サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【GQ KOREA訳】デビューできずにいる新人グループの内情

【GQ KOREA訳】デビューできずにいる新人グループの内情  

데뷔를 못하고 있는 신인 그룹들의 속사정 | 지큐 코리아 (GQ Korea)

2020-08-13T15:23:58+00:00


新人グループはデビューする前から「富益富貧益貧」現象を経験する。 COVID19がこれをより克明に表わした。

 

「もう何回先送りにしたのか。 でも、仕方がない」

昨年上半期から、本格的なデビューを控えている新人グループを作ってきたある芸能事務所の関係者Aさんは、もどかしさを吐露している。 本格的なデビューを控えてティージングコンテンツを企画中に投資家たちとの話を盛んに交わされていたところ、COVID19事態が発生し支援が霧散した。 海外公演を中心に組まれていたグループ活動計画に大きな変動が生じ、投資家たちも懐疑的な見方を示したためだ。

 

今年、新人グループをデビューさせた会社のうち、それなりに状況が優れているのはPlayMSTARSHIPエンターテインメントのように、産業内部で認知度や企画能力がすでに認められている会社だ。 PlayMの新人ガールズグループ「Weekly」、STARSHIPエンターテインメントの「CRAVITY」などは、全てカカオMのような巨大プラットフォームのサポートを受けている会社だ。 彼らの中でも全く動じずに計画を実行していると見られる会社は1社、BigHitエンターテインメントだけだ。 BigHitエンターテインメントの場合、新人グループローンチング関連ではMnetでリアリティ番組「I-LAND」を放送中である。 このプログラムにはRainをはじめとする外部の創作陣にBigHitエンターテインメント内部の有名創作陣が登場し、練習生を評価する。 このプログラムのメインテーマ曲はIUが歌った。

 

4年近い間、韓国のアイドル産業を揺るがしたMnet(プロデュース)シリーズが影を潜め、その当時該当番組に出演せずに堂々とデビューしていた新人グループの大半は、予想より苦い結果を招いた。 特にボーイズグループの場合、「プロデュース」シリーズを通じて誕生したWanna OneとX1の間に位置していたThe Boyz・Golden Child・ONF・VERIVERYなどのグループはファンダムの増加による上昇傾向と下落傾向を繰り返し経験し、安定した位置を得ることができなかった。 そして現在訪れているCOVID19事態では、それほど規模の小さくない会社から誕生したこれらのグループが地道に自分の進む道を歩む状況すら容易なものではなくなっている。ある芸能事務所の関係者Bさんによると、「海外公演は不可能で、国内でのアルバム発売だけでは得られる収益は少なすぎる」現在、「何もしないわけにはいかないので」泣き寝入りする人が多いという。

 

そのため、彼らより状況がさらに良くない小規模芸能事務所の立場は言うまでもない。 デジタルシングルの発売を通じてメンバーを1人ずつ公開しようとしたある企画会社は、SNSと絶え間ないYouTubeコンテンツはなければ音源を広報する余地そのものがない状況に直面し、悩んでいる。 「私たちは小規模芸能事務所なので既存のボーイズグループとは違う方法でマーケティングを企画していたが、今現在デビューをするということ自体が無理なようで心配だ」この芸能事務所の関係者たちは頭を突き合わせて悩んでいる。

 

もちろん、十分な資本が投入されなければBTSの後輩グループであるTXTのような、コンセプトからメンバーたちの構成まで質的にきれいに整ったコンテンツは出にくい。 しかし、KPOPの早い成長動力の一つが多様な形のコンテンツにあったという点を考慮すれば、今のように大手芸能事務所以外には生き残れない状況は長期的には産業の動力を弱めかねないという懸念を抱かざるを得ない。 COVID19によってKPOP産業に存在した極端な富益富貧益貧(富む者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなるという意味)現象が本格的に現れ始めた。 奇跡が起こる可能性があるとしても、期待はできない状況。何より、常に新しいものに出会う期待に満ちていたKPOPファンが興味を失う瞬間が来たら、その時がまさにこの産業が本格的な下落に入る瞬間になるかも知れない。 すぐ目の前のことではなくても、ありえない未来ではない。

 

パク・ヒア(大衆文化ジャーナリスト)

【ize訳】アイドルグループのもう1人のメンバーはプロデューサー!

アイドルグループのもう1人のメンバーはプロデューサー!

https://m.ize.co.kr/view.html?no=2020081315157222906
2020.08.13


1曲のヒット曲が重要な時代があった。 歌ひとつだけ成功させれば、その曲で グループひとつを食べさせる事ができた、そんな時代。 次は世界観だった。 アイドルであるならアルバムからグループまで自分たちならではの叙事やストーリーを持っていてこそ、忠誠度の高いファンどむqを作ることができるという。 そのようにヒット曲と世界観の睦まじいシーズンが過ぎ、今やプロデューサーの時代が訪れた。 良い曲を書いて歌手に提供する作曲家とも違うし、これまで所属会社の「社長」たちが適当に担当してきた責任者とも違うその名前。 K-POPのシーンはもちろん、歌謡界全般を見渡しても国内ではその数が極めて少なく、用語の定義さえ薄かった「プロデューサー」は、今流行っているK-POPグループと共に改めて注目されるポジションとして名声を上げている。 単に曲を書くだけでなく、該当グループのコンセプトや方向性、運命を一緒に作っていく堂々たるジョーカー。 その中で特に目立つ特別な組み合わせを集めてみた。

 

ATEEZーEDEN

最近、海外を中心に高い人気を謳歌している8人組ボーイズグループ「ATEEZ」は、デビューから今までずっとプロデューサーのEDENと呼吸を合わせてきている。 キム・ヒョンジュン(SS501)、BTOB、GFRIENDなどに曲を提供した作曲家でシンガーソングライターとしてキャリアを始めたEDENは、2010年後半にCUBEエンターテイメントを経て現在のKQエンターテイメントに至るまで、該当レーベルのインハウスプロデューサー(フリーランスではなく特定の会社に所属する専属作曲家プロデューサー)として活躍している。 特にATEEZとの作業は、練習生時代から苦楽を共にしてきた時間の流れと悩みがそのまま感じられる結果として良い反応を得ている。 「PIRATE KING」という多少マニアックなコンセプトでスタートしたが、ヒップホップとEDM、ポップスを調和させるプロデューサーEDENの並々ならぬ感覚とメンバーたちのパフォーマンスの実力が出会い、速いスピードでファンダムを増やしている注目すべき組み合わせだ。

 

Lovelyzーユン・サン(1Piece)

アイドルと有名プロデューサーとの出会いを語る時、真っ先に思い浮かぶ名前ではないかと思う。 デビュー曲「Candy  Jelly  Love」(2014)から正規2集リパッケージアルバム「今、私たち」(2017)まで3年余りの歳月が残した彼らの痕跡は、そのままガールズグループのプロデューサーとしての音楽家ユン・サンの新しい挑戦であり、ボーイズグループより専門的かつ体系的なプロデュースを受ける機会が少ない新人ガールズグループの挑戦でもあった。 「Lovelyzの父」を自ら要望しアルバム発売ショーケースの進行まで務めたユン・サンは、互いにそれぞれの道を歩んでいる今でも有効なLovelyz特有のイメージを成功裏に築き上げた。 か弱いが粘り強く、明るくてもどこか寂しいLovelyzならではの切なさは、ユンサンの音楽が持つ固有の音楽的な色と姿を重ね、KPOPではなかなか目にできなかった奥深いガールズグループのイメージを作り出した。

 

BTSーPdogg

「歌手とプロデューサーがお互いをよく知るインハウス・システムがいい」という噂を作った張本人。無名作曲家時代、BigHitエンターテインメント代表のパン・シヒョクが運営していた作曲関連コミュニティに掲載した曲が好評を得て、8IGHTとイム・ジョンヒに曲を与えて始まったPdoggの経歴は、以後BigHitに正式に合流して花を咲かせた。 PdoggとBTSと言えば思い浮かぶ「ヒップホップとエレクトロニックを基盤としたポップサウンド」は、いまやBTSはもちろんKPOPを代表する音楽的アジェンダとなり、終わりのない分析と再生産の対象となっている。 彼らの協業はヒップホップアイドルを標榜したデビュー作『2  COOL  4  SKOOL』(2013)で、エド・シーラン、ニッキー・ミナージュ、The Chainsmokersといった世界的なポップスターたちと肩を並べるようになった今でも継続している。 彼らが作り出す化学作用は活動の基本である音楽作業はもとより、BTSの重要な成功要素の一つと指摘される多層的で細かな世界観まできめ細かく繋がり、歌手とプロデューサーとの絆がよい結果物へと繋がる代表的事例となった。


ONFーファン・ヒョン(MONOTREE)

2020年、今一番熱い組み合わせだ。2017年にデビューした6人組ボーイズグループのONFは、これまで東方神起、少女時代、SHINee、EXO、Red  VelvetなどSMエンターテインメントアーティストのアルバムで「隠れた名曲」または「タイトルより良い収録曲」として静かに名声を築いてきたファン・ヒョン(MONOTREE)が初めてグループ単位のプロデュースに挑戦したケースだった。 デビュー作「ON/OFF」(2017)から2019年10月に発売された「GO  LIVE」まで約2年間積み重ねてきた2組は、2020年のミニ3枚目のタイトル曲「We Must Love」の口コミとMnet「ロード・トゥ・キングダム」への出演で目覚ましいシナジー効果を生み出し話題を呼んだ。 ビート、メロディー、歌詞、世界観においてもミニマリズムとは一線を画すかのように、前ばかり見て駆けつけるファン・ヒョンの音楽とONFが作り出した過剰なイメージはクールさに疲れていたKPOPファンの視線を一気に捕らえ、「ファントーベン」(ファン・ヒョン+ベートーベン)「ファンボジ」(ファン・ヒョン+アボジ=お父さん)のような新しい修飾語とともに、グループの人気もまた同時に押し上げている。


ソンミーFRANTS

ソンミとプロデューサーフランツの縁は、2人がJYPエンターテインメントに一緒に勤めていた時代にさかのぼる。 JYPのインハウスプロデューサーとして活動し、ワンダーガールズ、GOT7、TWICE、DAY6などの音楽を作業したフランツは、当時徐々に自作曲の数を増やしていたソンミの良き音楽的師匠でありパートナーだった。 自作曲「Why  So  Lonely」をチャート1位に上げた自信を基にソロ独立後徐々に自分だけの音楽的領域を広げていたソンミは、初のソロアルバム「WARNING」のパートナーとしてフランツを指名する。 タイトル曲「Siren」はもちろん、収録曲「ADDICT」、「Black  Pearl」を共同で手がけた彼は、ソンミだけの中低音ボーカルと神秘的な雰囲気を最も豊かで魅力的に描き出せるプロデューサーとして確固たる位置を占めている。その後、「LALALAY」「pporappippam」と続く彼らの出会いは、スマートで勤勉なアーティストとセンスのあるプロデューサーが柔軟に交差した望ましい組み合わせで、これからもKPOPファンの記憶の中に忘れられない瞬間を作り上げていくだろう。


キム・ユンハ(大衆音楽評論家)

 

※当初ファンバジの意味がわからなかったのでそのまま書いてましたが、ONFのファンのかたから「ファンボジ=ファン+アボジの造語」だと教えていただいたので修正しました。

【質問箱】日韓アイドルのポリコレ的態度と社会の関係性について

【質問箱より】

KPOPアイドルを応援していて思うのが「日本のアイドルより倫理観がしっかりしている」ということなのですが、練習生の時にそういう教育がされているのでしょうか。それとも韓国の方が日本より差別意識が薄かったり多様性を尊重した社会なのでしょうか。私は何となく後者じゃないかなと思っていますが泡沫さんの意見が聞きたいです。
私は前まで日本のアイドルを追っていて女性であったりマイノリティの人々を軽視した言動があまりにも多く正直うんざりしていたのですが最近KPOPを好きになり「あらゆる差別に反対する」というようなしっかりした考えのアイドルが多く感動しています。日本のアイドルがなかなか世界進出できていない理由はそういうところにあるんじゃないかと思いました。日本のアイドルも彼らを見習ってほしいのですが難しいんですかね…
2020年8月13日6:25

https://odaibako.net/detail/request/1cce694a-e32b-4a93-b378-2eee22f8c9cc

 

KPOPを好きになって割と日が浅い方からよく頂くトピックなので、今後はリンクで処理するためにブログにまとめる事にしました。

まずはこちらをご参照ください。

https://twitter.com/djutakata/status/1287682916156284928?s=21

 

私の考えとしては、事務所の教育とファンや社会からの圧力の強さが大きいと思います。KPOPを見てきた10年ちょっとの間でも様々な事件がありました。ほんの一部ではありますが、こちらの記事訳などをご参照頂ければと思います。

「あらゆる差別に反対する」というような事を言い出したというか、アピールするようになったり気をつけ始めたのは、海外のファンも増えてきて問題が指摘される事も多くなってきた本当にここ数年の事だと思います。今はそういうイメージのアイドルでも数年前までは繰り返し差別的言動や態度をバッシングされたりという実例もありますし、そのような過去が知られている韓国内でのイメージと知られていないその他の国でのイメージが正反対というケースもあります。韓国ではここ数年でアイドルに対するポリティカル・コレクトネスの要求が急速に高まっており、ファンによる要求やアンチによるバッシングだけではなく社会的目線やアンチからの攻撃の種になる事自体を懸念するファンが是正を強く求め出した事もあって、事務所の方も特に気にしなければならなくなったという流れが正しいと思います。

 

「ファンや社会からの要請で変わってきている」というのは字面にするととても良いことのように見えるのですが、その過程においては「多様性」という言葉からはほど遠い経過を見せるケースも少なくありません。「ポリコレ的な視点が足りなすぎるからこの本を読んで勉強して欲しい」とファンが書籍を贈ったりという事もあるんですが(これも人によって微妙なラインではあるかもしれませんが)「学んで良くなって欲しい」というよりはむしろ、一方的に「(当人やグループのイメージが悪くなるから)とにかく公式に謝罪しろ・しないならやめろ」という極端な圧力の方が圧倒的に多いですし、それで本当にすぐ辞めてしまったり精神的に参ってしまったのではないかというようなケースや、あるいは一生謝罪とボランティア活動をして世間やファンのために奉仕しているという姿を見せるように生きていかなければいけないのかな...というような例も少なくないです。韓国のアイドルの方がネットでの評判やバッシングにはとても敏感ですから、そのような圧力で「矯正」させられてきた部分が大きく、特に気をつけるようになってきたという事だと思います。そういう環境になると結果的に段々と自主的に気にし始めるようにはなってくると思いますし、目に見える部分では問題は減るのでそれはそれで良い事ではあるのですが、現状では「アイドルが自分で考えて学んだ」「アイドル自身の自主的な行動と考え」と‪言うよりも、それ以前にそのような事柄に対しては極力触れない(SNSやコンカなど、アイドルが直接的に投稿する場所では触れない)とか、事務所や仕事の場を通してのみの定型通りの話しかしなくなってきているので、アイドルの自主性という基本的人権の側面から見れば果たしてそれがそのまんま素晴らしくて良いことなのかどうか、私にはわかりません。ファンや社会が韓国のアイドルに対して要求したりこうあるべきと望む態度や内容が、外国人でもある自分から見れば必ずしも人間的だったり「正しい」ことばかりではないと、個人的には感じる部分もあるからです。「どのように強制的だったり表層的なやり方であれ、ポリコレの定型的に問題なく振る舞うようになる事が最も重要だ」と考える人にとっては、それは全て「正しくて素晴らしいこと」なんでしょうか。

 

先程リンクを貼った記事にある文で

「ファンドムは自分のアイドルに対する「ロビー活動」と、自分のアイドルのライバルが「女性嫌悪歌手」であることを広く流布する行為を同時に進行したりもする。 この過程でアイドルに政治的な正しさを要求する声は、悪意を帯びた「政治活動」にだまされたりもして、逆に他で議論になるほどの事がなくても特定ファンドムを牽制することに悪用したりもする人もいる。」

というものがあります。純粋に「自分たちのアイドルには(自分たちの考える基準で)『正しく』あって欲しい」という意思だけではなく、そういう動きを利用して気に入らないグループを陥れるためにあえて声高に問題を強調し公論化させようとする、というような動きはKPOPのアイドルファンドム(最近は韓国だけではなく、それに倣う海外ファンも少なくないので)には常にあり、そういう意味での「政治的」な側面もあるということです。それほど韓国ではファンドムの声が大きいし、良くも悪くも圧力を持ってあたかも総意のようにダイレクトに届きやすいという部分はあると思います。
(事務所がそのまま要求を受け入れるかどうかはまた別ですし事務所にもよりますが)

韓国の宮脇咲良ファンの方が書いた文章などにも、日本人からは見えにくい韓国のアイドルが置かれた状況が書かれていると思いますので、こちらもよかったらご参照ください。

 

「韓国の方が日本より差別意識が薄かったり多様性を尊重した社会なのか」という点に関しては、以前から言っていますが韓国の方が良い部分もあれば日本の方が良い部分もあると思いますので、当たり前なんですが単純な比較はできないと思います。今現在の韓国のアイドルは先述のような理由から特別に清廉潔白で正しい生き方や人格を「振る舞い方」を超えた範囲で求められていますし、「グローバル」というような側面をも担わされつつある現在では特にそうだろうと思います。実際に欧米圏でも「パフォーマンスでは悪ぶっていたとしても、私生活や振る舞い方は物凄く統制されてクリーン」というイメージはあるので、それが逆に「ファクトリーで作られる、自由がなく言いなりのアイドル」という、あんまり良くない方のステレオタイプイメージの一端にもなってるんじゃないかと思いますが。日本のアイドルの方が良くも悪くも色々な面でナチュラルという比較のされ方は英語圏ではよく見ます。例えばRed Velvetのアイリーンが男性アイドルが読んだと言った時は讃えられた「82年生まれキムジヨン」を読んだと言ったり、APinkのナヨンが「Girls Can Do Anything」というスマホケースを持っていただけで「フェミだと認定されて」ニュースになるくらい酷くバッシングされた事もありました。ティファニーのように、東京滞在時のインスタ投稿に押したスタンプに旭日旗のような柄がふくまれていた(インスタのデフォルトの東京スタンプにたまたまついていた)というだけで強いバッシングを受け、実際に番組を降板させられた例もあります。ソルリが極端な選択をした時、韓国では彼女のアイドルとしては自由と思われがちだった振る舞い方に対する執拗なバッシングを背景として想像する人は少なくなかったと思います。つい最近でも、韓国で活躍しているガーナ出身のタレントがブラックフェイス的扮装をしていた韓国の学生のSNSの写真に意見したところ逆に強いバッシングを受け、謝罪するという事もあったばかりです。アイドルや芸能人がらみだけでもこのような事が現在進行形であるのを知っていればば、「韓国の方が日本より差別意識が薄かったり多様性を尊重した社会なのでは」とは単純に言えるはずがないですし、実際に韓国で抑圧を受けている人々から見ればそれは現実を知らない外国人のあまりに無責任でお気楽な見解と感じられるのではないでしょうか。韓国では兵役という男性への強制性が強い大きな社会制度があり、それによって日本とはまた異なるねじれ方をしたジェンダー的な問題もあると感じます。「アイドルは社会をうつすもの」とは言いますが、等身大よりも理想である事を強く求められて時に強制されるような雰囲気やシステムの中で生み出されているものであれば、それはそのままのリアルという事ではないと思います。そしてアイドルを通してしか韓国社会を見ていないのであれば、見えている部分はその社会を構成する部分ではあるけど、実際はとても狭い範囲であるんだろうという自覚は必要ではないかと思います。

 

日本のアイドルにジェンダー観に問題があったりマイノリティ軽視の発言が多いというのは、ある意味でそのまんまの日本の現実(教育にしろ社会にしろ)を反映している面もあるでしょうし、逆に言えばそれが強制的に制限される事がなく自由で同時に野放しという事でもあると思うので、個人の裁量に任されている面が大きい分公の場に出やすいんだと思います。指摘されなければわからない事はあるしそういう間違いをして学習していく面もあるでしょうけど、一度世に出た事は消せない以上はそれで傷つく人を無くすためにも世に出ない方がいいに決まってるとは思います。そういう面に対して事務所側が一括で管理する事で、質問者の方に様にその国そのものに対して単純にポジティブな印象を持つ人も出てくるというのは良い効果だと思いますので、そういう文化面や倫理面での事務所による教育プログラムみたいなものがあったら良いだろうと思います。日本のアイドルが即職業としてアイドルになるパターンも多いのに対して韓国のアイドルは練習生システムが基本なので、10代のうちから一般人の同世代と触れ合う機会も少なくトレーニングに没頭せざるを得ない練習生等への教育的側面も必要になるし、その一環として他文化やポリコレ的な事に対する教育も入れ込みやすいというのはあるかもしれません。日本でも社員向けセクハラパワハラ研修などは今や特別ではないですから、特に大きい事務所などは企業としてそういうものも取り入れた方がいいんじゃないかと思います。

 

KPOPはある意味ファンの側=今の10代・20代の女性の理想を体現させられている面があり、それがすなわち必ずしも今の社会全体が求めている理想というわけではないと思いますが、日本のアイドルもファンが行動していけば、そういう層が望むように振る舞うという事にまで考えが及ぶように変わってくるかもしれませんね。日本のアイドルはファンの年齢層も幅広い分考え方もバラバラだったり、システム的に「ファンの総意」としてまとめるの難しい部分もあるんではないかと思いますが、日本のアイドルのファンでもそのような部分を問題と考えているファンがいないわけじゃないと思います。ツイッターやブログではよく見ますし。これからは、ファンレターでもなんでも細かくこういう部分は嫌でしたとか問題があると感じるという事を伝えていくという事は重要かもしれません。韓国のようにファンの方から自らの気持ちや意見を表明する事はせずにアイドルに対しては変わる事を望むと言うのも、理不尽という気もします。

 

日本からKPOPを見ているファンで諸々の背景は無視している(見えていない)ひとたちはある意味、あらかじめ韓国のファンや社会に叩かれて平らになったものだけを見て素晴らしく滑らかですね〜と言っているような部分もあると思います。もしも韓国のアイドルのような体面を望むのであれば、日本のアイドルの場合も日本の社会やファンが叩いたり添木をしたり事務所が土壌を変えたりして、時代に合わせるように育てていく必要はあるのかもしれないとは思います。

 

日本アイドルくらいにはアイドルの自主性を許しつつ、韓国のアイドルくらいにはポリコレについて気にしたり考えられるような両方の良い面を合わせたやり方ができればいいんですけどね。

【質問箱】J.Y.Parkのソロ曲について

【質問箱への投稿より】

JYパークが最近日本でも人気ですが、彼のソロ曲はWho's your mamaといいFeverといい女性を性的消費しているものが多いように感じます。MAMA2019でママムにWho's your mamaを一緒に踊らせていたのもかなり不快でした。エンパワメントを体現したような存在であるママムのメンバーにあの曲を踊らせるのはかなり侮辱的だし正直嫌がらせとすら思いました。
もうすぐカムバするようですが不安しかありません。
日本はそういう女性差別的な面ではまだまだ遅れていると思うのでそこまで騒ぎにならないのも理解できるのですが、フェミニズムが根付いていてちょっとした表現でもアウトになる韓国で彼の女性観がそれほど議論になっていないのが不思議なんですがどうしてなんでしょうか…

2020年8月8日0:41

https://odaibako.net/detail/request/20ee42a4-82bc-46b3-a822-be28597e50a0

 

J.Y.Parkの曲に女性嫌悪的とされる表現が多々見られる事は確かで過去に問題にされた事もありましたが、ご質問者の方の解釈の仕方もご質問の文章からはあまりに表層的なもののように感じました。


「エンパワメントを体現したような存在であるママムのメンバーにあの曲を踊らせるのはかなり侮辱的」とご質問者の方は感じたようですが、逆にいえばそのコラボを受け入れてパフォーマンスしたのは彼女たち自身ですよね。それとも、年長の先輩の男性アーティストだから嫌々ながら受け入れたという構図があると考えているんでしょうか。個人的には、J.Y.Parkの歌詞を女性嫌悪的だと糾弾しながらも、そのような女性観を変わらず表現し続けているアーティストとコラボレーションをしたMAMAMOOの方に異議を唱えないというのが不思議です。自ら選んでパフォーマンスしたにしろ、自らの意志ではなくパフォーマンスしたにしろ、ご質問に列挙された事柄からだけからでは「エンパワメントを体現」としていると感じているご質問者の方が脳内で描いているであろう「MAMAMOO像」との矛盾を感じましたし、フェミニズム的な視点から語るにしても「韓国の女性アイドル」や「J.Y.Parkの作風」に対してあまりに表層的な理解で発言されているように感じました。


J.Y.Park氏が歌手として韓国で人気と注目集めた理由としては、性表現に厳しい韓国で「性」というものをテーマにしてメジャーなエンタメ表現として取り上げてきた先駆者だからでしょうし、故にJYPの社長(今は社長じゃないですが)としてではなく、パフォーマーとしては韓国では性的なイメージが強いと思います。男性がセクシーさを前面に出す事は「女性に性的な目線で消費される存在としての己を認識して振る舞う」という事でもあり、それ自体が韓国ではエピックでした。

セクシャルな表現が多い事に加えてシスヘテロ的規範から女性を一方的に対象化しているという批判は勿論過去にもありましたが、「Who’s Your Mama?」はMVやパフォーマンスを合わせて見るとそのように「女性を性的な目で見てしまい、それをメインの物差しとしてしまう」という男性である自分自身をむしろ卑下して戯画化している内容で、タイトルにもなっている歌詞の「こんなになっちゃうなんてあなたのお母さんは誰なの?(親の顔が見てみたい)」というのは、女性に向けているようで実はJ.Y.Park自身に向けられた言葉という二重も仕掛けがある曲だと思います。だから歌詞だけを見て「女性を性的に消費している」と糾弾する事はむしろJ.Y.Parkの望むところで、本質からはズレた批判になっているのではないでしょうか。そこで指摘されるべきはむしろ自らを戯画化する事で許されようとする態度そのものであって、己を客観視してコミカルな存在にする事で女性への無分別な性的目線を「男の悲しい性」というようなものにすり替えてしまっている事なのではないかと思います。実際、この「世間からのいじりやバッシング・嘲笑なども含めて己のキャラをとことん戯画化する」というのは現在のJ.Y.Parkの芸風の柱のひとつではないかと思いますし、「Fever」の歌詞の過剰なセクシャルさも実際のパフォーマンスと合わさると、セクシーというよりもどうしてもコミカルなものとして感じられてしまうと同時に、アメリカのボードビルをイメージしたコンセプトと楽曲のクオリティが混ざり合った「セクゴリ感」とでも言うべきJ.Y.Parkにしか出せないえぐみというか、個性としかいいようがない仕上がりになってるんだろうと思いますが。


しかし、この「己の戯画化」という自己卑下のスタイルは、彼自身が実際は「年長者の男性で成功者でもある」という視点から見ると、特に年長者の男性の「精神的・社会的権力」が強い韓国においては女性を性的消費している視点をパフォーマンスのネタにしているという事実そのものの解決にも言い訳にもならないでしょう。韓国でもJ.Y.Parkの曲を女性嫌悪的な曲とみなしたり彼自身の女性観を非難する声も勿論ありますが(過去に話題になったことは何回かあります)それでも彼の芸能事務所社長としてのイメージや「年長者の男性なのに」コミカルで自己卑下するような表現をするというスタンスゆえに許されやすく問題になりにくいという部分もあるのではないかと思います。実際に「Who‘s〜」は非難もありながらも大きな注目を受けて曲としてはヒットしました。ご質問者の方が「フェミニズムが根付いていてちょっとした表現でもアウトになる韓国で彼の女性観がそれほど議論になっていないのが不思議なんですがどうしてなんでしょうか…」と感じているということは、そのような「Who's Your〜」がウケて受け入れられるリアルな韓国社会の反応や風潮は見えておらず、ご自分がお持ちのイメージが必ずしもそのままそれだけの事実というわけではないということではないでしょうか。

(この曲は江南殺人事件の前にリリースされたのでその後の変化はあるでしょうけど、MAMAでのパフォーマンス自体も論難になる事はなかったと思います)


個人的な感想としては、セクシャルな表現が多いゆえに女性嫌悪的な部分も目に見えてわかりやすい「年長者の男性」の先輩歌手と女性歌手がコラボするということは、女性がセクシーな表現をする事そのものへの反発もまだ多くある韓国においては、それ自体が性的な表現に対する女性の自主性をあらわすというアティテュードでもあるんだと思います。そしてJ.Y.Parkのパフォーマンスにおける根本的な芸風や女性観がそれほど変わる感じがない以上、J.Y.Park本人の意図に関わらず彼の歌に女性歌手がイーブンな立場でコラボする事そのものは、同じ歌詞でも話者の立場が変われば全く真逆の解釈がされるケースもある事を考えればポジティブな事なのではないかと思いました。本人たちの意志でやるのならですけど。だから直系の師弟的というか後輩とも言えるソンミとのコラボは、ソンミがどのように対峙するのか?という点でどのような事になるのか楽しみという部分が大きいです。

 

 

【質問箱】KPOPグループの国内人気と海外人気の乖離について

【質問箱への投稿より】

こんばんは。

Stray KidsやAteezがカムバしたことで、K-POPの海外人気と国内人気の乖離について最近気になっています。

どちらも再生回数や音盤成績の伸びの割に、国内の音源成績が「いくら男子グループとはいえ・・・」レベルで伸びません。

女子に目を向けるとアイドゥルなんかもマシといえばマシなのですがYouTUbe再生回数1億回常連、女子では珍しく音盤10万枚超えるレベルにしては音源成績は物足りない感じがあります。

またKARDのようにほぼ海外活動のみで黒字化に成功したグループも出てきました。

(一方でオマゴルのようにこれらと逆パターンのアイドルもいますが・・・。)

このように海外成績の割に国内成績が物足りないグループについて人気グループと見なしてしまっていいのか判断しかねています。

特に最近上記のようなグループの人気や格付けについて、K-POP好きな10~20代と第一、第二世代からK-POPを見てきた層で、SNS上で揉めてるのも見受けられます。
個人的には上の世代が現状に寛容にならないとK-POP全体が下り坂になりかねない気がするのですが・・・。

K-POPBTSを機に世界で認識されるようになった今日日、何をもって人気グループの判断をするのが妥当なのでしょうか?

また、国内外の人気の乖離から生じる各所への影響で予想されること(音楽番組1位の価値の低下など)なども併せて知識人の方のご意見を伺いたく思い投稿しました。

2020年8月5日4:55

https://odaibako.net/detail/request/cf402f04-cc8a-429d-90bf-4010ca31c574

 

自分が人気だと思ったグループが人気って事でいいんじゃないですかね...

 

前から言っている事なのですが、今って「人気」がものすごく多様化してきていて、「知ってる人は知ってるけど知らない人は全く知らない」という「人気者」がたくさん生まれている時代だと思います。インフルエンサーや配信主みたいに「その界隈では有名」とか「フォロワー○十・百万人」だとしても、そもそもそのサービス自体を使ってない人にとっては「無名人」だろうし、でもチャート上位には入ったり確実にお金は動いて支持者もたくさんいるという事は普通だと思います。日本のアイドル業界もすでにそうなっていると思いますが、韓国のアイドル業界でも5年位前から大衆からコアなファンドムが支えるアイドルへという動きになるだろうと言われていて実際そうなってきており、音源成績が良くなくても相当規模のファンドムを得ているグループというのは一般的になってきているのではないかと思います。

 

音源チャートに関しては、特に男子グループではすでに何年も前から「トップ規模ファンドムを持っているがゆえに音源チャート上位常連だが、実際は必ずしも大衆的に知られている流行曲というわけではない」というケースが一般的になっていますし、女子の場合は逆に「曲が音源チャートでバズってもグループ本体への人気に必ずしも繋がらない」という例もあり、「音源チャートと一般人気・認知度のズレ」というものはすでに存在していると思います。YouTubeの視聴回数にしても世界的に「タダなら見る」という無課金層やスミンも含まれる事を考えるともはや1億回というのが具体的な何かの目安にはならなくなってきてしまっていますし、女子グループは以前は大衆人気が高まってからそのピークを過ぎるとコアファンドムが支えるというスタイルが主流でしたが、最近は男子グループのように最初からコアファンドム中心の人気スタイルで継続しているグループもあり、それを考えると漠然と「人気」という大きな括りではなく、「国内ファンドム」「国外ファンドム」「一般人気・認知度」というものをそれぞれ別に考える必要がある時代になったということではないかと思います。

 

ですから、多角的な角度からの「人気」というものを見る必要があると思いますが、それはビジネス関連の人たちにとっては「必要」な分析かもしれませんけどファンにとっては「必要」な事でもないと思いますので、個人的にはファンの側はむしろ格付けや順位みたいなものから今よりはもっと自由になっていっても良いのではないかと思ってます。アイドルって基本的には競争させるものじゃないはずです。そもそもアスリートじゃなくエンターティナーなので、自分たちを求めてくれるリスナーやファンをどれだけ楽しませられるか・好きでいさせるかというのが本分ではないですか。

基本的にファンがつける(考える)人気の順位ってマウンティングとかファンのお気持ち満たし以外の意味がないと思っているので、ファンがそれぞれ好きに「ぼくのかんがえたさいきょうのKPOPグループせいりょくず」的に楽しめばいいんじゃないでしょうか。

「特に最近上記のようなグループの人気や格付けについて、K-POP好きな10~20代と第一、第二世代からK-POPを見てきた層で、SNS上で揉めてるのも見受けられます。」っていうのも、ファン同士が勝手にランクをつけて勝手に揉めてるって事ですよね?「そういうオタ活」ということなんでしょうし、誹謗中傷とかがなければ好きに議論したらいいんじゃないかと思うんですね。ファンが権威になる事ってあり得ないと思いますし、権威がない以上特に意味はない(アイドル側に与えるような影響力は実質ほとんどない)行為だと思うので。世代の異なるファンの意見を無理やりすり合わせる必要もないと思います。

 

KPOP業界はそれ自体に権威があるのかどうか謎のなにかしらの冠や順位をつけたり賞レースにしたり投票させたりでファンの競争欲を煽ったり、競争を煽って意図的にエモい現場を作り出す事で盛り上げてきた部分も多分にあるんじゃないかと思うのですが、同時に「音楽番組1位の価値の低下」もすでに10年近く前から言われてきており、音源や音盤の売り上げが目に見える現状で実際視聴率は1%に満たないという実態(オンラインで見る層が増えていると言うことも含めて)からはすでにアイドルがアイドルファンに対して広報する為の場所になってると思います。そしてそれだけでも意義はあると思いますが、「音楽番組で1位を取っても音源チャートでは100位内も難しい」という例が「全体的な音楽消費のほとんどが音源」という国で出てくるとなると、「音楽番組での1位」というものの意味は既にオタクの世界の外では形骸化している事は否めないのではないかと思います。

 

「海外人気と国内人気のズレ」に関しては、個人的にはきちんとマネタイズ出来て黒字になるなら良いのではないかと思います(メンバー自身の気持ちはわかりませんけど)し、単純に「どこどこの国で人気のグループ」という事で良いのではないでしょうか?

いわゆる「海外人気」の点で問題だったのが、これは実際に海外公演もしている事務所の方に伺った話ですが、アジアではない欧米・南米圏では物価や貨幣価値の差、移動コスト、プロモーターへの配分等でコンサートの規模がアリーナ以上と大きくなるほど実は利益回収が難しくなっていくという点でした。ライブハウス・ホールクラスを細かく回るスタイルや逆にスタジアム即完クラスなら別ですが、アリーナ以上の会場を州をまたいでツアーで回る場合、実際は一箇所につき複数回の公演を全て完売にするくらいでないと十分な黒字にするのは難しいそうです。ツアーに伴う収入で最も大きいはずのグッズに関してもアジア圏に比べるとあんまり売りあげは芳しくないそうで、滞在時間の長期化や移動等でメンバーの肉体的負担が大きい&それにより国内やアジア圏での活動時間も減る割に特別収益がいいわけでもないというケースも多々ある為、最初から「今の規模ではプロモーション的な側面が大きく、コストも大きい為実際の収益は大きくない」という話をメンバーにしておく必要があるそうで。そういう意味で、「韓国よりも海外=欧米圏の方が人気がある」という事が人気の規模によっては必ずしもビジネス的にはプラスにならないケースもあるため、ライブが主な活動の場合は近場のアジア圏での人気の拡充もビジネス的には必須という事なのでしょう。

 

しかし今、実際に海外に行くこともコンサート自体も難しくなり主な活動場所がオンラインになって、国内向けも海外向けもかかるコストはほぼ同じでアクセス条件もフラットになった状況では、「国内」と「国外」の活動やファンを分ける意味はあまりなくなりますよね。後はどこの国のファンであれ、どのくらい「どのようなコンテンツでも実際にお金を払って見てくれる人」がいるのかという事でしかなくなるのでは。これもまた、これから先のひとつの「人気グループ」の目安になり得るんじゃないでしょうか。

【質問箱】ガールクラッシュコンセプトと日韓の女性アイドルについて

【質問箱への投稿より】

泡沫さんこんにちは
前々から思っていたのですが、自ら発信するbit○hはエンパワメント ですが、プルピン含むガールズグループはプロデュースされたアイドルであって、アイドルの言うことって自分で言ってるわけじゃなくて、結局は運営や社長(男性)に言わされてるわけじゃないですか。
それって本質的にエンパワメントと言えるのだろうか…というのをガルクラ系のkpopグループを見ていつも思っていました。
私は日本のアイドルのオタクなのですが、よく日本のアイドルがkpopと比較して男に媚びてるとか幼く振る舞わされてると言われますが、まあそれはそうなんだけど、kpopだってそれは可愛く着飾ったお人形かカッコよく着飾ったお人形かくらいの違いしかないんじゃないかなあと思っていました。
むしろ、日本のアイドルはそこまで運営に管理されていない(ほっとかれているとも言う)ので、よっぽど好き勝手自立してやってる気がします。
アイドル本人達にもガールズエンパワメントの意思は絶対あると思うんですが、とはいえやっぱり作られたコンセプトに作られたイメージの中で管理されて生きている女性達なわけで、多分清楚系コンセプトを与えられていたとしたらそれを上手にこなす人達だろうなあと思うし、ガルクラというコンセプト自体に大きな矛盾を感じています。
あと、私はbishにも同じ感覚を抱いています。
あそこはかなり社長一強の事務所なので…

泡沫さんはアイドルのガルクラコンセプトについてどのようにお考えでしょうか?
長文書いてしまってすみません。お手隙の時にでもお返事いただけたら幸いです。
2020年7月6日4:26

https://odaibako.net/detail/request/bbd42744836348a483cecc535c6858f1

 

なんか長くなったのでこちらで失礼しますね。

(テンプレ)

「ガールクラッシュコンセプト」については、ブログで過去に訳した記事につけてるコメントにも色々書いてるのでそちらもご参照頂ければと思います。

 

ご質問者の方の言う「ガールクラッシュも清純コンセプトも、必ずしも自分たちの意志で自主的にやってるわけではないという点では同じ」という点については、その通りだと思います。これはボーイズグループも同じだし、日本のような完全にインディーズでメンバーが全てやっているグループはほぼ存在しないいわゆるKPOP=アイドルに関しては、全員例外なく事務所の意向が入らない事はありえないですよね。「自作」や「セルフプロデュース」してるグループだって必ず事務所のチェックを通らなければ世に出す事はできませんし、世に出す演出の仕方は事務所が決めますし。ただし、パフォーマンスをする主体はアイドルですから、そこに本人の意思があってもなくても表現そのものだけでもある程度の意思表示やエンパワメントにはなるんじゃないかと思います。BACKSTREET BOYSのドキュメンタリーでメンバーが自分たちのことを「ピノキオみたいに、最初は作られた存在でも続けていくうちに命が宿るんだ」というような事を言っていたのですが、そういう存在と考えれば逆に「言わされてる」「やらされてる」が100%ではないんじゃないかとも思いますし。女性が世間を挑発するような強い表現を体現する事も、逆に世間からなんと言われようとワシらはこれで行くんじゃいと清楚系や可愛い系のコンセプトを貫き通すことも、両方とも女子へのエンパワメントになりうるんじゃないかと個人的には思っています。要は何を目的にやってるのか、どこに何を見出すかにすぎないんじゃないのかという。

 

個人的には「ガールクラッシュ」っていうコンセプトになってしまった時点で実際は本質からズレてしまってると思ってます。そもそも「ガールクラッシュだから」売れてたり人気があるというよりは、そういうイメージで人気のあるグループがそれぞれの個性を確立していて他にできない事をやっているからなんじゃないかと思うのです。例えば人気の高いガルクラ的なイメージのグループを見てもREDVELVETもMAMAMOOもBLACKPINKもそれぞれ表現している事やイメージは違うし、「ガールクラッシュ」というのはその一部を表す表現にすぎません。それを「ガールクラッシュ」の一言に類型化すること自体がある種の型にはまったイメージを一方的かつ勝手に負わせているというか、いわゆる「対象化」になるのでは。それに、典型的な「ガールクラッシュ」的だと思われていなくてもTWICEやIZ*ONEやOH MY GIRLなど、全体的に見れば女子からも人気があるグループもいくつもいますし。基本的にKPOPの場合、女子グループは男子と違って一部のオタクにのみ人気があるだけでなく大衆性もなければトップ人気にはなれないので、人気の女子グループは男女問わず支持されるグループがほとんどじゃないかと思います。「ガールクラッシュ」という言葉が頻繁に使われるようになった2015〜2016年より以前から「ガールクラッシュ」と表現できるようなグループは2NE1やf(x)などいくつかありましたが、当時はそれぞれの個性をひとつの言葉で括られるような事はなかったはずだと記憶しています。

 

ただ、アイドルはその社会を映すものでもあると思いますから、表層的な表現だけを見て「これがウケる社会」に対しての憂いをアイドルそのものとかそのあり方にぶつけてる人もいるんじゃないかとも思います。私としては因果関係が逆で、社会が変わっていくにつれて自然とアイドルのあり方や表現方法も変わって行くと思いますし、そちらの方がまず先にありきではないかと思っています。そして、特に日本では急激な動きではなくても視野を広く注意深く見てみれば、すでに色々な場所から変化は感じられるんじゃないでしょうか。韓国のアイドルのようにわかりやすくパフォーマンスやビジュアルが「カッコいい」アイドルがトップになる事は日本のアイドルでは現状まだ珍しいけど、韓国には欅坂の平手さんのようなルックスやキャラクターのタイプのメンバーがセンターになってグループを引っ張っていくような事はまだありません。「強くて媚びない」パフォーマンスしていても、韓国の女性アイドルがSNSやサイン会で異性のファンと忌憚なく罵り合ったり直接注意喚起をするような事も、まだ殆どできないんじゃないかと感じています。Perfumeのように、メンバーが30歳を過ぎても1人も欠けずに現役でツアーも含めてきちんとコンスタントに活動を続けている女性のグループもまだ殆どいないと言っていいんじゃないかと思います。女性アイドルのフェスにセクシャルマイノリティのメンバーで構成されたアイドルグループが呼ばれたりという事も、今のところ日本だけじゃないでしょうか。パフォーマンスやコンセプトは進歩的だったり自由に見えても、パフォーマンス意外の部分でのアイドル本人への抑圧があまりに大きいというタイプの社会もあれば、アイドル本人の意思表現についてはそれなりに自由意志で出来るし受容されやすくても、パフォーマンスやコンセプトについては一見抑圧的に見える方がウケるという社会もあります。それぞれの社会や文化のあり方の違いによってエンパワメントの形は違うと思うし、決まったやり方だけが「正しい」わけでもなく、それを型にはめることはまた別の女性達が生きにくい環境を作る要因になるのではないかと思うのです。

 

でも物事が変わっていくのには段階があるので、一時的に似たような方向へ偏らざるを得ない時期というのはあると思いますし、まずは既存の良しとされるものへのカウンターが現れて、それまでの認識を変えない事には始まらないというケースも勿論あるんだろうとは思います。個人的には、そういう偏りの時期を超えてあえて女子アイドルが特別に何かをエンパワメントする事を求められないというか、そういう事をしないという事で責められたり揶揄されたりしなくても受容されるような、色んなグループがあってそれぞれいいじゃんと言えるような環境に社会自体が(日本でも韓国でも)変わっていくといいなと望んでいます。現実社会の問題や抑圧が少なくなってこそ、本当に多様なものがそれぞれもっと気楽に楽しめるようになるんじゃないかとも思っているので。今はまだ少し難しいのかもしれませんけどね。

【中央日報訳】[ヤン・ソンヒ論説委員が行く] KPOPは社会運動の武器になれるのだろうか

中央日報訳】[ヤン・ソンヒ論説委員が行く] KPOPは社会運動の武器になれるのだろうか


https://news.v.daum.net/v/20200618003545447

ヤン・ソンヒ

2020.06.18.


KPOPの海外ファン、BLMデモに積極的に参加

●多様性の象徴としてのKPOPの地位を再確認

●国内では「非政治性」の要求が多い

●拡大した影響力と責任感に悩む時

●KPOPの政治性という話題


果たしてKPOPは政治的な音楽のジャンルになれるのか。 米国の人種差別撤廃デモにKPOPのグローバルファンが積極的な役割を果たし、KPOPの政治性が新たな話題として浮上した。 米国のKPOPファンは警察の情報提供アプリに防弾少年団、EXOなどの映像を大量に掲載し、デモ鎮圧を妨害した。 デモ隊のスローガン「BLM(BlackLivesMatter=黒人の命も大切)」に対抗し、「WLM(WhiteLivesMatter=白人の命も大事)」のハッシュタグが登場すると、KPOPの「ファンカム(ファンが撮った映像)」に「WLM」のハッシュタグを付けて無力化させた。 KPOPファンドムのオンラインゲリラ戦に外信は、「(米デモ隊の)予想外の同盟軍」(AP通信)、「ソーシャルメディア界で最も強力な軍隊」(CNN)と注目した。


KPOPのグローバルファンは、KPOPスターや所属事務所に対しBLMを公開支持し、寄付するように要請した。 防弾少年団BTS)・NCT・Red Velvet・MONSTA X・ATEEZ・CLなどが「人種差別反対」を宣言した。 寄付の行列も続いた。 防弾少年団がBLM側に100万ドルを寄付すると、ファンクラブのARMYは27時間後に同じ金額を集めて寄付した。 グローバル・アーミー・ファンドムは「私たちは黒人ARMYを愛している」という声明も発表した。


実際、KPOPのファンダムと政治デモの出会いは異例のことだ。 韓国のファンたちがアイドルのイメージを高めるためにボランティアや慈善・寄付をするケースはあるが、KPOPアーティストの多くが「非政治的」であることが求められてきたからだ。 変化したKPOPの存在感や影響力を示す今回の事態が、KPOPの歴史の新たな幕開けと評価される理由でもある。 「アーティストの政治性」をめぐる国内外のファンドム間の立場の相違も浮き彫りになっている。


●マイノリティ文化・多様性政治の象徴KPOP

防弾少年団BTS)に象徴される米国内でのKPOP浮上は、「白人主流文化に対する反文化」「非主流・少数者・多様性のアイコン」というKPOPの地位と関係がある。 トランプ大統領の執権後に強まった白人中心主義・保守主義に対する反感は、アジア文化への関心、KPOPの「発見」につながった。 辺境の中小企画会社出身で、欧米のメインストリーム音楽界を掌握した「アンダードッグ」防弾少年団がその中心だった。 音楽評論家のミミョ氏は「(防弾少年団の米国公演会場で)韓国の地上波放送がいくら金髪白人女性を集中的に探して映したとしても、KPOPブームは人種的・性的マイノリティ中心」とし、「BLMデモの支持層にKPOPと親しんでいる人が多い。 世界の大衆にKPOPはすでに『多様性政治』という名の元で消費されている」と書いた。


カナダ・トロント大のミシェル・チョ教授はあるインタビューで、「KPOPの海外ファンは多様で進歩的で、ソーシャルメディアに長けている」とし、「KPOPは韓国では主流の商業文化だが、北米では依然としてサブカルチャーであり、有色人種とクィア(性少数者)ファンが多い」と話した。 「KPOPはLGBTレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)ファンを積極的に代弁しないが、攻撃的な異性愛規範性を強く打ち出しておらず、相対的に安定感を与える」と分析した。 海外のファンが日常的なファン活動を通じて主導者なしに一つの目標に向かって組織化・勢力化した強烈な体験が、今後彼らが社会問題を先導する政治的グループに転換する可能性を高めるという分析も出ている。


米ルイス・アンド・クラーク大のシン・ラヨン博士は「KPOPファンドムに対するクィア的視線」という論文を通じて、「外国のファンはKPOPをクィアテキスト、クィア文化の一つとして受け入れ、海外の研究者たちもこれに注目する傾向が高い」と紹介した。 論文によるとYouTubeでかなり人気のある、日本人女性で構成された防弾少年団カバーダンスチーム「爆弾ボーイズ」は、クィア文化の一つである「ファンコス(コスプレ)」グループだ。 「ファンコス」とは、女性ファンが男性アイドルのダンス、衣装、口調、行動を真似する「クロスジェンダーパフォーマンス」で、韓国のKPOPファンダムでも1990年代半ばから2000年代初めに流行した。 ファンコスは10年代に入って退潮したが、アイドルのイメージを損なうという反発がファンドム内部から出てきたからだ。 論文によると、その後、韓国のKPOPの主流ファンドムは「アンチ・クィア」という情緒で整理された。 もちろん、男性アイドル同士が恋愛をするという設定でファンが書く小説『ファンフィクション』や、男性メンバー同士が意図的に親密な関係を演出したり、身体接触をして『クィア的幻想』を呼び起こす慣行は、KPOPの陰性的な要素として依然として存在する。


一方、海外のファンたちがKPOPスターたちにBLMの公開支持や寄付を要請する過程でもたらした「無理強い」は、韓国のファンから反感を買った。 「KPOPはブラックミュージックの影響を受けているのだから支持しろ」という要旨のDMをスターたちに送ったり、韓国のファンカフェに加入したりして関連の書き込みを掲載したりした。 アーティストの政治的発言に対する負担が大きい韓国の状況を考慮せず、「強要」に近い圧迫の水位、白人歌手ではないKPOPアーティストを名指しした点などが問題として指摘された。 ただでさえKPOP市場が海外中心に変わり国内ファンダムの疎外感が大きい状況なので、国内外のファンダム間の葛藤に火をつけたわけだ。


●KPOPに投げ込まれた新たな責務

伝統的にKPOPはセックス、暴力、ドラッグがない「クリーンな音楽」として人気を集めてきた。 欧米の親が安心して子供に勧める音楽という意味だ。 現在、欧米のマイノリティ・コミュニティーがKPOPを媒介に交流するというが、KPOPのメッセージ自体は「ありのままの自分を愛そう」「世の中ではなく、自分の思うままに生きよう」など安全な「自己宣言」のレベルだ。


ただでさえ韓日中など多国籍メンバーで構成され、現実政治の問題が発生すればその飛び火がグループ全体に飛び火するため、非政治的態度を堅持する所属事務所の態度が理解されていないわけではない。 国際問題は言うまでもなく、女性アイドルがフェミニズム小説を読んだという理由だけでもサイバーテロに遭う現実だ。一言で言えばKPOPは国内では非政治的であることを、海外ではさらに政治的であることを要求されるという矛盾した状況だ。 しかし「KPOPは社会運動の声に変換できる、現在唯一のグローバル人気音楽ジャンル」(イ・ギュタク韓国ジョージメイソン大教授)という言葉のように、以前とは全く異なる状況となった。


人権、環境など政治的な問題がKPOPスターの前に置かれており、世界のファンは時には「危険な」質問を投げかけることもあり得る。 世界的な影響力を獲得したKPOPが、いつまでも政治的真空状態に留まることはできないという意味だ。 スターと所属事務所が、より大きな社会的役割と責任を悩む時だという指摘が出ている。


●現代のデモ現場で歌われたK-POPの名曲「また巡り会えた世界」

国内のKPOPファンドムと政治デモはそれほど関連がないが、例外的な状況がある。 2016年の光化門ろうそくデモの引き金となった梨花女子大学でのデモだ。 チョン・ユラの不正入学に抗議する大学生たちは大学本館を占拠し、少女時代の「また巡り会えた世界」を歌った。 大学祭ではなく、大学デモに登場した最初のKPOP、それもガールズグループの歌だ。 これまで大学のデモ現場で歌われた80年代式運動・民衆歌謡とは劇的に決別した。


「また巡り会えた世界」は2007年、10代の少女9人で登場した少女時代のデビュー曲だ。 デモに参加したこの大学生が10代前半半ばに発表された、同世代の歌というわけだ。 少女時代の曲としては、「Genie」「Gee」のようなメガヒット曲ではないが、迷いながらも夢と挑戦を諦めないという少女たちの出馬表のような清涼な歌詞とメロディーが逸品だ。


当時、デモ現場でこの歌が歌われた正確な経緯は不明だが、「分からない未来と壁変わらない...分からない道の中に微かな光を私は追いかけて…いつまでも一緒にいるの…描いてきた迷いの果て」などの歌詞が込み上げる感動を与えてくれる。 学校の要請で校内に駆け込んだ1600人の警察官に対抗し、「タマンセ(曲の原題다시만난 나의 세계タシマンナンセゲの省略形)」を叫ぶ場面はSNSで公開され、大きな話題を呼んだ。


同日のデモは、光化門キャンドルデモを経て、18年の不法撮影偏向捜査に抗議し若い女性数万人が集まった恵化駅デモなど、女性主義デモのシグナル弾でもあった。 タイトルからして新しい世界への夢を盛り込んだ「タマンセ」は、女性主義的連帯の出発点でもある名場面において登場したKPOPの名曲だ。

 

ヤン・ソンヒ論説委員

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「欧米のマイノリティ・コミュニティーがKPOPを媒介に交流するというが、KPOPのメッセージ自体は「ありのままの自分を愛そう」「世の中ではなく、自分の思うままに生きよう」など安全な「自己宣言」のレベルだ。」

っていうの、本当にその通り過ぎてネイティブの受け取り方とそうじゃない方の受け取り方のギャップが如実に現れている感。

 

確かにKPOPのファンは世界的に群れやすく声が大きい=団結して声を上げやすい特性がありますが、問題は「ファンが勝手にアイドル側を代弁するような行為を(正義の名の下に)ファンとしてしてしまう」という事ではないかと思います。トロント大の教授の発言で「KPOPの海外ファンは多様で進歩的で、ソーシャルメディアに長けている」というのがありますが、これも誤解の一端でもあると思います。たとえ「海外のファン」にそのような傾向があっても、本体のKPOP自体は、ソーシャルメディアには長けていますが実際は必ずしも「多様で進歩的」というわけではありません。また、「韓国内での政治的な正しさ」と「欧米圏や他の国での政治的な正しさ」には完全に一致しない場合もある。ジェンダーセクシャリティ、人種による差別など国や立場に関係なく「正しい」とされるべき事柄はありますが、問題は文中にもあるように韓国内ではKPOPはカウンターカルチャーではなくメジャーカルチャーで、「韓国内での文化的・社会的マジョリティ」の意向に反する主張をする事は現実的に難しいという点です。これに関しては、繊細な国家間感情を抱える日本のファンであれば特に敏感に感じ取れる部分ではないかと思います。そして先述の政治的イシューに関して韓国社会の許容度とその他の国での許容度には差があるのが現実です。まずはその社会を変えない事には自由に発言できる内容や範囲が変わるのは難しいし、個々の思想はともかく「発信力・求心力がある」という理由だけから「アイドル」であるKPOPのパフォーマー達に政治的行動・言動を求めるたり、まして同じ社会文化にいるわけではない韓国外の人たちが簡単に口を挟めるようなことではないと思います。

 

そういう意味で、政治的イシューについてまず先にアイドルの発言や主張ありきでそれに同調してファンが団結するのは理屈が通っていると思いますが、特に所属する文化や社会の異なるファンの側が先に勝手にアイドルの代表者として政治的主張をするというのは、実際非常に危険な行為だと思います。愛情や正義という大義の元に個人の「本当の意思」は覆い隠されやすいし、ましてや自分の発言でイメージコントロールもしている欧米圏のセレブリティとは異なり、自分の言葉でなんでも自由に発信しているわけではない(できるわけではないし、「だからこそ」人気がある部分もある)「アイドル」であるKPOPアーティストにとってはより大きな負担となると思います。韓国のアイドルは韓国内の規範や事情で生きていて背後には複雑なアジア各国との関係性もあります。特に、韓国の多くのトップ芸能事務所は政権とも直接的な繋がりがあって、韓国の政治的活動に担ぎ出される事もしばしばあるわけですし。一部の韓国内(韓国系)の「有識者」の皆さんは世界的に人気が拡大しているKPOPのアーティストや事務所に「グローバル国家としての韓国」とか、世界からいいイメージで韓国が見られるような役割を果たして欲しいのかもしれませんが(「KPOPは社会運動の声に変換できる、現在唯一のグローバル人気音楽ジャンル」のような発言にはそれを強く感じます)エンターテイメントが政治的に出来る事、エンターテインメントだからこそ出来る事もあると思いますけど、それが「KPOPアーティスト」の「本分」ではないはずで、それも結局、KPOPの広報性や熱狂的につくファンドムを利用しようとしているだけなのではないかとすら思います。

 

そのような韓国・アジア内の事情を無視して自分たちの身に周りのことしか見えていないように見える欧米圏の「KPOPファン」たちのKPOPを思想や行動のために利用するような活動も、個人的には良いとは思えません。「KPOPファン」というアイデンティティの元で政治的行動をする事に対しての影響やリスクのネガティヴな面に対してもっと敏感になるべきだと思いますし、最終的に何かあった時にファンはその「責任」を取ることはできません。結果的に直接批判や攻撃対象になるのは自分たちの愛する対象であるという事に、ファンは「自分たちが守る」のような幻想の元で時にものすごく鈍感だと思います。実際、今回の件では個人ではなく事務所単位でしか意見を表明しないかあるいはあくまでも「仕事」を通して表明するアイドルも少なくなかったですが、個人で表明したSNSのアカウントや事務所のアカウントに言葉だけではなく寄付をしろという「open your purse」という品のなさすぎるミームが大量にぶら下がったりしましたし、「あなた達のような存在がKPOPアーティストが政治的表明をしない理由だよ」というコメントもありました。先述のトロント大教授チョ氏も同教授も「KPOPはLGBTレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)ファンを積極的に代弁しないが、攻撃的な異性愛規範性を強く打ち出しておらず、相対的に安定感を与える」といっていますが、「相対的」というのはあくまで他の欧米文化圏内での基準と比較してという事であり「絶対的」ではないわけで、観る側の置かれた環境や捉え方次第という点が大きいはずです。KPOPアーティストが自分のいる文化圏から見てジェンダーフリー的に見えたとしても、それが必ずしもそのような文脈から来ている表現方法やルックスとは限らない、むしろファッションのための表層のイメージだけを借りているという理解の齟齬については、しばしば韓国内ではマイノリティ側から強く指摘されています。

 

韓国内で女性の連帯デモの時に韓国の女性アーティストの歌が象徴として歌われる事にはある程度関連性と意味があると思いますが、韓国外のマイノリティに関するデモの時に、海外の人種も国籍も文化も異なる、「元々ポリティカルなメッセージを自ら発信しているわけではないアーティスト」を自分が好きだから・自分が共感できるからという理由で引き合いに出して巻き込む事に正当性があるのかどうか、もっと真剣に考えるべきなのでは。日本でもセクシャル・マイノリティ系のクラブでよくKPOPイベントが催されたりしますが、それはクラブミュージックが音楽のベースにあるKPOPの音楽的だったり文化的な文脈との繋がりがメインで行われている事という部分が大きく、政治的な事もゼロではないと思いますがそれがメインではないと思います。KPOPにアイデンティティを見出して救われる事はあったとしてもそれはあくまで個人的な体験で、個人的体験を原動力に行動することと、その行動に原動力となった「対象」を象徴として許可なく持ち込む事は別の事で、区別されるべきであるはずだと思います。アーティスト/アイドルとファンは近しい存在ではあってもイコールではない。好きなカルチャーと自分はイコールではないし、あなたの好きなアーティスト/アイドルはあなたではない。彼らがあなたの気持ちを代弁してくれたような気がしたからといって、あなたが彼らの気持ちを代弁していいわけではありません。

 

KPOPにはアメリカ以外の文化圏のファンもたくさんいるし、同じファンでもKPOPファンの動画テロについて称賛するような声に対して「何でもかんでも自分の周りの事をKPOPに結びつけようとする意味がわからない」「KPOPファンはそれしかアイデンティティがないのか?個人の嗜好にすぎないKPOPを巻き込むのはおかしい」という行動の仕方そのものに疑問を呈している人もいますし。
KPOP産業にとって日本は今でも重要な市場であるにも関わらず、韓国内の一部の人たちの一方的な政治的主張で日本活動が中止になったりという事もあったし、勝手に行動するファンが常に「全てに正しい」行動をするとは限らないと思います。個人的にはKPOPファンドムの行動力は本当にすごいと思うけど、集団としての判断力に対しては全く信頼はしてないです。

(個々のファンの話とは別の、あくまで集団としてのあり方の話です)

南米圏でも鬼滅の刃のキャラクター(亥之助)がデモの象徴キャラクターになったりした事もありましたが、アメリカではマーベルのコミックキャラクターである「パニッシャー」が白人主義界隈で象徴的なキャラクターとして使われたりもしています。これらは架空の人物ですが、ましてや生身の人間相手にこれと同様の行為を行うということは「究極の対象化」とも言えると思います。いくら人間的に「正しい」行いであっても、アイドル本人が自主的に表明していない事に対して強制しようとさせたり、名前を借りて「善行」のイメージを着せようとする行為は、結局は「自分が好きなアイドルには自分が賛同するような正しさを体現してほしい」というファンのエゴイズムが根本にある事から、目を逸らしてはいけないと思います。