サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】安室奈美恵、いつも実直だったJ-POPの女王

【ize訳】安室奈美恵、いつも実直だったJ-POPの女王

 

2017.12.01
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017113023567227549


私が中学生の時に日本の文化が開放され、J-POPブームが少し吹いたことがある。 その時、安室奈美恵と初めて接した。 宇多田ヒカル浜崎あゆみと共にJ-POPの3大歌姫と呼ばれた彼女は、J-POPの世界に入るには一度は聞いておかなければならない歌手だった。 その前から名前は知っていた。 日本文化が開放される前から、日本の音楽界は現在安室奈美恵と多くの女性歌手が掌握していて、ストリートには彼女のように着飾った女性たちが並び経済現象にまでつながったというニュースが何回かあったからだ。時は2000年代初頭、安室奈美恵は母親の死亡と離婚などの事件を経験し、音楽スタイルをヒップホップに変え、影響力が落ちた状態だった。 それにもかかわらず「J-POPの女王」と呼ばれていた。彼女は我々にとって日本文化を代表する歌手だった。 販売量が低迷しても、その事実は変わらなかった。

 

そして2004年7月、安室奈美恵が再び立ち上がった。 バラードシングルである「ALL FOR YOU」が10万枚以上売れたのだ。 以前に制作した音楽と似ていたからたくさん売れたのだろうと言う人もいたが、ヒップホップスタイルを固守したアルバム「Queen of Hip-Pop」がオリコンチャート2位を占めると、その言葉はぐっと引っ込んだ。 事実、安室奈美恵の再起には大きな意味がある。 人気の最高の頂点を取ったことがある人であるだけに、世論と販売量を意識して以前のように大衆志向的な音楽に戻る可能性もあった。 しかし、安室奈美恵はそうしなかった。 自分がしたい道を歩き続け、ついに国民は彼女の後を知って従った。

 

日本の歌謡界で活躍した25年間、安室奈美恵はいつもそうだった。 自分に厳しかっただけに、他人にも厳しかった。 妥協する可能性もある瞬間でも妥協しなかった。 沖縄出身の安室奈美恵は1999年と2000年、2度にわたって公式的な国家行事で君が代斉唱を拒否した。 1999年にあった行事は天皇の即位10周年を記念する行事であり、2000年にあった行事はG8首脳会談だったが、彼女は歌うそぶりさえ見せなかった。 デビュー20周年の2012年にはデビュー日の9月16日に合わせて故郷の沖縄で記念ライブを行うことにした。 しかし台風が上陸し、9月16日にライブができなくなった。 日付を延ばす事もできたかも知れないが、安室奈美恵はデビュー日でなければ意味がないという考えでライブをキャンセルした。 以降の5年後の2017年9月16日、安室奈美恵は5年前のことを挽回するための沖縄公演を開催した。

 

もちろん、いつも堂々とした行動を見せてきたとしても、彼女に苦しみや不安などの否定的な感情がないわけではなかった。 1年の空白期を経た後、1998年12月の紅白歌合戦で初の復帰ステージを持った安室奈美恵は「CAN YOU CELEBRATE?」を熱唱し、絶えず涙を流した。 この時の視聴率は68.4%で、瞬間視聴率は80%に迫った。 歴代の歌手別視聴率1位だったが、彼女は舞台に上がる直前まで「人々に温かく迎えられなかったらどうしよう」と思ったという。 そして1年後、歌手になるまで全面的な支援を惜しまなかった母親が、再婚相手の弟に殺害された。 自ら「地獄まで追い詰められた」と表現するほど精神的に大きな苦痛を経験した彼女は芸能界引退まで考えたが、実行には移さなかった。 代わりに腕に母の命日と息子の名前をタトゥーとして刻み、再び立ち直って伝説を書き下ろした。 このような行動を目にしてきたので、安室奈美恵はいつも芸能界の上でJ-POPの女王として降臨しているような人だった。

 

だから、安室奈美恵の引退発表は意外で衝撃だった。 この9月20日、安室奈美恵は自分のデビューの日に合わせて2018年9月16日に芸能界を引退すると発表した。 過去になく、今後も現れないであろう常に実直だったJ-POPの女王が王座を離れる。 これから彼女の歌を聞くができないなんて残念に感じられる。 J-POPのファンである私にとっては、彼女の歌に多くの青春を借金しているためだ。 しかし、ブレることがなかった彼女だったので、それなりに適切なタイミングで決定したのだとと思う。 安室奈美恵が経てきた人生、そして今後経ていく人生に心からの拍手を送る。

 

文 ベクソルフィ(コラムニスト)

【ize訳】防弾少年団を見に行った米国のファンは誰なのか

【ize訳】防弾少年団を見に行った米国のファンは誰なのか

 

2017.11.23
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017112222217275021&pDepth1=i2301

 

アメリカン・ミュージック・アワード(AMAs)の舞台に防弾少年団の「DNA」が鳴り響いた。 2012年、PSYが江南スタイルで上がってから5年ぶりのことだ。 当時は韓国ミュージシャンが近い将来には再び上昇する可能性はないだろうと思われていたところだ。 アメリカン・ミュージック・アワーズ側は、防弾少年団が新人アーティストであり、海外のミュージシャンであることを懸念して米国アーティストとのコラボレーションの舞台を提案したが、あえて単独公演を貫徹させた。 授賞式場内に鳴り響いた歓呼はその選択を正当化した。 米国のポップスアーティストたちの好意的な態度、主流メディアの集中的なスポットライトは現在、防弾少年団が持っている商業的潜在力と位相を反映する部分がある。 依然として米国民になじみのないK-POP「アイドル」というカテゴリーが一人立ちできる土台を作ったのだ。

 

ここで誰かはK-POPの成功として取り上げることができるだろう。 これといって間違った言葉ではない。 実際にK-POPはこの5年間、国内外の専門家たちの懐疑的な視線にもかかわらず、飛躍的な成長を見せてくれた。 K-POPアルバムがビルボードトップ200iTunesチャートに載ることも、もはや見慣れぬ風景ではない。 映画「ジャスティスリーグ」にはガールズグループBLACKPINKの「最後のように」が登場した。 ブロードウェイでは劇作家Jason Kimのミュージカル「K-pop」が初演された。 米国文化のメッカであるマンハッタンで、それもKPOPのシステムと練習生の成功談がブロードウェイのミュージカルの素材になって初回完売を記録したことは、もはやKPOPの地位が全く新たな段階に突入しているということを暗示する事件だ。 しかし、人々がKPOPは海外でどれほど知られているかといった問題で議論している間、より大きなことが起きてまた速いスピードでその局面が転換されている。

 

KPOPフェスティバル「KCON」には、今年LAのみで有料観客8万人が殺到した。 毎年新たなラインナップが構成されるが、観客は持続的に増加している。 現場で数年間見守ってきたが、米国内のKPOPの主力ファンの人種構成はもはやアジアコミュニティ中心ではなく、欧州系米国人、ラティーノアフリカ系アメリカ人などで目に見えて再編されており、経済的には中間層以上のファンが増えているという統計も出ている。 韓国人でもない平凡な米国人たちが数百ドルに上る経費を工面して米国全域でこの行事を見るために集まる姿は、確かにKPOPが作った「現象」的人気の断面だ。 しかし、このような量的な成長は現在のKPOPを完璧に説明できない。 端的に防弾少年団の成功がそうだ。 現在彼らの人気と「現象」に近い爆発力は、KPOPの成長だけでは成長できないある独特な視点に対する分析を要求する。

 

防弾少年団の成功に意味があるのは、彼らが世界中の音楽市場、特にこれまでK-POPの最後の挑戦課題のように思われていた北米市場の進出において、典型的な商業的策略を活用するよりも音楽が持つ普遍的な魅力と人間的魅力、そしてファンダムとの疎通を武器に根底から大衆を捕らえるのに成功したという点だ。 大手事務所、プロモーター、放送局に代表される制度圏システムの全面的な支援をほとんど受けなかった防弾少年団の米国進出と成功は、それ自体がKPOPの新しいモデルのように見える。 彼らは英語で録音したシングル1曲もなしに米国内に強力な支持勢力を構築している。 ビルボード及び米国のマスコミはこのような波及力に驚きながらも、速やかに消化している。 韓国がアイドル音楽に対する偏見をそのまましまいこむ前に、いざポップスのメッカである米国は韓国から出発し、グローバルポップスターに新たに浮上した「BTS」を、ちょうど自国内の空席になってしまったアイドルの新たな顔として受け入れる準備を終えているという感じを受ける。

 

特にファンドムの力は注目すべき部分だ。 2014年のKCON以降、北米や南米諸国などで爆発的に増えた防弾少年団のファンドムA.R.M.Yは強い結束力と連帯感を持った。 彼らはもはや国内ファンダム、あるいは米国内の韓国人及びアジアコミュニティに付属しないまま、SNSを媒介に多様な人種と民族、都市にまで拡張して結合する。 これが韓国大衆音楽の世界と出会い生まれつき限界とされてきた言語的、地域的障壁を崩す決定的要因となっている。 AMAsが防弾少年団の米国進出において頂点ではなく始まりである可能性が高い理由だ。 米国でA.R.M.Yを中心に集まった国籍と人種を越えたファンドムは今、彼らの影響力に対して注視されている状況だからだ。 SNSを通じて自発的に防弾少年団を広報して熱狂する彼らの動きは米国の音楽市場では新しいタイプのドムであり、既存メディアが知らない魅力的な市場である。 K-POPがアーティストだけでなくファンドムまで結合して単に「韓流」ではなく、個別文化圏を中心とした下位文化への移行、そしてそれを超えた新たなモデルの登場に進んでいるのだ。 多くの人たちが新しい時代の到来に追いつけない間、KPOPは私たちの考えよりもはるかに大きく、多様化している。

 

文 キムヨンデ(音楽評論家)

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防弾少年団を見に行った米国のファンは誰なのか?」って結局は「アメリカのARMY」って事でいいのかな?実際そうだろうけど。

 

欧米社会に浸透したアジアンカルチャーといえば、この文中の各アワードをアカデミー賞アングレーム国際漫画祭、KCONをコミケやコミコンに置き換えると日本のアニメや漫画・ゲームなどの2次元文化が他文化圏に浸透していった姿とちょっと似ている感じもしました。
(BABYMETALもちょっと浮かんだのですが、あれは「メタル」という欧米での歴史が長いマニアの多い音楽ジャンルそのものにピンポイントで食い込んでファンを拡大しているところが、ちょっと今回のケースとは違うかな...現地のガチのメタルファンからの人気があるので)
映画「ジャスティスリーグ」の中でBLACKPINKの曲が出てくる事にも触れていますが、「最後のように」のMVが流れるシーンはオタク青年という設定のフラッシュの部屋のモニターです。多分10年くらい前だったらこのモニターに映るものの殆どが日本のアニメーションの可能性が高かったのではないかと思いますが、アメリカでは「オタク・NERD」をあえて表すキーワードが2017年の今だと「KPOP好き」という設定なのかなと思いました。(そこで流れたのがBPというのは将来的に何かアレがアレする力がはたらいたのかもしれませんが)(追記:NERDっていうよりGEEKの方が近いのかな?と投稿した後に思ったのでメモしときます)それだけ日本のアニメはもはや特にオタクを表すための記号を超えて欧米に一般的に定着したのかなとも。勿論オタク的記号になりうるマニアックなアニメもありますが、今やアカデミー賞に日本のアニメーションがノミネートされるのは珍しくないですし、ポケモンのアニメーションのように人種や世代を問わず定着している作品やキャラクターたくさんいますし。東西を超えて異文化圏のカルチャーが定着するというのはこういう事かもしれません。欧米のKドル好きは割と高い比率でアニメなども好きだったりしますし、ファンドム内でのKドルの消費のされ方もちょっとアニメやマンガなどの2次元キャラクターに近い傾向も感じます。

 

ここ最近の防弾少年団のアメリカでの活動やインタビューなどを見ると、個人的にはやっぱり一般メディアからは所謂ボーイバンド=アイドルグループと見なされてるんだろうなと言う感想でした。確かに欧米ではOne Direction以降日本的にいえば「アイドル」と見なされるグループの席はずっと空いている状態でしたので、ある意味そこにはまった側面もあるんじゃないかと思います。そして別にボーイバンド扱いで当然と思うのですが(実際ボーイバンドですし)なんとなくスッキリしないのは、自分が欧米における90年代末〜2000年代のボーイバンドの隆盛を多少ですが見てきたからかもしれません。私的な話になりますが、私が初めてアイドル的なものを好きになったのは小学生か中学生の時で、イギリスのボーイズグループでした。それ以来他のものにハマりつつも片目では欧米のアイドル業界をチラチラ見てきましたが、結論として欧米からはグループアイドルというものはほぼ消滅したし(彼らをとりまくメディアなど環境的な事だったりファンの熱狂ぶりなどを見るにつけ仕方ない事だとも思います)、そういうアイドルを消費して消耗させて消滅させるような環境は今も変わらないしむしろ加熱していると思うのですが、まさにそこの地位に突然据えられるというのが一体どういう事なのか。自分はただのファンでファンドムに所属して中から見ている面もあるだけに、そういうものの中に置かれる可能性のある状況を純粋には喜べないのかもしれません。

 

また、欧米ではそういう風にアイドル文化が時代で分断されてきたせいか、楽曲やパフォーマンスのクオリティとは関係なくまともに「アイドル」という存在をきちんと歴史的だったり統計的・社会的に分析したり評価するメディアは未だにほとんどないんじゃないかと思います。アイドルを多面的にポップカルチャーの一種として評価するという事に関しては、途切れる事なくアイドル文化が続いてきた日本や韓国の方が進んでいるんじゃないかと思います。なので、そういう国で「ポップスグループ」か「KPOPグループ」と見なされるのか、「ティーンアイドル」と見なされるのかで見られ方がガラッと変わる可能性もあるように思います。KPOPやJPOPはマニアのついている音楽ジャンルの一種という分類がついたので、アイドルミュージックに限らずそのジャンル内でののcriticや評価と言うのが出来つつありますが。

 

文中でファンドムの力について触れていましたが、確かに防弾が明確に他のグループとどこが違うかというと、楽曲参加等の音楽でもパフォーマンスでもキャラクターでもなくてはっきりと「国を超えたファンドムの熱意」じゃないかと思います。欧米での注目された点もSNSでの盛り上がり=ファンが英語圏のメディア統計に引っかかる程度にネットコミュニティで活発に「英語で」情報発信や発言をしたことが始まりです。むしろ本人たちそのものよりは「ARMY」という熱狂的なファンドムそのものが興味や分析の対象の中心になっている節は感じます。ファンの熱狂によってその場に連れてこられたのは間違いないですが、逆にそのファンドムの威力がバイアスになって本人たちの能力や作品に対する正当な評価を阻害する事は特にアイドルによくあると思うのですが(例えばアイドルグループのメンバーが俳優の賞にノミネートされた時、接戦だったりするとファンの投票でとれる賞は確実に取れるだろうということで、ファンドムが巨大であるほど肝心の本賞はなかなか取れなかったりとか)、ちょっとその気配も感じなくないです。正当な評価をされてないとファンドムが思うほどファンドムは排他的にアイドルを称えて保護する傾向に行きがちですし、それがまたファンドムの外の一般社会に対しては余計にバイアスをかけていくという悪循環というのもあると思うのですが。これからの動向は米国内のファンドムの動きや行動に結構左右される部分があるのかもしれないと思いました。端的に言うと、本人たちの音楽やパフォーマンスそのものよりは米ARMYの振る舞い方次第というか。

 

とはいえ、これも単純に私というアイドルに対して楽曲ファーストで好きになりがちな偏った個人の考えですし、「推しGにはファンドムの外に飛び出してあわよくば楽曲やパフォーマンスでファン以外の人も『グループのファンてわけじゃないけど曲は好き』と言ってもらえたり、ファン以外も曲にノッてるのを見るのが一番嬉しい」というのも、いちファンのエゴにはすぎないんですけどね。

 

これから先欧米での防彈少年團含めたKドル界隈にどういう展開があるのかちょっとワクワクする気持ちと、下手に欧米でティーンアイドルセレブになったりしたら本人たちの意向とは関係なくセクシャリティや交友関係恋愛関係がらみのプライベートを韓国や日本以上に詮索されたり、パパラッチに追い回されたり、サセンもビックリのストーカーが現れたり殺害予告されたりしないかな〜(もうすでに何回かされてるけど)という若干ハラハラする気持ちと、色々な感想が交錯したアメ活(?)でした。

 

 

【東亜日報訳】[東洋イシュー]少女たちの偶像でグローバルアイドル…大ヒットした5つのDNA

東亜日報訳】[東洋イシュー]少女たちの偶像でグローバルアイドル…大ヒットした5つのDNA

 

イムヒユン記者| 2017-11-25 03:00:00
http://news.donga.com/home/3/all/20171125/87445018/1


今月19日(現地時間)「アメリカン・ミュージック・アワーズ」が行われた米ロサンゼルスマイクロソフト・シアター前のレッドカーペットに到着した防弾少年団は、授賞式祝賀ステージで米国のファンの合唱と歓呼の凄さが話題になった。 韓国のアイドルグループ防弾少年団が米国のメディアを驚かせた後、22日に帰国した。

 

アメリカン・ミュージック・アワーズの祝賀ステージ、「エレンの部屋」出演...2012年のPSYシンドローム以後、落ち着いたように見えていたKPOPが再び「アクシデント」を起こしたという評価が出ている。 米国のTV中継で現地の観客たちが防弾の韓国語の歌詞を歌ったり嗚咽する姿は、KPOP海外ファンダムの現場に行ってみたことがない韓国の大衆には多少衝撃的だった。

乗馬ダンスブームで世界を襲った「江南スタイル」のようなグローバルなヒット曲がない防弾少年団は、どうして米国の大衆文化の穴におちる事になったのか。彼らの歴史と人気街道、その秘訣を방(バン)탄,(タン)소,(ソ)년,(ニョン)단(ダン)のキーワードでまとめてみた。


방(バン):防弾(バンタン)とバンシヒョク
「青少年への難関-偏見を止めたい」所属会社代表バンシヒョクの作品
 
防弾少年団は7人組の男性グループだ。 RM、JIN、SUGA、J−HOPE、ジミン、V、ジョングクで構成されている。防弾は、言葉そのままに銃弾を防ぐという意味だ。 銃弾とは青少年に注がれる難関、社会的偏見などだ。

中学時代から「少年漫画」に深く陥った者がいた。 バンシヒョク(45)だ。 防弾少年団の所属会社のBigHitエンターテインメントの代表取締役であり、防弾少年団のプロデューサーであり、精神的父親のような存在。ソウル大美学科を卒業した彼は1997年第6回ユ・ジェハ歌謡祭で銅賞を受け、歌謡界に入門した。 2000年からパクジニョンが率いるJYPエンターテインメントの作曲家として活動した。 god、パクジユン、Rainのヒット曲を作った。 ペクチヨンの「銃で撃たれたように」も彼の作品だ。 2005年にBigHit設立し、8eight、イムジョンヒ、イヒョン・Hommeなどのアルバムを制作した。 現在、BigHitには防弾少年団とHommeが所属している。

 

탄(タン):誕生(タンセン)と成長
2013年6月7人組でのデビュー…現実的なラップに共感を得て
 
バンシヒョクと一緒に働いていたプロデューサーPdogg(本名カンヒョウォン・34)は、慶尚南道出身だ。 声楽を専攻したが、ヒップホップが夢だった。 彼がリーダーでありラッパーのRMを抜擢し、ヒップホップグループを作ってみたくなったのが起源となった。 残りのメンバーたちが続々と合流し、3年間の練習を経て防弾少年団は2013年6月にデビューする。

防弾少年団には地方出身者が多い。 メンバーたちは、釜山、大邱、光州、京畿道、慶尚南道出身だ。 八道弁に韻律を合わせた「八道江山」という曲も出したことがある。 外国人は発音しにくい防弾少年団という命名から八道の方言まで、彼らは最初から海外市場を狙った企画グループではなかったのだ。 初期には「学校3部作」アルバムに10代の社会で起きる様々な状況や悩みを現実的なラップと歌に込め、同年代の共感を買い始めた。

 

소(ソ):ソーシャルメディア
ツイッターYouTubeを積極的に活用…メンバーたちの日常をリアルタイム発信
 
防弾少年団の成功は彼らがSM、YGのような大型企画会社から出発しなかったため、さらに驚かされるばかりだ。

塞翁が馬と言おうか。 巨大産業システムに合わせて組まれたマーケティングの代わりに、彼らはちょうどデビューの頃に本格的に開化したソーシャルメディアを積極的に活用するが、これが後の大きな成功の基礎になるとは…。

特に防弾少年団は、世界的にもツイッターを一番上手く活用したグループの一つに数えられる。 大まかにいえば携帯電話のカメラではっきりと撮ったメンバーたちの日常動画を、随時リアルタイムでYouTubeにアップロードしてツイッターで共有した。 いわゆる「Bangtang Bomb」と呼ばれる自主制作コンテンツだ。 大衆音楽評論家キムユンハ氏は、彼らを「音楽以外の自社のコンテンツを最も多く出しているチーム」として挙げている。

彼らは雑誌の撮影や放送出演待機室の現場で、短くて数秒から数十分までの多様な映像を撮ってメンバーたちの一挙手一投足をリアルタイムで教えた。 JINのモクバン「Eat Jin」、ジミンとVの慶尚道なまり番組「マンダコ?(訳注:釜山の方言で「何で?」)」等のメンバー別に特化された一種のコーナーも作った。 キム評論家は「一つのラインに全てのコンテンツを連結したが、その求心点がメンバー共用のツイッターアカウントだった」と話した。

メンバー別個人アカウントをなくして「ジョングク」「J −HOPE」のようなヘッダーをつけて運営者の役割を果たした。 ファン活動の「火力」も自然に公式アカウント(twitter.com/bts_twt)一ヵ所に集中された。 キム評論家は「海外のファンたちはミュージックビデオや振り付けに接し、ソーシャルメディアのアカウントを検索して入ってきた後リアルタイムで矢継ぎ早に押し寄せる圧倒的なコンテンツ量に興味を感じて、また他のYouTubeの動画で消費を続けた。 これが一つに統合されたソーシャルアカウントの爆発力だ」とした。

 

연(ヨン):連作(ヨンジャグ)のパワー
学校ー青春各3部作アルバム…長いストーリーで好奇心刺激
 
ツイッターで短い日常を反復的に露出させる一方、音楽では長い呼吸でファンダムの好奇心を刺激し続けた。 ソーシャルメディアの単打戦略と連続してストーリーの長打戦略が鋸の刃のようにかみ合ったわけだ。 歌はアルバムとして、アルバムは連作でつないだ。

中学・高校生たちの厳しい生活を取り上げた「学校3部作」の後には少し成長した訪れてくる空しさと幻滅、依然としてある希望を盛り込んだ「青春3部作」(花様年華)シリーズを続けた。アイドルロッジ編集長微妙氏は「防弾少年団のストーリーはデビューの頃から今までずっと一つの線につながる。 防弾少年団という仮想キャラクターの伝記的な話が物語の連続性を構成する」、「BIGBANGなど、以前のグループが曲のひとつひとつで完結した素敵さを追求する短編作家だったとすれば、防弾は数冊の長編を続けて出す感じ」と言う。例えば、BIGBANGのメンバーたちはそれぞれ個性と魅力はあるが、防弾少年団のメンバーたちのように彼の故郷がどこであり元々は何をしていた人なのかということに対する関心や話ははっきりしないということだ。

 

단(ダン):団結したファンドム
ファンクラブ「ARMY」強力な結束力…ツイッターのフォロワ1000万突破
 
防弾少年団がスターになるにはファンクラブであるA.R.M.Yの活躍も多大な影響を及ぼした。 「ARMY」は英語の単語の意味のように軍隊のような結束力を誇る。 各種のオン・オフライン商品購買と音源・アルバム消費、ソーシャルメディア書き込みリツイートと共有において非常に勇敢な火力を見せている。 海外ARMYらが本格的につきはじめ、防弾少年団のパワーはみるみる大きくなったのだ。 仮想空間であるソーシャル・メディアに吹き始めた嵐はついに現実の世界まで揺らし始めた。 米国のメディアは今、防弾少年団とARMYが持つソーシャルメディア上の大きなパワーを望んでいる。

専門家たちは2015年を防弾少年団の海外ファン層が幾何級数的に成長した時点と見ている。 「花様年華 pt.1」アルバムと「I NEED YOU」ミュージックビデオが爆発的な話題を起こしたというのだ。 キムユンハ氏は「KPOP特有の力強いパフォーマンスが持った魅力は維持するものの、楽曲的には最新の欧米トレンディーポップをよく添えて消化し、海外ファンを魅了した」と話した。 今防弾少年団は、YouTube照会数1億件以上のミュージックビデオ11本を保有している。 ツイッターのフォロワ数が500万になるのに5年かかったが、1000万になるにはそれからわずか7ヵ月だった。フォロワーはすでに1ヶ月に100万人の割合で急増している。 ソーシャルメディアでの防弾少年団の勢いを説明する言葉は一つだ。 まさに破竹の勢いだ。


▼「音楽・パフォーマンス-容姿備えて…AMA公演で米全域でも熱狂」▼

現地のマスコミ「マーケティング波及力」に注目

 

それなら「ARMY」ではなく米国の一般的な大衆は防弾少年団をどれくらい知っているのだろうか。 現地放送局が防弾少年団の交渉に乗り出した理由は何だろうか。 米ワシントン州シアトルに住む大衆音楽評論家キムヨンデ氏と太平洋を間に置いて問答した。

 

―本当にアメリカ人はみんな防弾少年団を知っているのだろうか。

 

「ポップス音楽の主な消費層ではない一般大衆の防弾の認知度は低いと言わざるを得ない。 ただ、ソーシャルメディアを利用する学生層には認知度が非常に高いと見ている。 事実、防弾の米国内での人気は単純な認知度では評価しにくい。 例えば、現地のスターであるセレーナ・ゴメスはTVのゴシップ欄を通じて大部分の人が知っているが、彼女の歌は知られていないのは防弾と同様だ。 防弾の認知度は今回のアメリカン・ミュージック・アワードと各種番組出演で今後、米国全域で飛躍的に増えるだろう。 米国では全国放送に乗るかどうかが認知度を大きく左右するためだ」

 

―米国のメディアが我先に防弾少年団を渉外する理由は何か。

 

「米国内のアイドルグループ飢饉の渇きを解消してくれるグループが必要だったタイミングだろう。そうだ(メディアが)近年に世界的に存在感を現わし始めた防弾少年団を発見したと見ている。 音楽、パフォーマンス、ルックスを備えたポップスターの資質にソーシャルメディアマーケティング波及力まで備えたスターを自国市場に引き入れることで、米国ポップスの躍動性を図るのだ。 米国がいつも海外の音楽を活用してきた方式だ」

 

―まるで米国内のラテンポップスと同じようなものだろうか。

 

「米国は、カナダ、英国、ラテンの全てを一度は抱いて見ただろう。ある瞬間になると国籍をほとんど言わなくなる。PSYの時も似たような試みがあった。 防弾の違いは、多様な人種で構成された自国の若年層にも簡単にアピールでき、ヒット曲一つだけでなく全般的なスター性を備えたグループだということだ。 そこに可能性を見ているようだ。 アジアから来たスターというふうには報道しない。 ビートルズとも比較しながら、米国に上陸したというふうに描いている」

 

―防弾のソーシャルメディアでの破壊力が大きな役割をするだろうか。

 

「そうだろう。 授賞式のレッドカーペットの時も進行者たちが敢えて何度も防弾ファンクラブ名を言及しながら紹介している。 他のゲストに防弾関連の話を聞いてくる。 多分(メディアに)およそ1年以上蓄積された内部資料があるのだろう。 ソーシャルメディア言及回数、波及効果などに関したビックデータかもしれない。 ビルボードミュージック・アワーズ受賞以来、ほとんど露骨と言ってもいいくらいに防弾関連記事を次々と出している。 (効果を)すべて知っているという話だ。 その程度の波及力を備えているのはテイラースイフトや何人かのヒップホップスター程度だ。 米国の主流メディアがこれを逃すはずがない」

 

イムヒユン記者

 

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個人的には自作もしてますっていうのがある種の売りだし、ファンもそこに誇りを持ってるようにみえる防弾がセレーナ・ゴメスみたいな感じのセレブ扱いになったりしたらちょっとアレだな...EXOとかならともかく...と思う部分もありますが、このあたりは次にあげる予定のizeの記事訳の方に少し書きます。

【ize訳】REDVELVET、ベルベットなアティテュード

【ize訳】REDVELVET、ベルベットなアティテュード

 

2017.11.22
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017112123427222436

 

ガールズグループREDVELVETの新曲「Pee-A-Boo」で、彼女たちは誰かの愛を待ってはいない。 誰かを愛し続けると積極的にアピールすることもない。 代わりに彼女たちは、愛に対する態度を描写している。 「新しいものだけが好きな」彼女たちにとって愛は「高鳴る時だけ」で、だからこそ相手には「途中で私の心が変わっても驚かない」と語る。 「Peek–A–Boo」のミュージックビデオで「高鳴る時だけ愛」にあわせて見せる映像はイェリが男性のピザ配達員からピザを受けとる場面だ。まだ冷めていないピザ。 彼女たちにとっての愛、または男性はその程度の意味だ。 彼女たちが愛から望むことは「退屈する暇」を与えずに「あの月がジャングルジムにかかる時間まで遊ぶ」ことだけだ。 すると友達がみんな叫ぶ。「あんたは本当に問題があるよ!」なぜ問題なのかは正確に描写されていない。 ただ現在、韓国のガールズグループのうちで最も人気のあるグループは、一日中男性が自分を好きであるという想像ばかりの歌詞を繰り返すTWICEだ。 ところが、ガールズグループが男を待ったり誘惑したりしがみつく代わりに、食べる残すピザ程度という意味を置く。 「問題」であるかは分からないが、「問題的」であることは明らかだ。

 

すぐ恋に落ちることもあるし、すぐに飽きる事もある。ピザを配達させて食べながらそのピザの上に宝石をまいて遊んだりするように、世俗的な価値観ともかけ離れている。 この女性は「清純」や「セクシー」のようなひとつの単語だけでは説明できない。 当然、複雑で理解し難い。 また、自らを理解させようとしているわけでもない。 「Peek–A–Boo」のミュージックビデオを見る人たちは、カメラを通してREDVELVETの家の中に入る。 しかしREDVELVETは訪問者にどのようなアピールもしない。 当然、どれだけミュージックビデオを見ても彼女たちの考えを完全に理解することはできない。 代わりに「Peek–A–Boo」の意味を解釈しようとするほどこの女性たちについてずっと考えるようになるだけだ。 完璧に理解することも、統制することも、そんな自分を他人に説明しようともしない女。 しかし、この女性の予測不可能であり魅力的な行動は、訪問者にこの世界を理解しようともがかせる。過去、ある男性たちはこのような女性を魔女と、または悪女と呼んだ。「Peek–A–Boo」のミュージックビデオがホラー映画のスタイルを持たざるを得ない理由だ。 これは、ガールズグループの場で魔女について歌ったからだ。

 

愛をピザやジャングルジムのような楽しみの一つに過ぎないと語る女。 問題があると言う人もいるが、「キツネ」であることを自任し、予測不可能な行動をする女。こんな女性が自分の頭の中や世界を開き、自分を理解してみればと誘う。 ガールズグループが、現実に存在するが韓国のエンターテインメント産業ではなかなか出てこない女性を表現した。「Peek–A–Boo」のミュージックビデオでREDVELVETの他のメンバーがジョイの周りを回る映像は、すぐジョイの席にピザ配達員がいるものに変わる。 見物の対象として消費されるのが当然だと考えられていたガールズグループの一つが、位置を変えて自分たちを理解することを要求する。 韓国のガールズグループがもう少し多様に存在する女性、または自分自身について話す方法を見つけたのだ。

 

「Peek –A–Boo」の曲とパフォーマンスがすべて必死そうには見えない体裁をとった事は、本当に重要である。 「Peek–A–Boo」のボーカルと編曲は、なかなか感情を明るくて活気に満ちるようには引き上げない。 だんだんと速くなるリズムは楽しいが、ボーカルは音を引き上げて雰囲気を盛り上げたりせず、サビは乾燥しているように感じられるほど短く切ったリズムで構成されたいくつかのメロディーを繰り返すだけだ。アイドルグループの必須要素のように入る後半部のアドリブも、やはり他の音の間に隠されたり、音を高めて増やす代わりにそっと手を触れて行く程度だ。ボーカルトーンだけは軽くし、明るい感じをそっと吹き込むくらいだ。REDVELVETはこの曲に合わせて手を腰に当てて骨盤を弾いたり、かわいく腕を広げる動作をすることもある。 多くのガールズグループたちが自分たちを可愛いかったりセクシーに見せようとする動作だ。 しかしこの動作の間に手を望遠鏡のように作って目に当てる、意味のわからない動作が入ったりして、メンバーたちの表情はめったに笑顔を見せない。 そしてほとんどの動作は曲のビートに合わせて多少硬く、動作や動作の間が遮断されたまま行われる。 TWICEが私の心を分かってもらいたいと絶えず笑顔と小さくてかわいらしい動作を取るなら、GFRIENDは「ガラス玉」と「今日から私たちは」で好きな相手に自分の心を熱唱した。 しかし、REDVELVETは熱心に笑って気持ちを伝えさえしない。 愛はジャングルジム程度の楽しさを与えるものと考えている、ちょうどそれくらいの表情と動作。REDVELVETの所属会社SMエンターテインメントは、なかなか説明し難い女性のキャラクターをティーザーからパフォーマンスまで、近年で最も首尾一貫性のある結果を通じて説得してみせた。 複雑なキャラクターに対し、想像して具現化できるビジュアルディレクターと作詞家、A&Rを同時に持った会社だけにできる仕事だ。

 

ガールズグループが愛されるために愛嬌を振りまいていない。 かわいかったりセクシーに見せようと勤めない。 商業的には危険な選択のように見えるかも知れない。 しかしREDVELVETは、アイリーンがたびたびバラエティ番組でよく笑わないという理由で議論の対象になったり、JTBC「知っているお兄さん」で誰かの愛を受けることに対する負担を打ち明けたりもしたことがある。 彼女たちは以前から、自ら韓国でガールズグループに要求される規範から少しずつ抜け出していた。「Peek–A–Boo」はこのような魅力を、アイリーンのキャラクターをまさに舞台の上で表現したも同然だ。 そして魅惑的な瞬間が行われる。 無条件にぱっと笑ったり愛嬌を振りまく代わりに、メンバーごとにまた歌詞によって表情が微妙に変わりREDVELVETのメンバーたちは彼女たちがどれほど多様な魅力を表現できるのかを示している。 「Peek–A–Boo」のエンディングでクローズアップされるアイリーンの表情は、一般的なガールズグループの曲では見ることができない。ジョイが短いワンピースを着てウェーブを踊った時の奇妙な雰囲気を、ただセクシーという表現だけで説明できるだろうか。 愛されるために努力しない態度が、むしろ感情を表現する人の多様な姿を見せる。 このような態度は全員には愛されないかもしれない。 しかし、誰かにとっては代え難い魅力でもある。 正確に知ることはできないが、自身が他人に向かって露出しなければならない姿の代わりに、自分が見たいと思っていた自分の姿を見ることになる女性もいるかもしれない。 「Peek–A–Boo」はREDVELVETの忘れられたも同然だった「ベルベット」コンセプトを再定義しながら、彼女たちの核心的なアイデンティティを規定した。 もちろん「Peek–A–Boo」と「ベルベット」彼女たちの唯一の路線にはならないかもしれない。 「Peek–A–Boo」で持たせた期待が失望に変わる瞬間も来るかもしれない。しかし、常に一つの期待だけはできるようになった。 完璧なベルベットになって戻ってくる時、彼女たちは魔女になるだろう。

 

文 カンミョンソク

【idology訳】1st Listen 2017. 7月前半〜7月後半抜粋まとめ

【idology訳】1st Listen 2017. 7月前半〜7月後半抜粋まとめ

 

idologyの「1stリッスン」アルバムレビューの7月分の部分粋と5月のiKON&SEVENTEEN訳をまとめました。7〜9月はリリースが多かったのでこの3ヶ月分は載せる予定です。

 

[レビュー訳した曲リスト]

「COME BACK HOME」防弾少年団(ソテジカバー)
「Young&Free」EXOシウミン&NCTマーク
「The Red Summer」REDVELVET
「Television」ZICO
「The War」EXO
「Hola Hola」K.A.R.D
「Summer Episode」AKMU
「流星」SNUPER
「swimming 」イムヒョンシク(BTOB)
「If You」NU'EST W
「prequel 」DREAMCATHER
「Good Day」Brandnew Boys
「Verse2」JJ Project
「the.the.the.」ヨングク&シヒョン

「NEW KIDS:BEGINS」iKON
「A1l」SEVENTEEN

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http://idology.kr/9196

 

2017.07.01~07.10


防弾少年団「Come Back Home」
2017年7月4日

 

ランディ
「Come Back Home」が2017年に出てきたらこうなるだろうな、という期待をそのまま再演して出したようだ。もともとトラップ曲だったように適当な服だ。 ソテジが歌った最初のヴァースをJHOPEが特有のトーンでよく生かして期待感を増幅させ、合間合間に原曲の慣れたラインとメロディーが新たに書いたパートと交差しながら、楽しみを与える。 防弾少年団の初期作を考えて見れば、このように青少年に社会的メッセージを伝達するテーマの歌を選んだというのは非常によく似合う選択ではなかろうか。ただ、そのメッセージが最初のコーラスの後ろに入ってくるラップヴァースで曇っている様子があるが、「トロフィー」や「家門の栄光」など防弾少年団のキャリア的成功を連想させる歌詞が原曲が伝達していた啓蒙的メッセージや慰労とよく交わることができず、空回っている。このような点は彼らの前作「Not Today」でも観察されたことである。 「防弾swag」をどうすればもっと自然に溶け込ませられるのか、更に深く悩む必要があるだろう。

 

シムデャン
ソテジのデビュー25周年記念リメークプロジェクト「Time:Traveler」の最初の曲、「Come Back Home」だ。 原曲特有のリフレインとベースライン、ビートを除いたすべての部分を「防弾少年団化」した。 不安な青春を謳歌する防弾少年団なので、この歌を歌う姿が自然に見える。 20世紀に行き場を失った怒りを見せていた青春は、21世紀の不安な未来の中でも強かに自分の道を歩いて行く。 曲を歌う人は変わったが、曲の話者はそのままのようだ。 曲の生命力と、この曲を自分のスタイルで消化した防弾少年団を再び見ることが出来る。 複雑な感情を抑えきれず、1人疾走する彼の手の中に捕われたカセットテープが印象的なプロモーションビデオも見どころだ。

 

オヨ
ソテジと子供たちのオリジナルと大きく変わった点はない。 サウンドが更に洗練されたということ以外には曲の構成も、全般的な雰囲気も似ている。 原曲が大衆音楽史における記念碑的な曲と評価されていた最も大きな理由はこの曲が発表された時期が1995年という点、その前までは韓国で知られていなかったギャングスタ・ラップというジャンルをほぼ最初に発表したからだ。 しかし、2017年にこのリメイク曲が持つ価値と意味は果たして何なのか、すぐに把握するのは容易ではない。


シウミン&マーク「Young&Free」
2017年7月7日

 

ランディ
久しぶりの正規アルバムカムバックと、NCTそして「雪だるまプロジェクト」などで目が回るほど忙しいEXOのシウミンとNCTのマーク二人が出会ったSMステーション企画。 90年代感を出すピアノを全体的に敷いて後半に行くほどフューチャーベースが入ってくる構成である。軽く聴けるのが長所であり短所だと言えるだろう。多少聴いた後、「Young&Free」するだけで、「Wild」の面がなく軽く仕上げられているのが少し寂しくもある。

 

シムデャン
SMステーションシーズン2はシーズン1よりプッシュが少ないが、着実に良いコンテンツを示している。 SMアーティスト同士のコラボでこんなにさわやかなトラックが出てきたことがうれしい。これまでグループに合わせて自分の色を中和させてきたアイドルグループのメンバーたちに個性を生かす機会を与えることも、SMステーションの企画の一部である。非日常を扱っている「Young&Free」は、のびのび澄んだシウミンとマークの組み合わせによって自然に笑顔にさせてくれる。年の差を感じさせず肩に力が入ってもいない。余裕のある軽く踏み出す足取りは、散歩よりも遠くに向かっていく旅を描くようだ。似ているイメージのふたりのアーティストが作ったシナジーと、コラボを提案したデビュー6年目シウミンのプロデューサー的感覚を確認することができる。

 

オヨ
「90年代的な雰囲気のレトロなピアノ演奏とモダンなフューチャーベースサウンド」と自信満々に導入したときから、一体どのような結果が出るのか疑問だった。レトロとフューチャーベースはいくら考えても上手く調和しなさそうであるし(フューチャーファンクならまだしもだが)当然のことながら中途半端なトラックになってしまった。特にサビの部分に至っては到底フューチャーベースとみなす事はできないレベルで数多くの電子音とボーカルなどが濁ってしまい、退屈なことこの上ない。

 

ヘムチョワ
曲自体よりメンバーの組み合わせの特別さが先に目をひくユニットである。何よりも二人のメンバーが持つ長所と個性が何なのかをよく表わしてくれる曲だ。歌唱力ではなく涼やかな音色が最大の魅力であるシウミンと、マークのよどみなく滑らかでかつフレッシュさがにじみ出る声のラップが調和し、「Young&Free」というタイトルのように軽くて涼しいイメージをよく伝えている。 SMステーションの存在意義というのは、曲を発表する量よりも今回のように普段のグループ活動だけでは触れることができない意外性や新鮮さを伝える事が最も大きくないだろうか。


REDVELVET「The Red Summer」
2017年7月9日

 

ランディ
「Red Flavor」は今年の夏に出たトラックの中でも最も重いインパクトで夏と真っ向勝負している曲だ。 コードを移すことがほとんどないAメジャーの曲で、サビで始まる最初の6小節までAベースだけのリズムで通し、7番目の小節で初めて登場するコードワークがF#m-E-D-Aという超シンプルな進行だ。 このような粗々しさが声を握りしめるようなREDVELVETのボーカル処理、そしてコード変化の直前に登場しはじめるハーモニーと交わって破壊力を持つ。 しかし、以前までのREDVELVETの夏とは清涼さの中にも若干の奇怪さを混ぜて冷ややかな魅力を披露する面があったことを記憶しているために、このような露骨なサマーソングはREDVELVETらしくないと思うファンたちもいそうだ。SMのA&Rは、この歌がREDVELVETの代表曲になっても本当に大丈夫なのか? いい曲だが、結構重大な方向転換のようで本音が気になる。

 

微妙(今回の推薦作)
かわいくて突拍子もなく、さわやかで騒々しく騒ぎながら、顎の下で手をひらひらとさせるような外見だが、じっと聞いているととても扇動的でカリスマのある曲が「Red Flavor」だ。 RV特有のコマーシャルソングな雰囲気の中で、「私が一番好きなのは」と宣言する瞬間はほとんど威風堂々としなければならないほどだ。 前作の片隅で胸がきゅんとするような感性を描いたエレクトロ・ポップの基調は、ダンスミュージック伝統のクリシェをぐいぐい集めてくる「You Better Know」を通じて今回は2番目のトラックでより華やかで自信あふれる様子で表されている。低い声と空間感覚の大きなハーモニーが、余裕はあるがキュルキュルと廻っていくフィルムのようにスピーディーな「夏の光」も印象的だ。 このようなトラックが意味するところは、「The Red Summer」がただかわいくて生き生きとしたガールズグループREDVELVETのサマースペシャルアルバムである事にとどまらず、「少女的」な外観の中でより堂々として強烈なパフォーマーとしての成熟を図っているということだ。

 

シムデャン
SNSで「REDVELVETにだまされて夏を好きになってはいけない」という笑い話が出るほど、「The Red Summer」は夏の浪漫的かつ光る部分だけを選別して留めておいた、魅力的なアルバムだ。 しかし、これはREDVELVETの夏なのだろうか? それともSMが描きたい夏なのか?確信できない。 確実なのは多彩なリズムに輝くSMの包装紙の中でREDVELVETが頭角を表しているという事実だ。 必聴トラックは「Zoo」と「海が聞こえて」だ。 前者は果物の味のREDVELVETではなく熱帯雨林の中の彼女たちを発見することができる。 不慣れな空間の中で会った愛を原初的な感覚で表現している。「海が聞こえて」は暑い風が過ぎ去った夜の海を歩きながら、ゆらゆらと足を濡らす波のように揺れる感情を歌う語り手が見える。REDVELVETが聞かせる静かなロマンスが好きならお勧めだ。ガールズグループが見せられる最も鮮やかで美しい夏の一切れ。このアルバムと一緒になら、暑い夏に耐えることができそうだ。

 

オヨ
「Red Flavor」は「もはや夏といえばREDVELVETだ」と宣言するような、非常に意欲溢れるトラックだ。 確実なリズムを柱にベースをブーストして最後まで爽やかに伸びていく。 アルバムの収録曲も遵守しているが、確実に「Red Flavor」ほどの疾走感とスリルはプレゼンしていない。(ひょっとするとこれが収録曲の美徳かも知れないが)

 

ヘムチュワ(今回の推薦作)
「Red Flavor」はティーザーの時から現れたヴィヴィッドな色感と熱帯風のイメージからデビュー曲「Happiness」を連想させたかったのだろうが、曲の雰囲気も同様に従来の活動曲の中でこれと最も類似した印象を与える。 休む間もなくよく弾みながら繰り返される伴奏の上にファンファーレのように響く五人のハーモニーは、メドレーソングのように曲の余白を切断せずに詰め込み、後半部に涼しげに伸びていくウェンディの高音は単なる技術としての歌唱力だけでなく、スラスラと書いて下がっていく歌の上に申し分なく適切に割り振られていく感嘆符のようだ。 少女時代の「Party」やf(x)の「Hot Summer」に続くSMガールズグループの夏のシーズンソングリストに入れるのに遜色はないし、今後REDVELVETが新興の夏音源の強者に位置づけられることもあり得るという期待さえ抱くように作られた曲だ。

 

2017.07.11~07.20


ZICO「Television」
2017年7月12日

 

シムデャン
自意識が強くきらきらと光っている。 アーティストが自分だけの世界を見せてくれる時、しばしばリスナーを疎外することがあるが、ZICOの音楽はリスナーが考える隙を与えず、自分の世界をまっしぐらに収めている。 彼の特徴といえば、他人に向かう棘を自分に向かって回すかのように見せる強度の高い自我省察だ。 溌剌とした「Artist」よりは、彼の自我がそのまま現われている「天才」と「ANTI」の方がもっと濃く残るのはなぜだろうか?自分の才能が長く続かないのではないかと不安そうな姿が、悪童のように見える彼の本当の姿なのかを見たかったのだ。内面の不安さえも音楽で流麗に磨く彼の多様な顔を見たい。 自分の話をする20代、その中でこのように率直な語り手は稀な存在だからだ。

 


EXO「The War」
2017年7月18日

 

キムユンハ
恐ろしいアルバム販売量に包まれているが、事実EXOはまるで毎月スローガンを変えるかのように毎年音楽的方向性を変えてきた。 2015年「Call Me Baby」「Love Me Right」ではグルーヴィなファンキーナンバーを、2016年には「Monster」と「Lotto」で変形のネオ−SMPを披露した彼らは2017年「Ko Ko Bop」を選択した。 レゲエサウンドをチルアウト風にきれいにブランディングした歌は、これまで比較的安全な道を歩んできたグループの歴史を考慮すればかなり思い切った行動のように見える。 ややもすればつまづきかねない状況で、Underdogs・LDN Noise・Kenzieなど見慣れた名前といつのまにか活動5年目に入ったメンバーたちの熟練度がバランスを保つ。 タイトル曲を除けば多少慣れた収録曲の面々で、長期間業界のトップを享受している彼らの余裕が自然ににじみ出ている。 「The War」いう好戦的なタイトルをつけた理由が疑わしいほどだ。

 

ランディ
EXOが久しぶりにまとめた正規アルバムのタイトル曲「Ko Ko Bop」は熾烈な夏ダンスチャートにおいて、驚いたことに少しも急ぐことはないというように、リズムからしてハウスでもダンスホールでもなく本当にそのままレゲエをベースにしている。こんなにchillingしている歌は予想できなかったので1回驚いて、そんな歌ですらチャートの頂上に乗せてしまうグループとファンダムの効力にもう一回驚く。 中堅グループとして熾烈な雰囲気は後輩たちに譲って、余裕で満たすという企画はでないかと推測する。 全体的に溢れないながらも蒸し暑く、昨年から続いてきた夏の音楽トレンドをよく反映したアルバムだ。 タイトル曲よりは少し涼しくて爽やかな歌を聞きたい人は「What U do?」を聞いてみよう。

 

微妙(今回の推薦作)
SMが夏のシーズンを迎え、しきりに非正規作品のふりをしながら真剣にリリースしている。 ゆったりしているようだがかなり気合が入ったアルバムで、特にEXOのアイデンティティに対する悩みがうかがえる。 アルバム全体を貫いている夢想的な空間感と非現実的な種類の暗く重いビート、そしてボーカルの歌声に華やかな光沢を出す手法は組み合わせるとEXOのシグネチャーといってよいだろう。それはEXOが今掲げられる強力なカードである「イケてる感じ」を作り出す公式でもある。 また、企画方式やグループのギミック、ファンの傾向とも緊密につながったもので、めったな事で変えるのも難しい性質のものだ。 刺激的なサウンドや見慣れない選択で力を推し進める「Ko Ko Bop」のほかにも、「Love Me Right」などで見せた明るい華やかささえも今回のアルバムの公式に駆使できるという証明のような「What U do?」、刺激的なサウンドとドラマチックな展開の「Chill」と「Going Crazy」などが重厚な足どりに感じられる。

 

シムデャン(今回の推薦作)
トラック構成がきれいにうまく抜けている遵守したアルバムだ。 EXOだけのカラーが明確に感じられるアルバムであるため、単一の音源を聞くよりはアルバム全曲を聞くことをお勧めする。 今回のアルバムではEXOの潜在能力を考察することができる。 チェンとベクヒョン、チャニョルが作詞に直接参加し、「EXOが解釈するEXO」というカラーが追加された。 メンバーたちのスキルも全体的に向上して彼らが解釈できる感情の深さがさらに深まった。 今回に目立つボーカルはチャニョルとカイだ。チャニョルのハスキーな声は、正確になった発音と自然な呼吸でメッセージをはっきり伝える。 「Forever」や彼が作詞とラップメイキングに参加した「Chill」などで曲に自然に溶け込んでしまう彼のボーカルを探すことができるだろう。 カイはグループのカラーを最もよく見せてくれているセンターだが、ラップとボーカルを消化できるメンバーでもある。 「Touch It」でムードを主導する彼のボーカルを聞いてみると、ソロとしての可能性を占ってみることもできるだろう。 まだ見いだせる事が多い5年目のグループだ。 今EXOが証明しているのは、健在力よりは彼ら自身の力量であろう。

 


K.A.R.D「Hola Hola」
2017年7月19日

 

キムユンハ(今回の推薦作)
リメイク曲を含めた計6曲の収録曲のうち、3曲が既発表曲だ。 常識的に考えると聞く前からすでに少し飽きているのではないかと思うが、それは間違っている。KARDの熱帯ドラッグパーティーはたとえそれがすでに慣れたラインナップだとしても、私たちを決して失望させない。「Oh NaNa」以降「Hola Hola」に至るまで少しずつ下落している底力が残念だが、すべての曲を集めて聞く楽しさだけでもこのアルバムの価値は十分だ。 頭上に果てしない疑問符を浮かべるように作ったリメイク曲「私は止まらない」の目新しさと、90年代的な浮かれた雰囲気の定型を代入した最後の曲「Living Good」まで適度にスキャンダラスで、2017年のひと夏のアバンチュール的な1枚として遜色がない。

 

ランディ
KPOPのダークホースKARDがついに正式デビューを成し遂げた。 南米でとくに熱い反応を得たグループであるだけに、正式デビュー曲である「Hola Hola」では南米を意識したタイトルと歌詞であることが明らかになっている。 曲を重ねて発売するほど、メロディーに更にインターナショナルなトロピカル・トレンドを取り入れており洗練された感じもあるが、デビュー曲だった「Oh NaNa」のメロディーを記憶する立場としてはやや残念だ。「Oh NaNa」があまりにも、メロディーには韓国の歌謡曲的な通俗性が生きていながらも、夏の雰囲気のシンセサイザーとハウスビートを適度に取り入れた素敵な曲だったからだ。

 

ヘムチュワ
興味深い3曲のプレデビュー過程と正式デビュー前に北南米をはじめとする海外ツアーという前代未聞のキャリアを経て、ついにミニアルバムを発売したKARDの「Hola Hola」。「Oh Nana」や「Don't Recall」で見せてくれた冷たくて敏感なイメージを少し取り出し、真夏に似合うサウンドに軽くて楽しい雰囲気を倍増させてより容易に大衆にアピールできるイメージの正式デビュー曲だ。 その昔DSPの大先輩格グループだったZAMの「私は止まらない」がリメイクされて運ばれているが、とても現代的に再解釈しようとして残りの原曲が持っていたエッセンスを揮発させてしまったという残念な結果の印象をぬぐえない。 最後のトラック「Living Good」はデビューの喜びとこれまでの感想を描いたような曲だが、やや私的な歌詞であるにもかかわらず曲のクオリティは通常の曲に劣らずしっかりしているので、KARDに関心があるなら聴いてみて欲しい。

 


AKMU「Summer Episode」
2017年7月20日

 

シムデャン
頭の中だけで考えていたような些細な話を魅力的な音楽で聞かせる楽(悪)童ミュージシャンが、2つの視線を持ってカムバックした。 「My Darling」が我々の知っていた楽童ミュージシャンだとしたら、「Dinosaur」はタイトルのように想像できなかった楽童ミュージシャンである。 幼いときの夢の中で恐竜を見たあの時の衝撃は、楽童ミュージシャンが従来持っていたアコースティックさと日常の中で見出した才気溌剌とした歌詞、暖かいボーカルトーンと透明なEDMサウンドとの出会いで連結されて、新鮮さを醸し出している。 「思春期」以降の楽童ミュージシャンは「歌詞はあっさりと、音楽はスペシャルに」見せようとしている。 彼らの鋭敏な感覚が新たなジャンルに出会った時、どのような新たな足し算の答えが出てくるのか楽しみだ。

 

ヘムチュワ
「Dinosaur」は幼年時代のある種の事件に対する記憶を基にした、あるトラウマを恐竜に喩えたような歌詞が印象的な歌だ。 誰でも経験したことのある、幼い時代の自分だけの暗い経験に対する隠喩と見てもいいが、楽童ミュージシャンはこのシンプルな歌1曲でその記憶を振り返るように作っている。レビューを行う立場では無責任な言葉かもしれないが、楽童ミュージシャンの歌を聴いているといつも「どうでもいいや」という気持ちになる。長所も短所をあえて指摘したくなくなるように、聴く人を怠けさせるようにする力があるというか。 楽童ミュージシャンの歌詞の中の世界が「成長しない」という批判をする人もいるが、彼らの音楽世界は幼年あるいは思春期にとどまっているというよりは、その時代の大切な感情を忘れないように必死に記録しておく過程なのかもしれない。

 


SNUPER「流星」
2017年7月20日

 

 微妙(聴き逃せないアルバム)
前作「Back:Hug」のパロディー〜トロピカルのリパッケージから進化したと言うべきだろうか。 ジャンルで非常によく耳につく音数曲分を一ヵ所に集めて注いだ感じだ。きれいだが平凡なpluck(つかみ)を中心に、それぞれ少しずつ異なる位置で高音域が刺す音たちが塊を成す。 その質感が非常にフェティッシュな煌めくあかりを作り出して、夢想的な空間を素敵に繰り広げる。 緊張の構造は地道に確実に踏んでいき、リフレインとポストコーラスはきれいに疾走している。 この辺で何か付け加えたくなりそうなものだが、ボーカルをオクターブで無駄なく積み上げていくあたりもセンスがある。 このくらいなら適当に長くして出すことが多いのに、情け容赦なく短く簡潔に切って出してしまうSweetune特有のメロディ感覚は、Sweetune最高のメロディーと言うわけではないがきれいで愛着がわくし、同時に意外にあっさりと耳に絡みつく。 負担にならず、優雅ながらも歌謡曲の魅力も逃していない立派なポップソングだ。

 


2017.07.21~07.31

 

イム・ヒョンシク「Piece of BTOB Vol.4 Swimming」
2017年7月24日

 

ランディ(聴き逃せないアルバム)
メンバーの楽器演奏やジャムセッションの映像がよくバイラルに乗っているのを見ると、BTOBは確かにいわゆる「音楽性の良いグループ」としてsellingしていると言うことができるが、グループ活動としてシングルカットする曲では彼らの趣向が何なのか、どんな世界を表現しようとしているのかは全くわからなかった。 各メンバーが連続的にソロシングルを出すこのプロジェクトで、「そうか、BTOBの中にこのような音楽があったのか」というような事を初めて推し量ることができる。 これは事務所が、あまりにも長い時間彼らの能力値と表現力をしまいこんでいたのではないかと疑わしい部分でもあって、このように会えて嬉しいことでもある。 2000年代の韓国歌謡界でモダンロックという名でたくさん聞くことのできたサウンドを、更に使うことのできる技巧を思い切って削除して断定的に描いた。 作詞、作曲だけでなく編曲とカバーアートにも参加したというのを見ると、イムヒョンシク本人も今回の機会に真心をたくさん入れたかったようだ。

 

チョソンミン(聴き逃せないアルバム)
おそらく、イムヒョンシクが聞いて育った90年代末~2000年代初めのインディーズ・ロックバンドのサウンドが影響しているようだ。 古風なサウンドに比べてイムヒョンシクのボーカルが非常に洗練されているが、似合わないようでいてよく合っていて、ややもすればあまりにもマイナーに聞こえる可能性もあった曲のジャンルを「KPOP」の中にドラッグ&ドロップする役割までしている。 意外な才能の発見。


NU'EST W「If You」
2017年7月25日

 

微妙
NU'ESTは何と言っても音楽はいつも良かったし、それもかなり力が入っている方だった。 一種の番外作なわけだが、力はかなり減らしたシングルだ。 生活感のあるナチュラル系統のサウンドと地道なビートは特に、最近のタイトル曲を思えば全くゆっくり聞こえる。 (もちろんいろんな文脈で切実に聞こえてくる歌詞の内容はまた別だ)だからと言ってNU'ESTのディスコグラフィーを害するほど「腑抜けた」トラックではない。 歌声を多く活用するメロディーラインと少々重いラップがペアを遂げたことで、セクションとセクションに対照感を付与して耳元を刺激する質感のディテールがただソフトなばかりではない雰囲気を造成する。 伝えたい話を中心に構成されたような、若干ミュージカルのように感じられる時間感覚も退屈を減らしている。 「プロデュース101」と相まって前作が見直されたりもした時点で、「見ろ、NU'ESTはこのようなことをするグループだ!!」というような恐ろしいトラックを流して欲しい気持ちもなくはないが、少しは息を整えていくことも悪くはないようだ。

 


DREAMCATCHER「Prequel」
2017年7月27日

 

チョソンミン(今回の推薦作)
彼女たちをあだ名で「へジャチング」(ブラックGFRIEND)と呼ぶという言葉を聞いた事を後になって度々思い出してしまう。JPOPアイドルのメタル音楽に極東地域の感性を刺激するマイナーコードのメロディー、そして少女性を存分に浮き彫りにした演出は確かにGFRIENDと共有するものであるが、ここにホラー映画のフィルターを装着すれば、まさにDREAMCATCHERになる。 明らかに目新しくはないのに、とても新鮮なこの組み合わせをさらにアルバム単位、ディスコグラフィー単位で粘り強く押していく。 一度や二度のイシューメイキングではなく、グループの色で固めていく過程は確かに注目される必要がある。 少女が愛されることを望むという、確かにエンタメの定型だがなんとなく受けたくなかった命題を「少女は愛されることを望んだ」に変えて新鮮なストーリーにし、ただジャンルのビートだけでメジャーなスタイルに反論した。明らかに興味深い点があるグループだ。もっと注されるべきだろう。

 


MXM(BrandNew Boys)「Good Day」
2017年7月27日

 

微妙
伸びやかで優しい質感が打撃感の良いビートと結合してさわやかな雰囲気を醸成するのはメリットだろう。ヒップホップシーンにおいて「大衆的なアプローチ」をするときの表現に近いしなやかさを作品の中心に置いて適当な引用句を持って入って来て、支離滅裂な曲になる準備を整えているが、微妙な限り点の差で罠をすり抜けて行く。古典的に聞こえてくる程度のヴァース〜コーラス構造を固持しながらもKPOP的なドラマチックさよりは気楽に流れ行く雰囲気を選択したが、一見(アイドルとして)新鮮なアプローチのように感じられたりして、その一方で「そこまでする理由があるのだろうか」という疑問が残ったりもする。エンジンをかけている段階であり「強烈な刺激」を与えるというよりは設定集を広げているような印象に近いのに、興味深く見守るしかないようだ。

 

チョソンミン(聴き逃せないアルバム)
BrandNewMusicというレーベルに対する期待を裏切らないシングル。SEVENTEEN・INFINITE H・MONSTA X・イェジ(FIESTAR)など様々なアイドルと協業してきたノウハウが集約されているという印象を与える。 練習生から脱したばかりのまだ下手なメンバーたちをよく作られた曲がとても立派にカバーしているが、不足な部分を隠すことばかりに汲々とした演出というよりは、不足な部分が赤裸々にさらされないように気を使ってスタイリングしてくれたという感じだ。「プロデュース101」初回から今まで見せてくれたBrandNewMusicの賢さに注目するようになる。

 


JJプロジェクト「Verse 2」
2017年7月31日

 

微妙(今回の推薦作)
思ったより淡々として上品なアルバムというのが第一印象だ。 荒々しく少々変則的で華やかだった、2012年の最初のシングルとは全く異なる色彩だ。 時には悲哀を、時には希望を語るミニ・アルバムはR&Bの話法だが、少なからぬプレイングタイムにモダンロックの香とヒップホップのビート感を加味しつつ、思索的でありながら堂々とした空気の中で独特なメランコリーを形成する。 アンドリューチェ、Def soul、Royal Diveが一緒に作業した「Icarus」と「Find You」は叙情の中に強固になった自分を維持してわりとスケールを大きく作り出す方法論が、多分このEPの表情を代弁しているのだろう。この中で最も「JYPっぽい」タイトル曲「明日、今日」のメロディーがむずむずするようで親しみやすく近づいてきて、最も弱い感性的な「Do not Wanna Know」も滑らかで叙情的に仕上げている。あたたかく力のある2人のメンバーのボーカルも魅力的に適時適所で明確に姿を現す。 「大人っぽいKPOP」の例を探すとしたら非常に高い順番に挙げられる、ジャンルのミクスチュアを洗練させて出した豊かで優雅なポップスだ。

 


ヨングク&シヒョン「the.the.the」
2017年7月31日

 

ヘムチュワ(聴き逃せないアルバム)
国内ではあまり見かけない「病弱/無気力美少年」イメージの2人のメンバーのグループソングも、そのようなキャラクターにふさわしくよく作られたという印象を与えるが、感情が高まってビートがある程度速くなり、曲が絶頂に向かう瞬間再び力を抜いて絶妙に恋の駆け引きをする構造が新鮮に感じられる。 全体的に暗くてクールなトーンで演出されたミュージックビデオと、常に体を動かしながらも静的に見えるように組まれた振りつけまで、皆がEnergeticに走る時はちょっと脱力したコンセプトも目を引く戦略の一つなんだと、改めて考えさせる企画だ。

 

《おまけ》
http://idology.kr/8938

 

iKON「NEW KIDS:BEGIN」
2017年5月22日

 

ランディ
「Bling Bling」とともにシングルカットされた「B-Day」は同じshow off swagでもこちらの歌の方がはるかに愉快だ。 「蜂の群れ(ボルテ)」と「birthday」の言葉遊びが継続して交差する中、「Bling Bling」のように女性をトロフィー程度に扱う部分もなく、終始楽しい雰囲気だ。 マイナー曲の合間にわざと入れたメジャーコードが冒険家的な雰囲気を漂わせ、サビのリズムで狂ったように進んでいく時は本当に楽しくなる。 「Bling Bling」の第一印象は「光のWINNER・闇のiKON」のようなコンセプトを意識したのかなと思ったが、「B-Day」を聞くとそのような区分は敢えて必要ないだろうという気がする。

 

オヨ
「Bling Bling」と「B–Day」を並べて見れば、きっちり「B–Day」の方がましだ。 「Bling Bling」は陳腐な自己誇示がすべての通俗的なヒップホップトラックに過ぎない反面、「B–Day」は少なくともそれよりはもっと多彩な音を追求しているという点でそうだと言える。ビートは平凡な方であるし、「さあ、ここから落ちていくぞ」と叫ぶようなビルドアップもないが、ハーモニーと声を築いて十分な上昇感を確保している。


ヘムチュワ
SMエンターテインメントにSMPがあるようにYGに「YGP」があるとしたら、iKONは現在、YGPの直系の継承者である。「RHYTHM TA」から「Bling Bling」と「B-Day」までiKONのメインテーマは「偉そうな(swag)自分」と「よく遊んでいる自分」の二つに集約されているとしても過言ではないだろう。 繰り返されるテーマに「若さのエネルギーを表現する方法がこれしかないのかなあ」というような残念な気持ちもあったが、気にせずに突き進んだ一貫性に、いつの間に納得できるようになる力がある。 何よりも歌が陽気という点がiKONの最も大きな武器だ。楽しさというのはJINUSEAN、1TYMを過ぎ、BIGBANGを経て続いてきたYGPの核心キーワードだ。 両曲だけでは空白期の間に起こったこれらの渇きをすべて満たすのにほんの少し足りないということが残念なばかりだ。

 

SEVENTEEN「Al1」
2017年5月22日

 

ランディ
活動曲ではいつも告白ソングを歌っていたSEVENTEENが初めて別れの歌をシングルカットした。 礼儀とウィットのきいた振り付けの構成が「最近のEDMスタイル」の曲に洗練されたようのよく移植されていた。 以前は動線を才気煥発に織りなすのが目立つ要素だったとするなら、今回の曲のステージはメンバーごとに各自の空間を置いて一定の間隔で踊るのが、大人数でありながら欠点なく一糸乱れず独特の美感をプレゼンする。 一つ致命的な問題は、この「最近のEDM」スタイルということを意識しすぎて、同時代に存在する人気のEDMソングと過度に似た印象を与えるということだ。 トレーシングと同じような部分はないが、よりによってこのような拡張する感じのビートによりによってこのようなメロディーをのせて(本意なのかどうかはさておき)似たような効果を得ている曲になってしまったのか、この点がかなり気になる。 よい振り付けパフォーマンスが添えられて「プラスアルファ」になったので、見過ごさなければならない問題なのかな?


微妙
昨年末からSEVENTEENを眺める温度差の核心は、「爽やかさ」よりは「型破りな感じ」にあるようだ。「ADORE U」や「MANSAE」は爽やかさが目立ったりもしつつまた型破るな曲だったが、その破格の方向が変わり、生じる感覚の違いがあるようだ。 今のSEVENTEENはより伝統的な歌謡の美学に混種を加えて新たなものにチェンジして出すいわゆる「異種歌謡」を追求する過程にあると考える。 それが比較的長い将来を眺めた時の道でもあろうが、同時に衰退した感じを与えないことは決して容易なタスクではないはずだ。 そのような意味で、収録曲の「態度」の目が行く。 「If I」は(いくつかのソースがちょっとショボく聞こえたのが残念ですが)ミュートギターとパッドなどがいっぱいに暗く重さを握っている中、流麗なR&Bが流れるのが魅力的だ。 ディープハウスで大人びたグルーヴを抽出する「Swimming Fool」、気品が目立つ「Habit」も注目に値する。


パクヒア
タイトル曲「泣きたくない」はウジがこれからもずっと注目に値するソングメーカーであるということを宣言するような曲だ。 導入から最後まで全般的に抑えたメロディと流れを構成して、単純なリフレイン「泣きたくない」に全力を吹き込んだ。 むやみに特定のパートや特定のメンバーのサウンドを育てて殺すような流れを構想してできることではない。 パフォーマンスとファンドムまでを考慮するアイドル音楽でこれが可能にするためには、メンバーたちの特徴を詳しく分析してそれをどのようにして一曲に盛り込むか、細やかに分析しなければならない。 ウジはそこに確かに多くの力を注いでいるだろう。 ただ、リフレインの一行に向けてあまりにも多くの部分で気力を削ぎ落としたという印象もある。 同じ文脈で言えば、複雑だった音楽の構造が単純になってメンバーひとりひとりに対する注目度は相対的に落ちる。 おかげで統一感は完璧に伝達されるというメリットはある。 多分アルバムのタイトル「Al1」の本当のメッセージもここにあるのだろう。


オヨ
ウジは良いソングライターだということを「泣きたくない」を聞いてふたたび確信するようになった。「泣きたくない」という歌詞だけが繰り返されるリフレインがややもすると単調に聞こえることもあり、クライマックス部分に予想を破ってラップを配置したセンスで「やはり普通ではない」という気がした。 惜しいのは声を後押しする音たちがやや陳腐という点だ。 さらに果敢に楽器音を使えたらどうだったろうかと、悔しさが非常に大きく残る。


ヘムチュワ
「泣きたくない」は「ADORE U」や「イェップダ」と同じような歌を歌っていたSEVENTEENに慣れた人々にとっては不慣れに感じられる歌で、タイトル曲では初めて別れを描いた歌詞から変化の試みが感じられる。 収録曲全般でも以前よりは落ち着いて沈んだようなイメージが共通でありながら、曲ごとに個性がはっきりしている。 ただし、以前のアルバムと比較すると、新しい試みをする過程でアルバムを一つにまとめることできる求心点がやや薄れた印象もある。 大衆が見慣れたSEVENTEEN、ファンが好きなSEVENTEEN、そして自分たちが望むSEVENTEENのイメージの間で方向性に対する悩みが感じられる、一旦跳躍に向けて模索する過渡期的アルバムかもしれない。

 

 

【ize訳】WANNA ONEの新曲について語る

【ize訳】WANNA ONEの新曲について語る

 

2017.11.20
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017111923077290439&pDepth1=i2301


ボーイズグループWANNA ONEは、何の歌を歌っても各種のチャート1位になる事が当然だった。 そして同アルバムの「1-1=0(NOTHING WITHOUT YOU)」は予想通りの成功を収めた。 誰もが成功を予測できる状況でWANNA ONEの製作会社であるCJ E&Mミュージックは何を出して、どのような反応を期待したのだろう。 同アルバムのタイトル曲「Beautiful」を中心にWANNA ONEの音楽やダンス、衣装、映像などをそれぞれ異なる視線で見つめてみた。


WANNA ONE「Beautiful」のMovieバージョンのミュージックビデオ再生のボタンを押した後、たったの1秒も笑いを我慢できなかった。 中盤で誰かのボクシングコーチと推定される人物が「一体何をしている奴らなんだ!」とカッとする場面が出た時はほぼ失神するところだった。 本当に見ている間、一体何をしている奴なのか分からなかったからだ。 しかし、このビデオが行う機能は非常に明瞭だ。 メンバー間の分量の格差がかなりある理由が知りたいが、とにかくカンダニエルがボクシングをしバイクに乗って、オンソンウが柔道をして、ファンミンヒョンが警察の制服を着ている。 国民プロデューサーの選択で結成されたアイドルグループなので、プロデューサーたちの要請が高かったシーンを先に構想して残りを埋めたんじゃないかと思われるほどファンサービスに忠実だ。前述のシーンを通して語る物語は多分、どんなことでもかまわなかったのだ。 しかし、このプロモーションビデオが選択したのは、IMF(訳注:通貨危機)の時期に悲劇的に別れた兄弟がまた再会し、9人の他の孤児院時代の友人と家族になるというストーリーだ。 11人のWANNA ONEメンバー達が空の下、お互いだけを頼るしかないという強力な設定であることは間違いないが、必ずそうしなきゃいけないものなのかはよく分からない。 映像は全体的に90年代を献呈する一種の時代劇のように見える。 青年の登場人物たちの間で引き続き繰り返される不安と悲劇、バッカスの青春キャンペーンや映画「ビート」を連想させる、「善良だが、外部の環境によってさまよい互いに頼りあう兄弟たちの姿」はほとんどウォンカーウァイの初期作で見られるような技法で撮影された。 そのためか、平均年齢21歳のアイドルグループが2017年に発表したMVとしては少し古くさいように感じたりもする。 隠喩的なイメージが繰り返される現在のK-POPミュージックビデオの間での差別化をはかるのが意図だとしたら、目立つことは目立つが新しく新鮮には感じない。 制作会社側でこのプロモーションビデオのリリース時に一緒に掲載したコピーは「ひとつになる前の、僕たちの物語」だ。ひとつになる前までの結成過程が全国民のドラマだったトップアイドルWANNA ONEの2番目のアルバムにここまで過剰なストーリーが必要だった理由が何だったのかは、永遠に気になりそうだ。
ボクギル(コラムニスト)


WANNA ONEの「Beautiful」ミュージックビデオ(Movie ver.)は意図的に90年代の大学生・高校生スタイルを召喚している。 大学生スタイルを務めたオンソンウは、家でひとりで勉強をしても工事現場で労働をしてもシャツのボタンを首元まできっちりと閉めている。高校生スタイルはカンダニエル、パクジフン、ユンジソンが分担していたが、どういう理由だろうか、90年代のティーンファッションの核心だった床をすべて掃いてしまう勢いのヒップホップ・パンツは着ない。代わりにデニムジャケット・パンツ、ストライプ・Tシャツ、フードジップアップを活用して1997年に公開した映画「ビート」のチョンウソンファッションをほぼそのまま模写している。 オンソンウが整って清純な「教会のお兄さん」イメージを、カンダニエルなどが適度に反抗的な高校生のイメージを構築したのだろう。 WANNA ONEはこのようにして20〜30代、広くは40代の女性達に向かって強力な信号を送っている。青春の雰囲気、90年代のレトロ的な感性は表に出して、最大のファン層が負担に思う程の攻撃的なイメージはクリアしたという信号だ。 カンダニエル・パクジフン・オンソンウ・ファンミンヒョンを通じて、運動服と制服を着た男性に対する長年のファンタジーにまで触れながら。 かの有名なカンダニエルの「肩」を絶えず強調しつつ。「Beautiful」のスタイルコンセプトはしかし、コンテンツ供給者が消費者のレベルを飛び飛びに見た時に生じる不祥事とは何かを明確に示している。 まずこういう風な粗雑なストーリーテリングに感情移入するには20〜40代の女性消費者たちの目線が高すぎる。話の流れと関係なくタイムスリップするかのように右往左往する衣装配置のずさんさ、90年代のスタイルの中で最近の若者が着てもぎこちないことないアイテムを選んでいる安易さも彼らのファッション的感性を充足させるには不足している。WANNA ONEだから我慢してもらえるであろう清純な大学生のイメージも、バイクに乗って疾走する高校生のイメージもあまりにもあからさまだ。その時その時代を完璧に再現するか、そうでなければIUの「夜の手紙」のように、時代的背景が不明なスタイリングで昔の感性だけを少し借りるかだ。どちらも生かせなかった全体的な難局は、YouTube世代が望む感性爆撃に失敗するしかない。 まともな復古ファンタジーだったら歓呼してくれるファンがあふれただろうにという言葉に尽きる。
キムソンジュ(ライフスタイリスト)

 

「Beautiful」は「プロデュース101 2」の大きな成功、そして「Energetic 」や「Burn It Up」から完全に方向転換したように見える。 「勢い」そのものをコンセプトにしていた頃のWANNA ONE活動とは違う。 2000年代初頭風のミディアム・テンポ・バラードとレトロ風のスタイリング、「孤児院出身の少年たち」と「幼い時に別れて、また会った兄弟」のように陳腐な素材だけを集めて作ったドラマ仕立てのミュージックビデオのように、やや高い年齢層の大衆にも幅広く受け入れられるような要素を緩く合わせて出しただけだ。 「1-1=0」というアルバムのタイトル、「不完全な君と僕 美しいぼくたち」というティーザー、イメージ中のキャッチフレーズなどは、チームの一体感とメンバー間の切なさを強調しようとしつつ、実は別れと懐かしさに関した平凡な歌にもっともらしい説明をかぶせた結果に近い。 彼らは盛んに勢いよく活動しており、ファンや他のメンバー達との別れも経験しておらず、I.O.Iが「夕立」を歌った時のように活動終了に至ったこともまだない。 WANNA ONEというグループの特性とストーリーを全く考慮しないようなこのコンセプトは置いておいて、メンバーひとりひとりの消化能力を考えてみた方が意味があるのか? あえて言うなら、コンセプトと曲の情緒はすべてのメンバーが一緒には活動していない今のNU'ESTの方がもっと似合うだろうし、まさにその点で今回のアルバムとよく合うメンバーを挙げるなら、ファンミンヒョンくらいだ。 つまり、WANNA ONEのアルバムなのにWANNA ONEはどこに行ったのだろうか?
ファンヒョジン(コラムニスト)

 

秋だから秋に似合うポップスバラード曲を作って、他のボーイズグループより購買力の高い30〜40代のファンが多いので彼らが熱狂した映画「ビート」とウォンカーウァイの1990年代の映画スタイルをその時代のチョソンモのミュージックビデオのように編集する。 また、曲のイントロと抑えはセンターであるカンダニエルが務め、ミュージックビデオで彼に分量を重点的に置いてデビューアルバムでの分量議論に答えた。 WANNA ONEの新曲「Beautiful」はそんな風に市場の様々な要求を反映している。あらゆる映画のために様々な観客層の要求を分析して反映するCJ E&Mの映画と似た格好だ。 商業性を満足させるための戦略としては適切な答えを出したと言うこともできる。 しかし、WANNA ONEのデビュー曲「Energetic」がMnet「プロデュース101シーズン2」を通じて巨大な反応を得ながら始まったグループの勢いをそのままグループのイメージとして具体化していた反面、「Beautiful」はこの曲がWANNA ONEの魅力の何を表現しようとしたのかも曖昧だ。 聞きやすく流れていく曲であるため、メンバーたちのボーカルが持っているカラーがよく表れているわけでももなく、ミディアムテンポの曲にボーイズグループとしての群舞を入れたいと試みるもパートの動作がうまくつながらず、メンバーたちは各自のパートで群舞の中から抜け出してひとりで歌うことを繰り返す。 1節の「I miss you…(後略)」部分で、メンバーたちが優雅ながらも躍動的な群舞をする瞬間は神話が「T.O.P」で活動していた時代を一瞬連想させるほど印象的だが、無難に流れて行くメロディーの中で振付がこのエネルギーを維持することはできない。 リフレイン(サビ)の振り付けは、ハプニングに近い盗作問題よりもなぜ曲の最も重要な部分で遅いステップを踏むだけがすべての動作が入ったのかという事が本当の問題だろう。 無難な代わりに幅広い人気を狙った結果として出てきた無難な曲に、まともな流れを持った振付をつけることは難しく、その分舞台の上でメンバーひとりひとりの個性も息を吹き返すのは難しい。WANNA ONEが「プロデュース101シーズン2」を通じて作られたメンバー個々人の魅力がアイデンティティに他ならないグループという点を考慮すると、「Beautiful」は商業性に必要な要素を全て満足させたが、メンバーのキャラクターが成長したり実力をアピールする機会を失った。 莫大なファンドムを持ったグループなので、どうやっても今は良く見えることができる。 しかし、ステージの上でメンバーのキャラクターと成長を表現できないグループならば、そのグループのアイデンティティはどこで見つけなければならないのか。 結局、メンバー個々人の人気で「ハード・キャリー」することだけがこのチームの残りの答えなのだろうか。 他の多くの人々もも考えそうな簡単に出た答えは、一度くらいは疑ってみる必要があるだろう。
カンミョンソク(マガジンize」編集長)

 

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原文では「保育院」となっていてこれは韓国での「孤児院」の改称なんですが、日本語だとちょっと紛らわしいのでそのままにしました。「養護施設」にも色々ありますし、このMVのレトロコンセプトには孤児院があっている気がしたので。

 

デビューアルバムでの分量議論=デビュー曲のMVでのカンダニエルが写っている分量が、「1位でセンターなのに少ない」とファンから抗議があったことだと思います。

 

バッカスの青春」というフレーズ、韓国では青春ものの例えによく出てくるのですが、以前読んだ塩野七生さんの本に出てきたロレンツォ・イル・マニーフィコの「バッカスの歌」のフレーズの事でしょうか。

「青春とは、なんと美しいものか とはいえ、みるまに過ぎ去ってしまう 愉しみたい者、さあ、すぐに たしかな明日は、ないのだから」
(訳は塩野七生「わが友マキアヴェッリ」より)

 日本でも昔はよく使われた言い回しのようですが、最近は一般的にはあまりきかないような。韓国の人は詩が好きみたいなので、そういう影響もあるのかな?

 

しかし「ひとつになる前の、僕たちの物語」って前作のSEVENTEENのコンセプトみたいな笑 こういう暗めの青春映画ものっぽいMVって普通3年目くらいにやりがちっぽいですが、寿命の決まってる生き急いでるグループと考えたらデビュー作のリパケ(よく考えたら2番目のアルバムでもない)で出すのも特におかしくはないんじゃないかなと思いました。

 

文中の「ステージの上でメンバーのキャラクターと成長を表現できないグループならば、そのグループのアイデンティティはどこで見つけなければならないのか。」っていうのは個人的に他のいろんなグループについてもたまに考える事なんですが、でもぶっちゃけそれがバチっとハマってなかったりあやふやでコロコロ変わっても人気のあるアイドルグループも結構いるから!アーティストじゃなくてアイドルだからね!という結論に達します。

【ize訳】「MIXNINE」ヤンヒョンソクが考える成功

【ize訳】「MIXNINE」ヤンヒョンソクが考える成功

 

2017.11.15
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017111423547234731

 

「なぜ僕の心に引っかかる人が1人もいないのかな?理由を言ってみてください」
YGエンターテインメントのヤンヒョンソク代表がJTBC「MIXNINE」で言った言葉だ。 自らが製作するグループのメンバーを選ぶこのプログラムで、彼はオーディション参加者らに対して具体的な評価をしない。 ある出演者の踊りを見て「肩を使っていない」と言った程度だ。 「(グループ名が)ボーナスベイビーだからボーナスにして(合格させて)おきます」と言って合格させたり、実力以前に他のオーディション番組の経歴があるという理由で不合格にさせたりもする。 それでも彼は参加者に対して自分の気に入らない理由を言ってみろという。 説明はないのに評価は酷評なので、議論は避けられないことだったのかもしれない。この4日「MIXNINE」における参加者たちに対する毒舌は論争になり、ヤンヒョンソク代表は、ある参加者と再び会って激励する写真をインスタグラムに載せた。 しかし、おそらく彼の審査方式は大きくは変わらないだろう。 先立って言及したインスタグラムの掲示物に彼は次のようなハッシュタグを上げた。 「#関心があってこそ毒舌も可能」「#審査は冷静に」

 

SBS「KPOP STAR」で審査員をした時、彼は今のような毒舌をしなかった。 20代後半になった参加者に対して「引退する年なのに何をしていたんですか」とか、参加者が活動していたグループが崩壊したからといって「とにかくめちゃくちゃだな」というような罵詈雑言はしなかった。 理由は分からない。 ただ、彼は「KPOP STAR」より「MIXNINE」の方がやらなければならないことが多い。 「KPOP STAR」は優勝者が審査員たちのいる会社のうちひとつを選択することを除けば、審査員が参加者をキャスティングしなくてもよい。 ほとんどは1人または2人が一緒に出演し、アルバムを製作することになってもYGエンターテインメントのような会社に大きな負担になることはない。 一方、「MIXNINE」終了後にはアイドルグループを製作しなければならない。 アイドルグループはメンバー数だけでなく、多くの会社の売上において最大の部分を占める。 当然、競争と投資が伴う。 さらに、YGエンターテインメントからここ数年デビューさせたiKON・WINNER・BLACKPINKはBIGBANGや2NE1と同じ席に上っているとは言い難い。 「KPOP STAR」は放映期間中の視聴率が重要な芸能番組だったとしたら、「MIXNINE」はプログラムよりもグループを成功させることがより重要なオーディションを芸能プログラムとして作ったものに近い。

 

実際のオーディションで毒舌を飛ばす必要はない。 しかし、ヤンヒョンソク代表は先月まで20年以上「デビューの達人」だった。 初めて製作したグループだったキープシックスを除けば、デビュー当時から大きな注目を受けた。 WINNER・iKON・BLACKPINKもデビュー当時音源チャート1位を記録した。 「#関心があってこそ毒舌も可能」と「#審査は冷静に」は彼が自分の成功を可能にした基準の一つだろう。 会社の未来がかかった事業の開始点で、彼は自分の成功をもたらした方法を変えるつもりはなさそうだ。 「MIXNINE」でのヤンヒョンソク代表の毒舌は、どうして編集しないのか不思議に思ったほど深刻なレベルのものまで出たし、その結果視聴者たちの批判を受けた。 しかし、その時のヤンヒョンソク代表は毒舌を吐いた出演者を合格させたりする。 「#関心があってこそ毒舌も可能」と「#審査は冷静に」は「MIXNINE」の隠れたルールでもある。 ヤンヒョンソク代表は自分だけが知っている基準を押し付けて必要な参加者を選び出し、「MIXNINE」はそれが結局は良い結果に向けた選択だったことを証明しようとしている。 「MIXNINE」のハンドンチョルPDはやはり自分が演出したMnet「プロデュース101」でいわゆる「オグロ(釣り)」を切った後、参加者たちが結局これを克服したり認知度を得る結果になり、この編集が必要悪だったのだという説得をしたりした。

 

しかし、「プロデュース101」の「オグロ」は参加者のキャラクターや参加者たちの人間関係に関するものだった。 一方、「MIXNINE」の議論は視聴者投票前までのすべての権限を握った審査員であり、番組制作者から出ている。 すなわち制作するチームのためのオーディションを受ける過程で出る毒舌を演出者が編集せずに見せながら、視聴者たちは過去のサバイバルオーディションよりさらに赤裸々な芸能事務所のオーディション時の素顔を見た。 参加者の発展に向けた助言はほとんどなく、参加者は人身攻撃性の非難を聞いたりしなければならない。 そして「MIXNINE」の参加者たちは現在の所属事務所からデビューが困難であったり、デビューで失敗を味わっている。彼らにとってヤンヒョンソク代表は、所属ミュージシャンたちをすべて成功的にデビューさせたという事実だけでも絶対的な存在に近い。 甲と乙という表現だけでは不足するほど差がある審査者と参加者の関係で、参加者は何かをしなければならない。 大衆を楽しませるエンターテイメント業界の挑戦者たちが成功するためには、審査基準さえきちんと説明してくれない人の言葉を無条件に受け入れなければならないという状況が放送される。 そして彼と演出者は、全てこのことが成功のために必ず必要なプロセスだということを強調する。 本当に、成功するためにはこのような過程を経なければならないのか。 そして視聴者たちは敢えてそれを見ながら理解しなければならないのか。 このような状況で視聴者たちが感じる感情は怒り交じりの好奇心なのか、でなければ幻滅なのか。 それが「MIXNINE」に対する反応を決定するだろう。もちろん「MIXNINE」や、同プログラムを通じてデビューしたグループの成功はまた別の問題だ。 ヤンヒョンソク代表が今度も成功的なデビューを果たせることもあるだろう。ただひとつ疑問がある。その成功がここまで「ヤンヒョンソクのオーディション」を現してこそ成し遂げられることだとしたなら、その成功とは一体何なのだろう。 そしてその成功に同意する人たちはアイドルに一体何を、どこまで望むのか。

 

文 カンミョンソク
校正 キムヨンジン


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「MIXNINE」部分的な動画のみでまともに見てないんですが(サバイバルは後で一気見する派)過去のYGサバイバルでもヤンヒョンソクはかなり毒舌だったし特に具体的なアドバイスとか明確な基準もそんなに言ってなかったように思うので、基本変わってないと思うんですけど...KPOP STARの時は他の事務所の審査員もいたし、あの番組の参加者は専門的なトレーニングを積んだ事がない原石的な参加者も多かったので抑えてたのかなと思います。MIXNINE出場者は一応ほとんどがエンターテイメントのプロを目指して専門的な教育を受けてきた人たちなわけで、そうなると素人相手よりは厳しくならざるを得ないんじゃないでしょうか。でも今回の番組が今までのYGサバイバルと決定的に違う大きな点は、参加者がYGの教育を受けてきた子達ばかりではないという事だと思います。いわば「よその子」である他事務所の練習生や所属芸能人に対して自事務所の練習生達に対するのと全く同じ感じで評価するから批判が出たんじゃないかと思うんですが...前の記事の時にも書きましたが、特に既デビュー組のファンにとっては不快で当然というか。

 

でもこの評価って、練習生を通して各事務所の指導体制を反映してる面もあるわけで、出させたのも事務所でしょうし一番の悪人を探すとしたら結局各所属事務所なのではという...サバイバルの時の人気や注目を生かすも殺すも、最終的には所属事務所次第というのはもう結構はっきりしてきているように思いますし。大手事務所の権力には逆らえないのではと考える人もいるかと思いますが、CJ E&Mとは違ってYGは別にメディアを運営してるわけではないですから番組制作を始めたと言ってもTV局の協力がなければ何も出来ませんし、プデュと比較すれば圧的には大した事ないんじゃないのかな?(知らんけど)

 

「審査の基準が明確じゃない」と言っても世の中で「誰かに選ばれる」という場面でその基準が明確に示されることの方が少ないんじゃないんですかね...入試とか就職面接もそうだし。明確に合格基準が明らかになるのって国家試験とかTOEFLみたいな資格試験くらいじゃないのかな。それを考えるとエンタメや芸術の分野の現場で明確な良し悪しの基準などあるわけがないだろうという。結局ヤンサの基準なんてものも多分YG所属の子達も誰もわからないだろうし、シックスセンス的な部分が大きいんじゃないかと思わないでもないです。そして芸能の分野では最終的には案外そういう「説明できないもの」がポイントになったりするのかなとも。