サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【質問箱】J.Y.Parkのソロ曲について

【質問箱への投稿より】

JYパークが最近日本でも人気ですが、彼のソロ曲はWho's your mamaといいFeverといい女性を性的消費しているものが多いように感じます。MAMA2019でママムにWho's your mamaを一緒に踊らせていたのもかなり不快でした。エンパワメントを体現したような存在であるママムのメンバーにあの曲を踊らせるのはかなり侮辱的だし正直嫌がらせとすら思いました。
もうすぐカムバするようですが不安しかありません。
日本はそういう女性差別的な面ではまだまだ遅れていると思うのでそこまで騒ぎにならないのも理解できるのですが、フェミニズムが根付いていてちょっとした表現でもアウトになる韓国で彼の女性観がそれほど議論になっていないのが不思議なんですがどうしてなんでしょうか…

2020年8月8日0:41

https://odaibako.net/detail/request/20ee42a4-82bc-46b3-a822-be28597e50a0

 

J.Y.Parkの曲に女性嫌悪的とされる表現が多々見られる事は確かで過去に問題にされた事もありましたが、ご質問者の方の解釈の仕方もご質問の文章からはあまりに表層的なもののように感じました。


「エンパワメントを体現したような存在であるママムのメンバーにあの曲を踊らせるのはかなり侮辱的」とご質問者の方は感じたようですが、逆にいえばそのコラボを受け入れてパフォーマンスしたのは彼女たち自身ですよね。それとも、年長の先輩の男性アーティストだから嫌々ながら受け入れたという構図があると考えているんでしょうか。個人的には、J.Y.Parkの歌詞を女性嫌悪的だと糾弾しながらも、そのような女性観を変わらず表現し続けているアーティストとコラボレーションをしたMAMAMOOの方に異議を唱えないというのが不思議です。自ら選んでパフォーマンスしたにしろ、自らの意志ではなくパフォーマンスしたにしろ、ご質問に列挙された事柄からだけからでは「エンパワメントを体現」としていると感じているご質問者の方が脳内で描いているであろう「MAMAMOO像」との矛盾を感じましたし、フェミニズム的な視点から語るにしても「韓国の女性アイドル」や「J.Y.Parkの作風」に対してあまりに表層的な理解で発言されているように感じました。


J.Y.Park氏が歌手として韓国で人気と注目集めた理由としては、性表現に厳しい韓国で「性」というものをテーマにしてメジャーなエンタメ表現として取り上げてきた先駆者だからでしょうし、故にJYPの社長(今は社長じゃないですが)としてではなく、パフォーマーとしては韓国では性的なイメージが強いと思います。男性がセクシーさを前面に出す事は「女性に性的な目線で消費される存在としての己を認識して振る舞う」という事でもあり、それ自体が韓国ではエピックでした。

セクシャルな表現が多い事に加えてシスヘテロ的規範から女性を一方的に対象化しているという批判は勿論過去にもありましたが、「Who’s Your Mama?」はMVやパフォーマンスを合わせて見るとそのように「女性を性的な目で見てしまい、それをメインの物差しとしてしまう」という男性である自分自身をむしろ卑下して戯画化している内容で、タイトルにもなっている歌詞の「こんなになっちゃうなんてあなたのお母さんは誰なの?(親の顔が見てみたい)」というのは、女性に向けているようで実はJ.Y.Park自身に向けられた言葉という二重も仕掛けがある曲だと思います。だから歌詞だけを見て「女性を性的に消費している」と糾弾する事はむしろJ.Y.Parkの望むところで、本質からはズレた批判になっているのではないでしょうか。そこで指摘されるべきはむしろ自らを戯画化する事で許されようとする態度そのものであって、己を客観視してコミカルな存在にする事で女性への無分別な性的目線を「男の悲しい性」というようなものにすり替えてしまっている事なのではないかと思います。実際、この「世間からのいじりやバッシング・嘲笑なども含めて己のキャラをとことん戯画化する」というのは現在のJ.Y.Parkの芸風の柱のひとつではないかと思いますし、「Fever」の歌詞の過剰なセクシャルさも実際のパフォーマンスと合わさると、セクシーというよりもどうしてもコミカルなものとして感じられてしまうと同時に、アメリカのボードビルをイメージしたコンセプトと楽曲のクオリティが混ざり合った「セクゴリ感」とでも言うべきJ.Y.Parkにしか出せないえぐみというか、個性としかいいようがない仕上がりになってるんだろうと思いますが。


しかし、この「己の戯画化」という自己卑下のスタイルは、彼自身が実際は「年長者の男性で成功者でもある」という視点から見ると、特に年長者の男性の「精神的・社会的権力」が強い韓国においては女性を性的消費している視点をパフォーマンスのネタにしているという事実そのものの解決にも言い訳にもならないでしょう。韓国でもJ.Y.Parkの曲を女性嫌悪的な曲とみなしたり彼自身の女性観を非難する声も勿論ありますが(過去に話題になったことは何回かあります)それでも彼の芸能事務所社長としてのイメージや「年長者の男性なのに」コミカルで自己卑下するような表現をするというスタンスゆえに許されやすく問題になりにくいという部分もあるのではないかと思います。実際に「Who‘s〜」は非難もありながらも大きな注目を受けて曲としてはヒットしました。ご質問者の方が「フェミニズムが根付いていてちょっとした表現でもアウトになる韓国で彼の女性観がそれほど議論になっていないのが不思議なんですがどうしてなんでしょうか…」と感じているということは、そのような「Who's Your〜」がウケて受け入れられるリアルな韓国社会の反応や風潮は見えておらず、ご自分がお持ちのイメージが必ずしもそのままそれだけの事実というわけではないということではないでしょうか。

(この曲は江南殺人事件の前にリリースされたのでその後の変化はあるでしょうけど、MAMAでのパフォーマンス自体も論難になる事はなかったと思います)


個人的な感想としては、セクシャルな表現が多いゆえに女性嫌悪的な部分も目に見えてわかりやすい「年長者の男性」の先輩歌手と女性歌手がコラボするということは、女性がセクシーな表現をする事そのものへの反発もまだ多くある韓国においては、それ自体が性的な表現に対する女性の自主性をあらわすというアティテュードでもあるんだと思います。そしてJ.Y.Parkのパフォーマンスにおける根本的な芸風や女性観がそれほど変わる感じがない以上、J.Y.Park本人の意図に関わらず彼の歌に女性歌手がイーブンな立場でコラボする事そのものは、同じ歌詞でも話者の立場が変われば全く真逆の解釈がされるケースもある事を考えればポジティブな事なのではないかと思いました。本人たちの意志でやるのならですけど。だから直系の師弟的というか後輩とも言えるソンミとのコラボは、ソンミがどのように対峙するのか?という点でどのような事になるのか楽しみという部分が大きいです。

 

 

【質問箱】KPOPグループの国内人気と海外人気の乖離について

【質問箱への投稿より】

こんばんは。

Stray KidsやAteezがカムバしたことで、K-POPの海外人気と国内人気の乖離について最近気になっています。

どちらも再生回数や音盤成績の伸びの割に、国内の音源成績が「いくら男子グループとはいえ・・・」レベルで伸びません。

女子に目を向けるとアイドゥルなんかもマシといえばマシなのですがYouTUbe再生回数1億回常連、女子では珍しく音盤10万枚超えるレベルにしては音源成績は物足りない感じがあります。

またKARDのようにほぼ海外活動のみで黒字化に成功したグループも出てきました。

(一方でオマゴルのようにこれらと逆パターンのアイドルもいますが・・・。)

このように海外成績の割に国内成績が物足りないグループについて人気グループと見なしてしまっていいのか判断しかねています。

特に最近上記のようなグループの人気や格付けについて、K-POP好きな10~20代と第一、第二世代からK-POPを見てきた層で、SNS上で揉めてるのも見受けられます。
個人的には上の世代が現状に寛容にならないとK-POP全体が下り坂になりかねない気がするのですが・・・。

K-POPBTSを機に世界で認識されるようになった今日日、何をもって人気グループの判断をするのが妥当なのでしょうか?

また、国内外の人気の乖離から生じる各所への影響で予想されること(音楽番組1位の価値の低下など)なども併せて知識人の方のご意見を伺いたく思い投稿しました。

2020年8月5日4:55

https://odaibako.net/detail/request/cf402f04-cc8a-429d-90bf-4010ca31c574

 

自分が人気だと思ったグループが人気って事でいいんじゃないですかね...

 

前から言っている事なのですが、今って「人気」がものすごく多様化してきていて、「知ってる人は知ってるけど知らない人は全く知らない」という「人気者」がたくさん生まれている時代だと思います。インフルエンサーや配信主みたいに「その界隈では有名」とか「フォロワー○十・百万人」だとしても、そもそもそのサービス自体を使ってない人にとっては「無名人」だろうし、でもチャート上位には入ったり確実にお金は動いて支持者もたくさんいるという事は普通だと思います。日本のアイドル業界もすでにそうなっていると思いますが、韓国のアイドル業界でも5年位前から大衆からコアなファンドムが支えるアイドルへという動きになるだろうと言われていて実際そうなってきており、音源成績が良くなくても相当規模のファンドムを得ているグループというのは一般的になってきているのではないかと思います。

 

音源チャートに関しては、特に男子グループではすでに何年も前から「トップ規模ファンドムを持っているがゆえに音源チャート上位常連だが、実際は必ずしも大衆的に知られている流行曲というわけではない」というケースが一般的になっていますし、女子の場合は逆に「曲が音源チャートでバズってもグループ本体への人気に必ずしも繋がらない」という例もあり、「音源チャートと一般人気・認知度のズレ」というものはすでに存在していると思います。YouTubeの視聴回数にしても世界的に「タダなら見る」という無課金層やスミンも含まれる事を考えるともはや1億回というのが具体的な何かの目安にはならなくなってきてしまっていますし、女子グループは以前は大衆人気が高まってからそのピークを過ぎるとコアファンドムが支えるというスタイルが主流でしたが、最近は男子グループのように最初からコアファンドム中心の人気スタイルで継続しているグループもあり、それを考えると漠然と「人気」という大きな括りではなく、「国内ファンドム」「国外ファンドム」「一般人気・認知度」というものをそれぞれ別に考える必要がある時代になったということではないかと思います。

 

ですから、多角的な角度からの「人気」というものを見る必要があると思いますが、それはビジネス関連の人たちにとっては「必要」な分析かもしれませんけどファンにとっては「必要」な事でもないと思いますので、個人的にはファンの側はむしろ格付けや順位みたいなものから今よりはもっと自由になっていっても良いのではないかと思ってます。アイドルって基本的には競争させるものじゃないはずです。そもそもアスリートじゃなくエンターティナーなので、自分たちを求めてくれるリスナーやファンをどれだけ楽しませられるか・好きでいさせるかというのが本分ではないですか。

基本的にファンがつける(考える)人気の順位ってマウンティングとかファンのお気持ち満たし以外の意味がないと思っているので、ファンがそれぞれ好きに「ぼくのかんがえたさいきょうのKPOPグループせいりょくず」的に楽しめばいいんじゃないでしょうか。

「特に最近上記のようなグループの人気や格付けについて、K-POP好きな10~20代と第一、第二世代からK-POPを見てきた層で、SNS上で揉めてるのも見受けられます。」っていうのも、ファン同士が勝手にランクをつけて勝手に揉めてるって事ですよね?「そういうオタ活」ということなんでしょうし、誹謗中傷とかがなければ好きに議論したらいいんじゃないかと思うんですね。ファンが権威になる事ってあり得ないと思いますし、権威がない以上特に意味はない(アイドル側に与えるような影響力は実質ほとんどない)行為だと思うので。世代の異なるファンの意見を無理やりすり合わせる必要もないと思います。

 

KPOP業界はそれ自体に権威があるのかどうか謎のなにかしらの冠や順位をつけたり賞レースにしたり投票させたりでファンの競争欲を煽ったり、競争を煽って意図的にエモい現場を作り出す事で盛り上げてきた部分も多分にあるんじゃないかと思うのですが、同時に「音楽番組1位の価値の低下」もすでに10年近く前から言われてきており、音源や音盤の売り上げが目に見える現状で実際視聴率は1%に満たないという実態(オンラインで見る層が増えていると言うことも含めて)からはすでにアイドルがアイドルファンに対して広報する為の場所になってると思います。そしてそれだけでも意義はあると思いますが、「音楽番組で1位を取っても音源チャートでは100位内も難しい」という例が「全体的な音楽消費のほとんどが音源」という国で出てくるとなると、「音楽番組での1位」というものの意味は既にオタクの世界の外では形骸化している事は否めないのではないかと思います。

 

「海外人気と国内人気のズレ」に関しては、個人的にはきちんとマネタイズ出来て黒字になるなら良いのではないかと思います(メンバー自身の気持ちはわかりませんけど)し、単純に「どこどこの国で人気のグループ」という事で良いのではないでしょうか?

いわゆる「海外人気」の点で問題だったのが、これは実際に海外公演もしている事務所の方に伺った話ですが、アジアではない欧米・南米圏では物価や貨幣価値の差、移動コスト、プロモーターへの配分等でコンサートの規模がアリーナ以上と大きくなるほど実は利益回収が難しくなっていくという点でした。ライブハウス・ホールクラスを細かく回るスタイルや逆にスタジアム即完クラスなら別ですが、アリーナ以上の会場を州をまたいでツアーで回る場合、実際は一箇所につき複数回の公演を全て完売にするくらいでないと十分な黒字にするのは難しいそうです。ツアーに伴う収入で最も大きいはずのグッズに関してもアジア圏に比べるとあんまり売りあげは芳しくないそうで、滞在時間の長期化や移動等でメンバーの肉体的負担が大きい&それにより国内やアジア圏での活動時間も減る割に特別収益がいいわけでもないというケースも多々ある為、最初から「今の規模ではプロモーション的な側面が大きく、コストも大きい為実際の収益は大きくない」という話をメンバーにしておく必要があるそうで。そういう意味で、「韓国よりも海外=欧米圏の方が人気がある」という事が人気の規模によっては必ずしもビジネス的にはプラスにならないケースもあるため、ライブが主な活動の場合は近場のアジア圏での人気の拡充もビジネス的には必須という事なのでしょう。

 

しかし今、実際に海外に行くこともコンサート自体も難しくなり主な活動場所がオンラインになって、国内向けも海外向けもかかるコストはほぼ同じでアクセス条件もフラットになった状況では、「国内」と「国外」の活動やファンを分ける意味はあまりなくなりますよね。後はどこの国のファンであれ、どのくらい「どのようなコンテンツでも実際にお金を払って見てくれる人」がいるのかという事でしかなくなるのでは。これもまた、これから先のひとつの「人気グループ」の目安になり得るんじゃないでしょうか。

【質問箱】ガールクラッシュコンセプトと日韓の女性アイドルについて

【質問箱への投稿より】

泡沫さんこんにちは
前々から思っていたのですが、自ら発信するbit○hはエンパワメント ですが、プルピン含むガールズグループはプロデュースされたアイドルであって、アイドルの言うことって自分で言ってるわけじゃなくて、結局は運営や社長(男性)に言わされてるわけじゃないですか。
それって本質的にエンパワメントと言えるのだろうか…というのをガルクラ系のkpopグループを見ていつも思っていました。
私は日本のアイドルのオタクなのですが、よく日本のアイドルがkpopと比較して男に媚びてるとか幼く振る舞わされてると言われますが、まあそれはそうなんだけど、kpopだってそれは可愛く着飾ったお人形かカッコよく着飾ったお人形かくらいの違いしかないんじゃないかなあと思っていました。
むしろ、日本のアイドルはそこまで運営に管理されていない(ほっとかれているとも言う)ので、よっぽど好き勝手自立してやってる気がします。
アイドル本人達にもガールズエンパワメントの意思は絶対あると思うんですが、とはいえやっぱり作られたコンセプトに作られたイメージの中で管理されて生きている女性達なわけで、多分清楚系コンセプトを与えられていたとしたらそれを上手にこなす人達だろうなあと思うし、ガルクラというコンセプト自体に大きな矛盾を感じています。
あと、私はbishにも同じ感覚を抱いています。
あそこはかなり社長一強の事務所なので…

泡沫さんはアイドルのガルクラコンセプトについてどのようにお考えでしょうか?
長文書いてしまってすみません。お手隙の時にでもお返事いただけたら幸いです。
2020年7月6日4:26

https://odaibako.net/detail/request/bbd42744836348a483cecc535c6858f1

 

なんか長くなったのでこちらで失礼しますね。

(テンプレ)

「ガールクラッシュコンセプト」については、ブログで過去に訳した記事につけてるコメントにも色々書いてるのでそちらもご参照頂ければと思います。

 

ご質問者の方の言う「ガールクラッシュも清純コンセプトも、必ずしも自分たちの意志で自主的にやってるわけではないという点では同じ」という点については、その通りだと思います。これはボーイズグループも同じだし、日本のような完全にインディーズでメンバーが全てやっているグループはほぼ存在しないいわゆるKPOP=アイドルに関しては、全員例外なく事務所の意向が入らない事はありえないですよね。「自作」や「セルフプロデュース」してるグループだって必ず事務所のチェックを通らなければ世に出す事はできませんし、世に出す演出の仕方は事務所が決めますし。ただし、パフォーマンスをする主体はアイドルですから、そこに本人の意思があってもなくても表現そのものだけでもある程度の意思表示やエンパワメントにはなるんじゃないかと思います。BACKSTREET BOYSのドキュメンタリーでメンバーが自分たちのことを「ピノキオみたいに、最初は作られた存在でも続けていくうちに命が宿るんだ」というような事を言っていたのですが、そういう存在と考えれば逆に「言わされてる」「やらされてる」が100%ではないんじゃないかとも思いますし。女性が世間を挑発するような強い表現を体現する事も、逆に世間からなんと言われようとワシらはこれで行くんじゃいと清楚系や可愛い系のコンセプトを貫き通すことも、両方とも女子へのエンパワメントになりうるんじゃないかと個人的には思っています。要は何を目的にやってるのか、どこに何を見出すかにすぎないんじゃないのかという。

 

個人的には「ガールクラッシュ」っていうコンセプトになってしまった時点で実際は本質からズレてしまってると思ってます。そもそも「ガールクラッシュだから」売れてたり人気があるというよりは、そういうイメージで人気のあるグループがそれぞれの個性を確立していて他にできない事をやっているからなんじゃないかと思うのです。例えば人気の高いガルクラ的なイメージのグループを見てもREDVELVETもMAMAMOOもBLACKPINKもそれぞれ表現している事やイメージは違うし、「ガールクラッシュ」というのはその一部を表す表現にすぎません。それを「ガールクラッシュ」の一言に類型化すること自体がある種の型にはまったイメージを一方的かつ勝手に負わせているというか、いわゆる「対象化」になるのでは。それに、典型的な「ガールクラッシュ」的だと思われていなくてもTWICEやIZ*ONEやOH MY GIRLなど、全体的に見れば女子からも人気があるグループもいくつもいますし。基本的にKPOPの場合、女子グループは男子と違って一部のオタクにのみ人気があるだけでなく大衆性もなければトップ人気にはなれないので、人気の女子グループは男女問わず支持されるグループがほとんどじゃないかと思います。「ガールクラッシュ」という言葉が頻繁に使われるようになった2015〜2016年より以前から「ガールクラッシュ」と表現できるようなグループは2NE1やf(x)などいくつかありましたが、当時はそれぞれの個性をひとつの言葉で括られるような事はなかったはずだと記憶しています。

 

ただ、アイドルはその社会を映すものでもあると思いますから、表層的な表現だけを見て「これがウケる社会」に対しての憂いをアイドルそのものとかそのあり方にぶつけてる人もいるんじゃないかとも思います。私としては因果関係が逆で、社会が変わっていくにつれて自然とアイドルのあり方や表現方法も変わって行くと思いますし、そちらの方がまず先にありきではないかと思っています。そして、特に日本では急激な動きではなくても視野を広く注意深く見てみれば、すでに色々な場所から変化は感じられるんじゃないでしょうか。韓国のアイドルのようにわかりやすくパフォーマンスやビジュアルが「カッコいい」アイドルがトップになる事は日本のアイドルでは現状まだ珍しいけど、韓国には欅坂の平手さんのようなルックスやキャラクターのタイプのメンバーがセンターになってグループを引っ張っていくような事はまだありません。「強くて媚びない」パフォーマンスしていても、韓国の女性アイドルがSNSやサイン会で異性のファンと忌憚なく罵り合ったり直接注意喚起をするような事も、まだ殆どできないんじゃないかと感じています。Perfumeのように、メンバーが30歳を過ぎても1人も欠けずに現役でツアーも含めてきちんとコンスタントに活動を続けている女性のグループもまだ殆どいないと言っていいんじゃないかと思います。女性アイドルのフェスにセクシャルマイノリティのメンバーで構成されたアイドルグループが呼ばれたりという事も、今のところ日本だけじゃないでしょうか。パフォーマンスやコンセプトは進歩的だったり自由に見えても、パフォーマンス意外の部分でのアイドル本人への抑圧があまりに大きいというタイプの社会もあれば、アイドル本人の意思表現についてはそれなりに自由意志で出来るし受容されやすくても、パフォーマンスやコンセプトについては一見抑圧的に見える方がウケるという社会もあります。それぞれの社会や文化のあり方の違いによってエンパワメントの形は違うと思うし、決まったやり方だけが「正しい」わけでもなく、それを型にはめることはまた別の女性達が生きにくい環境を作る要因になるのではないかと思うのです。

 

でも物事が変わっていくのには段階があるので、一時的に似たような方向へ偏らざるを得ない時期というのはあると思いますし、まずは既存の良しとされるものへのカウンターが現れて、それまでの認識を変えない事には始まらないというケースも勿論あるんだろうとは思います。個人的には、そういう偏りの時期を超えてあえて女子アイドルが特別に何かをエンパワメントする事を求められないというか、そういう事をしないという事で責められたり揶揄されたりしなくても受容されるような、色んなグループがあってそれぞれいいじゃんと言えるような環境に社会自体が(日本でも韓国でも)変わっていくといいなと望んでいます。現実社会の問題や抑圧が少なくなってこそ、本当に多様なものがそれぞれもっと気楽に楽しめるようになるんじゃないかとも思っているので。今はまだ少し難しいのかもしれませんけどね。

【中央日報訳】[ヤン・ソンヒ論説委員が行く] KPOPは社会運動の武器になれるのだろうか

中央日報訳】[ヤン・ソンヒ論説委員が行く] KPOPは社会運動の武器になれるのだろうか


https://news.v.daum.net/v/20200618003545447

ヤン・ソンヒ

2020.06.18.


KPOPの海外ファン、BLMデモに積極的に参加

●多様性の象徴としてのKPOPの地位を再確認

●国内では「非政治性」の要求が多い

●拡大した影響力と責任感に悩む時

●KPOPの政治性という話題


果たしてKPOPは政治的な音楽のジャンルになれるのか。 米国の人種差別撤廃デモにKPOPのグローバルファンが積極的な役割を果たし、KPOPの政治性が新たな話題として浮上した。 米国のKPOPファンは警察の情報提供アプリに防弾少年団、EXOなどの映像を大量に掲載し、デモ鎮圧を妨害した。 デモ隊のスローガン「BLM(BlackLivesMatter=黒人の命も大切)」に対抗し、「WLM(WhiteLivesMatter=白人の命も大事)」のハッシュタグが登場すると、KPOPの「ファンカム(ファンが撮った映像)」に「WLM」のハッシュタグを付けて無力化させた。 KPOPファンドムのオンラインゲリラ戦に外信は、「(米デモ隊の)予想外の同盟軍」(AP通信)、「ソーシャルメディア界で最も強力な軍隊」(CNN)と注目した。


KPOPのグローバルファンは、KPOPスターや所属事務所に対しBLMを公開支持し、寄付するように要請した。 防弾少年団BTS)・NCT・Red Velvet・MONSTA X・ATEEZ・CLなどが「人種差別反対」を宣言した。 寄付の行列も続いた。 防弾少年団がBLM側に100万ドルを寄付すると、ファンクラブのARMYは27時間後に同じ金額を集めて寄付した。 グローバル・アーミー・ファンドムは「私たちは黒人ARMYを愛している」という声明も発表した。


実際、KPOPのファンダムと政治デモの出会いは異例のことだ。 韓国のファンたちがアイドルのイメージを高めるためにボランティアや慈善・寄付をするケースはあるが、KPOPアーティストの多くが「非政治的」であることが求められてきたからだ。 変化したKPOPの存在感や影響力を示す今回の事態が、KPOPの歴史の新たな幕開けと評価される理由でもある。 「アーティストの政治性」をめぐる国内外のファンドム間の立場の相違も浮き彫りになっている。


●マイノリティ文化・多様性政治の象徴KPOP

防弾少年団BTS)に象徴される米国内でのKPOP浮上は、「白人主流文化に対する反文化」「非主流・少数者・多様性のアイコン」というKPOPの地位と関係がある。 トランプ大統領の執権後に強まった白人中心主義・保守主義に対する反感は、アジア文化への関心、KPOPの「発見」につながった。 辺境の中小企画会社出身で、欧米のメインストリーム音楽界を掌握した「アンダードッグ」防弾少年団がその中心だった。 音楽評論家のミミョ氏は「(防弾少年団の米国公演会場で)韓国の地上波放送がいくら金髪白人女性を集中的に探して映したとしても、KPOPブームは人種的・性的マイノリティ中心」とし、「BLMデモの支持層にKPOPと親しんでいる人が多い。 世界の大衆にKPOPはすでに『多様性政治』という名の元で消費されている」と書いた。


カナダ・トロント大のミシェル・チョ教授はあるインタビューで、「KPOPの海外ファンは多様で進歩的で、ソーシャルメディアに長けている」とし、「KPOPは韓国では主流の商業文化だが、北米では依然としてサブカルチャーであり、有色人種とクィア(性少数者)ファンが多い」と話した。 「KPOPはLGBTレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)ファンを積極的に代弁しないが、攻撃的な異性愛規範性を強く打ち出しておらず、相対的に安定感を与える」と分析した。 海外のファンが日常的なファン活動を通じて主導者なしに一つの目標に向かって組織化・勢力化した強烈な体験が、今後彼らが社会問題を先導する政治的グループに転換する可能性を高めるという分析も出ている。


米ルイス・アンド・クラーク大のシン・ラヨン博士は「KPOPファンドムに対するクィア的視線」という論文を通じて、「外国のファンはKPOPをクィアテキスト、クィア文化の一つとして受け入れ、海外の研究者たちもこれに注目する傾向が高い」と紹介した。 論文によるとYouTubeでかなり人気のある、日本人女性で構成された防弾少年団カバーダンスチーム「爆弾ボーイズ」は、クィア文化の一つである「ファンコス(コスプレ)」グループだ。 「ファンコス」とは、女性ファンが男性アイドルのダンス、衣装、口調、行動を真似する「クロスジェンダーパフォーマンス」で、韓国のKPOPファンダムでも1990年代半ばから2000年代初めに流行した。 ファンコスは10年代に入って退潮したが、アイドルのイメージを損なうという反発がファンドム内部から出てきたからだ。 論文によると、その後、韓国のKPOPの主流ファンドムは「アンチ・クィア」という情緒で整理された。 もちろん、男性アイドル同士が恋愛をするという設定でファンが書く小説『ファンフィクション』や、男性メンバー同士が意図的に親密な関係を演出したり、身体接触をして『クィア的幻想』を呼び起こす慣行は、KPOPの陰性的な要素として依然として存在する。


一方、海外のファンたちがKPOPスターたちにBLMの公開支持や寄付を要請する過程でもたらした「無理強い」は、韓国のファンから反感を買った。 「KPOPはブラックミュージックの影響を受けているのだから支持しろ」という要旨のDMをスターたちに送ったり、韓国のファンカフェに加入したりして関連の書き込みを掲載したりした。 アーティストの政治的発言に対する負担が大きい韓国の状況を考慮せず、「強要」に近い圧迫の水位、白人歌手ではないKPOPアーティストを名指しした点などが問題として指摘された。 ただでさえKPOP市場が海外中心に変わり国内ファンダムの疎外感が大きい状況なので、国内外のファンダム間の葛藤に火をつけたわけだ。


●KPOPに投げ込まれた新たな責務

伝統的にKPOPはセックス、暴力、ドラッグがない「クリーンな音楽」として人気を集めてきた。 欧米の親が安心して子供に勧める音楽という意味だ。 現在、欧米のマイノリティ・コミュニティーがKPOPを媒介に交流するというが、KPOPのメッセージ自体は「ありのままの自分を愛そう」「世の中ではなく、自分の思うままに生きよう」など安全な「自己宣言」のレベルだ。


ただでさえ韓日中など多国籍メンバーで構成され、現実政治の問題が発生すればその飛び火がグループ全体に飛び火するため、非政治的態度を堅持する所属事務所の態度が理解されていないわけではない。 国際問題は言うまでもなく、女性アイドルがフェミニズム小説を読んだという理由だけでもサイバーテロに遭う現実だ。一言で言えばKPOPは国内では非政治的であることを、海外ではさらに政治的であることを要求されるという矛盾した状況だ。 しかし「KPOPは社会運動の声に変換できる、現在唯一のグローバル人気音楽ジャンル」(イ・ギュタク韓国ジョージメイソン大教授)という言葉のように、以前とは全く異なる状況となった。


人権、環境など政治的な問題がKPOPスターの前に置かれており、世界のファンは時には「危険な」質問を投げかけることもあり得る。 世界的な影響力を獲得したKPOPが、いつまでも政治的真空状態に留まることはできないという意味だ。 スターと所属事務所が、より大きな社会的役割と責任を悩む時だという指摘が出ている。


●現代のデモ現場で歌われたK-POPの名曲「また巡り会えた世界」

国内のKPOPファンドムと政治デモはそれほど関連がないが、例外的な状況がある。 2016年の光化門ろうそくデモの引き金となった梨花女子大学でのデモだ。 チョン・ユラの不正入学に抗議する大学生たちは大学本館を占拠し、少女時代の「また巡り会えた世界」を歌った。 大学祭ではなく、大学デモに登場した最初のKPOP、それもガールズグループの歌だ。 これまで大学のデモ現場で歌われた80年代式運動・民衆歌謡とは劇的に決別した。


「また巡り会えた世界」は2007年、10代の少女9人で登場した少女時代のデビュー曲だ。 デモに参加したこの大学生が10代前半半ばに発表された、同世代の歌というわけだ。 少女時代の曲としては、「Genie」「Gee」のようなメガヒット曲ではないが、迷いながらも夢と挑戦を諦めないという少女たちの出馬表のような清涼な歌詞とメロディーが逸品だ。


当時、デモ現場でこの歌が歌われた正確な経緯は不明だが、「分からない未来と壁変わらない...分からない道の中に微かな光を私は追いかけて…いつまでも一緒にいるの…描いてきた迷いの果て」などの歌詞が込み上げる感動を与えてくれる。 学校の要請で校内に駆け込んだ1600人の警察官に対抗し、「タマンセ(曲の原題다시만난 나의 세계タシマンナンセゲの省略形)」を叫ぶ場面はSNSで公開され、大きな話題を呼んだ。


同日のデモは、光化門キャンドルデモを経て、18年の不法撮影偏向捜査に抗議し若い女性数万人が集まった恵化駅デモなど、女性主義デモのシグナル弾でもあった。 タイトルからして新しい世界への夢を盛り込んだ「タマンセ」は、女性主義的連帯の出発点でもある名場面において登場したKPOPの名曲だ。

 

ヤン・ソンヒ論説委員

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「欧米のマイノリティ・コミュニティーがKPOPを媒介に交流するというが、KPOPのメッセージ自体は「ありのままの自分を愛そう」「世の中ではなく、自分の思うままに生きよう」など安全な「自己宣言」のレベルだ。」

っていうの、本当にその通り過ぎてネイティブの受け取り方とそうじゃない方の受け取り方のギャップが如実に現れている感。

 

確かにKPOPのファンは世界的に群れやすく声が大きい=団結して声を上げやすい特性がありますが、問題は「ファンが勝手にアイドル側を代弁するような行為を(正義の名の下に)ファンとしてしてしまう」という事ではないかと思います。トロント大の教授の発言で「KPOPの海外ファンは多様で進歩的で、ソーシャルメディアに長けている」というのがありますが、これも誤解の一端でもあると思います。たとえ「海外のファン」にそのような傾向があっても、本体のKPOP自体は、ソーシャルメディアには長けていますが実際は必ずしも「多様で進歩的」というわけではありません。また、「韓国内での政治的な正しさ」と「欧米圏や他の国での政治的な正しさ」には完全に一致しない場合もある。ジェンダーセクシャリティ、人種による差別など国や立場に関係なく「正しい」とされるべき事柄はありますが、問題は文中にもあるように韓国内ではKPOPはカウンターカルチャーではなくメジャーカルチャーで、「韓国内での文化的・社会的マジョリティ」の意向に反する主張をする事は現実的に難しいという点です。これに関しては、繊細な国家間感情を抱える日本のファンであれば特に敏感に感じ取れる部分ではないかと思います。そして先述の政治的イシューに関して韓国社会の許容度とその他の国での許容度には差があるのが現実です。まずはその社会を変えない事には自由に発言できる内容や範囲が変わるのは難しいし、個々の思想はともかく「発信力・求心力がある」という理由だけから「アイドル」であるKPOPのパフォーマー達に政治的行動・言動を求めるたり、まして同じ社会文化にいるわけではない韓国外の人たちが簡単に口を挟めるようなことではないと思います。

 

そういう意味で、政治的イシューについてまず先にアイドルの発言や主張ありきでそれに同調してファンが団結するのは理屈が通っていると思いますが、特に所属する文化や社会の異なるファンの側が先に勝手にアイドルの代表者として政治的主張をするというのは、実際非常に危険な行為だと思います。愛情や正義という大義の元に個人の「本当の意思」は覆い隠されやすいし、ましてや自分の発言でイメージコントロールもしている欧米圏のセレブリティとは異なり、自分の言葉でなんでも自由に発信しているわけではない(できるわけではないし、「だからこそ」人気がある部分もある)「アイドル」であるKPOPアーティストにとってはより大きな負担となると思います。韓国のアイドルは韓国内の規範や事情で生きていて背後には複雑なアジア各国との関係性もあります。特に、韓国の多くのトップ芸能事務所は政権とも直接的な繋がりがあって、韓国の政治的活動に担ぎ出される事もしばしばあるわけですし。一部の韓国内(韓国系)の「有識者」の皆さんは世界的に人気が拡大しているKPOPのアーティストや事務所に「グローバル国家としての韓国」とか、世界からいいイメージで韓国が見られるような役割を果たして欲しいのかもしれませんが(「KPOPは社会運動の声に変換できる、現在唯一のグローバル人気音楽ジャンル」のような発言にはそれを強く感じます)エンターテイメントが政治的に出来る事、エンターテインメントだからこそ出来る事もあると思いますけど、それが「KPOPアーティスト」の「本分」ではないはずで、それも結局、KPOPの広報性や熱狂的につくファンドムを利用しようとしているだけなのではないかとすら思います。

 

そのような韓国・アジア内の事情を無視して自分たちの身に周りのことしか見えていないように見える欧米圏の「KPOPファン」たちのKPOPを思想や行動のために利用するような活動も、個人的には良いとは思えません。「KPOPファン」というアイデンティティの元で政治的行動をする事に対しての影響やリスクのネガティヴな面に対してもっと敏感になるべきだと思いますし、最終的に何かあった時にファンはその「責任」を取ることはできません。結果的に直接批判や攻撃対象になるのは自分たちの愛する対象であるという事に、ファンは「自分たちが守る」のような幻想の元で時にものすごく鈍感だと思います。実際、今回の件では個人ではなく事務所単位でしか意見を表明しないかあるいはあくまでも「仕事」を通して表明するアイドルも少なくなかったですが、個人で表明したSNSのアカウントや事務所のアカウントに言葉だけではなく寄付をしろという「open your purse」という品のなさすぎるミームが大量にぶら下がったりしましたし、「あなた達のような存在がKPOPアーティストが政治的表明をしない理由だよ」というコメントもありました。先述のトロント大教授チョ氏も同教授も「KPOPはLGBTレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)ファンを積極的に代弁しないが、攻撃的な異性愛規範性を強く打ち出しておらず、相対的に安定感を与える」といっていますが、「相対的」というのはあくまで他の欧米文化圏内での基準と比較してという事であり「絶対的」ではないわけで、観る側の置かれた環境や捉え方次第という点が大きいはずです。KPOPアーティストが自分のいる文化圏から見てジェンダーフリー的に見えたとしても、それが必ずしもそのような文脈から来ている表現方法やルックスとは限らない、むしろファッションのための表層のイメージだけを借りているという理解の齟齬については、しばしば韓国内ではマイノリティ側から強く指摘されています。

 

韓国内で女性の連帯デモの時に韓国の女性アーティストの歌が象徴として歌われる事にはある程度関連性と意味があると思いますが、韓国外のマイノリティに関するデモの時に、海外の人種も国籍も文化も異なる、「元々ポリティカルなメッセージを自ら発信しているわけではないアーティスト」を自分が好きだから・自分が共感できるからという理由で引き合いに出して巻き込む事に正当性があるのかどうか、もっと真剣に考えるべきなのでは。日本でもセクシャル・マイノリティ系のクラブでよくKPOPイベントが催されたりしますが、それはクラブミュージックが音楽のベースにあるKPOPの音楽的だったり文化的な文脈との繋がりがメインで行われている事という部分が大きく、政治的な事もゼロではないと思いますがそれがメインではないと思います。KPOPにアイデンティティを見出して救われる事はあったとしてもそれはあくまで個人的な体験で、個人的体験を原動力に行動することと、その行動に原動力となった「対象」を象徴として許可なく持ち込む事は別の事で、区別されるべきであるはずだと思います。アーティスト/アイドルとファンは近しい存在ではあってもイコールではない。好きなカルチャーと自分はイコールではないし、あなたの好きなアーティスト/アイドルはあなたではない。彼らがあなたの気持ちを代弁してくれたような気がしたからといって、あなたが彼らの気持ちを代弁していいわけではありません。

 

KPOPにはアメリカ以外の文化圏のファンもたくさんいるし、同じファンでもKPOPファンの動画テロについて称賛するような声に対して「何でもかんでも自分の周りの事をKPOPに結びつけようとする意味がわからない」「KPOPファンはそれしかアイデンティティがないのか?個人の嗜好にすぎないKPOPを巻き込むのはおかしい」という行動の仕方そのものに疑問を呈している人もいますし。
KPOP産業にとって日本は今でも重要な市場であるにも関わらず、韓国内の一部の人たちの一方的な政治的主張で日本活動が中止になったりという事もあったし、勝手に行動するファンが常に「全てに正しい」行動をするとは限らないと思います。個人的にはKPOPファンドムの行動力は本当にすごいと思うけど、集団としての判断力に対しては全く信頼はしてないです。

(個々のファンの話とは別の、あくまで集団としてのあり方の話です)

南米圏でも鬼滅の刃のキャラクター(亥之助)がデモの象徴キャラクターになったりした事もありましたが、アメリカではマーベルのコミックキャラクターである「パニッシャー」が白人主義界隈で象徴的なキャラクターとして使われたりもしています。これらは架空の人物ですが、ましてや生身の人間相手にこれと同様の行為を行うということは「究極の対象化」とも言えると思います。いくら人間的に「正しい」行いであっても、アイドル本人が自主的に表明していない事に対して強制しようとさせたり、名前を借りて「善行」のイメージを着せようとする行為は、結局は「自分が好きなアイドルには自分が賛同するような正しさを体現してほしい」というファンのエゴイズムが根本にある事から、目を逸らしてはいけないと思います。

【質問箱】元iKON・B.I.の作る曲について

【質問箱への投稿より】

こんにちは。BIGBANGの弟分という印象だけがあり、ふとiKONの曲を聴きました。(iKONのサバイバルは2つとも去年見ました)
そこから作詞作曲を全て行なっているハンビンの事を知り、彼が昔、未発表曲(デモ曲)をこっそりSoundCloudにアップしてた事を知ってよく聴いています(今は彼のアカウントからは全て消されましたが...)どれも切なくて投げやりで悲しくて優しい曲でした。脱退してしまってから3曲ほどアップされました。iKONは元気いっぱいという印象が強いのですが、悲しい曲がとても多いですよね。ハンビンの作詞作曲について、印象、音楽の方向性など純粋に泡沫のような有識者の意見を聞いてみたくて質問させて頂きました。iKON関連の質問回答はできるだけ目を通したつもりですが、以前記事で、ハンビンはサバイバルで負けた相手のデビュー曲を手掛けたがなかなか残酷...というのがとても印象に残っております(しかも相手はデビュー曲なのに暗い、そして大ヒット)
漠然とした質問で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

 

https://odaibako.net/detail/request/4d4a3bbb4de74cb490fc2ebb1c2b36b7

 

なんか長くなったのでこちらで失礼します。

 

確かにiKONというとアッパーだったりswagなヒップホップだったり元気でお祭り的なイメージが強いですが、B.I.が作るiKONの曲の本質はむしろ、CLIMAXとかEMPTYみたいな方にあるんじゃないかと思っています。

 

soundcloudにある曲もですが、実際に韓国内でもヒットした楽曲もmy type とかLOVE SCENARIOとか、切なくてメロウな楽曲に決してポジティブではないけどリアリティのある繊細な心情が織り込まれた楽曲が多いですしね。もちろんライブでファンと盛り上がる曲とか、カッコつけたswagでキメる曲も必要ですし、彼の中にもある要素なんだろうと思いますが、韓国語ネイティブの「大衆」から幅広い支持を受けたのはそういうさみしくて明るいとは言えない曲が多いです。

 

韓国のアイドルは自作の場合、どうしても語れる事とか表現に限界があったり型にはまった表現にならざるを得ない事もあると思いますし、特にいわゆる「自作曲」では「(芸能人として)他人に見せるためのリアルっぽく見える感情」みたいに感じられる歌詞もあったりしますけど、個人的な感想としては、確かにB.I.が作る曲には作り手のリアルな感情が見えるというか「作家性」みたいなものを感じます。凝ったレトリックや難しい隠喩はなくても(韓国の詩人の引用などもありますが)より多くの人が共感しやすい言葉とか感情がスッと入ってくるような表現で描かれていて、いい意味で普遍性があると思います。LOVE SCENARIOの「僕の残りの人生の中で時々脳裏をよぎる記憶/その中に君がいるなら それで十分さ」とかHUG ME(個人的に好きです)の友達に片思いしてる事を「そばにいるときは友達 俺一人の時は恋人(韓国語では片思いの相手も恋人というので)」と表現したりとか、曲との相乗効果でわかりやすいけど独特の感性があって、でも一般人的な感覚は失ってないというか「普通の若者」感があっていい歌詞だなと思います。


ご質問に出てきた「EMPTY」ですが、これは当時チームBとして負けたB.I.が「楽しかったステージを降りたあとの虚しい気持ち」を表現した曲だと後で知りました。デビュー当時に聴いた時はビハインドを知らなかったのでこんな渋いライバルチームの作った曲をデビュー曲にするのは珍しいというか、どういう意図なんだろう?残酷なのでは?と思いましたが、全体的にフラットなこの曲の良さを最大限に引き出す事が出来るのは全員の声のトーンが違って個性が際立つWINNERの方だろうとも思うので、この曲をあえてWINNERにやらせた事は正解だと思います。

この「ステージから降りたあとの虚しさ」という話は以前訳したアイドルメンタルヘルスについての記事(http://nenuphar.hatenablog.com/entry/2017/04/20/185256)にも出てきました。

C君は「ステージから降りた瞬間から、大きな空虚さが訪れる」と言っていました。 その話を聞いて、アイドルたちはステージの上に限っては少なくとも「安全」だと感じているようだと思いました。 熱烈な歓呼と強く照りつける照明を受けている間だけは、現実で向かい合うあらゆる苦悩を忘れられるでしょうから。 自分をさいなむすべての憂鬱と強迫的な環境から、この職業を選択した自分に対する恨みから、唯一自由な瞬間なのではないでしょうか。 実際にマイケル・ジャクソンが最高の人気を謳歌していたころ、あるインタビューで「幸せですか」という質問が出ると、彼は「一度も幸せだと思ったことがない」と答えたそうです。 そしてこのように話したそうです。
「パフォーマンスをしている間は比較的解放感を感じる」

 

「ステージから降りた瞬間に感じる虚しさ」という感情って、アイドルにしてみたらまずファンには見せないし見せられない「本当の感情」のひとつなのかもしれないと思います。大なり小なり、アイドルだけではなくステージに立つ仕事の人たちの多くが持つ感情かもしれません。そういう裏側のリアルな感情を勝者の側のWINNERが歌う事で、サバイバルの時の記憶がデビュー曲に刻まれると同時にまだデビューが決まってなかった(ひょっとしたら裏では次のサバイバルは決まってたのかもしれませんが)チームBとチームAが共感出来る感情を共有出来て繋がっている曲のようにも感じます。

そういう「真にリアルな感情」を曲にダイレクトに込めながらも、一見すると恋愛の歌のようにも聴こえるように仕上げているのがすごいと思ったし、一度その舞台裏を知った後で聴く曲と歌詞は、特にあのサバイバルを見た人やショウビズにかかわる人であれば相当胸に迫るのではないかと思います。私はポップな体裁を立派に持っていながらも実際自分の話をリアルに織り込んで、結果的に自分の話と他の人の話を共有出来るような楽曲にアーティスト性を感じる方なので、この曲の裏側を知った時は本当にアーティスト気質のある人なんだなと感じました。

(恋愛に関しては母胎ソロという事でほぼ想像で書いてますとの事でしたが...)

 

自作アイドルは多くいるものの、本当の意味で曲を通して寂しさとかみっともなさみたいな、泥臭くもリアルな自分の感情や気持ちを表現して、ファン以外の市井のリスナーとも共有できた数多くはない貴重なアイドルメンバーでありクリエイターだったんじゃないかと思います。ご質問者の方の「切なくて投げやりで悲しくて優しい曲」という表現が本当にその通りだと思いました。

【rhythmer訳】[国内レビュー] Baekhyun(ベッキョン)「Delight」

[国内レビュー] Baekhyun(ベッキョン)「Delight」

http://m.rhythmer.net//src/magazine/review/view.php?n=19010
2020-06-16


アイドルメンバーがグループを離れてソロアルバムを出す時、一番先に考慮しなければならない点は自分の魅力である。グループ・カラーに埋もれていたアーティスト固有の色を取り出すべきであり、そうしてこそ、グループではなくソロアルバムを出す名分を打ち出すことができる。 大半がチーム活動でしていないジャンルをソロアルバムで駆使しようとするのは、そのような理由からだ。

ベッキョンも同様だ。KPOPグループ「EXO」内のプレーヤーではなく、ソロアーティストとしての姿を見せるため、普段好むジャンルのR&Bでソロアルバムを埋め尽くした。 「Delight」は彼が「City Light」ぶりにリリースした2枚目のソロアルバムでありR&Bアルバムである。

 

ベッキョンのアルバムはいつも華麗なラインナップを誇る。 今回のアルバムには、プロデュースチームのStereotypesが前作に続いて参加し、レディー・ガガ、クリス・ブラウンなどのアルバムを手がけたマイク・デイリーもラインナップされた。 この他にも著名なプロデューサーの名前がぎっしり並んでいる。 janeやColdeのような国内のR&Bアーティストも名を連ねた。

 

そのおかげで、アルバムはうまく進行されている。シンズサウンドが夢幻的な雰囲気を醸し出す「Candy」からトラップビートにブラスを組み合わせた「RURidin?」、ギターと穏やかなドラムサウンドで比較的シンプルに構成された「Love Again」まで、PBR&Bに基づいたプロダクションと流麗なメロディーが各トラックで際立っている。 特に、「Bungee」ではピアノの旋律を柔らかく溶け込ませジャージーなムードを作り出し、「Poppin'」では8bitベースを使って聴く味を生かした。

 

ただし、いくつかの曲でのボーカルは残念だ。 グルーヴィーなビートとその上に乗せられたメロディーと調和しないまま、そっと空回りしてぎこちない。 ベッキョンは柔らかくて淡白な音色が特色であり、強みのボーカリストだ。 そこに強固な力もある。 2016年スジとともに出した「Dream」や赤頬思春期と共に歌った「蝶と猫」ではその長所がはっきりと現れている。 EXOの曲でも同じだった。 ベッキョンは柔らかくて強いボーカルで曲全体の雰囲気をしっかりつかむ役割をした。 しかし、本作ではそのようなメリットは現れない。 不自然でさえある。

 

歌詞の側面からも物足りなさがある。 例えば、「隣にいるの?」と聞いた後、「僕のかな?」と聞く歌詞は、単線的で感興がわかない。 「君の愛は最小限の息/僕の両手を握った絆」のように比喩が印象的な「Underwater」と、話者の心象が明確に描かれる「Love Again」のような後半部の曲を思い浮かべると、前半部の曲の歌詞的な部分での物足りなさがより濃くなる。

 

歌詞の面で一番特記すべき曲は「Candy」だ。この曲での甘さの対象は、他者ではなく男性話者である自分自身だ。 男性話者の歌詞には通常、女性性を甘さで形象化した後所有するという態度が溶け込んでいた。 しかし、「Candy」ではその関係が覆された。 これに加えて話者は女性リスナーを誘惑するが、選択を待つ受身的な態度を持つ。 自ら選択しなければならないと強要しない。 誘惑の道具もまた、ほのかに広がる「ポケットの中の香り」だ。 力、社会的地位、財力などで女性を所有しようとしない。 社会的男性性が排除された誘惑を描いている。

 

「Delight」はトレンディで洗練されたプロダクションが引き立つアルバムである。今日のメインストリームR&Bサウンドをよく表現している。 しかし、それだけに他の作品でも簡単に接することができる音楽でもある。 更に、彼のキャリア内でもこの程度のプロダクション的な完成度は、まさに前作で触れることができた。 今回のアルバムのプロダクションは完成度とは別に、ベッキョンの魅力をうまく表現するにぴったりな道具ではなかったようだ。

 

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PBR&B=Pabst Blue Ribbon(ビールの銘柄)+R&BオルタナティブR&Bとも呼ばれる。

(I Started a Joke: "PBR&B;" and What Genres Mean Now | Pitchfork)

アーティストで言うとThe Weeknd、Frank Ocean、MiguelやDrakeなどが入るらしい。

 

rhythmerは歴史のある韓国のブラックミュージック専門メディア(韓国ナンバーワンブラックミュージックメディアと自称しておられる...)なのですが、それだけに記事の中でアイドル関連の作品をレビューするのは珍しいので訳してみました。顔出しだからなのかYouTubeの方は結構日和ってる感じがしますが(コメント欄見てもツッコミが...) 元々率直で辛辣な批評でも有名なメディアだと思います。

【質問箱】TXTの"Can't You See Me"のMVについて

【質問箱への投稿より】

TXTのCan't You See MeのMVに対して、過剰な少年売り、少年性の性的消費や搾取であるとツイートしている方々を何人か見たのですが、泡沫さんはjこのMVや性的消費についてどう思われますか?
私は最初見た時に好みだな〜と思うくらいでその他に特に感じた事は無かったのですが(考えが浅いのかも知れません)、あとからツイッターで評判を見てみるとこういった事(少年性について)が割と書かれていて、どういう事だろう?と疑問に思ったのでお題箱に入れさせて頂きました。

 

https://odaibako.net/detail/request/7dbac6b775c64258a4dde10bb13da2a0

 

このMVに関していえば「まあそう言われればそうかもしれませんけどもね...」というのが正直な感想です。自分は見終わった後最初にやった事が「スペイン トマト祭り」での検索だったので...
(何か祭りに意味があるのかなと思ったんですが、「開催中止」って出てきました)

MVの中に特にあからさまな露出や性的表現・暗喩があるわけではないと思うのですが、衣装とか表情とか撮り方などの演出やコンセプトの部分でそう感じ取った人たちがいたという事ですかね。しかし、「過剰な少年性」が「性的に消費・搾取されている」事をあの中から感じとれたという事は何だかセクシーというかエッチな感じたという事でもあり、つまり直接的な露出(半ズボンが性的か否かという部分は議論がわかれるところだと思いますけど)や性的表現・暗喩があるというわけではないものから性的なものを読み取れるという「選ばれし者」しか感じ取りにくい表現ではないだろうかと個人的には感じるのです。ですので、ご質問者の方がどういう事だろう?と思ったということはむしろ「健全」なアンテナの持ち主のように私は思います。特に未成年が演者のエンターテインメントにおいては性的な表現には敏感であるべきだとは思うのですが、「少年性の性的搾取」というのがよくわからないというのはこのMVに関してはは「わかる」必要まではないのではないかと思います。成人として少年や少女に性的な魅力を全く感じた事がない人にとっては、少年性や少女性を扱う事の危うさと言われても全くピンとこないと思いますし...ただ、「そういう風な感じ方・捉え方もあるのだ」という事を知るだけでいいのではないでしょうか。

 

少年性を過剰に物語的に演出してストーリーとしてリアルな未成年に大人が演じさせるという構図にグロテスクなものを感じる人もいるだろうとは思うのですが、大人の演出が入っていないアイドルは存在し得ない(韓国ではそうだと思います。日本のインディーズアイドルとかなら別かもですが)し、未成年が「等身大」をコンセプトとする場合は少年性や少女性はある意味で不可欠だと思います。それがどのような表現方法であれパフォーマンス化する事で「消費」されることは大なり小なり避けられないのではないかと自分は考えています。「性的に消費される事」には「性愛の対象としてみなすこと」が含まれると思いますが、「アイドル」という存在に「性愛の対象として魅力的である」という事が配分はどうあれほぼ必ず含まれるのだとすると、「未成年のアイドル」は存在自体が「少年性(少女性)を過剰に演出されて性的搾取されている存在」とも言えると思います。だから「未成年のアイドルは大人として魅力を感じづらい」という文脈ならわかりますが(そもそもどういう意図でそれらの言葉が使われているのかは実際見てないのでわからないまま書いてますが)、未成年アイドル全般についての問題には触れずにこのMVのみピンポイントで批判しているのなら賛同はしかねる感じです。SEVENTEENのADORE Uや防弾の花様年華NCT DREAMのチューインガム等と比べてTXTだけに「少年性売り」を見出すのは理屈が通らないのではないかと思うので。これらが全部アウトと判断なら筋が通っていると思いますが。

 

「アイドル」というものの定義というか、根本の意味を考えると、特に未成年のアイドルの演出のされ方には敏感にならざるを得ないし、それを敏感に感じとれてしまう感性の持ち主は逆にそういう演出のターゲットでもある(匂わせも感じ取られなければ意味がないので)と思いますから、余計に自戒の気持ちは常に必要かもしれません。ただ、これが難しいと思うのが、あからさまな肉体の露出や性的な表現、暗喩などがはっきりあるわけじゃないけど「見る人が見たら色気(性的なもの)を感じる」というものには明確な判断基準がないので、受け取る側のさじ加減次第でどの様にもとれてしまうという危険性はあるのではないかという部分です。「これは大人が考えた少年像を押しつけで表現しているので良くない」「これは本人たちの素のままの姿だろうから良い」「これはいやらしくなく爽やかでピュアだから良い」「これはなんだかイヤらしいから良くない」という風に、ただ個人の感性に基づいて裁く事は私は納得いかない方です。その人が感じるところの「爽やかでピュア」な方により性的なものを感じる人もいるかもしれないし、それが多数派なのかどうかは関係ないと思うので。そもそも未成年というだけで性的魅力を感じる人もいると思います。個人の好き嫌いや嫌悪感という部分ではしかたないと思うのですが、それを主語の大きすぎる話に即転換するのは安易すぎる気がします。


「響けユーフォニアム」という女性の作者が自身の経験をベースに書いた青春吹奏楽部ものの人気ライトノベルがありまして、その作品のアニメ化作品についてこの様な事がありました。(https://m.huffingtonpost.jp/kaoru-kumi/otaku-culture_b_8746632.html)
この筆者の方の書いていることに全て賛同するわけではないのですが、この様に「本質的にはポルノグラフィー的な目的で作られたわけではなくても、ポルノグラフィー的にも読み解けてしまう」という事もいくらでもあると思いますし、だからこそそれも踏まえた表現への覚悟や論理・理由づけが重要という事は理解できます。しかし一方で、「性的消費が目的でないものをあえてポルノグラフィー的に読み解く行為」そのものが逆に、性的加害になりうる可能性も時にはあるんじゃないかと思うのです。

個人的には直接的な露出や性的な絡み・明確な性的暗喩があるわけではないものを「断罪」するには基準が曖昧すぎると思うので、「性的搾取」のような強い言葉で表現するほどではないと思います。ですが、「そのように解釈する人もいるかもしれないけど違うといえば違うかもしれない」というレベルの曖昧で意味深な表現・演出方法は、特にアイドル業界においては対象を魅力的に見せるための仕掛けとして仕込まれている事は多いと言う事は、頭に入れて置いてもいいのかもとは思います。

 

TXTに関してはデビューから一貫して未成年ならではの「少年性」をイメージコンセプトとしていますが、BigHitは防弾少年団の頃から方向性は違えど「少年性」の表現に全力を傾けてきた歴史があるんじゃないかと思いますし、その過程で時には性的な表現も避けてこなかったと思いました。思春期の性について描写したBTSの「ホルモン戦争」は当時かなり物議を醸しましたが、表現方法やアイドルがテーマとしてとして扱うことの是非はともかく、「思春期のリアル」を描くにあたって本来ならば避ける事の方が不自然であるはずの「性」をテーマにした事そのものはエピックだったんじゃないかと思ってます。ただ、その表現方法には割と問題があったというかへたくそというか、「あまりにそのまんますぎでは」という事はあったと思います。例えば「オタクが好きそうなやつ」の一言で伝わる人には伝わるかもしれませんが(わからない方はすみませんが特に説明はしません)、そのような要素を扱う時にも、SMエンターテインメントなどはそのままはわかりづらいように斜め上からひねってくる事が多い(ひねりすぎてよくわからないことになってる場合もありますが)のに対して、BigHitは割と「(オタク目線的には)そのまんまだな?」という出し方が多いように感じています。「適度なオタク的深度はありつつも実はわかりやすい」からこそ、マスにアピール出来てきた部分もあるのかもしれませんが、時にオタクが良く言う「好みな世界のはずだけどあからさますぎて萎えた」ということを詳しく言うとそういう理由だった=あからさますぎて性的なものをダイレクトに感じとりすぎてしまったので、ときめきや萌えよりも罪悪感や嫌悪感の方が勝った、という事もあるかもしれないと思いました。オタクは良くも悪くも1から100を読み取って妄想(連想)を広げられるものだと思うので。