サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【WEIV訳】ジョンヒョンという色

【WEIV訳】ジョンヒョンという色

 

by チョングォン
http://www.weiv.co.kr/archives/23525/amp?__twitter_impression=true

 

彼らにTVで初めて出会ったのは高校3年生のころ、おそらく何かのバラエティ番組が終わった後に流れていたミュージックビデオだ。 「お姉さんはとてもきれいで/男たちがじっとしてない」と歌う、自分が「幼い」という事実を積極的にアピールしていた5人の男性アイドル。曲のタイトルは「お姉さんはとても綺麗(Replay)」でグループの名前が「SHINee」だった。「男子高校生五人で構成されたコンテンポラリーバンド」「『Shine』に名詞形語尾『ee』を組み合わせて作った新造語」という説明があった。

 

実は変だなとは思った。 SMがまた何か商売を開始するのかという否定的な声も聞いた。 しかし、そのすべての否定的な考えを覆うひとつの印象「歌がいい」という感情がリードした。 歌詞は気恥ずかしくてもメロディーはよく取り入れられており、以前のアイドルグループとは違う種類のエネルギーが感じられるという考え。暗い高校3年生の時代の自主学習時間のプレイリストに「お姉さんはとても綺麗」も入っていた。 私がこんな歌を聞いていいのだろうか、という若干の恥ずかしさとともに。

 

WONDER GIRLSが「Tell Me」で、BIGBANGが「嘘」で大きな成功を収めたころであった。 例えればその時は、今過去を振り返る時のように全てのことを悟ることはできなかった。 しかし、新しい流れが始まっているという直感は明らかだった。私と同じ年代の人々が主軸になってアイドルとしてデビューしているという、そして彼らが以前とは違う新しい姿を見せているという、青臭いながらも悪くない感覚。そしてその中心に、ジョンヒョンがいた。90年生まれ。私と同い歳だった。

 

振り返ってみると、SHINeeというグループのアイデンティティはいつも簡単には見当がつかなかった。 どのようなアイドルグループでも活動中に様々なコンセプトを図ったが、SHINeeは特にその選択の振り幅が巨大だった。 「お姉さんはとても綺麗」の幼い少年から「Ring Ding Dong」や「Lucifer」のようなSMP、「Sherlock」や「Everybody」のプログレッシブさや「Dream Girl」の爽やかさ、「View」の青春ドラマと「1 of 1」のレトロまで。 彼らが見せてくれたパフォーマンスとサウンドは誰でもなくSHINeeだけが試みることのできる種類のものだったが、いざそれを一つのアイデンティティとして表現できる方法は曖昧だ。 「コンテンポラリー」という、SMが自主的に掲げた単語でしか。

 

ややもすれば曖昧になるグループとしてのアイデンティティをしっかり支えてくれたのは、やはりメンバーたちの力だった。 SHINeeの5人のメンバーひとりひとりは、各自のポジションから急激に変化するグループのコンセプトをどうすればあれほどまでにできるのかと思わせるほど完璧に消化した。 そしてその過程で、SHINeeは何でもできるグループというアイドルシーン内でのあらゆる「完璧さ」の象徴とされた。 ダンスならダンス、パフォーマンスならパフォーマンス、ライブならライブ、たったひとつの部分でもSHINeeは他のグループより劣っている部分がなかった。

 

それは歌とボーカルの領域においても同様だった。 そしてその中心にいるのは、ジョンヒョンだった。 単純に彼がメインボーカルとして優れたライブの実力を見せてくれただけではない。 ジョンヒョンの声には他のどのアイドル、いや、どんな歌手にも真似のできない彼だけのカラーが鮮明にあった。 強烈でパワフルでありながらも「これはジョンヒョンの声だ」とはっきり区別できる特徴のある声色、そしてR&Bやエレクトロニック、ダンス音楽に特化されたおしゃれなスタイルはSHINeeというグループが語ることのできる音楽の幅をさらに広げた。 それが「Dream Girl」以前に出たSHINeeのすべてのタイトルトラックで、ジョンヒョンが第一声を放っていた理由であろう。

 

だからジョンヒョンの初のソロ作品「BASE」が出るというニュースを聞いた時、大きな期待を持った。 彼が持っている音楽的力量と野心はSHINeeというグループの中でのみ実装されることができる種類のものではないと思ったので。そしてその予想は的中した。

 

ジョンヒョンのソロレコーディングは、単純にアイドルメンバーの音楽的成長を証明する手段を越えて、アイドルメンバーがどのようにメインストリームのポップシーンで自分の位置を再確立しなければならないのかに対するひとつの模範事例として残った。 従来のグループ、あるいは所属会社の音楽的方向とはちょっと違った現代的なR&Bサウンドを基調として自分の色を明確に表すと同時に、SMという大きな「資産」を鋭敏に活用すること。アイドルメンバーという従来の領域を無視していないが、そのままそこに埋没されない姿。「She is」まで続いたジョンヒョンの姿を見ながら、Justin Timberlakeが成し遂げた成果を連想するのは難しいことではなかった。

 

しかし、Justin Timberlakeよりジョンヒョンの姿がさらに格別に近づいてきたのは、単に彼が韓国のアーティストだからではない。 小品集連作「 話」で彼が見せてくれた姿は、立派なポップアーティストとしての野心的な姿だけでなくジョンヒョンという個人が持っている一面を少しでも感じられる断面であったからだ。 「一日の果て」と「U&I」でのささやかな楽しみ、「Skeleton Leaf」と「Happy Birthday」での苦痛、「Lonely」と「エレベーター」での孤独は、全ての人に愛される歌手が「演技」できることからさらに遠いところにある生の感情だった。 ジョンヒョンほどの地位にいるミュージシャンが見せてくれるとは簡単には想像しにくい感情だったが、彼はそれをさらけ出すのをためらわなかった。

 

彼が「青い夜、ジョンヒョンです」で行ってきたリスナーとの疎通、「皆さん、こんにちは」とセウォル号惨事をはじめとする各種の社会的/政治的問題について率直に話していた正直さ、「ミューズ」という概念が女性を対象化しているという批判に対し、ひとりのツイッターユーザーと対話を交わして自分の誤った点を認めていた器は彼が「話」を通じて示した自分の姿から離れたところにはない。人間がもっとましな存在になる事は他人との交流と疎通を通じてこそ可能で、そのためには自分がどんな人間なのか、自分の姿がどのようなものなのかを示さざるを得ない。 自分を取り囲む社会的地位の壁が存在するにもかかわらず、彼はどうすればより良い人間になることができるか苦悩する過程でその壁を恐れずに超えた。 それは決して簡単なことではなかっただろう。

先週、ジョンヒョンがこの世を去ったという知らせが初めて伝えられた。 この文章と記事を書いているこの瞬間にも、その事実が十分には実感できていない。 もっと沢山の時間が過ぎて彼の新しい作業物が出てこないということを認知したとき、彼が残した歌が徐々にさらに遠い過去のものとされ始めたとき、彼がいないという現実がようやく近づいてくるのだろう。死は時に牛歩を保ったままで我々を迎える。

 

韓国だけではなく、世界のメディアを覆ったニュースと各国のファンがSNSYouTubeに残した悲しみのこもったメッセージ、韓国大使館に積もった弔花を見守りながら、私が初めてSHINeeそしてジョンヒョンに出会ったその芸能番組からどれだけ多くの時間が過ぎたのだろうかと振り返ってみている。 KPOPは成長し、広まり、より華やかになった。 しかし、その変化が果たして肯定的なものだったのか、私はすぐに答えを出すことができない。 今この瞬間を前に置いたままでは更にだ。

 

ただし今は、私と同じ時代を生きて私の時代を更に豊かにしてきたあるアーティストの死を追悼するだけだ。 同時代がひとつのターニングポイントを迎える方式は時にあまりにも暴力的であり、息を殺すこともある。しかし、それがジョンヒョンの残した歌、言葉、そしてミュージシャンとリスナーの関係を越えて人間として尊重したかった態度までを隠すことはできないだろう。 その鮮やかな色が、私たちの記憶の中に残っている限りは。

 

一人で我慢するのに慣れてしまったあなたを悲しむ。 残った私は、より良い人間になると約束する。

 

チョングォン lacelet@gmail.com

 

 1990 4. 8 - 2017. 12. 18

 

*この記事を読んで精神的苦痛と耐え難い落ち込みを感じた場合、次の相談ホットラインを利用してほしいです。
精神保健センター1577-0199
いのちの電話1588-9191
保健福祉部運営希望の電話129
ニゾン一体自殺予防センター1599-307

(訳注:上記は韓国内の電話番号です)

日本いのちの電話連盟

https://www.inochinodenwa.org

全国精神福祉保健センター一覧

http://www.mhlw.go.jp/kokoro/support/mhcenter.html

 

 

【ize訳】ジョンヒョンに贈る感謝

【ize訳】ジョンヒョンに贈る感謝

 

2017.12.26
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017122522347272029

 

一時、日刊紙の社会部で一生働きたいという子どもっぽい将来の希望を話していた。 初めて入社した会社は政治的に保守層が厚い地域にあったが、ある日、ある女性の先輩が言った。
「局長から聞いたわよ。あなた、社会生活をする方法を知らないの?この方が軍隊に行ってきた男の子たちが楽になるでしょう」
この会社の社会部に女性記者が一人もいない理由を聞いただけの事だった。 「俺は女は嫌いだ」という回答をする男性の局長と、軍隊の話を持ち出す女性の先輩の下で働くのは容易ではないことだった。 しばらくは歯ぎしりをしながら夜明けの退勤時間だけを待ち、ビールを瓶ごと持って颯爽と歩きながら毎日イジョクの「左利き」を聴いていた。私は左利きだよ!左利きになるよ。 私は蓋をしてしまおう。

 

その子供じみた時代に、ジョンヒョンの「左利き」を好きになった。 KBS「不朽の名曲」で彼は「私の人生の歌」でイジョクの「左利き」を歌い、かなり長い間「ダサい」「ちょっと恥ずい」という皮肉な言葉を聞いた。 サウンド補正が困難になる程大きな声を出していた彼の歌は他の歌手たちの舞台と比較した時、言葉そのままの生の姿だった。 しかし、それがよかった。
「自分は間違っていないと思ったので」
ジョンヒョンがあの理由を口に出した事が一番気に入った。 中学時代に一緒に拙いバンド音楽を一緒にした友だちを、競演プログラムに出演させるアイドルがどこにいるだろう。

 

華やかな世界だったSMエンターテインメントの左腕のような人だった。 非常に稀ではないけれど、だからといって非常に主流の存在だと言うこともできなかった。 だから、彼が所属したSHINeeがアルバム「ROMEO」で当時はボーイズグループでは見られなかった神秘的なイメージを表現する時も、アフリカのリズムを活用した「Ring Ding Dong」でにやりと笑いながら曲を開始する時もとてもよく似合っていた。 それからソロアルバム「BASE」はアイドルとしてのキャラクターとブラックミュージックのジャンル的特質をあまりにも賢明に結合した。 アイドルとして独特だったSHINeeと大衆音楽を活用しつつ、自分のキャラクターを描いたジョンヒョンの道は本当に左利き、まさにそれだった。 あまりにも巨大な会社が彼の後を支えていたために非主流とすることはできないけれど、確かに主流ではなかった。 そしてそこから出てくる独特ながらも近づくことができる魅力があった。 そして「BASE」で注目を受けた後、「The Colliction 小品集」では周囲のスタッフたちが「実際にこれが本当にジョンヒョンがしたいと言っていた音楽だ」と言うほど、自分がやりたい音楽をした。 そんな風に最善を尽くして好きなものを探しながら生きた人だった。 アイドルとしてドームツアーを回りながら「小品集」をリリースした左利きの人。

 

安眠も出来ず、みな、物悲しいという。 そんな数多くの同世代の心を理解することができる。 周囲には退社してソウルを離れたり、創作活動を投げ出している友人もいた。 そして私は社会部を離れ、エンターテインメントを扱うことを選択した。 変えることを放棄したのかと尋ねられたなら、妥協したと言えるだろう。 確信はないが、もっと好きな仕事を探したからだ。そしてずっとこんな風に生きても良いのかと思い始めると、ジョンヒョンが「不朽の名曲」で見せてくれたその姿を思い浮かべる。
「告白することがあります。 僕は両利きなんですよ!」
慌てた表情で舞台を見つめていた人々の表情が思い浮かぶ。しかし彼らは結局、笑いを爆発させてジョンヒョンを応援した。 そして私は今も彼の笑顔を思って力を得る。 もう一度その舞台を見なくてはいけない。 めちゃくちゃだったけど、最も幸せな顔が盛り込まれていたその映像を。

 

文 パクヒア
校正 キムヨンジン

2017、複雑化していったKナムドルイメージコンセプトとカウンターとしての「プロデュース101 シーズン2」

2017年の下半期も始まり、ここ数年韓国内で1番大きなファンドムを誇るEXOはこの夏のカムバで100万枚以上を売り上げ、それに迫る防弾少年団の世界的なファンドムはその熱心さと献身ぶりにより彼らをペンドムの力だけで米国ビルボードの授賞式へと送る事に成功した。しかし、そんな堅固で強大に見えるファンドムを誇る彼らのファンの間に少々の不安を走らせるような新たな第3のボーイズグループが近頃現れた。プロデュース101シーズン2を経て結成されたグループ、WANNA ONEだ。

 

今まで強大なファンドムを誇ってきた既存アイドルのファンの心が揺らぐのは、第一に「戦う相手」が同じアイドルオタク同士というわけではなくなったからというのもあるだろう。今まではよく練られ完成された世界観やセンス、見出された特異な才能、あるいは生まれ持った(?)ルックス、想像を超える長く厳しいトレーニングの末に得た歌やダンスのスキル、そして芸術性の高いスタイリングや楽曲。そこに加えてある程度の長さの練習生活や共同生活を経て形成されたメンバー間のケミストリー。そういうものに特化してブラッシュアップされていくのがトップアイドルの証であり、間接的にはトップアイドルのファンたちの誇りやアイデンティティにもなってきたのではないかと思う。しかしそこにまた別の新しい価値観のもとに作られたグループが誕生し、しかも大衆的かつ絶大な人気を得てしまったのだから、今まで自分たちが好きで拠り所としてきた「アイドルの価値観」そのものが揺らいでしまうのではないか?という不安が出るのも当然の事かもしれない。特に、日本のKドル好きにはそもそも日本国内の既存アイドルにはない音楽性や技量的なうまさ、アーティスティックな面などを見出してファンになった人も少なくないのではないかと思うが、WANNA ONEの(音楽性や技量的なレベルはともかく)アイデンティティはむしろ日本国内の既存アイドルの方に近いと言えるからだ。

 

先シーズンの成功が土台にあるとはいえ何故いちTV番組から始まったグループが、今までアイドルに興味がなかった層までも巻き込んでここまで大衆的な人気を得たのだろう。この疑問が少し氷解するヒントを見つけたような気がしたのは、他でもないEXOと防弾少年団のカムバックティーザーと、それに対するファンの反応を見ていた時だった。

 

デビュー当時からEXOはティーザーやMVに多数の謎解きのようなヒントを散りばめ、ファン達はそこからコンセプトに秘められたストーリーやメッセージを読み解くという楽しみを見つけ出してきた。これは方向性は違うものの防弾少年団も同様で、こちらは彼らのコンサートや活動自体がトリロジーや外伝というひとつの繋がったストーリーのようなコンセプトになっていた事に加え、I NEED U以降はまるでファンフィクションのような現実とファンタジーが入り混じっているかのような意味深長なイメージが展開されてきた。いずれも明確な答えのようなものは与えられないが(もしくは最終的にリリースされるアルバムや曲自体にそれほど関連はなかったりするのだが、これは長年の韓国アイドルあるあるでもある)ヒントから裏側のストーリーを各自繋げて妄想を楽しむという、これはある意味新しいオタ活のスタイルのひとつを生み出したと言ってもいいかもしれない。


今年の夏のEXOのティーザーであった「The Ecripce」が出た時、「今までのEXOの活動日は全て過去の日蝕があった日」という謎解き解釈のひとつを見かけた。その時思ったことは「今回も謎解き班すごいな。よくそんなに遡って色々と覚えているな」だった。これは大体いつも思うことなのだが、しかし今回に限ってはこうも思った。
「これは一見さんが入りにくそうな世界だな」

 

コンセプトに色々な仕掛けをする事はむしろ良い事だと思う。ファンも見所が多くて飽きにくいし、謎解き匂わせ系のMVにすると単純にVIEW数が稼げるというのも制作側にとっては利点だろう。しかし、そのアイドルの活動ヒストリー全体を巻き込むような長期的な仕掛けは、必ずしもポジティブなものであるとは限らないと思う。その謎が解けるのはデビュー当時からの、あるいは一定期間見続けてきたファンの特権という事になりかねないからだ。ファンの方を向いたコンセプトや曲作り自体は良い事だと思うが、それが複雑化・内輪化しすぎるとアイドルとファンのみの閉じた関係の中でのみ完結しやすいのではないだろうか。「アイドルは開いた本」という個人的に好きな言葉があるのだが(「アナと雪の女王」の劇中歌みたい)、こうなってしまったアイドルは「開いた本」どころか「袋とじ」のようなもので、ちょっとした立ち読みは許されない。もちろん謎解きをしなくても楽しんで良いのだが、それがないと100%満喫しているような気持ちになりにくいのは惜しい気もするかもしれない。

 

コンセプトだけではなく楽曲やパフォーマンスも同様で、最先端の欧米の流行をそのまま取り入れられるようにはなり評論家や音楽マニアからの評価は上がっていったが、KPOPらしさの肝と言われる「ポン気」(トロットっぽさ)は失われ、一般人がカラオケでみんなで歌えるような大衆的なアイドルソングはゼロではないが減っていったように思う。ダンスもグループの大型化や振付フォーメーションの複雑化によってトップグループになるほど「会社の余興でちょっとやってみた」程度に一般人が気軽に真似する事は難しくなっていったのではないか。それは「ダンスや音楽のプロフェッショナル」であるはずという視点ではプラスポイントであるが。

 

結果的に、読み解きの文法やそこまでする熱意は持たないアイドルオタク以外の「一般人」にとって、2013年以降のトップアイドル達は老若男女みんながダンスを真似してYouTubeにあげていたWonder Girls以降の時代に比べれば、特に一般よりもファンドム人気が先行しがちな男性グループはどこか少し遠い存在になっていったのかもしれないと思う。国内だけでなく今時は世界でも人気があるんだって、へえ、そうなんだ。グループ名は知ってるけど、曲はあまりよくわからないね(あるいはその逆)という程度の。そして2016年、女子アイドルの世界ではキャッチーなメロディとわかりやすい曲構成やポイントダンスを盛り込み、サバイバル番組を経て親しみやすいキャラクターを持ったTWICEの登場とブレイクによって「アイドルの楽しみが大衆に帰ってきたのではないか」というような事を、以前「2016 GAONチャートを振り返る」という記事で書いたことがあった。
2016 GAONチャートを振り返る②[本命の音源チャート編] - サンダーエイジ
それと同じような事が男子アイドルの世界ではプロデュース101シーズン2、あるいはWANNA ONEを通して起こったのではないかと思うのだ。

 

プロデュース101シーズン2という番組では、それぞれ様々なバックグラウンドを持ちながら順位を巡って争い時には共闘し悩み成長してゆく参加者自身、あるいは同じ苦しみを味わっている者同士でしか共有できないであろう「同志感」を共有する少年たちの姿そのものがコンセプトのようなものだったのではないかと思う。そこにややこしいキーワードや隠されたイメージはないし、毎週ただ番組を見ていれば基本的な事が理解できるようになっている。興味を惹かれたメンバーがいればネットで検索すれば、それほど長大なエピソードもまだ出てこない。番組を見始めれば即そこから共に彼らのアイドルヒストリーを見守っていけるという、用意された優しいオタ活の場所だったのではないだろうか。

 

...というような事をWANNA ONEデビュー直後あたりに考えてSMのコンセプト変化うんぬんついての文章を書くより先に書き始めてたんですが、ダラダラとシメを先延ばしているうちにその後のEXOリパケ「Power」や防弾少年団カムバ活動曲「DNA」MVやコンセプトはほぼ謎解き系ではなくなり、やはり両者の匂わせミステリー系コンセプトは今はほぼ終焉に向かいつつあるのかな?と思いました。The Powerの方はまだちょっとあるみたいだけど、それでも超能力コンセプトが少年マンガ的にもっとシンプル化されてた感じ。防弾のLOVE YOURSELF略はティーザーはそこはかとなく新海誠っぽかったですけど、タイトル曲自体はそんなに関連はない感じだったし...と言いつつDNAは若干歌詞にRADWIMPS風味はあったかもしれない(???)

SEVENTEENはAll1シリーズ(?)の途中みたいなのでむしろこれからそっちに行くようですが、いままでの曲に比べると「泣きたくない」のファン以外からの反応がそれほど目立たなかったのはそういう事かもしれないなと。(その後ネチズンの間で言われていた某洋楽曲との類似が、事務所がもめ事を嫌ってまさかの似ていると言われていた曲の使用料を払ってクレジットに作曲者として載せて収束させるという事態になったりしましたが)彼ら自身のヒストリーに重ね合わせていく感じだからか、ちょっと今までよりは少し閉鎖的な雰囲気を感じなくもなく。ティーザー期間も今までより長い気もしますし。その分ファンの人たちの感想は今までよりものめり込み度強めになってるようにも感じます。単純にペンドムの歴史がある程度長くなっていくとそうなる時期があるということかもしれないけど。

 

...でここまでの文章とここからはまた数ヶ月開いちゃったんですが、その後に出たSEVENTEENの活動曲の「拍手」では原点に返るかのようなシンプルなコンセプトに戻っていて、やはり「時代は今、『そのまんま』なのよ!」(「日ポン語ラップの美ー子ちゃん」で美ー子ちゃんがKOHHの章でシャウトしていた台詞)という事なんでしょうか。

 

内容に見合わないものすごく大げさなタイトルをつけてしまった事を反省しつつ、2017が暮れていきそうです。

【idology訳】インタビュー:SHINee、ジョンヒョン、EXO、NCT 127の作曲家DEEZ ②「ひとつのチャプターとして記録される音楽を」

【idology訳】インタビュー:SHINee、ジョンヒョン、EXO、NCT 127の作曲家DEEZ ②「ひとつのチャプターとして記録される音楽を」

 

キムヨンデ on 2017/12/19
http://idology.kr/9546

 

DEEZの音楽家としての成長やRain、REDVELVET、テミンに関する話はインタビューの①の方から読み取ることができる。 このインタビューは2017年11月末に進行されたことをお知らせしておく。

 

キムヨンデ:すでにSHINeeとは数曲を作業されています。その中でも、ジョンヒョンが作曲に参加した「Prism」という曲が印象的だ。 アルバム「1 of 1」自体も秀作だが、その中でも特に愛される曲だ。 その上2step(訳注:2step garage)スタイルはアイドル音楽ではそう簡単には見当たりませんでした。

 

DEEZ:Digi(Jamil"Digi"Chammas)、Vedo(Wilbart"Vedo"McCoy III)と3人で書きましたが、やはり最初から完全に新しく作った曲だ。 Digiは私と名前も似ていて(笑)斬新なアイディアが多い友人だ。 実は最初曲を書いた時は、SHINeeの曲になるかどうか分からなかった。 ブリッジパートは後に録音しながら私が作った部分であり、元々はドロップ部分のメロディーはなかったが、この部分はジョンヒョンがメロディーを書いて持って来て、良いアイディアだと思って入れることになったのです。

 

キムヨンデ:ジョンヒョンとはすでに「Neon」「Aurora」の2曲を一緒に作業されていますね。それも他の曲とは違ってジョンヒョンと二人きりで共同作曲をしたそうですが、ミュージシャンとして、ジョンヒョンについての評価はどうですか?

 

DEEZ:ジョンヒョンは曲のコンセプトや歌詞の全体的な形態、流れなどについての考え方がしっかりしている。 たまに「一体あんなコンセプトやアイデアはどこから出てくるのだろう」と不思議な時もある。 SHINeeの音楽を聴いてみると、ジョンヒョンはボーカルも独特でSHIN eeの全体的なカラーを決める役割をする場合が多いが、ソロ活動をするようになってからは更に本人の色が強くなった音楽をするようになったようだ。 両曲ともにトラックが完成された曲を持ってきてトップラインメロディーを完成させたケースだが、「Aurora」のような場合、伴奏を聴いててみたらわかるがもっと複雑にする事もできた曲だ。 もともと自分のアルバムに使いたいと思っていたトラックだが、ジョンヒョンがアルバムの準備をするというので惜しみなく投入しました (笑)

 

キムヨンデ:ジョンヒョンは音楽的な才能と欲が多く見えます。

 

DEEZ:歌詞などの場合も本当にたくさん悩んで準備をする方だ。 さっさと書いたりもするが、また上手に書く。 基本的にアイデアに満ちた友人だ。 「Neon」を書いてきた時は本当にこの子の実力は大丈夫だなと感心しました。


キムヨンデ:ソングライティングついて個人的な指導を別にする事もあるんでしょうか。

 

DEEZ:作曲家としては、後輩には彼らが持っている生の魅力や新鮮さがあるのでその部分を尊重しようとしている。 どんな人にどのような長所があるのかは分からないので、基本的に彼らのスタイルに対してオープンな心で作業を行っている。 もちろん、特定の部分で「絶対にそれはすべきではない」と感じられるときは指摘しますが。

 

キムヨンデ:アイドルが一緒に作曲をしたと言うと、既成の作曲家たちがどうせ大部分を担当したのだろうというひねくれた目で見られる場合もあるようです。

 

DEEZ:それは違います。彼らが基本的なコンセプトやタイトルを持ってくるだけでも、事実上基本的な曲の骨組みが自動的に作られて作業が始まるケースも多い。 本人は何の心配もせずにやってきて考えなしにメロディーを吐き出すことになれば、それは問題になるだろうが。例えば、ジョンヒョンと作業するときは1曲当たりほぼ15時間以上作業をしたが、2人とも適当な性格ではないので、そんな風にたくさんの悩みを通じて結果物を作ったのです。

 

"SMで作業した曲の中でも最も忘れられない"

 

キムヨンデ:EXOのLove Love Love」は彼らの曲の中でもとてもソウルフルな魅力が目立つ興味深い曲だ。 特に個人的には原曲よりもアコースティック・バージョンを愉しんで聴いています。

 

DEEZ:この曲はSMで作業した曲のうちでも最も忘れられない曲だ。 個人的な話があるからです。除隊して1年になった時に母が亡くなった。 この曲は、それから1週間後にあったソングキャンプで作った曲だったのに、睡眠をほとんど取らずに作業した。 特にアコースティック・バージョンの場合は、その当時に母親が亡くなって感じた悲しみと無念さが滲んでいる。 もちろん歌詞は変わったが、その曲を聞いただけでも今でも悲しくなる。私にとって本当に重要で忘れられない曲です。

 

キムヨンデ:音楽的にはどのようなスタイルを念頭に置いて作った曲なんでしょうか?オリジナルはかなりエスニックな雰囲気の編曲だが、再びアコースティックで作った理由は何でしょうか。

 

DEEZ:「Love Love Love」ははじめから二つのバージョンで作るのがコンセプトでした。 EXOがもともと持っていたイメージを守りつつも、アコースティック・バージョンを通じてオーガニックなR&Bの魅力を見せたかった。

 

キムヨンデ:「Cloud 9」は基本的なトラックとメロディーの調和が本当にきれいなR&B曲です。 一見Jimmy Jam and Terry Lewisの音楽が思い出したりした。 そして世界的なプロデューサーであるDem Jointzとも作業された。 この曲にまつわる話やDem Jointzとの記憶についお伺いしたいです。

 

DEEZ:これまでDem Jointzとの共同作業は彼が作業したオリジナルトラックに私が追加的なメロディーやトラックを加えるという間接的な形でなされましたが、「Cloud 9」がその最初の口火を切った曲だ。 今回初めてDem JointzとLAに行って直接一緒に作業をして来ましたが…本当にすごいミュージシャンです。

 

キムヨンデ:どのようにですか?

 

DEEZ:そのまますべての面で怪物だ。 私ももうそろそろ自分のアルバムを準備しようとしたところだったのに、私が普段持っていたブラックミュージックに対する観念についてこれ以上考える必要がないという確信を与えてくれた人だ。 そのまま「ああ、ブラックミュージックとはこのようなものなんだ」という事をしているような感じを受けた。 アイデアとかメロディー、ビート、全ての部分で本当に理想的なプロデューサーの姿でしたよ。

 

キムヨンデ:今年KCONでLDN Noiseにお会いしたが、EXOのような場合はボーカルラインが厚く、和音を積むなどの楽しみが格別なグループだという話を聞いた。 直接作業してみてEXOはどんなグループでしょうか。

 

DEEZ:まずEXOの子達はトップスターであるにもかかわらず、とても謙遜する。 そしていつも本当に熱心です。特にD.O.、チェン、ベクヒョンのメインボーカルラインはまさしく「秀麗である」と言いたい。 実力が本当に立派なのです。プロデューサーとして何のストレスも受けずにレコーディングできるグループだ。

 

"この曲のトラックを100個くらい持っている"

 

キムヨンデ:これまでDEEZ氏が作業した曲の中でもちょっと特別だと感じられる曲がある。 個人的に曲とパフォーマンスのクオリティーにおいて今年最高の曲のひとつとして挙げたいNCT 127の「Cherry Bomb」だ。 参加した作曲家だけでも九人で、編曲はDem Joinz、ユヨンジン氏と一緒にしており、正確にどのような作業だったのか想像が容易ではありません。この曲についての話をちょっと伺いたいです。

 

DEEZ:とりあえず私が持っているこの曲についてのセッションだけでも100個ほどに上る。 聴いても私がどの部分を作ったか推測できないんじゃないかな?(笑)

 

キムヨンデ:そうですね、おそらく中盤部のメロディ部分でしょうか。

 

DEEZ:メインのリフ(サビ)はDem Joinzがもともと持っていたパートでした。Dem Joinzのビートはいつも私にインスピレーションを与えてくれる部分が多い。 私はブリッジメロディーと後半のマークのラップパートのトラックを作りました。マークのラップのパートは私がアイデアを別々に出した部分だが、皆が素晴らしいと言ってくれて気分がよかった。 この曲の作曲陣がこんなにも多い理由は、些細なアイデアが時間を巡って引き続き増えていって修正されたためだと思って頂けば良いです。この曲のトラックを私が100個くらい持っているのもそういう理由だ。 長い時間をかけて完成され、愛着がある曲だ。 とても風変わりな雰囲気のある曲だと思う。

"各自の領域に対する理解と学びをベースに行われる共同作業"

 

キムヨンデ:ソングキャンプが何なのを知らないという人は多くはないが、依然としてそれがどのような方式で行われるか気になっている人が多い。 大抵はどんな風に作業が進められるのでしょうか。典型的な作業の方式を例示してもらえると更にありがたいです。

 

チョンヒョウォン(*DEEZの所属パブリッシャーであるEKKO Music Rights):ひとつに定義することは難しいが、大抵はトラックメーカー(*ビートの基本枠組みを組む人)とトップライナー(*主旋律=メインのメロディーを作る人)の組み合わせを基本にチームの構成が行われる。 レーベルもしくはパブリッシャーのA&Rたちがソングキャンプに招待する作家を選定し、その中で毎日最適の組み合わせを考案してそれぞれのメンバーを構成する。 トラックメーカーがいくつかトラックを準備してきたら、そのトラックをA&Rとトップライナーが一緒に聞きながらプロジェクトに適合したトラックを選定した後、当該トラックをベースに全体的な構成とメロディーを一緒に作っていく。 構成とメロディーが出来たらデモの歌詞を作業した後、デモ録音に入る。 メインボーカルライン、バックグラウンドボーカル、ハーモニー、アドリブなどの録音が終わるとトラックメーカーはデモの完成に向けてポストプロダクションを進行する。 上の過程がソングキャンプにおいて最も多く見られる手順ではあるが、もちろん正解はない。 ある時は作家たちの性向によって最初からトラックから一緒に始め、完成する場合も多いです。

 

キムヨンデ:そうなると、国内の作曲家と海外の作曲家の分業はどのようなやり方で行われるんでしょうか?国内の作曲家と海外の作曲家が一緒に働くことには特別な音楽的理由があるのでしょうか?

 

チョンヒョウォン:分業をするにあたって、作家が韓国人なのか外国人かは考慮の対象ではないです。もちろんそれぞれの特色があるが、トラックとメロディーの両方に海外の新鮮さと韓国の情緒の調和が必要と見ているためだ。 韓国で良い成績を記録する海外の作曲家たち、は韓国音楽市場の特性に対する勉強を怠らず十分な理解を持っています。参加する韓国作家らも同様にグローバルトレンドを勉強するのに勤勉な作家たちであり、このような各自の領域に対する理解と学びをもとに共同作業が行われた際に良い結果が出ているようです。

 

キムヨンデ:共同作業の場合、特定の組み合わせをよく見る場合があります。たとえば、DEEZ氏はObi Klein/Charlie Taftコンビとはいつも呼吸がぴったり合ってスタイルも似合っている。ソングキャンプでこのように特定のミュージシャンたちが組み込まれる特別な理由があるのでしょうか?

 

DEEZ:序盤には通常はA&Rたちがどのような作曲家とどのような作曲家が一緒に作業するとぴったりなのかを考えて組み合わせてくれる場合が多い。 やがてその組み合わせが良い成果を出せば、再び作業したりもする。折を見て希望の作曲家たちを話していると組み合わせてくれる場合もあります。

 

"曲の姿がその日のうちにそろわなければならない"

 

キムヨンデ:アイドル音楽のような場合、通常作曲からボーカルアレンジや録音の過程にまで全て介入をするほうですか?海外の作曲家は一旦トラックを完成するとその後は関与しない場合も多いようですが…。

 

DEEZ:私の場合はそうです。これがとても難しい点なのだが、一般的に皆さんが聴く曲の姿がその日のうちに整えてられなければならないということだ。 だからpre-mixまではなんとか一日で終わらせる場合が多いのです。

 

キムヨンデ:厳しいスケジュールですね(笑)

 

DEEZ:とても大変でタイトです。5年くらい経ったのでもう慣れたが、最初はそのセッション自体が不慣れで難しかった。

 

キムヨンデ:個性が異なる作曲家たちと曲を一緒に書くことは、思ったより難しい作業のようですね。

 

DEEZ:通常の音楽作業とは異なる「概念」の作業だと理解しなければならない。 このコラボというのが海外ではとても多いのですが、これがまた、韓国の文化とは違うのです。しばしば検証が不十分な作家たちが来ることもあるけど、それが提供する微妙なシナジーのようなものがある。 コラボレーションが持つ長所があり、それが彼らにとっては自然な流れなのでしょう。

 

"ひとつのチャプターとして記録される音楽をすることを追求している"

 

キムヨンデ:アイドル音楽に対する批判ーたとえば、音楽的な深みがないとか本人たちの音楽ではないというようなーに対して、現場で活躍されている人として答えを出すとしたらどのようなものでしょうか。

 

DEEZ:私も批判する時がある。それに僕はポップスチャートにも大きな関心がなく、TVもあまり見ない。 申し訳ないが(笑)私も、いくつかの過度に商業的な面だけを追求する特色のない音楽によって耳がとても疲れる時が多い。 やむを得ず一定の部分では、そうした音楽を作りだした方々の責任があるんじゃないかな? もちろん、ジャンルに関係なく、その作曲チームだけの色を持った大変素晴らしいポップスソングはたくさん存在する。 私もここで音楽を創作している人として特別に反論するよりは、ただ、もっと頑張って上手くやろうという言葉を残したい。 自分が聴きやすくて、また長く聴きたいような作品を一つ一つ残していきたい。 そうすれば大衆も、一人二人とそれぞれ愛するアーティストを通じて交感してくれるのではないかと思います。


キムヨンデ:DEEZ氏の曲はKPOPアイドルたちがただトレンディで行きずりの流行としての音楽ではなく、文脈を有する、例えばブラックミュージックの過去と現在を横断的するような重要な役割をしていると思います。本人のお考えをお聞きしたいです。

 

DEEZ:まず、とてもありがたい言葉だ。 作品に対する真正性が少しは伝達したようで気分がいいです。正確に自ら追求して努力していることは、ひとつのチャプターとして記録されるような音楽をする事だと思う。 トレンドというものはあまりにも多くの変数によって素早く簡単に変わる。 そのような意味で、クラシック(古典)という意味と価値がさらに浮き彫りになっているようだ。 現在はプロデューサーや作曲家として作品を通じてそのような役割をしたいし、価値があって信念のあるミュージシャンとして残りたい。 アーティストとしても、また別の足跡を一つずつ残していく計画だ。 今後も一緒に交感できる、しかし、自分に寛大ではない音楽をしたいのです。

 

"いい曲を作業して着実に残していきたい"

 

キムヨンデ:トップクラスの作曲家の寿命は長くないのに、かなり長い時間一般的なグループたちとともに仕事をされています。どんなところがそういうことを可能にしていると思われますか?

 

DEEZ:とりあえず、私がまだトップクラスの作曲家ではないので可能なのでは (笑)私の性向自体がどのようなトレンドにも素早く反応するスタイルではないようです。今まで追求してきたとおり、これからも私がやりたい音楽のみを追求しながら生きていくようだ。 それがDEEZのカラーを維持して、音楽的なベースを守りながら着実に行ってきたというのが理由といえば理由のようですね。幼い時に苦労をそれなりにたくさんし、音楽を苦しみながらも続けてきたので初心の重要性をよく知っていて、その懇切さを失わないために毎瞬間努力する。 それがすべてのようだ。他の考えよりもいつも音楽に対する思いが先行したきたので今まで運良く音楽に集中することができる機会が与えられ、その機会に合わせて音楽をよく展開してきたと思う。 いつも手伝ってくれる周辺の方々と、ソングキャンプなどを通じて一緒に作業してインスピレーションを分けてきた作家たちにもいつも感謝する。 これからも引き続き発展していくでしょう。

 

キムヨンデ:もしやSMステーションにアーティストとして登場する計画はないんでしょうか? (笑)

 

DEEZ:機会があって趣旨に合うようでしたら、"Why Not?"

 

キムヨンデ:今後の音楽家であり作曲家としての計画をお伺いしたい。アイドルを離れて個人のプロジェクトに関する計画があったら教えてほしいのですが。

 

DEEZ:現在は私が作ったプロダクションチームSOULTRiiiの中のチームメンバーたちと共に様々なプロジェクトを作業中だ。 することがとても多い。 これまで行ってきたように、独自の作業物以外にも持続的なソングキャンプを通じて立派な作家やアーティストたちといい曲を作業して着実に残していきたい。ですね。流れによって多様な機会の中でDEEZという染料のカラーを盛り込んだ音楽を続けていくつもりです。プロデュース中のユニバーサルミュージック所属のアーティストSAAYプロジェクトも進行中だ。 彼とともに、来年には後回しにしてきた2集に対する計画をついに実行しようとしています。

 

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近頃では主流になりつつある多人数でのコラボレーション作曲やソングキャンプについては、曲を切り刻んで編曲し直すかのような偏見や誤解もあるようですが、どちらかというとひとつのコンセプトやイメージに向かって多人数でそれぞれの手持ちのパーツや新しく作ったパーツをああでもないこうでもないと協力して一つのものに組み立てていく印象です。

 

以前YG参加のHIGHGRNDがオヒョクやイハイも含めてアメリカのGOOD MUSICとソングキャンプをした時の映像が公開されていますので、参考までにリンクを貼っておきます。

【idology訳】インタビュー:Rain、REDVELVET、テミンの作曲家DEEZ①「ただ良いR&B曲を使えばいい」

【idology訳】インタビュー:Rain、REDVELVET、テミンの作曲家DEEZ①「ただ良いR&B曲を使えばいい」

 

キムヨンデ on 2017/12/16
http://idology.kr/9530

 

キムヨンデ:感慨も新たです。2010年に出た正規1集「Get Real」をレビューした記憶があるんですが、よりによってその年に私が有望株に挙げていた2人のブラックミュージックのミュージシャンであるDeezとJinboが現在、KPOPのホットな作曲家として活動中だ。 最近のようにR&Bが主流になっている時期にデビューしていたらより注目されたのにと、残念な気持ちはないですか?

 

DEEZ:ありがたいですが、身に余るお言葉です。逆にその時代にデビューしたからより知られたというのもあるんじゃないかと。その時はその時の役割を、今は今の役割をしていると思う。

 

キムヨンデ:音楽的才能をどのように発見して育てて行ったのでしょうか。

 

DEEZ:幼い頃両親が、特に母親が好きでかけてくれたLPから流れていた音楽の影響が大きかったようだ。 主にマイケル・ジャクソン、マーヴィンゲイ、クィンシー・ジョーンズ、プリンスなどがあった。 自然に音楽を接していくうちに聴きながらリズムとる癖ができ、伴奏を作る部分に好奇心が生じ始めたようだ。 面白いのは、家柄や周辺には残念なことに音楽の人脈が誰もいなかったので、それによってかなり波乱万丈な成長過程が待っていたことをその時は知らなかったということです。

 

キムヨンデ:音楽は具体的にはいつ頃始めるようになったんでしょうか。

 

DEEZ:家計が苦しくなってからですね。 もともと外交官が夢で勉強を心配もなく頑張っていたけど、家庭の状況が非常に厳しくなると、自然とその次に興味があった音楽や美術のほうに関心が集まって。普段から音楽を聞いて弾いたり絵を描いたりすることを遊びや趣味として楽しんでいたし、特別に習ったことはなかった事がないなりに素質があると思ったようです。

 

キムヨンデ:本格的に作曲家に入門するようになったのはRainの5枚目のアルバム「Rainism」でしたが、きっかけが気になります。

 

DEEZ:最初のEPの「Envy Me」を作業していたところ、偶然機会があってその音源を聞いた当時のRainの所属会社のプロデューサーに会いたいと言われて。そういうふうに何回かのミーティング後、Rainの為の曲を収集しているという話を聞いた。 デモを準備したけぢ、もちろん採用されるという期待は全くしなかった。 幸いRainがデモをよく気にいってくれて、本当に運が良く参加して数曲を一緒にすることになったんです。

 

キムヨンデ:序盤に主にJYP側と仕事をしていた時は主に一人で作業してましたよね。ボーカルから編曲まで本人の色がもっと濃く感じられます。

 

DEEZ:当時、自分の色が一際濃かったのは、軍隊を除隊したての数ヶ月内の仕事で、「Get Real」と物理的時間がそれほど開かずにリリースされる可能性もある計画でもあったんです。兵役中に深く悩んだ部分のひとつです。ひとつのブランドとして「Deez」というカラーを音楽に溶かし、それでそのカラーが外部に少しでも刻印されることについて悩んで情熱を注いでいた時期だった。 それに除隊直後だったので、力と意欲のある時期だったからかも(笑)

 

"作曲家とアーティスト〜プロデューサーが連動されてこそ、Deezのアイデンティティ"

 

キムヨンデ:共同作曲形態にしている現在と比較した時に、音楽的アプローチについて違いがあるんでしょうか?

 

DEEZ:共同作曲と単独作曲は音楽的なアクセスでの差というより、例えば山の頂上のゴールイン地点をめぐって、違う考えを持った多くの人々が力と知恵をどんな風に使って頂上に達するのかにたとえることができそうだ。 その中でリードをするのかついていくのかは、本人の実力や経験そして力量によって変わるのではないかと思う。経験値の大小と作家個人の性向によって、困難度が数倍に達することもあり、逆に創作の喜びが数倍に達するかもしれない。 アクセスの仕方自体は根本的に同様だと思われます。利点があるとするなら、傾向やスタンダードがある程度重なるクリエイターと一緒にすれば分身術のような効果をみることもできるし、時間やストレスを節約することができて、結果的に時間当たりに良質の曲をもっとたくさん作れるかもしれない。 しかし先程触れたようにその反対になることもある。 確実なのは、ひとりで中に閉じ込められて苦悩していた「Get Real」の時と比較して、今はクリエイティビティにおいて全く違うエネルギーを持つようになったという点だ。 後輩や仲間たちも機会があれば様々なミュージシャンたちと創作の喜びと苦痛を分かち合ってみることを推奨しますよ。もちろん、作品によってはひとりでする場合も依然としてたくさんある。 共同でやれば半分に簡単になるわけではないというのは確実だ。

 

キムヨンデ:作曲家として活動してソロアルバムを出した契機、そして再び作曲家、特にアイドルグループと本格的に作業するようになった契機が気になります。

 

DEEZ:最初は専門的な作曲家だと思ったことがあまりなかった。面白いのは、ある意味今もそうした考えがあるようだ。 作曲家としての専門性に関する話というよりは、「作曲家」という職業によって定義されたくないというのが正確な表現のようだ。 根を下ろしたアーティスト根性の性格のためかもしれないと思うけど、このような性向が曲を書く時に作品性について敏感に悩むようになる原動力でもあるんです。作曲家とアーティスト〜プロデューサー、この3つが連動されてこそDeezのアイデンティティだと思う。 もともと軍隊除隊後すぐ2集を準備しようとしていたけど、複数の会社から依頼を受けることになった。 そのときふと、ロールモデルの一人であるクィンシー・ジョーンズが思い浮かんだ。 (私は)プロデューサーとしても作曲家としてもいつも足りていないが、(特に)当時は音楽の勉強に対する渇きが大きかった。 様々な経験が必要だと思い、いろいろな依頼に合う作業をその頃から始めるようになった。 それが本格的作曲家としての始まりだった。 現在も依然として勉強中だが、今は逆にこれまでの熾烈な学びを2集に生かしたいという考えが強いのです。

 

"ただ良いR&B曲を使えばいいという気持ちで作業する"


キムヨンデ:まず一番最近に作った音楽についてから話を始めたいと思います。REDVELVETの「Perfect Velvet」では「Kingdom Come」と「Perfect 10」を作られました。先に「Kingdom Come」は個人的にアルバムを聞いてすごく驚いた曲ですが、遅くて軽いビートの間に夢幻的に持ち上がってくるボーカルがこれまでのアイドル音楽に比べて官能的で成熟した印象を与えている。曲自体の完成度も相当高くて、「Peek A Boo」とともに、ダブルタイトルにしたらどうだろうと思ったくらいです。ファンも大事にしている曲です。

 

DEEZ:実は2曲とも2015年度に作られた曲で、当時すでに使用が確定されていた曲です。いつリリースされるのか気になっていたが、結局このように発売できて嬉しいです。個人的に2015年当時は、作曲時にボーカルプロダクションにおいてR&B的な歌唱部分に没頭していた時期でした。その結果、莫大な作業量は必要だったけれど、結果物がそれだけ濃く出てくれたようだ。 REDVELVETに本当によく似合う2曲だと思う。 長時間の録音だったにもかかわらず、メンバーたちが本当によくついてきてくれた。見方によっては変わった曲なので、多くの方たちが喜んでくださるとは夢にも思わなかった。 ありがたいです。

 

キムヨンデ:「Kingdom Come」もそうですが、「Perfect 10」はアイドル音楽としては特異な正統派ソウルスタイルの音楽なのに、いわゆる「KPOPだ!」というような仕掛けが曲になく、最初から一貫して簡潔なR&Bスタイルだけで展開される。 90年代のアメリカの女性R&Bの名曲を連想させるほどです。

 

DEEZ:「Soul to Seoul」とObi Kleinのソングキャンプで一緒に作った曲だ。 当時ちょっとクラシックでオールドスクール的な音楽をたくさん作業したが、Obiが私に似合いそうなビートを作って来て、そのループを基盤に作業をしたのです。


キムヨンデ:再三言いますが、両曲ともにアイドルソングでは聞くことの難しい曲で、REDVELVETの既存曲を思い出してみても新鮮な衝撃が感じられる。 「Perfect Velvet」単にアイドル音楽ではなく高級なポップスアルバムのような雰囲気を醸していることに対して、核心的な役割をする曲ですね。

 

DEEZ:私の個人的な性向と言えるが、特にこのような曲を「ガールズグループ」や「アイドル用」の曲として書こうと思ったことはない。 ただいいR&B曲を使えばいいという気持ちで作業する。 特に特定の歌い手を狙って使わなくちゃということもなく、アイドルであれ他の歌手であれ、同じ気持ちでスタジオでディレクティングを見ています。

 

キムヨンデ:「Perfect Velvet」でのREDVELVETとの全般的な作業の感想をお聞きしたい。 以前「Light Me Up」も一緒に作業しているがその時とはどう違ったのか、そして、今回のアルバムの特徴と言えるボーカルに対する評価も伺いたい。

 

DEEZ:私は基本的にあの子達の姿勢が大好きだ。 ウェンディやスルギはボーカルの才能も優れ、また今回の作業ではメンバー達全員からかなりの熱意を感じられた。 「Light Me Up」は私が(リズム)のトラックのみを担当した曲で、今回はメロディとボーカルプロダクションを務めた。 多分私が作業した中では初めてアイドル歌手たちがバックグラウンドボーカルまで直接歌って完成したケースだと思う。私の曲はやってみれば分かると思うが、バックグラウンドボーカルが曲の必須的な役割をしており、ボーカルプロダクション自体が編曲の役割を果たす場合が多い。 そういう部分は専門的なシンガーに任せる場合が多いが、今回はその部分を彼女たちに直接預けて録音し一緒に要素を変えていくという、まるで原曲をリメイクするようなやり方で作業したというのもあるでしょう。

 

"一度も私の曲が容易だという言葉を聞いたことがない"


キムヨンデ:Deez氏が作業したこのふたつの曲の場合、おっしゃる通りボーカルプロダクションの面で平凡でない要素が多く、また深いR&Bの雰囲気が強い部分を好む人も多い。 しかし、同時にこのアルバムを人々が一旦は難しいと考える曲でもないかと思う。難しいという大衆の反応についてはどう考えるか。

 

DEEZ:私は今まで一度も自分の曲が容易という言葉を聞いたことがない(笑)私の性向自体が大衆的な曲を作るというスタイルでもないが、自分が満足できる曲、自分が聞きたいとか、その曲ひとつだけで何かが残る曲を作りたいという欲があるから、そうなるのではないかと思います。

 

キムヨンデ:両曲ともに曲そのものが結構難しいが、レコーディングの過程でREDVELVETメンバーたちの困難や不平はなかったんでしょうか? (笑)

 

DEEZ:不平不満を言うタイプの子がいない。 メインボーカルのスルギとウェンディは予定の時間よりはるかに早く来て練習をするほど曲に熱意を見せてくれたし、他のメンバーもリードボーカルはもちろんバックグラウンドボーカルまで消化できるぐらいにディレクションをよく理解してついて来てくれた。 もちろん、曲が難しいですという愛嬌は出ましたよ。 曲をわざわざ難しくしようと意図しているわけではないのですが、絵を描くように書いてみると完成された後に感じる。 「うん…むずかしいな」(笑)レコーディングをしながら「ああ、この曲は本当にREDVELVETの曲だな」と感じて、最終結果を聞いて嬉しかった覚えがある。

 

"一度『ハーモニーの最果てに行ってみよう』"

 

キムヨンデ:以前作業した他の曲に関する話に移りましょう。 まずテミンの「Ace」。やはりObi KleinやCharli Taftなどと作業した曲で、DEEZらしいR&Bスタイルが存分に感じられる曲だ。 SHINeeのメンバーではないソロアーティストとしてのテミンの潜在能力を新たに見せつけなければならない作業だったので大変だったのではないかと思います。

 

DEEZ:「Ace」は私がこれまでSMで作業したうちで最も大切な曲のひとつだ。 そのままその曲が持っている秀麗な感じ、ソウルフルな感じがとてもいい。

 

キムヨンデ:他の曲もそうですが、とくにこの曲はハーモニー的にも面白い部分が多いです。

 

DEEZ:この曲は1日で全部終わらせずに別にトラックを持って行って、家でバックグラウンド作業を更にやった曲だ。 最近はそうではないが、当時は複雑なハーモニーやコードに完全にはまっていた時期だったので、一度『ハーモニーの最果てまで行ってみよう』と(笑) 決心して作った曲でもある。 個人的に本当に無駄のない曲だったと思えて、作業を終えてからも自ら好んでずっと聴いていました。

 

キムヨンデ:ボーカルも曲によく似合っている感じです。

 

DEEZ:テミンが曲を本当によく消化してくれた。 その曲の場合、特に彼が愛情を持ってくれて、本録音する前にも別途に歌ティーチングを受けようと訪ねてきて一緒に練習したりもしました。

 

キムヨンデ:ソロ歌手に変身したテミンにとっては、多方面で負担を感じた曲であるかもしれない。

 

DEEZ:親しくなる前に初めて作業した曲だが、当然難しかったはずだ。 事実、自分の曲を簡単にこなした人はいないので (笑)

 

キムヨンデ:今回の「Move」アルバムでは「Crazy 4 U」と「Thirsty」の2曲を作業されました。特に「Thirsty」を聞くとボーカリストとしてのテミンの成長幅がありありと感じられる。 些細な疑問だが、この曲特有の「꺾는(訳注:パンソリや全羅道民謡特有の発声法)」のような歌い方は、最初にデモ段階からそうだったんでしょうか?

 

DEEZ:元からもあったが、レコーディングして「テミン化」したのではないだろうか。「Thirsty」はよりによってこのアルバムで初めて録音をした曲であり、緊張感があった。 何よりも、その前のアルバムに比べてボーカル色をアップグレードさせる方向に焦点を合わせて作業したようだ。

 

キムヨンデ:今回のアルバムは個人的に今年のアルバム候補のひとつだと思っていて、特にテミンが1人のアーティストとして成長しているというのがはっきりと感じられた作品だ。 彼はどんなアーティストでしょうか?

 

DEEZ:テミンは本当に欲張りな友人だ。 正直アイドル全員がテミンのようではない。 彼は本人自らがアーティストとしてどのように行かなければならないか、何をしたいのか、またどのようにすべきかに対する概念が強い人だ。

 

"彼と対話する際には「1+1=2」というようなわかりやすい話はしない"

 

キムヨンデ:このアルバムは前作のように作曲のプロセスには直接関与しなかったが、その代わりに曲を直接選んでアルバムのコンセプトを決めるなどの主導的な役割を果たしたそうですね。

 

DEEZ:そうです。音楽も音楽だが、パフォーマンスにおいて舞台を作ることに対する観点やスタイル、カラーについてたくさん悩んでいる。それで、彼と対話する際には「1+1=2」のようなわかりやすい話はしない。 例えば、ディレクティングを見る時も「この部分はアイスクリームが溶けていくような感じで」といったような、他の人々には理解できない言葉でコミュニケーションする。 アルバムのディレクティングを見ている間、退屈ではなくて本当に興味深く作業した。 また、ひとつ印象的なのはあの子がいつも成長を重ねているということだ。 録音するたびに毎回ひとつずつ成長する姿を見せてくれるのです。

 

キムヨンデ:音楽だけ聴いていても努力するアーティストという点が感じられます。

 

DEEZ:さらに、レコーディングの合間の休み時間も新しいアイデアを出している。 この部分はこうしたらいいか、次のパートはどうしたらいいかというようなアイデアを出し続けてたくさんの試みをする。 作曲家の立場からこの程度ならいいレベルだとOKを出しても、本人は満足しない姿も印象深かった。

 

キムヨンデ:「Crazy 4 U」は対照的な2つのセクションの調和が独特な雰囲気を醸し出している曲だ。

 

DEEZ:ソングキャンプでテミンのアルバムに入る曲を依頼され、初めから彼に向けて完全に新しく作った曲だ。 元々は今のように2つのセクションではなくフューチャースタイルの後半部分だけで始めたが、A&Rと共同作家たちと悩んだ末に、ピアノが入った導入部を新しく作ることになった。 みんなテミンのスタイルをよく理解していたので、よく似合う構造で完成されたようだ。

 

続くDEEZのインタビュー②はSHIN ee、ジョンヒョン、EXO、NCTに続いてアイドルの全般に関する話へと伸びていく。

【ize訳】ユンジョンシン、限りなく軽く

【ize訳】ユンジョンシン、限りなく軽く

 

2017.12.13
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017121220267248333


男の立場からの別れの歌「いいの(Likey It)」がヒットすると、女性ボーカリストを通じて再び「いいわ(Yes)」を出すミュージシャン。切ないバラードで今年最も成功した曲の一つを発表したが、ユンジョンシンの行動は変わらない。 誠実に、そして軽く。 毎月1曲ずつ歌を発表するプロジェクト「月刊ユンジョンシン」も「実際1ヶ月あれば十分に曲を作業できると思うが、クリエイターが怠けたり先延ばしにしたりする。 僕のような人は1ヶ月で1曲の歌が出かねない」(JTBC「ニュースルーム」)という発言から始まった。 自らも「作曲の厳粛主義と悲壮さを重視する人にはたぶんできないだろう」と言ったプロジェクトだったが、毎月1曲ずつ溜まっていって7年目が来たので、「月刊ユンジョンシン」は彼の意図とは別に大きな結果となった。

 

MBC「ラジオスター」をはじめ、様々なバラエティ番組に出演中の芸能人。時折自分の歌を自ら笑いのネタにするほど軽く、やさしい行動をする人のようにも見える。 しかし、「月刊ユンジョンシンは「デビュー20年目を迎えた年に2年以上も準備して作ったアルバムが、数週間だけで成功か失敗か判断される市場」で生き残るための方法であり、「そんな風に音楽をしていては、もっと年を取ってから音楽ができなくなるのではないか」と考えたミュージシャンができる事は、地道に音楽を発表することだけだった。 「録音室も月々お得に契約」(「GQ」)して、最小限の費用でどうにかしてずっと曲を作っていった。 20年以上活動しながらも変わらずメロディーを操れる能力を維持しようとし、出演中のバラエティとSNSで着実に広報をした。 MYSTICエンターテインメントのプロデューサーとしても活動しながら仕事は一層忙しくなったが、それでも引き続きメロディを書いて録音をした。 創作と終わりなき日常の共存ともいうべきかもしれないが、絶えず結果を出し、自分のプラットフォームを通じて広報する彼の姿は、今時のユーチューバーたちと似ている。 彼は「作品が羽毛のように軽いファイル」になるモバイル時代を否定しなかった。 その代わりこの時代で、自分にできる方式で、変わらずに創作できる方法を見つけ出した。 彼の軽い行動は、誠実という言葉だけでは足りないミュージシャンとしてのアイデンティティに対する切実さにさえ見えた結果である。

 

ユンジョンシンがバラエティで盛んに活動を始めたばかりの頃は、彼のイメージがあまりにも軽くなっていないだろうかという視線もあった。 彼が悲しいバラードを歌ったとしても、もはや感情移入できなくなるのではないかという心配もあった。 しかし、彼は徐々に曲を出してその曲に人々が触れ、いつのまにかバラエティをしながら曲を書いて歌うユンジョンシンの姿は、彼だけのアイデンティティとして受け止められた。 「いいの」が逆走を始めたきっかけの一つも、ユンジョンシンがライブで「いいの」を熱唱する姿がSNSを通じて広がってからだった。バラエティ番組で笑わせて、1曲を書きながら1ヶ月を過ごしている。 誠実ではあるが、凄くは見えないかもしれない1ヶ月。しかし、それが集まったことで最もユニークな人生のひとつとなった。 そしてユンジョンシンはまた曲を書くのだろう。

 

文 イジヘ
校正 キムヨンジン

【BBCコリア訳】f(x)アンバー インタビュー:ルックスに対する悪質な書き込みへの対処法

BBCコリア訳】f(x)アンバー インタビュー:ルックスに対する悪質な書き込みへの対処法

 

イ・ミンジ/チェ・ジョンミン
BBCコリア
2017年12月8日
https://www.bbc.com/korean/amp/news-42148031?__twitter_impression=true


f(x)のメンバーであるアンバーは、韓国内の歌謡界では珍しい存在だ。 「清純」または「セクシー」に二分される国内ガールズグループの地形において特有のボーイッシュなイメージで存在感を示してきた。

 

しかし、このような「相違」は不必要かつ不愉快な関心を伴う場合が多い。 典型的な女性アイドルとは少し違ったイメージのために、アンバーもここ数年間持続的にルックスに関連した悪質な書き込みを受けてきた。

 

アンバーは彼女だけのやり方で悪質コメントに対面した。 BBCコリアがその話を聞いてみた。

 

短いカットの髪型、入れ墨とパンツ。f(x)がデビューした2009年からアンバーが固守してきたスタイルだ。 競争が激しい芸能界で、他人とは異なった姿を見せてくれるのは負担ではなかったのだろうか。

 

「全く率直に言えば(大衆の期待に答えなければならないという)負担感がなかったわけではないです。今も感じます。 しかし、「悪ガキ」みたいな姿がコンセプトというわけではなく、私の姿そのままを見せているので大きな困難はありませんでした」

 

ありふれていないコンセプトであるため、別の姿を見せてみたくてもむしろ見せることができないんじゃないかと尋ねた。 アンバー本人も髪の毛を伸ばし、女性らしいコンセプトを試みたことがあると述べている。

 

SNLコリアに出演したことがあります。 この時、長い髪のかつらをかぶって声もわざと女性らしさを出してみました。これはコントだったけど、実際この時が初めてではないです。 何回かやってみました。 ところが、人々はただそれを受け入れることを望んでいないみたいでした。(女性らしく)しなさいと言うのでやってみたら、また以前の姿がいいと言われました」

 

「このように努力をしていて自分自身が不快だったのはもちろん、後々になって自分がとても嫌になったりしました」

しかし、アンバーはこのような経験を通じて、むしろ自分の姿をありのままに受け入れることが最も良いのだということを悟ったという。

 

「人々の期待に応えて特定の姿を見せなければならないというのは合わないみたいです。 疲れてしまう。他の人の認定を受けるために生きるというのは私にとっては意味がないんです。 自分がする仕事を誠実に上手くやって、自分自身の姿に率直かつ周囲にポジティブな雰囲気をつくることができたら、そのすべてのことで十分だと思います」

 

人気BJキムイブの被害事例で見られるように、女性芸能人は男性芸能人よりもセクハラや容姿関連についての悪質なコメントに苦しむケースが多い。

 

アンバーも例外ではなかった。 「入れ墨を入れてる女はどこかへ行け」「胸はどこへ行った」「AmberじゃなくてManber(英語で男性を意味するManとアンバーの名前を混合した単語)だろ」など数年間、ルックス関連の悪質なコメントに悩まされた。

 

しかし、アンバーはただ無視したり法的対応を選択するよりは、悪質な書き込み者たちに成熟した創意的な方法で向き合いたかった。 このようなメッセージを込めて作った映像が「Where's My Chest?(私の胸はどこに行ったの?)」だ。

 

「注:この映像では深刻な皮肉(sarcasm)が登場します。 そして瞼は虫に刺されて腫れてるので無視してください」という字幕で開始する映像でアンバーは「男友達」ブライスと胸を探しに行く。2人は隣人に胸について尋ねたりしながら、アンバーの映像についた悪質な書き込みに言及し、これに反論する。

 

「実は私が過去8〜9年間に浴びた悪質コメントはあまりにもワンパターンだと思います。 あまりにもワンパターンなので、『逆に他のテーマの悪質な書き込みもちょっとは書いてみてくれないかな?』と思ったりする事もあります。 とにかく、コンピュータースクリーンの後ろに隠れて何やかや吐き出すことは確かに誤っている事なので、それが間違っているということを悟らせたかったんです」

 

アンバーは、この映像を通じて女性アイドルまたは芸能人に対する誤った先入観も破りたかったという。

 

「人々は『女性の胸のサイズはどの程度あるべきだ』『ヘアスタイルは長い髪が良い』こんなふうに話したりします。そんな偏見を壊したくて映像を企画した時、沢山悩みました」

 

6ヵ月にわたって製作したこの画像は(8日基準)のクリック件数170万を越えた。 1万件を超える書き込みも走った。 悪質な書き込みも依然としてあるが、面白いとか、ありがとうとか、共感するという反応がはるかに多い。

 

映像を作って変わった点は何だろうか。

 

「実際、悪質な書き込みを見るのは依然として辛いです。普段からあまり見ない方です。 映像を作る過程で悪質な書き込みを一つ一つ読むのはまるで自らの墓穴を掘るようでした。 知らない人たちが私の事を不細工とか異常だと言っている書き込みが数千個も書かれているんだから大変です。だから後で友達に代わりに読んでほしいと言いました」

 

しかし、アンバーは「連帯」の経験が大事な資産として残っていると言う。

 

「映像に書き込まれたコメント中に『自分も胸が小さいです』『アンバー、あなたが私の胸を探してくれました』などがありました。 このようなコメントを見ながら本当に胸が一杯でした。 私が企画して言おうとしていたところがよく伝わったようです。 私が提起した問題は多くの人が経験する問題であり、その問題を経験する人たちが一人ではないということ、このような雰囲気を造成することができたというのがとても良いと思います」

 

彼女はオンラインだけでなく、実生活での「共同体」の必要性も強調した。

 

「両親が私をいつも愛してくれたというのが結局、いちばん大きな力になりそうです。 アイデアを出してくれるお姉さんもそうですし。 お互いをよく知って支持してくれる友達たちのグループとファンも力になっています。依然として大変な点はありますけど、彼らを通して力を得て問題解決に向けて努力するようになれました」

 

実際2016年3月に発表したアンバーのシングル「Borders」には、移民でありモデル出身だった母親の話が出てくる。

 

「Cause mom said I'd be crossing borders (母は言った限界を超えるとき)

Never be afraid even when you're cornered (窮地に立たされても絶対に怖がらないでと)

Stand up straight、fight your way (だからまっすぐに立って君の道に向かって戦って)」

 

今回の映像を作った経験がアンバーの夢にどんな影響を与えたかも知りたくなった。

 

「国は関係なく、人間は基本的に互いに残酷です。 外見やその他持っていない他のことを基準に、人間を絶えず判断してそれを要求します。 これはあまりにも間違っているんじゃないでしょうか。お互いの違いを認めてお互いを助け、激励して、批判するにしても建設的にしなければならないと思います」

 

「そして自ら自分を閉じ込めている限界(border)から脱しようと努力しなくちゃいけません。『自分はどこの出身だからだめだ』『自分は女だからだめだ』『自分は男だからだめだ』『自分はある皮膚の色をしているからだめだ』など、見えないこのような限界にとらわれず、突破しようと努力しなくちゃいけません」

 

「もちろん、これが決して簡単なことではないです。 確かなことは自らをよく知って、恐れず、勇気を持って自分が正しいと思うことを実践すること、それは私と皆さんが悩んで行動に移さなければならないのだということです。 今後自分がするすべての事を通じて、このようなメッセージを伝達していきたいです」

 

Through the borders (限界/境界を超えて)

Fight your way, fight your way (君の道に向かって戦って 君の道に向かって戦って)

Stand up、fall down、up again (立ち上がって倒れて また立ち上がって)

Up against the pressure I am in (自分へのこの抑圧に対抗して立ち上がって)

Slowly but surely I begin (ゆっくりでも確実に)

Jumping trains'cause I know I can win (私は大胆な挑戦を始める 自分が勝てるということを知っているから)

 

ー「Borders」歌詞より。