サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】NCTの世界

【ize訳】NCTの世界

 

2018.03.22
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018032122447227853


NCT 2018」、あえて説明するならば「NCT」というブランドと「2018」という特定の年度を合わせた名前が初めて目についたのは、「NCT 2018 Yearbook」が登場した1月末だ。 2つの映像は、NCTの個別活動の単位に関係なく18人全体のメンバーを紹介した事がすべてだ。 「Yearbook」という形態は、1年間あるいは一定の期間内に現れた事柄や成果を記録又は記念する事が目的ではないのだろうかと少々不思議に思ったりもする。 もちろん、カムバックを控えて出たティーザーを目にすればあまりにも心配する必要はない。 「Yearbook」の数日後、18人全員が登場するライブストリーミング、「ウェルカムNCT 2018」を行った。それと同時に「NCT 2018」というプロジェクトが公開された。NCT U、NCT 127、NCT Dreamがすべて参加して、同じ名前のアルバムにつながっていく。

 

このぐらいになると、もっと気になる事がある。SMエンターテインメントが最初に提示したように、NCTは最初から固定的なメンバー構成に縛られず、音楽と活動地域などで多様な組みあわせが可能な一種のブランドに近い。 実際に、「Yearbook」を通じて3人の新しいメンバーを紹介している。 「新しいメンバー」という概念がこのように何の抵抗もなく受け入れられるようにしたというだけでも、芸能産業でも珍しいことだ。 昨年すでに「NCT 2018」に参加している3つのグループが皆それぞれの活動を行っており、ブランドの概念は機能しているように見えり。ユニットと歌によってメンバーは自由に変わり、SMエンターテインメントNCTという正体が残った。 そのおかげで、少なくともNCTという「テクノロジー」を開発した目的の一部、あるいは絶対に避けたかったアイドル業界のメンバー問題はある程度解消したと見てもいいくらいだ。

 

同一のブランドを共有する多数のグループがひとつのプロジェクトに集中する事ももちろん可能だ。 大衆文化において「スーパーグループ」あるいは「合体」のストーリーはいつでももっともらしい。 NCTの世界観を披露するという「NCTmentary」はその過程を無理なく提示するための概念設定である。 この映像シリーズは「夢を共有する」というテーマのいくつかの言語に始まり、すぐに続いて「NCTは接近性と拡張性に重点を置くグループであり、グループのメンバーの制限がなく、多様な組み合わせが可能である」と説明する。 そしてレム睡眠に対する描写が続く。 この映像は「世界観」を強調するという面で印象的だ。

 

まず、グループの出発点となる「産業的概念」、一般企業なら製品あるいはブランドのコンセプトと言ってもいい内容がそのまま「世界観」の柱になる。 会社あるいは企画の存在感を薄くさせて一連のストーリーとキャラクターを付与することが世界観を付与する作業だとしたら、もうその必要はないとでも言うようだ。 もしくは、我々の時代の世界観自体がビジネスの為であるということなのか。もちろん、映像シリーズ全体を合わせた概念は「夢を共有する」あるいは「夢にコネクトする」というものに近い。 異なるグループのように見えるが、各グループが夢でつながるという構造設計が目的とみられる。 しかし、実際に登場する話は「夢を持った少年たち」だ。 過去のアイドルの世界観における困難の一つは、もっともらしい物語とキャラクターを最終的には音楽とステージに連結させることだ。 今回はそのような複雑な過程を取り上げ、デビューの夢と家族とファンに対する愛を音楽とステージに関連付けている。 Mnet「プロデュース101」はただのTVショーであったり、期限つきグループ2個を作っただけで終わったわけではない。 「歌手になりたい」または「舞台に立ちたい」という切実さが、アイドルの情緒的な背景だけではなくコンテンツ自体を作った。「類似恋愛」の感情はファンタジーではなく、現実の舞台で完成される。

 

だから、この世界観は音楽に影響を及ぼさない。 誰が選ばれるかはわからないが、とにかくグループがデビューするTVショーと同じことだ。 TVショーが競争構図の中で自然に獲得した「夢見る少年/少女像」を、また別に説明しなければならないことを除けば。「NCT 2018」という名の下で、「BOSS」「Baby Don't Stop」「Go」「Touch」につながる活動が、昨年に見たものと何か殊更変わった部分があるだろうか。 この美麗なトラックとパフォーマンスが、惜しくも大衆的な波及力を発揮しないというもどかしさも含めて。 SMエンターテイメントが一時そうだったように産業と芸術が調和する優雅さを発揮することに対して、世の中がとても厳しいようだ。


文 ソソンドク(音楽コラムニスト)
校正 キムヨンジン