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韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【メディアSR】[インタビュー]女子アイドルの限界を破る...「Queendom」プロデューサー チョ・ウリ

【メディアSR】[インタビュー]女子アイドルの限界を破る...「Queendom」プロデューサー チョ・ウリ2019.11.11

http://www.mediasr.co.kr/news/articleView.html?idxno=55402


可愛さ、あるいはセクシーさ、よく女子たちはこの二つの修飾語で定義づけられたりする。彼女たちがそのような枠組みを拒否しても、長い間固着してきた市場論理は「女子アイドル」に望むイメージを規定し、彼女たちの新しい試みが生まれる事さえ許さないようにする。こうした状況でMnetの「Queendom」の登場は喜ばしい。女子アイドルに新しい試みを思いきりやる機会を与えることで、「Queendom」は対象化に終わってしまう女子アイドルに主体性を与え、新たなページを切り開いた。可愛くなくてもセクシーでなくても、彼女たちのステージは本質そのままを代弁し、「素敵だ」という感嘆詞につながった。「Queendom」の舞台演出を担当したチョ・ウリPDに会って、熱かった彼女たちの舞台裏を覗いてみた。

 

Q.「Queendom」は、普通の音楽競演プログラムとは違うという評価を受けています。特にステージにおいてはこれまで繰り広げられていたステージではなく、一つのショーとして授賞式のような雰囲気を出していました。


Mnet チョ・ウリPD(以下チョ・ウリ):「これまで出演した方々が見せていない姿を見せようとする事に最も力を注ぎました。小さなステージを限定的に使って前面だけを志向し、カメラのワンショットに特化した振り付けで構成されるなど、一般的な音楽放送のステージ文法があるとすれば、「Queendom」の競演ステージはその文法に従おうとしなかったのです。ステージ全体のデザインと構造を組むときよりもっと広く使えるように3面を活用したり、ブリッジを活用して多様な構成をしようとしていました。ショーアップが上手な先輩PD方がいて、私もやはりM countdownとMAMAの経験があるだけに、ステージ自体のスケールが感じられるパフォーマンスを組もうと思いました。


Q. そのためか、「Queendom」の舞台では空間感が大きく感じられたんです。他の音楽放送とは違って、カメラまでがステージの要素になったように動きが自由だったし。  舞台演出面で最も満足できる部分はどこでしょうか。


チョ・ウリ:スペースの活用です。スタジオの規模は一般の音楽放送とほぼ同じでしたが、多様なアングルを使い、カメラの動線を最大限に活用して最大限広く使おうとしました。現場にいらっしゃる観客の方々と視聴者の方たちという2つのターゲットのなかで、視聴者の方により親切なやり方だと思います。アーティストの方々からはやはりカメラアングルを見ているだけに、視聴者の立場からだともっと新鮮に感じられたと思います。もちろん、現場の観客の方々の「没入度」も崩さないように、多方面でカメラの動きに気を使いました。

 

Q.リアリティ部分を通じてアーティストたちが直接ステージを組む姿が出たりもしました。

 

チョ・ウリ:すべてのチームと最大限多く対話を交わそうとしました。競演曲のデモ、スケッチの段階から多くの話を交わしながら初期コンセプトを練りました。舞台と舞台を越えてブラウン管でも見られる形の演出をしなければならないだけに、アーティスト側から曲が出たらプロデューサーとアーティストの意図と自分の考えをうまく組み合わせて最大限明確なコンセプトを引き出そうと思いました。仮想のシノプシスのように毎舞台ごとに1〜2行程度のキャッチフレーズを握って、ストーリーテリングを示そうとしました。「この舞台は演劇的モノローグで独白感を活かすこと」「韓国的要素があって月がキービジュアルな舞台」というような内容ですが、各チームの特徴とカラーを最大限浮き彫りにしようと緻密に努力しました。

 

Q.演出家として各チームのレジェンド・ステージを挙げるとしたら。

 

チョ・ウリ:(G)I−DLEは「LION」、MAMAMOOはAOAの「Good luck」カバー、AOAは「Egoistic」、Lovelyzは「Cameo」、OH MY GIRLはLovelyzの「Destiny」カバー、パク・ボム氏はファイナルの舞台だった「取り返しのつかない」を挙げます。

 

Q.パク・ボムさんの舞台は象徴的な要素が満載だったようです。たとえば、主人のいないマイクと一緒に配置されたボム氏の姿は2NE1を連想させるし、歌詞にもそういうムードが十分に敷かれていたと思います。

 

チョ・ウリ:その曲のデモ初期バージョンから一緒に聴きながらコンセプトを一緒に掴んでいこうと努めましたが、パク・ボムさんは一人で競演の大変な過程をこなしながら、最後のピリオドをうまく撮りたがっていました。それだけに負担も大きく悩みました。そういう要素から、2NE1について語ろうとしていたというよりは、一人のアーティストがグループ時代を経験し今は独り立ちしようとしている状況で、過去の自分と今の現実での本人、それ以降の位置づけをしようとしている自分自身に贈る一種のモノローグドラマ的構成を考えながら配置したものです。

イントロでの鏡のシーンや過去のグループシーン、一人で立ってフィナーレを歌って自分の足で踏み出し上がるなど、4段階の場面で構成した舞台にも関わらず、大衆が受け入れてくれました。感動がある舞台でしたね。直接的な言及よりも隠喩的な表現が有効だったと思います。パク・ボムさんもそのような部分について悩んだようです。

 

Q.(G)I−DLEの「LION」の舞台はガールズグループのパフォーマンスに一線を画したという評価を受けました。果敢で破格的な試みが、(G)I−DLEのメンバーたちと完璧に合致しましたね。

 

チョ・ウリ:まず、ソヨンさんはあまりにもアイデアが溢れていて、すでに構想までされていた状態でした。「LION」はデモの段階から本当に素晴らしい曲だと思いました。放送のようにその曲は以前の競演段階からあらかじめ作られていて、歌自体が一編のストーリーだったので、それを生かすためにビジュアルとコンセプトを最大限尖らせていこうと思ったんです。ソヨンさんとも会議をしたのですが、直接PPT(訳注:プレゼンテーション)を作ってきたのが印象的で、またすごかったです。普通の人たちが考えているアイドルのイメージは限定的だけど、私が一緒にした6チームのアーティストたちはすべてそうしなかったんですよ。

ソヨンさんは、女王と獅子のイメージを変えないよう、うまく組み合わせたいという悩みが大きかったです。それで、会議を通じてVCRを置いて全体のトーンを中世ゴシック様式のステンドグラスのイメージで統一する方向で意見を交わしました。「ライオンキング」のイメージと中世の女王のイメージがよく混ざりあっていると思います。ジャンヌダルクのイメージを構想していましたが、思ったとおりにうまく具現化された本当に素敵な舞台だと思います。このステージのほかにも、「Put It Straight」もホラーな雰囲気のコンセプトすべてがソヨンさんのアイデアです。本当にすごいと思いました。

 

Q.Lovelyzは最も紆余曲折の多かったチームだと思います。初期には方向性がうまくつかめず酷評されましたが、ついに自分たちがやりたいことと最もうまくやることをまとめることができましたね。「Cameo」がまさにその副産物でした。

 

チョ・ウリ:そうですね。Lovelyzは意図しなかったんですが、浮き沈みやさまよったりというストーリーラインがありました。この方たちが経験したことを考えると、「Cameo」は自分たちがやりたいことをやってかっこいいということを見せるという意志の表明だと思います。選曲の悩みも大きかったと思います。ただ可愛く「彼氏と付き合いたいの」とか「私と会わない?」という歌ではなく、自分たちがうまくやっていることを見せるから大衆に理解してもらいたいという感じがあったんですが、それが受け入れられたと思います。私もやはり気持ちが良かったです。Lovelyzが今できる最善を尽くしたということが十分に感じられたし、本人たちもそう感じたようです。

それに、イェインさんがパフォーマンスユニットのステージで本当に苦労したんですよ。ステージそのものが難しい構成で、選曲も他の曲に比べて異質なので心配でしたが、イェインさんがやりたいという意志を明確に示してくれました。そして本当にうまくやりこなしました。

 

Q.OH MY GIRLは「QUEENDOM」の最大の恩恵者という修飾語を得ました。ともすれば見え透いたステージになりうるLovelyzの「Destiny」を完璧に再解釈しながら、自分たちの可能性を改めて示しました。OH MY GIRLの再発見という感じがするくらいでした。

 

チョ・ウリ:メンバーが足を怪我した状況でもあのようなコンセプトを引き出したというのは、本当にすごいと思います。準備過程でユアさんが足を怪我しましたが、メインパフォーマンスのメンバーであるだけに心を痛めていたんです。会社側でも悩みが多かったです。それで怪我をした瞬間からパフォーマンスの方向性について悩み始めたのですが、ユアさんにスタートとエンド、ブリッジなどでソロカットを与えればブランクがなくなるだろうと思いました。振り付けの先生とも「サブステージに力を与えるためには花や樹木がなければならない」等お話しました。

ユアさんも意見を出しましたが、他のメンバーたちがとてもうまくやってくれたし、残りの振り付けもアーティストがみんな組んでくれました。自分たちでできる最大値をやり遂げると言いながら歯ぎしりをしたわけですが、当時「BUNGEE」の活動していたにもかかわらず、完成度の高いステージをやってくれました。仲間にも大きな刺激を与えられるステージだと思います。


Q.MAMAMOOはそれぞれの個性をよく見せてくれたようですね。単純に歌が上手いグループという従来のイメージからさらに一歩進んだという印象を、MAMAMOOのパフォーマンスを見ながらしっかり受けました。


チョ・ウリ:実は「Good Luck」は本当に難しい舞台なんです。コンサートスタイルのステージでしたが、4人がそれぞれ異なる方式で他人の曲を4つに再解釈した上、最後にはその4つがひとつの舞台に統合されました。

MAMAMOOはボーカルがパワフルな実力派とひとまとめにして考える方たちが多いですが、4人のメンバーたちがそれぞれ違う個性とボイスカラー、完全に異なるスタイルでありながらも調和をなしているじゃないですか。それがそのままMAMAMOOの色だと思います。それを一番よく見せてくれたのが「Good Luck」の舞台だと思います。それぞれ違う色を一つに混ぜたのですが、異質感が感じられないように完璧に仕上ったと思います。

 

Q.AOAも大きな収穫を得ました。5人組への再編後に初めて大衆に自分たちの力量を公開しましたが、過去に7人組での活動が思い出されないほど完璧なAOAを見せてくれました。特に「Egoistic」はガールズグループの限界を越えたという点で大きな意味があるんです。

 

チョ・ウリ:「Egoistic」の反響があまりにも大きかったですが、私はあの舞台がAOAに自分たちにしかできないことを証明してくれたのだと思います。AOAは大きな期待を負って出たチームではなかったかもしれましたが、だからこそそういう舞台を作り上げることができたのです。本人がやりたいことをやったというところから生まれる満足感と、よくやったという感情が舞台で見えたので、大衆の方が喜んだようです。私はそうは思っていませんが、AOAがもしもイメージだけで消費されていた従来のガールズグループの一つだったとすれば、「Egoistic」を通じて、そのような通念を破ったと思います。ジミンさんの役割が大きく、舞台上でのソルヒョンさんの力量も目立ちました。「Egoistic」自体がAOAの曲になったという感じもしましたね。

舞台についてはジミンさんと話をしましたが、ドラァグクイーン・ダンサーやヴォーギング・ダンスなどを先に提案してくれて嬉しかったです。人々が異質だと感じる可能性もある要素にもかかわらず、うまくやり遂げたことが本当にすごいと思います。進入障壁の高い部分をステージで完璧に見せたのもすごいのですが、ビジュアルの強いダンサーの方々に埋もれず、アーティストの存在感がより引き立ったのもすごいです。すごいという言葉しか出ません。


Q.参加したチームすべてに再びスポットライトをあてたという点で、「Queendom」はすでにかなり大きな意味を持つ番組だと思います。演出者として特に「Queendom」にはこのようなことはうまくやりこなしたと自評する部分がありますか?


チョ・ウリ:「女子アイドル」という偏見を破ったところです。実は、女子アイドルは人々が思っているイメージだけで消費される部分があるのですが、「女子アイドルがこんなに格好いいんだ」と知らせる事ができて本当に良かったです。男性アイドルの舞台は素敵だと言われる反面、女性アイドルの場合、素敵だという感想よりは、きれい・清純・可愛さを中心に消費されてきました。しかし、その方向を変えてパフォーマンスが上手い姿とこの舞台を作るための熱情と慎重な態度、このようなステージが出るまでのストーリー、作る過程などを照らし合わせたという点で意味があると思います。舞台を叙述するストーリーも多くの役目を果たしましたが、リアリティ部分もよく生きていて良かったです。


Q.各グループの特性が違うだけに、彼女たちの強みをそれぞれ違うものに活かすのに悩みが大きかったようです。先にこういう部分はしっかり取っていくと思った点がありますか。


チョ・ウリ:ひとつの競演内で6チームの舞台が重ならないように、コンセプトとトーン&マナーを最大限多様に表現しようとしました。そして、視聴者の中にはグループを見分ける事が苦手な一般大衆もいるので、彼らに対してもっと親切に近づこうとするならステージのイメージが異ならなければならないと思いました。各グループの色を最大限際立たせるように緻密に努力しました。曲を聞いているうちにコンセプトが浮かぶので、これらをうまく溶かしつつも、色彩自体もグループごとに違うように配置しました。


Q.視聴者の立場からすると、舞台ごとに各グループの個性を引き立たせようとした点がよく感じられました。舞台演出についても悩んだ跡がうかがえました。競演番組であるだけに舞台を最優先に据えたというのはあると思いますが、番組の企画段階で考えていた最初の方向性が気になります。


チョ・ウリ:ありがたいことに、全体演出を引き受けてくれたチョ・ウクヒョンPDが私ステージ・ショービジュアルの全権をくれました。それで、他の部分よりは「Queendom」が女性アーティストにとってカッコよくなれる機会になればいいなという思いだけで臨みました。アーティストの方々がやりたいことと、かっこいいことができるように最善を尽くさないといけないという気持ちだけでした。みんな才能が優れていて上手な方たちなので、このような方々と一緒に出来て光栄でした。


Q.良い意図だったし、その意図を十分に生かしたプログラムだと思います。ただ、残念ながら番組開始の前後にMnetの競演番組の公正さに対する懐疑的な視線が多く、ファイナル競演にも否定的な意見が出たりしました。


チョ・ウリ:メインプロデューサーがこの部分に専ら多く悩みました。しかし、これは私たちが耐えなければならない部分です。私たちはもっと熱心に重い責任感を持ってプログラムを作らなければならないし、また、それが本当に正しいと思います。


Q. しかし、それでも「Queendom」は大きな意味を持っていると思います。有終の美を飾った今、今季について感じた部分と来季についてのプランを聞きたいです。


チョ・ウリ:来シーズンについては皆意見がまちまちです。まだ決まったこともないとわかっています。しかし、私は「Queendom」が新しい章を作るのは本当に良い事だと思います。実力があってやりたい事も確かにあるのに、徹底した市場論理によってそれを見せられない場合が本当に多いんですよ。そのようなことを見せる場を設けるという趣旨は、来シーズンになっても変わらないでほしいです。それを解決していく方式は、より良い方向に十分変わることができると思います。この番組のストーリーは「本物」なんです。そういうことをよくお見せしながら、アーティストの方が見せたい舞台を存分にお見せできるようにするのが「Queendom」がやった部分で、これからもやってほしいことです。


キム・イェスル記者


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「Queendom」の好評を受けてもうすぐ(2020年4月末)に男子版「Road To Kingdom」が始まるというのもあり、今更ですが訳してみました。

(訳したいと思ってはいたのですが、ちょっと長かったのもありそのままになっていた...)


「Queendom」は本当に素敵なステージが多くて話題にもなっていたし私も毎回わくわくして見ましたが、同時にこのプログラム自体が実際の出演グループの活動には結果的にあまり影響していない(今のところ)という現実も実感しています。Mnetのサバイバル操作問題とかぶった時期的な事もあったんでしょうけど、他の話題になったサバイバルほどは楽曲もチャート上位に入らず...

(視聴者側としてはLIONなんで音源1位にならんんのくらいの気持ちはあったけど実際はウィークリー19位程度という...)

MAMAMOOや(G)I−DLEは一回限りのステージゆえに大胆な試みをした部分はあるけど、元々の芸風からそんなに大きく変わってないですし。

 

インタビュー中に「女子は市場原理のせいで定型のイメージしか出せない」というのがありましたが、普段の活動の部分で見られない姿は見られて嬉しい反面、どうも全体的に「女子アイドル」の置かれている現況についての認識に微妙なズレがあるのではないかと思った部分はあります。よく「女性アイドルへの実力面での偏見」とか「男性に比べて定型のイメージしか出せない」という言葉が出てきますが、こういう言葉が出てくる根本的原因がどこにあるのか?と考えると、結局は韓国の女性アイドルと男性アイドルファンドムのスタンスやファンドムのお金のかけ方の違いが大きいのではないか?と思います。男性アイドルが女性アイドルよりも表現の幅が広いと言われがちなのは、基本的に今の男性アイドルがターゲットにしているのは「ファンドム」で、一旦ファンになった層は極端に言えば好きになったアイドルがどういうパフォーマンスをしても概ね受け入れる(気持ち的には色々だとしても金銭的な意味で)だろうし、だからこそそういう「固いファンドム」を大きく作るための努力を多方面でするわけで...逆に言えば女性アイドルでも男性アイドルみたいに「固いファンドム」がついているグループは定型のイメージではなくても「人気がある」んですけど、更に女子アイドルの「人気」のバロメーターが今でも韓国では曖昧で、「ファンドムが多い」人気なのか「一般層に知られている」の人気なのかがひとまとめで「人気」とか「認知度」みたいな曖昧なバロメーターで語られてる感じはあります。

 

「Queendom」に出たアイドル達は一部を除いていわゆる中堅どころー大人気グループではないが音楽番組1位の経験はあり、ある程度の固定人気や一般認知度はあるけどトップクラスと呼ばれるほどのチャート成績や認識はされていない(あるいはそれが過去のものになった)ーという人たちだと思うのですが、その原因を「定型のイメージだから」とか「実力を見せられていない・認知されてないから」という事に求めているとしたら、それ自体がちょっと違うんじゃないかと思います。現実的には「実力」があるからそれがそのまま人気の第1条件として売れているわけではないし、韓国でアイドルが売れるにはある程度以上の技能的な実力は不可欠だけどそれ以外のものの方が絶対的に必要で、そのプラスアルファ以外の実力面での差が必ずしも大きくあるというわけではないからこそ「アイドル」という形式は難しくも面白いし、何故「アイドル」をやるのかという究極の問いかけのコアの部分がそこにあるんじゃないんでしょうか。歌と踊りで魅せるというのは「アイドル」のコアであって外せない部分だけど、それをとりまく表現方法に関しては逆にそれこそQueendomにでなくてもいいようなトップクラス人気と言えるような女子グループは「いかに定型ではないか(一見定型に見えたとしても)」というのをつきつめられたグループしかいないように思います。究極大衆を切り捨ててもファンダムウケに振るか、逆にファンドム構築は切り捨てても大衆ウケを取るくらいのある意味では極端とも言える選択をして、曲なりコンセプトに力を注いでいるグループが多いと思うので。過去を見ても2NE1やBEGみたいな清純でもないし単純なガールクラッシュでもなくセクシーなだけでもない、複雑なコンセプトとパフォーマンスのグループが人気があった事もあったわけですし。

それができる資金的だったり精神的な余裕があるかどうかというのもあるでしょうけど、全体的にグループそのものの個性というよりは「何ができるか」とかなにかがブレイクするとあからさまに似たような曲やコンセプトが平気で出てしまうという事も含めての「世間」の評価・ウケを、良くも悪くも対ファンドム以上に気にしすぎてる部分は大きいような気がしています。(いわゆる「アンチ」へのスタンスなどもそうだけど)男子グループの場合は先にある程度ファンドムが固まってから世間的に知られるパターンが多いですけど、女子の場合はなぜか「人気」にそのまま「大衆の評価(音源成績等)」が付随するから、それがもしんどさの大きな一因という感じもするし。これだけ韓国でもアイドルの数やアイドルオタクが増えて大衆とドルオタ界隈の距離も離れてきている現在、ビジネス的にももうそういう時代じゃなくなりつつあると思うんですけどね。


そもそももうプロとしてデビューして活動してるアイドル達が、本業あるところの自分たちの曲の活動やライブ以外で、「やりたいことをやる」「実力をお見せする」という名目でまさに彼女たちの本業であるパフォーマンスのための場所が提供されて、「これだけ彼女達が自主的き関わったステージですよ」というのをわざわざ見せて、それに付随したカムバック自体が「サバイバル」としてウケて消費される状況ってなんなんだ...とは思います。本来は番組の外でやってきた活動でのパフォーマンスがグループでの「やりたいこと」であるべきだし(商業面でのすり合わせは必要としても)そのチャーティングそのものが「サバイバル」なはずで、それはすでに現実に確かにある。それなのに、年末の歌謡祭とかお祭り的な意味ではなく競争のあるサバイバルとして、しかもカムバックも含めてあえて別の場を「娯楽」として提供する意味ってなんなんだ?という...ファンの側としては今まで見られなかった面が色々見れたし、韓国はサバイバル好きだから〜ですませてもいいのかもしれないけど、オタクが普段応援してきた(してる)「活動」ってなんなの...?みたいなもやもやは正直産まれました。

ステージ自体はどれも本当に良かったのでステージとかパフォーマンス自体は楽しみなんですが、どういう意図とスタンスでこういう番組をTV局主導でやるのか...みたいな事と、今この現在地において韓国におけるアイドルってなになの?という事に関して、個人的にはなんとなくスッキリしない小骨感のあるプログラムです。