サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【idology訳】ジョンヒョン、あなたと私と彼と

【idology訳】ジョンヒョン、あなたと私と彼と

 

キムユンハ
by on 2017/12/28
http://idology.kr/9555

 

「評論家さんは、大衆性とは何だと思いますか」
一度彼に会う機会がありました。 いつもアイドルに関する話をしているけれど、音楽評論家という職業の特性上、直接歌手に会うことは極めて珍しい私にとっても特別な記憶でした。 2015年秋、当時彼が進行していたラジオに出演しました。 忙しい海外スケジュールのせいで放送を急いで録音していた中であり、さらに、初の単独コンサートを終えたすぐ次の日でした。 ライブや飲み会でとても疲れた状態だとしきりに謝罪の言葉を伝えながらも、オンエアに入るやいなや2年目のDJらしい巧みさを見せて驚いた記憶も浮かびます。

 

先の質問は録音中に突然彼が私に投げかけた質問でした。 連休にぴったりの快適な音楽を紹介するスペシャルコーナーだったのにまったく似合わない質問でしたが、彼は「普段評論家の方々と直接会う機会がないので」と了解を求めました。 多少唐突でしたが、普段から考えていた事をあれこれと話しました。 大衆が何なのかさえ明確に定義されていない状況で濫用される大衆性という言葉は、多くの好事家たちにとっても有用な概念だが、大衆性に対する正確な定義と正当な価値、再評価が必要であり、大衆性を音楽性の対立項目として扱われる事は認められない、「上手に」やれば意外に聞くことのない単語だと。そして付け加えました。 「ジョンヒョン氏とSHINeeは『上手く』やっていますからね」リップサービスではなく心からの言葉で、かすかな笑みが行き来したように思います。

彼と私が交わした話は放送では聞けませんでした。 コーナーの性格にも合わず、選曲の長さも長かったので放送時間に合わせて曲を何曲か抜かなければならないほどでした。 そんな風に多少無理やり行き来したあの対話が、その後でも私には結構長い間記憶に残っておりました。 そしてこの記憶は、彼が世を去ったというニュースが伝えられてたその日、私を捉えた多くの思考の真ん中に再び浮上しました。 そして考えました。 ああ、そういう人だったのだなと。

 

今はいない誰かに対する文章を載せたり、このようにささやかで個人的な話をしてもいいのかずいぶん迷っていました。 彼ともっと近い、彼をもっと愛した人たちも耐えている今、軽い一言を与えることがむしろ迷惑にならないのかと悩んだりもしました。 それでもこのようにいくつかの文字を書く勇気を出すことができたのは、私が記憶していたあの小さなエピソードのように、彼を心に置いた人たちの胸の中にひとつひとつ刻まれた彼の記憶が、それぞれ別々の光で輝いて彼を送ってくれているのだろうという事実にふと気付いたからです。

 

誰かにとっては大切な家族、友人、同僚だったし、誰かにとっては毎日午前0時ごとに変わらず夜の挨拶を交わしていたDJだった、誰かにとってはありふれたアイドル歌手の一人だった、また誰かにとっては、夢や呼吸そのものだった人でした。 そして彼は世の中の認定とは関係なく、すべての席で最善を尽くして輝きました。 そんなにまでする必要はあるんだろうかとか、多少なりと負担なのではという言葉を聞くほど、休まずに歌って、踊って、聞いて、努力して、作っていました。たぶん、彼の日常も大きくは違わなかったはずです。 なぜそう思うのか。言いたいことや知りたいこと、やりたいこと、時には世の中の無視を恐れてすぐ取り出すには困難な深い内面の闇も、音楽にそのまま描いた人でしたから。彼が消えた席で、そして彼が残した最後のメッセージに彼が表していた声と差し出した手を、もう少し率直に聞いて受け取ってあげられなかったことに対する負い目を感じる人々が多いのも、そのような理由からでしょう。本当に最善を尽くして生きた人でした。

 

やたらに「人」という言葉を使うようになった事に対して、どうも妙な気分になります。 彼が生前に着ていた外皮は「アイドル」のはずだからです。 人間らしさを認めてもらえない、もしかしたら人間らしさを消して見せるほど長く耐えられると考えられる、まさにそのような職業のひとつです。 それにもかかわらず人間として、音楽家として、この時代を生きている20代の青年として考えて苦悶するのを止めなかった彼を、ここで改めて記憶しようとしています。 彼らから、今ここで「人」の部分を消そうとしているのは誰なのでしょうか。 彼がSNSのプロフィールに書いていた「青年」という2文字がしきりに見え隠れしています。

 

最後の挨拶も出来なかった突然の別れの衝撃が消え、少しずつ淡い光が染みるような気分です。忘却の光ではないでしょう。 彼とどのくらい距離を置いて生きてきたかは重要ではないでしょう。 歌、ステージ、深い夜のひとこと、個人的な記憶や思い出、何でもかまいません。 彼を愛していた、彼と繋がっていた人たちが大切にしている彼の最も輝いた作品は、各自の音と形で残って長い間我々の傍で輝くと思います。 そうして再び光になるのでしょう。思ったよりもかなり多くの人たちがあなたを記憶して、偲んでいます。 ジョンヒョン、苦労しましたね、お疲れ様でした。