サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【PPSS訳】KPOPと韓国語の歌詞

【PPSS訳】KPOPと韓国語の歌詞

 

byイギュタク
2018.03.09
http://ppss.kr/archives/150628/amp?__twitter_impression=true

 


KPOPを他のグローバルポップミュージックと差別化する最も重要な要素の一つがまさに「韓国語の歌詞」と考えている。とくに、海外のリスナーたちにとってこの「韓国語の歌詞」が持つ象徴性はとても大きい。 韓国語の歌詞が英語の歌詞に比べて何か非常に詩的であったり、立派な意味を持っているからというわけではない。 むしろ海外のリスナーの大半は歌詞が何を意味するか全く理解できないだろう。

 

加えて、一般的なKPOPにおいては歌詞が持つ重要性はそれほど大きくない。 ヒップホップやアコースティック・フォーク音楽のように歌詞が盛り込んだ内容や韻律(rhyme)が曲の質を左右しないということだ。 さらに、一般的なKPOPの歌詞には英単語(あるいは簡単な文章)がかなり高い割合で含まれている場合も多い。 それでも韓国語になった歌詞が意味のある理由は、それがKPOPを「KPOPらしく」作ってくれる重要な要素であるからだ。

 

海外のリスナーたちがKPOPを聞く理由、特に東アジアの外のリスナーたちがKPOPを聞く理由は概ね一般的なグローバル英米ポピュラーミュージックとは他の何かを求めるからだ。 東アジア以外の地域、特に北米のKPOPファンが作ったリアクションビデオを見たり、該当地域のメディアがKPOPについて説明している記事を見れば、そのような点がよく現れている。 KPOPの中に彼らはありふれたポップミュージック(あるいはEDMやヒップホップ音楽)とは異なる「代案(alternative)的要素」を発見する。

 

実際、音楽的に見れば、その「代案」というものは大したことはない。 KPOPがいわゆる「韓国の伝統的な」ある要素を強く抱いたこともなく、それ故にサンバやレゲエのように音楽そのもので何か「違う」ものを見せてくれる訳ではない(もちろん、それがステージパフォーマンスやファッションと結合されれば別だが)。ところが韓国語の歌詞がついたという理由だけで、この音楽は「異国情緒(exoticism)」を正しく漂わせる。

 

海外の一般的なリスナーたちには一見滑稽で粗野に聞こえるだろうが、「代案」的な音楽を求める少数者にとってはKPOPをありふれたポップミュージックとは異なる雰囲気に作ってくれる重要な瞬間だ。 事実KPOPは依然として「メインストリームポップス」というよりは欧米の大衆音楽の支配力がやや弱体化して好みが多様化する現在、世界有数の音楽市場で「隙間市場」をよく走っているケースだ(あえて「メインストリームポップス」にならなければならないのかについては、個人的には疑わしく思う)。

このため、海外のリスナーたちにアピールするためにはグローバルポップミュージックとは異なる「異国情緒」を必ず表現しなければならないのだ。 これは音楽的な様式ですでにグローバルな普遍性をある程度確保したために可能なことでもある。 音楽は簡単に親しみを持たせる事ができるEDM(そして若干のヒップホップ的味付け)であっても、それでも「韓国語の歌詞」で異国的な味を発揮することだ。

 

もちろん、上記で述べたように華麗な群舞とステージパフォーマンス、ユニークな味わいと雰囲気のミュージックビデオなどもKPOPの「異国的情緒」を作ってくれる重要な要素だ。 しかし、これと同様に重要なのがまさに「韓国語で書かれた歌詞」ということだ。 そしてこのようなパフォーマンス、MV、ダンス、歌詞こそ海外のリスナーたちがKPOPを通じて感じる「韓国的(あるいは異国的)な何か」なのだ。

 

一般的に「韓国的なもの」と言えばやたらと伝統文化的要素を思い浮かべるが、そのような伝統的な要素だけを韓国的な美であると思う時、「カンナムスタイルはフィモリ拍子をもとにした曲」というような強引な解釈が登場することになる。 韓国的なもの=伝統文化=国楽(あるいは民謡)ではない。

 

したがって、KPOPのグローバル化(特に米国・グローバル市場進出)のために英語の歌詞つけることを何度も試みることはあまり効果的ではないことだ。 スウェディッシュ・ポップは英語歌詞をつけて世界で成功したが、グローバルな音楽ファンたちがスウェディッシュ・ポップに期待することとKPOPに期待することとは異なる。 海外KPOPファンが「どうか英語作詞はしないでずっと韓国語で歌ってほしい」と要求するのにはすべて理由があるのだ。

 

同時に、これがただ肯定的な事なのかはちょっと考えてみる必要はある。 結局KPOPの人気、特に東アジア以外の地域での人気も、かつてのレゲエやワールドミュージックのようなジャンルがそうだったように「異国情緒=エキゾチズム」に頼った側面が強い。 彼らとは違い音楽的な個性が明らかとは言えないKPOPが、どのように世界有数の音楽産業に溶け込んで、果たして長い生命力を維持できるのかどうかが気になる。

 

 

原文:デリー・キットの音楽世界(https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=funky829&logNo=221146605278&proxyReferer=)

 

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フィモリ拍子=パンソリや散調などの韓国伝統音楽に見られる特有のリズムの一種で、特に早い拍子の事。

 

「東アジアのKPOPファン」、特にわざわざ曲を現地の言語化してリリースしがちな日本のKPOP好きとしては色々思うところはありますが、KPOP好きが韓国語の響きそのものにエキゾチズムを感じて好んで聴く部分があるという事であれば、逆にその国の言葉で歌って人気があるという事はエキゾチズムを超えて真にその国の音楽市場に溶け込んでるという事なのかもしれないとも思いました。「言語の異国情緒」というKPOP的に見て大きなポイントがなくても売れたという事なので...だからアイドルが強いのかな?
ぶっちゃけアイドルのように本人の事を好きになってしまえば、何語で歌っても関係なくなってくるというのもあるのでは。

 

この文章を読んで自分が「韓国語歌詞至上主義」的なものが少し気になっていた理由がわかった気がしました。無条件にとにかく韓国語のバージョンの方がいいというのは、無意識にKPOPのエキゾチズム的な面だけを肯定している行為のような気がしていたようです。(もちろんそれだけの理由で韓国語詞がいいと思うわけではないと思いますが。単純に完成度の問題がある場合もあるし)

昔は元々韓国語に合うように作っている曲に日本語の響きを無理やり合わせるのは無理があるのではと思っていたのですが、近年は欧米圏の作曲家が元々英語詞で作った曲に後から韓国語詞をつけるスタイルの楽曲がかなり多くなったので、そういう曲の場合は理屈としては韓国語の曲に日本語詞をつけるのと同じ事をやっているわけですね。作業的には言語の分類を考えると英語→韓国語より韓国語→日本語の方が大変そうですが。
最近は日本語詞で先にリリースした楽曲を後から韓国語詞のアルバムに収録するケースも徐々に増えているようなのが面白いです。