サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【BBCコリア訳】f(x)アンバー インタビュー:ルックスに対する悪質な書き込みへの対処法

BBCコリア訳】f(x)アンバー インタビュー:ルックスに対する悪質な書き込みへの対処法

 

イ・ミンジ/チェ・ジョンミン
BBCコリア
2017年12月8日
https://www.bbc.com/korean/amp/news-42148031?__twitter_impression=true


f(x)のメンバーであるアンバーは、韓国内の歌謡界では珍しい存在だ。 「清純」または「セクシー」に二分される国内ガールズグループの地形において特有のボーイッシュなイメージで存在感を示してきた。

 

しかし、このような「相違」は不必要かつ不愉快な関心を伴う場合が多い。 典型的な女性アイドルとは少し違ったイメージのために、アンバーもここ数年間持続的にルックスに関連した悪質な書き込みを受けてきた。

 

アンバーは彼女だけのやり方で悪質コメントに対面した。 BBCコリアがその話を聞いてみた。

 

短いカットの髪型、入れ墨とパンツ。f(x)がデビューした2009年からアンバーが固守してきたスタイルだ。 競争が激しい芸能界で、他人とは異なった姿を見せてくれるのは負担ではなかったのだろうか。

 

「全く率直に言えば(大衆の期待に答えなければならないという)負担感がなかったわけではないです。今も感じます。 しかし、「悪ガキ」みたいな姿がコンセプトというわけではなく、私の姿そのままを見せているので大きな困難はありませんでした」

 

ありふれていないコンセプトであるため、別の姿を見せてみたくてもむしろ見せることができないんじゃないかと尋ねた。 アンバー本人も髪の毛を伸ばし、女性らしいコンセプトを試みたことがあると述べている。

 

SNLコリアに出演したことがあります。 この時、長い髪のかつらをかぶって声もわざと女性らしさを出してみました。これはコントだったけど、実際この時が初めてではないです。 何回かやってみました。 ところが、人々はただそれを受け入れることを望んでいないみたいでした。(女性らしく)しなさいと言うのでやってみたら、また以前の姿がいいと言われました」

 

「このように努力をしていて自分自身が不快だったのはもちろん、後々になって自分がとても嫌になったりしました」

しかし、アンバーはこのような経験を通じて、むしろ自分の姿をありのままに受け入れることが最も良いのだということを悟ったという。

 

「人々の期待に応えて特定の姿を見せなければならないというのは合わないみたいです。 疲れてしまう。他の人の認定を受けるために生きるというのは私にとっては意味がないんです。 自分がする仕事を誠実に上手くやって、自分自身の姿に率直かつ周囲にポジティブな雰囲気をつくることができたら、そのすべてのことで十分だと思います」

 

人気BJキムイブの被害事例で見られるように、女性芸能人は男性芸能人よりもセクハラや容姿関連についての悪質なコメントに苦しむケースが多い。

 

アンバーも例外ではなかった。 「入れ墨を入れてる女はどこかへ行け」「胸はどこへ行った」「AmberじゃなくてManber(英語で男性を意味するManとアンバーの名前を混合した単語)だろ」など数年間、ルックス関連の悪質なコメントに悩まされた。

 

しかし、アンバーはただ無視したり法的対応を選択するよりは、悪質な書き込み者たちに成熟した創意的な方法で向き合いたかった。 このようなメッセージを込めて作った映像が「Where's My Chest?(私の胸はどこに行ったの?)」だ。

 

「注:この映像では深刻な皮肉(sarcasm)が登場します。 そして瞼は虫に刺されて腫れてるので無視してください」という字幕で開始する映像でアンバーは「男友達」ブライスと胸を探しに行く。2人は隣人に胸について尋ねたりしながら、アンバーの映像についた悪質な書き込みに言及し、これに反論する。

 

「実は私が過去8〜9年間に浴びた悪質コメントはあまりにもワンパターンだと思います。 あまりにもワンパターンなので、『逆に他のテーマの悪質な書き込みもちょっとは書いてみてくれないかな?』と思ったりする事もあります。 とにかく、コンピュータースクリーンの後ろに隠れて何やかや吐き出すことは確かに誤っている事なので、それが間違っているということを悟らせたかったんです」

 

アンバーは、この映像を通じて女性アイドルまたは芸能人に対する誤った先入観も破りたかったという。

 

「人々は『女性の胸のサイズはどの程度あるべきだ』『ヘアスタイルは長い髪が良い』こんなふうに話したりします。そんな偏見を壊したくて映像を企画した時、沢山悩みました」

 

6ヵ月にわたって製作したこの画像は(8日基準)のクリック件数170万を越えた。 1万件を超える書き込みも走った。 悪質な書き込みも依然としてあるが、面白いとか、ありがとうとか、共感するという反応がはるかに多い。

 

映像を作って変わった点は何だろうか。

 

「実際、悪質な書き込みを見るのは依然として辛いです。普段からあまり見ない方です。 映像を作る過程で悪質な書き込みを一つ一つ読むのはまるで自らの墓穴を掘るようでした。 知らない人たちが私の事を不細工とか異常だと言っている書き込みが数千個も書かれているんだから大変です。だから後で友達に代わりに読んでほしいと言いました」

 

しかし、アンバーは「連帯」の経験が大事な資産として残っていると言う。

 

「映像に書き込まれたコメント中に『自分も胸が小さいです』『アンバー、あなたが私の胸を探してくれました』などがありました。 このようなコメントを見ながら本当に胸が一杯でした。 私が企画して言おうとしていたところがよく伝わったようです。 私が提起した問題は多くの人が経験する問題であり、その問題を経験する人たちが一人ではないということ、このような雰囲気を造成することができたというのがとても良いと思います」

 

彼女はオンラインだけでなく、実生活での「共同体」の必要性も強調した。

 

「両親が私をいつも愛してくれたというのが結局、いちばん大きな力になりそうです。 アイデアを出してくれるお姉さんもそうですし。 お互いをよく知って支持してくれる友達たちのグループとファンも力になっています。依然として大変な点はありますけど、彼らを通して力を得て問題解決に向けて努力するようになれました」

 

実際2016年3月に発表したアンバーのシングル「Borders」には、移民でありモデル出身だった母親の話が出てくる。

 

「Cause mom said I'd be crossing borders (母は言った限界を超えるとき)

Never be afraid even when you're cornered (窮地に立たされても絶対に怖がらないでと)

Stand up straight、fight your way (だからまっすぐに立って君の道に向かって戦って)」

 

今回の映像を作った経験がアンバーの夢にどんな影響を与えたかも知りたくなった。

 

「国は関係なく、人間は基本的に互いに残酷です。 外見やその他持っていない他のことを基準に、人間を絶えず判断してそれを要求します。 これはあまりにも間違っているんじゃないでしょうか。お互いの違いを認めてお互いを助け、激励して、批判するにしても建設的にしなければならないと思います」

 

「そして自ら自分を閉じ込めている限界(border)から脱しようと努力しなくちゃいけません。『自分はどこの出身だからだめだ』『自分は女だからだめだ』『自分は男だからだめだ』『自分はある皮膚の色をしているからだめだ』など、見えないこのような限界にとらわれず、突破しようと努力しなくちゃいけません」

 

「もちろん、これが決して簡単なことではないです。 確かなことは自らをよく知って、恐れず、勇気を持って自分が正しいと思うことを実践すること、それは私と皆さんが悩んで行動に移さなければならないのだということです。 今後自分がするすべての事を通じて、このようなメッセージを伝達していきたいです」

 

Through the borders (限界/境界を超えて)

Fight your way, fight your way (君の道に向かって戦って 君の道に向かって戦って)

Stand up、fall down、up again (立ち上がって倒れて また立ち上がって)

Up against the pressure I am in (自分へのこの抑圧に対抗して立ち上がって)

Slowly but surely I begin (ゆっくりでも確実に)

Jumping trains'cause I know I can win (私は大胆な挑戦を始める 自分が勝てるということを知っているから)

 

ー「Borders」歌詞より。

【ize訳】音楽授賞式はなぜ失敗するのか

【ize訳】音楽授賞式はなぜ失敗するのか

 

2017.12.06
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017120600147232224

 

この1日、大統領府の国民請願の掲示板には「MAMA(アジアンミュージックアワード)という授賞式は投票、審査に対する公正性がありません。 審査委員もすべて公平に選ばれませんでした。昨年もこのような出来事があったが、今回の機会に廃止されたらいいと思います」という請願が掲載された。 2日に開かれたMMA(メロン・ミュージック・アワード)は国民請願はなかったが、いくつかの部門の受賞の結果について複数のオンラインコミュニティで公正性に対する議論が続いている。 もちろん、韓国大衆音楽関連の授賞式はたびたび論議が起きている。 根本的な理由は審査基準自体があいまいなためだ。 MAMAとMMAは名称が違うだけで、今年の歌手、今年の歌、今年のアルバムなど主要部門にオンライン投票、審査委員の点数や音源やアルバムの販売量を合算して反映する。 誰が受賞しようと、投票の成績が悪いとか、販売量が少ないとか、または完成度が落ちるという理由での問題提起は可能である。

 

だから、問題を解決する方法は簡単だ。 韓国で市場占有率が最も高い音源サイトのMelonで開催するMMAは、音源の成績に従って表彰したら良いのだ。Mnetが「韓国のグラミー」を標榜して開催するMAMAは、グラミー賞のように専門家たちだけで構成された審査委員団の投票だけで決定すればよい。 もしくはMelonのように音源サイトを運営しているMnetもチャート成績どおりに賞を与える事も可能だ。しかし、ほとんどの韓国の大衆音楽授賞式は、アイドルグループファンドムの参加で成否が決定される。 MMAはソウル高尺ドームで、MAMAはベトナム、日本、香港で開かれた。 この公演場をすべて満たすためには、KPOPと呼ばれるアイドルのファンの参加が絶対的だ。 オンライン投票が必要な理由である。ファンドムが大きな人気アイドルグループの音源の成績が足りなくても、ファンドムオンライン投票を沢山すればこれを補完することができる。 様々なファンドムがオンライン投票に参加し、授賞式に対する関心が値上がりする付随的な効果もある。 ファンドムの投票で興行を保障しながらも、他の要素で授賞に対する名分を一緒に保とうということだ。

 

これは欺瞞的だ。ファンダムは好きなアーティストに対して投票に参加し、彼らを見るために公演場を訪れる。 公演場ではどんな形であれ、ファンドムが多くのグループの名前を叫びながら雰囲気を盛り上げる。 しかし、受賞の結果であれ、授賞式の名分であれ、彼らを中核であると認めている授賞式は見あたらない。 MAMAは東洋一の授賞式という地域的特徴を、MMAはメロンチャートを強調する。 今年の音楽授賞式に対する議論が続いて起こった根本的な理由だ。 韓国大衆音楽産業で歴史的だと言っても過言ではないほど、今年は莫大なファンドムを持ったボーイズグループが同時に活動した。 EXO、防弾少年団WANNA ONEが今年はどれだけ大きな反応を得たかは、あえて説明する必要がないだろう。 PLEDISエンターテインメント所属の2つのボーイズグループであるSEVENTEENとNU'EST Wもまた、初動の販売量(最初の週のアルバム販売量)だけで計20万枚を超える。 授賞式は、このようなファンドムの熱気を投票と公演参加に活用した。 しかし、投票、販売量、審査委員の点数を混ぜた授賞基準は、どのファンダムも満足させることは難しい。 そうであると大衆に信頼性を認められたこともない。 現在韓国において、ファンダムの外でも結果を注目される音楽授賞式は存在しないと言っても過言ではない。

 

今年防弾少年団を招待したアメリカン・ミュージック・アワード(AMA)とビルボードミュージック・アワードは、防弾少年団だけでなく彼らのファンドムであるARMYをまた他のゲストのように扱った。 ハッシュタグによりアメリカン・ミュージックアワードは、「#ARMYxAMAs!」でハッシュタグによりARMYに接近し、アメリカン・ミュージック・アワードを積極的に広報し、ビルボードミュージック・アワードは防弾少年団がレッドカーペットに立つ時、ARMYが歓呼を送る様子にスポットライトをあてたりもした。 彼らは各自の基準によってゲストを招待し、ゲストを招待した理由を積極的に強調する。 ファンドムの熱気が理由で授賞式に招いたのなら、ファンドムの力に注目するのが当然だ。 しかし、韓国の多くの音楽授賞式はファンドムを最大限利用するものの、彼らを浮き彫りにしてはいない。 さらに、MAMAは今年ベトナム、日本、香港で公演を開くなど、収益性は最大限に高めつつも公演の質は急激に下がった。 日本公演の場合、放送状態がよくなかっただけでなくいくつかのグループはサビの部分でさえ振りつけの代わりに歓呼する観客や天井を撮った映像が登場したりもした。 公演場所が増えて準備が不備だったのであれば、MAMAに対する海外ファンの反応を誇示するためにMAMAは授賞式に最も貢献した消費者たちを無視したわけだ。 今、韓国の大型音楽授賞式は市場の流れも、上品な名分も、素晴らしい公演もなかなか見せられていない。それなら、授賞式は一体何故存在しなければならないのか。 困難だとしても本当に審査の権威を立てていくか、授賞式に寄与する彼らを認定するのか、少なくとも二つのうち一つはしなければならない。 名分と実利を同時に持って行きたいのならば、それだけの誠意が必要というのが道理だ。

 

文 カンミョンソク


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韓国の音楽アワードの特に大賞は毎年謎の結果が出がちですが、以前はグループのパワーバランスがはっきりしていたので一番人気のグループがファンドムも一番大きいし大体は音源も音盤も(アイドルの中では)一番売れる傾向にあったのでわかりやすかったのが、デジタルとアナログの売り上げ傾向がよりハッキリとわかれるようになってアルバムや曲に関していえば必ずしもファンドムが大きい=一番売れているとか曲が売れて知られているではなくなったし、アイドルそのものが増えて「人気」の基準が多様性に富むようになったのが一層ファンドム間の争い(?)を激化させている一因なのかもしれないと思いました。

 

この文章にあるように、授賞式の客寄せにはファンドムの大きいアイドルの出席が絶対で、その彼らになんらかの形で受賞させるために審査基準のなあなあさがより露呈しつつあるのかなと。以前からそうではありましたが、出席してくれるアーティストの中から賞を決めてる感じが丸わかりだし。それでもMAMAはケーブルTV局の賞なので、Mnetの選んだ審査員が40%を占めるというのがその賞の基準というのは別に構わないと思うんですが(基準はあげる方が決めれば良いことで、その基準をコロコロ変えたりしなければ偏りがあっても個人的には別に良いと思う)韓国シェアナンバーワン音源プラットフォームというのが名目のMelonが主催するMMAに関しては、音源プラットフォームが音源成績を基準にしないならアワードをやる意味がそもそもないのでは?とは正直思います。もしオリコンがアワードを作ったとして、「オリコンランキング年間上位ベスト40の中から人気投票を加算して10組選んで、その中から大賞やソングオブザイヤーを決めます!」って言い出したら割と意味がわからないと思うんですけど(そしてそんな事をされても煽られて投票するファンドムは多くはないと思うのですが)その意味のわからない行為がMMAではまかり通っていると言う事で。今年は結構ベテラン歌手も曲が売れた年ですが、若い子に人気のトレンディな歌手やアイドル以外はそもそも人気投票でふるい落とされて、ノミネートすらされないし。一応ジャンルごとに部門を分けてはいますが、トロットやバンド、hiphop以外はそれもなんだか曖昧というのもあり。ステージは素敵な演出が毎年多いと思うんですけど、ファン投票の存在が巨大なバイアスになっていてそれが賞の価値を逆に貶めてる感じはします。


いっそ授賞式とお祭り的な歌謡祭みたいなものでわけて開催した方がいい気もしますが、プデュの加熱ぶりを見るとやはり現在の韓国ではこういう投票システムとか対立構造そのものが熱くなりやすく、それで盛り上がって経済が実際に動くのでファンドムがアワードに栄誉を感じて食いついているうちは仕方ないのかもしれません。(栄誉を感じてるというよりはもはや「他所にはあげるのにうちの子にはくれないとか、沽券に関わるから許さん」みたいな域なのかもしれないけど)韓国のアイドルファンドムは他の国と比べて非常に政治的なのが一番の特徴だとは思うんですが、それの悪い部分が最大限露呈するのがアワードなのかもと毎年思います。賞の公正性を一番声高に叫ぶのも賞のバイアスの恩恵を最も受けやすいファンドムが大きいアイドルグループのファン達だというのもまた、皮肉な話のような気がしますし。結果的にアイドルのファン以外は興味ないし価値もアイドルファンの間だけのもので、アイドル本人ももはや自分のためというよりはファンの手前受賞したいと思っているのではないかという、音楽番組での1位と似たような感じになってる気はします。アワードをとっても家賃は払えないと、今年KMAのフォーク部門で受賞したアーティストのイランが受賞スピーチの場でトロフィーを競売にかけた件と表裏一体なのかも。
(MMAやMAMAはステージをやればギャラは出るでしょうが)

 

そういえば文中にも出て来ましたが、AMAのタグとかマスコミ取材や各種番組での扱いを見ていると、どうもやはりBTS本人や楽曲やパフォーマンスよりも「ファンであるARMYの熱狂ぶり」が現在のアメリカのメディアのBTSに関する一番の関心事項なのかなとは思います。アーティスト本人達よりは現地ARMYが主役という感じ。この扱いをファンがどう思っているのかはわかりませんが、韓国の授賞式がファンを主役に置かないのは、韓国社会が「ファンドムからだけの評価には真の価値がない」と思っている部分もあるのかもしれません。確かに身内以外の人からも褒めてもらいたいものですし、本来アワードというのはそれを表すものだったのではないかと思いますが...。

【IZM訳】2017 今年の歌謡シングル

【IZM訳】2017 今年の歌謡シングル

 

2017.12
http://izm.co.kr/contentRead.asp?idx=28924&bigcateidx=19&width=250

 

いつのまにか年末のダイアリーには、1年を振り返る忘年会の約束が列をなして並んでいる。ここで、IZMのやり方で少し早いが忘年会を準備した。 いつ見ても今年を思い浮かべられるくらいのシングル10枚。歌があった記憶がぜひ明るく輝くことを祈りつつ、扉を開けてみる。文章の掲載順はランキングとは無関係だ。


WINNER「Really really」

新しくもなく、革新的でもなく、人生の深さを表すほどの深くて真剣な歌詞でもない。 ただあちこちで聞こえる、いっとき流れている若者のための流行ソングだ。 しかし、「Really really」はそのすべての陳腐さとクリシェを隠すことなく、堂々と掲げ、むしろ斬新に音楽の根本であるメロディーとリズムで真っ向から勝負した。 清潔なサウンドと敏感な録音技術はこれらを支える具体的な結果であり、微細な装置だ。

「Really really」はスムーズで洗練された、言葉そのままの「大衆音楽」だ。 歌の中には2017年があり、この時代の若者たちがいる。 EDMスタイルと、ナルシシズムを否定できない直接的かつストレートな愛の告白の歌詞は今の文化であり、今時のスタイルである。 トレンドを伴うが可聴周波数を超えないラインでポップな感覚を最大値に引き上げたこの高品格のダンスポップスは、2017年の歌謡界をとても素敵に彩った原石の中で最もよく整えられた宝石だ。
(ソスングン)


IU「夜の手紙」

愛しい人の眠りを起こしたくないらしく、やや低くぼそぼそとささやくIUの声は、本当に「夜」だった。 夜の空気のように静かなアコースティック・ギターの伴奏、さくさくと書き下した美しく美しい言葉、そのすべての震えと愛を高低で描いた繊細なメロディーまで、全てが「夜」で「手紙」だ。 紙の質感に似たこの歌でIUは、私たちの中に眠っていたいくつかの感情を静かに起こす。 愛する誰かに宛てて徹夜で手紙を書くときに芽生える、その切なくて小さくて弱い心を、今年この歌よりも正確に突き止めて歌った曲はなかった。

言葉を綺麗に書いてそれを綺麗に歌う、IUの才能が結んだ実だ。 特に普段は耳慣れない「~です(~예요)」が一瞬の空白の間で静かに広がった瞬間は、言語の味を最大限に生かした名場面だった。 「夜の手紙」の小さな響きはそんな風の波になって、すべての人の胸に辿り着いた。2015年の「Chat-Shire」以降複雑な自我に徐々に緻密に入り込んで行きながらも、常に一歩足を一般的な共感に置くこの感覚、曲の清潔な完成度の向こうに流れるこの率直さが、今日のIUを作ったのではないだろうか。素朴さによってより深く残る歌だ。
(ジョーハラム)


ウウォンジェ「時差(Feat. LOCO&GRAY)」

眉毛までビーニーをかぶり、「母」と「錠剤」という言葉を一緒に歌うラッパーの登場。ショーマンシップとビジネスにまみれた「SHOW ME THE MONEY」が新人の発掘という純粋な機能を発揮した瞬間だ。 痛みと不安の感情を一際抱きしめたような独特なキャラクター、極端な単語選択と朴訥としたトーンでとつとつと吐くフロウが搭載された彼のラップは、現代の若者がひた隠してきた暗い深淵を引き出す。

「時差」は、一晩中モニターに向かって飛ばしたつばが乾く前に講義室に向かっていた弘益大学のヒップホップクラブ・Brainswordsの勝利だ。 彼らに対する既成世代の否定的な視線と、時間を無闇に使う人たちからの羨望にあくまで耐え抜いたウウォンジェ、LOCO、GRAY、「違う」時差を甘受したサークル出身の3人は、各自のやり方でヒップホップという遊びに邁進した自分たちに祝杯を、夢に精進している青春に激励のメッセージを伝えている。
(イテクヨン)


イジンア「階段」

イジンアの音楽は難しく容易だ。奇怪で陰惨なピアノの鍵盤とヘヴィメタルに似合いそうな鈍重なドラム演奏で始まり、複雑なコードワークを経て、瞬く間に明るくてパッと飛び出すリラックスしたコンテンポラリージャズが流れてくる。一つのテーマでいくつかに伸びていきながらも、その可能性を逃さないイジンアのスキルと(好き嫌いが分かれたりするが)澄みきった彼女のボーカルは、変奏とアドリブで綴られた迷路のような「階段」の世界で、道を案内する表示板だ。

ユヒヨルの信頼が通じた。 イジンアは、今回の一人立ちのアルバムでポップス、つまり大衆音楽的感受性という基礎の上に自分の長所を遺憾なく発揮した。 主な材料は大きめに切って入れて難なく噛む質感を感じることができるが、形容できない奇妙なソースのおかげでずっと手が進む料理のように、一次元高いポップスソングが誕生した。 イジンアの音楽には少女時代とジェイミー・カラム、屋上月光そしてディズニーアニメのミュージカル効果などがやたらに入り混じっている。 大衆音楽の拡張、その重大な任務を何気なくやりこなしたことは驚くべき事だ。
(チョンヨンギョン)


ZICO「Artist」

若い野望に凝縮されたアーティストのナルシシズムと肯定、バイブスが無限に広がっている。簡潔なイントロのビートで「今年もスケジュールいっぱいだし/道を歩けば皆が知ってるし/Fanxy childマジでホットだし」と素敵な近況をハイテンションなラップで表現し、大衆的フックで曲の志向を野心的に宣言する。「考えずにやっちまおうぜ/筆はお前が握っている/1番センスがあるじゃないか 自分の家の鏡の前では」を通じて夢見ている全ての人々にインスピレーションを吹きこみ、衝動を呼び起こしている。 自分だけがアーティストという事ではなく、「We artist」なのだ。

「Artist」は才能のあるミュージシャンが「信じて聴くプロデューサー」の栄誉を強固にする契機であるとともに、技術的な面を超えてメッセージの領域でも大衆との疎通とポジティブな波及効果の意図を証明した。 新世代の「hipさ」への需要と大衆の広々とした趣向を一つに結集させ、チャートでも好成績を収めた。 この歌を聞いて、少しでも現実に押されていた奥底の才能が疼いた人なら、堂々と叫んでみよう。 「We are、we are、we artist baby!」
(キムドホン)


防弾少年団 「春の日」

「春の日」は会いたい友達の懐かしさを、他人の傷を抱えることができる成熟した社会を歌う。 いつの間にか暖かい少年に成長した彼ら。音楽はもちろん、ミュージックビデオとパフォーマンスでも高い完成度を示している。 柔らかい曲の進行と聞きやすいメロディー、多くの世代を横断するであろう叙情的な歌詞。ここに強烈な「防弾」のヒップホップスタイルとは違った繊細ながらも哀切な感性まで。 今年彼らが発表した歌のうち、特に「春の日」が大衆の愛を「地道に」受けた理由だった。

その何も持たず、彼らの血汗涙で完全に成し遂げた暖かい春の日である2017年はまた、「BTS」が全世界で花開いた瞬間だ。 自分が正しいと信じることに熱情を傾ければ、必ず光を放つのだという事実を悟らせた彼ら。偏見に囲まれた寒い冬を越えていけると信じているこの曲は、そんな慰めに近づいたた。 何度目かの「春の日」を経た後に迎えた彼らの花様年華を見られて格別だった今年だ。
(チョンヒョボム)


赤い頬の思春期 「SOME(SOMEになるつもり)」

一人飯一人酒ソロ族の世の中を慰める避けられない音楽キーワードが「距離を縮める」なのではないだろうか。 近く、もっと近づいて耳元で囁かなければならない。 赤い頬の思春期は、声の録音、発声、歌詞、編曲において最近の歌が発表するように客観的に表現しすると失敗することもあるのだと知らしめた。 「鼓膜の彼女」がその状況の見出し語だろう。

「Galaxy(宇宙をあげる)」以降、20代の女性ではなく思春期の切ない感性と成長痛に集中しているというだけでも格別だ。 「消えてやだ消えないで/君の心を見せてよダメ見せないで」この部分だけでも十分である。 みんなが「私は今日からあなたとSOMEを一度名乗ってみるつもり」の部分を待ち望むようにさせるのは、歌詞との配合が一級品であるアンジヨンのメロディー遺伝子に起因する。 音源やくざになった背景は複合的だ。
(イムジンモ)


Hyukoh 「Tomboy

この曲でHyukohが浸透させたのは「感性」だった。 乾いたアコースティックギターとオヒョクのざらついた声で穏やかにスタートし、バンド構成のサウンドに乗りながら胸を打つように聞こえてくる後半のコーラスを回想してみた。 その強烈さは容易に耳にかかる旋律とシナジーを成し、このような結果を呼び出した。 親世代と青年世代をすべて満足させる訴える力。言ってみれば、歌を通じた世代間の充足なのだ。

春の終わりに発売されたにも関わらず侘しい秋が思い浮かぶ歌詞が、曲の効果を真っ当に表わしている。 「若い僕たち 年輪はよく見えず 眩い光に目がくらんで消えていく」と。これは若者にとっては進むべき未来に対するやるせない気持ちを、中高年層には生きてきた日と生きていく日々を振り返えらせるようにする、感性的で率直なストーリーだった。 誰でもが物思いに耽る叙情的な構成と歌詞、インディーズバンドからスタートした彼らがメジャーの力を持ったのは、すべて理由があるのだ。
(パクスジン)


REDVELVET 「Red Flavor」

熱い夏を耐えられるようにしてくれた有難い歌だ。ッパルガンマ〜に殺到した旋律の豊かさは、熱帯の海辺の強烈さから氷を浮かべたチェリーコークまで、その温度が連想される場面を目いっぱい吹き込んでいる。鬱蒼としたビートで速度を上げる中でも吸引力の高いサビを逃してこなかった彼女たちだ。 その地道な努力が大衆と強力な接点を作り、みんなのサマーソングとして活躍した。

2017年は特に色彩が流行した。 パーソナルカラーやwarm tone cool tone、アイドルソングも色を纏っており、そのような状況で名前からして鮮明な色に染めたREDVELVETは確かに優位に立っていた。 「Red Flavor」は、これまで表現してきたREDの顔の中で最も華やかで活気に満ちた表情を見せている。 メンバーたちの派手なボーカルもcandy popの甘さを満たしてくれる。 全て赤い色で満たしても負担にならなかった曲は、暑さに真っ向から対立し打ち破ってくれた。 この歌なら夏も愛せる季節になりそうだ。
(チョンユナ)


GROOVY ROOM 「Sunday(Feat.Heize, Jay Park)」

今年の歌謡界に最も鮮明な軌跡を描いたプロデュースチームGROOVY ROOM。ジャンル区分が無意味な「良い歌」というポジショニングを成功的に成し遂げた彼らの行動は、「グループ名」を掲げたこの曲で頂点を撮る。 随時その形状を異にするビートを筆頭に、ギターと鍵盤などのリアルセッションが加勢して描き出した立体的な青写真は、聴く度に毎回新しさを醸し出している。 ここに同時代の感情に忠実なHeizeと拍子を巧みに越えるJay Parkのボーカルがキャラクターを具体的に描き、歌詞の中の状況をディテールまで具現化している。 それこそ2017年のコンテンポラリーソングは何かという質問に最も適した答え。トレンドセッター3人を一緒に立てた柱はこれほどまでに強固だ。
(ファンソンオプ)

 

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IUの「夜の手紙」は、現在の一般的な口語の韓国語では〜에요という発音で言われがちな「〜です」の表現をあえて〜예요ときちんと書いて歌った事で、クラシックな雰囲気を醸しているという事のようです。

 

LOCOは弘益大学経済学部、GRAYは弘益大学コンピューター工学科、ウウォンジェは弘益大学土木工学科(休学中)で3人とも大学のヒップホップサークル「Brainswords」出身とのことです。LOCOは9期の会長、ウォンジェは15期のラップチーム長だったらしい。
(原文ではBrainwordsになってるんですが、Brainswordsが正しいので訂正して訳しました)
弘益大といえばほかに有名なアーティストだとDynamic DuoのGaeko(広告デザイン科)とかHyukohのオヒョク(芸術科)などがいるそうです。

 

SOME=ソユ&チョンギゴの歌でおなじみですが、友達以上恋人未満の関係のこと。somethingの略。

 

鼓膜の彼女=「お耳の恋人」的な?

 

音源やくざ=音源強者を強めに言うとこう。

 

IZMはジャンル問わず主にポピュラーミュージックを取り上げている音楽ウェブマガジン(日本や欧米のロックやポップスなども)ですが、この記事はいろんなライターさんが書いているので切り口が色々で面白いなと思いました。テクニカルに言及してるものもあればコンセプトや歌詞に重点を置いているのもあり、よく読むと楽曲的な事にあんまり触れてないのでは...というものもあったり。

【ize訳】安室奈美恵、いつも実直だったJ-POPの女王

【ize訳】安室奈美恵、いつも実直だったJ-POPの女王

 

2017.12.01
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017113023567227549


私が中学生の時に日本の文化が開放され、J-POPブームが少し吹いたことがある。 その時、安室奈美恵と初めて接した。 宇多田ヒカル浜崎あゆみと共にJ-POPの3大歌姫と呼ばれた彼女は、J-POPの世界に入るには一度は聞いておかなければならない歌手だった。 その前から名前は知っていた。 日本文化が開放される前から、日本の音楽界は現在安室奈美恵と多くの女性歌手が掌握していて、ストリートには彼女のように着飾った女性たちが並び経済現象にまでつながったというニュースが何回かあったからだ。時は2000年代初頭、安室奈美恵は母親の死亡と離婚などの事件を経験し、音楽スタイルをヒップホップに変え、影響力が落ちた状態だった。 それにもかかわらず「J-POPの女王」と呼ばれていた。彼女は我々にとって日本文化を代表する歌手だった。 販売量が低迷しても、その事実は変わらなかった。

 

そして2004年7月、安室奈美恵が再び立ち上がった。 バラードシングルである「ALL FOR YOU」が10万枚以上売れたのだ。 以前に制作した音楽と似ていたからたくさん売れたのだろうと言う人もいたが、ヒップホップスタイルを固守したアルバム「Queen of Hip-Pop」がオリコンチャート2位を占めると、その言葉はぐっと引っ込んだ。 事実、安室奈美恵の再起には大きな意味がある。 人気の最高の頂点を取ったことがある人であるだけに、世論と販売量を意識して以前のように大衆志向的な音楽に戻る可能性もあった。 しかし、安室奈美恵はそうしなかった。 自分がしたい道を歩き続け、ついに国民は彼女の後を知って従った。

 

日本の歌謡界で活躍した25年間、安室奈美恵はいつもそうだった。 自分に厳しかっただけに、他人にも厳しかった。 妥協する可能性もある瞬間でも妥協しなかった。 沖縄出身の安室奈美恵は1999年と2000年、2度にわたって公式的な国家行事で君が代斉唱を拒否した。 1999年にあった行事は天皇の即位10周年を記念する行事であり、2000年にあった行事はG8首脳会談だったが、彼女は歌うそぶりさえ見せなかった。 デビュー20周年の2012年にはデビュー日の9月16日に合わせて故郷の沖縄で記念ライブを行うことにした。 しかし台風が上陸し、9月16日にライブができなくなった。 日付を延ばす事もできたかも知れないが、安室奈美恵はデビュー日でなければ意味がないという考えでライブをキャンセルした。 以降の5年後の2017年9月16日、安室奈美恵は5年前のことを挽回するための沖縄公演を開催した。

 

もちろん、いつも堂々とした行動を見せてきたとしても、彼女に苦しみや不安などの否定的な感情がないわけではなかった。 1年の空白期を経た後、1998年12月の紅白歌合戦で初の復帰ステージを持った安室奈美恵は「CAN YOU CELEBRATE?」を熱唱し、絶えず涙を流した。 この時の視聴率は68.4%で、瞬間視聴率は80%に迫った。 歴代の歌手別視聴率1位だったが、彼女は舞台に上がる直前まで「人々に温かく迎えられなかったらどうしよう」と思ったという。 そして1年後、歌手になるまで全面的な支援を惜しまなかった母親が、再婚相手の弟に殺害された。 自ら「地獄まで追い詰められた」と表現するほど精神的に大きな苦痛を経験した彼女は芸能界引退まで考えたが、実行には移さなかった。 代わりに腕に母の命日と息子の名前をタトゥーとして刻み、再び立ち直って伝説を書き下ろした。 このような行動を目にしてきたので、安室奈美恵はいつも芸能界の上でJ-POPの女王として降臨しているような人だった。

 

だから、安室奈美恵の引退発表は意外で衝撃だった。 この9月20日、安室奈美恵は自分のデビューの日に合わせて2018年9月16日に芸能界を引退すると発表した。 過去になく、今後も現れないであろう常に実直だったJ-POPの女王が王座を離れる。 これから彼女の歌を聞くができないなんて残念に感じられる。 J-POPのファンである私にとっては、彼女の歌に多くの青春を借金しているためだ。 しかし、ブレることがなかった彼女だったので、それなりに適切なタイミングで決定したのだとと思う。 安室奈美恵が経てきた人生、そして今後経ていく人生に心からの拍手を送る。

 

文 ベクソルフィ(コラムニスト)

【ize訳】防弾少年団を見に行った米国のファンは誰なのか

【ize訳】防弾少年団を見に行った米国のファンは誰なのか

 

2017.11.23
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017112222217275021&pDepth1=i2301

 

アメリカン・ミュージック・アワード(AMAs)の舞台に防弾少年団の「DNA」が鳴り響いた。 2012年、PSYが江南スタイルで上がってから5年ぶりのことだ。 当時は韓国ミュージシャンが近い将来には再び上昇する可能性はないだろうと思われていたところだ。 アメリカン・ミュージック・アワーズ側は、防弾少年団が新人アーティストであり、海外のミュージシャンであることを懸念して米国アーティストとのコラボレーションの舞台を提案したが、あえて単独公演を貫徹させた。 授賞式場内に鳴り響いた歓呼はその選択を正当化した。 米国のポップスアーティストたちの好意的な態度、主流メディアの集中的なスポットライトは現在、防弾少年団が持っている商業的潜在力と位相を反映する部分がある。 依然として米国民になじみのないK-POP「アイドル」というカテゴリーが一人立ちできる土台を作ったのだ。

 

ここで誰かはK-POPの成功として取り上げることができるだろう。 これといって間違った言葉ではない。 実際にK-POPはこの5年間、国内外の専門家たちの懐疑的な視線にもかかわらず、飛躍的な成長を見せてくれた。 K-POPアルバムがビルボードトップ200iTunesチャートに載ることも、もはや見慣れぬ風景ではない。 映画「ジャスティスリーグ」にはガールズグループBLACKPINKの「最後のように」が登場した。 ブロードウェイでは劇作家Jason Kimのミュージカル「K-pop」が初演された。 米国文化のメッカであるマンハッタンで、それもKPOPのシステムと練習生の成功談がブロードウェイのミュージカルの素材になって初回完売を記録したことは、もはやKPOPの地位が全く新たな段階に突入しているということを暗示する事件だ。 しかし、人々がKPOPは海外でどれほど知られているかといった問題で議論している間、より大きなことが起きてまた速いスピードでその局面が転換されている。

 

KPOPフェスティバル「KCON」には、今年LAのみで有料観客8万人が殺到した。 毎年新たなラインナップが構成されるが、観客は持続的に増加している。 現場で数年間見守ってきたが、米国内のKPOPの主力ファンの人種構成はもはやアジアコミュニティ中心ではなく、欧州系米国人、ラティーノアフリカ系アメリカ人などで目に見えて再編されており、経済的には中間層以上のファンが増えているという統計も出ている。 韓国人でもない平凡な米国人たちが数百ドルに上る経費を工面して米国全域でこの行事を見るために集まる姿は、確かにKPOPが作った「現象」的人気の断面だ。 しかし、このような量的な成長は現在のKPOPを完璧に説明できない。 端的に防弾少年団の成功がそうだ。 現在彼らの人気と「現象」に近い爆発力は、KPOPの成長だけでは成長できないある独特な視点に対する分析を要求する。

 

防弾少年団の成功に意味があるのは、彼らが世界中の音楽市場、特にこれまでK-POPの最後の挑戦課題のように思われていた北米市場の進出において、典型的な商業的策略を活用するよりも音楽が持つ普遍的な魅力と人間的魅力、そしてファンダムとの疎通を武器に根底から大衆を捕らえるのに成功したという点だ。 大手事務所、プロモーター、放送局に代表される制度圏システムの全面的な支援をほとんど受けなかった防弾少年団の米国進出と成功は、それ自体がKPOPの新しいモデルのように見える。 彼らは英語で録音したシングル1曲もなしに米国内に強力な支持勢力を構築している。 ビルボード及び米国のマスコミはこのような波及力に驚きながらも、速やかに消化している。 韓国がアイドル音楽に対する偏見をそのまましまいこむ前に、いざポップスのメッカである米国は韓国から出発し、グローバルポップスターに新たに浮上した「BTS」を、ちょうど自国内の空席になってしまったアイドルの新たな顔として受け入れる準備を終えているという感じを受ける。

 

特にファンドムの力は注目すべき部分だ。 2014年のKCON以降、北米や南米諸国などで爆発的に増えた防弾少年団のファンドムA.R.M.Yは強い結束力と連帯感を持った。 彼らはもはや国内ファンダム、あるいは米国内の韓国人及びアジアコミュニティに付属しないまま、SNSを媒介に多様な人種と民族、都市にまで拡張して結合する。 これが韓国大衆音楽の世界と出会い生まれつき限界とされてきた言語的、地域的障壁を崩す決定的要因となっている。 AMAsが防弾少年団の米国進出において頂点ではなく始まりである可能性が高い理由だ。 米国でA.R.M.Yを中心に集まった国籍と人種を越えたファンドムは今、彼らの影響力に対して注視されている状況だからだ。 SNSを通じて自発的に防弾少年団を広報して熱狂する彼らの動きは米国の音楽市場では新しいタイプのドムであり、既存メディアが知らない魅力的な市場である。 K-POPがアーティストだけでなくファンドムまで結合して単に「韓流」ではなく、個別文化圏を中心とした下位文化への移行、そしてそれを超えた新たなモデルの登場に進んでいるのだ。 多くの人たちが新しい時代の到来に追いつけない間、KPOPは私たちの考えよりもはるかに大きく、多様化している。

 

文 キムヨンデ(音楽評論家)

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防弾少年団を見に行った米国のファンは誰なのか?」って結局は「アメリカのARMY」って事でいいのかな?実際そうだろうけど。

 

欧米社会に浸透したアジアンカルチャーといえば、この文中の各アワードをアカデミー賞アングレーム国際漫画祭、KCONをコミケやコミコンに置き換えると日本のアニメや漫画・ゲームなどの2次元文化が他文化圏に浸透していった姿とちょっと似ている感じもしました。
(BABYMETALもちょっと浮かんだのですが、あれは「メタル」という欧米での歴史が長いマニアの多い音楽ジャンルそのものにピンポイントで食い込んでファンを拡大しているところが、ちょっと今回のケースとは違うかな...現地のガチのメタルファンからの人気があるので)
映画「ジャスティスリーグ」の中でBLACKPINKの曲が出てくる事にも触れていますが、「最後のように」のMVが流れるシーンはオタク青年という設定のフラッシュの部屋のモニターです。多分10年くらい前だったらこのモニターに映るものの殆どが日本のアニメーションの可能性が高かったのではないかと思いますが、アメリカでは「オタク・NERD」をあえて表すキーワードが2017年の今だと「KPOP好き」という設定なのかなと思いました。(そこで流れたのがBPというのは将来的に何かアレがアレする力がはたらいたのかもしれませんが)(追記:NERDっていうよりGEEKの方が近いのかな?と投稿した後に思ったのでメモしときます)それだけ日本のアニメはもはや特にオタクを表すための記号を超えて欧米に一般的に定着したのかなとも。勿論オタク的記号になりうるマニアックなアニメもありますが、今やアカデミー賞に日本のアニメーションがノミネートされるのは珍しくないですし、ポケモンのアニメーションのように人種や世代を問わず定着している作品やキャラクターたくさんいますし。東西を超えて異文化圏のカルチャーが定着するというのはこういう事かもしれません。欧米のKドル好きは割と高い比率でアニメなども好きだったりしますし、ファンドム内でのKドルの消費のされ方もちょっとアニメやマンガなどの2次元キャラクターに近い傾向も感じます。

 

ここ最近の防弾少年団のアメリカでの活動やインタビューなどを見ると、個人的にはやっぱり一般メディアからは所謂ボーイバンド=アイドルグループと見なされてるんだろうなと言う感想でした。確かに欧米ではOne Direction以降日本的にいえば「アイドル」と見なされるグループの席はずっと空いている状態でしたので、ある意味そこにはまった側面もあるんじゃないかと思います。そして別にボーイバンド扱いで当然と思うのですが(実際ボーイバンドですし)なんとなくスッキリしないのは、自分が欧米における90年代末〜2000年代のボーイバンドの隆盛を多少ですが見てきたからかもしれません。私的な話になりますが、私が初めてアイドル的なものを好きになったのは小学生か中学生の時で、イギリスのボーイズグループでした。それ以来他のものにハマりつつも片目では欧米のアイドル業界をチラチラ見てきましたが、結論として欧米からはグループアイドルというものはほぼ消滅したし(彼らをとりまくメディアなど環境的な事だったりファンの熱狂ぶりなどを見るにつけ仕方ない事だとも思います)、そういうアイドルを消費して消耗させて消滅させるような環境は今も変わらないしむしろ加熱していると思うのですが、まさにそこの地位に突然据えられるというのが一体どういう事なのか。自分はただのファンでファンドムに所属して中から見ている面もあるだけに、そういうものの中に置かれる可能性のある状況を純粋には喜べないのかもしれません。

 

また、欧米ではそういう風にアイドル文化が時代で分断されてきたせいか、楽曲やパフォーマンスのクオリティとは関係なくまともに「アイドル」という存在をきちんと歴史的だったり統計的・社会的に分析したり評価するメディアは未だにほとんどないんじゃないかと思います。アイドルを多面的にポップカルチャーの一種として評価するという事に関しては、途切れる事なくアイドル文化が続いてきた日本や韓国の方が進んでいるんじゃないかと思います。なので、そういう国で「ポップスグループ」か「KPOPグループ」と見なされるのか、「ティーンアイドル」と見なされるのかで見られ方がガラッと変わる可能性もあるように思います。KPOPやJPOPはマニアのついている音楽ジャンルの一種という分類がついたので、アイドルミュージックに限らずそのジャンル内でののcriticや評価と言うのが出来つつありますが。

 

文中でファンドムの力について触れていましたが、確かに防弾が明確に他のグループとどこが違うかというと、楽曲参加等の音楽でもパフォーマンスでもキャラクターでもなくてはっきりと「国を超えたファンドムの熱意」じゃないかと思います。欧米での注目された点もSNSでの盛り上がり=ファンが英語圏のメディア統計に引っかかる程度にネットコミュニティで活発に「英語で」情報発信や発言をしたことが始まりです。むしろ本人たちそのものよりは「ARMY」という熱狂的なファンドムそのものが興味や分析の対象の中心になっている節は感じます。ファンの熱狂によってその場に連れてこられたのは間違いないですが、逆にそのファンドムの威力がバイアスになって本人たちの能力や作品に対する正当な評価を阻害する事は特にアイドルによくあると思うのですが(例えばアイドルグループのメンバーが俳優の賞にノミネートされた時、接戦だったりするとファンの投票でとれる賞は確実に取れるだろうということで、ファンドムが巨大であるほど肝心の本賞はなかなか取れなかったりとか)、ちょっとその気配も感じなくないです。正当な評価をされてないとファンドムが思うほどファンドムは排他的にアイドルを称えて保護する傾向に行きがちですし、それがまたファンドムの外の一般社会に対しては余計にバイアスをかけていくという悪循環というのもあると思うのですが。これからの動向は米国内のファンドムの動きや行動に結構左右される部分があるのかもしれないと思いました。端的に言うと、本人たちの音楽やパフォーマンスそのものよりは米ARMYの振る舞い方次第というか。

 

とはいえ、これも単純に私というアイドルに対して楽曲ファーストで好きになりがちな偏った個人の考えですし、「推しGにはファンドムの外に飛び出してあわよくば楽曲やパフォーマンスでファン以外の人も『グループのファンてわけじゃないけど曲は好き』と言ってもらえたり、ファン以外も曲にノッてるのを見るのが一番嬉しい」というのも、いちファンのエゴにはすぎないんですけどね。

 

これから先欧米での防彈少年團含めたKドル界隈にどういう展開があるのかちょっとワクワクする気持ちと、下手に欧米でティーンアイドルセレブになったりしたら本人たちの意向とは関係なくセクシャリティや交友関係恋愛関係がらみのプライベートを韓国や日本以上に詮索されたり、パパラッチに追い回されたり、サセンもビックリのストーカーが現れたり殺害予告されたりしないかな〜(もうすでに何回かされてるけど)という若干ハラハラする気持ちと、色々な感想が交錯したアメ活(?)でした。

 

 

【東亜日報訳】[東洋イシュー]少女たちの偶像でグローバルアイドル…大ヒットした5つのDNA

東亜日報訳】[東洋イシュー]少女たちの偶像でグローバルアイドル…大ヒットした5つのDNA

 

イムヒユン記者| 2017-11-25 03:00:00
http://news.donga.com/home/3/all/20171125/87445018/1


今月19日(現地時間)「アメリカン・ミュージック・アワーズ」が行われた米ロサンゼルスマイクロソフト・シアター前のレッドカーペットに到着した防弾少年団は、授賞式祝賀ステージで米国のファンの合唱と歓呼の凄さが話題になった。 韓国のアイドルグループ防弾少年団が米国のメディアを驚かせた後、22日に帰国した。

 

アメリカン・ミュージック・アワーズの祝賀ステージ、「エレンの部屋」出演...2012年のPSYシンドローム以後、落ち着いたように見えていたKPOPが再び「アクシデント」を起こしたという評価が出ている。 米国のTV中継で現地の観客たちが防弾の韓国語の歌詞を歌ったり嗚咽する姿は、KPOP海外ファンダムの現場に行ってみたことがない韓国の大衆には多少衝撃的だった。

乗馬ダンスブームで世界を襲った「江南スタイル」のようなグローバルなヒット曲がない防弾少年団は、どうして米国の大衆文化の穴におちる事になったのか。彼らの歴史と人気街道、その秘訣を방(バン)탄,(タン)소,(ソ)년,(ニョン)단(ダン)のキーワードでまとめてみた。


방(バン):防弾(バンタン)とバンシヒョク
「青少年への難関-偏見を止めたい」所属会社代表バンシヒョクの作品
 
防弾少年団は7人組の男性グループだ。 RM、JIN、SUGA、J−HOPE、ジミン、V、ジョングクで構成されている。防弾は、言葉そのままに銃弾を防ぐという意味だ。 銃弾とは青少年に注がれる難関、社会的偏見などだ。

中学時代から「少年漫画」に深く陥った者がいた。 バンシヒョク(45)だ。 防弾少年団の所属会社のBigHitエンターテインメントの代表取締役であり、防弾少年団のプロデューサーであり、精神的父親のような存在。ソウル大美学科を卒業した彼は1997年第6回ユ・ジェハ歌謡祭で銅賞を受け、歌謡界に入門した。 2000年からパクジニョンが率いるJYPエンターテインメントの作曲家として活動した。 god、パクジユン、Rainのヒット曲を作った。 ペクチヨンの「銃で撃たれたように」も彼の作品だ。 2005年にBigHit設立し、8eight、イムジョンヒ、イヒョン・Hommeなどのアルバムを制作した。 現在、BigHitには防弾少年団とHommeが所属している。

 

탄(タン):誕生(タンセン)と成長
2013年6月7人組でのデビュー…現実的なラップに共感を得て
 
バンシヒョクと一緒に働いていたプロデューサーPdogg(本名カンヒョウォン・34)は、慶尚南道出身だ。 声楽を専攻したが、ヒップホップが夢だった。 彼がリーダーでありラッパーのRMを抜擢し、ヒップホップグループを作ってみたくなったのが起源となった。 残りのメンバーたちが続々と合流し、3年間の練習を経て防弾少年団は2013年6月にデビューする。

防弾少年団には地方出身者が多い。 メンバーたちは、釜山、大邱、光州、京畿道、慶尚南道出身だ。 八道弁に韻律を合わせた「八道江山」という曲も出したことがある。 外国人は発音しにくい防弾少年団という命名から八道の方言まで、彼らは最初から海外市場を狙った企画グループではなかったのだ。 初期には「学校3部作」アルバムに10代の社会で起きる様々な状況や悩みを現実的なラップと歌に込め、同年代の共感を買い始めた。

 

소(ソ):ソーシャルメディア
ツイッターYouTubeを積極的に活用…メンバーたちの日常をリアルタイム発信
 
防弾少年団の成功は彼らがSM、YGのような大型企画会社から出発しなかったため、さらに驚かされるばかりだ。

塞翁が馬と言おうか。 巨大産業システムに合わせて組まれたマーケティングの代わりに、彼らはちょうどデビューの頃に本格的に開化したソーシャルメディアを積極的に活用するが、これが後の大きな成功の基礎になるとは…。

特に防弾少年団は、世界的にもツイッターを一番上手く活用したグループの一つに数えられる。 大まかにいえば携帯電話のカメラではっきりと撮ったメンバーたちの日常動画を、随時リアルタイムでYouTubeにアップロードしてツイッターで共有した。 いわゆる「Bangtang Bomb」と呼ばれる自主制作コンテンツだ。 大衆音楽評論家キムユンハ氏は、彼らを「音楽以外の自社のコンテンツを最も多く出しているチーム」として挙げている。

彼らは雑誌の撮影や放送出演待機室の現場で、短くて数秒から数十分までの多様な映像を撮ってメンバーたちの一挙手一投足をリアルタイムで教えた。 JINのモクバン「Eat Jin」、ジミンとVの慶尚道なまり番組「マンダコ?(訳注:釜山の方言で「何で?」)」等のメンバー別に特化された一種のコーナーも作った。 キム評論家は「一つのラインに全てのコンテンツを連結したが、その求心点がメンバー共用のツイッターアカウントだった」と話した。

メンバー別個人アカウントをなくして「ジョングク」「J −HOPE」のようなヘッダーをつけて運営者の役割を果たした。 ファン活動の「火力」も自然に公式アカウント(twitter.com/bts_twt)一ヵ所に集中された。 キム評論家は「海外のファンたちはミュージックビデオや振り付けに接し、ソーシャルメディアのアカウントを検索して入ってきた後リアルタイムで矢継ぎ早に押し寄せる圧倒的なコンテンツ量に興味を感じて、また他のYouTubeの動画で消費を続けた。 これが一つに統合されたソーシャルアカウントの爆発力だ」とした。

 

연(ヨン):連作(ヨンジャグ)のパワー
学校ー青春各3部作アルバム…長いストーリーで好奇心刺激
 
ツイッターで短い日常を反復的に露出させる一方、音楽では長い呼吸でファンダムの好奇心を刺激し続けた。 ソーシャルメディアの単打戦略と連続してストーリーの長打戦略が鋸の刃のようにかみ合ったわけだ。 歌はアルバムとして、アルバムは連作でつないだ。

中学・高校生たちの厳しい生活を取り上げた「学校3部作」の後には少し成長した訪れてくる空しさと幻滅、依然としてある希望を盛り込んだ「青春3部作」(花様年華)シリーズを続けた。アイドルロッジ編集長微妙氏は「防弾少年団のストーリーはデビューの頃から今までずっと一つの線につながる。 防弾少年団という仮想キャラクターの伝記的な話が物語の連続性を構成する」、「BIGBANGなど、以前のグループが曲のひとつひとつで完結した素敵さを追求する短編作家だったとすれば、防弾は数冊の長編を続けて出す感じ」と言う。例えば、BIGBANGのメンバーたちはそれぞれ個性と魅力はあるが、防弾少年団のメンバーたちのように彼の故郷がどこであり元々は何をしていた人なのかということに対する関心や話ははっきりしないということだ。

 

단(ダン):団結したファンドム
ファンクラブ「ARMY」強力な結束力…ツイッターのフォロワ1000万突破
 
防弾少年団がスターになるにはファンクラブであるA.R.M.Yの活躍も多大な影響を及ぼした。 「ARMY」は英語の単語の意味のように軍隊のような結束力を誇る。 各種のオン・オフライン商品購買と音源・アルバム消費、ソーシャルメディア書き込みリツイートと共有において非常に勇敢な火力を見せている。 海外ARMYらが本格的につきはじめ、防弾少年団のパワーはみるみる大きくなったのだ。 仮想空間であるソーシャル・メディアに吹き始めた嵐はついに現実の世界まで揺らし始めた。 米国のメディアは今、防弾少年団とARMYが持つソーシャルメディア上の大きなパワーを望んでいる。

専門家たちは2015年を防弾少年団の海外ファン層が幾何級数的に成長した時点と見ている。 「花様年華 pt.1」アルバムと「I NEED YOU」ミュージックビデオが爆発的な話題を起こしたというのだ。 キムユンハ氏は「KPOP特有の力強いパフォーマンスが持った魅力は維持するものの、楽曲的には最新の欧米トレンディーポップをよく添えて消化し、海外ファンを魅了した」と話した。 今防弾少年団は、YouTube照会数1億件以上のミュージックビデオ11本を保有している。 ツイッターのフォロワ数が500万になるのに5年かかったが、1000万になるにはそれからわずか7ヵ月だった。フォロワーはすでに1ヶ月に100万人の割合で急増している。 ソーシャルメディアでの防弾少年団の勢いを説明する言葉は一つだ。 まさに破竹の勢いだ。


▼「音楽・パフォーマンス-容姿備えて…AMA公演で米全域でも熱狂」▼

現地のマスコミ「マーケティング波及力」に注目

 

それなら「ARMY」ではなく米国の一般的な大衆は防弾少年団をどれくらい知っているのだろうか。 現地放送局が防弾少年団の交渉に乗り出した理由は何だろうか。 米ワシントン州シアトルに住む大衆音楽評論家キムヨンデ氏と太平洋を間に置いて問答した。

 

―本当にアメリカ人はみんな防弾少年団を知っているのだろうか。

 

「ポップス音楽の主な消費層ではない一般大衆の防弾の認知度は低いと言わざるを得ない。 ただ、ソーシャルメディアを利用する学生層には認知度が非常に高いと見ている。 事実、防弾の米国内での人気は単純な認知度では評価しにくい。 例えば、現地のスターであるセレーナ・ゴメスはTVのゴシップ欄を通じて大部分の人が知っているが、彼女の歌は知られていないのは防弾と同様だ。 防弾の認知度は今回のアメリカン・ミュージック・アワードと各種番組出演で今後、米国全域で飛躍的に増えるだろう。 米国では全国放送に乗るかどうかが認知度を大きく左右するためだ」

 

―米国のメディアが我先に防弾少年団を渉外する理由は何か。

 

「米国内のアイドルグループ飢饉の渇きを解消してくれるグループが必要だったタイミングだろう。そうだ(メディアが)近年に世界的に存在感を現わし始めた防弾少年団を発見したと見ている。 音楽、パフォーマンス、ルックスを備えたポップスターの資質にソーシャルメディアマーケティング波及力まで備えたスターを自国市場に引き入れることで、米国ポップスの躍動性を図るのだ。 米国がいつも海外の音楽を活用してきた方式だ」

 

―まるで米国内のラテンポップスと同じようなものだろうか。

 

「米国は、カナダ、英国、ラテンの全てを一度は抱いて見ただろう。ある瞬間になると国籍をほとんど言わなくなる。PSYの時も似たような試みがあった。 防弾の違いは、多様な人種で構成された自国の若年層にも簡単にアピールでき、ヒット曲一つだけでなく全般的なスター性を備えたグループだということだ。 そこに可能性を見ているようだ。 アジアから来たスターというふうには報道しない。 ビートルズとも比較しながら、米国に上陸したというふうに描いている」

 

―防弾のソーシャルメディアでの破壊力が大きな役割をするだろうか。

 

「そうだろう。 授賞式のレッドカーペットの時も進行者たちが敢えて何度も防弾ファンクラブ名を言及しながら紹介している。 他のゲストに防弾関連の話を聞いてくる。 多分(メディアに)およそ1年以上蓄積された内部資料があるのだろう。 ソーシャルメディア言及回数、波及効果などに関したビックデータかもしれない。 ビルボードミュージック・アワーズ受賞以来、ほとんど露骨と言ってもいいくらいに防弾関連記事を次々と出している。 (効果を)すべて知っているという話だ。 その程度の波及力を備えているのはテイラースイフトや何人かのヒップホップスター程度だ。 米国の主流メディアがこれを逃すはずがない」

 

イムヒユン記者

 

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個人的には自作もしてますっていうのがある種の売りだし、ファンもそこに誇りを持ってるようにみえる防弾がセレーナ・ゴメスみたいな感じのセレブ扱いになったりしたらちょっとアレだな...EXOとかならともかく...と思う部分もありますが、このあたりは次にあげる予定のizeの記事訳の方に少し書きます。

【ize訳】REDVELVET、ベルベットなアティテュード

【ize訳】REDVELVET、ベルベットなアティテュード

 

2017.11.22
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017112123427222436

 

ガールズグループREDVELVETの新曲「Pee-A-Boo」で、彼女たちは誰かの愛を待ってはいない。 誰かを愛し続けると積極的にアピールすることもない。 代わりに彼女たちは、愛に対する態度を描写している。 「新しいものだけが好きな」彼女たちにとって愛は「高鳴る時だけ」で、だからこそ相手には「途中で私の心が変わっても驚かない」と語る。 「Peek–A–Boo」のミュージックビデオで「高鳴る時だけ愛」にあわせて見せる映像はイェリが男性のピザ配達員からピザを受けとる場面だ。まだ冷めていないピザ。 彼女たちにとっての愛、または男性はその程度の意味だ。 彼女たちが愛から望むことは「退屈する暇」を与えずに「あの月がジャングルジムにかかる時間まで遊ぶ」ことだけだ。 すると友達がみんな叫ぶ。「あんたは本当に問題があるよ!」なぜ問題なのかは正確に描写されていない。 ただ現在、韓国のガールズグループのうちで最も人気のあるグループは、一日中男性が自分を好きであるという想像ばかりの歌詞を繰り返すTWICEだ。 ところが、ガールズグループが男を待ったり誘惑したりしがみつく代わりに、食べる残すピザ程度という意味を置く。 「問題」であるかは分からないが、「問題的」であることは明らかだ。

 

すぐ恋に落ちることもあるし、すぐに飽きる事もある。ピザを配達させて食べながらそのピザの上に宝石をまいて遊んだりするように、世俗的な価値観ともかけ離れている。 この女性は「清純」や「セクシー」のようなひとつの単語だけでは説明できない。 当然、複雑で理解し難い。 また、自らを理解させようとしているわけでもない。 「Peek–A–Boo」のミュージックビデオを見る人たちは、カメラを通してREDVELVETの家の中に入る。 しかしREDVELVETは訪問者にどのようなアピールもしない。 当然、どれだけミュージックビデオを見ても彼女たちの考えを完全に理解することはできない。 代わりに「Peek–A–Boo」の意味を解釈しようとするほどこの女性たちについてずっと考えるようになるだけだ。 完璧に理解することも、統制することも、そんな自分を他人に説明しようともしない女。 しかし、この女性の予測不可能であり魅力的な行動は、訪問者にこの世界を理解しようともがかせる。過去、ある男性たちはこのような女性を魔女と、または悪女と呼んだ。「Peek–A–Boo」のミュージックビデオがホラー映画のスタイルを持たざるを得ない理由だ。 これは、ガールズグループの場で魔女について歌ったからだ。

 

愛をピザやジャングルジムのような楽しみの一つに過ぎないと語る女。 問題があると言う人もいるが、「キツネ」であることを自任し、予測不可能な行動をする女。こんな女性が自分の頭の中や世界を開き、自分を理解してみればと誘う。 ガールズグループが、現実に存在するが韓国のエンターテインメント産業ではなかなか出てこない女性を表現した。「Peek–A–Boo」のミュージックビデオでREDVELVETの他のメンバーがジョイの周りを回る映像は、すぐジョイの席にピザ配達員がいるものに変わる。 見物の対象として消費されるのが当然だと考えられていたガールズグループの一つが、位置を変えて自分たちを理解することを要求する。 韓国のガールズグループがもう少し多様に存在する女性、または自分自身について話す方法を見つけたのだ。

 

「Peek –A–Boo」の曲とパフォーマンスがすべて必死そうには見えない体裁をとった事は、本当に重要である。 「Peek–A–Boo」のボーカルと編曲は、なかなか感情を明るくて活気に満ちるようには引き上げない。 だんだんと速くなるリズムは楽しいが、ボーカルは音を引き上げて雰囲気を盛り上げたりせず、サビは乾燥しているように感じられるほど短く切ったリズムで構成されたいくつかのメロディーを繰り返すだけだ。アイドルグループの必須要素のように入る後半部のアドリブも、やはり他の音の間に隠されたり、音を高めて増やす代わりにそっと手を触れて行く程度だ。ボーカルトーンだけは軽くし、明るい感じをそっと吹き込むくらいだ。REDVELVETはこの曲に合わせて手を腰に当てて骨盤を弾いたり、かわいく腕を広げる動作をすることもある。 多くのガールズグループたちが自分たちを可愛いかったりセクシーに見せようとする動作だ。 しかしこの動作の間に手を望遠鏡のように作って目に当てる、意味のわからない動作が入ったりして、メンバーたちの表情はめったに笑顔を見せない。 そしてほとんどの動作は曲のビートに合わせて多少硬く、動作や動作の間が遮断されたまま行われる。 TWICEが私の心を分かってもらいたいと絶えず笑顔と小さくてかわいらしい動作を取るなら、GFRIENDは「ガラス玉」と「今日から私たちは」で好きな相手に自分の心を熱唱した。 しかし、REDVELVETは熱心に笑って気持ちを伝えさえしない。 愛はジャングルジム程度の楽しさを与えるものと考えている、ちょうどそれくらいの表情と動作。REDVELVETの所属会社SMエンターテインメントは、なかなか説明し難い女性のキャラクターをティーザーからパフォーマンスまで、近年で最も首尾一貫性のある結果を通じて説得してみせた。 複雑なキャラクターに対し、想像して具現化できるビジュアルディレクターと作詞家、A&Rを同時に持った会社だけにできる仕事だ。

 

ガールズグループが愛されるために愛嬌を振りまいていない。 かわいかったりセクシーに見せようと勤めない。 商業的には危険な選択のように見えるかも知れない。 しかしREDVELVETは、アイリーンがたびたびバラエティ番組でよく笑わないという理由で議論の対象になったり、JTBC「知っているお兄さん」で誰かの愛を受けることに対する負担を打ち明けたりもしたことがある。 彼女たちは以前から、自ら韓国でガールズグループに要求される規範から少しずつ抜け出していた。「Peek–A–Boo」はこのような魅力を、アイリーンのキャラクターをまさに舞台の上で表現したも同然だ。 そして魅惑的な瞬間が行われる。 無条件にぱっと笑ったり愛嬌を振りまく代わりに、メンバーごとにまた歌詞によって表情が微妙に変わりREDVELVETのメンバーたちは彼女たちがどれほど多様な魅力を表現できるのかを示している。 「Peek–A–Boo」のエンディングでクローズアップされるアイリーンの表情は、一般的なガールズグループの曲では見ることができない。ジョイが短いワンピースを着てウェーブを踊った時の奇妙な雰囲気を、ただセクシーという表現だけで説明できるだろうか。 愛されるために努力しない態度が、むしろ感情を表現する人の多様な姿を見せる。 このような態度は全員には愛されないかもしれない。 しかし、誰かにとっては代え難い魅力でもある。 正確に知ることはできないが、自身が他人に向かって露出しなければならない姿の代わりに、自分が見たいと思っていた自分の姿を見ることになる女性もいるかもしれない。 「Peek–A–Boo」はREDVELVETの忘れられたも同然だった「ベルベット」コンセプトを再定義しながら、彼女たちの核心的なアイデンティティを規定した。 もちろん「Peek–A–Boo」と「ベルベット」彼女たちの唯一の路線にはならないかもしれない。 「Peek–A–Boo」で持たせた期待が失望に変わる瞬間も来るかもしれない。しかし、常に一つの期待だけはできるようになった。 完璧なベルベットになって戻ってくる時、彼女たちは魔女になるだろう。

 

文 カンミョンソク