サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】故チェ・ジンリ ①ドロシーのための祈り

【ize訳】故チェ・ジンリ ①ドロシーのための祈り

 

2019.10.22

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2019102121467254094

 

約1年前の昨年10月25日、リアリティー番組"真理商店(ジンリサンジョム)"の初回が公開された。ソルリはこの番組で本名である「チェ・ジンリ」をかけてポップアップストアを運営し、人々と直接会う姿を見せた。彼女はこの番組に出演した理由について、「私の味方」または「私だけの人を沢山作れるように」するためだと語った。この6月21日にはJTBC"悪質な書き込みの夜"に出演し、自身に対する悪質な書き込みを読みながら麻薬をしているという疑惑について明確に釈明し、ノーブラについて「個人の自由」だという自分の所信を明らかにした。同月29日には収録曲3曲すべての作詞に参加したシングルアルバム"Goblin"を公開した。ソルリはアルバム発売直後に開催したファンミーティングで、「『Dorothy』は夢見る私、『On The Moon』は眠る前の私、『Goblin』は現在の私を盛り込んで、皆さんがご覧になっていない多くの部分をお見せしたかった」と収録曲を紹介した。SNSだけでも検索語1位に上がっているスターが一日中ポップアップストアを守りながら人々に直接会い、自分を巡る否定的な視線に対して正面から声を出しながら、歌手としては自らを歌の素材にして真の自分を伝えようとした。この1年間、ソルリは芸能人として受ける視線に隠された人間「チェ・ジンリ」を見せるため、多様な試みを行ってきた。


「子どものころから機嫌をうかがうような行動を嫌がった」"悪質な書き込みの夜"でダンスの練習中に「上の人たちが来た時に急に頑張っている姿を見せるのはプライドが傷つくので、大雑把に踊っていたダンスをそのまま見せた」というエピソードを打ち明けながら、こう語った。普段の性格そのままに、彼女はSNSでも自分ではない姿を無理やり作り出そうとはしなかった。恋人とデートしたりキスしたりする写真、自由に遊ぶ写真、あるいはブラジャーを着用していない「ノーブラ」状態で日常を送る写真をそのままアップした。しかし、これを眺める世間の視線は矛盾していた。"TVリポート"と"Dispatch"が私生活の領域である彼女とチェザのデートを密かに撮影して報道したことは問題視されなかったが、ソルリ自らが恋人への愛情を表わすのは、まるで不都合なことのようにマスコミに絶えず取り上げられた。女子グループ活動当時の未成年者だったソルリに「セクシーに肌あらわ」(2010年ソウル新聞)、「危険な反転後ろ姿」(2012年テレビデイリー)などのタイトルをつけるもの、あるいはこのように女性の身体を性愛化して窃視する社会的視線の中で女性だけが不便な下着を着用し、身体を隠さなければならない現実は議論されなかった。一方、彼女が単に「楽だから」という理由で選択したノーブラ姿は、写真の中であえて隠さなかったという理由で非難の対象になった。女性グループの女性芸能人として大衆の固定観念から逸脱した行動をするほど、そして自分の考えを現わすほどにソルリは問題のある人物として消費された。


ソルリのシングルアルバムのタイトルであり、タイトル曲の"Goblin"は、このように大衆に愛されにくいにもかかわらず、ありのままの姿で愛されることを望んでいた自分に対する自伝的なストーリーとみられる。「ゴブリン」というタイトルは、彼女が飼っていた無毛種のスフィンクスキャットの名前であり、人々を惑わし苦しめることで知られているこびとの魔物を意味する言葉でもある。彼女は"Goblin"発売直後に行われたファンミーティングで、「SNSに猫のゴブリンに対して『いやらしい』『自分みたいなものばかり飼う』と怖がる書き込みが多かった」と言い、「(曲で)先入観についての話をしたかった」と語った。"Goblin"の歌詞は「君をいっぱい抱きしめていたいのは/君の心の白い霧/黒く染めるよ」と、白を善・黒を悪と思う世の中の固定観念を覆したいという想いを語り、「Don't be afraid of the cat without fur(毛のない猫を怖がらないで)」「just wanna tell you hi(あいさつだけしたかっただけ)」というメッセージを伝える。人々の期待と違う姿は、まるで毛のない猫や魔よけ「ゴブリン」のように馴染みが薄く思えるが、実はただ真実に近づこうとする挨拶に過ぎないという心の表現。実際にソルリは"悪質なコメントの夜"でノーブラが話題になっているにもかかわらず写真をアップする理由について聞かれると、「怖くなって隠れてしまうこともあるけど、多くの人がこれ(ノーブラ)に対して偏見を持たなくなってほしいという思いからやめなかった」と話した。


しかし、芸能人は常に大衆の愛を必要とし、同時に愛されてこそ生存できるジレンマに陥る。"Goblin"のミュージックビデオは「解離性人格障がい(いわゆる多重人格)」を持っているという説明を土台にソルリの3つの自我を見せながら、彼女が経験した心理的葛藤を描写する。一番目のソルリは見知らぬ人々が率いる車に運ばれて家に入り、無気力に椅子に座っている。彼女は家の中に侵食してくる人を避けようとするが、結局は他人がささやく言葉に囲まれる。一方、二番目に登場したソルリは顔にメイクをして人と区別されるような華やかな服装を身につけ、人々に先に話しかける。しかし、他人の動作をまねて彼らに混ざろうとする試みは彼女を疲れ果てさせ倒れさせ、人々は終始目を覆いながら彼女の努力を認めてはくれない。大衆の視線に対する恐怖と愛されたいという気持ちが衝突する昼が過ぎて夜になると、戦士の服装をした三番目の自我は、最初の自我をなくす。他人の視線を恐れる気持ちを毎晩抑えてこそ、芸能人の「ソルリ」として大衆の前に出ることができたという意味だろう。それでも人間「チェ・ジンリ」として愛されたいという気持ちまでを抑えることはできなかった。この1月、インスタグラムにアップされた"真理商店"スタッフや友人たちとのホームパーティーの写真が赤裸々という理由で議論になると、ソルリは"真理商店"の最後の映像で「私を知っている人たちは悪意がなかったというのをよくご存知だが、私にだけ特に色眼鏡をはめて観ていただいている方が多くて心が痛いことはある」と言いながらも、このように付け加えた。「真理商店に多くの関心を持って、また最初から精読してください。真理(ジンリ)をもう少し知ることができます。真理(ジンリ)を求めて記者の皆さん私を少しは可愛がってください。視聴者さんたち、私をかわいがってください」


ソルリが"悪質なコメントの夜"で、容姿の評価に対する自分の考えをしつこい程に語ったという点は象徴的だ。彼女は容姿に対する悪質なコメントや評価についてキム・ジミンとサンドゥルの会話を聞きながら「称賛度評価」という考え方を示し、特に最後に放送された回でイタリアでは容姿への称賛について韓国より慎重だというアルベルトの話を聞いて「容姿の評価については本当に慎重にするべきではないかと思う」と話したこともある。ルックスが競争力の一つと言える芸能産業に従事し、彼女自身も常にルックスで話題になったり愛されたソルリがルックス評価に対する問題意識を語ったというのは皮肉に思える。しかし、彼女は"悪質なコメントの夜"でf(x)時代の「ソルファント(ソルリ+象を意味するエレファントを合成したもの)」というニックネームが付けられた時期について直接言及し、「あの時は誰に見られるのも嫌だった」という苦しい心情を語った。"真理商店"でも、ソルリはオーディションを受け容姿への指摘を受けたファンから「痩せろって書いてほしい」と要請されると、「あなただけに痩せろと言うのは嫌だ。一緒にダイエット頑張ろうって書いてあげるから」と話した。彼女は芸能人として大衆から愛されるための外見管理と、ダイエットが必要な現実を否定しなかった。ただ、容姿の評価が人を尊重するよりも品評化したり対象化することになりうるという問題意識を表現し、自らの日常の会話でも、誰かを品評の対象にすることに気をつける姿を見せた。このような彼女姿は、芸能人の「ソルリ」である以前に人間「チェ・ジンリ」として尊重され愛されたいという表現でありながら、他人が当然だとか正しいと思う「白い霧」を、「黒く染める」変化を作り出すための努力でもあった。


自ら「夢見る私」についての話だと明かした”Dorothy"の歌詞の中で、ソルリは自分が夢見た多様な自我を見せてくれた。「嫉妬のドロシー/ 愛のドロシー/ 真理のドロシー/ 派手なドロシー」という歌詞を歌うソルリの声を包むバックミュージックは、まるで"オズの魔法使い"の中のドロシーが去った冒険を表現するように遅い速度で始まり、だんだんと速いビートと多様なメロディーの重なりに転換されていく。反面、多様な「ドロシー」を歌うソルリの声は曲が終わるまで最初から始まったリズムとメロディーをしっかりと維持しながら、「未来のための祈り」という歌詞にたどり着く。これはまるで自分を絶えず攻撃する世の中でも、自分だけの歩き方で真実の「チェ・ジンリ」であるのを止めなかったソルリの生前の姿を思い浮かばせる。すべての人間がそうであるように、ソルリも道徳的に常に完璧な姿だけを見せることはなかった。f(x)脱退当時はファンに失望を抱かせたり、自らも認めたように失敗もあった。それでもソルリは、常に大衆から愛されるべき芸能人の立場から人間としての真実を示そうとしたし、自らが思う信念を語った。特にこの1年の間には、自分の位置と影響力を認識して声を上げ、芸能や音楽で自らをコンテンツにしてますます多様な「ドロシー」を見せてくれていたところだった。もし、もっと多くの時間が与えられていたら、自分だけの声で大衆と疎通する方法を徐々に探していく彼女の成長期が見られたかもしれない。しかし、そのドロシーはもはや、世界の知られざるところへ永遠の冒険に出かけた。もうソルリのためにできることは、遅ればせながら「未来のための祈り」をささげることしか残っていない。どうか彼女が今旅立った冒険では自分だけの歩き方を止めないことを、そしてどんな「ドロシー」の姿でも愛されることを願って。


文キムリウン