サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】韓国ヒップホップは何故「SHOW ME THE MONEY」に呑み込まれたのか?

【ize訳】韓国ヒップホップは何故「SHOW ME THE MONEY」に呑み込まれたのか?

2019.08.23

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2019082307137250616


韓国のヒップホップが「SHOW ME THE MONEY(ショミド)」体制の下で動くようになって久しい。巨大メディアコマース企業のCJ ENMの音楽チャンネルMnetは、既存のラッパーやラッパー志望生たちを呼び集め、強大な金の力を見せながらシーンを再編した。その結果、現在の韓国ヒップホップは階級社会に他ならない。PDと呼ばれる少数のアーティストが権力を握ったその中では、毎年甘い未来を夢見て番号表をつけた被権力者側のラッパーの生存競争が繰り広げられる。全世界で類を見ないヒップホップシーンの姿だ。今年も状況は特別変わらない。制作チームに選ばれたプロデューサーは権力の遊戯に夢中になり、彼らの目に入るために多くのラッパーたちが必死になっている。プロとアマチュア、ラッパーと志望者が入り混じって強大なカオスの場が開かれる。そして今、「ショミド」を否定的に見つめる彼らの間から出てくる質問も変わっていない。「韓国のヒップホップはどうしてこんな状況になってしまったのか?」つまり、「何故『ショミド』に呑み込まれてしまったのか?」


複合的な理由があるだろうが、専門家・アーティスト・ジャンルのファン(ヘッズ)を問わず口をそろえる答えが一つある。「ヒップホップアーティストが露出できるきちんとした窓口がない」という事だ。一見、当たっているようだ。Tiger JKの'Good Life'がTVの歌番組初のラップ/ヒップホップとして1位の曲になってからなんと20年近くたつが、韓国でヒップホップは長い間マイナーな扱いを受けてきた。1998年にKBSで製作した「KBS第3地帯:あなたはヒップホップを知っていますか」が今日までに韓国ヒップホップを記録した唯一無二の地上波のドキュメンタリーとして取り上げられることが代表的な例だ。「ショミド」以前に放送で接することができるヒップホップミュージックはごく少数に過ぎなかった。しかし、はたしてこのような現実がヒップホップにしか当てはまらないのだろうか。R&B、ロック、ジャズ、エレクトロニックなど、程度の差があるとはいえ韓国のメディアが無関心のあまり取り扱うのをはばかったり、顔を背けたのはヒップホップだけではない。他のジャンルの「シーン」の状況も似ている。皮肉にも、マニア層が厚くなりジャンルのコミュニティが活性化していた「ショミド」以前のヒップホップシーンは、ほかのジャンルのシーンよりは事情が良い方だった。だから、先に言及した答えをこのように変えなければならない。「以前から、韓国メディアの中には(アイドルを除く)様々なジャンルの音楽とアーティストを露出できるまともな窓口がなかった」。


より根本的な質問までさかのぼってみよう。韓国大衆音楽界の状況がそうだとして、韓国のヒップホップのためだという美名の下、ジャンルと文化の根幹を揺るがす行為が妥当なのだろうか。更に、あらゆる歪曲と刺激的な演出のおかげで大衆化されるとしても、いわゆる「イベントマネー」を稼ぐラッパーとラッパー志望生たち以外の人たちにとってどのような意味があるのだろうか?いや、そもそも、そのようなやり方をしてまでヒップホップを大衆化しなければならない理由とは何か。私は、それがそんなに切実なものだとは思わない。本当の原因は外部ではなく、韓国のヒップホップシーンの内部から探さなければならない。最初のヒップホップが誕生したのはパーティーの場だったが、その背景には特殊な社会環境が敷かれている。人種と階級問題を除いてはヒップホップを論じることはできない。世代にわたって白人が加えた抑圧と差別は、黒人社会が強力な共同体を形成することになる理由であり、原動力になり、その中でヒップホップは音楽を越えて黒人だけの文化として芽生え、発展した。そのため、ヒップホップというものが韓国で自由に通じるというのは異なり、ラッパーRoyce Da 5'9"も言ったように、非常に偏向的で閉鎖的なジャンルだ。


数百年間続いた搾取と奪取の歴史の、実際の被害者でもあるヒップホップアーティストたちは、本人が作り出した固有の文化を歪曲したり価値を毀損する行為に、非常に敏感に対応してきた。遠くは白人事業家のヒップホップ市場進出に対抗し、黒人が主人であるレーベルとメディアを作り上げたこと、近くは「他人種のラッパー」の参入に非常に厳しく反応することなどが良い例だ。さらには、同じ黒人アーティストでも、ヒップホップを歪曲したり価値を貶める行為には容赦なく批判を加え、舌戦を繰り広げる。時代が変わり、ラッパーたちの価値観も変わったが、ヒップホップに向けられる外部攻撃(?)には昔も今もアーティストが先頭に立って立ち向かってきた。これは意識的に死守しようとしているというより、自然に発現したという方に近い。米国でのヒップホップは黒人ひとりひとりの暮らしはもちろん、彼らの社会、文化と非常に緊密につながっている。1990年代半ばを基点にヒップホップの4大要素が事実上解体され、2000年代に入って完全な主流の大衆音楽になったが、文化としての根幹が依然としてあるのはこのような理由からだ。


韓国での状況は異なっている。ヒップホップは、ただ大衆音楽の様々なジャンルの一つに過ぎない。韓国の多くのラッパーたちとファンも「ヒップホップは文化だ!」と叫んできたが、90年代後半から2000年代初頭の間に米国からヒップホップが広がり、移植された盲目的なスローガンに他ならない。まず「ショミド」に出てくる有名ラッパーに「何故ヒップホップが(韓国でも)文化なのか」と尋ねても、まともに答えられる人はほとんどいないだろう。実際、米国のヒップホップと同様に文化として根を下ろしたシーンはフランス、ドイツ、英国のように、人種的葛藤・貧民街・ギャングなどの要素が揃ったごく少数の国だけだ。これとは全く異なる環境の中で生まれ育った韓国のラッパーにとって、ヒップホップと文化の相関関係は曖昧にならざるを得ないだろう。だから韓国でヒップホップを文化として論じるとしたら、「十代、あるいは若い世代を代弁する」程度のうわっつらに過ぎないのだ。


何より、ラッパーのほとんどにとっては、「シーン」という共同がもたらした文化の基盤である前に、生計を解決するための空間だ。職場イコール音楽だ。そのため、ヒップホップに対する歪曲や価値の毀損が個人の生計問題に影響さえしなければ、あえてヒップホップの守護者を自任する理由も意志もなさそうだ。その上今は、歪曲に順応して力を合わせなければ延命できない。格好良くラップを吐く事も大事だが、ラップを上手に表現できなくても、なんとかして耳目を引いて認知度を高めることが重要だ。


もちろん、依然として多くのラッパーがヒップホップとシーンの価値を論じる。しかし、接点がぼやけてしまい、空虚な言葉だけが浮かんで消えていく。しかも、彼らのほとんどが「ショミド」に身を投じてしまった現実は、韓国のヒップホップシーンに蔓延しているラッパーたちの自己欺瞞だけを確認させる。振り返ってみると、韓国のヒップホップをリードする人たちがヒップホップを歪曲し、低級なシステムを構築した「ショミド」をチャンスの場とし始めた瞬間から、ゲームは終わったわけだ。


結局、韓国のヒップホップが「ショミド」一つに振り回されるようになったのは、最初から韓国のヒップホップの価値や趣向を守らなければならないというアーティストの名分がなかったためではないか。そうであれば、放送番組一つが支配する昨今の現実が、韓国ヒップホップの本音というのも不思議ではない。たとえ明日すぐ「ショミド」が終わるとしてもこのような現実は変わらないだろうし、後に第2の「ショミド」は現れれば同じ手順を踏むのだろう。韓国のヒップホップはその程度の水準である。ひょっとしたら私たちは長い間、「ヒップホップ文化」という虚像の中で無駄に過ごしてきたかもしれない。


文カン・イルグォン(「RHYTHMER」音楽評論家)

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IZEは定期的にSMTMについて言及してますが、アイドルラッパーの参加で注目を一気に集めた時代からラッパー自身が「アイドル化」していった時期を超えた2019年のシーズン8で出た記事がこれという。

(RHYTHMERは韓国のヒップホップ専門メディアなので、書き方はかなり辛口ですが)

 

韓国はヒップホップが大衆化しているという事を羨ましがる一部日本のアーティストもいますが、大衆化という事はつまりより社会的規範に沿わざるを得なくなるという事でもあり、一定の文化的基盤がない状態で急速に大衆化してしまうと「この国でのヒップホップって何だったっけ?」というアイデンティティクライシスに陥る、今そうなりかけてるという事なんでしょうか。「文化」と「エンタメ」ではっきり分かれてそれぞれ需要があるとか、「文化」がそのまま「エンタメ」として需要される方がヒップホップの本質であるはずの「リアル」でありやすいのかもしれないけど、現状は文化がエンタメに呑み込まれつつあるという事なのか。

根本には「アイドル文化」だけが音楽・エンタメ業界の中で今現在は肥大しすぎていて、気づいたら他の音楽ジャンルの「カルチャー」と呼べるような受け皿がメジャーシーンではほとんどなくなりつつあるという事があるのかもしれませんが。CS見ても日本で言うスペシャとかM−ONみたいな音楽ジャンルに特化した局も今ないしなあ。MTVくらいでは...(それもSBSの一部になってオリジナルコンテンツはほぼアイドル関連)


対して日本の「日本語ラップ」のシーンを見ると、今は大衆化から離れてしまっている分逆にアメリカのトレンドやスタイルから自由になって独自の「文化」を構築した感じが。「リアル」であればなんでもよし!みたいな?

(違うかもしれないけど)

フリースタイルダンジョン」の流行とかはありましたけど、まさにこの即興の「フリースタイル」が流行のきっかけというところが「ショミド」とは大きな違いなんだろうなと。韓国のTVではCSでも規制が多すぎて、本当のフリースタイルラップバトルをTVで流す事は無理だと思うので...SMTMに関してはディスバトルですら練習やリハがあるというのがそれをよく表してると思います。

(正直、色々な現実にあるもっとリアルでネガティブな社会的な問題に対して、エンタメの世界でオープンに語れる環境自体がまだあまりない感じもします。アイドルはそういう事を綺麗事抜きで赤裸々に語るのは最も難しいジャンルだと思うし)

「米国のヒップホップと同様に文化として根を下ろしたシーンはフランス、ドイツ、英国のように、人種的葛藤・貧民街・ギャングなどの要素が揃ったごく少数の国だけだ。」っていうの、自分はけしてそんな事はないと思っていて、何故なら韓国にもその国だけの差別や貧困などの深刻な問題はあるのだから(南北とかミックスとか朝鮮族とか女性とか...)そういう話を率直に出来る文化的な場所がそもそも存在しなければ、ヒップホップのベースに「リアル」がある以上は「文化」にもなりようがないんじゃないかと思いました。Tiger JKのアルバムも当時の世相は描いていたはずで。


来週再来週と地上波の「クレイジージャーニー」でBADHOPの特集をするという事で、また色々思うところがあったりもしました。日本でもある意味「リアル」なヒップホップグループが武道館ライブをやる時代にいつのまにかなっていた。