サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】女性ソロ歌手│①BoA・IU・ソンミ

【ize訳】女性ソロ歌手│①BoA・IU・ソンミ

 

2018.02.06
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018020523127279616

 

近来、今まで以上に女性ソロ歌手たちが活発に活動する現在、6人の女性ソロ歌手について「ize」記者パクヒア、音楽評論家キムユンハ、コラムニストファンヒョジンなど3人の女性が文章を書いた。


BoAのキーワード
ドキュメンタリー「Keyワード#BoA」はこれまでBoAが発表した曲の歌詞を選び、それに合う話をボアが聞かせるというやり方で行われる。 その中でも「Valenti」の中の「君が眺めた私の姿」という歌詞は20年に近い経歴を持つ女性ソロ歌手BoAの人生を集約した一行だ。 SHINeeのKeyと飲食店の話をしながら「個室がない店であまり食べたことがない。何か不便だよね」と言ったり「全てが完璧なので、私がミスをすれば大変なことになると思った」と日本活動の時の気持ちを話す彼女は他人の視線を気にせざるを得なかった人だった。 さらに、BoAは好きなゴルフについて「『ミスを減らすゲーム』だ。 精神的な部分や性格的な部分でも成熟しなければ上手くできないスポーツ」と説明する。 何もかもがスーパースターとしての人生に忠実な姿だ。

 

しかし、「Keyワード#BoA」は大衆の前で歌手兼30代の女性としてのBoAをすべて見せている。 幼い時から活動をしてお金を稼いだ彼女のことを「男性たちはあまり良く思わないようだ」や「男性のとって初めて見たときの姿が女性の一番きれいな姿」と自らの状況を男性の視線で眺めたりもする。 この姿を見たKeyは「Kiss My Lips」で活動していた時「出来るだけ大衆に女性らしさを示そうとすることに対する渇望があるのか(と思った)」と、暗に感じている強迫観念があるのか知りたがったりもした。 BoAほどの事を成し遂げた女性も、無意識に男性たちの視線を意識する。 その事実がBoAを含め、数多くの男性の連帯の間で生き残らなければならない30代のビジネスウーマンたちの現実を照らす。

 

そして新曲「NEGADOLA」が出た。 彼女はこの歌の中の男性に神経質に「子供ね」と呟き、カメラの前で印象づける。まるで私がする話にけちをつけるなと言うように。彼女はスターとして他人の視線を気にしているようだが、自分がしたいことを果敢に行動に移した。 すでに30代になったスターが女性として、ミュージシャンとしてやりたいことを始めた。 過ぎ去った時代にやってきたことと同様、これからもすることが増える事を願う。

 

文 パクヒア

 
IUの今
IUは早く大人になりたい少女だった。 「Good Day」ではオッパを愛する少女だったし、「You&I」では愛する人と共にいるために「時計をもっと早く進めて」「瞬きする間に大人になるよ」と歌った。 これは可愛くて愛らしい「国民の妹」としてのポジション、つまりいわゆる「おじさんファン」との距離を念頭に置いた企画のように見えた。 しかし、昨年4月に発表した正規4集「Palette」の最初の曲「この今」で未来から飛んできたというIUは言う。 「あそこも実際馬鹿たちだらけ 違う とても輝くのはむしろ Now now now」。ファンタジーの世界から、そして国民の妹のキャラクターから抜け出したIUは最早ミュージシャンであり、20代の女性で、現実を生きる人間として直接曲を書いて自分の感情と物語を聞かせてくれる。 25才の自分、愛に対する懐かしさ、別れの後に努めて淡々としていようとする心、酒に酔った時の混乱などのジャンルと同じくらいに多様な素材を盛り込んだ「Palette」の収録曲は、IUの今を構成しているわけでもある。

 

最近発表したリメイクアルバム「花しおり 2枚目」でIUは自分が好きな過去の歌たちを再び歌う。彼女は原曲の歌手たちの感情を模倣する代わりに、今自分が感じる通りに各曲をカバーする。 収録曲「早瀬」に対する説明でIUは「(チョンミチョ)先生が初めて歌われた昔の『早瀬』と、何十年後かに再び歌われた最近の『早瀬』は、その音声に盛り込まれた感情から物語まで確実に違うアプローチのように感じます。機会があれば私も長い時間の後にこの曲を必ずまた歌ってみたいです」と書いた。 時間の流れによって人は変わるもので、だとしたら重要なのは、今現在ここにいる自分がどんな人であり、どのような考えや感情を感じるかだ。 そして皮肉にも、IUがリアルな自分を露出すればするほど、見ている方は彼女がどんな人なのかをぼんやりと想像するだけで、一言で定義したり、完全には把握できないだろう。 考えてみれば当たり前なことだ。 コンセプトやキャラクターに閉じ込められない人間を、完璧に解釈するのは不可能だからだ。 私たちができるのは今現在、また後の日の進行形のIUが、自然に生きて変わっていく姿を見守ることだけだ。

 

文 ファンヒョジン(コラムニスト)


ソンミ、注目される女の子
いつでもどこでも注目される女の子。 2007年、グループWonder Girlsのメンバーとしてデビューして以来、ソンミの人生はこの一言で定義することができる。 デビュー当初、グループの中での適切なポジションを探すためにしばらくの間停滞した時期を除けば、ソンミは同年代を集めたグループの中でも、ソンミ個人でも、いつも華やかなスポットライトの中にあった。 信じられないほど長い手足や秘密めいた雰囲気を持ち合わせた、簡単には掴まえられそうにない人。

 

次のステップを絶えず気になるようにするソンミのこのようなキャラクターは、ただのイメージだけではなく実際のキャリアにもつながった。 「Tell Me」「So Hot」「Nobody」などの相次ぐヒットで盛んに人気街道を走っていたデビュー4年目に学業を理由に活動の中止を宣言したことも、同じ所属会社を通じてソロ歌手の姿で歌謡界に復帰したのも、5年ぶりに同じグループに再合流してベースを担いでステージの上に立ったのも、いずれもソンミだった。 2017年、この10年間身を寄せていたJYPを離れ、新しい巣から発表した「ガシナ」で再び歌謡界の頂点に登ったのは、ただすごいという他には表現できない結果だった。 1年、いや、わずか1カ月先も簡単に予測できない、時にはひとこと、時には表情ひとつのためにトップから奈落に落ちるのが常である韓国芸能界で、めったに見られないこのような強靭な生命力。ここに彼女の性別とアイドルという出身まで加えると、これはむしろ奇跡と呼んでもいい結果だ。

 

こうしたソンミの成功談がいずれも正攻法による結果という事実は、ソンミという女性ソロアーティストに対して今より高い評価が行われなければならないという当為性再確認させる。 デビューからこれまでソンミが歩んできた道は、一様に速く楽な道とは程遠いものだった。 自分だけのテンポに合わせて走ったり歩いたり休んで再び動き始めたソンミが、大衆に明確に残したひとつのイメージは、まさに「ステージ」だった。 優雅であり同時に危険な「FULL MOON」のステージが残した強烈さ、同業の歌手はもとより、一般人まで先を争ってコピーすることに忙しかった「24時間じゃ足りない」、「ガシナ」に向けられた熱い反応は、ソンミが舞台を通じて吹き荒らしたカリスマ性に対する誠実な反作用に違いなかった。 生まれつきの才能を友として、自分だけのスピードで自分だけのものを作る方法を知っている女の子。 彼女が10年を超える時の間、注目されざるを得ない理由だ。

 

文 キムユンハ(音楽評論家)

【京郷ニュース訳】[インタビュー]「セクシャルマイノリティの新人歌手Hollandです」

【京郷ニュース訳】[インタビュー]「セクシャルマイノリティの新人歌手Hollandです」

 

記事入力2018.02.04 09:27
最終的な修正2018.02.04 09:54
http://m.khan.co.kr/view.html?artid=201802040927001&code=940100&med_id=khan

 

中学生時代、自分のセクシャルアイデンティティが人とは少し違うと感じた。 社会が「規定した」枠組み通りなら、彼は異性愛者であるべきだった。 しかし、そうではなかった。 数十回、数百回悩んでも彼は同性愛者だった。 最も親しいと思った友達に悩みを打ち明けた。 もしかしたら、悩みを分かちあう事はできなくても理解してくれることができるのではないかと考えた。 彼の期待は間違っていた。彼は3年間、校内暴力の犠牲者として暮らさなければならなかった。 毎日何度もセクハラを受け、いわれのない暴力を受けた。

 

ランチタイムさえ自由ではなかった。 自分をいじめる同級生に会うことを恐れて、給食室にさえも行くことができなかった。 子供達は放課後ひとりで残っている彼のもとを訪れ、再び暴行した。 倒れた彼の首に縄跳びの紐を掛けて教室を何周も引きずり回した。友達は首を締められたまま紐に縛られて振り回される彼を笑って見ていた。彼らにとって彼は友人ではなく、ただの「奇妙な」おもちゃだった。 彼は自ら命を断ち切ろうとしたりもした。 しかし、彼に「君は間違ってない」と言ってくれる人がいた。 彼は再び生きてみることにした。 そして自分の物語が込められた歌を世に出した。 新人歌手Holland(コテソプ・22)のファーストアルバム「Neverland」だ。 彼はインタビューで「一人で悩んで苦しんでいるセクシャルマイノリティたちに、自分の存在自体だけでも希望になってほしいというのが唯一の願い」と話した。

新人歌手Hollandに最近、ソウル中区京郷新聞社の前のあるカフェでインタビューを行った。

 

ー歌のタイトルは「Neverland」です。 特別な理由がありますか。

「既成世代の視点から脱し、偏見なしで暮らせる場所はある意味ではピーターパンの中の『ネバーランド』なのではという考えからタイトルにしました」

 

ー「僕がおかしいのか、誰がおかしいのか。すべてが僕が思ったのとはかなり違っていた。でもそれは当り前なのかもしれない…(中略)...窓の外に出て虹を探して」という歌詞を見ると、ご本人の話を盛り込んだようです。

「すべて自分の経験から出た歌詞です。 作詞を専門的に習った事はないけれど、率直な思いを込めたかったんです。友達に秘密でしたカミングアウトが校内暴力につながり、僕は今もうつ病と対人忌避症や各種のトラウマを経験しています。 自分と似たような傷を持っているセクシャルマイノリティたち、校内暴力の被害者たちに『あなたも堂々と外に出て活動することができる、あなただけの声を出すことができる』という希望を伝えたかったんです。 『歌詞が恥ずかしくてムズムズする』というような反応もあったんですが...(笑)」

 

彼は現在ソウル芸大の写真科在学生だ。 校内暴力を受けていた時期、彼は自分の視線で見られる世の中をカメラに収めていた。 写真は彼の疎通のための窓口だった。 平凡な大学生として生きてみても、友達から受けた暴力は彼にとって依然として消えない傷だった。 傷に打ち勝ってこそこれから前に進むことができると思った。 校内暴力の加害者は、依然としてさり気無く世の中を生きていくのに、被害者たちが息を殺して苦痛を受けている現実を認めたくなかった。 加害者に、そして彼と似たような経験をした被害者たちに対して声をあげる方法は歌しかないと思った。 彼は、芸能事務所に曲を送って肯定的な回答を受けた。 2ヵ所では最終契約書にサインだけをしないで残しておいたりもした。 しかし、彼が「セクシャルマイノリティとしてのアイデンティティを明らかにして自分の信念を曲に表現したい」と言うと、皆が難色を示した。 未だ大韓民国の社会でセクシャルマイノリティにアルバムをリリースさせるところはないと。

 

ー事務所に所属されていませんね。

「所属事務所を持たずに1から10まですべて自分1人で準備しました。 そのために曲の完成度の部分では惜しさがたくさん残っています。 しかし、これから一緒に意味を分かち合う事が出来る人々に出会って引き続き練習して努力していけば、僕がしたい話をもうちょっと完成度の高い曲に盛り込むことができるだろうと思っています」

 

ー 一部ではセクシャルマイノリティという事実を明らかにしたこと自体が「ノイズマーケティング」なのではないかという指摘もあります。

「歌唱力や曲の完成度のせいでそういう言葉は十分に出てくる可能性はあると思います。 周囲でも『君がセクシャルマイノリティだと明らかにすれば、一時的に関心はもらえるが多くの危険にさらされる可能性も大きい』と心配されたりしました。 しかし、僕は自分がセクシャルマイノリティであるという事実を隠したくなかったんです。 校内暴力を受けた経験も、さらに時間が経てば薄れていくこともあるでしょう。 しかし、今この話をしなければ自分自身が今後さらに一歩も進むことができい気がしました。校内暴力の加害者として名指された人たちも、アイドルや俳優として世に出て見事によく活動しています。 セクシャルマイノリティであり、校内暴力の被害者であるというのが歌手になれない理由にはならないと思います。 僕はセクシャルマイノリティたちに「あなたたちは何も間違っていない」というメッセージを伝えたいだけです。 カミングアウトに伴う責任感もあります。 セクシャルマイノリティであると明らかにした以上、行動ひとつひとつ、一言にも注意しながら活動しなければならないかもしれません。 しかし、最近はファンからより多くの慰労と力を受けています。 彼らから『ありがとう』というメッセージを受け取るたびに、自分の選択が間違っていないと思います」

 

ーこれからもセクシャルマイノリティがもっとたくさんメディアに露出されなければならないと思いますか。

「これが是非の問題ではないのだという点を知らせたいです。 親や周囲の大人たちがセクシャルアイデンティティに混乱を経験する子どもたちに『(セクシャルマイノリティである事は)悪い事なんだ、間違っているんだ、正すことができるんだ』と教育する場合が多いです。 悪いと思っている方たちはなぜ性同一性の『違い』を『悪』だと認識するのか、もう少し深く考えたらどうだろうと思います。 セクシャルマイノリティたちがもう少したくさんメディアに露出されれば、社会的に公論化される機会も多くなるでしょう。メディアに露出されるセクシャルマイノリティたちは性的な部分だけを強調されたり、逆に面白がられたりアブノーマルな恋愛をする存在と映っています。ただ一人のアイデンティティであるだけであって、他の異性愛者と変わりない平凡な人間なんだという概念がより受け入れられたらと思います」

 

ー曲への反応はどうでしょうか。 ミュージックビデオはわいせつ判定を受けました。

「南米、ブラジルiTunes Store全体のチャートで1位になった事もあります。 ある瞬間からかブラジルのファンたちが関心をたくさん持ち始めました。 オーストラリアでも良い成績を出しています。 韓国での反応は実はよくわかりません。 これからもずっと曲を出しながら活動しなければいけませんね。ミュージックビデオは…監督との最初のミーティング時に監督のお話で『韓国映像審議基準だと同性間のキスは19禁、異性間のキスは15禁』というのがあり、その話を聞いて必ずミュージックビデオの中にキスシーンを入れなければならないと思いました。 最初はキスシーンはありませんでした」

 

ーこれからの活動に残された課題がありますか。

「実はまだ両親に自分がセクシャルマイノリティであるという事実を話していません。 記事が報道される頃には両親に申し上げなければならないのではないでしょうか(笑)」

 

<文 リュインハ記者・写真ウチョルフン記者 acha@kyunghyang.com>

【おしらせ】Real Soundさんで記事を書かせていただきました

こちらでお知らせするのをうっかり忘れていたのですが、Real Soundさんにお声がけ頂いて韓国の音源・音盤チャートについて書かせていただきました。

 「デジタルに強いTWICEと巨大なファンドムを持つBTS (防弾少年団)  韓国での音楽消費を考える」というタイトルの記事です。

 

 

記事タイトルは編集の方がつけてくださいました。自分のブログやツイッター以外で文章を書かせて頂いたのは初めてなので勝手がよくわかっていませんでしたが、無事に掲載していただけまして安心しました。

【MoneyS訳】[変化するアイドルファンドム文化] ②フェミニズム、ミラーリング、そして男性アイドル

【MoneyS訳】[変化するアイドルファンドム文化] ②フェミニズムミラーリング、そして男性アイドル

 

2018.01.06
http://m.moneys.mt.co.kr/view.html?no=2018011117268028935&mtype=&msubtype=search

 

 

今時の女性たちは、我が社会に蔓延した女性嫌悪に立ち向かうため積極的に行動に乗り出している。 彼女たちは差別の不当さを知らしめるために直接デモに乗り出してフェミニズム書籍を購入し、女性の人権について学ぶ。

 

江南駅女性殺害事件1周忌の2017年5月17日午後、ソウル江南駅10番出口でボムフェミネットワーク「私たちの恐怖は勇気になって帰って来た」追悼文化祭参加者たちが菊の花を手向けている。写真=ニュース1
(訳注:原文の写真キャプション)

 

オンライン上では「ミラーリング」が彼女たちが使用する代表的な抵抗スタイルだ。 これは日常の中で女性に無意識的に加えられる嫌悪表現のワーディングを、嫌悪対象の性別だけを変え、男性たちに返す方式で行われる。

 

このように、過去と違って女性が日常の中の女性嫌悪に積極的に対応し始め、彼女たちが多数を占めている男性アイドルファンダムも過去と変わっている。

 

◆推しの歌手でも我慢できない…無条件の庇護は消えた

ある男性アイドルメンバーがSNSに桜の写真とともに「君達が咲いている」という書き込みを掲載した。 書き込みが来てすぐファンの間では「女性(ファン)」を「花」に例えるのは誤った見解だという反応が続いた。 SNSの書き込みを通じての議論が続いて、結局、論議の末に該当アイドルは掲示物を削除しなければならなかった。

 

ファンは女性嫌悪表現を使用しているアイドル歌手のために直接「フェミニズム本」をプレゼントしたりもする。 /写真=ツイッターの書き込みキャプチャー

直接作詞した曲の歌詞が議論になっている場合もある。 有名グループ防弾少年団とグループWINNERのメンバーソンミンホもかつて、女性嫌悪表現が含まれた自作曲の中の歌詞で物議を醸したことがある。

 

このようにファンたちは、自分が好きなアイドルだとしても女性嫌悪の発言と表現を容認しない。

 

むしろ彼らは積極的にヨヒョム(女性嫌悪)議論を突破する姿も見られる。 ファンは、自分の歌手がフェミニズム女性嫌悪について勉強できるように「フェミニズム本」をプレゼントしたり、直接制作に乗り出したりもする。

 

このようなファンドムの変化に、所属会社も研究生の教育課程に「性教育」を含ませるなど積極的に対応している。

実際にJYPエンターテインメント所属のアイドルグループGOT7はある放送で、「練習生の時から一ヵ月に一度の割合でクソンエ先生から教育を受けた」と明らかにしている。

 

◆男性アイドル、「男性嫌悪」の犠牲になる

グループSHINeeのメンバー・ジョンヒョン死亡のニュースが伝わって以降、女性中心のコミュニティを中心に、ジョンヒョンの死について水位を超えた嘲弄が続いた。 ただ彼が「韓国の男性(韓男)」であるという理由からだ。
このように女性嫌悪に対応しようとするフェミニズム運動は、インターネットコミュニティを中心に無差別的な男性嫌悪に変質されている。 女性嫌悪に対抗しようとする「ミラーリング」がどんどんその水位を超え、「男性嫌悪」というもう他の嫌悪を生んだのだ。


そして男性アイドルは男性嫌悪の「スケープゴート」となっている。 女性たちが「ミラーリング」の対象に使用するものの一つが女性アイドルに向けられる嫌悪的フレームなのだ。

 

男性たちが若い年齢の女性アイドルだけを好きで、20代半ばの年頃にさえ「イモ(おばさん)」と称していることや、過度な外見の品評を並べる形態を、男性アイドルに向かってそのまま「ミラーリング」することだ。

 

実際にこれらは20代半ばの男性アイドルに対して「老いた」「軍隊に行きなさい」のような非難を浴びせ、彼らの容姿に置いて「体重を減らせ」「ブッサイク」「韓男(韓国男性)水準程度」だとし、度を越えた人身攻撃を浴びせたりもする。

しかし、これもやはり女性嫌悪と変わらず、また他の嫌悪にすぎないという批判を免れる事は出来ない。


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文中に出てきたクソンエ氏というのは「韓国性教育の母」と呼ばれている有名な社会運動家の方だそうです。

ここ数年韓国ではフェミニズムが活気付いており、日本のツイッターで話題になった「男女が逆転した世界」タグなどもすぐ伝播されてミラーリングの例として広まったようです。日本以上に勢いは感じられながらも、日本とはまた少し違う種類の問題もあるようですが。ミラーリングってそういう使い方するものでしたっけ...

 

個人的には性別間の非対称性が一番大きい問題だと思っていて、例えば文中の「女性を花に例える事」自体は差別とは思いません。問題は「自分=男性アイドルのファンはすべて女性であるという前提の態度をとる」ことや「女性だけを花に例える事」であって、男性のファンもいるかもしれないし男性の事も花に例えたって良いのではないかという前提があれば、男性アイドルがファンを花に例える事自体が問題だとは思わないという意味です。これは実際は発信側と受取手側双方にバイアスがあった例ではないかと思います。


以前SHINeeのジョンヒョンが女性をミューズと呼ぶことは対象化であるとラジオのリスナーから批判されたことがあって、それはリスナーとの話し合いで落ち着いたのですが、それを考えると一方でIUがユインナをミューズと呼んだことは特に問題視されなかったのは些か不均衡な気がします。ミューズの語源になった芸術の神様自体が女神たちなので女性に使う言葉という事なんでしょうが、「インスピレーションの源になってくれる」という意味なら対象が男性でも女性でも使ってもいいでしょうし、女性だけに使われる呼称は全て対象化だと捉えるのは若干極端な思考の気も。それを排除するんじゃなくて男性にも使うようにするとか、同じような言い回しを使うとか色々方法もありそうな気もします。

(注:ジョンヒョンは個人ではなく「女性全般」を一括でそのような存在だとみなしたのに対してIUの方は個人対個人の話なので、その点で本質的に違う話だったなと後から思い直しました。この時点とは考え方が大きく変わったので追記しておきます)

【MoneyS訳】[変化するアイドルファンドム文化] ①アイドル、荒らしとの戦争宣言

【MoneyS訳】[変化するアイドルファンドム文化] ①アイドル、荒らしとの戦争宣言

 

2018.01.06
http://m.moneys.mt.co.kr/view.html?no=2018010517318011197&mtype=&msubtype=search#_enliple

 
グループSHINeeのメンバー・ジョンヒョンの悲報が聞こえてきたその日、突然の死と同様に、その死を嘲弄した悪質なコメントに多くの人たちは驚愕を禁じえなかった。 ウォマドゥ、DCインサイドギャラリーなどの各種コミュニティを中心に一線を超えた悪質な書き込みが続いた。 アイドルを向けられた悪質な書き込みの深刻性が再び水面に浮上した瞬間だった。

アイドルファンドムと所属芸能事務所が、相次いで悪質な書き込みの掲載者との戦線を布告する理由だ。

 

昨年12月12日、SMエンターテインメントはホームページを通じて「SMエンターテイメント所属のアーティスト関連権利侵害に対する法的対応」という内容の告示事項を掲載した。 SMは荒らしの告訴に向けて専門法律事務所まで選任した。

SMは告示を通じて「当該業務を担当する専門法律事務所を選任し、当社の法務チームとともに民事・刑事上の法的対応を持続的に進める予定であり、公式アカウントを開設し随時情報提供を受け違法行為に対して断固として対応することに決定した」と明らかにした。

 

昨年、プロデュース101でデビューしたグループWANNA ONEメンバーたちの所属会社も荒らしの告訴に乗り出した。 カンダニエルとユンジソンが所属しているMMOエンターテイメントは昨年7月、悪質コメントに対する告訴状を提出し、ベジニョンの所属会社C9エンターテインメントとパクジフンの所属会社マル企画も9月、悪質書き込み者告訴の立場を公示し、捜査の中断なく強力に対応すると立場を明らかにした。

 

ファンたちも積極的に行動に乗り出している。 昨年12月SMエンターテインメント所属のアーティストたちのファンドム連合は「COEX SM・アティウムでアーティストの保護のための行動を促すデモを展開する」という声明を発表した。 これに対してSMは、悪質コメントに法的に対応するという立場を公式的に明らかにし、行動に乗り出した。

 

告訴を進行したSECHSKIESファンがオンラインコミュニティに公開した悪質コメントに対する告訴・告発の処分結果通知書/写真=DCインサイドSECHSKIESギャラリーキャプチャー
(訳注:原文画像参照)

 

WANNA ONEのファンも侮辱的文章とコメントのPDFファイルを保存する方法を共有し、役割分担を通じて体系的に悪質な書き込みの証拠収集に乗り出している姿も見られた。

 

さらに、直接告訴に乗り出しているファンもいる。 昨年9月、グループSECHSKIESのファンたちは悪意的に非難世論を形成しているネチズンを告発し、罰金刑を受けさせたりもした。

 

◆進化する荒らし

過去にもアンチファンと荒らしは常に存在した。 しかし、所属事務所とファンダムが組織的に対応に乗り出すことは少なかった。

 

近年、所属会社とファンダムが悪質書き込み者問題に強力に対応するようになった最も大きな理由は、荒らしの行動が以前と違って組織化されているからだ。

過去と違い、最近の荒らしは特定コミュニティやオープンチャットを通じて組織的に動く。 彼らは単純に特定の芸能人の意見に誹謗する書き込みをすることを超え、当該人物に対するデマを量産して世論を扇動する。

 

荒らしたちは誹謗の対象になったアイドルのすべてのスケジュールをチェックしつつ資料を収集してその一部を悪意的に編集し、さまざまなコミュニティに掲示して書き込みを「先導」する。 別名「ベスト書き込み」が持つ影響力を通じ、該当のイシューに対する世論の雰囲気を自分たちが望む方向に誘導するためだ。

 

彼らは特定の芸能人についた関連検索語も操作する。 当該人物に対する否定的な単語を持続的に検索し、関連検索語上位圏に位置するようにするのだ。 これによってファンは関連検索語を「浄化」する運動に乗り出すこともある。

 

◆「逆風を受けるかも」告訴に迷う...依然として「軽い処罰」

しかし、依然として悪質コメントに対する告訴手続きは制限されており、処罰のレベルも低いのが実情だ。 刑事訴訟法によると、告訴は被害者本人や被害者が権限を委任した代理人がする事もできる。 しかし、代理人に権限を委任する場合に告訴代理人は被害者本人から権限を委任されなければならず、その事実も立証しなければならない。 結局、被害者本人の同意が必要だというのだ。これはイメージが重要な芸能人にとっては大きな負担になる可能性もある。ややもすれば否定的な世論が激化し、逆風を受ける可能性もあるからだ。


昨年11月、悪質な荒らしを告訴するという立場を明らかにしたTVタレント、チョン・ジュンハが代表的だ。 チョン・ジュンハが荒らしの告訴方針を明らかにすると、彼の過去の言動を整理した「チュチュやドットコム」が開設されるなど逆風が強まり、結局告訴を撤回しなければならなかった。


これに対して多くのファンは、悪質コメントに対する「第三者告発」を拡大しなければならないと主張する。 第三者告発が可能になれば、悪質な書き込みを見て精神的被害を受けた第三者、つまりファンが直接告発することができる。

 

悪質コメントに対する処分も、ほとんど100万ウォン前後の弱い罰金刑に止まっている。 やっとの思いで告訴するとしてもまともに処罰が行われず、悪質な書き込み防止の効果が全くない。 むしろ処罰レベルの低さに気づいた荒らし達は、さらに活発に活動している状況だ。

実際、先の1日EBS「新年の特集 未来の講演」に講演者として出演したTVタレントのソルビは多くの悪質な書き込みや噂で苦痛を受けた話を打ち明け、「告訴後に加害者たちに会った時、ギャラより罰金が低かったのでその仕事を引き受けたという話に衝撃を受けた」と語った。

 

俳優キム・ガヨンも過去のある放送番組を通じ、「私も荒らしを告訴したことがある。100%罰金刑だ。 一人も懲役刑まで行ったことがない。 悪質コメントに対する罰金刑や懲役刑も相当課すべきだ。懲役は10年、罰金も20億ウォン程度に上げるべきだ」と声を強めた。

 

情報通信網法上、名誉毀損罪の場合虚偽事実の流布者に最大7年以下の懲役や、5000万ウォン以下の罰金に処することができる。 しかし、現実は相変わらず軽い処罰にとどまっている。

 

 


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なぜか財テク経済誌の記事です。
所属会社が荒らしに法的措置を取るのは当然だと思うのですが、ここにファンが絡むのは少々微妙な感じがします。ファンドムの中では推しドルの守護者として振舞っている人が、ファンドムの外では対抗ファンドムのアイドルに対する荒らしだったりする構図は普通にあるでしょうし。しかも同じ所属会社のファンドム同士でそれをやってるケースもあったりして...


それを考えると「第三者告発の権限を拡大するべき」っていう発想自体が結構恐ろしいです。当人が騒いでほしくないようなことをたかがファンがどうにかする権利を持たせてくれと言ってるようなもので、芸能人はファンに強く言えないだろうというのを踏まえても、法治国家である事を望むならそれが良いことには思えず...

 

ちなみに日本ではつい最近、スポーツ選手の家族を誹謗する書き込みをした一般人に罰金192万円が課せられるという判決がありました。これもネットの情報開示に77万かかってるとの事なのでそう簡単に出来るものではないですが、そういう時代になってきているという事なんでしょうか。

【ize訳】IUの言葉

【ize訳】IUの言葉

 

2018.01.22
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018012200437259138


2017年の年末の授賞式で、IUが残したいくつかの受賞の感想が話題になった。 そして最近JTBC「ニュースルーム」でアンカーのソンソクヒはIUとのインタビューで「明確な芯をお持ちのようで、返事を伺って安心している」と話した。 彼の言葉のように、IUは昨年自分の心理状態だけでなく他人に対する懸念、そしてこれから彼らが進むべき道に対する確固たる意志が込められた話をしてきた。 歌でも、授賞式でも、放送局のメインニュースでも。


#「ジウンや 走らなきゃ時間が待ってくれないんだって激しく働くけど 時々は幸せにもならなくちゃ」

2017年4月、KBS「ミュージックバンク」で「Pallette」を披露した時

 

2017年4月、IUは新しいアルバムのタイトル曲「Pallette」で活動した。 最初はラップを客演したG−DragonのパートをARで流して該当部分を演技と踊りで代替していたが、彼女は28日の「ミュージックバンク」で自ら該当部分を直接歌った。彼女が少し変えた歌詞はG−Dragonの自分へのアドバイスとは違い、人々が自分に、または自らが自分に注文することに関する内容が盛り込まれていた。 時間はなく、仕事は多いが、それでも幸せでいなければならないというのは、いい言葉ではあるが当事者に負担と強迫を与えかねないものでもある。 そしてIUは改詞した歌と一緒に少々疲れたような表情を浮かべて心境を露にした。 続く「いつだって 楽しいだけでしたことがあったかな」という歌詞まで、彼女は韓国で最も注目されるスターの一人としての人生を歌と舞台を通じて伝えた。

 

#「私が外でどのような評価を受けても、どんな仕事をしても、私とは関係なく楽しく過ごしている私の家族がみんなすごくありがたいんです。そして血の繋がった家族ではないけど、私の一番親しい友達であり私の第1号ファンで、私の好きな芸能人で、私のミューズでもあるユ・インナさんにも本当に感謝しています」

2017年12月、メロン・ミュージック・アワードにて今年のアルバム賞受賞の感想

 

この12月2日に開かれた「2017メロン・ミュージック・アワード」でIUは「今年のアルバム賞」を受賞した。しかし、IUの受賞の知らせより更に話題になったのは、彼女の受賞の感想だった。 同日、IUは自らの「ミューズ」と呼んだユインナに感謝を示した。 また、IUは家族に感謝を表し、私が外でどのような評価を受けてどんな仕事をしていても、それとは関係なく楽しんでいるうちの家族」と話した。 受賞の感想で家族たちに感謝すると口にすることは珍しくないが、自分とは関係なく各自の人生を生きている家族たちの姿に感謝する姿はめったにない。 また、血縁関係がない人に対してその人がどれぐらい必要で大切な存在なのかを言うことも稀だ。その後、ユインナはあるインタビューで「(IUとは)年の差がかなりあるのにどのように親しくなったのかとたくさん訊かれたけれど、対話を通じて接することに双方が不自由さを感じなければ年齢とは関係なく良い友になり得ると思う」(OSEN)と話した。 家族と友達の関係についての新たな定義と言える。

 

#「今日の公演を見た観客の方が、今日の公演に向けて空しく熱い汗を流した彼らのその温もりだけ記憶していただければ、全く悲しくない空虚さだと思います」

2017年12月、ソウルコンサートの最終日アンコールコメントで

 

年末コンサートの最終日、IUアンコールの舞台に上がり、一枚の手紙を読んだ。 自分にとって多くの助けになり、心の支えになってくれたある演劇俳優が自分に送った手紙だった。 そこには「公演というのは本当に虚しいものだ。何か証拠が残ることもなく、その多くの人たちが熱と成果努力と時間を投資することに比べれば、蜃気楼のようにフッと消える」とあり、「自分ですらそう思う。昨年やったコンサート、その前年にやったコンサートもよく覚えていない。 私でさえ記憶しなかった私の公演だ」だと打ち明けた。 そして「その虚しい瞬間のために熱い努力の汗を流す仕事」と書かれている手紙を読んで、「そうだ。虚しいとしても、それの何が悲しいのか?私はただ熱い努力の汗をかけばいいんだ、そんな風に思って本当にたくさん自らの身が引き締められた文」だったと話した。

「寝て起きて、明日忘れてもいい。 公演の内容を記憶してほしいというのではなく、今日受けたこの感情、印象、それらの印象はすべて記憶に残るから、そういうイメージを記憶してくださっていつまでも大切にしてくれたらと思う」

と付け加えた。

 

#「みんなとても明日の仕事が忙しくて、また1ヵ月後の心配もしなければならず1年の計画も立てなければならない人たちだから、その悲しい感情を十分に感じて表わせない状況がまたとても残念で、もっと悲しいです」

2018年1月、ゴールデンディスク授賞式音源部門大賞を受賞した感想

 

「実際、実はまだ少なからず悲しいです」今年1月に開かれた「2017ゴールデンディスク授賞式音源部門」大賞を受けたIUは、次のように口を開いた。 誰もがわかっていたように、ボーイズグループSHINeeのメンバー・ジョンヒョンに対する言葉だった。 彼女は慎重に「人としても、友達としても、ミュージシャンとしてもとても大切な存在だった」彼について語り、「なぜ彼がそんな風にとても辛かったのか、その理由がある程度分かるようだし、私も全く知らない感情ではないようでまだ悲しく、申し訳ないような気持ちがある」と、芸能人が経験しているハードな点について述べた。 そして、その場にいた多くの人たちを慰労した。「アーティストの方々は人々を慰める仕事をしている人達だけに、プロ意識も良いですが、人としてまず自らを大切にして慰め」るべきで、「表に出さないようにしている過程で、むしろもっと病が重くなって辛くならないといいです」と、「みんなとても明日の仕事が忙しく、1ヵ月後をまた心配しなければならず1年の計画も立てなければならない人たち」に公式の席で伝えた。


#「『人』というのは、今欠かすことができないテーマだと思う」

2018年1月、JTBC「ニュースルーム」にて

 

JTBC「ニュースルーム」ソンソクヒアンカー兼JTBC社長は、「文化招待席」に出演したIUに台本になかった質問をいくつか投げかけた。 彼が「実は今、準備された質問をひとつも伺っていない」と状況を公開して明らかにすると、IUが笑いながら「一つもされないのでとても当惑しています」と答えたほどだ。 しかし同日、IUはアルバムに関する質問に、自分だけの明確なキーワードだけで答えを導き出した。 昨年発表した「Pallette」について「初めて引き受けたアルバムでは自分に対する話、個人的な話が多かった。 でも、今回の「Pallette」というフルアルバムでは私だけでなく私の周辺を形成している人たちの話、個人ではなく、人として話せる話をしたかった」と言いながら、以降のアルバム作業についてこう語った。「『人』というのは、今欠かすことができないテーマだと思う」

そしてソンソクヒアンカーの「IUの考えるテーマとしての『人』とはどのようなものか」という質問に「(私自身が)様々なカテゴリに属してるじゃないですか。20代でもあり、女性でもあって、芸能人でもあって。 その焦点をある一つに合わせるのではなく、人として、自分が職業人としてではなく、性別としてでもなく、ただ人として考えて経験することについてを織り込もうとしている」と答えた。 彼女が今後また、どのような話を世間に語るのかが気になる理由だ。


文 パクヒア
校正 キムヨンジン

 

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IUは日本のコンサートやイベントでも時には思慮深く時には率直なトークが多く、印象に残る言葉が多いように思います。

【IZM訳】2017年 今年の歌謡アルバム

【IZM訳】2017年 今年の歌謡アルバム

 

2012.12
http://www.izm.co.kr/contentRead.asp?idx=28926&bigcateidx=19&subcateidx=20&view_tp=1&view_sort=1

 

アルバムの響きは、単独の曲よりも強烈だ。 いくつかの曲から織り成されるアルバムはそれ自体でミュージシャンの志向、アイデンティティ、内面を、重くまた繊細に説く。 盛り込んでいるものがどのくらい膨大であればアルバム、つまり写真帖と表現するのだろうか。どれだけアルバムが品薄の時代だと言われても、堅固なテーマと流麗な音楽性で今年を沸かせた作品10枚を紹介する。 文の順番は順位と無関係だ。

 


CODE KUNST「Muggles'Mansion」
継続して違うタイプのものを示す曲が耳を離させない。暗いトーンと粗いリズムのビートからある程度今時のスタイルに従うが、明らかな枠組みを繰り返してはいない。 CODE KUNSTは曲にブルースとロック、ジャズの息吹を注入したり、時にはR&Bを中心の様式としれ選ぶことで15種類のメニューの豪華なコース料理を完成させた。いくつかのトラックの末尾に加えられた弛緩や変奏は興味深さを育てる。 音色、フロウ、唱法がそれぞれ違うゲストミュージシャンたちはしっかりとした材料であるだけでなく、曲の風味を増幅するスパイスの役割を全うしている。 聴き良いアルバムだ。
(ハンドンユン)

 


DAY6「Sunrise」
アイドルを超えてそのまま「良いバンド」を発見したと言いたい。このアルバムの中の14個のトラックは、これを如実にそして忠実に証明する。 毎月曲を作って公演をし培ってきた経験は、創作に対する感覚を鋭く鍛えており、同時に自分たちの進むべきところを明確に認知するようにさせていった。全面に押し出した演奏パートの存在感、様々なボイスカラーが重なって放つスペクトルは良いメロディーに乗って「普遍的なロックミュージック」の基準を提示するに至った。

 

深くなくコンセプトとして活用するアイドルバンドたちの失敗や大衆性不足というアンダーグラウンドバンドの盲点、これらをすべて埋めて出して提示した結果物は、さまざまな方面からの編曲としっかりしたソングライティングで同じジャンル内においてはっきりとした比較優位を占めている。 同時に、ランニングタイム中にあからさまなアラがなく、いい曲が相次いで聞こえてくるFull-lengthとしての完成度も拍手を送りたい部分だ。タイトルのように新しい太陽が昇る姿をこの作品を通じて見た。
(ファンソンオプ)

 


キムテギュン「緑の理念」
アルバムは華やかではない。 ヒップホップシーンに流行のように広がったswagは影も見られず、メロディアスなフックで大衆に好みを合わせたりもしない。 ひたすら中身だ。声とみっちりとした歌詞で自分の物語をお届けする。 つまりアルバムは見やすいとか、あるいは耳触りの良い伊達ではなく、自分が歩んできた道に対する完成度の高い結果であり、隙のない自己錬磨の記録物なのだ。

 

全般にただよっている叙情性が優先して視線を虜にする。 重い雰囲気にゴスペル風コーラスが頻繁に味付けをしてその上に自分の信念、視線、悩みを鋭く押し上げた。 ここに1文字も流さずによくかんで飲み込むラッピングが、訴える力を伝達して英語ではなくハングルだけで構成された歌詞は彼のストーリーに対する理解度を高める。 誰の耳元にでも食い込む鋭いラッピングやラッパーTakeoneではなく、人間キムテギュンの苦悩が盛り込まれたアルバム。ヒップなものだらけの本質が曇ったヒップホップというものをうかがわせている。
(パクスジン)

 

 

FANA「FANACONDA」
4年以上ぶりに帰ってきたが、例の「ライム爆撃」は依然として無差別に断行される。 その爆撃の投下地点は一次的に大衆化というガラスの名声で産業災害を引き起こした、「SHOW ME THE MONEY」だ。しかし、怒りは偽り、偽善、差別、犬の群れ根性の全ての世界へと範囲を拡大する。 クイックな「Do ya thang」であれ、悲壮な「殉教者賛歌」であれ、「ペンの出血過多」の産物である言語配列、語彙羅列を追うことだけでもアルバムは価値を持つ。

 

腐敗した酒類で自らを「島流し」にしながら「来ないあの日、来ないその日」であることを知っているが、それでも再び盾と剣を握る不屈の態度。 やはり青春とラップは慨嘆と怒りを火薬で打ち上げる矢であることを証明する。 彼だけの音色と長い呼吸で灰をまくような風刺劇の変死のようだが、知恵と真に充満したメッセージはほとんど説法の水だ。胸がスカッと抜けるようように痛快だが、我々はおのずと同時に深く自分を反省する。
(イムジンモ)

 

 

イスンヨル「요새드림요새(ヨセドリームヨセ)」
クリエイターではなく消費者の利己的な立場からは、「自分の音楽をコンテンツが飽和状態であるメジャーな音源サイトに投げておくのが嫌だった」という彼の固執にはさほど共感できなかった。 これは耳によく残る「Why We Fail」以降、簡単には消化しにくい音楽と大衆からは距離を置く行動と重なって、さらに寂しい気持ちにもなっていた。とにかくのイスンヨルの6番目のアルバム「ヨセドリームヨセ」は、海外の音源サイトでの決済を敢行した少数だけが聞いたし、聞くことができるアルバムである。 それでも2017年の歌謡音楽界を整理する決算に閉鎖的なアルバムを置いている理由は、その他の今年のメジャーミュージックでは発見することが難しかった、音楽に対するミュージシャンの作家主義的態度のためだ。

 

いつもの試みと実験を繰り返しながらも普遍的な情緒を溶かしこむスタイルは、「ヨセドリームヨセ」に到って余裕すら見せる。 難解に感じたトラックまでもが以前のものたちに比べれば容易で親切だ。 あえて解体して解釈しなくても充分な楽しみを満喫出来る作品だが、正確な意味を導き出すことは困難なアルバムのタイトルと、茶目っ気あふれる歌詞で始まる曖昧さの中で各自意味を与える楽しさが「ヨセドリームヨセ」の密かな価値だ。 イスンヨルの小憎らしいブルースにもう一度心を動かされる。
(イテクヨン)

 


キムオキ「Fuckingmadness」
このアーティストを定義することはさらに難しくなった。 新しいバンド「Fuckingmadness」とともに帰ってきたキムオキは「親日清算」をモットーに掲げた余裕のあるアシッド・ソウル〜ヒップホップ〜パンク〜ジャズを展開する。 「小人が打ち上げた小さいボール」から「激動の韓国現代史」まで歴史と現実を描く炯炯たる眼光に一度驚いて、ジャンルの壁を自由に行き来する逆説のメッセージにもう一回驚く。 挑発的なタイトルと強烈なメッセージとは違って、キャリアで最もロマンチックなサウンドで、アプローチ性まで広げた。

 

悠々自適のリズムのように聞こえるが、オーケストラ的バンド演奏から成し遂げた「意図された改訂版」だ。 プロデューサーのポーカーフェイス(4kapas)が鋳造したビートとキムオキの無我の境地のサックス、バンドの流麗ながらも緻密な演奏は、それ自体で熾烈な芸術家たちの「凄まじい狂気」だ。 15分に達する「Fuc ma dreams」から反語的なタイトルの「Banjai Kankoku(ばんざいかんこく)」まで曲、メロディー、音のひとつひとつが容易に消費されない。 重ねて地平を広げていくキムオキの「Fuckingmadness」はさらに熱いものとして扱われなければならない問題作だ。
(キムドホン)

 


EPIKHIGH「WE'VE DONE SOMETHING WONDERFUL」
2014年の「SHOEBOX」と彼らの成功的復帰を記憶している。9枚目のアルバムでも気楽で叙情的な作法で、収録曲の末尾に置かれたいくつかの名前をEPIKHIGHの中に吸収している。 「Born hater」の続編「NO THANXXX」と空虚さを盛り込んだ「HOME IS FAR AWAY(空車)」他、ヒップホップの質感が自然に共存するアルバムは、彼らが14年目まで大衆のそばに存在できた理由を物語っている。 もっと派手な喝采を描くこともできるだろうが、逆に以前まではあまり使われないような歌詞と悩みも率直に盛り込んでいく。 アルバムを聴くほどじいんとくるのは、輝いたグループの頭のよさよりも、私たちが年を取った分彼らも時間を抱いてきたという事実だ。

 

功労を過去に閉じ込めるには、EPIKHIGHは依然として大切で特別なグループだ。 意味もなく充満されるラップが増えるほど、彼らの言語が持つ重み、それだけ書き記したペン先には責任感がにじんでいる。 不完全な青春が音楽の中に活発に表現されている今も、熱病と弱さをタブロほど比喩する人がいないことを改めて悟る。 歌詞が好きでラップを覚えていたHIGHSKOOLはもはや「US AGAINST THE WORLD(大人の頃に)」と「Munbae−do(文培洞の行きつけ)」の内容を胸で感じるほど成長して共感する。 音もなく傷をつけて作った歌で、EPIKHIGHは強固に立っている。
(チョンユナ)

 


キムチャンフンとブラックストーンズ「キムチャンワン」
巨大なコラージュだ。 「真理が君逹を自由にするだろう」ではしっかりとしたハードロックの呼吸を、「口を固く閉ざしている」ではヘヴィメタルの重厚さを、「息」では、重厚な敍情を、バーバレッツと共演した「ラブ・シンドローム」では軽くよく弾むロックンロールをそれぞれ入れた。 このお互いに違う個性の音楽がキムチャンフンという巨大な溶鉱炉を通過して一つのスタイルになってゆく。不思議なほどだ。 先輩のキムチャンワンとともに、サヌリムの伝説のメンバーとして音楽を体現した人だけが使える余裕と貫禄ではないか。 この独特な調和は計算で作り出した「一貫性」というよりは、あれこれ意識せず、ただ全身で穴をあけてしまう巨匠の大規模な「貫通力」に近い。

 

2017年に過去を呼び出すということを単純な「再現」以上に引き上げるためには、多くの悩みがあっただろう。ここでは、ギタリストでありプロデューサーであるユビョンヨルが決定的な役割をする。 ロックジャンル全般を行き来するしっかりした演奏力で過去と現在の間に堅固な橋を築いたのだ。5.18光州民主化運動に献呈する悲壮な大曲「初恋、光州だ」では国楽のクロスオーバーの上に秀麗なロックギターソロを見せてくれて、「キムチャンワン」ではサヌリム特有のお茶目なサイケデリックに自然に溶け込んでいる。 新しい服を着て現れたロックの兄貴分の堂々とした風采!サヌリムは、ロックは、まだ依然としてある。
(ジョーヘラム)

 


Legit Goons「Junk Drunk Love」
ゆっくりして、だるく、時折怠けたりもする。 どれほど熾烈に生きているかを証明することに血眼になった世の中で、彼らは自分たちがいかに面白く遊ぶかを見せるのに忙しい。 豪華で戦利品に満ちたナイトライフからはまた、距離が遠い。 ハンバーガーを口いっぱいに頬張ってコーラで口の中を適当に適時報告書は、酔って視するところを探し求めて離れてまた、歌う。

 

興味深くもLegit Goonsのこのくだらない話の向こうには、緻密な構成が後押ししている。 緩いグルーブの上にはファンキーで少しジャジーな、じわじわとロッキングするビートが乗っていて、しっかりしたラップは多彩にレパートリーを解決するうえ、フックはこの上なくキャッチーだ。ごちゃごちゃとしたテーマの後ろに高い完成度を隠した面白い作品、ジャンクフードとアルコール、タバコの煙、そして夏と浜辺、愛を向けて愉快に紅潮を帯び、ハンチャンミは「Junk Drunk Love」を特別に作った。
(イスホ)

 


オンニネイバルグァン(姉さんの理髪店)「ひとりでいる人たち」
やれるだけやった。 できることを尽くした。 そしてやってみたいことも尽きた。 「最後の」という約束を置いて作られたアルバムは、惜しい気持ちを残さないために惜しげもなく消耗した。 IUとのコラボレーションとメランコリーなシンセポップに変わったことも、その過程の一つだ。 このような変身は乗ってアルバムとははっきりと異なる質感で見えますが、事実スタイルが少し変わっただけで、テーマや歌詞の内容は依然としている。 冷笑的で乾いて見えるが、彼らは何より「人」と「心」に満ちている。

 

イソクウォンは「5集のように苦労してアルバムを作らないと決心した僕たちが、それよりも長くて険しい過程を経験することになろうとは思わなかった」と新しいアルバムの感想を明らかにした。 本人たちの性に入りこまず、推敲に推敲を重ねた「研いで手入れした」音楽だ。 あまりにも滑らかなサウンドと、むしろ彼らの強迫と尖らせている神経が感じられるほどだ。 しかしそうやってアルバムを発売したというのならば、誰よりも信じて聞くことができるオンニネイバルグァンではないか。
(キムバンヤ)