【ize訳】ITZY・BLACKPINK・CLC、アイドル達の歌の中の女性像
2019.02.25
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2019022506117252196
今やK-POPにおいて「ガールクラッシュ」は一つの流行というより、最も人気のあるジャンルと言っても過言ではない。昨年から清純さやセクシーさを強調してきたガールズグループの代わりに、堂々としてパワフルなイメージを掲げるグループが相次いで登場し始めた。今年はJYPエンターテインメントの新人ガールズグループIZTYが自らを「違う」と強調し、堂々として強い女性キャラクターを前面に出してデビューし、話題を呼んでいる。では、彼女らが叫ぶ「違う」、または「強い」という意味は何なのだろうか。近年、ガールクラッシュ的な面貌を強調して活動中のガールズグループの歌詞を通じ、彼女たちが表現する女性像について調べてみた。
ITZY、右往左往する10代
JYPエンターテインメントの新しいガールズグループ「ITZY」は、デビュー曲「DALLA DALLA」で、「きれいなだけで魅力がない子たちと私は違う」と話す。「外見だけを見て私をチャラいと思う」という評価は拒否する代わりに、自らを「I'm bad」と定義し、「分別のある考え」でなく、「自分勝手に生きること」だから「止めるな」と反抗を宣言する。同じ事務所のガールズグループmissAがデビュー曲「Bad girl good girl」で「私みたいな女は初めて」と言ったのを連想させたりするが、当時のmissAは「私をよく知りもしないのに、私の外見だけを見て情けない女だと見るあなたの視線」と他人、特男性の視線に対して話していた。反面、ITZYは他人と違う自分自身を強調するという点で、もっと自信満々に見える。ただし、彼女たちは「きれいばかりで魅力がない」人たちとどう違うのか、あるいはどのように「勝手に生きる」のかについては説明しない。また後半では、「頭を上げて君の夢を追いかけて」と少し教育的にさえ見えるメッセージを投げかけたりもする。しかし、何が違うのか自らも説明できず、人と違うと叫ぶ頑なエネルギーは10代の特徴でもある。また、ステージの上でメンバーのイェジが手を後ろに組んで前に出るダイナミックな動作や、「bad bad I'm sorry I'm bad」でユナとチェリョンのソロダンスに続きひざまづいて手を前に伸ばす振り付けは、歌詞が表現できなかった部分を舞台上のエネルギーで満たしたりする。今の10代の少女の視線を止めさせるエネルギーを見せようとしたのなら、その意図は明確に伝えられたと言っても良いだろう。
BLACKPINK、「悪い女」の恋
BLACKPINKの「BOOMBAYAH」でリサは「middle finger up F U pay me」という表現を使う。こうした卑俗語を自然に表現しているガールズグループは珍しく、それを攻撃的な態度というよりも自信に満ちた「イケてる女子」のキャラクターとして見せるのはBLACKPINKの特徴だ。「BOOMBAYAH」では、「すべての男たちは鼻血でパンパン」と言い、「望む時は露骨に奪うことができる」という自信を表している。ここにデビュー当初から彼女たちをファッショニスタにした派手な衣装、果敢なパフォーマンスなどが加わり、彼女達は圧倒的なイメージのガールズグループになった。しかし同時に「きれい」という言葉を欠かさず、「か細い体つきに隠されたvolume」のように、社会で理想的とされる美的基準を強調する。他人の注目を楽しんでこれを誇示する自信満々さを持ち「踊る明かり」の下で「終りを知らないうちに速く走った」りしたが,「今日はあなたと私若さをgamble」と言い、いまの楽しさを語りながらも愛に対する切実さを持っている。「Whistle」でも「すべての男が私を毎日check out」と言う自信は「このまま通り過ぎないで」という哀願につながり、「PLAYING WITH FIRE」では「私の全てをあなたという世界に投げたい」と語り、「AS IF IT'S YOUR LAST」でも「最後のように、明日がないように」相手に愛されることを願う。「BOOMBAYAH」でBLACKPINKは「middle finger up」と言ったりもするが、同時に「オッパ」と叫んだりもする。華やかで強気だが、心の中には男性からの関心と愛を望み、新派的(メロドラマ的)に見えるほど弱い部分があることを表すのだ。「ガールクラッシュ」を掲げながら異性愛者の男性ファンにもアピールできる戦略だが、同時にこれがまたBLACKPINKの限界とも言えるだろう。
CLC、主導権を握りたい女性
SBS MTV「THE SHOW」において新曲「No」で初の1位に上がる以前まで、CLCは一貫性が不足して見えるほど多様なコンセプトを経てきた。「PePe」や「NoOhOh」「High Heels」では溌剌とした可愛い女性像を表現し、「Where Are You?」では「Crystal Clear」の略語であるグループ名のように、清く清純に見えるコンセプトを試みた。一方、暗くて濃いメイクと強い振り付けを強調した「Hobgoblin」では、愛する相手に「今すぐ私を連れて行って」という切迫した心情を「金よ出て来い/銀よ出て来い」という独特な言葉で表現した。しかし、「もっと確実に私を見せる」ために「香水」や「Black dress」を自ら選んだことを強調した「Black dress」を経て、今やCLCは「私が私でいられる」ために「Red lip」と「Earrings」「High heels」や「Handbag」に象徴されるれる「見え透いた」ものに「No」を叫ぶ。「Hobgoblin」と「Blackdress」が「ガールクラッシュ」コンセプトのように強いイメージを見せながらも相手に選ばれたい欲望を表現していたとすれば、「No」では「私はあなたのためには変わらない」と宣言し、選択の主導権が相手ではなく自分にあることを語る。ただし、「No」で羅列されたアクセサリーに対する拒否は、結局「私に一番似合うLipstick」を探すためのものだったという結論に繋がり、「勝手に壊してみて」「私が一番自分であるように」という歌詞とは異なり、「狂った私」の前には「きれいだ」という修飾語が欠かせない。自ら選択し、自我を守ろうとする女性像の登場は意味がある。ただ、他者の視線が完全に除去されることができなかったという点は残念で、宣言的な歌詞の内容がどのようにパフォーマンスを通じて具体化されるかについての悩みはさらに必要と思われる。
(G)I-DLE、言うべきことは言う女性
(G)I−DLEのデビュー曲「LATATA」は、「長い」夜を「君と」過ごすという誘惑の繰り返しから始まる。これはソヨンのラップパートから「もっと深いところに入って私を含んで酔ってもいい」という求愛と、「Muah Muah Muah」というスキンシップの表現にまで進む。しかし、彼女たちは「私にあなたを閉じ込められるように」するために、つまり自分が望むやり方で関係を主導するために、「あなたのための」歌とダンスをすると語る。ガールズグループとしては異例的にセクシュアルな文脈をストレートな話し方で表現するが、相手ではなく自分が望むやり方で愛を語る。別れの前にしても言い返さない。少女たちは「HANN(Alone)」で「まるで何か薬を飲んだみたいに変わった」という直感的な表現で恋人の心変わりを描き、「あなたは世界で一番の悪」という冷めた恨みまで叫ぶ。そして簡潔かつ明確に宣言する。「あなたを忘れる」と。「あなた」について語りつづけるが、歌詞には登場しない「私」の視線が歌の中心である。(G)I−DLEたちは、女性の力を強調するために何かをぶち壊すような躍動的な姿を舞台の上で演出したり、「悪い女」を標榜したりはしない。ただ、恋や別れといった普遍的な感情を徹底して彼女たちの視線と言葉で語り、「言うべきことは言う」女性像を見せてくれる。アイデンティティの宣言よりも、関係の中で自ら語る方法を磨いていく。よく理解される「ガールクラッシュ」コンセプトとは多少異なるが、まさにその差が(G)I−DLE達のユニークさになりうる。
文キム・リウン
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1年前の記事ですが、あげ損ねてたので今更ですがあげます。
この記事の後でた曲を見てみると、ITZYの「ICY」は一見冷たく見えるけど中身は熱い的な歌詞で、CLCの「Me美」はやはり美しさについての曲でしたが、「Devil」はまたちょっと違う感じの怖さがある曲でした。ITZYに関しては日本で言うとSPEEDみたいなものを感じるので、それはやはりティーンならではの健全かつ溌剌としたエネルギーを表現しているという事なのかな。そうなるとやはりそのエネルギーを曇りなくまっすぐに受け止められるのは同じ10代なのかもしれないですね。ファンと一緒に成熟していく感じという。
(G)I−DLEは「Uh-Oh」や「LION」などやはり独特の主体性のある楽曲をリリースし、特にQueendomでの「LION」のパフォーマンスは圧巻でした。正直KPOP界でHIPHOPブームがちょっと去って(若手hiphopアーティストがジャンルとして確立してきてアイドル化してきたのにも伴い)特に女性グループではYGくらいしかちゃんと音楽的にもアティチュード的にも表現に積極的に取り入れているグループがほぼなくなってしまったので、ソヨンの今後にはNADAくらいの期待をしていたりして。
BLACKPINKはここで指摘されていた「愛」を歌いつつも過去の曲よりかなり強い歌詞イメージの「Kill This Love」でカムバし、一気にプリンセスイメージからクイーンへと成長した感じでしょうか。本当はこの前の2018にDDU−DU DDU−DUという大きいステップがありましたが、なぜかこの記事では触れられておらず。DDU〜は明確にBLACKPINKの歌う女性像に変化があった曲なので、この記事の論に添いにくいから除外されたのかもしれませんけど。
私は特にいわゆる「女性グループをメインに推してる女子オタ」ではない女子のKPOPオタなのですが、そのような層もファンになったりしやすいのがいわゆる「ガールクラッシュ」の事ではないかと思っていて(女子ドルをメインで好きな女子オタの嗜好はまた違う特有の感じもあるように思うので)、その流れで行くと今思い返して自分が最初にガールクラッシュだと思ったのはYGの2NE1で、その出現を受けて当時SMなりの定型の女性らしさとはまた違う形を追求したのがf(x)だったのだろうと思います。ソロだとヒョナとかもいましたが。
そこから今のガールクラッシュブームが来るまでにはまた少し間が空いて、2014の江南駅殺人事件に始まるいわゆるミソジニー的事件によって若年層を中心にフェミニズムの流れが来たことも大きなきっかけではあると思いますが、具体的にはMAMAMOOの登場と女性版Show Me The MoneyだったUnpretty Rapstarのヒットが実際の韓国のエンタメ業界に与えた影響としては大きかったんじゃないかと思います。特にMAMAMOOは歌詞やコンセプトで直接的に「ガールクラッシュ」というものを表現していたわけではなかったけど、グループの素のスタンス的に自然とガールクラッシュ的なものとみなされ女性のガチオタに愛されていった経緯があると感じています。異性の目線が第一にあるわけではない自然な女子の姿というか、女子校の憧れ仲良しグループ(先輩たちいつも4人で楽しそう的な)みたいな雰囲気が女性のファンも多い理由のひとつにあるんじゃないかなと思います。キャンプなDecalcomanieのMVも作られた感じがしないのは、彼女たちのキャラクターそのものにハマってたからでしょうし。また、原始のガールクラッシュは「強い女」や「カッコいい女」だけではなくもっと広義の意味での「女性の主体性」を含んでいて、例えば女性アイドルからの人気も高いOH MY GIRLやRED VELVETなんかはどちらの類型にもそのまま当てはまるわけではないけど、日記やお気に入りのぬいぐるみや人形と対話するみたいな「女性の内面にあるマイワールド」に焦点を当てているという点で、これもまたガールクラッシュであると言えたと思います。
しかしこれが一旦「コンセプトとしてのガールクラッシュ」という事になると、どうしても「強い女」「かっこいい女」「自分で選ぶ女」というような典型に偏りがちで、本来のガールクラッシュの上澄みをすくっているにすぎなくなる危険もはらんできているようにも感じています。例えば過去CLが書いた歌詞が「強い女のイメージらしくない」と批判を受けたりした事があったというのも典型で、その人が表現したいことを表現するか否かではなく、結局大衆の好むような特定の形にはまらない女性像を批判するという意味では、「女らしくない」女性像を批判する事とあまり変わらなくなってしまうのではないかという気がします。ステレオタイプを壊すために生まれたものが定型化してしまうと結局それがまた新しいステレオタイプになってしまうという。
そういう意味では、2NE1の後にデビューしたBLACKPINKが半分は「女性らしさ」「ステレオタイプ的な美しさ」を否定しないコンセプトになったのはそのような傾向へのカウンターとも取れますし、表向きとっつきやすい明るさを表現するREDとその裏の複雑な心理を秘めたVELVETを自在に使い分け、堂々と共依存のような関係をも歌うRED VELVETや、「典型の女性像代表」のように言われてきたTWICEが新しい姿に脱皮した時に歌ったのがまた別の典型の女性像ではなく女性同士の連帯だったというあたり、トレンドを追うのではなく作り出す先頭グループのアティチュードのように感じられるのでした。