サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】「チムスンドル(野獣系アイドル)」は有効なのか

【ize訳】「チムスンドル(野獣系アイドル)」は有効なのか


2018.11.12

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018111123217225254

 

「ご飯をおごってくれるオンニ」と「私のIDは江南美人」の極度に意図的なキャスティングはストライクだった。 今年の春はチョン・ヘインで夏はチャ・ウヌだった。 友人とのカカオトークで最もよく行き交う写真の主人公であり、会うたびに出演する場面単位での話を聞いていた名前。 チョン・ヘインとチャ・ウヌは線が細くて柔和なイメージが似ていることから何かしらの傾向が見つかるのではないかと考えるかもしれないが、このリストは特別な基準があったり普遍性を意識するものではなく、ほぼ全てのタイプの男性芸能人たちが登場する。 そのため期間を分けて時間をさかのぼる事ができれば、より多くの名前を付けられるはずだが、とにかく今は「ショヌ」だ。


ダンスや歌のように舞台を構成する技術の単位よりは、人物そのものに先に集中するのが適当なアーティストたちがいて、逆に特定のパフォーマンスを通じて人物に接近していく方がより簡単なアーティストたちがいる。 後者は限られた自分の分量の中でキリングパートを作り、それを流行させなければならないKPOPミュージシャンが大衆的認知度を確保するために使用する、中核的戦略の一つになった。 約10年の間に成功した事例はかなり多く、KPOPの一時代を掌握したフックソングはこの技術を最も効果的に応用できる易しい解答だった。 リスナーたちも今はそのような文法に慣れていて、どの部分がヒットになるか把握するのにあまり時間がかからない上、発売から少し時間が経ってもそのパートを消化する人物の力量について評価までしている。 フックソングは非常に古典的なジャンルになり、KPOPがどのような音楽であるのかを定義づけることも複雑になった時代に、MONSTA Xの"Shoot Out"はサビではなくイントロにそのパートを配置し、その攻撃の役割はショヌに与えられた。


相応に経歴の積んだアイドルグループにはその分堅固なファンドムがあり、彼らの一挙手一投足を見守るファンは人物の魅力に対する賛辞を多様な側面から1日中あふれさせる事ができるため、ファンダムの外である部分が話題になった時は不思議に思うだろう。 "Shoot Out"の導入でエンジンの音とともにエンジンをかけるように上半身を張るショヌの「マナーモードダンス」がそのケースに属しているようだ。 彼はバラエティによく登場するボーイズグループのメンバーの1人だが、いざ放送中となるとたいてい言葉が少なく、はにかむ姿が多いという印象だ。 演出された状況に半拍子遅れ、バラエティでは必須に近い刺激的なリアクションもあまり使わない。 KPOPのパフォーマンスはその大半がコンセプチュアルで、舞台の内外の隙間劇が「人物の魅力」になったりするが、彼のこのような特質は、言葉よりも動きを通じて存在感を示さなければならない舞台でもそのまま延長されているように見える。 "Shoot Out"のイントロ部分は、ショヌが暗くて荒々しい雰囲気のセットの中心に立ち、ジャンプスーツを着てレンズの焦点が捕まった頃、攻撃的な振動パフォーマンスにつながる激情的な群舞の始まりを知らせる。 一種のサイレンのようなこの瞬間は、かつて見たことのない全く新しいイメージであるとともに常に需要のあった男性性に近いため、多くの人々が彼に対して深く突っ込んで知らなくても熱狂できるキャッチーなポイントとして働く。


韓国において「セクシー」というコンセプトは、どのような性別が消化しても主に男性の視覚と趣向から作られやすいため、女性たちは受動的な対象になり、男性は対象となるよりはうわべだけの欲望に応じる主体として動く。 それが繰り返されてきた結果、女性ミュージシャンは舞台の上でセクシーさを標榜しても舞台の下では愛嬌があって親切で可愛いものであり、本人の無害さを証明しなければならず、男性アーティストたちは積極的な誘惑のジェスチャーよりは、断面化された「挑発的態度」を軽く発散し、本人の家父長制的な男性性と威信を守るという素晴らしく尊い方向で終わる。これに対する適した反例ではないが、とにかくパク・ジニョンは本人の性的魅力を自ら満喫し、陶酔する形で貫徹させた最初の韓国人男性歌手だった。 主にシースルーでできたぴったりした上着とレザー、あるいはビニール素材のズボンで仕上げたルックは、本人が専ら標榜する「性に対して開放的で自らを対象化できる男」として見られたし、彼は舞台の上やプライベートでも一様に「大人の男性」として振る舞った。 しかし、そのような積極的なアクションが当時の女性たちにとって消費しやすいイメージになりえたのかは、よく分からない。 おそらく、このような点を補完して登場した歌手がRainだ。彼はパク・ジニョンが準備したセクシーさを誇示する男性モデルではあるが、より能動性がない方に属する。大きな体格と長い手足、全身を最大限に活用してGroovyなダンスを踊ること自体だけでも人気がまずあったが、Rainが過去に決定的に人気になった理由は、苦しそうな吐息で本人が積極的に欲望の対象となることには躊躇がないが、実際のイメージはそのジェスチャーが脅威的だとは感じさせないようなかわいらしい微笑みのためだったと確信する。


しかし、結果的にパク・ジニョンは成功したプロデューサー、Rainは「ワールドスター」となり、それをきっかけとして男性ミュージシャン基盤の産業が徐々に消費者を相手に何かを強くアピールするというよりは、大衆の反応を通じて獲得した名誉と権力を守る方向に変わった。 過去、彼らの構築した肉体を誇示していたカテゴリのパフォーマンスもやはり徐々に稀なものとなった。そのような側面から見れば、Rainの商業的な成功と名誉に憧れてこの世界に入ったであろう今の多くのボーイズグループの中で、本人の肉体を対象化しその魅力を潔くアピールする人物を探すことは、実に難しいことだ。 「チムスンドル(野獣系アイドル)」というタイトルで上着を破っていたが、ペク・チヨンの隣をボディーガードのように死守し、女性ゲストの一言に黙々と畑へ行くというイメージで、オク・テギョンが10年間も一人で当該ジャンルの系譜を引き継いでいると信じるのがその証明だ。


韓国において男性芸能人、特にアイドルに対する対象化は容易に偶像化につながる。 韓国社会において男性対象化に対するフェミニスト消費者の意見が分かれざるを得ない理由だ。 特にエンターテイメント産業での女性アーティストと男性アーティストの目に見える態度の格差と、女性消費者と男性消費者それぞれに要求される消費パターンを比較するならば、そのような議論そのものが無意味だというのが正しい。 男性対象化の最も単純な結果だけを見ても分かる。 「年下男子」「チムスンナム(野獣系男子)」「チョシンナム(草食系男子)」のように、簡単に消費しやすいイメージ言語は広告を通じて直ちに女性に訴求するために使われる。 女性のセクシーさが千篇一律な姿で男性消費者たちに対象になることも、やはり消費当事者である男性たちが市場の主体であるからこそ可能なことだと思わなければならない。 しかし、女性消費者は消費の主体であるだけで、市場の主体ではない。 男性に対するイメージを女性が主体的に流通させることが不可能な状況で、セクシュアルな含意を盛り込んだ「大衆文化の中の男性像」を解釈することは不可能なことのように感じられる。 それでも多くの女性たちは常にセクシーなイメージを欲しており、その魅力について力説したがっている。 前述の多様な理由として列挙した私の言葉もその一つだ。 欲望と消費する間の「私」を消さないこと。複雑で難しいが、慣れ親しんでいることに埋没したり、ある感傷に偏らず、常に新しい価値を通じて自分が持っているイメージを警戒すること。 完全には楽しめないというなら、私のような女性消費者が取るべき最善の防御だ。


文 ボクギル(コラムニスト)

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最近のMONSTA Xのカムバック(ワカワカワカ)で韓国ではショヌが一躍一般女性の間でホットな存在になったという...

その流れからの韓国での女性向けコンテンツの消費に対する文章でしたが、日本とも似ているようでまた少し違う感じはありますね。

つい先日、「少女漫画は女性が作る女性向けのコンテンツだけど、昔は男性の編集者がほとんどだったので結局男性の視点を一回通さなければいけなかった」という話を見て、女性が対象の消費物であっても男性が作っているという話にちょっと似てるのかなと。

(「女性向け」商品=ダサピンク問題とか、女性消費者が多いであろう映画やドラマなどのデザインや広報の仕方に対する不満などとも重なるかも)

 

少女漫画の場合は少女向けコンテンツだけど男性漫画家が描いていた時代からやがて女性自身が描く時代になり、男性編集者ばかりだった時代を経て最近では最初から女性主体で発信され、描き手もほぼ女性(男性もいますが)消費者もメインは女性というBL(ボーイズラブ)コンテンツの定着というような歴史があったので、アイドル業界もそうなっていくのにはもう少し時間が必要なのかも。今の「芸能」スタイル出来てからまだ30年くらいでしょうし。日本だと女性プロデューサーの男性アイドルグループもなくはないですが。


しかしさりげなく餅ゴリ社長(概念)への筆致が冷徹な気が笑