サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【idology 訳】アイドルメーカー:⑦プロデューサー・tKAA代表 / チェジェヒョク

【idology 訳】アイドルメーカー:⑦プロデューサー・tKAA代表 / チェジェヒョク

 

『ビハインド・アーティストたちも所属会社の保護を受けなければならないと思いました』

 

byバクヒアon 2017/02/20

http://idology.kr/8497

 

(訳注:文中の太字部分はウェブ公開されてない部分から一部抜粋しています。部分抜粋ですので、全文が気になる方は「아이돌메이커」本誌をご参照ください)

 

華やかに輝くアイドル、その背後には自らの分野でこまめに働いてきたもう一人の主人公たちがいる。 彼らは、K-POPの熱風が吹いていた時期でもあった「韓流」という言葉が固有名詞として使われるずっと前から同じ場所にいた。 そして「アイドルメーカー」はもう少し詳しく違う見方や温度で、アイドル産業に入っている「人」の話を入れて見ようと企画された本だ。 7回にわたって本の内容の一部を抜粋して掲載する。 インタビューの全文は「アイドルメーカー」を通じて確認することができる。


#サウンドエンジニア

 

『エンジニアを始めたのは、プロデューサーになりたかったからです』

 

バクヒア:学校ではサウンドエンジニアリングを専攻されたと聞いています。特にその専攻を選んだ理由はありましたか?直で作曲の道に行くこともできたにではないかと思います。


チェジェヒョク:私がエンジニアを始めたのは、最終的にプロデューサーになりたかったからです。率直に言って当時はエンジニアという職業がどういうものであるかもよく知らなかった。ずっと夢が歌手だったからそちらの方面については知らなかったんです。そしてその時私は大学を中退する事に決めた状態でした。

 

バクヒア:専門的に音楽を勉強したかったんですね。

 

チェジェヒョク:実際カリフォルニア州立大学に志願して、奇跡的に合格通知書を受けました。両親はとても喜びましたよ。でも自分には無条件に音楽をしなければならないという気持ちがあって、最初からそちらには返事をしませんでした。その日から半年ほど、父とは顔を合わせずに暮らしました。しかしプロデューサーになりたいという思いがますます切実になり、ちょうどその頃録音室や機械を扱うことができれば役立つという話を聞いたんです。それがMI(Musicians Institute=米国LAにある実用音楽大学)に入学することになったきっかけでした。


BoAとソンダムビ

 

『PLEDISのハンソンス代表に仕事を学ばなくちゃいけないと思うようになったんです』

 

バクヒア:最初にPLEDISエンターテインメント(以下、プレディス)で働かれましたよね。 今のプレディスの形ではなく、完全な初期の時です。

 

チェジェヒョク:当時も、他の企画会社からはオファーがあったんですよ。 ところが自分には英雄心理があって、大きい会社に来いと言われても耳を傾けませんでした。 会社と自分が一緒に努力して成功したかったんです。 ちょうどソンダムビがデビューアルバムを出した時でしたが、その頃に一緒にするようになったんです。

 

バクヒア:いくら小さな会社といっても成長の可能性とか、いいオーナーがいたりとかそれなりの選択基準があったようですが。

 

チェジェヒョク:そうですね。 ある日家でTVを見ていたら、ダムビのミュージックビデオが流れていたんです。見るやいなや「これはきっと大ヒットする。本物だ」と思いました。 私はソテジ以後に出たアイドル歌手の中では特に好きだったアーティストがなかったんです。 ところが唯一、BoAが好きでした。 実際はBoAさんが好きというよりは全体的な企画とプロダクションを好きだったんですが、ソンダムビのミュージックビデオを見たときに「ああ、これもうまくつくったな」と思ったんですね。 ところが不思議な事に、2週間後にPLEDISファミリーがアメリカに来たんです。

 

バクヒア:それではハンソンス代表と一緒に仕事をしたいと思ったきっかけは何でしょう。

 

チェジェヒョク:私の知り合いがちょっと手伝ってほしいというので、その時私の家を宿舎としてPLEDISの全職員が泊まりました。 ハハ。一ヶ月ぐらいいましたが、ダムビがそこから振付を学びに通ったりもしていました。 ところで私の家に「History Of BoA」と、BoAさんのDVDが一枚あったんです。 ハン代表が私の家でそれを見て「これは僕が作ったんだよ」とおっしゃったんです。 その話を聞いて「ああ、ダムビとBoAを見てプロダクションがいいと感じた理由はこれなのか?」と思いました。 同じ方の手を経たためにそんな感じを受けたようでした。 当然、ハン代表に仕事を学ばなくちゃいけないと言う考えをするようになったんです。


#ビハインドアーティスト

 

『舞台裏で活躍するアーティストが明るく輝く事は、簡単というわけではないんです』

 

バクヒア:今はOH MY GIRLの音楽プロデューサーであり、tKAAの代表職を兼ねてらっしゃいますよね。

 

チェジェヒョク:誰か私のことを整理してくれたらいいんですが。自分でもうまく整理が出来てません。

 

バクヒア:それではまずはエージェンシーの話から伺うのがいいですね。アーティストエージェンシーをやろうという考えは、どのような事から来たんでしょうか?プロデューサーの仕事とは違いがとても大きかったと思います。

 

チェジェヒョク:きっかけは...実はビルゲイツの話を聞いた事です。ハハ。ビルゲイツが言った有名な言葉があるでしょう。すぐに全世界で家庭ごとにパソコンを所有することになるだろう、それが1980年代でしたが、当時は超大型コンピュータを使っていた時代でした。人々が信じないような状況でした。ところが最終的には今、現実のものになったでしょう。アーティストエージェンシーの概念もいつかはそんな風に慣れることでしょう。
私はアーティストをオン・ステージ(on-stage)アーティストとビハインド(behind)アーティストと考えています。立っている所だけが違うだけで、すべて同じように価値のあることをする人だと思うんです。だから「すべてのアーティストが所属事務所を持たなければならない」。これが私の望みであり目標です。ところが今の韓国エンターテイメント業界では「これは何ですか?何の話です?」と思われます。あまりにも見慣れない話ですからね。しかし、現実的に見なければならない部分があります。多くのバックステージミュージシャンやアーティストたちが共感している部分であるはずなのに...舞台上のアーティストは輝くけど、舞台裏で活躍するアーティストたちが輝く事は容易ではない。オン・ステージアーティストにだけ自分の才能を惜しみなく注ぐというのもそうです。同じアーティストではなく、オン・ステージのための一つのツール(tool)として扱われる場合があまりにも多いです。

 

バクヒア:使命感を持っているんですね。実際、複数の人の法定代理人になるというのは思った以上に負担でしょう。

 

チェジェヒョク:もちろん状況がこうなったのはシステムの問題であれ、意識の問題であれ、さまざまな理由があると思います。 しかし、とりあえずは所属会社があるかないかの差がとても大きいと思いました。 ビハインド・アーティストたちもオンステージ・アーティストたちのように所属会社の保護を受けなければならないと見ました。 所属事務所があることで不利益を受ける確率自体を減らすんです。


#OH MY GIRLプロデューサー

 

『大衆との一線をよく守らないといけません。とにかく大衆歌手ですからね』

 

バクヒア:OH MY GIRLの場合、音楽評論家や音楽産業関係者たちがとても関心を持って見守っているグループの一つです。 全体的なコンセプトもそうですし、音楽的な志向が他のグループとはちょっと違うと評価されています。 企画から参加したんでしょうか?

 

チェジェヒョク:はい。 ですが、全体的なコンセプトは一応会社から与えられていたので、私はあとから入って行ったんです。 また、この子たちの振付が良い評価を受けたじゃないですか。 その振付を作ったイソルミさんの場合ダムビの振り付け室で初めて会って以来の知り合いでした。 当時WMエンターテインメントはあちこちで振付師を探していたんですが、私が本当にいい知り合いがいるので一度会ってみたらどうでしょうかと提案しました。 OH MY GIRLの振り付け試案を見せたところ、会社が気に入ってくれました。 結果的に大衆からも良い評価を受けて気分が良いです。

 

パクヒア:OH MY GIRLは曲や振り付け、スタイリングなど、全体のプロダクションではアート的な要素を考慮していながらも、大衆に愛されることができるグループの典型的な雰囲気も一緒に持っているグループですよね。

 

チェジェヒョク:大衆との一線をよく守らなければいけないです。 とにかく、大衆歌手ですから。 (中略)
…………………………

あまりにも小さな部屋で音楽を作っていると、「世界は私のことを理解できない」そんな考えに陥りがちですよね。でもそのように生きている芸術家が、世界が自分を理解していないと考える理由はないと思います。そんな方で大衆芸術をされる方はいないですからね。

…………………………

大衆に認められたいなら事実彼らが望むことをするのが正解です。 ですから、OH MY GIRLは大衆歌手でありながら私的な感覚を守ることができるラインが向いているようです。 人によってそのラインの位置が少し違うでしょうが...

 

パクヒア:WMエンターテインメントのイウォンミン代表もOH MY GIRLを作るときにそれを重要と考えていたんでしょうか。

 

チェジェヒョク:そうです。 その部分が重要だったんです。 また、OH MY GIRLというグループが自分のアイデンティティを持つために必ず必要な部分です。

…………………………

あまりにも芸術的に行きすぎず、商業的に行きすぎずその中間地点を探せという事でしょう。
…………………………

 

バクヒア:もちろんOH MY GIRLメンバー全員が各自与えられた役割に最善を尽くしているでしょう。その中でも「この子は本当によくやっているな」というメンバーはいるんでしょうか...

 

チェジェヒョク:メンバーを必ず一人選ばなきゃダメですか?困ったな。ハハ。どうしても自分はOH MY GIRLの音楽と直接関連がある人だから、スンヒを挙げるしかないと思います。グループではスンヒが歌が最も上手です。だからスンヒには、私の期待値が高くならざるをえません。それほど望むことが多いんですね。おかげで初期は私に最もたくさん叱られました。それを考えると申し訳ない気持ちにもなるんですが、上手な子に対しての要求が高くなるのは当然の事なので... 仕方ありませんでした。

 

…………………………

 

#KーPOP

 

バクヒア:欧州の作曲家たちを次々と国内に紹介する役割をされています。
OH MY GIRLのアルバムに入っている曲もこの方たちの作品をたくさん採用されていますね。

 

チェジェヒョク:米国の作曲家の方々に始まり、今では英国の方もいらっしゃいます。その中ではスウェーデンの方がとても多いです。

 

バクヒア:最近の韓国アイドルのアルバムクレジットにはスウェーデンの作曲家の名前が頻繁に目立ちます。元々は日本でとても活躍した方なのに、今は韓国でも影響力を育てていっていますね。

 

チェジェヒョク:すごい国ですよ。アイデアあふれる国ですよね。スウェーデンの作曲家たちは一国でのみ活発に活動しているわけではないです。米国でもそうです。Maroon5ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)、ケイティ・ペリー(Katy Perry)の曲を書いた有名なマックス・マーティンもスウェーデン人です。国家レベルで専門職の人材を養成することに力を入れている。実力のあるミュージシャンを養成することができるシステムが整っているのが羨ましい部分です。韓国では直接お会いしたりskypeで仕事をする事もありますよ。面白いです。

 

バクヒア:米国で長く生活されて、アンドレアス・オベルグ氏のように韓国のアイドル市場に大きな影響力を持ち始めた欧州の作曲家たちとも仕事を一緒にしていらっしゃいます。だからこの質問を必ずしたいと思っていました。韓国歌謡と一般的なポップスの違いは何だと思いますか?

 

チェジェヒョク:答えるのが簡単ではない質問ですが、できる限りシンプルに考えてみます。とりあえずこの国でポップミュージックといえば「外国の曲」でしょう。ところがポップス=popular musicという語源もそうですが、実際は単純に大衆歌謡のことですよね。だからKPOPは、Korean Pop、韓国大衆歌謡ということでしょう。最近では、KPOPを一つのジャンルのように認識していますよね。しかし、私はむしろジャンル自体が以前のように音楽を分ける重要な基準になりうるんだろうかと思うんです。音源サイトに含まれている曲情報を見ると、慌てる時があるでしょう。ジャンルが「KPOP /ダンス/ヒップホップ」こんな感じの言葉が並んでるんです。さらに最近では何人かの方が私に曲を依頼する時に、このような注文をする時があります。 「希望のジャンルやリファレンスを教えてください」というとこんな答えが来るんです。「エキサイティングなヒップホップのバウンスのバラードで」どうしよう、一体どんな曲なんだろうっていう。ハハ。そちらから必要なリファレンスを送信していただいた時に、自分としては最大限似たような音楽を作って送っても、こういうのじゃないと言われたりします。そうするうちに、後でかなりかけ離れたとんでもない感じの曲を例に挙げられる事もあるんですよ。これはジャンルというのが意味がなくなったという事ではないでしょうか。このようにジャンル的境界が揺れるのを見て、私が個人的に下した結論がこれです。 KPOPというのは、業界でよく言われる「뽕(ポン)メロディ」がある音楽だと思います。これを公式のインタビューで使うにはきまり悪い単語と思うのかみんなあまり使いたがりませんけど、業界ではよく使う言葉ですよね。とにかくはっきり言って私の立場からすると「뽕メロディ」があればKPOPです。

 

バクヒア:「뽕メロディ」というと、一般的に考えられている演歌=トロットメロディだとおっしゃるのですか?

 

チェジェヒョク:はい、そうです。考えてみてください。芸能人が「この歌をトロットバージョンで歌ってみましょう」と言って笑う姿を見た事がありますよね?とても甘美なバラードでも、唱法をちょっと変えてトロットように歌えば本当のトロットそのものです。ペンタトニックスケール(pentatonic scale)という言葉があります。そこからいくつかの音を除けば、今話しているいわゆる「뽕メロディ」になるんですよ。外国の曲でもこのメロディーで書かれている場合は、かなり多いです。しかし両方の違いというのは言語的な部分で、個人的な感性も加わるようです。これは実際にあることなんですが、企画の方が海外で完成した曲を初めて聞いた時は「本当に良い曲が来た!」と喜んでるんですよね。海外の作曲家は通常、英語で作詞した歌詞を付けて完成した曲を企画会社側に送り、関係者の方は一旦英語の歌詞がついた曲を聞いて本当に気に入ります。しかし、いざ韓国語で歌詞を付けて子供たちに歌わせると駄目なんですよ。初めて聞いた時は分からなかった「뽕気」が感じられるようになると私は思います。同じ曲でも言語で違いが出てくるんですよ。これはジャンルに関係なく、韓国歌謡が持つ特徴でしょうね。

 

バクヒア:最近では歌い手が韓国アーティストであるだけで、実質的にすべての外国曲を受けて使う会社もありますよね。そのような場合にはKPOPではなく、私たちが思うところの外国の曲、すなわちポップスではないのかと思うんですが。

 

チェジェヒョク:そうですね。外国曲です。それがK-POPと呼ばれる理由は一つですね。アーティストが韓国製という事だけです。

…………………………


バクヒア:たくさんの事を色々されてみると、自分が守りたいの価値観というものが揺れる事もあるんじゃないでしょうか。そうならないために、普段常に再確認する言葉はありますか?

 

チェジェヒョク:「I am nobody who know somebody」この言葉です。 「誰かを知っている自分自身は、何でもない人だ」私は、実際に自分自身を特別な存在だとは思っていないんです。ただ「somebody」をつなぐ人だと思っています。多分私が自分自身にさらに集中したかったらエージェンシーを立ちあげたり、プロデュースを引き受ける代わりに自らがプレイヤーになることを願ったでしょう。
私はこうなんです。このようなことを選択したこと自体が、自分の持っている才能が優れていると思っていないからです。私より優れた能力を持っている人たちのためにインフラを用意してあげることが自分が上手にできることだと思う。酒の席で「三国志」の劉備や「指輪物語」のフロドの話をよくするんですよ。私は関羽張飛そして趙雲が必要な人であり、フロドのようにリングを溶岩に落とす任務のために良い友達にたくさん会いたいだけなんです。

 

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ペンタトニックスケール=五音音階の事。1オクターブあたり5つの音階が含まれる。世界的に民謡によく見られる。日本の演歌もそうらしい。

 

뽕기(뽕氣)=ポン気というのは、韓国語のスラングで「ポンチャック(トロット=韓国の演歌の俗称。日本だと李博士が知られてますが)っぽい」という意味の「ポンチャックっ気」を略してポンキというそうです。トロットみがある曲を「あの曲ポンキがあるよね」という風に使うとか。明確な定義はないそうですが、トロットっぽい通俗的なメロディ・こぶしっぽいビブラート・特有の鼻声などをそう感じる人が多いとか。やけに高音を張り上げたがるパートがある曲をポンキっぽいと解釈する人もいるようです。

 

プレディスのハン代表が元々SMのスタッフだったのは有名な話ですが、プレディスのスタッフだった方が今度はプロデューサーになってWMのアイドルのプロデュースをするという、こういう流れが出来ているんだなあと思いました。

 

【idology訳】アイドルメーカー:⑥ MV監督 GDWキムソンウク

【idology訳】アイドルメーカー:⑥ MV監督 GDWキムソンウク

 

『静かに強くなればいいんです。 そうすれば理解して変わります』

 

byバクヒアon 2017/02/13 

http://idology.kr/8485

 

(訳注:文中の太字部分はウェブ公開されてない部分から一部抜粋しています。部分抜粋ですので、全文が気になる方は「아이돌메이커」本誌をご参照ください)

 

《華やかに輝くアイドル、その背後には自らの分野でこまめに働いてきたもう一人の主人公たちがいる。 彼らは、K-POPの熱風が吹いていた時期でもあった「韓流」という言葉が固有名詞として使われるずっと前から同じ場所にいた。 そして「アイドルメーカー」はもう少し詳しく違う見方や温度で、アイドル産業に入っている「人」の話を入れて見ようと企画された本だ。 7回にわたって本の内容の一部を抜粋して掲載する。 インタビューの全文は「アイドルメーカー」を通じて確認することができる。》


#スポーツ選手や芸術家

 

「ビデオカメラでスケートボードに乗る姿を撮り始めました」

 

バクヒア:先日のインタビューでも何度か言及しましたが、キムソンウク監督の履歴はとても特異ですね。エクストリームスポーツの選手だったのに映像コンテンツを作り始めたのも不思議ですが、その上感覚的なことで定評があるチームを担当しているのが面白いと思います。また、最近、GDWを含めLumpensやデジタルぺディア(DIGIPEDI)などいくつかのミュージックビデオチームが脚光を浴びているでしょう。その中で唯一「専攻」ではない方でもあり。ナムヒョンオ撮影監督は、キム監督を「恵まれている」とすごく褒めておられました。

 

キムソンウク:まったく関係のない人生だったというわけではないんです。元々父は写真館を運営していて、よく知られている大企業の専属カメラマンとして働いていました。そして母はバスケットボール選手だったんですよ。たくさんの事を受け継いだみたいです。そうするうちにIMF経済危機が起こってうちの家族にも辛い時期が訪れました。その時に(スケート)ボードに出会ったんです。運が良かったと思います。突然家庭環境が悪化してグレる可能性もあったのに、ボードのおかげでそういう隙がなかったんです。その時を振り返ると、ハングリー精神というものがどの程度必要かわかります。自分を磨くことに役立ちます。

 

#ミュージックビデオ撮影

 

「ミュージックビデオは音楽を聴けばそれに合ったテンションが自然に浮かびます」

 

バクヒア:アイドルのミュージックビデオと、他のフィルミングの差は大きかったですか。

 

キムソンウク:アイドル作品を撮ったときは恐ろしいというより、新世界を経験している感じだったと思います。スポーツをしているような瞬間があるんですよ。前方にジャンプ台があると仮定したとき、どういう風に走れば自分が気持ちいいのかはわかります。ところが、実際に走り出すまではワクワクした気分と不安が共存してるんですよね。それと同じ感じ。僕は目の前に置かれた状況を運動経験になぞらえて考えるんです。初めての時は難しいと思っても、「こういう状況はあの大会に出た時みたいなものだ。そうだあの時も自分はよくやったじゃないか!」こんな風に乗り越えました。

 

バクヒア:REDVELVET「Happiness」のミュージックビデオはGDWの歴史の中で欠かすことができないですね。このミュージックビデオでGDWを知った方が多いです。

 

キムソンウク:本当に多いですね。

 

バクヒア:ユニークでかなりファッショナブルな点が目を引きますし、そんな要素が全体的な雰囲気を覆っていたのが魅力だったのではないかと思います。また、SMエンターテイメントの立場としては新しいガールズグループのデビュー曲だったのでより気を使ったでしょうね。 GDWのトレンディーさがSMエンターテイメントの新たな挑戦を完全にサポートしてくれた作品だったと思います。

 

キムソンウク:当時私たちのチームのクリエイティブディレクターだった、チェソヨン室長と一緒にファッション関連画像をたくさん見ました。オフィスの窓をいっぱいに覆いつくすほどたくさん集める作業を3日にわたって続け、ただ写真だけ見ていました。歌も聞き続けながら。会社の立場としては新しくデビューするグループだったので、既存のガールズグループとは完全に差別化を図りたいという気持ちがありました。 SMエンターテイメントのミンヒジン理事が希望されていたのも「Something New」、すなわち、「何か新しいもの」でした。(中略)

 

バクヒア:それでは、ミュージックビデオの依頼が入ってきたときに受けるかかどうかを選択される基準は何ですか? 「これは本当に必ずやりたい」という気持ちになる特別な要素みたいなものです。

 

キムソンウク:最も重要な点は、当社のカラーとよく合う音楽を選ぶ事ですね。実際2015年までは音楽ジャンルにとらわれず、できるだけ多様な経験をしてみたかったんですよ。だから本当にいろいろなジャンルに挑戦していたと思います。実際に経験が積もっていくと、我々のスタイルといくつかの楽曲、いくつかのアーティストとの相性の良さをますます感じました。作業の過程で直接アーティストと疎通して共同作業の形で行くのが最も適していると思う。だから、今は最大限GDW、また僕自身とよく合う音楽、アーティストに集中しようとしている。しかし、現実的には互いにスケジュールが合うのかチェックすることも必要です。

 

#アイドルMV

 

「誰でもできる仕事ではないんだという事を感じたきっかけにはなりました」

 

バクヒア:テミンさんが持っているキャラクターもとても独特ですよね。SHINeeの中でも、また歌謡界全体の中でのイメージもユニークです。 GDWが製作した「怪盗(DANGER)」のミュージックビデオには、テミンさんがアイドルとして持ついくつかのイメージが限られた色彩やシンプルなカット構成などで表現されています。

 

キムソンウク:最初に思ったのは「テミンがこれまで見せなかった姿を描こう」というものでした。パフォーマンスやビジュアルも重要ですが、あの子を見ていると内面から漂うどこか風変わりな感じがあるんですよ。そのような部分を表現してみたかったんです。それでセクシーさと力強さという、二つのキーワードが共存できるようにフォーカスを合わせました。僕がアイドルを見てカッコいいと思ったのはあの時が最初だったと思います。あの子が本当に一生懸命でいい子だというのもありますが。 第一に実力がとてもあります。(中略)


…………………………

また驚いたのが、ミュージックビデオを撮るときにテイクを複数繰り返すじゃないですか。回が重なるほど疲れていくものですが、そうじゃなかったんです。本当に熱心でした。数日間昼夜を問わず練習をしてきたのに疲れを見せず踊ってくれたと思います。驚きました。とてもきついだろうと思いましたし、誰でもできる仕事ではないんだという事を感じたきっかけにはなりましたよ。

 

バクヒア:作業過程もタイトだったと聞きました。

 

キムソンウク:その作業をしながら編集の実力が本当に上がりました。ミュージックビデオ公開の前日まで、我々のチームとミンヒジン室長とビジュアルアートチームの方がフィードバックや修正を繰り返して完成した作品です。短い時間の中でどのように最高のものを示すことができるのか信じられないほど悩みました。パフォーマンスがとても力強い子ですから。

…………………………

 

バクヒア:ボーイズグループの中では防弾少年団と最も多く仕事されていますね。Lumpensのチェヨンソク監督と一緒に作業した作品もお馴染みです。それを聞いた時は「チームの色がかなり違うようだけど、一緒にやるんだ?」と思いました。

 

キムソンウク:「SAVE ME」は僕達が企画、撮影、演出の中盤まで仕上げて、後半はLumpensの監督がやってくれました。お互いとても親しいんです。子供が同い年というのもあって。

…………………………

 

バクヒア:現場で面白かったり戸惑ったようなエピソードはありますか?

 

キムソンウク:防弾少年団「SAVE ME」の撮影時で不思議なエピソードがあります。その撮影はワンテイクで行われたんですよ。撮影当日、ある程度曇りは予想して行ったんですが、雨が降り止まなくて丸々4時間ほど撮影をストップせざるを得ませんでした。そうするうちに直前にまるで映画のように、非常に短時間だけ雨が上がったんです。本物のワンテイクでOKサインが出ました。ああ、それと僕が防弾少年団の作品の中で一番好きなのは「DOPE」です。

 

バクヒア:初めて「DOPE」のミュージックビデオが出た時インターネットコミュニティとSNS上で素晴らしいと非常に話題になりましたよね。ファンドムの間ではもちろんですが。撮影方式が画期的だったのもですが、グラフィックも興味深かったです。

 

キムソンウク:あれは実はパン・シヒョクPDのアイデアなんです。MCC(Motion Capture Camera)で撮影してはどうかと言われました。自分はMCCを一度も撮影したことがなかったので少し心配でしたが、他の方々にとてもよくしていただいてその時は8テイクくらい撮影して合成する事になりまして、オフィスにいるCGチーム長がグラフィックスを見事に作ってくださったんです。それに「DOPE」のミュージックビデオは途中の合成がとても多かったんですね。その分ひとりひとりに物理的な時間がかかっただけでなく、これをアートディレクションとしてどのように表現するかも大きな悩みでした。とにかく不安要素が本当に多かったんですが、チーム長が数日間夜通し働いて、とてもたくさんのフレームを組んで完成したのがあの作品でした。


…………………………

 

バクヒア:防弾少年団の「DOPE」という作品は、メンバーひとりひとり全員が明確な衣装や空間コンセプトを持っていましたよね。それ故にワンテイクのように見えるようにする過程で考慮すべき点が一つ二つではなかったのではないかと思います。

 

キムソンウク:そうですね。あのMVの衣装はあちらの担当者の方が持っていたコンセプトがあり、我々が引き受けたのは指定された画像をどのように映像で実際に見せるかという部分でした。美術的な面をどのように表現するのか、そこにどのようなシンボル的な要素を入れるのか、どのタイミングでカットを切り替えるかなど... それに、実際にはほとんどの人がインパクトを感じる瞬間はカットが切り替わる瞬間ですよね?でも「DOPE」の場合はカットの概念がないでしょう。だからこのミュージックビデオでどうやったら目を楽しませられるかかなり頭を悩ませました。
(中略)
…………………………

 

カットがない時に感じることがあるような退屈さをなくそうとしました。それぞれのキャラクターを生かすことができる空間コンセプトは、その空間同士の移動で、防弾少年団のパフォーマンスを最大化することができるように後半のカメラワークにインパクトを持たせて。
…………………………

 

とにかく僕にとってはこれは挑戦でした。初めて防弾少年団を正式に引き受けて撮影したミュージックビデオでもあったんです。それにあの子達は本当に一生懸命踊ってくれました。
…………………………

 

バクヒア:防弾少年団とは7本程お仕事をされていますが、そのうちの3本がラップモンスターさんのmixtapeトラックのために作成された作品です。RM氏のmixtapeのMVは、これまでのアイドルシーンで見ることができなかったような独特のスタイルですよね。さらにMV3本が同時に発表されたので、明らかに近い時期に作業をこなされたのではないでしょうか。

 

キムソンウク:実際に3本すべてを2日間で撮りました。

 

バクヒア:ひとりのアーティストのために同時に3つのフィルムを作る時に考慮した点はあるんでしょうか?

 

キムソンウク:一度に見ても退屈しないかどうか。いろいろ考えたんです。時間的な問題やコンセプト的な部分まで考慮した選択をしました。1本だけの場合は最初から勢いのあるイメージだけで通せるのですが。後から起承転結がつくように順番にオープンしていく感じにしようとしました。 「농담(冗談)」が最後になったのは理由があります。パンシヒョクPDがそう希望されたんです。ラップする姿だけを撮影した「覚醒」は当日現場でどのように行くか本当にたくさん悩みました。後に続く二つのほうがメインフィルムではあったんですが、一応「覚醒」はこの3編の中で最初に公開されるミュージックビデオだったんです。だから自分の立場からすると、同じように心配するしかなかったんです。残りの2つの作品をひきたたせなければならないので、これは最もミニマルに行くべきだと思い、その後でそれにはどんな効果がふさわしいんだろうかと考えたんですよ。結局、最終的には音楽がよく聞こえてアーティストがよく撮れさえすればそれがいちばん良いだろうという考えに落ち着きました。

 

バクヒア:スタッフの方々の言葉を聞いていると、監督が防弾少年団と親密で、そのような関係に基づいて作品を作っているんだなと思いました。

 

キムソンウク:本当に防弾少年団の子たちは遊び心に溢れてるんですよ。ハハ、この子達は僕が見てきたアイドルの中でも、本当に礼儀正しいグループです。撮影チームもそうですし、一緒に呼吸を合わせたチーム全員が同じように言いますね。このチームは本当に礼儀正しく、初心を失わないように努力している子達です。おそらく彼らも理解しているんだと思いますが、いつも同じように謙虚でスタッフたちにも礼儀正しいです。
…………………………

 

バクヒア:一緒に仕事をしながらパンシヒョクPDとたくさん話されたかと思いますが、個人的にどのような印象を受けたのか気になります。

 

キムソンウク:パンシヒョクPDは自分が会った中でもアーティストや監督を心からリスペクトしてくださる方の一人です。防弾少年団の子供たちもそういう点が似ていると思います。

 

#強者になる方法

 

「静かに強くなればなりません。そうすれば理解して変わります」

 

バクフイア:GDWチームメンバーたちのために自分なりに努力されている部分はありますか。

 

キムソンウク:個人的に徹夜で撮影するのが嫌いなんですよ。僕自身は実際には大丈夫なんです。監督ですし、一旦完成してしまえば誰が作ったのかという時にキムソンウクという名前が出ますので。ところが、僕たちのチームは背後に隠されているでしょう。実際の現場でも僕たちは雰囲気が最高のチームの一つだと思います。大変な時もみんな笑ってやり遂げようとして。ダメっぽい時や、これはないと思うときは果敢にやめる事もあります。あれ、なんでこういう話になったんでしょう。ハハ。

 

バクヒア:とにかく、その部分は非常に重要ですよね。監督もさっきおっしゃっているように、後ろで作業するスタッフを尊重できないとうまくいきませんよね。

 

キムソンウク:この言葉を使っていいのかわかりませんが。たまに文明的じゃないなと思う時があります。マナーがなく、尊重という言葉を知らない人があまりにも多いです。さらにこんな人もいます。我々の会社の末っ子プロデューサーに対して車駐めておいてくれよって車のキーを投げていくような人がいました。そんな姿を見ると本当にとても歯痒かった。でも、そのような状況だったら自分で自分の能力を証明して見せればいいんです。我々のチームが強くなるほど、その人も態度が変わっていきました。相手が強くなれば態度が変わる人をしばしば見ましたよ。強くなるぞと意図的に声に出しながら働くという意味ではないんです。静かに強くなればなりません。そうすれば理解して変わります。それが一番強いパフォーマンスだと思います。決して悲しんだり、自尊心を挫かれる必要はないと思います。後々理解してあなたに頭を下げると思います。

 

バクヒア:本当にオールナイト撮影は全くないんですか?長い間の慣行のように続いてきた事でしょうし、正直信じられないです。

 

キムソンウク:今は本当に、一切やってないんですよ。人としてやるべきじゃないと思ってます、本当に。昔の自分だったらどうかはわからないですが。でも今は家庭があり、子供がいて、家族を世話する時間が必要なのにそれではね... 繰り返され続けるべきことじゃないと思ってます。だからひとまず、僕たちから少しずつ努力しています。

 

バクヒア:10年のキャリアのあるディレクターの重みが感じられる言葉ですね。

 

キムソンウク:ようやく10年も越えれば、自分の力でできることが多くなるんですよね。

 

(〈아이돌메이커〉, 박희아, 안녕출판사より)

 

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確かにGDWの「Happiness」は本当に良い意味でも悪い意味でも話題になった一本でした。このインタビュー内でもCG部分は下請けに出してるとは言ってましたが、テミンのDangerのMVは公開当日の午前ギリギリまでミンヒジン氏&ビジュアルアートチームと一緒に調整したとのことなので、Happinessの例の画像の件はSMのデザイン部署もチェックしただろうし、その時に気づかないのかな...? みたいな疑惑がわいてきましたが... :)

 

徹夜撮影しないというのは演者のためにも良いことだと思うので、全体の慣例になったらいいなと思いました。KドルMVメイキングといえば「今は朝の4時です」みたいなのがおなじみなので。製作チームは徹夜作業なくならないかもしれませんけど...(あるある)

 

GDWはむしろアイドル以外のMV(DOK2、CRUSH、Primary、Beenzinoからイハイやチャンギハなどまで)の方がキャリアがあるんですが、本文ではそちらの方の話もされていました。

 

【idology訳】アイドルメーカー:⑤ デザイナー チャンソンウン

【idology訳】アイドルメーカー:⑤ デザイナー チャンソンウン

 

『すでに人々によく知られているものを、自分の視点を通して新しいものにするんです』

 

byバクヒアon 2017/01/25

http://idology.kr/8358

 

《華やかに輝くアイドル、その背後には自らの分野でこまめに働いてきたもう一人の主人公たちがいる。 彼らは、K-POPの熱風が吹いていた時期でもあった「韓流」という言葉が固有名詞として使われるずっと前から同じ場所にいた。 そして「アイドルメーカー」はもう少し詳しく違う見方や温度で、アイドル産業に入っている「人」の話を入れて見ようと企画された本だ。 7回にわたって本の内容の一部を抜粋して掲載する。 インタビューの全文は「アイドルメーカー」を通じて確認することができる。》


#YG X チャンソンウン

 

『ここは単純に自分の夢を叶えるためだけの場所ではないのだということを悟りました』

 

バクヒア:YGエンターテインメント(以下、YG)には本格的にエンターテインメント会社で働いてみたいというお考えで入社したんですか?

 

チャンソンウン:いいえ。 それは全然なかったんです。 それに、会社に入って働く気も全然なかったんです。 会社生活そのものが嫌いということではなく、自由に働きたいという欲求がありました。 誰もが夢見るロマンじゃないですか。 しかし、人生が計画通りに行かない方が合ってるみたいです。 ロシアに行くつもりでしたけど、それも事情で行けなくなったし。

 

バクヒア:それでは、エンターテインメント会社に入社して新たに悟るようになった点や特別に感じた点があったんじゃないでしょうか。 これまでは外部で作業していた事が、今度は業界の内部状況を近くで見て適応しなければならない状況だったでしょうから。

 

チャンソンウン:実際にYGの中に入って見てみたら、芸能人1人の影響力が私が思っていたよりもはるかに大きいのです。 外でデザインし、コンセプトを作っている時は自分の仕事にだけ焦点をおいていたからそれがどんな事なのかよく分からなかったんですよ。 あまり考えが至っていなかった。 ところが、YGに入ってからは何か感じるものがありました。 ファンたちは雨が降ろうが雪が降ろうがブランケットをかぶって自分が好きなアイドルを待っていて、すべての一挙手一投足を追ってアイドル達の人生を真似したりもしています。 ここは単純に私の夢を叶えるためだけの場所ではないのだと悟りました。 使命感を持って仕事をする人が必要だと思いました。

 

バクヒア:YGでの会社生活そのものはどうでしたか?

 

チャンソンウン:私にとってはYGはとても楽な所でした。 すべてのことを認められて入社しましたし、それだけ待遇もよくしてくださいました。 実際に何よりも一番よかったのは、YGが放牧型会社だったという点でした。 私が自分で内容を認識して仕事ができるようにそのまま任せてくれました。 おかげで任された部分は責任を持って納得いくまでやり遂げる事が出来ました。 そのためか、会社づとめだったにもかかわらずある程度は自由だったと思います。 会社に泊まることもできたし、ご飯もタダだし、運動もできたし…これも良かった事ですね。 ハハ。
すべての条件がよかったのは確かです。 それに、ヤンヒョンソク代表が私がフリーランスの時に受けていた仕事を続けてもいいとおっしゃってくださったんですよ。 もちろん勤務時間内には外部作業はしませんでしたが、一応そうおっしゃってくださったこと自体がありがたかったです。 「うちの仕事をきちんとよくやってくれさえすれば良い」とおっしゃったんです。

 

#パッケージ作業

 

『たくさん歩き回って、見て、聞いてみなくてはいけません』

 

バクヒア:それでは素材や材料はどのように決定しますか。 あまりにも一般的ではないものをたくさん使われましたよね。

 

チャンソンウン:デザインをしていく過程で自然に素材の候補たちが浮かびます。 例えばRainのアルバムを製作した時は、私は「雨」に関連したすべての要素を全部使ってみたかったんです。 雨粒、虹などたくさんありますよね。 だからとてもたくさんの事を考慮しました。 絵で雨のしずくを描くのか、さもなければ本当に水を入れるのか、写真に撮って使うか、印刷効果や構造を通じて表現するかなど…。色々な方法の中でベストを選ぶんです。 この過程を経て完成されたプロトタイプのいくつかを会社と交わして最終案を決定します。

 

バクヒア:結局、デザイナーも現場経験が本当に重要な職業ということですね。

チャンソンウン:はい。 デザイナーが持っていなければならないのはアイデアだけではないです。 AからZまですべてのプロセスを経験してみなければなりません。 現場で印刷担当の方達の話を聞いてみると、足を動かさないで机の上だけで作業するデザイナーたちがとても多いと言っていました。 足で走るなんてアナログ式だというのはその通りです。 でも、人が体で覚えたことは一生記憶していると言うじゃないですか。 デザインも同じです。 若い時、足を使って走り回って材料も直接報告して印刷される過程を見守りながら、自分が画面上で作業したのものが実際にはどうなるのかもチェックしてみなければなりません。

(中略)

 

#アーティストキーワード

 

『YGが持っている全体的なブランドイメージはあります』

 

バクヒア:製作したパッケージでも分かるように、YGはあまりにも個性の強いミュージシャンたちが集まっている場所じゃないですか。 彼らと作業をしながらその個性を一つ一つを生かすために特別に考慮したことがありましたか?

チャンソンウン:YGだけがそうだとは思いません。 もちろん、YGが持っている全体的なブランドイメージはあります。 既存の一緒に仕事をした他の会社と確実に違いがあることはあります。 YGはアイドルやヒップホップでよく知られた会社ですから。 私もYGではそのようなユニークなアイデンティティをデザインに盛り込もうとしました。 また、アイドルとそうでないアーティストたちの間に存在する年齢差があり、そこから始まったイメージの差もあります。 また、デザイナー1人と10年間一緒に働きながら一貫したブランドイメージを構築したという点も特徴です。 でもどこの会社と仕事をしても、作業するときはアーティストごとに持っている固有の雰囲気、会社やアーティストとのつながりを探そうと努力します。 だから実際の作業過程においては全てのアーティストが似たような話なのです。

 

バクヒア:MDの中で一番気に入っているものは何ですか。

 

チャンソンウン:2NE1の…

 

バクヒア:2NE1に愛情が多いようですね。

 

チャンソンウン:アハハ、そういうわけではないです。 MDが特に気に入っているんです。 一つはノートです。 方眼ノートなんですが、よく見ると中にO・Xがあります。 友達を待ったりしていて特にすることがない時なんかに、Oを全部塗ってみるんです。 そうすると2NE1のメンバーのうち1人の顔が完成します。 ドット作品を作る感覚で構想しました。 この方法を活用すれば、どんな歌手の顔でも表現することができます。 ノート系のプラットフォームを作成する必要があると思い、それなりに野心的に作りました。他だと2NE1のトランプです。 これは社員たちみんなで非常に苦労をしました。 いちいち全部手描きで作ったので。

 

#デザインというもの

 

『すでに人々によく知られているものを、自分の視点を通して新しいものにするんです』

バクヒア:先ほど寛大な性格が長所だとおっしゃったでしょう。 ところが、デザインであれ音楽であれ、いわゆる「私はアートをしているの!」という感じの人たちには繊細な部分が多いようで、社会的にそのような固定観念が少しありますが…

 

チャンソンウン:この仕事をしていてこんな考えをしたことがあります。 「音楽をする人たちやデザインする人たちは、大衆の目と耳を楽しませる尊い人たちだ。でも、なんでそんなに敏感なんでしょ?」ハハ。でも自分が経験してみると鋭敏にならざるを得ない理由があったんですね。 一般的な見方で物事を見ることが100と表現するなら、デザイナーはこれを6400倍に拡大して見るんですよ。 人々が見ることもない部分が目に見えるんです。あえて事物をそんな風に見るわけです。 これが両刃の剣です。 ところがそんな過程を毎日繰り返してみるとずっと目が整えられてきて、細密になって、少し綿密になっていきます。 最初は見えなかった間や行間、全体的なバランスなどが見えてくるんです。 別の表現をすると、さわるんです。 それで私は作業をする度に現実で中心を忘れないように、と、常に誓います。 それがデザイナーの人生であると思われます 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

チャンソンウンさんは今はYGから独立してMA+CHというデザイン会社を経営されています。
元々はCDジャケットデザインを受けていたデザイン会社の社員でそこからフリーランスになり、ヘッドハンティングされてデザイン室長に就任して時期的に2NE1やBIGBANGメンバーのソロアルバム、PSYなどをイメージコンセプトから担当していたそうです。
アイドルのビジュアルデザイン関係だとKPOPファンの間ではSMのミンヒジンさん(今は理事になられたそうで)が有名かと思いますが、おそらく最初にアイドルのジャケットデザインにアート感覚というか、変わった形や素材のパッケージだったり表ジャケットにメンバーがはっきりわかるような写真をあえて使わないというような今ではおなじみのスタイルをとりいれたのは、2006年前後(BIGBANGデビュー前後)のYGが最初だったのではないかと思います。それゆえにデザイン界では有名な方で海外のデザイン賞も受けられています。

 

去年デザイン関係のインタビュー記事(https://univ20.com/37228)を読みましたが、「デザイナーの仕事はクライアントの証明を第一にする事で、作品の中に自分を残してはいけないと思う。アーティストにはその人だけのシグネチャーがあり、それがアーティストとの違い。でも最近はアーティストとデザイナーの境界は曖昧になってきているし、そこにとらわれないで自由にやっていいと思う」というような事を言っていたのが印象的でした。あくまでアーティストを立ててデザインの中に「我」が出過ぎないようにするタイプのデザイナーさんのようですが、確かにYGはそれぞれの個性が強いアーティストが多いのでそういう方があっているのかもしれません。

【idology 訳】アイドルメーカー:④ 作詞家/MAFLY

【idology 訳】アイドルメーカー:④ 作詞家/MAFLY

 

『一語でも無駄に使いたくないんです』

 

byバクヒアon 2017/01/06
http://idology.kr/8284

 

(訳注:文中の太字部分はウェブ公開されてない部分から一部抜粋しています。部分抜粋ですので、全文が気になる方は「아이돌메이커」本誌をご参照ください)

 

《華やかに輝くアイドル、その背後には自らの分野でこまめに働いてきたもう一人の主人公たちがいる。 彼らは、K-POPの熱風が吹いていた時期でもあった「韓流」という言葉が固有名詞として使われるずっと前から同じ場所にいた。 そして「アイドルメーカー」はもう少し詳しく違う見方や温度で、アイドル産業に入っている「人」の話を入れて見ようと企画された本だ。 7回にわたって本の内容の一部を抜粋して掲載する。 インタビューの全文は「アイドルメーカー」を通じて確認することができる。》


#詩、歌詞、ドラマ

 

『こつこつと詩を書いていたのが、歌詞を書くのにもそれとなく多くの助けになったようです』

 

バクヒア:テヨンさんの「I」が2016年にも本当にたくさんの愛を受けましたが、喜ばれているんじゃないでしょうか。 歌詞が温かいながらも、そこにしっかりした感じが生きていて本当に良かったです。

 

MAFLY:テヨンさんの歌詞は作業中からうまくいく気がしてました。まずは曲が大好きだったし、テヨンさんがあまりにも歌が上手だから。 私がうまくやりさえすればいいんだと思いました。 ハハ。人は誰も大変な時期があるじゃないですか。 そうじゃない人はいませんよね。 自伝的歌詞はそのような面において共感を持たせることが容易ですから。 事実その歌詞を製作中、わたしも今まで苦労した自分自身を慰めたりするような感じで文章を書いた気がします。 最近になって特に感じたのですが、暖かみがあってしっかりした感じの歌詞が自分の色であるようです。 いくら力強い雰囲気の歌詞を書こうとしてもうまくいかないですね。 このような歌詞を好きでいてくれる方がいる事に感謝するだけです。 だからあえて変えようとはしません。

 

バクヒア:作詞家の他のお仕事もされているようですね。 多様な分野に関心をお持ちのようです。

 

MAFLY:ドラマの脚本を書く準備をしています。 ある見方をすればどちらも書く仕事ではあるんですけど、エンターテインメント業界で働きたいという夢を見始めた時からドラマの作家になりたかったんです。

 

バクヒア:ご存じのように、作詞や作曲は周辺の助けを借りてスタートするケースが多いじゃないですか。悪く言えば徒弟システムですよね。 良く言えば個々で人が弟子を育成するシステムとも言えますが。

 

MAFLY:徒弟システムは悪いことではないと思います。 作詞家の仕事には暗黙のルールがあります。 それに仕事のやり方のようなものを一人で学ぶのは難しいんですよ。 更に、最近は徒弟システムというよりは一つのチームという概念が合っているみたいです。 チームもあるし、作曲家グループもいて、ICONICやJoombasのような作家たちのための会社もできましたし。 そんな風に育成される場合が最も多いようです。 歌謡界ではどうしても人脈が重要だから、一人で仕事を始めるのは難しいことです。 ひとまず一回でも企画会社から作詞依頼を受けることもできません。 コネクションが必要なのではないかと思います。

 

#@STUDIO

 

『一語でも無駄に使いたくないんです』

 

バクヒア:作業室で歌詞を書くときは一人でたくさん想像してみて調整されますよね。 その後に文字に移していくのではないでしょうか。 反対にスタジオに行くときはアーティストたちにまず視線が行くので、録音の過程で一種のフィードバックが出来るのでは。

 

MAFLY:はい。 そういう部分ではオムジョンファ先輩が素敵だと思いました。 1年前に依頼を受け、6ヵ月前くらいに録音をしました。 当時、録音室に行った時私があまりにも緊張しすぎたんですよ。 あまりにも大先輩である方なので…ところが先輩はずっと下の後輩の作詞家なのに気楽に接してくれて、おかげで録音も楽に終えることができました。 本当にありがたいことでした。 謙虚な態度でスタッフたちに接している姿が本当に印象的でした。 尊敬するようになりました...

 

バクヒア:オムジョンファさんも実際は90年代のアイドルとみることができる方ですね。 もちろんコンセプトは典型的なアイドルコンセプトではなかったですが、人気のような部分ではそうですね。

 

MAFLY:そうですね。 そういう見方をすれば、第一世代アイドルと言える方ではないでしょうか。 そんな方が未だに録音室に一度入ると出てこないんです。 凄い情熱を目の当たりにしました。 あのような根性と情熱があの人をあの場所に居させているのだと思いました。 (中略)

 

#アイドルとの作業

 

『相性の良いアーティストというのがあるようです』

…………………………

 

バクヒア:まずアイドルの曲を書くときはメンバーがとても多いでしょう。パートを考慮して書いたり、パート分配について個人的に意見を出すこともなさるんですか?

 

MAFLY:パート分配については企画会社のA&Rチームや作曲家が担当している場合が多いです。なので特に私の意見は表明しません。それでも歌詞を書くとき考えることはあります。「ああ、この部分は誰々が歌うだろうな」とピンときてそれに合わせて書いたりもします。

 

バクヒア:アイドルのメンバーと共同で仕事をする時もありますよね。そんなときの配分はどうされるんですか?

 

MAFLY:作詞家同士の共同作業をする場合は、2つの方法があります。1つは親交のある作詞家から連絡が来る場合ですが。作詞の依頼が入って来たものの本人が一人でやるのが非常に難しいとか、時間がなくて一人で消化するのは難しいときにやってみる方法です。こういう場合はアイデアを一緒に組んでストーリーを作成した後に作業をするか、または一人がプロットを書いてもう1人がそれを参考に書いたり、1人がヴァース-プリコーラス-コーラス部分まですべて書き、もう1人はコーラス部分のみ使うなどです。後者の場合は、作詞を依頼してきた会社で作成した歌詞をミックスする場合もあります。試案をすべて受けて見て、このような二つの歌詞を混合して欲しいとか混ぜる比率によって持分を分ける場合もあります。そしてアーティストと作業するときはアーティストと一緒に会議をして作詞をする場合もあり、私達が与えた試案をアーティストが自分の口に合うように修正をする場合もあります。

…………………………


バクヒア:少女時代、テティソ、キュヒョンなどSMエンターテインメント所属のアーティストたちと数回一緒に作業しました。 どのような流れで一緒にするようになったんでしょう? 特別なきっかけはありますか?

 

MAFLY:あまり知られていませんが、私のデビュー曲は少女時代の「낭만길 (Romantic St.)」でした。 その時はMAFLYではなくスミという名前を使っていました。 MAFLYという名前で再出発したので新人だと思われました。 外国人だと思っていた方もいました。 ハハ。とにかく、デビューが少女時代だったので自然にSMエンターテインメントから作詞依頼を受けることになったんです。 以降はテティソ、東方神起、テヨンさんやキュヒョンさんの曲もするようになったんです。 実際にやってみると作詞家と相性の良いアーティストというのがいるようです。 私にとってはガールズグループがそれです。

 

バクヒア:作詞をされていて得意なジャンルのようなものはありますか?

 

MAFLY:特にジャンル分けはしていません。 好きなジャンルはありますが、依頼は多岐にわたるので区別することができないのです。 それはさておきガールズグループとの仕事が多かったです。 作詞家ごとに合うジャンルや歌手が特別にあるようです。 かつての先輩たちを見ると、ヤンジェソン先輩のような場合はソンシギョン氏と長く作業されてましたよね。 私にとってはガールズグループが、そのような存在です。

…………………………

 

バクヒア:書きやすいジャンルが特にありますか?

 

MAFLY:好きなジャンルがどうしても得意みたいです。バラードが楽ですね。事実バラードはライム(韻)を合わせるよりもメッセージのストーリーを繰り出すことが重要でしょう。ところがダンス曲はライムが絶対的に重要であり、歌いやすさも必要で、耳ざわりも良くなければならず...検討するべき事があまりにも多い上に、歌詞にメッセージも込めなければいけないので。

 

バクヒア:ダンス曲が最も難しいと。それにもかかわらず、最近はダンスグループの歌詞をたくさん書かれましたね。

 

MAFLY:ハハ。そういえば実際、最近はボーイズグループのダンス曲をたくさん書きましたね。少年24、MONSTAX、VIXXとも作業しましたし、ちょっと前にデビューしたPENTAGONの場合は収録曲「SMILE」の歌詞を書きました。 1年前に書いたものだから、その分メンバーの方達が長い間準備した曲ですね。このように時期を思い返してみると、私の立場ではその時点の自分自身がどんな気分だったのかも推測することができます。

 

バクヒア:その時の状況に応じて歌詞の内容も結構変わったりするんでしょうね。タイトルだけ見て明るい雰囲気が浮かんだりはしませんか?

 

MAFLY:実際に自分の感情に基づいて歌詞の雰囲気が変わることはあります。人間のする仕事だからそれは仕方ない事だと思います。自分の状況や気分に応じてある時はボーイズグループのダンス曲の歌詞がよく出て、またある時はガールズグループのダンス曲がよく書けたりとか。まあ、それでもやはり私はガールズグループの歌詞がよりよく出てくる方です。ボーイズグループのダンス曲はよく出てくる時と出てこない時があり...同じことが言えるのが、グループでもセクシーなコンセプトを持っているグループがありますけど、まだこのような雰囲気の曲は作詞したことがないと思います。ハハ、私はうまくできなかったんですよ。キュートで可愛らしく明るくて軽快な雰囲気の歌詞の方が得意なんです。作詞家ごとに傾向があります。

 

バクヒア:歌詞を書くときは性別ではなく、アーティストそれぞれが持つ表現をより考慮されるのですか?

 

MAFLY:すでに知っているアーティストから依頼される場合が多いので、性別などの要因はすでに検討済みの状態で書き始めます。性別ではなく、アーティストそれぞれが歌詞を表現する方法にもっと注意を払います。例えば「この部分はこういう風にうまく表現して欲しい」と言われる場合はありますよ。それは本当に耳の神様のように探知する歌手の方もいます。また「この部分を特に強調して取り上げくれたらいいのにな? 」と思っていたら、実際にその単語を拾って歌ってくれる歌手の方もいます。逆のケースもありますが、作詞家がアーティストにそれをいちいちすべてフィードバックするのは難しいです。もし作曲家と親交がある場合は作曲家に話をしたり、会社に軽くお話する場合もあります。これももちろん会社と親交がある場合にのみですが、まず第一にアーティストが歌ってみたときに、その人自身が「ああ、ここがポイントだな」と感じるような歌詞を書くというのが最も重要なことだと思う。それが最優先でしょう。

 

バクヒア:それはアーティスト一人一人の能力に応じて異なるものなんでしょうね。

 

MAFLY:そのような場合もありますし、ディレクティングを見てくれる方の能力に応じて異なることもありましたし。

…………………………


#今この瞬間

 

『誰にとっても今この時間、今のこの瞬間はたった一度しかないじゃないですか』


バクヒア:作詞しながら、むしろ自らの慰められたような曲を一つあげて頂けますか。 周囲の元気のない方におすすめします。

 

MAFLY:GFRIENDの「カシャッ(철칵
)」という曲です。 そこに入っている歌詞の中に「遠いいつの日か 同じ写真を見ながら/にっこりとまた 笑えるように/もっと幸せになる/誰も私の代わりはできないから」ありふれているように聴こえるかもしれませんけど、個人的に本当に好きです。 誰にとっても今この時間、たった今のこの瞬間はたった一度しかないじゃないですか。 そんな思いから出た歌詞です。 毎瞬間、私のすべての日常が写真にうつされて残されるとしたらどうでしょうか。 遠いいつかの日にも、今この瞬間、シャッターを押された私の姿を見ながら再び明るく笑うことができたらいいという思いから書きました。 毎日が贈り物であるかのように暮らしているんです。 もし今の私が顔をしかめていたなら、後日、今のその写真を見て再び顔をしかめるでしょうから。 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

インタビュー中に出てきた方式はヴァース・コーラススタイルと呼ばれ、日本で一般的なAABA方式とはまた別の曲パートの分類方法です。主に洋楽ではポピュラーな方式で、この場合は「コーラス」がAABA方式で言う「サビ」にあたります。「プリコーラス」が「サビ前」で「ヴァース」はその他のパートですね。

 

個人的なMAFLYさんの歌詞のイメージは、しっとりとしているというか叙情的な感じです。季節で言うと春の始まりや秋、晩夏みたいな微妙な移り変わりの時期というか。本当にフレッシュなガールズグループには特にぴったりだなあと思います。

 

インタビュー中に出てきたChaChaMaloneが所属している韓国のクリエイターカンパニーICONIC SOUNDSの作家さんたちは、結構ジャニーズとかLDHの製作にも参加してたりしますね。
Joombasは韓国の人が作った会社ですがソウルとLAをベースに活動しているようで、DEANが所属しています。

【idology 訳】アイドルメーカー:③作曲家・プロデューサー/BUMZU

【idology 訳】アイドルメーカー:③作曲家・プロデューサー/BUMZU

 

『自分はヒップホップをしているけど、アイドルらしさに対するロマンがあります』

 

byバクヒア on 2016/12/23 

http://idology.kr/8198

 

(訳注:文中の太字部分はウェブ公開されてない部分から一部抜粋しています。部分抜粋ですので、全文が気になる方は「아이돌메이커」本誌をご参照ください)

 

《華やかに輝くアイドル、その背後には自らの分野でこまめに働いてきたもう一人の主人公たちがいる。 彼らは、K-POPの熱風が吹いていた時期でもあった「韓流」という言葉が固有名詞として使われるずっと前から同じ場所にいた。 そして「アイドルメーカー」はもう少し詳しく違う見方や温度で、アイドル産業に入っている「人」の話を入れて見ようと企画された本だ。 7回にわたって本の内容の一部を抜粋して掲載する。 インタビューの全文は「アイドルメーカー」を通じて確認することができる。》


#ハンヨンエバン

 

『自分が学んだのは音楽をする態度、音楽する人たちを尊重する態度でした』

 

バクヒア:こんなにたくさんのアイスコーヒーを1人で召し上がるんですか?

 

BUMZU:違います。 あまりにも出たり入ったりする子達が多くて…。来て録音しているうちに、置いて行きます。 お菓子に自分たちのカバンに、まるでここは倉庫です。 SEVENTEENとNU'ESTの作品が主ですが、最近は徐々にプレディスガールズ(訳注:現PRISTIN)までが加わり始めました。 やれやれです。

 

バクヒア:本当にとてつもない人数が苦楽を共にする場所なんですね。 実は最初アンダーグラウンドで活動されていた時も、アイドルグループと一緒に作業するようになるとは想像をしなかったのが事実です。 さらにMnetスーパースターK4に出演した時にもアイドルとは全く無関係に見えましたが。

 

BUMZU:「スーパースターK4」も、偶然に出たんですよ。 その前にMnet「Show me the money」でJoosCヒョンのフューチャリングで舞台に立ったんですが、その後に交渉の電話のようなものがかかってきたんです。 「一度出てみませんか?」って。その時はこう言いました。 「いえ。 あの、アンダーグラウンドシーンにいるので」って。ハハ。その時は、いわゆる「アンダーぶってた」時でした。 ところが、ふとこんな事を思ったんです。 「ああ、あそこに出演したらとても面白そうだな? 1回やってみるか?そうしようか?」22歳の時だから覇気のあふれる年齢じゃないですか。

 

パクヒア:では、ハンヨンエ氏を「誰もいない」で呼ぶようになった特別な理由でも?

 

BUMZU:僕はハンヨンエバンド出身なんです。 ハンヨンエ先生は「先生」という呼び方を好まないので僕たちは「ナム様」と呼んでいました。 とにかくその時ナム様がデュエットの舞台にも立つようにしてくれて、彼の下でバックアップコーラスをしながら着実に音楽を学びました。 おかげで影響をたくさん受けました。

 

#アイドリッシュロマン

 

『自分はヒップホップをしているけど、アイドルスタイルに対するロマンがあります』


バクヒア:実は今日のインタビューは作曲家、また音楽プロデューサーとしてのBUMZUにスポットを当てているので。 その結果SEVENTEENとNU'ESTの話がほとんどになってしまうんですよね。パフォーマーとしての話をこんなに熱心にして下さいましたが、少し残念ではないですか。

 

BUMZU:ところが僕はそんなに残念ではないんです。 事務所で僕を担当しているヒョンの立場からしたら少しさびしいと言うことが出来るかもしれませんが…。今はプロデューサーや作曲家として言いたいことがもっと多いんですよ。弟たちを通じて若干の自己実現をしている感じがあります。 僕も韓国で生まれたから韓国のアイドル文化を見て育ったじゃないですか。 幼稚園や小学校の時には当時登場したガールズグループを見て「わぁ!」と思いながら大きくなってきたんです。 だから自分はヒップホップをしているんですがアイドルスタイルに対するロマンがあるんです。 現実的に自分にはアイドルはできないということは分かっているけど、アイドルが持つことができる魅力的な部分に関しては若干の理想を持っていたんです。

…………………………

 

自らアイドルがしたいという気持ちはまったくありませんが、アイドルという概念への理解の土台はあります。それにこういう作業自体が本当に楽しいんですよ。どうしても歌手のときはスポットライトを浴びますよね。でもアイドルを作りあげるときには、グループの後ろで黙々と支えてくれる人でなければいけないし、むしろ、僕はパフォーマンスをやる立場から見るので平気なんだと思うんです。
(略)

 

バクヒア:分離とおっしゃいましたが、それぞれの立場に立っているときは全く違う感じですか?

 

BUMZU:いいえ、どこかで繋がっている感じはあります。もちろん子供たちが立つステージと僕のステージの雰囲気は違いますが。(略)僕らの雰囲気自体が違うことも重要な共通点があるんですよ。観客と疎通して、ファンたちと疎通し、また舞台でエネルギーを伝達しなければならない立場であることは同じでしょう。ところが、僕が自分でそのような感覚を失ってしまうというのは、子供たちが僕が作った歌をパフォーマンスしてエネルギーを発散することができる感覚が消えるのと同じじゃないかと。そうなったら僕という作曲家と一緒に働くメリットがなくなってしまいますし、国内には本当に素晴らしい作曲家やプロデューサーの方が多いので、僕も僕の立場で自らが持つ作曲家としての個性と長所を浮上させなきゃいけません。そこで考えたのが、まさにこのような部分的なんです。パフォーマーとして持っているメリットがあるから、子供たちとの作業でも自分の経験を生かしてステージに重点を置くことができると思うんです。自分が引き受けた部分だけは、オーディオを含めてステージパフォーマンスそのものまでピントを合わせることができるのが楽しいです。
(略)

僕が初めてこの会社に入ってきたのは3〜4年前ぐらいですが、NU'ESTに一番最初に曲を書いてAFTER SCHOOLの曲も書きました。それからSEVENTEENのボーカルトレーナーになりました。会社から「おい、お前ヒョンだからこの子たちにちょっと歌を教えてみろ」と言われまして(笑)そうして自然にここにまで来ました。実際にSEVENTEENの音楽は僕自身がとても楽しく作ってきたもので、「ADORE U(アッキンダ)」「MANSAE(マンセー)」「VERY NICE(アジュナイス)」もそうですし、ああ、「PRETTY U(イェップダ)」はちょっと大変だったんですが、重要なのはそれでもどんな曲であれ、自分で最も「楽しく」作業する事のできる音楽だったんです。それが子供たちのシンボルにもなりましたね。
(略)

…………………………


#SEVENTEENとNU'EST

 

『世界観も、そこから始まった音楽的雰囲気もビジュアルコンセプトも違うので』

 

バクヒア:SEVENTEENの音楽プロデューサーでもあって、NU'ESTのような場合にはもっと幅広い部分を担当していますが、とにかく、両グループともタイトル曲からずっと作業しているほど音楽的に深く関与していらっしゃるんですよね。 そういう結果、コンセプトでもある程度BUMZU氏の意見が入るようですが。

 

BUMZU:実際にNU'ESTはコンセプトを決める時点から僕が一緒に入っています。 公式的に自分がアルバムプロデューサーとして参加しているからというのもありますね。 アルバムテキストでも僕が関与します。 A&R(注:アーティスト&レパートリーのこと。アーティストと外部作曲者などのマッチングなどをする)一緒にしています。 おかげで外部のプロデューサーや作曲家たちにもたくさん会って、一緒に作業もしています。 ところが、SEVENTEENにはウジがいるじゃないですか。 なので共同で音楽プロデュースに入る形です。 具体的なコンセプトのようなものは会社とメンバーの間で決定された後で、僕が味付けを追加する程度です。 普通はこのように進めています。

…………………………

 

バクヒア:NU'ESTは総括的なプロデュースにも参加しましたが、特別なきっかけがあったのですか?

 

BUMZU:SEVENTEENの「ADORE U」が終わってNU'ESTが韓国で新しいアルバムを出すべき時期がきたんです。会社で突然「一度NU'ESTを担当してみないか」と言われました。実際にNU'ESTはこのアルバムから、グループのアイデンティティを含めて全体的に再設計が必要な時点ではあったんですが、僕的にはやっと子供たちとの作業を深くすることができるタイミングが来たという感じでした。アルバムを作る過程でシステム的に多くの変化を与えようとしました。子供たちの考えもとてもたくさん聞いて、毎週会議もしました。すると僕も知らなかったNU'ESTならではのアイドルスタイルがあったんです。例えばSEVENTEENが持っているエネルギーはヒップホップに近いとしたら、逆にビジュアルコンセプトの方が浮き彫りにされているNU'ESTの場合は僕がその部分を勉強しないとダメなんですよ。その時から見たこともなかったファッション雑誌を見始めたり、周りのモデルの友人やアイドル好きな友人、親しい外部のA&Rにまで会って話しました。 「僕はこの部分について詳しくないので助けてくれないか、最近の悩みはこういうことで、勉強がしたい」という風に。そうやってリリースされたアルバムが「Q is」でした。自分的にもたくさんの事を学ばせてもらいました。非常に意味深く大切で、おかげでSEVENTEENのアルバムと同じくらいNU'ESTとの作業も非常にやりがいがあって幸せだったし、子供たちも以前と変わったことを感じましたよ。アルバムに自分たちが直接曲を書いたり歌詞を書くことでこのアルバムがどのように出来ていったのかが分かっているので、ステージもより熱心にしてくれました。

…………………………

 

バクヒア:NU'EST「Q is」のアルバムがもっと注目されなかったのはとても残念です...音楽的にもそうですが、ビジュアル的な要素もクオリティがかなり高いという評価が続いたんです。

 

BUMZU:そんな話を聞くと本当に充実した気持ちになります。 そのアルバムから僕が子供たちの曲を集めて作りあげていったので。 自分にとっては挑戦だったけど、本当に楽しい挑戦でした。 SEVENTEENと作業する時とはまた別の幸福感を感じました。 SEVENTEENと作業をする時には僕は作業室の中で、言葉そのままの「作業」をすればいいんですが、NU'ESTの場合にはあの子たちのために自分が外に出て直接ミーティングをしなければならないし、必要なものを見つける必要があるし、見つからない場合は作りますし、作りたいものがあれば作成しますし。ところが、こういう過程がすべて楽しくていいんですよね。 私が先にレクチャーすると子どもたちも徹夜して歌詞を書いてくるし、他の部分もたくさん発見してきて、ミーティングに行くときには応援もしてくれます。チームの状況についてずっとチェックしますし。 あ、こんなことはあります。 NU'ESTSEVENTEENは世界観も違うし、アルバムを製作する方式も違います。 でも僕にとって最も重要なのはこれです。 両グループのいずれも実の弟のような子達だし、だからこそあの子たちがどんなコンディションかをよくチェックするのが最も必要なことです。 作業する時やその他様々なプロセスを進める時にこの子がどんな考えを持っていて最近の精神状態はどうなのか、どのような人生を生きているのかとか。

 

バクヒア:これは「ヒョン(兄)」であるからこそ持てる関心ですね。

 

BUMZU:だからこういう状況になった事にとても感謝しています。 1日で会って別れて終わるのは嫌なんです。 もちろん僕は子供たちの兄でありスタッフだからその境界を守るのは重要で、また非常に難しいことです。 しかし、そのように生きることができること自体がすごく感謝している部分です。

...………………………

 

SEVENTEENとは1年半くらい、NU'ESTとは3年ほどのつきあいになります。その前にSEVENTEENのボーカル研修リーダーをやった時は子供たちには本当に厳しくしてました。大声も上げました。(略)

特にメインボーカルであるスングァンやドギョム(DK)に関しては、どこからだろうと歌ができないというような声は聞きたくなかったんです。

 

バクヒア:メインボーカルの力量を計るにはライブ音源全体を注意深く聞くしかないんですよ。お二人はボーカルが特に綺麗という特徴がありますね。どんな曲でもよく馴染むことができる無難なスタイルですし、ボーカルに致命的な悪い癖もほとんど見られないのではないかと思いますが。

 

BUMZU:自分も歌手なので、そういう視点から見ると気になるポイントというのがあるんですよね。今では自分の友人の曲を書く立場なので、僕の特色や歌い方自体が歌う子たちにどうしても影響を与えるでしょう。だからといって他の曲のパートまで僕みたいに歌ってほしいわけではないんです。だから、何種類ものジャンルを消化することができる基本的なボーカルスタイルを見つけるために子供たちと一緒に努力しました。2年ほどはこの歌あの歌ととにかくたくさん歌わせてみていました。ジャンルも何と特に分けずに一緒に悩んだ部分もありますが、まず自分の立場としては「僕にあまりにも近いスタイルにならなければいい」と思いました。また、あの子たちが基礎をよく習得して様々な状況でどんな歌でも歌うことができる歌手になることを望んでいます。決して完成段階ではないです。でも、とてもよく成長していっている最中だと思うんです。僕があれこれ悩んでいる間にスングァンとソクミン(DK=ドギョムの本名)が自ら熱心にしてくれたのが、二人の子たちが成長することができた最も根本的な理由です。

 

バクヒア:実際、デビューの年に比べて成長速度が非常に速いように感じます。活動中も練習を着実にするグループとしてよく知られていますよね。

 

BUMZU:僕もその点がありがたいです。信頼しています。実は「PRETTY U」のアルバムからスングァンにボーカルディレクティングを任せ始めました。 「ADORE U」アコースティックバージョンを渡して「この曲はコーラスまですべて君が面倒を見るように。ヒョンは後でチェックするから」と言いました。そして、僕は立ち去って、他の作業をしてから戻ってきたんですよ。見てみるとスングァンが本当にコーラスまで全部やっていたんです。それは率直に言って本当に驚きました。結局、「ADORE U」のアコースティックバージョンは僕は最初からタッチしませんでした。当時、僕はスングァンに対してこんな感じでした。 「スングァン、とりあえずお前がやりたいようにやってみろ。気になる部分があれば後でヒョンが見るから」と。スングァンも驚いていましたし、慌てたと思います。「ヒョンはなんで突然僕にこんな事を?」こんな表情でしたが、「一度やってみるよ」と行って出て行った。録音室に10時間以上いたんじゃないかな?その時間中スングァンがメンバー達を連れてきてあれこれやってみていました。ちょうど上がってきて見てみたら、正直あまりによく出来てたんですよ。「ブ・スングァン、おい、ちゃんとしてるじゃないか?」そう言わせてくれました。軽く修正した程度で、ほぼ手を入れることがありませんでした。ありがたかったし、感動しました。ああ、コーラスの部分は、僕は全く手をつけなかったんです。あの部分はスングァンの作品です。

 

バクヒア:ボーカルディレクティングとコーラスを担当して進行することができるアイドルメンバーは珍しいですよ。特別な指導をされたんですか?

 

BUMZU:スングァンを伴って録音を本当にたくさんしましたよ。SEVENTEENのためのガイド曲をあれこれたくさん作ってみて、2人で複数のタスクを一緒にしながら説明し続けました。ある意味では授業の延長でしたね。今はスングァンはプロの歌手になりましたよね。だから歌手としての自分のポジションをリスペクトされなくてはいけません。でもスングァンやソクミン(DK)の2人はボーカルディレクターとしての能力まですっかり備えてしまいました。また、自分のアルバムコーラスは自分たちでできる程度の能力も僕から習得していきましたし。「MANSAE」の活動が終わった後スングァンと一緒にデモの作業を非常にたくさんしました。その数日間徹夜をしながら過ごした時、曲を消化する速度がかなり速くなっていたんですよ。あの子が学習したんです。

 

バクヒア:作曲家とプロデューサー、どちらの立場としても仕事が少し減って感謝しかない状況でしたね。

 

BUMZU:ハハ。本当にありがたい事ですし、正直SEVENTEENは熱心な子達です。ハハ。

…………………………


バクヒア:以前インタビューで会った時のSEVENTEENのメンバーたちの姿を覚えています。 一人一人全員が印象深かったですが、ホシ氏がとりわけ目につきました。 ダンスに対する情熱がすごいんですよ。

 

BUMZU:スンヨン(ホシの本名)は本当に踊りが好きなんです。 「Love&Letter」のアルバムの時はスンヨンに影響を本当にたくさん受けました。 スンヨンは歌の感じをダンスで説明するんですよ。 (中略)

…………………………

 

バクヒア:音を視覚化するんですか?

 

BUMZU:そんな感じです。例を挙げると、「ヒョン、こんなのあるじゃないですか。クンクンジャン〜」と言いながら踊ってみせます。(作業室のドアの前を指しながら)ここら辺に立って。で、僕はそれを見ながらドラムの音を録音して聞かせてみるんです。「おい、こんな感じか?」と尋ねるとスンヨンが「はい、その雰囲気が合うと思います」と。それからまた違う感じで録音して聴かせてみると、スンヨンが「完璧です!まさにそれです!」こんな感じですね。

 

バクヒア:ユニークな方法ですね。本当に特異ですよ。

 

BUMZU:作業方法に制限がありません。とにかく子供たちといると珍しい影響を受けます。バーノンはラッパーじゃないですか。ところが意外に性格は平和主義者なんです。ある日この子が凄い勢いで叫びながら作業室の扉をバタンと開いて入ってきたんですよ。悩んでいる事があるというので話してみなさいと言いました。その話の内容というのが、人々が争う姿をニュースで見たというものでした。「ヒョン、俺本当にいっぱい考えてみたんだけど。みんな全部一緒に仲良く譲歩してよく過ごすことはできないんでしょうか。ただお互いに褒めあって!そんな風にすればいいじゃないですか!」こうですよ。バーノンは誰もが仲良く笑いながらお互いを大切にしあって、譲り合いながら生きるのがいいんですって。言うことが可愛いでしょ?

 

バクヒア:新鮮ですね。

 

BUMZU:それと、「Love&Letter」の準備中にジョンハンにとても感動した事があります。アルバム録音中にメンバーたちが一度はわあわあと泣く時があるんですよ。帰り際になってジョンハンが泣きました。

 

バクヒア:思ったように録音が上手くいかなくて泣いたんでしょうか?

 

BUMZU:そうなんです、一度は決まった事が悔しくて泣くという、それが本当にありがたかったんです。僕自身がその曲を作業した本人なので。歌い手があれほどに欲を出してくれたというのがありがたいんです。不思議なのは、子供たちが一度ずつそんな風に泣いたら実力が大幅に上がるんです。次の作業をする時はもっとうまくなって来るんですね。結果僕の立場的には曲の中で他の試みをしてみることができるようになって、又別のボーカルを利用できる方式が何かあるか積極的にアプローチすることができるんですよ。あ、外国人メンバーのThe 8は韓国語の発音がたくさんよくなってその点も感心しています 。たまにあの子達を見ているとこう思うんです。「こんなグループが他にあるかな?」
(略)
NU'ESTの場合はアルバム制作の方法自体が最初から変わったので後で慌ただしくなりそうだと思いました。だから僕はすぐ人と仲良くなれるのを武器に、いつでも宿泊施設に押しかけて行ったりしました。そのおかげか、作業しながらイライラもしないし僕の言葉をよく理解してくれました。最近もベクホと夜明けまで毎日一緒に作業してました。今日も朝まで作業してサム(包みご飯)だけ食べてまた出てきたんです。
(略)

 

バクヒア:SEVENTEENの場合、メンバーであるウジさんと一緒に音楽プロデュースをされてますよね。ウジさんはプロデューサーとしてどの部分に最も重点を置いて作業するんでしょうか?

 

BUMZU:ウジはメロディーと歌詞の作業に最も力を入れますね。プロデューサーとしてSEVENTEENのイメージを構想し、そこに合わせて歌詞とメロディーを考える作業が優先です。そして自分自身がメンバーでもありますから、メンバーたちに最もふさわしいものを探すことに熱心です。プロデューサーとして大きなイメージ構想があるんです。

 

バクヒア:ところでSEVENTEENのタイトル曲を聴くと共通点としてレトロサウンドが強調されていて、そこが他と違う風に感じられる時がありました。特にその部分に気を使っておられるのかと思っていました。


BUMZU:実際会社の方はよくご存知ではない部分があるんですが。「ADORE U」は他の作曲家ヒョンと編曲を一緒にして、その後僕が「VERY NICE」までは曲ごとに個人的な好みを少しずつ入れました。あの子たちはレトロサウンドと本当によくマッチします。レトロジャンルにちょっとスパイスを加えて洗練させれば、古臭くなくいい雰囲気を出すことができます。要するにそれによってSEVENTEENが大衆にもっと身近に近づくことができるサウンドにしたいんです。個人的な好みと言いましたが…一応、会社ですべてOKサインをもらっているので見逃してください。ハハ...

 

バクヒア:SEVENTEENとNU'ESTはサウンド面で違いがありますね。NU'ESTはほとんど全ての曲をフューチャーサウンドで進めているじゃないですか。

 

BUMZU:はい。フューチャーベース(Future Bass)、あるいはディープハウス(Deep House)でレトロはできる限り使わないようにしてます。NU'ESTの世界観に合ったものがありますからね。過去のアルバムにはレトロなサウンドを使用したこともありますが、そこでもエレクトロニックな雰囲気を与えるための効果を強調することに力を使いましたよ。
(略)

 

バクヒア:サウンドソースはお一人で考える方ですか。

 

BUMZU:僕は「音オタク」なので、毎日でもサンプルパックの音源が新しく出てきた場合、すぐ買ってしまいます。その中でもドラム・サウンドを最も大切に考えているのでドラム・サウンドの作成にお金を多く使いますね。稼いだら稼いだ分だけお金をさらに費やすと思います。

 

バクヒア:SEVENTEENの場合デビュー曲から最新曲まですべて際立つドラムサウンドを特徴としていますが、それもやはり「オタ活」の成果ですか?

 

BUMZU:わかってくださりありがとうございます。嬉しいですね。気持ちのいいドラムの音を聞かせたくて、「VERY NICE」もそうですし、本当に楽しくやりました。
(略)

ウジと僕はSEVENTEENのカラーについていつも悩んでいて、一緒に悩む部分も多くありますが、それぞれの考えもあります。

 

バクヒア:(ウジさんは)助けを求めてくるタイプですか?

 

BUMZU:ウジはすごく無愛想なんですよ。「Love&Letter」アルバム作業の時、ウジと気楽な関係を超えてもう本当に近い関係になったととても感じて、この辺から冗談も言い合って、ギャグもしだしたみたいです。あの子はギャグ欲が本当に多いんですが、もともと固い表情でするからみんな当惑して笑えないという欠点はあるんですが...ハハ。実は「PRETTY U」が誕生するまではそれはまあ大変な過程を経ました。ウジと僕が一丸にならなければ解決できないような難題でしたよ。曲が2日間で7・8回リジェクトされたんです。曲が良ければコンセプトとマッチせず、また逆にコンセプトには合っていても曲が満足できず。ところで当時我々がSEVENTEENデビューの頃から秘蔵のカードとして持っていた曲がひとつありまして...一旦それを予備にして、僕はとても大変な気持ちを抱えたまま日本に行ったんですよ。そこで、日本の歌っぽい曲を一つ書いてきました 。帰国後その曲を聞かせたところ、弊社の社長がその新たに作った曲と予備に残しておいた曲を混ぜてみて欲しいというんです。その時は本当に死ぬかと思いました。ほとんど眠れませんでした。 3日に2,3時間という生活をほぼ1ヶ月近くしました。その1曲のためにウジも作業部屋で連日徹夜でしたよ。2曲をミックスさせて編曲までし直さなければならない状況だったから本当に絶望的でしょう。最初の予備曲のアイデンティティについてはその曲を作ったウジが最もよくわかっていたし、合わせるべき2番目の曲は僕が書いた曲なので、これはまさに2人がひとつにならなければ本当にどうにもならない状況だったんです。その過程を経て、お互いに感じましたよ。僕たちはよく合うんだな、これまでも本当によくヒットしてきたねと。その苦楽を共にしながら、ウジは僕に色々なことをたくさん話してくれたと思います。その前に作業していた時もじっくり話はしていましたが、それより数倍は慎重を期した姿勢で一ヶ月近く一緒にいましたからね。作業室のコーナーではスンチョル(エスクプスの本名)、バーノン、ミンギュが狭い中重なって横になって寝ていて....ハハ。ウジだけでなく、他の子供たちもとても努力したんです。

 

バクヒア:録音スタジオの外に出なかったという話でしたが、まさにこの部屋だったんですね。

 

BUMZU:はい、ここでした。とても多くの修正を経ては二人で「なあ、俺たちは本当の兄弟だな」と言いあいました。真の兄弟の意味を発見した瞬間だったというか。代表が常におっしゃってる言葉があるんですよ。「本当に終わるまでは終わってない」実際にそうなんですよ。アルバムが出る直前までミックス、マスタリングすべてやり直した状況もあったし、終わってから振り返ると本当にその言葉が合うんですよ。入念にチェックしていただき、良い結果が出たら報われます。

 

バクヒア:ハン代表は練習生選びに関与するほど几帳面だと伺ってますが。

 

BUMZU:はい。時々代表の部屋に行って話を交わす時がありますが、僕にもそういう面を見せてくださるんですよ。「あの時の...」とか、「代表がこのようなものまでご覧になってるんだ? 」と驚きました。子供たちもそれを知っているんです。だからいくら楽しく作業した曲を会社でリジェクトされたとしても、みんな反発せずに無条件に信頼しているんです。代表が常に結果として示されてきたからです。やはり、最近作業したグループだからSEVENTEENの話が多くなってしまいますね。
(略)
新しく準備する時は振りつけも見に行きます。NU'ESTの場合には見物を越えて自分がチェックするべきものを見に行く感じなんです。SEVENTEENの場合は本当に見物だけしに行ってもいいです。ハハ。行って振り付けの真似をしてふざけたりして、こうやって毎日過ごしていたらお互いに親しくなるしかしかありません。NU'ESTSEVENTEENと一緒にいると、まるでコメディドラマを撮っている気分です 。

…………………………

 

#BUMZU STYLE

 

『僕がここで安住してしまって子供たちに被害が行くのが嫌なんです』

…………………………

 (略)

バクヒア:最も影響を受けたアーティストはいますか?

 

BUMZU:ナム様を除けばヒップホップアーティストたちから最も影響を受けています。最近では、Travis ScottやTydolla Signですね。

 

バクヒア:最近作ってらっしゃる音楽とはあまり関連がなさそうですね。

 

BUMZU:ハハ。確かに、でも「VERY NICE」みたいな曲にもこっそりと誰にもわからない感じでテイストを忍ばせてたりします。僕だけしかわからないです。それで自分1人で悦に入ってるんです、ハハ。

 

バクヒア:サウンドソースだけではないんですね。そんな風にご本人の趣味も入ってるんですね。

 

BUMZU:ハハ、はい。「ADORE U」は子供たちに僕ができる限りの最高のデビュー曲を提供したくて作った歌ですね。でも「VERY NICE」のような場合は、僕たちの間では「頭振りソング」と言ってるんですがその言葉通りとても楽しく遊ぶことができる音楽を作ってあげたかった。初放送舞台を見た時、本当に満足したんですよ。子供たちが楽しくパフォーマンスをしていて、ずっとその曲をやりたかったというのが感じられたからです。初放送から楽しく叫べました。普通そんなのは最終回(最後の放送)や授賞式の時くらいじゃないですか?最初からちょうど「Come On! 」っていう感じで、見ててすごく笑いました。テンションが上がる曲ですから。ハハ、とにかくSEVENTEENとは本当に合います。実際に「PRETTY U」の場合にはショーケースで見てすぐに「ああ、これがSEVENTEENだ」と思いました。「VERY NICE」も同じなんですが、このようにSEVENTEENの場合はすべてのアルバムを通して共通の明らかにわかるようなキーワードがあります。「明るさ」「力強さ」そしてウジが強調する「爽やかさ」です。そのキーワードの中で多少の変化がある感じです。(略)
実は僕たち同士で話す時は「ADORE U」の延長上にあるのは「PRETTY U」で、「MANSAE」の延長上にあるのが「VERY NICE」なんです。

 

バクヒア:おぉ、意外です。

 

BUMZU:これを逆に見ている方は多くて、また「VERY NICE」を別個に考えている方たちが一番多かったんです。僕も後々ずっと聴いているうちにそうとも考えられると思うようになりましたが。

…………………………

 

バクヒア:SEVENTEENの音楽はNU'ESTと違ってとても劇やミュージカルっぽいじゃないですか。 曲構成もそうだし、ステージ演出もこの構成によってとても急速に変化します。 そのような部分は特に気を使われるのですか。

 

BUMZU:はい。 本当にとても気を使ってます。子供たちがデビューした時から自分が一番気にした部分です。 もちろんこれからはどうなるかわかりません。 しかし、いつかはこれをもっとシンプルにする必要があると思います。 この点について弊社の社長にもいつも言葉を差し上げています。 でも、一旦現在としてはパートチェンジに積極的にならざるを得ない理由があります。 メンバーが多いでしょう。 同じ編曲ではメンバーが目に入ってこないから。 僕はそれがとても嫌でした。 みんな個性があって、ひとりひとりが輝く子たちでしょう。 しかもこの子もあの子もみんな僕の弟たちです。 だから僕の立場では、大衆にはこの子も可愛がって欲しいしあの子も可愛がってほしいんです。 この子があの子がってそれぞれの存在が分からないのは嫌じゃないですか。 そんな事から始まったんです。 子供たちが自分の個性を見せられるようにソングフォームを全部変え始めました。 すべてのパートが急速に転換される方を選びました。

 

バクヒア:作業したグループやメンバーの中であなたの色といちばん似ているのは誰でしょうか。

 

BUMZU:スングァンですね。 僕がメロディを使っていたずらをすることについてとてもよく受け入れて、僕のアルゴリズムについてよく理解してくれます。

 

バクヒア:自分のようになって欲しいと望むわけではないけど、ノウハウを全部持って行ってくれたらいいという意味でしょうか?

 

BUMZU:はい。 そんな風に本当に全部吸収していってくれたらうれしいです。

 

#人生のメリーゴーランド

 

『僕は最近、人生のメリーゴーランドをとても早く回してるという話をするんです。 一生懸命生きているという意味です』

…………………………

 

バクヒア:製作者になりたい気持ちもありますか?

 

BUMZU:いいえ、全くありません。しかし、プロデューサーになりたい気持ちはあります。簡単に言えば、社長になりたい気持ちはないんです。

 

バクヒア:事業をしたいわけではないですね。

 

BUMZU:はい。そんな気持ちは全くなく、文字通り総括プロデュースはしてみたいです。

 

バクヒア:ビジュアルの方はどうですか?今回研究を多くされたとの事ですし、直接依頼が来る可能性もあるんじゃないでしょうか。

 

BUMZU:そういう部分は...僕の好きなようにしてくださることができる専門家に、ハハ。
(略)

 

バクヒア:自らも「アンダーグラウンド根性」があったとのことですし、誰かが今のBUMZU氏が商業的に変わったと批判することもあると思います。

 

BUMZU:意外に何も考えてなかったと思います。ただ、自然に心が、体がおもむくままにしました。さて、今となっては誰もが「Show Me The Money」に出てアイドルとフィーチャリングや作業もたくさんしているので、より良い状況だと思います。アンダーグラウンド最後の自尊心と呼ばれていたDeepflowヒョンもEXOの「Overdose」と「Monster」のラップリリックを書いたりしたじゃないですか。ところが聴いてみるとラップがまさにサング(Deepflowの本名)ヒョンのスタイルです。どこから発表されようが、誰と仕事しようが、自分の色が溶け込んでいる結果という点で変化はないですよね。

 

バクヒア:実際Deepflowさんの場合は、そのような作業をしながらも2015年最高のアルバムの一つに数えられる「양화(ヤンファ)」を発表したでしょう。

 

BUMZU:2015年韓国大衆音楽賞でも選ばれましたが、そのアルバムは僕も最高だと思います。だから、今は共存が可能なんだと思います。自分のアイデンティティとグラウンドは別でしょう。そんな時期が来たんじゃないでしょうか?
(略)

…………………………

 

バクヒア:作曲という作業に対するご本人の考えを整理すると?

 

BUMZU:人生のメリーゴーランドに一緒に乗っている友達みたいな存在です。 自分の人生のメリーゴーランドとは何なのかを説明してくれる存在でもありますね。

 

(〈아이돌메이커〉, 박희아, 안녕출판사より)

 

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BUMZU氏はNU'ESTのベクホとは服も音楽も趣味がぴったり合う「ベプ(ベストフレンド)」みたいなものだそうです。他にもジコのソロアルバムや制作業界の闇(作曲界の老害パワハラゴーストライターなど)の事についてなども語られてましたが、とりあえずNU'ESTSEVENTEENについてのパート中心に追記しました。
(かなりいいエピソードを語ってくれすぎた結果、全体的に長くなりすぎたので...)

 

「Q is」は個人的にMVも好きなアルバムです。音楽関連の仕事をされている方の間で特に高評価だったような印象です。その後NU'ESTがまさかあんな事になるとは...(プロデュース101シーズン2の件)

 

個人的にはNU'ESTの曲にはBUMZUっぽさはそんなに感じないんですが、SEVENTEENにはやはりBUMZUの香りを感じます。NU'ESTの場合は彼らの為に一からコンセプトを作り上げていったのに対して、SEVENTEENの場合はある程度すでに形のあるものの中に自分のテイストを入れていく感じだからかな?
SEVENTEEN編曲の感じもですが、hiphopチームの全体的なフロウがなんとなく似ているような気がして。やっぱりBUMZUが全員のボーカルトレーニングをしていたというのもあるかもしれませんが。

 

https://youtu.be/WizpqLGJ2co
(Block.BのP.O.と元HELLOVENUSのユンジョが出ているMV)

 

https://youtu.be/NhsZRHqqPIw
(SEVENTEENのミンギュとAFTERSCHOOLカウンが出ているMV)

 

【idology 訳】アイドルメーカー:②ダンストレーナー兼コレオグラファー /イソルミ

【idology 訳】アイドルメーカー:②ダンストレーナーコレオグラファー /イソルミ

 

『構成もなく振り付けだけで踊るなら、何故あえて団体でダンスをするのか』

 

byパクヒア on 2016/12/23 
http://idology.kr/8135

 

(訳注:文中の太字部分はウェブ公開されてない部分から一部抜粋しています。部分抜粋ですので、全文が気になる方は「아이돌메이커」本誌をご参照ください)

 

華やかに輝くアイドル、その背後には自らの分野でこまめに働いてきたもう一人の主人公たちがいる。 彼らは、K-POPの熱風が吹いていた時期でもあった「韓流」という言葉が固有名詞として使われるずっと前から同じ場所にいた。 そして「アイドルメーカー」はもう少し詳しく違う見方や温度で、アイドル産業に入っている「人」の話を入れて見ようと企画された本だ。 7回にわたって本の内容の一部を抜粋して掲載する。 インタビューの全文は「アイドルメーカー」を通じて確認することができる。

 

…………………………

 

バクヒア:最近本当にお忙しいのではないかと思います。最近、OH MY GIRLコンサートのためにとても苦労されたと聞きました。全曲振り付けをされたんですよね?

 

イソルミ:はい、振り付けに関する演出はすべて私でした。実は個人的にはこのような作業をする時、他の方と一緒にする方が進行がむしろ難しいんですよ。一人で最初から最後までする方が楽です。でもとても大変でした。死ぬかと思いましたよ。母が、初めて私が公演振り付け演出を総括したと知って喜んでいました。胸がいっぱいになりました。

 

バクヒア:OH MY GIRLについてはすでに聞き及んでいましたが、ジェシカさんとどのように仕事をする事になられたのか気になるんですよ。

 

イソルミ:ジェシカと関係ができたきっかけですか?

 

バクヒア:はい、今回何かのきっかけや前からの縁があって連絡が来たのかと思いました。

 

イソルミ:OH MY GIRLのスタイリストであるギムジョンヨウン室長がジェシカのスタイリングを担当していたんです。偶然私の話をするようになって、私の振り付け映像もジェシカに紹介していただいたんです。それとともに「ああ、じゃあソルミオンニに一度連絡をして振付してもらってみます?」こう言うことになったんです。ジェシカとは(以前所属していた)SMエンターテイメントで私がレッスンをしていて、少女時代の振りつけを組んだ時に知り合った仲です。以前に少女時代の振付を担当しましたし、その前にジェシカの妹のf(x)クリスタルが練習生の時からレッスンを引き受けていました。

 

バクヒア:そのように一つ一つの縁が繋がったんですね、なるほど。仕事を受けてからすぐ取り掛かられたんですか?

 

イソルミ:はい、すぐに(振付を)組みましたがそれがすでに2015年9月です。ハハ、その時初めてだったら大変でしたが、既存のものをもう一度組み直しました。歌詞が来てから、再びより振付を絞って2016年にリリースされたんです。

 

バクヒア:昨年から今年にかけてアメリカに行く作業をしたわけですね。時間がかなり長くかかってから出ましたね。

 

イソルミ:はい、本当に長い期間準備したんです。他の人から見たらとても短期間に準備したと思われるかもしれないけど、ダンサー含めても2015年9月から準備して作った作品だと思います。

 

バクヒア:「Fly」のミュージックビデオの撮影も一緒にされたんでしょうか。

 

イソルミ:撮影もすべて一緒にして、アメリカに行った時は私が韓国の後輩一人だけ連れて行って現地のダンサーに振り付けを教えました。そんな感じで一緒に仕事をしたんです。

 

バクヒア:当時、現地ダンサーの方は会社側が準備したんですか?

 

イソルミ:私が連れてきました。曲の雰囲気上、あまりにも強いイメージは正直ちょっと似合わなかったんですよね。実際私の好きなダンサーがいましたが、強いイメージなんです。残念ながら彼は今回はパスして、音楽とよくあうダンサーを探して撮影したんです。
…………………………


#Oh、My Girls!

 

『一回音楽を聞いてみてから、その子たちが感じたことについて尋ねる過程が重要です』

 

バクヒア:OH MY GIRLとは最初にどのようなきっかけで仕事をするようになったんでしょうか?

 

イソルミ:今、私はtKAA(the Key Artist Agency)に所属しているんですよ。 OH MY GIRLの総括プロデューサーであるチェジェヒョクPDが代表をしていらっしゃるところです。 その方とはほぼ10年近く前に知り合いました。 私がソンダムビの振り付けチームにいた時ですが、当時ジェヒョクPDがマネージャーだったんですね。 でもマネージャーの仕事だけではなくすべての事をしていたんです。 音楽に関連する事から始まり、全般的な業務を全部されていました。 その時その姿を見ながら「うわ、マジでたくさんのことができる方なんだ」と思いました。 そんなふうな縁があったんですが、2015年に突然連絡があったんです。 それがOH MY GIRLであるとも知らなかったんですが、「女の子のグループがあるんだけど、あなたが指導したら上手そうだから推薦した。曲を一度聞いてみないか?」こんな感じで。 WMエンターテインメントのイウォンミン代表が一度会ってみたらどうかと話したそうです。 そうしてOH MY GIRLを引き受けることになりました。

 

バクヒア:振り付けを組む時もメンバーたちと話をたくさん交わしてるじゃないですか。 主にどんな話をされているのか知りたいです。

 

イソルミ:私が曲をまだ聞いていない状態でメンバー達が先に聞いている場合、それぞれに感じた事がありますよね? まずそれを話してみなさいと言っています。 もしくはメンバー達より前に私が先に聴く場合もありますが。 そういう時は自分が聞いて感じたことは心に留めておいて、また彼女たちに聞いてみます。「あなたはどんな気持ちがした? どんな感じだった?」このようなやり方です。

 

#パート割をください

 

『構成がなく、単に振り付けだけで作品を作るつもりなら何故あえてグループでダンスをするのか』

 

パクヒア:過去のインタビューを見たことがあります。 歌のパートまでわかっていてこそ振り付けを構成できるのだとおっしゃっていました。 それが不思議でした。

 

イソルミ:もしその子がソロ歌手なら構成を相対的に簡単につかむことができるでしょう。 しかしソロではなくグループじゃないですか。 すでに私が振り付けをしぼって送った後でパートが全部変わったとしたらまたもう一度整理をしなければなりませんし、こんなに無駄なことはしないほうがいいと思います。 それで私はパート割を頂いた時に始めますという話を先にします。
(略)
…………………………

 

バクヒア:お話をたくさん伺っていると、普段から独自のアイデアやソルミさんならではのやり方をたくさんお持ちなんですね。何か特別な経験があるんでしょうか。

 

イソルミ:私にとっては見ること、つまり視覚刺激が本当に良いと思います。最近の音楽からインスピレーションを受けるかというと、正直わからないんです。それはない代わりに、私はとても大変な時やまたは振付が浮かばないときはアニメーションを見てます。オープニングタイトルを見ると、映像美を感じることができる場面がたくさんあるじゃないですか。例えば、私はいくつかのアニメーションを見る時に最初のOSTと映像が調和しているのが本当にカッコいいと感じるんです。ミュージックビデオみたいな感じ。その後、「ああ、あのミュージックビデオを撮ってほしいな。それで映像美がこんな風に出てきたら本当に良いだろうな」と頭の中で考えます。
(略)

 

バクヒア:「Liar Liar」の場合、発表された当時に伺った言葉を覚えています。全体の具体的な流れを大切にしているとおっしゃったんです。振り付けを組むとき起承転結を気にするように、これも又ストーリーを盛り込む作業でしょう?

 

イソルミ:確かにそうです。
…………………………


バクヒア:「Liar Liar」のような曲の場合は歌詞に忠実な感じがとてもします。

 

イソルミ:そうなんです。 手の動作をみてください。 L字を作って"Liar"に合わせるじゃないですか。 実は最初はその動作がなかったんですよ。 この曲の場合は元々違う形で振り付けを組みましたが、それがメンバー達の顔を少し隠したんです。 それで理事と再び話をして、動作を何にするほうがいいのか悩みました。 もともと3つのバージョンの振り付けがあったんですが、その中にこれが出てきました。 人々が一番たくさん覚えてくれました。 歌詞を踊りで表現する方式が多少韓国的だと言えるでしょうか?そんなことをたくさん思いました。
…………………………

 

私はOH MY GIRLの子たちはダンスの実力で他のアーティストたちにひけをないと思うんですが...

 

バクヒア:OH MY GIRLを見て感じたことがあります。おっしゃったとおりで、ダンスも上手いですが、強弱調節が上手な感じでした。振り付けも曲に強さを与える時があるでしょう。とにかくガールズグループのような場合には、強さと繊細さの両方を表現しなければならない側面があり、それを考慮するのが振付師の立場としては非常に難しいようですね。

 

イソルミ:ハハ、はい、難しいです。(略)ところが見る人によってはOH MY GIRLの振付は簡単に見えると思います。よく言われます。でも良いこともあるんです。何故なら真似しやすそうに見えると関心も多く持たれますし、利点でもあります。

 

バクヒア:「Closer」は見ていて「ああ、ここで少しでも力が強すぎたら別の感じになってしまうな」とか、「ああ、ここは少し力が足りないだけでも別物になってしまうな」と思いましたよ。

 

イソルミ:だから練習を狂ったようにしました。私が練習させる以上に子供たちがとても熱心なんですよ。スンヒとミミが私がいないときに振付の整理を本当によくしてくれました。ヒョジョンもそうです。振り付けの過程を1から10としたとき、私はその中の4を修正しようと言いました。その後、再び初めからチェックしつつ合わない部分を先に練習していたんですね。すると「先生は4を直せと言ったけど、2も合わないみたいです。だから私たち1からもう1回しましょう」これをやっているんです。そこで終わりではない。 1からやり直してから4を修正し、また1から4まで練習するんです。
…………………………

 

バクヒア:長い間に多くのチームを経てきました。 レッスン経歴から見ると、また別のアイドルメンバーたちの授業も担当して来られたようですね。

 

イソルミ:SMエンターテインメントが面白かったと思います。 f(x)のクリスタルがいましたね。 SMルーキーズの中にもいます。 男の子たちの中では今EXOになったチャニョルの事を一番覚えています。 本当に幼い時から見ていたので。 最近見かけると「たくさん大きくなったなあ。 ああ、本当によく育ったな〜」と思います。ハハ。

 

バクヒア:チャニョル氏とのエピソードで特に覚えている事がありますか?

 

イソルミ:チャニョルはストレッチに本当に苦労してました。 ストレッチングだけしかしてないのに顔が真っ赤になって『先生、先生、死にそうです!』って感じでした。今はダンスが本当にたくさん上達しました。 偉いです。

…………………………

 

バクヒア:レッスンをするとき、ダンスを教えてくれることに加え、特に気を使う部分があるのですか?

 

イソルミ:特には....なぜなら子供によって性格の違いがありますからね。私の意図とは違う理解をしてる場合があります。だからまず最初に、ダンスを学ぼうとする意図と学ぼうとするダンスが何なのかきいて見るといいと思います。授業中の方向性についてたくさん考えた方がいいですね。とにかく、他の要素よりもダンス自体にまずフォーカスを合わせようとしています。
(略)

 

バクヒア:最初に振り付けを製作したのはいつですか?

 

イソルミ:EXIDの「I Feel Good」をしました。ああ、あれは初めてじゃないんだった。 そういえばf(x)「Hot Summer」をやったんですが、これは私が振り付けをしたのか微妙です。日本の振付師の仲宗根梨乃さんが送ってくれた試案を私が覚えて、少し修正を加えて教えました。テティソTTSの「Twinkle」は振り付け製作に私も参加しましたし、それ以外に少女時代が撮影したピザのCFの振付を組んだんです。そうするうちにEXIDの振付依頼が本格的に入ってきました。

…………………………

 

#試案費

 

『まだ全ての会社が全部持ってくれるわけではないです』

 

バクヒア:振り付け試案費のようなものはどのようになっていますか。

 

イソルミ:正直、試案費というものを受け始めたのは最近です。 以前は試案費を最初からもらっていませんでした。 まだ全ての会社が全部持ってはくれないです。 そういう場合には振付師が自己負担でダンサー達にペイしているんです。 現在、試案費として受け取るお金は…たとえばあるグループが5人だとして、それなら試案をなくしてほしいと頼まれました。 この場合ダンサーも5人必要でしょう。 この人たちへのペイを抜いた残りが私の振り付けに対するギャラなんです。 ところが本当にみんなひどいのが、そのような部分は考えてもいなくてそのまま試案を送るのが当然だと思っているんですよ。 そして当然試案費には振り付け費用を含んでいると考えているんです。
…………………………

 

最近試案費用を受けるために会社に連絡をしました。本当に有名な会社でした。誰もが多分したがるような企画でした。依頼が来たので撮影して送ったところ、次から連絡がないんです。電話もメールもしましたが答えがありませんでした。電話に出続けないのでとても腹が立ちましたよ。(略)
申し訳ないが今試案費用を出すことができないようだ。少し待って欲しい...そんな風にメールでもくれればいいのに、何の連絡もないんです。(略)ようやく連絡が来たんですが、レポートを間違えて違う人が見ていたと言うんです。呆れ返りました。(略)私がダンサーらのペイを支給しなければならない義務を持っていると言いました。すべてを私が整理しなくてはならない状況なのに、連絡を無責任にも受けない状況だから私もそういう話をするしかなかったんです。すると電話が来て今日送りますから口座番号を送れと言われました。その後も数日もらえませんでした。本当に酷くないですか?(略)担当者を間違えていたという連絡までしておきながら、その日電話が来て実はタイトル曲が変わったと言うんです。今会社での会議中でタイトル曲が変わるのか変わらないのかまだわからないので、少し待ってくれと事前にいえばいい話ですよね。連絡をむやみに避けるのは失礼ですよ。

 

バクヒア:こんなことを経験してみると、所属事務所に入って専属振付師として働きたいという考えも出るのではと思います。

 

イソルミ:以前はそういう考えをたくさんしました。でも、専属振付師兼トレーナーになったら会社の仕事以外に他の事はできなくなるので、その部分が惜しいんですよ。私もあちこちからたくさんオファーは受けましたが、このような理由だけはどうにもならなかったです。

…………………………


#ひたすら人

 

『あちこちでちょこちょこ見かけて頂いて、頻繁に呼んでいただけたらいいですね』

 

バクヒア:振付に対してどのような評価があったら嬉しいですか?

 

イソルミ:「Closer」のおかげで最も多く頂いた賞賛の中でいちばん多かったのが「動線がきれい」というものです。 次が「歌とよく合っている」そして「他の振り付けとは違う」でした。 この三つの中で一番嬉しかったのはやっぱり他とは違うという言葉だったようです。 「他の振り付けと違ってよかった。でも、本当にあなたらしいものだった」この賞賛が本当に幸せでした。 ずっとそんな言葉が聞きたいです。

 

バクヒア:少なくとも踊りを踊る時、私たちが考えるような「専攻」は重要でないようですね。

 

イソルミ:確かにそうです。 ただし基本技をどのように、どの程度きちんと習ったのが重要だと思います。

 


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上から見ると星座に見えるCloserの振付はロマンティックで個人的にとても好きでした。静かな曲は簡単そうに見えても、抑制して見せなければいけない分力のコントロールが重要で難しいんですね。

おまごるやSM以外だとヒョナやヒョリンなども担当されたとか。イソルミさんは女性アイドルやシンガーの振付が多いそうですが、ダンサーを目指したきっかけはソテジで踊るヤンヒョンソク(ヤンサ...)を見て「こんな風に踊れるんだ!」と思ったからだそうです。

【idology訳】アイドルメーカー: ①ボーカルトレーナー/キムソンウン

【idology訳】アイドルメーカー: ①ボーカルトレーナー/キムソンウン

 

「パフォーマンスの一つや二つを消化するためだけにこれをするわけじゃない」

 

byバクヒアon 2016/12/08

 http://idology.kr/8088

(訳注:文中の太字部分はウェブ公開されてない部分から一部抜粋しています。部分抜粋ですので、全文が気になる方は「아이돌메이커」本誌をご参照ください)


《 華やかに輝くアイドル、その背後には自らの分野でこまめに働いてきたもう一人の主人公たちがいる。 彼らは、K-POPの熱風が吹いていた時期でもあった「韓流」という言葉が固有名詞として使われるずっと前から同じ場所にいた。 そして「アイドルメーカー」はもう少し詳しく違う見方や温度で、アイドル産業に入っている「人」の話を入れて見ようと企画された本だ。 7回にわたって本の内容の一部を抜粋して掲載する。 インタビューの全文は「アイドルメーカー」を通じて確認することができる。》

 

 

#歌の価値

 

『ダンスパフォーマンスの中に入る構造だけを見るから、曖昧な要素となってしまいました』

 

バクヒア:2000年代からはアイドルという集団を一つの重要な文化のカテゴリに分類できるようになったでしょう。 最初から歌手カテゴリーとは違うものとしてみなすべきだという見方もあります。

 

キムソンウン:そのようなやり方の区別はともかく、Mnet「プロデュース101」で子供たちが言っていたじゃないですか。 『これ以外には出来るものがありません』って。幼い頃から芸能事務所に入って来て、踊って歌の練習ばかりしてきたから本当にできるのはそれしかないのです。 そのままだったらその子の人生がここから脱して第2幕に移っていく時、とてつもない混乱を経験することになるでしょう。 私はその瞬間のために本当に多くの音楽を聞かせます。 『みなさん、あなたたちはパフォーマンスの一つや二つを消化するためだけにこれをするわけじゃないの。 音楽という大きな枠組みの中で職業の選択をしたんですよ。 他の人たちだって一曲や二曲は歌うことができるような「歌」といういうものを、あなた達は職業として選択したんですから』このように正確に話してあげなければ。 責任感と専門性に対する訓練を同時にするしかないということです。 だからこそ授業をする時は殺伐とするほど厳しくなるのです。 とても幼いときに芸能界に入ってしまうから、今からその後の2次的行動を共に心配しなければならないのです。 私たちの立場ではこの子たちが産業的な側面で産み出す経済的な効果を離れて、人間と個人の人生自体を見ることが優先されるんですよ。 この子達が歌手であれアイドルであれ、自分たちが欲しがっているアイデンティティをもてるように手伝うべきです。 年を取ってもしっかり自分のアイデンティティを持っていけるように助けなければならないということです。

 

#先生、先生!

 

『有名になってからも連絡が来る子供たちは思ったより多くありません』

 

バクヒア:I.O.Iだけでなく、以前に教えたグループも最近すごく勢いに乗っています。 防弾少年団が代表的ですね。

キムソンウン:防弾少年団ではジョングクとソクジン(ジンの本名)を教えました。 KNK(クナクン)というグループのインソンという子も研修生時代に一緒に学んでいました。 また、今は他のグループでラップをしている子も1人いました。 その子が辞めて、後にテヒョン(Vの本名)が会社に入ってから合流しました。 このように4人を教えているうちに、ジョングクがダンスが上手かったので米国に研修を受けに行きました。 テヒョンは実家が地方なので行ったり来たりしていました。 そういうわけで、一番レッスンを多くした子達がソクジンとインソンでした。 その中でもソクジンが防弾少年団を目標にして教えた子達の中では最も長く、ストレートに成功した子です。 インソンは終盤にグループのイメージとは合わないという理由で会社を辞めました。 お互い気まずい部分はなかったですよ。 その後もずっと連絡してきてくれて、KNKがデビューするとCDを持ってきてくれました。 デビューがちょっと遅れたんですけど、まだ若い友人達と防弾少年団がうまくいっているのを見て、喪失感がかなり大きかったかもしれません。 その時期をよく耐えてくれて嬉しいです。

 

…………………………

 

バクヒア:防弾少年団とはどんな風に仕事をする事になったんですか?

 

キムソンウン:MBC「スターオーディションー偉大な誕生」でパン・シヒョクさんとお仕事をさせていただいたんです。その時に「私たちの会社に来てレッスンしてくれないか」とおっしゃられたのでBig Hitエンターテイメントと仕事する事になりました。しかし、通常はトレーナーが会社に出向し授業するのが一般的ですよね。この子達はむしろ私たちの練習室に来ていたんです。特異な事例ですね。そうしたら、会社の内部にいる方は私を知らないんですよ。後で外で会った会社の方が「ああ、子供たちが外で授業を受けたときに教えてくださった先生ですか? 」なんていう場合も往々にしてありました。利点もありました。会社内ではなかったので、1時間のレッスンのつもりで2時間もできたんですよ。出来ない場合出来るまで捕まえておくことができました。

 

バクヒア:お金を受け取った分だけを働くというのが出来ないようですね、ハハ。

 

キムソンウン:絶対そういう事だけは出来ないんです。企画会社の中で授業する子供たちは、その次に授業を受ける子供たちが待っているから時間が決まっていますが、この子達はそうではなかったので。最初からこの子たちのために夜遅くまでスケジュールを組んでいました。

 

バクヒア:ジンさんを長い間指導されていたとのことですが、実際防弾少年団内ではボーカルの実力で注目されるメンバーではないですよね。むしろ個性のある声で曲にポイントを与える役割ですね。


キムソンウン:最初は演技を勉強していた子ですからね。ところが教える立場からすると、とても教え甲斐のある子でしたよ。最初は演技しかしたことがないので声が出なかったんです。メロディ自体を要するというか。地声程度の低いトーンしか出すことができなかった。おかげで発声練習をものすごくたくさんしましたよ。ところでソクジニの性格が好きです。ハハ。 「ああ先生、なんでそうなるんですか?」表面上は気さくで気にしない性格のように見えますが、練習中はふざけてふるまっていても裏ではとてもしっかりしている子なんです。一度ソクジニが会社で好評を受けた歌があるんですが、ある日、その曲を録音して送ってくれたんです。もともとMRがない曲だったんですよ。演奏をさせたのか、とにかく元々なかったMRを作成して専門スタジオに行って録音までしてくれて。「先生、僕すごく上達したでしょ?」と練習で歌った歌をきちんと記録して送ってくれたのがとても印象的でした。他にも「先生、これも覚えていないですか?これは?」とあれこれ録音してまた送ってきました。最近もカムバックするたびに「今日も頑張れって応援して下さい! 」と連絡が来ます。毎回コンサートごとにチケットを送ってくれたり、全く有難いです。

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バクヒア:防弾少年団の場合はコンサートも数回見に行かれていますね。

 

キムソンウン:はい、時間があれば見に行きました。 あ、海外公演をした時の事ですが、ソクジン本人はその瞬間がとても感動的だったようです。 ステージを歩き回って見ると、観客が目の前いっぱいに広がって見える瞬間があるじゃないですか。 自分の視線から見えるファンの姿を写真に撮って私に送ってきたんです。 ある日は「先生、今日はアメリカのどこで公演しました」そして、その翌日には「今日はまたどこどこで公演しました」というメッセージと一緒に。 その思いが本当に美しいです。

 

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バクヒア:ジンさんは情が深い方なんですね。

 

キムソンウン:はい、本当にね。一度ソクジニが 「僕たちタイで公演するんですが、いらっしゃいますか?」というんです。日程がきつすぎて行けなかったんですが、その一か月後、香港で公演がありますがいらっしゃれますかと再び連絡がありました。それは本当に行くべきでした。用意してくれる心もとてもありがたいし、私たち同士守ってきた義理もあるでしょう。そこで今回は行って来ました。

 

バクヒア:SNSで香港に行って来られた写真を拝見しましたが、それは防弾少年団のライブを見にいらしてたんですね。

 

キムソンウン:はい。あの子としては外国で公演をするのだから、「外国だからいらっしゃれないだろうな? 」と思いつつ招待をしたのではないかと思いますが、私は行ってしまいましたね。ハハ。

 

バクヒア:始まりを共にした先生に、海外で公演する場面を必ずお見せしたいと思う気持ちからでしょうか?

 

キムソンウン:そうだったんです。人の心がわかる子なんですよ。実際、歌手になった後にそのように連絡が来るのが当然ではないんですよ。有名になっても連絡が来る子供たちは思ったより多くありません。ところがソクジニはいつもそうでした。そのような性格を知っているからこそ、そこに招待してくれた意味も分かったんですよ。自分がこんなに大きな舞台で公演をすることになったという事実を写真だけで見せて済ませたくないという。

 

バクヒア:実際驚くべき不思議な事例ですね。

 

キムソンウン:非常にありがたい事ですし、その心を失望させたくなかったんです。招待されるたびに防弾少年団の曲を聴いてますから、聞いたことのない歌はないと思います。ARMY(防弾少年団公式ファンクラブ名)たちは決まった音に合わせて一つになって応援棒を振るでしょう。実は前回のコンサートの時、私は体調がよくなかったんです。それでも行きました。ソクジンが思ってくれる心がとても素敵でしょう。どこ行っても私が防弾少年団やTWICEについて話をするのは、あの子たちが成功しているからではないんです。そうしてくれる子たちなので、話すんです。毎公演ごとにいちいち気を使って連絡してくれるのは本当に難しいことですよね。

 

バクヒア:ところでジンさんは最近の歌ではパートがとてもたくさん増えましたね。

 

キムソンウン:いつもそうでした。今を自分で作っていくんです。音楽も聴いて、練習もたくさんして、また公演もたくさんやったから。更にソクジニを先生が非常によく導いてくださったようです。スタイルもよく作ってくださって。私はちょうど人だけ作って送りだしたという感じ?歌手ではなくただ、人だけ。ハハ。正直私のクラスは楽しくはないんです。音楽ではなく、ほぼ体育の授業だから。

 

バクヒア:TWICEの話といえば、ジョンヨンさんの姉の俳優スンヨン氏のインタビューをしたことがあります。その時妹さんがとても気の毒だという話をしていましたよ。評価が良くない日は家に来てわんわん泣くそうです。そして翌日はまた明るく練習しに行くと言いながら舌を巻いてましたよ。

 

キムソンウン:そういうところなんです。ジョンヨンはまだ若いのにプロ根性があります。そうだからこそ上に行くんです。しばらく前にTWICEが1位になりましたが、受賞後すぐに私の話をしたそうです。仕事中で本放送は見られませんでしたが、他の弟子が持ってきて見せてくれました。その後会社で会った時はすぐに子供たちがわっと抱きついてきましたよ。このようなささやかな経験が、トレーナーの立場としてはあまりにも貴重で、本当に意味のある部分であると思います。

 

バクヒア:過去の活動時には防弾少年団とTWICEが同時に1位候補に上がった事もありますが、妙な気持ちになりませんでしたか。

 

キムソンウン:はい。 「ああ、なぜ2組とも?」そんな感じでした。ハハ。私は誰が勝っても構わないのに、君たちときたら、という....幸せな悩みですね。

 

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#キングメーカー

 

『リスペクトしてくれるのはありがたく思っています。 私たちがする仕事がどれほど重要な作業なのかを知っているという事なので』

 

バクヒア:ボーカルトレーナーを集めて会社を作られてから、10年近くよく運営されていますよね。 それほど長い間やってきたという話です。 それだけにトレーナー達に対する処遇と関連して、もうちょっと改善されたらいいという部分もあるようですね。

 

キムソンウン:そうですね。 もちろん、ほとんどの会社はとても丁重に待遇してくださいます。 リスペクトがあります。 ところが、そうではないところも多いんです。 いわゆる「パワハラ」的と言うんでしょうか。「お前たちはサービス提供者にすぎないよ」と思う方たちがいます。

 

バクヒア:完全に外部者だという扱いなんでしょうか?

 

キムソンウン:はい。 子供達への授業を予算の中の授業料の金額でしか考えていないんです。

 

バクヒア:さっきちょっと出た話ですが、トレーナーの方たちは望もうが望むまいが幼い練習生たちの人生にとても大きな部分で介入せざる得ませんよね。 ここに会社と先生たちが同時に悩まなければならない部分があるとおもいます。 練習生たちを含めて「アイドル」という立場に置かれている子達が経験する特殊な状況について一緒に考える必要があるんじゃないでしょうか。 だから会社の立場としても、同様の責任を持ったパートナーとして考える必要があるのではないかと…

 

キムソンウン:私はトレーナーたちがアイドルたちにとっていろいろな面で重要な基盤を固めてくれる存在なのではないかと思っています。 新人開発部署にいらっしゃる方たちの役割が重要なのもそのためです。 部署の立場から見ても、そこには歌の上手な子供たちだけが集まっているわけではない。 できる子がいる一方で、歌の実力が当たりではない子供たちがいるとしても私たちが力を合わせて歌手にしてあげなければならないんです。 だから初めにアイドルグループを企画する場にはボーカルの先生とダンスの先生がいるべきです。 ところがもしもその部署にいらっしゃる方たちが先生たちの重要性や意味を全く考慮せず、一つのサービス程度の扱いしかしないのは悲しいことです。 ボーカルトレーニングであれダンストレーニングであれ、これは売買するものではないでしょう。 だから「どうやったらなるべく安くあげることができるか」と考える雰囲気がちょっとでも消えたらいいですね。
(中略)

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バクヒア:単純に安いからという理由でトレーナーを雇う場合もあるんでしょうか?

 

キムソンウン:2013年頃、仕事がかなり減ってきてトレーナーが他にもたくさん増えてきたという事実が身を以て感じられた時期でした。実用音楽というものができたので、ボーカルトレーナーが雨後の竹の子のようにあふれ出てきたんですよ。人数的に多いので、企画会社の立場としてはどこの会社でも手頃な価格で採用することができたと思います。だから、元々仕事をしていた人が立つ場所がなくなりましたね。沸騰から1年程度を過ぎた時期に再び呼び出されて行ったら、音程がかなり壊れてしまった子達が多くてびっくりしましたよ。「これは完全にリハビリレベルじゃない? 」と思いました。以前仕事をしていた先生が再び入って収拾をつけようとトレーニングを開始しましたが、一度音が壊れると戻すのが非常に難しいんです。苦労をたくさんしましたよ。トレーナーになるために、特別な資格試験を作って欲しいです。

 

バクヒア:資格がないでしょう。それで簡単に量産されたんでしょうね。

 

キムソンウン:はい、私は個人的にはトレーナーの実力を検証することができる資格基準やテストのようなものができたらいいと思っています。一度そう肌で感じたので、トレーナーの実力を検証することができるシステムが必要ではないかと思います。しかし、言葉で言うのは簡単ですけど歌の実力を検証するというのは実際には難しいんですよ。一人一人に喉頭の大きさがある上に、歌のジャンルごとに喉を完全に開いて声を出して開閉できなければいけません。事実発声学は博士号があまり出ない学問ですし、もちろん実際にテストを導入するのは当然のことながら難しいでしょう。それでも試みなければならないと思う。そうでなければ本当に実力が検証されていない方がトレーナーになってしまいます。申し訳ない話ですが、大学を卒業したばかりの人達がトレーナーになる場合があります。その中にはもちろん良い方もおられるでしょう。でもそうでない事例が多いんですよ。練習生を幼い時に始めた子供たちが音を誤って学び、音楽を誤って学べば後で修正する事が本当に大変です。私は教えている子達に「左利きが右利きになって、右利きが左利きになる過程みたいなもの」と話しています。頭では理解しても、体は言うことをきかないのが発声というものです。したがって一貫した方法で、時間を十分に有して着実に練習するんです。忍耐も多く必要だし、その過程で常に感覚を鋭敏に鍛えていく必要もあります。ところが何人かの先生は「これはこういう感じだけど、わかるだろう? 」と、とてもぼんやりとした教え方なんですよ。同じ内容を教えても、何人かの子達は不思議と何倍も学習しているのです。十分な資質を持っていた練習生の子供たちが教えを受けた結果、むしろあまり良くなくなってしまうなんてもったいないじゃないですか。誰かは運が良くていい先生に当たったり、誰かは運が悪くて台無しになるなんて、先生によって結果が変わるというのは本当に残念なことだと思う。

 

バクヒア:単にレッスン料の金額でそんなことが起きてしまうというのが残念ですね。

 

キムソンウン:はい、実際にそのようにして音を捨てる事例が本当に多いです。だから悔しい事例が生じないように、教える立場としては言葉通り責任感がなければいけません。ちゃんと教えるために勉強もすごくしなければ。子供によって傾向があるので、内容を詰め込んでも受け入れる態度が違いますし。そのような部分の研究も行う必要があります。私たちがTWICEを指導したときは先生3人がかりでした。各先生たちが持っている本来の気質と、チームの子達がそれぞれお互いに合う部分があります。私は両方をまとめる役割です。無条件にマッチングするわけではなく、トレーナーと練習生の相性のバランスを見ることが大事です。音楽と言いながらただいくつかの曲のコピーをする手助けだけをするなら、それはただの趣味の歌の教室です。歌手としてデビューする子供のためのボーカルトレーニングとしてではなく、アイドルボーカルトレーニングを簡単にお考えの方が少なくないのです。録音の過程で音を機械で制御することができる部分も増えたこともあって、簡単に考えている方が多いんです。「どうせ歌なんかできないんだから、まあこの程度でいいだろう」という風に。しかし、これはあまりにも無責任な話です。歌自体はさておき、個人としてその子の人間性が形成される過程と今後の可能性をすべて見守るのですから、それがどのように成長につながるかわからないんですよ。ソクジンが良い例です。ソクジンがあんなに深く音楽を聞いて開花していくとは私も知りませんでした。テヒョン(V)もそうです。ある瞬間から音楽を素晴らしい知識と捉えて非常に真剣に考えるようになり、たくさん色々な曲を聞いて...そんなに風に変わっていく様子を見ると、私は私が知らない時代のその子たちの事も一方の思い出に残るんです。ひとりの大人として接するようになるんです。リスペクトというのはそういう事ではないでしょうか?この子たちは今は練習生ではなく、フィールドに出て社会経験をしながら多くのことを築いているプロになったということなんですから。このように立派に生きている姿を見たときに、会社の方々と私たちが少しずつ努力した部分がすべて合わさってあの子たちを成長させたんだろうなという気持ちになりました。私たちが基礎の部分をよく作ってあげれば、それを受け継いで本人が歌手としての自覚を持って勉強をするでしょう。
(中略)

 

バクヒア:大きなビジョンを描きながら接近しなければいけないし、その子の5年後、10年後を考えながらトレーナー自らも必死に責任を持たなければならないと思います。

 

キムソンウン:はい、しかしそのように夢中になるほど、逆に私自身の人生はなくなってしまうというのが虚しいというのも、またあります。

 

バクヒア:ボーカルスキルと関連する部分を除いて、授業するときに重く見て考慮される部分は何ですか?

 

キムソンウン:子供が学習する態度がそれぞれ違います。スポンジのようにぱっと吸収する子供もいますが、マニュアルに執着をして応用を知らない子供たちもいるのです。どこかで聞いた内容と今私が教えている授業を組み合わせる子供もいて。性格的にもそうで、両親との関係のために愛情の欠乏を感じる子もいれば、自尊心が強すぎる子供たちもいます。だから同じ内容を教える時も表現をそれぞれ変えていかないと、全員が成果をあげる事が出来ずに誰かは落ちてしまいます。一人一人をよく観察するのです。

 

バクヒア:2010年代にアイドルグループの数がものすごく増えましたが、それ以降多くのグループが解体されたり活動休止になりました。実際にそのような失敗やプロセスを経験すると、その子たちは10代半ば〜後半から20代前半の時点ですでに人生の第2幕を開く必要がありますよね。自己の周辺は今まさに社会生活を始めますよという時期なのに、もう終わりを味わう事になってしまうという。

 

キムソンウン:そうなんです。だから少しでもより神経を使ってエネルギーを注ぎ、私ができることは全部やってあげたいんです。それによってもっとずっと努力してくれるのはわかっているからです。私は全部教えたと思って立ち去りますが、再び何かが起こったらまたそこ行かなくては。「輝やかないアイドル」のくくりに入る前に全力を尽くしてあなたの限界を乗り越えられるような、入る価値のある会社を選択しなさいと言っています。

 

バクヒア:最近はアイドルたちの人間性や物語を強調しがちじゃないですか。これを点数化することについて問題も多いです。

 

キムソンウン:人間性に点数をつける方式の問題は二の次として、ここ最近こういう話が度々出てくる理由は何なんでしょうか。まだ幼い時に会社に入るじゃないですか。社会性というのがまともに形成できていないんです。基本的な礼儀作法や、人間関係を結ぶ方法まで教えてあげなければいけません。当然わかっているに決まってると考えていいほどの年齢ではないですし、そこが辛い点です。

 

バクヒア:歌を教えることよりもっと大変なことでしょうね。

 

キムソンウン:はい。はるかに大変です。こんなにいろいろと気を使ってグループを作ったとしても、その子達たちが順調に行くかどうかというのはまた私の能力外の領域ですし。

 

バクヒア:熱心に教えたグループがうまく行かなかった時のお気持ちはどうだったんでしょう。

 

キムソンウン:Baby V.O.X Re.Vもそうだし、その他にも何グループもうまくいかなかったことはあります。グループを任された会社の中で本当に嫌いな事務所もあります。私以外にもとても多くの方たちが嫌っていますし、その会社と一緒に仕事したという事実をどこにも話さないくらいです。傷になると考えて言及しない時もあり、働いてお金を頂いたので被害者というわけではないというのもあり。私は当時その会社に所属している子達と実際ほぼ合宿状態で、私がそうしないとその会社と仕事できなかったというのもあるんですが....その子達に「絶対にここの事務所じゃないと駄目なの?ここ以外の会社に行けるならそうした方がいい」と言っていました。あなたたちなりに全力を尽くして自分の限界を乗り越えなければ入ることができないような会社を選べと言いました。入りやすい会社は出るのが難しいというのがぴったりな言葉でしたね。しかしながら若い時はそのような話は耳に入りませんし、早くデビューしたいですからね。最終的にデビューしたけれど結局うまくいかなかったし、私はその子達があまりにも惜しいんです。ポジションを決めたのも私でしたし、私費をかけてレッスンを受けることにしたメンバーもいました。実際にもっとよくすることができる子供たちでした。しかし事務所が業界で信用をあまりにも失っていて、誰も助けてくれる人がいませんでした。一度助けてくれる誰かが現れたなら、それに続いてしっかりとした人間関係の輪を構築することが必要なんですが、その会社はそうはしなかったんです。すべての関係が使い捨てでした。
(中略)

最近はA&R(訳注:アーティスト&レパートリーのこと。アーティストと外部作曲者などのマッチングなどをする)も戦いですよね。より良いコンセプト、もっといい歌を、とこのように戦うのに肝心のその重要な人材がいないんです。A&Rの方たちが来て実力のあるパフォーマンス・ディレクターの方を選択し、それほど能力のある方たちが参加したらどういうコンセプトでも一応はいいものを選んで出すつもりです。そうした用兵術をよく使うことのできる社長の存在が必須なんですよ。制作者の方がそれをうまくできなければ、子供たちが事務所にいても可哀想なだけです。君は1年間でいくら稼いでるのって聞くと、涙が出ますよ。これは私が言及したグループだけに該当する話じゃないです。他の子達の話も聞いてみると同じです。1年に100万ウォンも稼げないです。男の子のグループで5年間一銭もお金をもらえなかった子たちもいます。会社から出られないのかと尋ねると、契約に縛られていてできないと言うんです。残念な事例が本当に多いです。でもこういう問題は、私ひとりが無料で何回か仕事を受けたからといって解決する問題ではないじゃないですか 。無力さを感じます。子供たちの大きな助けにはなれないことを知っているから。

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#アイドルの寿命

 

『アイドルの寿命で歌手の寿命が終わってはいけない』

 

バクヒア:少女時代やワンダーガールズがロングランできたのも、彼女たちが積み重ねた年輪を大衆が支持していたからだと思います。

 

キムソンウン:10年目になった少女時代に年齢の話をしながら、「今は新しいアイドルが見たい」と言う事はないと思います。 少女時代はもともと持っていたアイドルとしての顔を引き続き追求するのもいいし、それ以上に彼女たちが持つ音楽的な能力、または様々な才能を実現させることができたらいいということです。 そうしているグループなので地道に愛されているのです。ワンダーガールズも同じです。 このグループがバンドとして出た時、私はすごく支持しました。 その時ちょうどソンミを手伝っていたんですがこう言いました。 多分ワンダーガールズがアイドルたちにとって新しいスタートを可能にしてくれるんじゃないかと。 多分本人たちはとても大変だったと思います。 歌うのと踊るのでも忙しいのに楽器まで扱わなければならないから。 ですが私はずっと「あなたたちは本当に良い仕事をしている」と強調しました。 彼女たちがアイドルというアイデンティティを超えて音楽家として新たな岐路に立ったからこそ、新たな時流を作る門を開いたんですから。 とても良い結果が出そうだと話しましたっけね。

 

(〈아이돌메이커〉, 박희아, 안녕출판사より)

 

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「プロデュース101」や「神の声」での姿が印象的だったキムソンウンさんですが、生徒思いというのが伝わるしインタビューの中で色々業界では言いにくそうな事もガンガン言っていて、読んでいてキム先生ー!みたいな気持ちになりました。
本インタビューでは他にもプデュの事やアイドル業界の事について言及されています。業界人みんなに嫌われてるという事務所というのがどこなのか、気になりすぎる。