サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ハンギョレ訳】誰もが作曲をする必要はない

ハンギョレ訳】誰もが作曲をする必要はない

 

2017-07-28 08:00
http://m.hani.co.kr/arti/culture/music/804672.html?_fr=tw#_adtel

 

[ミミョウのアイドルマインドマップ]

アイドルはよく「他人の曲」を歌う人たちだと認識されている。すべての分野を専門家が担当し作り上げられた存在なので、これは少なからず事実だ。歌と踊りに才能があり、ルックスも素晴らしい人が必ず作曲も上手とは限らないからだ。それでも自作曲を披露し、印象的な活動を繰り広げるアイドルは徐々に増えてきている。彼らはアルバム収録曲の一部を作曲したり、着実にタイトル曲を担当することもある。時にはジョンヒョン(SHINee)、ZICO(Block.b)、HA:TFELT(イェウン、WONDER GIRLS)のように優れた成果を達成しながら、グループとソロ活動を並行することもある。 「作曲ドル」が大幅に増えてきたのは、やはりG-DRAGON(BIGBANG)が注目すべき成果を収めたからだ。特にボーイズグループを中心に作曲するメンバーがいるグループが大幅に増えた。人の魅力と才能を育てるアイドル産業は、個人の犠牲を対価とする。次にその結実した果実をもとに個人として自分自身の統制権を握ることは、多分すべてのハッピーエンドだ。アーティストとしての成長は、明らかに歓迎すべきことである。

 

ただし、アイドルの自作曲がすべて素晴らしい曲というわけではない。周りのプロデューサーたちに大小の助けを受ける場合も多くあるが、利用できる資源を借りてより良い音楽を作り出すのは音楽家として明らかな美徳だ。 しかし、「専門家の手」でも整えられなかった初心者の足りなさがそのまま露出されているケースも珍しくはない。時にはジニョン(B1A4)が作曲したGirl On Topの「こんな場所で」のように、少しつたないような表情が大きな魅力になって、これを模倣する曲が溢れ出ることもある。しかし、そのような素敵な奇跡はみんなに起こるわけではない。 さらには立派なアイドルが大雑把な自作曲を発表するときは、そのアイドルとプロダクションが持っている完璧なイメージがむしろ壊れると惜しんだこともある。

 

多くの場合、アイドルの自作曲は依然として報道資料の中での名ばかりの修辞に過ぎない。 これらがなかなか認められないという事は、これが実際には習作の水準の作品が多いからであるということを否定し難い。 事実「自作曲」というありふれた単語さえも、依然として多くのアイドル作曲は非専門的な試みに過ぎないという内外の認識を反映している。 自分の作品を「自作曲」と呼ぶ専門の作曲家がいるだろうか。中には完成度の高いアイドル自作曲が登場すると不当なゴーストライティング疑惑を暗にひそひそと話す人々がいるのも、やはり部分的にこれと無縁ではない。

 

実力の成長を着実に見守るというのも面白くはある。ファンにとっては素晴らしいサービスだ。むしろ不足するほど、より率直な姿のように身近で格別に感じられることもある。しかし、そのグループのファンではない大衆から見れば、高度に商業化された市場の中で仕上げのみが良い完成度の低い曲をあえて聞く理由があるのだろうか​​?ファンだけが喜ぶ自作曲も悪いことではないが、ファンサービスを通じて大衆にも認められたいというのはほぼ矛盾である。アイドル産業は「各自が上手なこと」を組み合わせるものである。ダンスと歌が優れた人たちがいて、作曲が上手な人があり、コンセプトに優れた感覚を持った人もいる。例えば、最近シンガーソングライター路線を本格化したイヒョリは、過去に自分自身をテーマにして果敢な演出をする一種のコンセプトプロデューサーとしてK-POPの歴史の一時代を興した。彼女は当時作曲をしていなかったし、その成果を誰が卑下することができるだろうか?音楽の各分野には優劣がない。それぞれに違った得意なものがあるなら、それらをうまくすれば良いのだ。 誰もが作曲をする必要はない。

 

<idology>編集長