら生きてきました。


今まで自分の本音を言わなかったあなたはジュンに送る手紙を書きながら、自分がどういう風に暮して来たかを語ります。同性愛者である自分を否定した家族の話、精神科の治療を受けなければならなかった過去、兄の紹介で強制的に結婚するしかなかったということを。兄だけを大学に行かせ、自分は女だという理由で大学進学の夢をあきらめたという話も。そんな彼女を可愛がっていた母が、あなたにカメラを買ってくれたという話を...。その時になってあなたを少しは分かったようでした。長い間、抑圧された人生を生きてきたことを。異性愛の家父長的な家族制度の中で、女性でありセクシャル・マイノリティとして生きてきた彼女が耐えてきた人生はどれほど大変だったでしょうか。自分に与えられた人生が「罰のように感じられた」というあなたの言葉は、生きることがどれほど苦痛だったかを物語ります。


制作段階では、あなたが出る映画のタイトルは「満月」だったそうです。英文のタイトルは「Moonlit Winter」です。そういえば、映画の中で満月がよくカメラアングルに収まっていました。満月、三日月、半月。イム・デヒョン監督が語ってくれました。「映画の中の月は、重層的な意味を持つメタファー(隠喩)」だと。三日月から満月になっていくように、徐々に元の自分の姿を表わす月のように、ユンヒ、あなたが自分の姿を取り戻す意味があると。愛への懐かしさがこみ上げてくるという意味もあります。

 

満月のように自分を探す

あなたとジュンの恋物語の他にも、他の人の恋も見せてくれますね。ジュンと同居する叔母さんは、とても昔に6ヶ月ほどの短い時間つきあったその人がまだ時々懐かしいと言います。自身も一生恋しく思い出す人がいたと照れくさそうに告白する叔母。姪のジュンを育てながら生きてきた叔母の心の片隅にも懐かしい恋がありましたね。あなたの10代の時の姿に似ているところが沢山あるという娘、セボムの愛は甘いです。学校の運動場に捨てられていた手袋を繕い、片手づつはめたセボムとボーイフレンドのギョンス(ソン・ユビン)。日本の旅行までついてきたギョンスとセボムが母親の知らないうちに秘密のデートをするシーンは、静かで穏やかな映画に笑いをぽんぽん飛ばします。あなたとジュンが恋愛していた時の姿もこうだったんでしょうか?

 

あなたにもジュンにも、隣でエールを送ってくれる存在たちがいますよね。ジュンのそばには叔母さんが、あなたのそばには娘のセボムが。ジュンとあなたをまた会わせてくれた方は叔母さんです。ジュンが20年間、送れなかった手紙を代わりに送ってくれたからです。娘も日本旅行を提案してあなたの愛を応援します。彼らの言葉のない応援は、連帯の別名ですね。お互いを各自のやり方でなだめて慰め合いながら、ずっと生きていこうと手を取り合ってくれているようです。


いよいよ、あなたは20年ぶりにジュンに会います。あなたを先に見つけたジュンが「ユンヒ?」と立ち止まり、ジュンを見たあなたは、彼女と数メートルの距離を挟んで立ちじっと見つめあいます。何も言えず、目尻がしっとりと濡れていましたね。20年ぶりにとても会いたかった初恋を目にしたあなたは、息を殺して泣きます。そして無言でジュンと距離を置き、並んで雪道を歩いて行きます。一緒に歩くその雪の降る街がとても暖かく見えます。


映画の最後に、娘がある食堂の面接を受けるあなたを撮っています。「小さな食堂を構えたい」と初めて「未来」を語るあなたは、その夢に向かって第一歩を踏み出していますね。その時になって、映画では終始あまり笑わなかったあなたが笑います。ナレーションであなたの声が聞こえます。

「元気?あなたからの手紙が届いたらすぐにあなたに返事を書くよ。私も時折あなたのことを思い出したし、あなたのことが気になっていたよ。すべてが信じられないくらい昔のことになってしまったね。あなたは恥ずかしくないと言っていたよね。私もこれ以上、自分を恥じたくない。そう、私たちは間違っていないから。いつか私の娘にあなたの話をできるかな?勇気を出したい。私も勇気を出せるはず。」


ユンヒとして生きるということ

あなたが今まで必ず隠してきた自分を、探しに行きましょうか?本当の自分の姿がどうだったのかさえ分からずに生きてきたあなた。これからはセボムの母ではなく、ユンヒという名前で完全に自分の人生を生きていくことができるのでしょうか。この問いにイム監督はこう言いました。この映画は、中年女性が初恋の人を探し求める過程で自我を探し新しい人生を生きるという点で、女性の成長ドラマとも言えます。あなたはこれからセボムの母親ではなく、レズビアンであるユンヒが描くことの出来る中年女性の物語を作っていくんでしょうね。


映画は終始、愛について質問を投げかけます。愛とは何だろう。他人を愛することは誰もができるわけではない勇敢なことだと映画は伝えます。誰かにとってはもっと勇気を出さなければならない愛。叶えられなかった初恋を抱いた世の中のすべてのユンヒに映画は「どんな恋でもいいのだ」と慰めて慰労します。一人で苦しんで息を殺して泣いている「ユンヒ」たちにユンヒが伝えます。


From. ユンヒ

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映画『ユンヒへ』特別映像 - YouTube

(元々リンクしていた韓国の動画が見られなくなったので、他のリンクに差し替えました)


「ユンヒへ」は2019年の釜山国際映画祭でクィアカメリアアワードを受賞した作品です。同性愛者の中年女性の姿を描いた点で韓国版「キャロル」とも言われているようです。娘のセボム役はI.O.I出身のキム・ソへでした。

主演のキム・ヒエが「私の年齢では主役になれる映画はかなり少ない」と語っていたのも印象的でした。確かに中年以上の女性が主演の韓国映画は今でもあまり多くないかもしれません。これを書いた記者の方の名前もユンヒなので、こういう形式になったのかな。

 

【京郷新聞訳】「心の病」告白するアイドル···相次ぐ活動休止にファンは「応援」

【京郷新聞訳】「心の病」告白するアイドル···相次ぐ活動休止にファンは「応援」

 

イ・ユジン記者2020.01.23 15:13

http://m.khan.co.kr/amp/view.html?art_id=202001231513001&sec_id=960100&artid=202001231513001&code=960100&__twitter_impression=true

 

アイドルが「心の病」を打ち明け始めた。グループ少女時代のメンバーテヨンがうつ病の診断事実を明らかにしたのを皮切りに、歌手のカン・ダニエル、歌手のヒョナ、MONSTA Xメンバーのジュホン、TWICEメンバーのミナ、OH MY GIRLメンバーのジホらが不安症状・うつ病を患っていると打ち明けた。

 

「悪いところはないと思っていました。先送りにしてきて、大丈夫だと言い聞かせてきて初めて2016年に病院に行きわかりました。私も辛かった...1年は信じられなかったと思います。今は無理なく2週間に1回こつこつと治療受けているし、悪い方向に考えないようにしてます」

昨年11月、歌手ヒョナは自分のSNSでうつとパニック障害を患っているという事実を打ち明けた。続いて突然の失神経験に触れ、「脳波などを色々検査しているうちに『迷走神経性失神』という病気にかかったことを知った。『私が病気だと知られたら、誰が探してくれるだろうか』という心配が先立って話せなかった。倒れるたびに申し訳ない気持ちになった。これからはたくましく自分自身を愛し、世話を焼くつもりだ」と明らかにした。


これに先立つ6月、グループ少女時代のメンバーテヨンも自分のSNSを通じ、うつ病の診断の事実を明らかにした。「うつ病かよ」と皮肉る悪質なコメントに対し、「うつで苦しんでいる。薬物治療も熱心にしているし、治ろうと努力している」とし「うつ病でも偏見の目で見ないでほしい。みんな病気の患者なんです」と打ち明けた。「辛いことが辛い」と言ったテヨンの勇気に多くのファンの応援が続いた。


これまでアイドルは、病気になっても「辛い」と言えなかった。もしステージで倒れたり具合が悪くなったりすると「ファンに申し訳ない」という立場が先に出た。そんな彼らが「心の病」を打ち明け始めた。昨年下半期から活動休止を宣言したアイドルも十数人いる。グループTWICEのメンバー・ミナを皮切りにグループSEVENTEENのS.COUPS、グループOh My Girlのメンバージホ、グループMONSTA Xのメンバージュホン、グループ宇宙少女メンバーのダウォンなどが不安症状のため活動を中断した。来月、ミニアルバムをリリースするグループLOONAは、「メンバーのハスルが繰り返し不安症状を見せたため、カムバック活動には参加しない」と明らかにした。


昨年8月、ソウル永登浦区汝矣島洞のKBSホール前で数百人のファンと記者たちが音楽番組「ミュージックバンク」に出演するため出勤したアイドルグループを撮影している。


歌手カン・ダニエルはうつ病パニック障害の診断を受け、昨年12月に活動中止を宣言した。カン・ダニエルは活動中止宣言の前日、ファンカフェに「明日が来るのが怖い。誰か助けてほしい」と心境を吐露していた。同月、社会服務要員として代替服務を始めたVIXXレオは、入隊のニュースとともにうつ病を患っていると打ち明けた。所属会社Jellyfish側は「VIXXレオは2013年からパニック障害うつ病を患っており、現在まで薬物治療をしながら乗り越えようとしてきたが、やむを得ず社会服務要員としての代替服務を宣告された」と伝えた。


複数の関係者によると、これまで芸能プロダクションはアイドルの精神疾患に対して薬物治療中心の対応をしてきた。心理相談治療などを並行して支援する企画会社もあった。しかし、大半の企画会社が所属歌手のうつ病など、精神疾患の診断の事実を外部に知らせることを嫌がった。明るく元気なアイドルのイメージへの打撃や、活動休止による収益の減少が原因だった。デビュー20年を超えたグループ神話のメンバーのキム・ドンワンはソルリの死亡当時、「多くの後輩たちがお金と名声が与える甘さに向かい、どれほど心の病気を患いながら働き悩んでいるか」「本人が望んだり、あるいは手っ取り早い解決のために薬物の勧誘を受けるような事をこれ以上傍観してはいけない」という長文の文章をSNSに掲載した。


ファンは、「アイドルが病気だと言える時代が到来した」とむしろ安堵する。ジホのファンというキムさんは「ファンたちは皆、ジホが十分な休息期を持つことを願っている」とし「自分が好きなアイドルが辛いのを隠して活動することを願うファンはいないだろう」と話した。カン・ダニエルファンのᄀさんも「長くかかっても良いからゆっくり休んで元気に戻ってほしい。いつまで待つ」と言った。

 

ある企画会社の関係者は「近頃はファンが先にアイドルの精神健康を懸念し、活動中断や休息を会社に求めることもある」とし「無理な活動強行よりはアイドルの安定を優先する雰囲気が形成されてきたようだ」と話した。また「ソルリやク・ハラのように長い間うつを患っていた人々が最近亡くなり、企画会社が精神健康問題を深刻に認識するようになったのも、変化の雰囲気に一役買った」と付け加えた。

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韓国アイドルのメンタルの問題に関してはアンチや悪質なコメントのような外部からの要因がよく言われますが、それ以上に色々な意味でファンとの距離が近すぎるというのもかなりの要因ではないのかという自覚が業界全体に欠けているというか、わかってるけど看過してるのかわかりませんけど....スケジュールにしても、深夜までMV撮影とか飛行機の長距離移動の繰り返しみたいな生活と睡眠リズムが狂うような働き方は自律神経の乱れの元凶でしょうし(ヒョナの迷走性失神とかまさにそれでは)、特に長期的な昼夜逆転や睡眠不足はうつ症状(抑うつ症状とうつ病は別のものですが、韓国の報道だとそのあたりがはっきりしません)の大きな要因になるというのはわかってきてるので、その辺も根本的な改革も必要なのかもしれません。寮生活なのもそういう仕事の仕方に向いてるというのもあるんでしょうけど...それでもだんだん変わってきてるとは感じますが、韓国の10〜20代の自殺率の高さを考えると日本とはまた違う方向で抑圧的な社会であることも間違いないでしょうし。そういう中で「公言できるようになった」というだけでもいい事だとは思います。

日本のアイドルでも精神的な問題で休業するケースは最近珍しくありませんが、日本の方が良くも悪くも自由に発言している感じはします。韓国のアイドル界隈は少しの瑕疵を徹底的にファンの側が矯正しようとする雰囲気も強いし、それがいい事だと認識されていますし。それゆえに今の韓国アイドルはいろんな意味で「正しさ」を追求したい気持ちが強い人たちが国問わず一見惹かれやすいジャンルなのではないかと思う部分もありますが、アイドルの言動や行動が常に社会やファンにとって「立派に」「正しく」フィルタリングされて公に出さざるを得ない事、その時に背後にある精神的圧力とか社会的背景までは見えづらいのかもと感じる事も多いです。

「ファンも応援」というのは当然のことではないかと個人的には思いますが、そのファンを気にしすぎているのではないかという部分もこの文章からするとまだまだ強いように感じます。病気によっては気にかけすぎる事が症状を悪化させる要因には十分になりうるし、そっとしておいてあげるという感覚も必要な気がしました。自分がメンタルの問題で休まなきゃいけない時にGetWellSoon○○みたいなハッシュタグがトレンドに入ったら余計辛いのではないかと思うし。忘れてないし応援してるよというのを表明するのも大事だと思いますけど、それは休止明けに暖かく迎えればよいだけで、しばらくファンの事も考えない方がいいですよね本当は。単純にパフォーマンスをしてそれを楽しむだけの関係性だったらアイドルとファンの間にそこまでのストレスが生まれる事はない(創作とか鍛錬に関する悩みはあるでしょうが)はずですが、アイドルとファンの関係性はそれだけではないゆえに「アイドル」というものが特殊な独立したカテゴリーとして存在するわけで、そこの「関係性」のバランスや距離感が難しいのかもしれません。


【質問箱】PRODUCEシリーズ投票操作事件について

【質問箱への投稿より】

PRODUCEシリーズの投票操作事件で、X1は解散に追い込まれましたね。

 

そもそも、数多くの芸能事務所の練習生を101人(PRODUCE48では96人)集めて、そこから視聴者投票で選抜して、10人前後のアイドルグループを作るという、PRODUCEシリーズの仕組み自体に無理があったと思います。このような仕組みでは、事務所関係者が番組プロデューサーを接待して、投票結果に手心を加えてほしいという動きになるのは当然でしょう。

 

また、近年の韓国におけるアイドルグループは、東方神起、スーパージュニアなどのように、10年単位で活躍している事例もあるのに、I.O.Iは1年、wanna oneは2年半、X1は半年(当初は5年活動する予定でしたが)と短命です。各メンバーの所属事務所が異なるせいで、このような契約になったのかもしれませんが、結果的にPRODUCEシリーズは、短命グループの量産番組になってしまいました。

 

結局、1つの芸能事務所だけで、グループを結成させる、古典的なやり方のほうが無難なのかもしれません。

2020年1月7日19:15

https://odaibako.net/detail/request/894c073da36f4d22bfffe98f2e80279a

 

申し訳ないんですが、全体的に自分が思うところのプデュとそれに伴う諸々の流れみたいなものへの認識がご質問者の方と結構違うように感じまして、その辺りについても補足も交えた結果長くなったのでこちらに載せます。

 

「PRODUCEシリーズの仕組み自体に無理があったと思います」というのは今だから言える事だと思うので、今それ言う事に意味ありますかね?

そもそもこの企画はAKBの総選挙システムをベンチマークしたもので、ほぼ人気投票だけで色々な事務所から練習生を選んでグループを作れば最強人気のグループが出来るのでは?という趣旨のもとで始められたある意味イベント的な企画だったと思います。「事務所関係者が番組プロデューサーを接待して、投票結果に手心を加えてほしいという動きになるのは当然でしょう」とありますが、それこそMnetの親会社であるCJが直接投資している芸能事務所(調べればわかることなので具体的な名前は出しませんが)の練習生も何人も参加しており、最終グループのメンバーにも選ばれています。そのような事情もあり、韓国では最初のプロデュースシリーズの時から忖度や票操作疑惑については国会で取り上げられるレベルでもずっと言われ続けていました。更に、アイドルが多く出るメディアであるMnetとそこに「出させていただく側」の芸能事務所という韓国内での特殊な関係性や権力構造を考えれば、本当は出したくなかったけど練習生を出さざるを得なかったので(略)というような事務所もいるかもしれません。韓国の練習生システムは育成自体にかなりのお金がかかるため、練習生がある程度の数所属している中堅以上の事務所的には、自分たちがお金と時間をかけて育てた練習生を自分たちが総取り出来ない外部マネージメントの環境でデビューさせるよりは、自分のところで作ったグループで人気が出て欲しいと考える方が普通だと思いますし、当初はそういう考え方の事務所が多かったんじゃないかと思います。だからイベント的に少しでも注目を受けて本格的なデビュー前に知名度が上がればいいなくらいの思惑で参加した事務所も多かったんじゃないでしょうか。

「結果的にPRODUCEシリーズは、短命グループの量産番組になってしまいました」とありますが、それはこのような事情を踏まえれば当たり前の事ではないかと思います。ほとんどの事務所的には少なくとも当初はプデュに出ることや選ばれることは最終目標ではなくあくまでもその先の事務所でデビューさせるまでのプロモーション的な感覚だったはずだと思いますから、プデュでのデビューグループはむしろ期限つきでなければ困るのでは。特にシーズン1の頃はどの程度成功するか誰もわからなかったわけで、そんな状況では期限つきでもなければ出そうと考える芸能事務所事務所は少なかったのではないかと思います。

(実際にデビュー後の活動期間で揉めてデビューが霧散したサバイバルもありました)

むしろ期限つきだからこそデビュー後もファンドムが盛り上がった部分もあるのではないかと思いますし。ご質問者の方がどの辺りからプデュを見ていたのかはわかりませんが、目的自体が異なるプデュ発のグループと、東方神起やSJのような最初から事務所がなるべく長く活動させることを目標に作ったであろうむしろ正反対のグループを比較するのかがよくわかりませんでした。
(10年選手のグループが特に男子で増えてきたのは単純に韓国の社会的文化的変化でアイドルファンドムの寿命自体が伸びてる事が大きいと思いますし、ここでの話と全く関係ないとおもうんですが)

 

この辺りの状況はシーズン1・2・48・Xとシリーズが重なり、さらに「プデュ以降の参加者の状況」というものがだんだん明らかになっていく中で、徐々に変化していっただろうなとは思います。プデュ出演者につくファンドム規模が侮れないという事がだんだん確実になってきたために、特に中小ではより本腰を入れる事務所も増えてきたでしょうし、個人の素質次第では小さな事務所でも最終デビュー組に入らなくてもある程度のファンダムを形成する事ができるという点は、プデュシリーズの最もよいところではないかと個人的には思っています。しかし一方でその「ファンドム」そのものがプデュの弱点でもあって、韓国のアイドル的に一番の問題は「オタクに人気がある子が客観的に見て実力もトップクラスとは限らない」「オタクが選んだメンバーを並べても技能的なバランスがとれるとは限らない」という点ではないかと思います。「票操作や忖度については以前から疑惑はあった」と最初の方で書きましたが、それでも今回まで問題にならなかったのは、最終的に選ばれたメンバー達が人気・ボーカル・ダンス・ラッパーとなんとなくある程度「国民」を納得させられるようなバランスの組み合わせだったからというのもあったのかもしれません。しかし、純粋に当初の目的どおり国民投票を最重視したとしたらリアルではもっと偏ったグループができる可能性が十分あったはずです。また、今まで問題にならなかった(あったけどそこまで真剣に取り上げられなかった)背景にもやはり「ファンドム」の存在が大きいと思います。単に今までは選ばれたメンバーのファンドムの方が選ばれなかった練習生達のファンドムよりも「強かった」から疑問の声がそこまで大きくなることもなかったのが、今回は特にファンドムの強い(声がデカい)男性アイドルの選抜だったことと、契約期間も通常のアイドルグループtと同様レベルに長くなったこと、選ばれたメンバーとそれ以外の練習生のファンドムのパワーバランスがそこまで差がなかったがゆえに、たまたま今回表沙汰になっただけなのではないかという感じがします。


結局そのあたりのさじ加減とか番組演出としてのドラマチックさ、事務所の思惑などなど色々な事情が絡みあって今回のような事態と結果になったのではないかと想像できますが、実際に操作に関わった事務所や誰がどのように操作されたのかという事実がはっきりと公式で明らかになることはないと思いますし、どのような意図で操作があったのかが公にならない限りは問題の根本がわからないままなので、とりあえずなんとなくの憶測や想像に留めておくしかないですけどね。

 

個人的には最初の目的通りに期限つきのイベント的なグループを作るシステムしてならプデュの存在は意義があったと思いますけど、(むしろ「短命グループ量産番組」だったから成り立ってたし意義があったのではないかと思います)なまじ巨額のマネーが動くようになったせいなのか活動期限を伸ばしたり等周囲が諸々色気を出し過ぎた感じですし、そこに韓国のペンドム特有の正義感と良くも悪くも政治的なスタンスが衝突した事で、結局一番割りを食ったのは一番頑張ったし苦労しただろう当事者の練習生達だったというのがなんとも後味の悪い話でした。今の韓国のシステムでは、サバイバルで活動期間に制限をつけないグループを作る事は、実際の事務所の利害関係を考えるとかなり難しいのではないでしょうか。事務所の規模によってメリットデメリットに差がありすぎるように思うので。それなら日本のプデュのように全員事務所無所属のメンバーから選ぶサバイバルのほうが理にかなってるし、選考自体も所属事務所の影響力という点では公正になりやすいと思います。

 

プデュが一番盛り上がってた時期にもっと人気が出たはずの中堅グループもたくさんいたかもしれないと考えると、結果的に場を荒らした割に後世へのプラスの影響がほとんどなかったのかもという気もします。事務所内サバイバルなら事務所という共通の敵に向かってファンドムも最終的には一致団結出来ますけど(?)、プデュは個人推しファンドム同士がデビュー後も足を引っ張り合うというよくない見本も作ってしまいましたし。

プデュきっかけで世に認められた人たちもいたし、その瞬間瞬間に最高の煌めきがあったからいいのかな...でも、その後もアイドルとしての人生は続く人がほとんどでむしろ入り口に立ったばかりの人も多いわけで、それを考えると色々刹那的すぎないかという感想です。

 

ところで、「1つの芸能事務所だけで、グループを結成させる、古典的なやり方」というのもちょっと気になりました。日本ですらメンバーの所属事務所が最初から違う期間限定じゃないアイドルグループ自体がAKB関連しかないですし(それも最近は最初はAKSに入ってそこから移籍するパターンの方が増えてるとツイッターで教えて頂きました)卒業システムなど流動的かつメンバー単推しのファンが多い女子アイドルだからこそ有効なやり方ではないかとも思うので(実際男子ではほぼないですよね)事務所が違うメンバーを集めて期限つきじゃないグループ作ってる方が少ないというか他にほ成功例はないですよね。そういう状況でひとつの事務所でグループを結成させることを「古典的なやり方」と呼んでいいんでしょうか。「王道」とかならわかります。