サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】ガールズグループのパフォーマンス①IZ*ONE「La vie en Rose」

【ize訳】ガールズグループのパフォーマンス①IZ*ONE「La vie en Rose」

 


2018.11.09

 http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018110823507210556

 


ガールズグループIZONEのデビュー曲"ラヴィアンローズ"はステージの上でチャン・ウォニョンが真ん中に立つことから始まる。「センター」だからだ。 このグループのメンバーはMnet「プロデュース48」の視聴者投票で選ばれた。 「センター」は得票数1位に対する補償だ。 「プロデュース」シリーズ、またはオーディションプログラムによって結成されたグループの特徴である。番組放映当時に形成されたメンバーの人気、キャラクター、ストーリーなどがデビュー後のコンテンツにも影響を及ぼす。 楽曲・ミュージックビデオ・パフォーマンスの完成度は重要だが、デビュー前から形成されたファンたちが望むものを反映しなければならない。 「プロデュース101」のシーズン2でデビューしたWANNA ONEのデビュー曲"Energetic"ではセンターであるカン・ダニエルのパート分量の問題で、ファンたちが制作会社に抗議した。


"ラヴィアンローズ"のパフォーマンスは、新たな市場のニーズを満たしている。チャン・ウォニョンは始まりと終わりにセンターに立ち、歌の最初の小節を歌い、1節のサビで真っ先に立ち、ポイント振り付けを披露する。 クォン・ウンビとイ・チェヨンのように「プロデュース48」で実力を強調していたメンバーは、「より深まった眼差しの中で赤くなった」のように1節と2節で最も力強く全身をフルに動かすパートを消化する。 宮脇咲良のように韓国語に慣れていない日本人メンバーには、曲のハイライトが出る前に顔面に視線が集中するパートを任せ、長所である表情の演技を際立たせる。


IZONEのメンバーのキム・ミンジュは「プロデュース48」を放映した当時からいわゆる「ビジュアルピック」と呼ばれ、容姿が話題になった。 "ラヴィアンローズ"で彼女はイントロにおいてチャン・ウォンヨンの次に登場し、ファンがいわゆる「きれいな子の隣にいるきれいな子の隣にいるきれいな子」と呼ぶこのグループのルックスの持つ長所を浮き彫りにし、2節サビの中央に立って身体の比率を強調することができるポイントの振り付けを披露する。  "ラヴィアンローズ"はメンバーに対するファンの期待を反映しながらも、メンバーの実際の特徴を結合させ、各自にふさわしい場を探す。 第1節でクォン・ウンビとチョ・ユリはそれぞれ自分が踊りと歌に特化したメンバーであることを披露し、続いてチャン・ウォニョンが真ん中に立ってポイントの振り付けを披露する。 メンバーたちが自分のパートを消化するだけでもグループで果たすべき役割への説得力があり、その結果、デビューしたばかりのグループメンバーの全体的なバランスとシナジー効果を3分30秒あまりのパフォーマンスで具現化している。ガールズグループデビューアルバム初動(最初の週の販売量)の記録を2倍以上更新するほど大きなこのグループのファンドムが「プロデュース48」と以後デビュー前のコンテンツで想像していたメンバーの特性がステージの上で表現された。 「プデュアイドル」という小さなジャンルの誕生とも言えるだろう。 


しかし"ラヴィアンローズ"のパフォーマンスの興味深い点は、ファンドムの風を越える覇気にある。 曲のイントロ部分でチャン・ウォニョンがセンターに立っている間、メンバーたちは彼女を取り囲んで絶えず動く。 真ん中で円を描いていたメンバーたちは歌の展開に従って左右から1回ずつパートを交替させながらゆっくり横へ広がり、キム・チェウォンが「こんな感じはルビーよりももっと」と言うときに前に出てくるす。 メンバーたちのパフォーマンスは、ますますテレビ画面を徐々に満たすと同時に、前に出て立体感を与える。 "ラヴィアンローズ"のテーマがバラであることを考えれば、開花の過程をパフォーマンスに取り入れたという事で、イントロではステージ後方で小さく動いていたメンバーがサビではどんどん大きく、広く力強く動くドラマチックな展開でもある。 バラをテーマにしたパフォーマンスは明確な方向性を持ち、これによって12人のメンバーは、動作の統一性が維持されてこそ格好良く見える群舞を続けなければならないし、一つのグループに統合される。 センターを真ん中に置いて始まるパフォーマンスが左右前後をすべて活用する構成は、動線を汚さないようにしながらも、このグループのメンバーが12人である理由をステージの上でも説得する。


特に、2節のサビが終わった後メンバーがクォン・ウンビを中心にVサインをするパフォーマンスは、多人数のチームだけが披露できるものだというだけでなく、IZONEが一つのグループとしてエネルギーをどくらい放出できるのかを見せてくれる。 12人が集まれば、別々の時には想像することができなかった大きくて力強いパフォーマンスが可能だ。 キム・ミンジュと宮脇咲良を中心にして12人のメンバーが一斉に歩いて出てくる部分は、"ラヴィアンローズ"のパフォーマンスがIZONEに何を与えたのかを見せてくれる。 2ヵ月前に視聴者の投票で選ばれたメンバーが、むしろファンまたは大衆を圧倒する瞬間を作り出す。 視聴者の欲望によって作られたが、ただそれだけでは終わりそうにないエネルギー。 IZONEは"ラヴィアンローズ"を通じて、彼女たちに与えられたルール内でファンドムの外の世界にまで欲張りな基盤を築いたようだ。 コンテンツが産業の要求をどのように反映し、同時に超えるのかという点で、近年最も印象的なデビューパフォーマンスだ。 その度に、「プロデュース101」シーズン1のガールズグループI.O.Iの"ドリームガールズ"は一体なぜ...という疑問は浮かんでくるのだが。

 


文 カン・ミョンソク

【ize訳】「チムスンドル(野獣系アイドル)」は有効なのか

【ize訳】「チムスンドル(野獣系アイドル)」は有効なのか


2018.11.12

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018111123217225254

 

「ご飯をおごってくれるオンニ」と「私のIDは江南美人」の極度に意図的なキャスティングはストライクだった。 今年の春はチョン・ヘインで夏はチャ・ウヌだった。 友人とのカカオトークで最もよく行き交う写真の主人公であり、会うたびに出演する場面単位での話を聞いていた名前。 チョン・ヘインとチャ・ウヌは線が細くて柔和なイメージが似ていることから何かしらの傾向が見つかるのではないかと考えるかもしれないが、このリストは特別な基準があったり普遍性を意識するものではなく、ほぼ全てのタイプの男性芸能人たちが登場する。 そのため期間を分けて時間をさかのぼる事ができれば、より多くの名前を付けられるはずだが、とにかく今は「ショヌ」だ。


ダンスや歌のように舞台を構成する技術の単位よりは、人物そのものに先に集中するのが適当なアーティストたちがいて、逆に特定のパフォーマンスを通じて人物に接近していく方がより簡単なアーティストたちがいる。 後者は限られた自分の分量の中でキリングパートを作り、それを流行させなければならないKPOPミュージシャンが大衆的認知度を確保するために使用する、中核的戦略の一つになった。 約10年の間に成功した事例はかなり多く、KPOPの一時代を掌握したフックソングはこの技術を最も効果的に応用できる易しい解答だった。 リスナーたちも今はそのような文法に慣れていて、どの部分がヒットになるか把握するのにあまり時間がかからない上、発売から少し時間が経ってもそのパートを消化する人物の力量について評価までしている。 フックソングは非常に古典的なジャンルになり、KPOPがどのような音楽であるのかを定義づけることも複雑になった時代に、MONSTA Xの"Shoot Out"はサビではなくイントロにそのパートを配置し、その攻撃の役割はショヌに与えられた。


相応に経歴の積んだアイドルグループにはその分堅固なファンドムがあり、彼らの一挙手一投足を見守るファンは人物の魅力に対する賛辞を多様な側面から1日中あふれさせる事ができるため、ファンダムの外である部分が話題になった時は不思議に思うだろう。 "Shoot Out"の導入でエンジンの音とともにエンジンをかけるように上半身を張るショヌの「マナーモードダンス」がそのケースに属しているようだ。 彼はバラエティによく登場するボーイズグループのメンバーの1人だが、いざ放送中となるとたいてい言葉が少なく、はにかむ姿が多いという印象だ。 演出された状況に半拍子遅れ、バラエティでは必須に近い刺激的なリアクションもあまり使わない。 KPOPのパフォーマンスはその大半がコンセプチュアルで、舞台の内外の隙間劇が「人物の魅力」になったりするが、彼のこのような特質は、言葉よりも動きを通じて存在感を示さなければならない舞台でもそのまま延長されているように見える。 "Shoot Out"のイントロ部分は、ショヌが暗くて荒々しい雰囲気のセットの中心に立ち、ジャンプスーツを着てレンズの焦点が捕まった頃、攻撃的な振動パフォーマンスにつながる激情的な群舞の始まりを知らせる。 一種のサイレンのようなこの瞬間は、かつて見たことのない全く新しいイメージであるとともに常に需要のあった男性性に近いため、多くの人々が彼に対して深く突っ込んで知らなくても熱狂できるキャッチーなポイントとして働く。


韓国において「セクシー」というコンセプトは、どのような性別が消化しても主に男性の視覚と趣向から作られやすいため、女性たちは受動的な対象になり、男性は対象となるよりはうわべだけの欲望に応じる主体として動く。 それが繰り返されてきた結果、女性ミュージシャンは舞台の上でセクシーさを標榜しても舞台の下では愛嬌があって親切で可愛いものであり、本人の無害さを証明しなければならず、男性アーティストたちは積極的な誘惑のジェスチャーよりは、断面化された「挑発的態度」を軽く発散し、本人の家父長制的な男性性と威信を守るという素晴らしく尊い方向で終わる。これに対する適した反例ではないが、とにかくパク・ジニョンは本人の性的魅力を自ら満喫し、陶酔する形で貫徹させた最初の韓国人男性歌手だった。 主にシースルーでできたぴったりした上着とレザー、あるいはビニール素材のズボンで仕上げたルックは、本人が専ら標榜する「性に対して開放的で自らを対象化できる男」として見られたし、彼は舞台の上やプライベートでも一様に「大人の男性」として振る舞った。 しかし、そのような積極的なアクションが当時の女性たちにとって消費しやすいイメージになりえたのかは、よく分からない。 おそらく、このような点を補完して登場した歌手がRainだ。彼はパク・ジニョンが準備したセクシーさを誇示する男性モデルではあるが、より能動性がない方に属する。大きな体格と長い手足、全身を最大限に活用してGroovyなダンスを踊ること自体だけでも人気がまずあったが、Rainが過去に決定的に人気になった理由は、苦しそうな吐息で本人が積極的に欲望の対象となることには躊躇がないが、実際のイメージはそのジェスチャーが脅威的だとは感じさせないようなかわいらしい微笑みのためだったと確信する。


しかし、結果的にパク・ジニョンは成功したプロデューサー、Rainは「ワールドスター」となり、それをきっかけとして男性ミュージシャン基盤の産業が徐々に消費者を相手に何かを強くアピールするというよりは、大衆の反応を通じて獲得した名誉と権力を守る方向に変わった。 過去、彼らの構築した肉体を誇示していたカテゴリのパフォーマンスもやはり徐々に稀なものとなった。そのような側面から見れば、Rainの商業的な成功と名誉に憧れてこの世界に入ったであろう今の多くのボーイズグループの中で、本人の肉体を対象化しその魅力を潔くアピールする人物を探すことは、実に難しいことだ。 「チムスンドル(野獣系アイドル)」というタイトルで上着を破っていたが、ペク・チヨンの隣をボディーガードのように死守し、女性ゲストの一言に黙々と畑へ行くというイメージで、オク・テギョンが10年間も一人で当該ジャンルの系譜を引き継いでいると信じるのがその証明だ。


韓国において男性芸能人、特にアイドルに対する対象化は容易に偶像化につながる。 韓国社会において男性対象化に対するフェミニスト消費者の意見が分かれざるを得ない理由だ。 特にエンターテイメント産業での女性アーティストと男性アーティストの目に見える態度の格差と、女性消費者と男性消費者それぞれに要求される消費パターンを比較するならば、そのような議論そのものが無意味だというのが正しい。 男性対象化の最も単純な結果だけを見ても分かる。 「年下男子」「チムスンナム(野獣系男子)」「チョシンナム(草食系男子)」のように、簡単に消費しやすいイメージ言語は広告を通じて直ちに女性に訴求するために使われる。 女性のセクシーさが千篇一律な姿で男性消費者たちに対象になることも、やはり消費当事者である男性たちが市場の主体であるからこそ可能なことだと思わなければならない。 しかし、女性消費者は消費の主体であるだけで、市場の主体ではない。 男性に対するイメージを女性が主体的に流通させることが不可能な状況で、セクシュアルな含意を盛り込んだ「大衆文化の中の男性像」を解釈することは不可能なことのように感じられる。 それでも多くの女性たちは常にセクシーなイメージを欲しており、その魅力について力説したがっている。 前述の多様な理由として列挙した私の言葉もその一つだ。 欲望と消費する間の「私」を消さないこと。複雑で難しいが、慣れ親しんでいることに埋没したり、ある感傷に偏らず、常に新しい価値を通じて自分が持っているイメージを警戒すること。 完全には楽しめないというなら、私のような女性消費者が取るべき最善の防御だ。


文 ボクギル(コラムニスト)

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最近のMONSTA Xのカムバック(ワカワカワカ)で韓国ではショヌが一躍一般女性の間でホットな存在になったという...

その流れからの韓国での女性向けコンテンツの消費に対する文章でしたが、日本とも似ているようでまた少し違う感じはありますね。

つい先日、「少女漫画は女性が作る女性向けのコンテンツだけど、昔は男性の編集者がほとんどだったので結局男性の視点を一回通さなければいけなかった」という話を見て、女性が対象の消費物であっても男性が作っているという話にちょっと似てるのかなと。

(「女性向け」商品=ダサピンク問題とか、女性消費者が多いであろう映画やドラマなどのデザインや広報の仕方に対する不満などとも重なるかも)

 

少女漫画の場合は少女向けコンテンツだけど男性漫画家が描いていた時代からやがて女性自身が描く時代になり、男性編集者ばかりだった時代を経て最近では最初から女性主体で発信され、描き手もほぼ女性(男性もいますが)消費者もメインは女性というBL(ボーイズラブ)コンテンツの定着というような歴史があったので、アイドル業界もそうなっていくのにはもう少し時間が必要なのかも。今の「芸能」スタイル出来てからまだ30年くらいでしょうし。日本だと女性プロデューサーの男性アイドルグループもなくはないですが。


しかしさりげなく餅ゴリ社長(概念)への筆致が冷徹な気が笑

【お知らせ】Real Soundで色々書きました

毎度のReal Soundさんで色々記事を書きましたのお知らせです。

 

BTS、MV撮り下ろした「Airplane pt.2」日本語版 ダンスパフォーマンス際立たせる映像に」

 

リリースまでに色々あったBTSのニューシングルについての紹介文のようなものです。色々あった結果Airplane pt.2の撮り下ろしMV中心になりました。

元々エルマリアッチの意味がわからんな〜と思って聴いてたけど(7人編成が多いから?)日本語バージョンでもやっぱりエルマリアッチの意味はわからなかったです。フィーリングという事で解釈しました。逆にMVによりマリアッチみが補完された感じ?

ダンスが際立つ撮り方で好きなMVです。衣装がすごいアースカラーで韓国ではあまり見なさそうな感じ。

 

BTS(防弾少年団)はアメリカでどう評価されている? K-POP全体にもたらす影響を考える」

 

アメリカ国内での最近のBTS周りのマスコミ評価というか、報道のされ方や認識のされ方についての記事です。ファンドム周辺目線からの記事になったのではないかと思います。オタク側からの認識と外側からの認識には結構ズレがあるのではないかと思ったので(マニアとかファンの世界の事は現在進行形で中にいないとわからない事も多いのではないかと)そこの中間になったらいいなと思いましたが、書いてる人がドルオタなので結局...でもKドルオタって世界中どこでも基本的には同じようなノリだと思います。国によって行動の内容は違ったりしますが。色々御託をならべても結局は「むちゃくちゃ可愛い(かっこいい)からですわ」だったりする。そこに本当の理屈や理論はない...。

 

「TWICE、BLACKPINKに続く韓国ガールズグループは? Red Velvet、MOMOLANDらに注目」

 

2018年に日本デビューした女性グループの紹介記事という事で書きました。

この記事はYahooトピックに取り上げられて頂きまして(ヤフトピ自体をよくわかってなかったけど編集さんから連絡が来た)、ありがたかったのですがうっかりコメ欄を少し見てしまい噂のヤフコメ欄ヤベーと思いました。

 

ちなみに自分で書く内容を選んでいるわけではないです。何か書きたいネタがありますかときかれる場合もありますが、自分で提案するのは大体全体的な記事(韓国のチャートについてとか)やキュレーション的な記事(アイドルラッパーについての記事など)なので、特定のグループの記事については編集さんからの内容指定があった上でのご依頼です。

【質問箱】防弾少年団というアイドルグループについて

質問箱の方にきたご質問(?)への回答が長くなったのでこちらに書いておきます。

 

今回のBTSの一連の問題に関して個人的見解を感情的に述べると際限がないのですが、またか、という呆れが少なからずあります。(そしてぐだぐだ続くので、感情論部分は以下割愛)

世界を股にかけて活動し大きなファンダムを持つ彼らは、人種や国籍、言語や宗教の違いさえも飛び越えてひつとになることが可能だという証明をしてくれたように思います。互いを尊重し合うには、相手を認めて理解しようとする心がなくてはなりません。それをまさに彼らは体現してくれたのではないでしょうか。

だからこそ今回のことを沈黙で乗り切れると本人や事務所も含め関係者が考えているとしたら、本当に残念でなりません。彼らが国連でした素晴らしいスピーチも今までの活動の原始的な部分も、もはやわたしには聞こえのいい台詞やパフォーマンスを模倣しただけのものに成り下がっています。

今まで彼らが自身の音楽で表現してきた通り、しっかりと自分達の気持ちを世界に伝えるべきだと思います。それが彼らの根本であり、それに共鳴したファンのためでもあります。
そして、彼らにはそれを示す責任があると思います。

https://odaibako.net/detail/request/aaaaf876de8345628ebb8a2b5ddaf9cb

 

 

まず、ご質問者の方と私では防弾少年団というグループそのものに対する見解が少し異なるようです。

個人的にはデビュー時からの流れを見ると、一番「グローバル人気」になったらマズい過去を持ってるグループなのではないかとずっと思っていましたが...それぐらい他国の文化やポリコレ的な事柄に対して、悪意は勿論ないんだろうけど鈍いというか迂闊な事務所だったと思います。その都度謝罪はしてきていますが。
今言われてる事の中には「KPOPはイルミナティに支配されている」レベルの無茶なこじつけもありますが、ナチスの件などは国内では公式で謝罪済みであってもやはり今更ながら欧米圏で問題になってしまいました。

(秋元康氏がプロデュースしている欅坂も過去に同様の件で問題視されて謝罪したというのがまた皮肉というか)

 

それが何故今のようなイメージを構築するに至ったのかというと、やはり2016年以降のイメージ戦略が効果的だったのではないかと思います。花様年華でカムバした当時は主にPDによる世界観が主に語られており、現在多く持たれているような彼等の主体性のようなイメージよりは、あくまで事務所の作った世界観の中でのリアリティという認識がされていたと思います。そこからリアルと世界観のクロスオーバーが始まり(この辺がまさに秋元康氏プロデュースの欅坂や初期AKBの一部の曲のイメージとも重なるような戦略だというのがまたも皮肉なのではないかとも思いますが)、見ている方が最も良い具合にリアル=コンセプトとみなしてしまうような成果が出たのがLYSシリーズなのではないかと思います。


デビューから今までの行動をリアルタイムで一貫してみていると、彼らは自分たちの意思で国境や人種は関係ないというメッセージを送ってきたというよりは、事務所の定めた「そういうメッセージを曲に込めて活動するアイドル」としての役割を、実に真面目に従順に成し遂げてきただけなのだろうと思うのです。もちろんその過程で自分達なりに考えて成長するところはあったと思いますし、楽曲にもその痕跡は見えますが。アイドルとしての自由度もクリエイティブな面での自由度も、他の事務所と比べて特に優れているとか裁量権が広いというイメージはありません。どちらかといえば「自由に創作はさせるけど、それらの断片をコンセプトとしてまとめて作品として完成させるのは事務所のプロの大人たち」というイメージです。ここ数年の自分を愛そうというテーマもコンセプトはコンセプトであって、もちろん他のアイドルと同様に事務所が「連作のコンセプトとして」考えたものであると思います。なぜならデビュー時からずっとそうでしたし、彼らより先にかの有名なジャスティン・ビーバーが同名の曲をすでに出していました。だから最初からずっとそういう印象で見てきている方からすれば、正直今回の件は「毎度の事だけど事務所がもうちょっとセンシティブに注意を払っても良かったのでは?衣装じゃないけど仕事の撮影が入ってるんだから」という気持ちでした。


韓国ではむしろポリコレ的無神経さに我慢できずファンをやめるという層も過去一定数いましたし、今は韓国の外で「そういうイメージ」として認識されてしまい「そういうイメージ」でグローバルな人気がでた(という風に一般的には説明されている)ので、ファンの方もそういうスタンスを出してくるかもしれませんけど、根本的に最初からそういう事をきちんとできていた事務所とグループではないと思います。

 

でも、ご質問者の方のようにBTS=メンバー自身であり、彼ら自身がそのままグローバルなメッセージを彼らの意志だけで発信してきたと信じている(た)人たちにとっては、今回の事で彼らの自身から「直の言葉」がない事に何よりの不信感を感じるだろうというのはわかるような気がします。でも、だからこそそう思わせてきたことの罪深さも感じます。ファンの側が勝手にそう思ってのめり込んでいった部分もあるのかもしれませんが。メンバーが繰り返し言っている「どうしてこんなに人気が出たのか、自分ではわからない」という言葉は、その戸惑いも含めて多分素直な気持ちなんだろうなと感じます。

 

自分が常々「アイドルは政治的なものをわざわざ主張して背負う必要はない」と思っているのは政治というものが各国を分断する壁になっている現実があって、政治的になったアイドルは振る舞い方が制限される立場上自分自身が壁に取り込まれてしまい、壁そのものを壊すことはできなくなると思っているからです。政治的主張をする事で特定の熱狂的な層を引きつける事はできるかもしれませんが、メッセージの対象が大きくなればなるほど、彼ら自身が特定の国の人間で政治的メッセージを発しているという立場との矛盾が大きくなっていくのではないかと思うのです。国連のスピーチとの矛盾を感じられている方もいると思うのですが、「人種や国籍、言語や宗教の違いさえも飛び越えてひとつになることが可能だという証明をしてくれた」というの、確かにその通りだと思うのですが、実際にさまざまな違いを飛び越えて人々を結びつけたのは「BTSの発してきたメッセージ」そのものではないんじゃないかと思うんですよ。メッセージの内容が心に響いたと言う事も要素の一部ではあるかもしれませんが、基本は彼らのことを好きになった人々の単純な「好き」という気持ちが国境や人種を超えたんじゃないかと思います。

 

「好き」のチカラは絶大だと思います。「好き」になるのに理由は必要ありませんし、むしろ好きになってしまうとその理由を説明する事の方が難しくなったりしますし、ほぼ言葉が通じないのに結婚までする人もいますから言語や国境も関係ない。好きじゃない人から見たら欠陥にしか見えないことが、好きになってしまうと途端に魅力に見える事もあるでしょう。韓国アイドルとの出会いがきっかけでネトウヨ嫌韓をやめた人もいるぐらいですから、「好き」には諸々イデオロギーを飛び越える強大なパワーがあるという事だと思います。アメリカのファンだって好きな理由をきかれたら色々理屈はつけると思いますが、顔から入ったって断言してる人もいますから(そもそも歌詞は全くわからなくて後づけで訳で知る人が圧倒的に多いわけで、まずはビジュアルイメージありきだと思います)本音のところでは必ずしもメッセージ性が最重要というわけではないと思います。パフォーマンスや楽曲や歌詞やメンバーのキャラクターや関係性やルックスや、諸々の要素の中が合わさって「好き」という気持ちはできてると思いますが、「ファンにとって彼らが社会的に誇れる存在であること」というのはその中の一部に過ぎないんじゃないかと思います。人によって要素の配分は色々だと思うので、上記の事が「好き」のうちの多くの部分を占める人もいるかもしれませんが、その要素がなくなってしまってもまだ残る「好き」なところはあると思うんですよね。それが全てならなくなった瞬間は離れればいいですけど、他の「好き」な要素がまだあるからこそ諦めきれないし、最初からそうでなくても構わないというファンもいるでしょう。特に昔からずっと彼らを好きという人たちは、最初から「社会的に誇れる〜」の部分が無い状態からスタートしてる人も多いんじゃないかと思います。
(それをお花畑と呼ぶ人もいますが、本来のアイドルというもののあり方を考えるとそれでいいと自分は思います)

「好き」というある種の信頼感ありきでのメッセージだからより良いものにきこえるわけで、そこの部分の信頼感がない人がきけば「ただの聞こえの良い台詞」にしかきこえないかもしれません。

 

基本的にアイドルと言うのは「(音楽的なパフォーマンスをして)人から好きになってもらう仕事」だと思うんですよね。彼ら彼女らが様々な理由で愛されることで愛している方もまた幸せになるという、稀有な職業だと思います。人から愛されることそのものが仕事なので、本当はそこに大層な大義名分はいらないと思います。そういうものがないとアイドルを好きになれない(好きと表明できない)という人もいるかもしれませんが、基本はそういう事全てから解き放たれた純粋な「好き」で構成された自由な世界のはずです。だからこそ「好き」という事だけで国境や人種やその他のイデオロギーを超えたファンの間の共通認識やつながりが生まれてくるんだと思います。好きだからこそ通常は超えにくい壁や感情や、理性的な自分なら許せないような事でもいい方に考えてしまったり、時にイデオロギーが塗り替えられるくらいの考え方の変化も起きるんじゃないでしょうか。

 

そういう「好き」のパワーをどのような経緯であれ生み出してきたBTS(と事務所)がすごいのであって、曲でメッセージを発したり国連で立派なメッセージを言うから彼らが素晴らしいんだというわけではないと思います。ここまで彼ら自身が愛されるようになった彼らがただそれだけで凄いです。色々な事があってもBTSの日本盤ニューシングルは今のところ40万枚以上売れてます。やはり外野が何を言おうと「好き」は強いと言う事の何よりの証明だと思います。

 

しかし、グローバルにアイドルとして人気があるからと言って、それはただ世界中で愛されているという証明ではあるけれど、彼らが本当に国家やイデオロギーから自由になって自分たちの意志だけでメッセージを発している・発する事が出来るのだという証明や根拠にはなりません。だから実際は一介のアイドルに過ぎない彼らに、全ての国や人に対しての政治的な正しさを要求しすぎるのは酷なのではないのかという、今はただそう思います。

 

注:ご質問いただいてから何日かかけて書いているあいだに若干状況が変わってきましたので、後から追記した部分があります。

 

注2:私は別に防弾のファン=ARMYではないです。好きですけどね。

 

注3:すぐ謝ればいいだけなのになぜそれができないのか?という素朴な疑問がある方もいるとは思いますが、韓国でのそのあたりの事柄の報道や認識のされ方は日本とは違います。アイドルを取り巻く韓国の社会的目線、特にBTSを取り巻く複雑な環境についても日本のアイドルの状況しか知らない方にしてみれば理解しがたい面はあるかと思います。ご質問された方はある程度その辺りの知識や経験があるという前提で回答させて頂いています。

 

 

【質問箱】ジミンの着たTシャツの件

質問箱に来たご質問への答えが長くなったのでここでお答えします。

 

「みなさんが泡沫さんに質問しているのを見てて私も書きたくなりました。

私は今回のJIMINのTシャツについて、一体何を謝らないといけないのかわかりません。

あのTシャツはキノコ雲のプリントがあり過激と言えば過激ですが、反日Tシャツとは全く感じなかったし、実際自国愛や解放について描かれたTシャツですよね?

日本にとって8月15日が終戦記念日でも、韓国にとっては解放記念日です。それを韓国人が讃える事は当たり前の事だと思います。

でも原爆は絶対に良くない。
だからそれをデザインに含めた事自体がグロテスクというか良くない!という観点は理解ができます。

でも反日の意味で着たのではないのなら、JIMINが日本国民から敵視されるのはおかしいと思います。(JIMINが反日じゃないと信じれるかどうかは個人によりますが…)
Tシャツのデザイナーさんも反日の意図はないと謝罪もされました。

泡沫さんも以前書かれてたように、バンタンはファンからもらった物を着用して公の場で見せる事をファンサービスとして行なって来たグループでした。
JIMINはファンからもらったプレゼントを着用しただけで、きちんとデザインを把握せずに着てしまった可能性があると思います。
過激なデザインですから、影響力のある彼等みたいな立場の人が着るの避けるべきだったと思うし、そこをプロ意識に欠けていたと言われるのは仕方ないのかもしれないとは思います。

だけど、JIMINは知らずに着た、わざとじゃない、という声を見かける度に、韓国人としての彼等のアイデンティティというか人権?(実は難しい事得意じゃないです💧)みたいなものを傷つけてるんじゃないかと思え、私は心が痛みます…
なのでここまであのTシャツの事を否定されると、謝罪を求められる事はとても屈辱的なのじゃないかとも思えてきます…

反日グループや原爆Tシャツと表現される報道ではなく、あのTシャツを着る韓国人を日本人がたまたま見かけた時に、キノコ雲のプリントに対して驚いたり複雑な気持ちになる事はあっても、それを着る韓国人に腹を立てるのでしょうか??

三者が謝罪を求めるならまだしも、韓国を苦しめて来た歴史を背負う日本人が、解放の日を讃えたTシャツを着た韓国人に謝罪を求める気持ちが全く理解できません。

酷くありませんか?
ちなみに私は日本生まれの日本人です」

https://odaibako.net/detail/request/d1eb4f88cd3d40d9a377a16f351c8831

 

 

私もそれ自体について「謝る」必要はないと思います。でもこうなった以上何もなかったようにスルーしていい事でもないと思います。

 

韓国には韓国の、日本には日本の歴史があってそれぞれ同じ価値観では受け入れられない部分があって当然だと思います。
韓国の人が解放の日を称えたTシャツを着ることやその日をお祝いする事自体に日本人が何か言う権利はないと思いますし、その事について口出しする理由も全くないと思います。韓国のアイドルでも光復節の時に国旗の画像を上げて祝っている人は珍しくないですが、それに対して日本人がどうこういう権利もないし逆に罪悪感を感じる必要もことさらに讃える必要もないんじゃないですかね。そういう日なんだなという事実を理解すればいいだけですし、実際それは問題にならないと思います。

(問題にする方がおかしいと思います)

 

ただ、やはり祝い方の表現の仕方によってはそれはどうなのかという意見が出るのはわかります。原爆が戦争終結の一因になったという部分は確かにありますし(それが全てではないですが)それが間接的に被支配国の解放に繋がったという事はあるにしろ、原子力爆弾というものは「絶対悪」と表現されるほどに兵器の中でも破壊力が大きく無差別攻撃が出来てしまうこと、後世への影響も大きいという点で、「何か良いものの象徴」の一部にされるにはあまりにもネガティブな面が多すぎると思います。第二次大戦後も戦争は各地で起きていますが、原子力爆弾が実戦で使われたのは日本でだけということ自体が武器としての色々な意味での「ヤバさ」を表しているのではないかと思います。
(それを言い出すと戦争に使われる武器とかイメージ自体も問題かもしれませんが、韓国は軍隊も徴兵もあるので職業的シンボルとしてのそういう表現は日本よりも一般的でしょうし)

 

だから解放や光復節を祝う事は全く問題はないけど、その手段として原子力爆弾のイメージを使う事が良い事だとは思えません。例えばですが「ノーテロリズム」って書いてあるTシャツでも、そこにインパクトを出すためだけに貿易センタービルに飛行機が激突して爆発している場面の写真を使う事は、ちょっと配慮に欠けるんじゃないかと思うんです。でもそのTシャツを着て主張する事自体が悪い事だとは思いません。ただしそれを着る場所や目に触れる場所、それを着ることで受けるであろう誤解も覚悟しなければならないと思います。単なる誹謗中傷みたいなものをまともに受け止める事はないと思いますけど。

 

原爆に関しては被害者や遺族もまだご存命ですし、在日韓国人の方もたくさん亡くなっています。私は高校生の時の学校研修で原爆ドームや博物館を見学したり、広島大学放射線の長期的影響や記録についての講義を受けたりしました。その中で少人数グループに分かれて被爆者の方の話をうかがうというのがあったのですが、自分のいたグループの担当の方は在日韓国人被爆者の方でした。こういう個人的な経験もあり、やはり色々思うところはあります。

でも、韓国ではそもそも学校教育で原子力爆弾について勉強する機会がない(きちんと載っている教科書が少ない)そうなので、光復節や日本が韓国を支配してきた歴史をよく知らない日本人がいるように、知らないからこそ軽く扱ってしまうという面もあるのかなと。そこは被支配側支配側関係なくどこの国どうしでもお互いありえる事でしょう。

 

同じTシャツひとつとっても韓国の人は原爆の写真が目に入らないから「光復節Tシャツ」と言いますし(デザイナーの人は原爆Tシャツとも言ってましたけどね)日本人は原爆の写真しか目に入らないから「原爆Tシャツ」と呼ぶんじゃないでしょうか。でも原爆も光復節も同じTシャツの中に同時に存在するものなので、それぞれだけを切り離して主張する事は歴史的事実と同様に意味がないと思います。
最初に「韓国には韓国の、日本には日本の歴史があってそれぞれ同じ価値観では受け入れられない部分があって当然」と書きましたが、だからこそ受け入れる必要はないけどそういう考え方もあるんだという事を知ること自体は、重要じゃないかと思います。特に国境を越えて仕事をするときに、そういうことを知らなかったことでうまくいかないケースが出てくる場合も当然あるんじゃないでしょうか。今はインターネットで世界中に瞬時に情報が行き渡る時代ですし、特に韓国のアイドルはスケジュール中はどこでも写真を撮られる事を受け入れなければいけない状態になってしまっているため、外にい時の姿を常に世界中で見られてしまっている可能性が高いと思います。そういう時代にそういう立場の人間になってしまった以上、単に着ていた服の模様だけで色々な事を判断されてしまう事もあると思います。それ自体はいいことだと思わないしそういうものの見方をする人に対しては浅慮だなとは思いますが、そういう人たちは確実にいるわけで。だから、着る服に込められた主張だけではなく表現のされ方まで気を使うべきだったとは思います。実際あげた方も作った方もその辺あまり考えていなかったという事は言っていましたし、国が変われば良くない表現ととられるのだという事は理解されているんだと思います。日本だけでなくTシャツの柄やキャップやスマホケースのフレーズひとつで激しいバッシングを受けるというのは、まさに韓国でもとってもよくある事ですしね。

 

日本は過去の戦争での加害国ではありますが同時に被害国でもあり、被害者だからといって加害の事実が緩和されるわけでもないですし、逆に加害の事実で被害の事実が軽く見なされるべきではないとも思います。これは戦争だけではなく全ての事でそうだと思いますし、単純にそれぞれの事を切り離して考えるべきだと思います。

 

個人的な考えになりますが、


・独立解放を祝うTシャツを韓国の人が着る事自体は何の問題もないし、日本人がどうこういう事ではない。


・ただし原子爆弾をポジティブな意味に使われることやその意図はなくてもそういう風に捉えられるような使い方がされる事に関して、唯一の被爆国である日本人の中に嫌な気持ちになる人がいたり、それを注意する事はおかしな事ではないと思う。


・でも、それ以上の事を言うのは明らかにやり過ぎだと思う。


・日本国内での仕事に支障が出た以上、ファンに対しては韓国の事務所側からなんらかのフィードバックはあっていいとは思う。

 

・原爆というものに対してあまり関心がないとか、軽く扱うことだけでイコール反日とは言えないと思う。

KPOPファンやBTSのファンですら光復節について何も知らない人もいるし、韓国の歴史に関心のない人もいるけど、それがイコール嫌韓というわけではないのと同じでは?

 

と思います。

 

個人的には「謝る」必要はないと思いますけど、日本で仕事をする以上は他の日本で働く芸能人と同じように、日本ではそういう風にとられるんですねくらいの反応はあってもいいんじゃないのかと思いました。韓国のアイドルではなくてもこういう事になる可能性のあるネタだと思いますし。
アメリカには言わないのに韓国には言うのかみたいな言説は、自分はちょっと違うと思います。日本人が確実に目にする場所でアメリカ人がそういうシャツを着てたら突っ込まれる可能性も十分あると思います。今回は特に世界中で注目されている韓国のアイドルということで、食いついてる人のほとんどがいわゆる右寄り嫌韓寄りの人が多そうというのはありますが、日本で活動する芸能人であれば何人でも言及される可能性はあると思います。


共感や理解は必要ないけど、この事自体を「どうでもいい事・軽く見ていい事」だと思ってるという風に解釈したくはないですね。立場的にいわれのない事まで言われたり責められてて気の毒だとは思いますけど。今はよくわかってないけどいっちょかみするぞっていうただのバッシングに、真っ当な批判が埋もれてる状態な気がします。知らないで着たんだというのも気づかないはずがないというのも両方憶測でしかないですし、本人以外が勝手に言っても仕方がない事ですよね。反日うんぬんに関しても、今時反日orNOTみたいに白と黒でで分けられる韓国人もリアルにはほとんどいないんじゃないかと思いますから(ネットの中にはいそうだけど)ひとつの面だけで単純に反日判定してくる人も4Kの時代に白黒テレビ見てるのかって感じで、人間は複雑な生き物なのにその機能を使わず随分と単純な世界で生きてるんだなと思います。自分が単純な世界で生きてるからって他の人間もみんなそうだという基準で勝手に判断するのも迷惑な事です。

この件でTV出演がなくなった事に関しては詳しい経緯が謎なので表現の自由が〜みたいな事までは言えませんが、これじゃインスタの写真に旭日旗っぽいスタンプを貼っただけでアイドルがレギュラー番組を下されるに至った韓国と同じではないのか?とは思いました。

【melon/weiv訳】アイドル、ペンを取るー作詞するアイドル(下)

アイドル、ペンを取るー作詞するアイドル(下)


2018.08.10

https://m.app.melon.com/musicstory/detail.htm?mstorySeq=6744


前回で扱った3人の作詞するアイドルは、主にソロ活動が目立ったアーティストたちだった。 今回の話では逆にグループの歌詞を主に担当する、そしてそうやってグループの色を作り出すメンバーのうちで注目に値する3人のアーティストを選んだ。 3人とも作詞だけでなく、ソングライティングとプロデューシングの領域でも光を放つ多才多能なメンバーだ。 今回の特集の作成に大きな参考になったインタビュー集「IDOL's STUDIO」そして著者のパクヒア氏に感謝の言葉を伝える。


文 チョン・グウォン(ウェブジンWeiv編集長)


# WOOZIー清涼感は躍動感から


"感嘆させるような 硬度が

作り出す 素晴らしいこの調和 "

「Shining Diamond」


SEVENTEENの初作品 "17 Carat" の第1のトラック "Shining Diamond" で上記の表現に初めて接した時、自信にあふれる抱負を実に良い言葉で表現した気がした。 それは誤った印象ではなく、その中心にはやはりSEVENTEENの音楽の中核を担うメンバーWOOZIがいる。 K-POPシーンで最も多い方に属するメンバー数を基盤に多様な姿を披露しながら、爽やかさと少年美をいつもその姿の中に収めているからだ。


それは彼の書いた歌詞からも変わりなく現れる。"MANSAE (バンザイ)" や "PRETTY U (綺麗だ)"、"VERY NICE (超ナイス)" での恋に落ちてどうすることもできない少年や、"Don't Wanna cry (泣きたくない)" "Without You (帽子を深くかぶって)" "Don't

listen In Secret (知らないことは聞かないで)" などでは喪失と悲しみを悟ったり、"Still Lonely (こいつの人気)" ブソクスンの "Just Do It (ためらわずに)" のような笑いがこみ上げるswagなど、複数の視点の話者を行き来させて一列に繋げるWOOZIの歌詞は、他のアイドルグループの歌詞では見られないユニークかつ細かく美しい表現である。 "キムスハンム 亀と鶴/三千甲子 東方朔」(「CLAP(拍手)」)のような奇抜な表現や "ちょいとお嬢さん" (「MANSAE(バンザイ)」)"おぬしはどうじゃ" (「Oh My!(どうしよう)」)のような古めかしい言葉遣いの要素が、アイドルソングの歌詞に登場すると誰が予想しただろうか。


しかしWOOZIは、それを単に歌詞に入れる程度ではなくそれぞれの曲をリスナーの脳内に刻みつける「キリングパート」として作り上げる事に成功している。SEVENTEENを称する時によく使われる表現の「清涼感」が生命力を得るのは、専門の作詞家やプロデューサーの作詞とは差別化された感性を与えるWOOZI特有の生き生きとした表現によるところが大きい。 そしてその歌詞は、「おい、なんでもいいからあれこれ言ってみろ!」とメンバーからアイデアを引き出すことから誕生する例も多いというのだから、ただ感心するしかないあきれたシナジーだと言わざるを得ない。


[選曲リスト]

Shining Diamond/SEVENTEEN

MANSAE/SEVENTEEN

ADORE U/SEVENTEEN

PRETTY U/SEVENTEEN

Oh My!/SEVENTEEN


#LEー隠れた率直さ


"今誰かが必要なんだと思う"

こんな時間に起きている人だよ"

「Boy」


グループのメインソングライターで作詞家であるLEが主に担当するEXIDの歌詞は、よく「率直だ」と言われるが、その話の次元はセクシーなコンセプトを主に掲げるグループの戦略と混ざり合う。 しかし、LEの歌詞を単なる率直な歌詞だと単純に判断して見過ごすのは、彼女が歌詞に込めたエネルギーに気付かずにやり過ごしているのではないか。 彼女の歌詞はガールズグループシーンでは珍しく、直接的なセクシュアルさを隠さずに表現しているからだ。


"あんたは生まれちゃいけなかった" (「L.I.E」)のようなストレートな悪口から "震える瞳 ドドドドル/ちょっと頭を回す音出ないようにして"(「DDD(ドゥルドゥルドゥル)」)のような噛み吐くようなラップに至るまで、LEの歌詞は攻撃的で限りなく記憶に突き刺さるパンチラインを自由に駆使する。その一方で誘惑を投げるときは、 "くるくる(ビングルビングル)" 回さずに "ハラハラ(アスルアスル)しよう" という刺激的だがきれいな言葉の選択や、"昼よりは夜に/明日また来てね 真っ暗な夜ほどいいの" と雰囲気がありながらも遠回しには言わないセクシーさが目立つ。


 ファム・ファタル的な誘惑から怒りに満ちた顔、揺れる関係に痛む心まで、温度差の大きな複数の語り手をあちこち行き来していながらそのすべての物語の中でセクシュアルな要素が抜けずに登場するにも関わらず、それが右往左往して解離したり不快な印象で残らないのは、LEが描き出す話し手がいつも「自分」の感情に忠実であることを明確に認識することができるからだ。だから "誰が何と言おうと私は全部大丈夫なのに"(「Will You Take Me?(送ってちょうだい)」)と歌う約束や、"今誰かが必要なんだと思う"(「Boy」)というような浮つきに期待よりも大きな面白みを感じるのは不思議なことではない。 LEが書く歌詞が率直になる地点は、自分自身が感じるものを明確に表現する人だけが作り出すことができる瞬間だからだ。

 

[選曲リスト]

DDD/EXID

Up&Down/EXID

昼よりも夜/EXID

Boy/EXID

Will You Take Me?/EXID


#RAVIー鎖に漂う香り


"静寂のうちに閉じ込められたまま

この静けさの周りを彷徨きながら

君を待つのだ"

「Silence」


RAVIの創作欲は旺盛だ。 今まで彼が出したソロレコーディングだけでも、ミニアルバム1集にミックステープ3本だ。 "まだ俺の/残る夢があまりにも多くて/自分でもとても眠ってる場合じゃない" (「Where should I go」)と荒い息を吐くRAVIの姿は、一つの仮定を想起させる。 彼はもしかしたら、VIXXという「鎖」に満足できないのではないか。 アイドルグループのメンバーとしては試みられない領域が確かに存在することを考慮すれば、そうした仮定が浮かぶのも無理はないだろう。


しかし、「VIXXの音楽ではラップが目立ってはいけないと思う」「必ずしも自分だけのカラーを見せなければならないというよりは、僕自身が考えるVIXXというものを解析して表現するのが正しいと思う」と言ったことからも分かるように、RAVIはVIXXでの自分の役割を明確に把握しており、チームという価値を優先させることができるメンバーだ。そして彼のそのような態度は "僕は君のための玩具/命はいつもギリギリ"(「On And On(傷つく準備は出来ている)」) "君は僕の愛で独裁者/刑務所でparadise" (「Chained Up(鎖)」)などの印象的な表現から見てもわかるように、多くはない分量の中でも効果的に表れている。


RAVIのラップメイキングや作詞は、極端なやり方で弱い語り手を描く「VIXX」というグループのキャラクター性を一層活かす役割に忠実に服務する。 実際、そうした歌詞を耳で伝える彼の声さえもがそうだ。 アイドルグループのラッパーメンバーの中でも誰よりも強烈で認識されやすいトーンを持ちながら、それをありのまま攻撃的に表すのはソロ作業でしか見ることが出来ないだけで、VIXXの中ではいつもひとすじの傷をラップに盛りこむのが彼だ。 それをプロフェッショナルな姿と見ることもできるだろう。 しかし、それよりは、VIXXという香りを作り出す最も重要な花びらのひとつが彼の歌詞なのだと言いたい。


[選曲リスト]

傷つく準備は出来ている(On and On)/VIXX

VooDoo/VIXX

Silence/VIXX

Chained Up/VIXX

桃源境/VIXX

 

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Shining Diamondの단단함이はニュアンス的には強さという感じだと思いますが、SEVENTEENの象徴とも言えるダイアモンドの「硬度」そのものを表しているのではないかと思ったので、そのまま訳しました。

韓国にも日本の落語「寿限無」とほぼ同じ「金寿限無(キムスハンム)」という噺がありまして、つまり「キムスハンム亀と鶴~」というのは「寿限無寿限無五劫の擦り切れ~」と同じという事のようで、ドラマのシークレットガーデンでもこれを唱えるシーンが出てきたりしたので有名みたいです。ちなみにマリオシリーズに出てくるジュゲムも韓国ではキムスハンムという名前だそうです笑


あと、なんとなくVIXXの歌詞にはV系的な美学を感じるので耽美的な言い回しで訳したいなと思いました。

(出来てるかは置いておく)


ここで取り上げられた3人に関する元ネタはパクヒア氏の自作ドルへのインタビューを集めた著書「IDOL'S STUDIO」に登場するのですが、いずれもファンや外部というよりは自分たちの所属するグループの事を一番真剣に見つめていて、それにふさわしい歌詞はどのようなものか、自分が表現したい事とグループのイメージとのバランスを最も考えて作業しているように感じられるところが、ただ単純に自分で歌詞を書いているとか自分の考えを歌詞に盛り込んでいるとかいう次元を超えた曲のクリエイターとしてかつアイドルメンバーとしてのプロフェッショナリズムとか創作者としての姿勢のようなものを感じます。

【melon/weiv訳】アイドル、ペンを取るー作詞するアイドル(上)

アイドル、ペンを取るー作詞するアイドル(上)


2018.07.27

https://m.app.melon.com/musicstory/detail.htm?mstorySeq=6694


アイドルが自分の歌のための歌詞を直接書くというのは、よく自分の音楽的力量とアーティストとしての自我を全面的に繰り広げる行為として受け止められている。 これはアイドルに対してひねくれた目線を持っている人はもとより、アイドルのファンの間でも広く使われている論理だ。 しかし、そのような見方が果たして正しいのだろうか。 自分が書いた歌詞ではなく専門の作詞家やプロデューサーが書いた歌詞を歌ったとしても、そのアイドルが歌わなかったらその歌詞は決して"音楽"として機能しなかっただろう。 そして逆にこういう考え方もできる。 私たちはあるアイドルが"作詞をした"という事実自体には集中しながらも、そのアイドルが"何をどのように"作詞したのかについては見逃しているのではないか。

 

作詞がすなわち"音楽的真正性"につながるという単純な論理の前で、私たちはアイドルが書いた歌詞により詳しく接する機会を逃しているかもしれない。 今回と次回の"アイドル探究生活"では、そうした古い命題に少しでも亀裂を起こしたいと思う。洗練された快感をのある自己顕示から感情を描く歌詞まで、K-Popシーンで歌詞を書き続けているアイドルに会ってみよう。

 

文  チョン・グウォン(ウェブジンWeivエディター)

 

#G-DRAGONー最も重いSWAG


"Yes sir I'm one of a kind

俺は才能が多い熊 No

熊寄りの狐 "

「One Of A Kind」


「swag」という要素が韓国大衆音楽の歌詞の一つの軸となって久しい。 これに対して「大胆でもないミュージシャンたちが誇張をする」と非難する人もいるが、かならずしもそのように色眼鏡で見る必要があるだろうか。 swagの持つ快感がアーティストの持つ実際の地位以上の誇張をどれだけウィット的に解くのかということから始まるということを考えると、あらゆる歌詞に溢れているワードプレー(wordplay)に価値がないという話は余りある。


こうした主張を受け入れるなら、「本当にすごい」ミュージシャンであるG-DRAGONの歌詞から示されるswagが、なぜそれほど強烈な印象を残すのかも理解できるだろう。 "ポキガヨ"や"COUP D`ETAT"の傲慢な図々しさから"BANG BANG BANG"や"BULLSHIT "の気まぐれなエネルギーまでを行き来するさまざまなテーマのスペクトルは、GD特有のねじくれた発音と鼻音の混じったトーン、GDでなければ消化しづらい洗練されたフロウと結合し、消せない印象を作り出す。単に自慢を新鮮に描くことを超え、それを自分の表現できる強みと結びつけて一つの音楽的アイデンティティとして活用すること。GDの歌詞にはそのような重いswagが存在する。

 

もちろんそのような歌詞を書くことができるのは、逆説的にGDがswagにだけ埋没しない多様なジャンルやスタイルの歌詞をワーカホリックのように吐き出すおかげでもある。 "I'm so sorry but I love you 全部嘘"(「嘘」)から、"LOSER 一人ぼっちのふりをする" (「LOSER」)まで。 "またペンをつかまえて書き下ろす歌詞" (「少年よ」)という歌詞から感じられる経験の厚さは、決して無視できるものではない。


[選曲リスト]

One Of A Kind/G-DRAGON

ポキガヨ/GD&TOP

嘘/BIGBANG

LOSER/BIGBANG

少年よ/G-DRAGON


#IUーこんなにもクラシックな


"ただ消えない小さな明かりが

ここにきらきら生きています"

「心」


一般的にIUの歌詞に関する話は、彼女が本格的に「自分」についての語りを解き始めた"CHAT-SHIRE"と、それ以降の"Palette"に焦点が合わせられやすい。 しかしその前の "私一人の帰り道" を描いた"嫌いな日"や愛する人を待つ一週間を描いた"金曜に会いましょう"、春への愛らしい愛情を描いた"春、愛、桜ではなく"をまず思い浮かべてみる。

 

"CHAT-SHIRE"以前からIUの歌詞は一度も何かを"描く"ことを止めなかった。ここでいう"描く"というのは、21世紀の大衆音楽においてますます加速している「歌詞のイメージ化」とは異なる路線に位置する行為である。 それが特定の場面であれ感情であれ、より直接的で単純化された言語で表現しようとする最近の傾向とは異なり、IUは自分あるいは歌詞の中の話し手の感情を、遠回りしながらも整理されている描写と共感を導く敍事を通じて「描く」。


それが「イメージ化された」歌詞よりも良い選択だとは軽率に判断したくはない。 しかし、作詞に直接飛び込んだ頃から見せてくれた賢くて愚直なその方向性が、最も落ち着いた言葉で最も大きな懐かしさを描く"夜の手紙"の歌詞や簡潔な好みの羅列だけで25歳の自分を表現し、受け入れられるようにした。 そういう意味で、IUは大衆音楽の歌詞から感じられる古典的な美学を今現在、最も忠実に具現化しているアイドルである。 その姿が優雅に美しいということは、わざわざ強調する必要もないだろう。


[選曲リスト5]

嫌いな日/IU

春・愛・桜ではなく/HIGH4 feat.IU

夜の手紙/IU

Pallette(feat. G-DRAGON)/IU

心/IU


#ジョンヒョンー時を越えた歌詞


"僕のこの愛が 小さな部屋を

去る日が来たら

僕たちが向かい合ったら

そうなったら"

「一人芝居 (MONO-Drama)」


いくら詩の起源が韻律など音楽的要素と密接に結びついているとしても、私は大衆音楽の歌詞を詩と等価に置く事については警戒しなければならないと思う。 音という概念と密接に相互作用し、自分の役割を果たして自分だけの領域を作り上げる歌詞は、詩と似てはいても厳然として区分されるべき独自の体系だ。

 

ジョンヒョンが最後にリリースしたアルバムのタイトルは"Poet | Artist"だ。 「Poet」という言葉の後ろに「Artist」がついていることに注目したい。 単独でみても十分「詩的な」としか思えない歌詞だが、彼が書いた歌詞に本当に生命力を吹き込むのは、多くの波長を持つ彼の声と緻密でありながらダイナミックなサウンドとビートだった。 "僕たちは一緒にいるけど / 一緒には歩かないじゃん" (「Lonely」)というただ心の隅がチクチクする詩も、いたずらっ気ととぼけた感じのある "Stay Oh It's a déjà vu / どこかで見たようだけど / どこかで見たようなんだ" (「Deja-Boo」)という誘惑の言葉を耳にした時、それがジョンヒョンの音楽と一緒でなければ脳裏にこれほど強烈に残っているだろうか?

 

ジョンヒョンが「Poet」と「Artist"」のうちどちらに自分がもっと近いと思ったのかはわからない。 しかしはっきりしているのは、彼が書いた歌詞がダンスポップの快活さから悲しみを隠さないバラードまで振幅の大きいさまざまなテーマを超えており、それにも関わらず単一な集中力を保っていることだ。 それは彼が大衆音楽家として、そして自分の話を聞かせたい人として、それを媒介する音楽についていつも熾烈な悩みを重ねてきたお陰で可能なのだという事だ。 それによって彼が聞かせたい"話"は、もう少し長い間私たちの心に残っていることだろう。


[選曲リスト5]

Deja-Boo(Feat. Zion.T)/ジョンヒョン

一人芝居(MONO-Drama)/ジョンヒョン

Lonely (Feat. テヨン)/ジョンヒョン

光だ(Shinin')/ジョンヒョン(JONGHYUN)

私たちは春が来る前に(Before Our Spring)/ジョンヒョン

 

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いわゆるswagが出てくる自作アイドルソングは韓国では今や珍しくないですが、上手い下手というかセンスがモロに出てしまうので難しいジャンル(ジャンル?)というかスタイルだとは思います。要は見得を切ってるのと同じなので、そのままの事を言っても面白くないしだから何なんスカ?となりがちという...向き不向きがありそうですがラッパーは入れたがるんだなあ。

GD先生のswagは一見swagっぽくなくてなんかおしゃれ(?)ですね。韓国での熊と狐ののイメージは熊=鈍臭くて頭がよくない・狐=機転がきいて賢いという対照的な正負のイメージがあるそうで。