サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【PPSS訳】KPOPと韓国語の歌詞

【PPSS訳】KPOPと韓国語の歌詞

 

byイギュタク
2018.03.09
http://ppss.kr/archives/150628/amp?__twitter_impression=true

 


KPOPを他のグローバルポップミュージックと差別化する最も重要な要素の一つがまさに「韓国語の歌詞」と考えている。とくに、海外のリスナーたちにとってこの「韓国語の歌詞」が持つ象徴性はとても大きい。 韓国語の歌詞が英語の歌詞に比べて何か非常に詩的であったり、立派な意味を持っているからというわけではない。 むしろ海外のリスナーの大半は歌詞が何を意味するか全く理解できないだろう。

 

加えて、一般的なKPOPにおいては歌詞が持つ重要性はそれほど大きくない。 ヒップホップやアコースティック・フォーク音楽のように歌詞が盛り込んだ内容や韻律(rhyme)が曲の質を左右しないということだ。 さらに、一般的なKPOPの歌詞には英単語(あるいは簡単な文章)がかなり高い割合で含まれている場合も多い。 それでも韓国語になった歌詞が意味のある理由は、それがKPOPを「KPOPらしく」作ってくれる重要な要素であるからだ。

 

海外のリスナーたちがKPOPを聞く理由、特に東アジアの外のリスナーたちがKPOPを聞く理由は概ね一般的なグローバル英米ポピュラーミュージックとは他の何かを求めるからだ。 東アジア以外の地域、特に北米のKPOPファンが作ったリアクションビデオを見たり、該当地域のメディアがKPOPについて説明している記事を見れば、そのような点がよく現れている。 KPOPの中に彼らはありふれたポップミュージック(あるいはEDMやヒップホップ音楽)とは異なる「代案(alternative)的要素」を発見する。

 

実際、音楽的に見れば、その「代案」というものは大したことはない。 KPOPがいわゆる「韓国の伝統的な」ある要素を強く抱いたこともなく、それ故にサンバやレゲエのように音楽そのもので何か「違う」ものを見せてくれる訳ではない(もちろん、それがステージパフォーマンスやファッションと結合されれば別だが)。ところが韓国語の歌詞がついたという理由だけで、この音楽は「異国情緒(exoticism)」を正しく漂わせる。

 

海外の一般的なリスナーたちには一見滑稽で粗野に聞こえるだろうが、「代案」的な音楽を求める少数者にとってはKPOPをありふれたポップミュージックとは異なる雰囲気に作ってくれる重要な瞬間だ。 事実KPOPは依然として「メインストリームポップス」というよりは欧米の大衆音楽の支配力がやや弱体化して好みが多様化する現在、世界有数の音楽市場で「隙間市場」をよく走っているケースだ(あえて「メインストリームポップス」にならなければならないのかについては、個人的には疑わしく思う)。

このため、海外のリスナーたちにアピールするためにはグローバルポップミュージックとは異なる「異国情緒」を必ず表現しなければならないのだ。 これは音楽的な様式ですでにグローバルな普遍性をある程度確保したために可能なことでもある。 音楽は簡単に親しみを持たせる事ができるEDM(そして若干のヒップホップ的味付け)であっても、それでも「韓国語の歌詞」で異国的な味を発揮することだ。

 

もちろん、上記で述べたように華麗な群舞とステージパフォーマンス、ユニークな味わいと雰囲気のミュージックビデオなどもKPOPの「異国的情緒」を作ってくれる重要な要素だ。 しかし、これと同様に重要なのがまさに「韓国語で書かれた歌詞」ということだ。 そしてこのようなパフォーマンス、MV、ダンス、歌詞こそ海外のリスナーたちがKPOPを通じて感じる「韓国的(あるいは異国的)な何か」なのだ。

 

一般的に「韓国的なもの」と言えばやたらと伝統文化的要素を思い浮かべるが、そのような伝統的な要素だけを韓国的な美であると思う時、「カンナムスタイルはフィモリ拍子をもとにした曲」というような強引な解釈が登場することになる。 韓国的なもの=伝統文化=国楽(あるいは民謡)ではない。

 

したがって、KPOPのグローバル化(特に米国・グローバル市場進出)のために英語の歌詞つけることを何度も試みることはあまり効果的ではないことだ。 スウェディッシュ・ポップは英語歌詞をつけて世界で成功したが、グローバルな音楽ファンたちがスウェディッシュ・ポップに期待することとKPOPに期待することとは異なる。 海外KPOPファンが「どうか英語作詞はしないでずっと韓国語で歌ってほしい」と要求するのにはすべて理由があるのだ。

 

同時に、これがただ肯定的な事なのかはちょっと考えてみる必要はある。 結局KPOPの人気、特に東アジア以外の地域での人気も、かつてのレゲエやワールドミュージックのようなジャンルがそうだったように「異国情緒=エキゾチズム」に頼った側面が強い。 彼らとは違い音楽的な個性が明らかとは言えないKPOPが、どのように世界有数の音楽産業に溶け込んで、果たして長い生命力を維持できるのかどうかが気になる。

 

 

原文:デリー・キットの音楽世界(https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=funky829&logNo=221146605278&proxyReferer=)

 

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フィモリ拍子=パンソリや散調などの韓国伝統音楽に見られる特有のリズムの一種で、特に早い拍子の事。

 

「東アジアのKPOPファン」、特にわざわざ曲を現地の言語化してリリースしがちな日本のKPOP好きとしては色々思うところはありますが、KPOP好きが韓国語の響きそのものにエキゾチズムを感じて好んで聴く部分があるという事であれば、逆にその国の言葉で歌って人気があるという事はエキゾチズムを超えて真にその国の音楽市場に溶け込んでるという事なのかもしれないとも思いました。「言語の異国情緒」というKPOP的に見て大きなポイントがなくても売れたという事なので...だからアイドルが強いのかな?
ぶっちゃけアイドルのように本人の事を好きになってしまえば、何語で歌っても関係なくなってくるというのもあるのでは。

 

この文章を読んで自分が「韓国語歌詞至上主義」的なものが少し気になっていた理由がわかった気がしました。無条件にとにかく韓国語のバージョンの方がいいというのは、無意識にKPOPのエキゾチズム的な面だけを肯定している行為のような気がしていたようです。(もちろんそれだけの理由で韓国語詞がいいと思うわけではないと思いますが。単純に完成度の問題がある場合もあるし)

昔は元々韓国語に合うように作っている曲に日本語の響きを無理やり合わせるのは無理があるのではと思っていたのですが、近年は欧米圏の作曲家が元々英語詞で作った曲に後から韓国語詞をつけるスタイルの楽曲がかなり多くなったので、そういう曲の場合は理屈としては韓国語の曲に日本語詞をつけるのと同じ事をやっているわけですね。作業的には言語の分類を考えると英語→韓国語より韓国語→日本語の方が大変そうですが。
最近は日本語詞で先にリリースした楽曲を後から韓国語詞のアルバムに収録するケースも徐々に増えているようなのが面白いです。

【ize訳】J−HOPEの素朴なミックステープ

【ize訳】J−HOPEの素朴なミックステープ

 

2018.03.05
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018030514547288579

 

防弾少年団のメンバー・J−HOPEが去る2日に発表したミックステープ「Hope world」は無料でダウンロードできる。 韓国の音源チャートには登録もできないし、TV出演もない。 しかし、アメリカ週刊誌「TIME」はJ−HOPEと「Hope world」に関するインタビューを載せた。「Hope world」発表直後にJ−HOPEが自分のスタジオで進行したネイバーVアプリライブは中継のリアルタイムだけで100万人以上が視聴した。「Hope world」に収録された「Daydream」のミュージックビデオは、彼をはじめとする防弾少年団のメンバーの現在だ。 この映像の中でJ−HOPEはベッドに横になっている。 しかし、寝室の壁が消えると彼は広大な自然の前に置かれる。 そんな風に彼は自分の些細な生活を広い世界に示している。

 

しかし、このプロモーションビデオで彼が世界に露出される瞬間は解放感を与える。 狭苦しい印象を与えた空間が、壁が消えると横に広く開けたものに変わる。 これはJ−HOPEがアルバムの最初の曲でもある「Hope world」で見せてくれる人生へのアティテュードでもある。 「僕はと言うと毎日のようにD-day/与えられた環境に感謝する一生/人生に対する期待が作った人生/僕は自分を信じて仕事をする20代」「目覚めるたびに雑誌の1面」(「いつも」)で自分の顔を見る人生だ。 だから「夢中で遊びたい」気持ちが浮かんでも「大きな欲求は自制」(「Daydream」)しなければならない。 しかし、J−HOPEは「楽観主義者らしくただ楽しく」(「Hope world」)生きていこうとする。 ミックステープの中でJ−HOPEはグループの大きな成功の中でも、自分の姿を維持しようとするしっかりとした自我を伝達する。

 

J−HOPE防弾少年団の「DNA」のステージの最後に真ん中に立って曲の最も陽気な部分をリードした。 ある放送関係者は、防弾少年団のステージを録画する時は彼が絶えずメンバーたちのエネルギーを引き立てているとも述べた。 グループのリーダーRMは、自分のほかに誰がリーダーにふさわしいかという質問にJ−HOPEを挙げた。 「Hope world」は防弾少年団の活動でそんな風にして彫刻のように少しずつ明らかになってきたJ−HOPEの姿を完成させる。 エネルギーに溢れて肯定的であり、それを他の人に伝えている。

 

Hope world」が自分から世界に向かって進む過程を描いたことは、それ自体が彼の事を説明している。J−HOPEは「Hope world」で自分を定義して、「P.O.P(Piece of Peace)」で「誰でもミスをするし苦痛も受ける」と言い、自分が「誰かの力」になれることを希望しており、「Daydream」では自分を取り巻く環境や困難に対して「人生の喉の渇きによる欲望という網」と表現し、「一度別の僕の人生の絵」を描くという意志を見せている。 防弾少年団の成功に対するswagや初心に対する約束は「Street Dance 10年」から自分の根源を見出していく「Base line」以降に登場する。 個人に対する答えを出して、次第に外の世界についての立場を表明する。 その間「初めての日本行きのときめき」(「Airplane」)と「すべて敵で味方は誰もいない」時代を経て、「僕のBroと並んで」(「いつも」)歩んだ記憶をかみしめる。 「Hope world」はJ−HOPEがどのように今に至ったのかについての話であると同時に、防弾少年団のメンバーがどのように大人になっていくのかに対する記録でもある。

 

その点で防弾少年団のミックステープはメンバーそれぞれの話であると同時に、防弾少年団という本編のキャラクターとストーリーをもっと深く作る外伝たちでもある。 また、他のメンバーSUGAはミックステープ「August D」でデビューから現在に至る自分の人生を文字通り打ち明けた。「チリサルサパル(724148)」はデビュー前までの自分の人生に関するドキュメンタリーに他ならなかった。 一方、J−HOPEはスーパースターになった今、防弾少年団のメンバーが何を重要視してどんな夢を描いているかを見せている。 また、彼が絶えず努力しメンバーたちと一緒に成長する過程は、学校の後部座席の反抗児たちとしてスタートした同グループがどのように「DOPE」のように絶え間ないトレーニングを通じて成功を熱望する曲を歌うようになったのかについての手がかりだ。 防弾少年団はミックステープを通じて自らの話を描く過程で彼らの現在を反映し、過去を補充してグループとメンバー達の成長と変化を盛り込むことになる。 「Hope world」や「P.O.P(Piece of Peace)」が見せてくれる音楽的な方向性も同じだ。 両曲はヒップホップをベースとしているが、後半部にブリッジを入れながら雰囲気を表現するなど、アイドルのダンスソングでも聞くことができる構成である。 「Daydream」はヒップホップよりダンス曲としての楽しさがもっと際立っている。これを通じてJ−HOPEはアルバム前半で愉快かつエネルギーにあふれ、ラッパーでありダンサーである彼のアイデンティティを表現する。 また、「DNA」以降ジャンルを通じて自分達を説明する必要がなくなったグループの現在でもある。 ミックステープという形式、流通方式、個人的なメッセージという点で「Hope world」をはじめとする防弾少年たちのミックステープは些細で個人的な作業のように見える。 しかし、「Hope world」は防弾少年団のメンバーとBigHitエンターテインメント全員がこのグループのミックステープがグループの成長に比例するような重要な意味を持つということを知っていることを示している。 彼らの動きは少ないが、その意味はグループの歴史同様、累積されて波及効果は幾何学級数的に高まっている。

 

Hope world」に防弾少年団の正式アルバムのスタッフたちがそのまま参加した事には注目すべきである。 マスタリングですら、防弾少年団のアルバムをはじめアデルやテイラー・スイフトのアルバムも作業したランディ・ヘッドがそのまま参加した。 その結果、「Hope world」は一般的なミックステープの範疇をはるかに越えたレコーディングを聞かせてくれる。 「Hope world」の前半部分でJ−HOPEのボーカルがまるでナレーションのように鮮明に録音されているとしたなら、「Daydream」は似たようなトーンだが微妙に光を与え、タイトルのように若干朧げなイメージを与える。反面、現実でアラームが鳴っている音はまるで隣でアラームが鳴るようにリアルだ。 サウンドごとに少しずつ距離を異なったものにし音響効果を添えて立体感を与えるとともに、キーボードの演奏が静かに曲を率いていく空間まで残した「Daydream」はこのミックステープの目指すポイントを示している。 「Hopeworld」はJ−HOPEの個人的な話を盛り込んだミックステープだ。 ただし、曲ごとに手工芸品のように細く削って手入れされている。

 

つまり、防弾少年団の所属会社BigHitエターテイメントは相変わらずミックステープが無料ダウンロードの対象でなければならないということを知っている。 この曲で放送活動をする必要もないというのもわかっている。しかし、コンテンツにはミックステープとは思えないほどの投資をしなければならないという事も理解しているのだ。彼らはこのささやかな動きがグループの全体的像の中でどのような役割をしているか分かっているし、何が必要なのかも知っているようだ。 防弾少年団の成功の原因を1つや2つの事で説明することはできない。 この記録的な成功にはかなり多くの偶然と幸運もあるだろう。 ただ明らかなことは、彼らが偶然と幸運が起きやすい方向に動いているという点だ。 「Hope World」は、その証拠として残るだろう。

 

文 カンミョンソク

 

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個人的には防弾のミックステープの中でJ−HOPEのものが一番好きです。雑念が浮かばなくて楽しく聴けました。自分が共感できる部分が多いからというのもあるかもしれない。J−HOPEはラップもできるダンサーというイメージを持っていたのですが、そのイメージにピッタリの踊りたくなるようなミックステープのようにも感じました。

 

防弾のミックステープは3人3様の内容でキャラクターが良く出てるところが面白いですね。以前自分はKPOPを1冊の雑誌のように思っていて、自分的には今の防弾少年団はキャラ萌えが強いという事を言った事があるんですが、まさに連載本編に対してのキャラ別外伝だ!と納得しました笑

【ハフィントンポスト訳】 高等ラッパー:暴力で綴られた学びに耐える必要はない

【ハフィントンポスト訳】
高等ラッパー:暴力で綴られた学びに耐える必要はない

 

2017.03.05 by チョソダム
http://www.huffingtonpost.kr/amp/entry/rap_kr_5a9c9c4fe4b089ec353ba25a/


「こんにちは、自己紹介しよう。名前はキムハオン。職業はトラベラー。 (…)学びながら生きてる。たとえ学校を飛び出しても」

 

なんの気もなしに見たら、すっかりはまってしまった。 Mnet「高等ラッパー2」の話だ。 高校生たちのヒップホップサバイバル。参加者は制服を着て学校名が刻まれたバッジをつけている。 金曜日にポップコーンを食べながら見ている。 ところで、制服を着ていない何人かが目立つ。 高校生ではない高等ラッパー。学校を飛び出した子達だ。

 

ラッパー・キムハオンは自らに旅に出よと言う。 趣味は瞑想と太極拳。学校を飛び出してもずっと学んでいる。 ラッパー・イビョンジェはこのように問う。 「ママの息子は自主退学生なのに、隣の部屋のソウル大のヌナは俺を見たらどんな気持ちだろう」食事の時に一度に6000ウォン以上使うことが彼は怖いのに、お金の心配もなく3食食べたいものを食べる人を見る時。自主退学せずに耐えた友達が全校で何位になったという話を母親が聞いた時。彼は、心の中で尋ねる。君たちはどんな気持ちなのかと。つぶやくような彼のラップを聞きながらトイレットペーパーを取りに行った。涙も鼻水も出てきたから。

 

私が学校をやめたのは、高校2年生の時だった。 退学生のカフェ(ウェブのコミュニティ)の掲示板で優に2ヵ月はくすぶっていた。 理論的には納得していたが、決心が難しかった。 だから夏休み前の終業式を機に「夏休みを取る」つもりで自主退学した。 学校は学問ではなく、学習だけが存在する空間だった。 統制に、暴力に耐えてこそ教訓を得られた。 退学を決心する過程で多くの助言を求めた。 大人達は皆、「途中退場」は危険だと言った。途中で学校を出たり、途中で会社を出たり、途中でいかなる組織を出ても同様に落伍者の烙印を押されかねないと。 ほとんどの日を、社会の落伍者にならないためだけに登校した。

 

中退学生の退学以降の人生はまちまちであるが、多く語られたことはない。 10代の犯罪記事から社会混乱の原因のように話すのが大半だ。 皆どこにいるのだろうか。 どこで何をしながら、「どういう気持ちで」生きているのかは知りがたい。 だから学校の外の学びを語る彼らの登場は喜ばしい。 「中退生」と言うとまだ否定的なイメージを思い浮かべがちだ。 しかし、彼らは競争で失敗した落伍者ではなく、違う道を選択した旅行者だ。

 

旅行者のように人生を学ぶことができたら良いだろうな。私の経験では、韓国社会が言う「学び」のデフォルト値は暴力だったようだ。 体罰が当たり前だった学校の文化。申告式、会食や運動会など「動員」を基本とする組織文化の権威者に服従して派閥同士が過ちを覆い隠し、その絆に資源を動員して目標を達成する各界の腐った文化。不条理を我慢する多くの人々の忍耐心がこのようなシステムを維持する。 耐える人を燃料に使うシステム。だから、退学・退社・放棄のような「途中退場」が取り返す事のできない失敗になるのではないか。

 

私は、途中で退場してみた経験が人生を豊かにすると信じている。 暴力的な文化に耐えずに出ていく経験は重要である。 学校だけでなく、どの場所でもそうだ。 暴力で綴られた学びに耐える必要はない。 そのような学びに赤信号を灯さなければ、我々は旅行者としての暮らし方が永遠に分からなくなる。 自分の感情を麻痺させず、自分の人生が何で構成されているのか読み解く人々、旅行するように学びながら生きる彼らがもっと多くなればいいだろう。

 

*ハンギョレ新聞に掲載されたものです。

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申告式=大学の新入生や新入社員相手に行われる強制飲酒儀式の事。日本で言うところのいわゆる「一気コール」。

【idology訳】地下アイドル列伝:開始に先立って

【idology訳】地下アイドル列伝:開始に先立って

 

by #KPOPアティテュード
2018/02/23
http://idology.kr/9916

 

K-POPのどこかには位置するようだけど、なんとなく目立たないグループ。そのようなグループはいくつかの音楽を、どのような活動をしてきたのでしょうか?

 

1.
以前idologyに「インディーズアイドルは可能か」という文章が載ったことがありました。(인디 아이돌은 가능한가 ① | Idology.kr) 資本が少なくても、あるいは自主的にもアイドルになることができるかという面白い内容でした。 もちろん韓国で自主的にアイドルになったケースはまだなかったり、あったとしても知っている人が非常にごく少数のグループだと思います。 代わりに資本規模が小さいというケースはたびたび発見することができます。 練習生期間が平均2年の5人組アイドルをデビューさせるのにかかる費用は、少なくとも15億ウォン程度という某新聞記事がありました。 これを基準にすると、事実多くの場合が後者なのかも知れないという考えもします。根本的に資本集約的産業人のアイドル産業において、企画会社の資本規模は活動と直結しています。 大型企画会社も投資誘致なしでアイドルを制作して活動させることはなかなか難しいことではないでしょうか。つまり、資本が少ないほどメディア露出の頻度が低く、アルバム発売も少なくて、イベントを中心とした活動が多くなります。

 

2.
「地下アイドル」という表現を聞いたことがあるかも知れません。 地下アイドルはメディア露出もなくライブハウスあるいは公演可能なvenue(会場)で公演活動やファンイベントを中心に活動する、日本のアイドルを指す名称です。 地域を基盤として活動する場合が多く、「ローカルアイドル」、または公演を中心に活動するので「ライブアイドル」と呼ばれたりもします。 メディア露出がない場合がほとんどであり、マーチャンダイズの販売で収益を出す構造ですが、「チェキ」と呼ばれるポラロイド写真やTシャツが代表的な商品だしうです。男性アイドルは大手企画会社が市場を独占してきた傾向があり、「地下アイドル」に区分されるアイドルは主に女性グループとも言います。 地下アイドルとして活動して人気を得てメインストリームに進入した事例もありますが、デビュー当初のAKB48を地下アイドルと見るなら最も有名な事例とみなすことができますね。 Perfumeが挙げられる場合もあります。 両グループ共に地下アイドルに正確に合致していたのかは確信しにくいですが。

韓国にも、日本のこのような地下アイドルと若干似た形のグループがいます。 メディア露出が少ないか、持たない状態で多様なイベントに安価に出演したり、インターネット放送にして活動をしたりするやり方です。 日本とはいろいろな面で異なるが、最も大きな違いを挙げるならどうしてもライブハウスを基盤として活動するケースがあまり無く、マーチャンダイズでは収益を期待しにくいという事でしょう。低資本アイドルを制作するJSエンターテインメントが代表的な例であり、チッケム(直撮り=ファンカム)で有名になったBAMBINOやLAYSHAをデビューさせた会社です。 韓国の場合は公演の目的自体がイベントに向けている場合が多く、音楽活動自体を重要視していない様です。そのためか、少なくないグループの振り付けや衣装がやや扇情的な方です。 ファンカム文化が広がるようになり、扇情性がもっとひどくなったとも言えます。

 

3.
この連載で取り上げたいグループは、タイトルからも分かるように「地下アイドル」に分類できるグループです。 「地下」という単語は、多少否定的に認識されかねず、使用するには少し慎重になります。しかし、日本と同様に地域や活動範囲特に決まっているものでもなく、「ローカルアイドル」「ライブアイドル」と呼ぶことはできないでしょう。 あるいは日本で使用される他の名称である「インディーズアイドル」なのかなとも考えてみましたが、韓国で「インディーズ」という単語が使用される文脈を見ると、適切でない単語選択かも知れません。 結局、「地下アイドル」と呼ぶことにしました。KPOPのどこかに存在しているようだが、なんとなく目にはつきにくいグループ。そのようなグループたちはどんな音楽を、どのような活動をしてきたのでしょうか。

 

4.
この連載はとてもゆっくりと非定期的に連載される予定です。 しかし、連載終了を宣言するまではやや遅くても連載が中断された訳ではないので、関心がある方はその都度掲載された時に読んでいただければ幸いです。 1話は悲運のコンセプトドル、SIXBOMBです。 連載開始します。


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チッケム(직캠)=직접(直接)캠코더(カムコーダー=ビデオカメラ)の事。ファンが直撮りしたいわゆるファンカム映像。

 

SIXBOMBというと2012デビューで結構経歴は長いけど、昨年メンバー全員が整形して、しかそれをコンセプトとして(!)カムバした、あの。

面白そうなので記事がアップされたらシリーズで訳したいと思っています。

【国民日報訳】盲目的熱狂を批判的支持で…ファンダムの進化

【国民日報訳】盲目的熱狂を批判的支持で…ファンダムの進化

 

2017.08.29
http://m.kmib.co.kr/view.asp?arcid=0923805784&code=13180000&sid1=ent

 

ファンドムが変わっている。 H.O.T.・Sechskiesが主導した1997年と大型新人ボーイズグループWANNA ONEが登場した2017年。ファンドムはこれまでどれだけ変わったのか。 第1世代ファンダムは公式ファンクラブを中心に全国的な位階がはっきりしていた。 しかし、最近のドムは非公式ファンクラブが幅を利かせ、活動の様子が多様化した。 1997年のファンドムが10代中心だったならば、2017年のドムは20∼30代が前面に出て地下鉄のお誕生日おめでとう広告同様の「物量攻勢」をさらに活発に繰り広げている。

 

20年前と比較すればファンドム文化がさらに過熱された面もある。 WANNA ONEやガールズグループI.O.Iと同様に最初から決まった期間のみ活動するいわゆる「期限つきアイドル」が出始め、ファン活動の密度が一層濃くなったからだ。 これらのファンの集中した火力が既存の所属会社アイドルの座を脅かしながら、ファンドム間の競争が過熱したのだ。 このような多くの変化を貫いている最近のファンドム文化の大きな特徴は、専門知識と批判性に要約される。

 

専門家水準「ホムマ」の登場

非公式ファンページを管理する「ホムマ(ホームページマスター)」が登場し、ファンドムは本格的に専門化された。 彼らは性能の良い別名「バズーカカメラ」で、アイドルの写真と映像を直接撮ってインスタグラムやツイッターなどにリアルタイムにアップする。 写真を「グッズ(記念品)」や「スローガン(応援道具)」にして販売することもある。WANNA ONEのホームマスターのあるツイッターユーザーは「歌手の広報に向けて、あるいはファン活動を活発にする時に生じる費用を賄うために商品を製作する」と説明した。

 

マスコミ対応をしたり、法的措置を取ったり、外国語の広報資料を作ったりもする。 Mnet「プロデュース101シーズン2」の1位カンダニエルと2位のパクジフンの一部のファンはデビュー曲「Energetic」の舞台で応援する歌手の分量が少ないと不満を吐露した。 ファンは最近Daumのアゴラ(フォーラム)に放送局と所属会社を相手に「カンダニエルの分量にインパクトある振り付けを入れて、曲の振り付け動線を変更してほしい」と請願した。 一部は、プロモーションビデオのメンバー別の分量を分析して抗議資料を配布したりもした。

 

アイドルファンは20年間、各種の葛藤を経験し、集団的な経験を積んだ。 例えば、ボーイズグループEXOファンの経験はWANNA ONEファンの経験でもあるということだ。 アイドル専門のウェブマガジン「idology」のミミョウ(本名ムンヨンミン)編集長は「海千山千の人が多芸多才になるのと似ている」「アイドルファンドムの歴史が20年になっただけに、謝罪文の作成要領や訴訟のために資料を収集する方法などのノウハウがファンドム全般に集団的に共有されている」と分析した。

 

崇拝はやめ、批判するファンダムの誕生

#1 ガールズグループMAMAMOOの一部のファンはこの3月コンサートで公開された映像がアフリカ系外国人卑下ととられかねないと指摘した。 所属事務所は映像を再編集すると約束した。

#2 ボーイズグループVIXXのファンたちは1月、所属ラッパーであるRAVIが歌った曲「BOMB」のミュージックビデオの一部が女性嫌悪と性商品化と捉えられかねないと指摘した。 RAVIと所属事務所は謝罪文を掲載して該当シーンを直ちに削除した。

#3 ボーイズグループ防弾少年団のファンの一部も昨年と今年初めに歌詞の問題点を批判した。

 

最近、ファンドム内に批判する文化が生じた中で、ファンの間で摩擦が起きることもある。 彼らは「カパ(까빠=까면서 빠는 팬=好きなのに晒すファン)」と呼ばれ、攻撃を受けたりもする。 大衆文化評論家ハジェグンは「最近のアイドルファンドムはスターを崇拝するのではなく、育成するという態度を持っているためにスターに社会意識を持つように強調しているのだ」と説明した。 そして、「このようなファンとアンチのアイデンティティは正反対」であり、「無条件にけなそうとするアンチとは違って、愛情を基本的に持っているというのが違う点」と分析した。

 

このようなファンは所属会社や同じ歌手を応援するファンをも批判の対象にしているところもある。 ファン活動を途中でやめた=「タルドク」したり、2組以上のアイドルを好きな掛け持ち=「ギョムドク」は通常攻撃対象になりやすい。 最近、ボーイズグループiKONの公式ファンクラブは所属会社YGが「メンバーたちの健康を考慮しない過度なスケジュールを強行する」等理由でYGで製作するすべてのグッズのボイコットを進行すると宣言した。 これもやはりファンたちが歌手を育てるという意識で起きた現象と解釈される。

 

文=グォンジュンヒョプ記者gaon@kmib.co.kr、

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「アイドルを育てる」の概念が日本とだいぶ違うような...元々日本より距離が近くて崇拝意識は低そうなのに、そこにこういう意識までが加わるというのは余計過干渉になりそうな気も。韓国における家族とか親子のあり方をそのまま反映しているみたいで興味深いけど、リアルの家族や親との関係もあるのに仕事の場でもこれじゃ大変そうですね。

【国民日報訳】[ミミョウのアイドル列伝]SEVENTEENは実験中、KPOPだから可能であり、しかしK-POPとは違う

【国民日報訳】[ミミョウのアイドル列伝]SEVENTEENは実験中、KPOPだから可能であり、しかしK-POPとは違う

 

2018.2.12
http://m.kmib.co.kr/view.asp?arcid=0923900219&code=13230000&sid1=kmi

 

のびのびとして攻撃性のない清涼感で
デビューとともにアイドルグループの新しい道を提示
ミュージカルのようなステージに様々なジャンルを取り入れ、2016年末に「重くなった」コンセプトに挑戦
昨年荒いロックサウンド・ボーカルも披露
リスク許容し、継続的な変化を追求

 

2015年「ADORE U」でデビューしたときのグループSEVENTEENは新しい傾向の総決算のように見えた。のびやかで攻撃性もなく「きれいな言葉」だけを言う少年は、まるでガールズグループの「清純」を翻訳したかのようだった。フリーデビュー活動を通じて強固なファンドムを確保したのも新しかった。アイドルに興味持つ人にとっては誰にとっても爆発的だった。ボーイズグループ市場の流れも、SEVENTEENが指した方向とかなり似たように流れて行った。

 

これまでの話だと、SEVENTEENがトップに君臨していなければならないようだ。 しかし、そうはならなかった。 「MANSAE」「PRETTY U」「VERY Nice」などは皆良い反応を得て説得力も高かった。 SEVENTEENの魅力を形容する「爽やかさ」がまるでボーイズグループの流れであるように多くの人々の口に登ったのを見てもそうだった。 実際に、SEVENTEENはファンドムを着実に増やしながら成長してきた。 しかし、大衆的な波及力はいつかからか停滞するような姿を見せた。

 

2016年末「BOOM BOOM」と昨年の「泣きたくない」は、すべて印象的な曲だったが、なんとはなしに重たかった。愛の歓喜の前でひたすらウキウキとし、精一杯笑いを作った姿とは違いがあった。アルバム収録曲も複雑で構成が難しく、少し負担になった。情緒も暗かった。イメージの変身というだけで説明するには、どこか釈然としなかった。 「爽やかさ」という表面的なキーワードの裏に一体何があったらこれだけとんでもない方向を選択する必要があったのだろうか。強力なファンドムの支持があるからこそ可能な選択だった。

 

SEVENTEENはメンバー13人を舞台装置のように活用して演劇的な性格が強調されるパフォーマンスを表現している。メンバーたちは演技するように歌い、背景や画面効果を振り付けに演出したりする。一本のミュージカルを見るようだ。それが彼らの「無害であること」に華やかな生気を与える。たくましく、しかしただ「きれいな」少年の姿を表すものでもある。それ故に彼らの選択は、初期の成功の秘訣であるダイナミックで活気に満ちた構成という最も重要な「技術」だけを維持し、これによって新たな姿を見せることだった。

 

その核心技術を音楽に適用すると、ひとつの曲の中で様々なジャンルが歌謡曲と絡み合いながら頻繁に雰囲気が切り替えられるという点である。作品はステージの上で初めて完成される。彼らの頭の中でステージはまるでミュージックビデオのように、複数の「シーン(場面)」で構成されているもののように扱われている。そして、それぞれの「シーン」に必要なジャンルを急いで引用してくるというやり方である。 KPOPだからこそできる特徴だ。また、パフォーマンスを直接実行する人がステージを最も中心に置いて作り出す事で可能なのである。自作曲を書くアイドルは多いが、このような方式はKPOPでも珍しい。

 

1年余りの時間がこれを適用するための実験だったとすれば、昨年末に発売された「拍手」は暫定的な結論である。ダイナミックなロックサウンドと俺様っぽいボーカル、「爽やかさ」はない。しかし、変化する曲をぼんやり追っていくと、いつのまにか彼らが誘うままに手を打ってしまっている。去る5日、スペシャルアルバム「Director's Cut」を通じてタイトル曲「THANKS」を発表して活動しているSEVENTEENがこの実験に最終的に成功するかどうかは、もっと見守らなければならないようだ。 しかし、多少危険があっても新たに発展していく意志は注目に値する。 それがKPOPであるからこそ可能だったし、またどのようなKPOPとも異なるものに向かっているからだ。

 

ミミョウ<大衆音楽評論家・作曲家>

【ize訳】女性ソロ歌手│②チョンハ・ヒョナ・スジ

【ize訳】女性ソロ歌手│②チョンハ・ヒョナ・スジ

 

2018.02.06
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018020523157219163&pDepth1=i2101

 

近来、今まで以上に女性ソロ歌手たちが活発に活動する現在、6人の女性ソロ歌手について「ize」記者パクヒア、音楽評論家キムユンハ、コラムニストファンヒョジンなど3人の女性が文章を書いた。

 

 

チョンハ、踊る鯨の登場
チョンハはI.O.Iの「ドリームガールズ」ミュージックビデオで足首と手首の巻いていた包帯を放り投げてダンスを踊った。 これはチョンハがMnet「プロデュース101」ファーストシーズンで積み重ねたキャラクターでもあった。 彼女は最初からダンスが上手い事で注目を受け、アイドルであると同時にダンサーとして注目された。 I.O.Iの活動が終わった後、ソロとしての彼女の姿はこの延長線上にある。 新曲「ローラーコースター」で彼女はI.O.Iの時とは違って、大胆な蛍光色のマニキュアとスタイリングで自由奔放な雰囲気を出しながら、ダンスに特化した自分のキャラクターを思いきり見せている。 「Why Don't You Know」で手足を使い床を活用して体を動かしている姿は、近頃デビューするアイドルたちが見せる事が出来ない姿でもある。 また、一般的な音楽番組の舞台だけでなく振り付け映像と縦割のダンス映像などで絶えず自分の踊りを強調して、カメラも動きを追えないほどのディテールでスピーディーな動作を表現している。 それだけに彼女が舞台の上で踊るときには、カメラもクローズアップよりは彼女の体全体と動線を追ったりする。

 

チョンハが構築したキャラクターは、それ故に特別だ。 彼女は大衆に知られた瞬間からダンスによってキャラクターが作られ、その特徴を維持しながら自分だけのアイデンティティとして取り上げられるようにした。 自分が得意な領域を通じてイメージを構築し、最近では稀な新人ソロ歌手として確実に定着した。 彼女が「ローラーコースター」で軽いジェスチャーを取りながら「LOOK」と言う時に、自らが望むものをひとつずつやっていく20代の女性たちの姿がオーバーラップする。 ダンスひとつで十分だ。 そう語る事ができる新人のソロ歌手が登場した。

 

文 パクヒア


ヒョナ、ステージのナルシスト
「Lip&Hip」はタイトルからして明確だ。 唇とお尻、つまり誰かを誘惑することに最も多く使われる身体の部位2箇所を正確に見るように指している。これは、これまでヒョナが見せてきたステージの核心を要約したものでもある。 ミュージックビデオでも挑発的なイメージを盛り込んでいく。 ヒョナはさり気無く胸の谷間を見せ、カメラはしばしば非常に短いハーフパンツに隠された彼女のお尻をクローズアップする。 このプロモーションビデオは比較的おとなしい衣装を着てバックパックを背負ったヒョナが、お尻の部分が破れているジーンズを着て部屋を出る場面で終わる。 しかし、曲のメッセージを最も果敢に伝えるのはどうしてもステージの上のパフォーマンスだ。 ヒョナは目にホットピンクカラーのアイシャドーをし、カメラを見つめながら舌で手のひらをなめて両胸を手で支え、絶えず尻を振る。 いわばヒョナのセクシーパフォーマンスは、大衆的に適正に受け止められるラインを何でもないもののように超えてしまう。

 

ヒョナはいつもそうしてきた。 自分がきれいでセクシーだということを知らないふりをして見る人の視線を誘導するのではなく、私はまさにここがセクシーなんだと、だからよく見ろというように、脅威的であるほど自信にあふれるパフォーマンスをしてきた。 Wonder Girlsとして活動していた時代から今まで、一様に舞台の上で上品ぶることはなく、自ら「パルガヨ(赤いよ)」と宣言するかのように、唇とお尻を突き付けて胸を出す。 同時に彼女の歌は誰かに認められたいとか愛されたいとは話していない。 愛する人のせいでますますもっと子供になるみたいだと言っていた「BeBe」が、ディスコグラフィーの中でむしろ例外的であるほどだ。 「もう少しセクシーに マインドはさらに大胆に/私は私 今日はちょっと出来そう」という「Lip&Hip」の歌詞のように、私は私であるだけでセクシーで綺麗だし、自らもその事実を当然知っているというようなナルシシズム的な態度。 このようなヒョナに対して、刺激的だとか大変心配だと評価するのは、どれだけ野暮なことなのか? 大抵のミュージシャンが直接書いた曲で自分を表わすとするなら、ヒョナは同じコンセプトを固守する方式で、自らがどのような女性なのかを表現している。 そして、依然としてそれでもまだ「このような」アーティストはヒョナだけなのだ。

 

文 ファンヒョジン(コラムニスト)

 

スジ ー I、Me&Myself、SUZY
スジの2枚目のミニアルバム「Faces of Love」が残す印象は独特だ。 最大でもミディアム・テンポ以下で全般的に落ち着いてトーンダウンされた曲は大きな印象を残すことができず、指の隙間から流れていく間の瞬間瞬間がやけに輝く。 アルバムのタイトルに忠実に従って恋に対する変奏を多様に展開させた歌詞のせいか、すぐその光の源に目が届くようだ。 輝くものは、ほかならぬスジそのものだ。

 

それが何か大した事なのかと思うかもしれない。 私たちはすでに1枚のアルバムを掌握する、きらめいて美しい魂をあまりにもよく見てきたではないか。 ただ、今回の場合は事情が少し違う。 ややのっぺりした印象のアルバムは、そのアルバムのカバーを飾っているのが、その歌を歌っているのがスジであるという事で自らの存在価値を証明している。 厳しいトレーニングを経て齢16の年にガールズグループメンバーとして芸能界にデビューし、以後、スクリーン、ブラウン管、音楽放送を全方位に行き来している芸能界のブルーチップ。人々が言うとおりに国民の初恋にもなったが、「私は男がいなくてもよく生きる」と挑発的な表情でカメラを正面から見つめるような事もする、若くて眩しい青春スターのペ・スジ。 タイトル曲「Holiday」を通じて披露した米国LAロングビーチを背景に実際の休暇のようにゆったりと撮ったミュージックビデオも、ソファーひとつ気楽な雰囲気を演出したステージも、そのような流れで見ると十分に納得できる。歌の中で、舞台の上で、スジは敢えて苦労して仮想の何かを演技する必要がない。 大衆が最も望むのは、そしてスジ自身が最も輝くのは、他ならぬ今を生きている24才のペ・スジをそのまま表した時だ。

 

昨年、某ファッションマガジンとのインタビューでスジが最も多く使った単語は「自然に」だったという。 仕事も日常も、自分で逆らうことなくいずれも自然である事を望むという彼女に、歌手なのか演技者なのか、正確な所属を明らかにせよという質問ほど無用なこともないだろう。 一時代を代表する歌も、週末の映画館を熱く盛り上げる映画も、道を行く通行人の視線をふとストップさせる広告も、すべてスジだから可能なのだ。自らの青春と人気をありのまま肯定する自然さ。スジが歩く歩み。ひとつひとつに感じられる、最も強烈なエネルギーだ。

 

文 キムユンハ(音楽評論家)

 

ブルーチップ=優良株式銘柄のこと。