サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【IZM訳】2017年 今年の歌謡アルバム

【IZM訳】2017年 今年の歌謡アルバム

 

2012.12
http://www.izm.co.kr/contentRead.asp?idx=28926&bigcateidx=19&subcateidx=20&view_tp=1&view_sort=1

 

アルバムの響きは、単独の曲よりも強烈だ。 いくつかの曲から織り成されるアルバムはそれ自体でミュージシャンの志向、アイデンティティ、内面を、重くまた繊細に説く。 盛り込んでいるものがどのくらい膨大であればアルバム、つまり写真帖と表現するのだろうか。どれだけアルバムが品薄の時代だと言われても、堅固なテーマと流麗な音楽性で今年を沸かせた作品10枚を紹介する。 文の順番は順位と無関係だ。

 


CODE KUNST「Muggles'Mansion」
継続して違うタイプのものを示す曲が耳を離させない。暗いトーンと粗いリズムのビートからある程度今時のスタイルに従うが、明らかな枠組みを繰り返してはいない。 CODE KUNSTは曲にブルースとロック、ジャズの息吹を注入したり、時にはR&Bを中心の様式としれ選ぶことで15種類のメニューの豪華なコース料理を完成させた。いくつかのトラックの末尾に加えられた弛緩や変奏は興味深さを育てる。 音色、フロウ、唱法がそれぞれ違うゲストミュージシャンたちはしっかりとした材料であるだけでなく、曲の風味を増幅するスパイスの役割を全うしている。 聴き良いアルバムだ。
(ハンドンユン)

 


DAY6「Sunrise」
アイドルを超えてそのまま「良いバンド」を発見したと言いたい。このアルバムの中の14個のトラックは、これを如実にそして忠実に証明する。 毎月曲を作って公演をし培ってきた経験は、創作に対する感覚を鋭く鍛えており、同時に自分たちの進むべきところを明確に認知するようにさせていった。全面に押し出した演奏パートの存在感、様々なボイスカラーが重なって放つスペクトルは良いメロディーに乗って「普遍的なロックミュージック」の基準を提示するに至った。

 

深くなくコンセプトとして活用するアイドルバンドたちの失敗や大衆性不足というアンダーグラウンドバンドの盲点、これらをすべて埋めて出して提示した結果物は、さまざまな方面からの編曲としっかりしたソングライティングで同じジャンル内においてはっきりとした比較優位を占めている。 同時に、ランニングタイム中にあからさまなアラがなく、いい曲が相次いで聞こえてくるFull-lengthとしての完成度も拍手を送りたい部分だ。タイトルのように新しい太陽が昇る姿をこの作品を通じて見た。
(ファンソンオプ)

 


キムテギュン「緑の理念」
アルバムは華やかではない。 ヒップホップシーンに流行のように広がったswagは影も見られず、メロディアスなフックで大衆に好みを合わせたりもしない。 ひたすら中身だ。声とみっちりとした歌詞で自分の物語をお届けする。 つまりアルバムは見やすいとか、あるいは耳触りの良い伊達ではなく、自分が歩んできた道に対する完成度の高い結果であり、隙のない自己錬磨の記録物なのだ。

 

全般にただよっている叙情性が優先して視線を虜にする。 重い雰囲気にゴスペル風コーラスが頻繁に味付けをしてその上に自分の信念、視線、悩みを鋭く押し上げた。 ここに1文字も流さずによくかんで飲み込むラッピングが、訴える力を伝達して英語ではなくハングルだけで構成された歌詞は彼のストーリーに対する理解度を高める。 誰の耳元にでも食い込む鋭いラッピングやラッパーTakeoneではなく、人間キムテギュンの苦悩が盛り込まれたアルバム。ヒップなものだらけの本質が曇ったヒップホップというものをうかがわせている。
(パクスジン)

 

 

FANA「FANACONDA」
4年以上ぶりに帰ってきたが、例の「ライム爆撃」は依然として無差別に断行される。 その爆撃の投下地点は一次的に大衆化というガラスの名声で産業災害を引き起こした、「SHOW ME THE MONEY」だ。しかし、怒りは偽り、偽善、差別、犬の群れ根性の全ての世界へと範囲を拡大する。 クイックな「Do ya thang」であれ、悲壮な「殉教者賛歌」であれ、「ペンの出血過多」の産物である言語配列、語彙羅列を追うことだけでもアルバムは価値を持つ。

 

腐敗した酒類で自らを「島流し」にしながら「来ないあの日、来ないその日」であることを知っているが、それでも再び盾と剣を握る不屈の態度。 やはり青春とラップは慨嘆と怒りを火薬で打ち上げる矢であることを証明する。 彼だけの音色と長い呼吸で灰をまくような風刺劇の変死のようだが、知恵と真に充満したメッセージはほとんど説法の水だ。胸がスカッと抜けるようように痛快だが、我々はおのずと同時に深く自分を反省する。
(イムジンモ)

 

 

イスンヨル「요새드림요새(ヨセドリームヨセ)」
クリエイターではなく消費者の利己的な立場からは、「自分の音楽をコンテンツが飽和状態であるメジャーな音源サイトに投げておくのが嫌だった」という彼の固執にはさほど共感できなかった。 これは耳によく残る「Why We Fail」以降、簡単には消化しにくい音楽と大衆からは距離を置く行動と重なって、さらに寂しい気持ちにもなっていた。とにかくのイスンヨルの6番目のアルバム「ヨセドリームヨセ」は、海外の音源サイトでの決済を敢行した少数だけが聞いたし、聞くことができるアルバムである。 それでも2017年の歌謡音楽界を整理する決算に閉鎖的なアルバムを置いている理由は、その他の今年のメジャーミュージックでは発見することが難しかった、音楽に対するミュージシャンの作家主義的態度のためだ。

 

いつもの試みと実験を繰り返しながらも普遍的な情緒を溶かしこむスタイルは、「ヨセドリームヨセ」に到って余裕すら見せる。 難解に感じたトラックまでもが以前のものたちに比べれば容易で親切だ。 あえて解体して解釈しなくても充分な楽しみを満喫出来る作品だが、正確な意味を導き出すことは困難なアルバムのタイトルと、茶目っ気あふれる歌詞で始まる曖昧さの中で各自意味を与える楽しさが「ヨセドリームヨセ」の密かな価値だ。 イスンヨルの小憎らしいブルースにもう一度心を動かされる。
(イテクヨン)

 


キムオキ「Fuckingmadness」
このアーティストを定義することはさらに難しくなった。 新しいバンド「Fuckingmadness」とともに帰ってきたキムオキは「親日清算」をモットーに掲げた余裕のあるアシッド・ソウル〜ヒップホップ〜パンク〜ジャズを展開する。 「小人が打ち上げた小さいボール」から「激動の韓国現代史」まで歴史と現実を描く炯炯たる眼光に一度驚いて、ジャンルの壁を自由に行き来する逆説のメッセージにもう一回驚く。 挑発的なタイトルと強烈なメッセージとは違って、キャリアで最もロマンチックなサウンドで、アプローチ性まで広げた。

 

悠々自適のリズムのように聞こえるが、オーケストラ的バンド演奏から成し遂げた「意図された改訂版」だ。 プロデューサーのポーカーフェイス(4kapas)が鋳造したビートとキムオキの無我の境地のサックス、バンドの流麗ながらも緻密な演奏は、それ自体で熾烈な芸術家たちの「凄まじい狂気」だ。 15分に達する「Fuc ma dreams」から反語的なタイトルの「Banjai Kankoku(ばんざいかんこく)」まで曲、メロディー、音のひとつひとつが容易に消費されない。 重ねて地平を広げていくキムオキの「Fuckingmadness」はさらに熱いものとして扱われなければならない問題作だ。
(キムドホン)

 


EPIKHIGH「WE'VE DONE SOMETHING WONDERFUL」
2014年の「SHOEBOX」と彼らの成功的復帰を記憶している。9枚目のアルバムでも気楽で叙情的な作法で、収録曲の末尾に置かれたいくつかの名前をEPIKHIGHの中に吸収している。 「Born hater」の続編「NO THANXXX」と空虚さを盛り込んだ「HOME IS FAR AWAY(空車)」他、ヒップホップの質感が自然に共存するアルバムは、彼らが14年目まで大衆のそばに存在できた理由を物語っている。 もっと派手な喝采を描くこともできるだろうが、逆に以前まではあまり使われないような歌詞と悩みも率直に盛り込んでいく。 アルバムを聴くほどじいんとくるのは、輝いたグループの頭のよさよりも、私たちが年を取った分彼らも時間を抱いてきたという事実だ。

 

功労を過去に閉じ込めるには、EPIKHIGHは依然として大切で特別なグループだ。 意味もなく充満されるラップが増えるほど、彼らの言語が持つ重み、それだけ書き記したペン先には責任感がにじんでいる。 不完全な青春が音楽の中に活発に表現されている今も、熱病と弱さをタブロほど比喩する人がいないことを改めて悟る。 歌詞が好きでラップを覚えていたHIGHSKOOLはもはや「US AGAINST THE WORLD(大人の頃に)」と「Munbae−do(文培洞の行きつけ)」の内容を胸で感じるほど成長して共感する。 音もなく傷をつけて作った歌で、EPIKHIGHは強固に立っている。
(チョンユナ)

 


キムチャンフンとブラックストーンズ「キムチャンワン」
巨大なコラージュだ。 「真理が君逹を自由にするだろう」ではしっかりとしたハードロックの呼吸を、「口を固く閉ざしている」ではヘヴィメタルの重厚さを、「息」では、重厚な敍情を、バーバレッツと共演した「ラブ・シンドローム」では軽くよく弾むロックンロールをそれぞれ入れた。 このお互いに違う個性の音楽がキムチャンフンという巨大な溶鉱炉を通過して一つのスタイルになってゆく。不思議なほどだ。 先輩のキムチャンワンとともに、サヌリムの伝説のメンバーとして音楽を体現した人だけが使える余裕と貫禄ではないか。 この独特な調和は計算で作り出した「一貫性」というよりは、あれこれ意識せず、ただ全身で穴をあけてしまう巨匠の大規模な「貫通力」に近い。

 

2017年に過去を呼び出すということを単純な「再現」以上に引き上げるためには、多くの悩みがあっただろう。ここでは、ギタリストでありプロデューサーであるユビョンヨルが決定的な役割をする。 ロックジャンル全般を行き来するしっかりした演奏力で過去と現在の間に堅固な橋を築いたのだ。5.18光州民主化運動に献呈する悲壮な大曲「初恋、光州だ」では国楽のクロスオーバーの上に秀麗なロックギターソロを見せてくれて、「キムチャンワン」ではサヌリム特有のお茶目なサイケデリックに自然に溶け込んでいる。 新しい服を着て現れたロックの兄貴分の堂々とした風采!サヌリムは、ロックは、まだ依然としてある。
(ジョーヘラム)

 


Legit Goons「Junk Drunk Love」
ゆっくりして、だるく、時折怠けたりもする。 どれほど熾烈に生きているかを証明することに血眼になった世の中で、彼らは自分たちがいかに面白く遊ぶかを見せるのに忙しい。 豪華で戦利品に満ちたナイトライフからはまた、距離が遠い。 ハンバーガーを口いっぱいに頬張ってコーラで口の中を適当に適時報告書は、酔って視するところを探し求めて離れてまた、歌う。

 

興味深くもLegit Goonsのこのくだらない話の向こうには、緻密な構成が後押ししている。 緩いグルーブの上にはファンキーで少しジャジーな、じわじわとロッキングするビートが乗っていて、しっかりしたラップは多彩にレパートリーを解決するうえ、フックはこの上なくキャッチーだ。ごちゃごちゃとしたテーマの後ろに高い完成度を隠した面白い作品、ジャンクフードとアルコール、タバコの煙、そして夏と浜辺、愛を向けて愉快に紅潮を帯び、ハンチャンミは「Junk Drunk Love」を特別に作った。
(イスホ)

 


オンニネイバルグァン(姉さんの理髪店)「ひとりでいる人たち」
やれるだけやった。 できることを尽くした。 そしてやってみたいことも尽きた。 「最後の」という約束を置いて作られたアルバムは、惜しい気持ちを残さないために惜しげもなく消耗した。 IUとのコラボレーションとメランコリーなシンセポップに変わったことも、その過程の一つだ。 このような変身は乗ってアルバムとははっきりと異なる質感で見えますが、事実スタイルが少し変わっただけで、テーマや歌詞の内容は依然としている。 冷笑的で乾いて見えるが、彼らは何より「人」と「心」に満ちている。

 

イソクウォンは「5集のように苦労してアルバムを作らないと決心した僕たちが、それよりも長くて険しい過程を経験することになろうとは思わなかった」と新しいアルバムの感想を明らかにした。 本人たちの性に入りこまず、推敲に推敲を重ねた「研いで手入れした」音楽だ。 あまりにも滑らかなサウンドと、むしろ彼らの強迫と尖らせている神経が感じられるほどだ。 しかしそうやってアルバムを発売したというのならば、誰よりも信じて聞くことができるオンニネイバルグァンではないか。
(キムバンヤ)