サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】2019年、米国でのK−POP

【ize訳】2019年、米国でのK−POP


2019.12.13

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2019121307397260885


2019年は、K-POPがどんな成果を成し遂げたのか簡単に言うことができる年だ。ビルボードの2019年の年間チャートは良い整理になるだろう。ビルボードのメインチャートを1年単位で集計した結果だからだ。BTSは、「アーティスト100」26位。グループだけで見ると4位だ。Queen、Imagine Dragons、ビートルズの次だ。ロックソングチャート上位に1年中住んでいるパニック!アット・ザ・ディスコが7位だ。「ビルボード200」は、51位と118位ふたつを記録した。アルバム販売量だけ見れば「Map Of The Soul:PERSONA」が6位だ。アーティスト別に合算すると3位Queenテイラー・スウィフトの次である。


数字は多すぎて全部に対処することができない。しかし、数字が2019年のK-POPを代弁しているわけではない。人々はすでに大型TV番組デビュー、成功したツアー、ビルボードチャート進入、記録的なYouTubeの再生回数など、有名な授賞式での受賞記録が数年に渡って積もって大きなレベルで繰り返されることを見た。そして今年は、すべてのことが歴史の中で最も巨大だ。しかし、2019年が過去と何が違うのかと問われれば、答えは「歴代最高」にとどまらない。もちろん、その成功は必要だった。ラテン音楽に「Despacito」が必要だったように、今のK-POPにはBTSがある。「Despacito」の歴史的な「ホット100」16週1位は、ルイス・フォンシとDaddy Yankeeだけではなく、他のラテンアーティストにも機会を開いた。主要なラテンポップの新曲がApple MusicとSpotifyの新曲プレイリストに上がって、より多くの大衆に近づいていく。さらに、スペインのミュージシャンにも機会が生じる。簡単に言えばラテンはポップ、ヒップホップ、R&Bの次に確実なメジャージャンルになった。K-POPの現在の状況は「Despacito」とBTSを比較するのと似ている。要するに、ラテンポップに並ぶことはないが産業的に有意な存在という事だ。


ゆえに米国市場は、自らK-POPを再現したがる。SuperMはSMエンターテイメントのスーパーグループという点で話題になったが、ビジネス的には米国のキャピトルがこの概念を提案した結果だということが重要である。K-POPアーティストは米国や他の国ではなく韓国でしか見つけることができず、それが独自の練習生システムに基づいている場合、キャピトルはほぼ唯一のアプローチ方法を発見したのだ。他のレーベルも似たような試みをすることができるが、最も便利で迅速なオプションはすでにキャピトルが持っていった。


K-POPの位置は、逆説的に否定的なニュースによって照明が当たっている。過去にK-POPボーイバンドが英米圏で成功するのは難しいと予想していた最大の理由は、いわゆる「男性性」の問題を超えることができないと見ていたからである。K-POPが男性性の固定観念に挑戦するという認識は自然だ。ところが、ある人たちはそれを「脅威」として受け止め始めた。米国ではこれをエルビス・プレスリーが50年代の保守的なアメリカで退廃的だと攻撃受けたものと比較する人もいる。もう少し最近の話では、2000年前後に韓国で日本の大衆文化に対する論議が起こったものと似ている。「倭色論議」という単語がついたりもしていたが、論議は日本の大衆文化の輸入が許可されて以来、しばらく存在したのち今は消えた。日本の大衆文化が韓国に及ぼす影響力がわずかだからだ。市場に最初から存在しないか、競争力を失っているとすれば誰もそれを「脅威」だと思わない。


K-POPは、現在の音楽の趣向の有意な選択の一つとなった。ラテンポップがもはや「マカレナ」ではないように、K-POPも「江南スタイル」ではない。事実、これは韓国文化の多くの部分が2019年に達成した成果でもある。最も近いのは韓国料理である。「チメク」と「餃子」では説明できない。韓国人でさえ、その味が気になる米国の韓国料理レストランで唯一の韓国人客として座っているときに感じる感情は、いわゆる「국뽕グクポン」より複雑だが落ち着いている。数字が重要ではないからだ。


文ソソンドク(大衆音楽評論家)

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국뽕=盲目的な愛国主義者。국(国)+히로뽕(ヒロポン覚醒剤の一種)

 

色々言われつつもSuperMのアルバムはまだビルボード200以内に入っていますが(アメリカでのショーケースツアーがまだ続いてて、チケットバンドルの影響もあると思いますが)キャピトル提案ではあるけど多分キャピトル自体はプロモーションは手伝っても制作にはお金は出してないんじゃないか(普通はアメリカでアルバム出すときはレコード会社がお金を出すんですが)という話もあり、色々今後の流れは気になる。

「(今の)日本の大衆文化が韓国に及ぼす影響力がわずかだからだ」というの自分はそう思ってなくて、音楽やエンタメではそうかもしれませんが例えば二次元界隈だともう完全に日本文化が入り込んでしまっていて一体化してるレベルのキャラクターや作品も多く(クレヨンしんちゃんとかセーラームーンとかもはや数えきれない)、アメリカでのマリオやポケモンレベルまで浸透すると何も言われなくなるんだろうと思います。昔サウスパークで日本のなんとかポコモンというアニメがサウスパークでめちゃくちゃ流行るけど実はサブリミナルが施されてて子供たちを洗脳してたってネタがあった(日本では放送されず。でもエミー賞にノミネートされたという笑)らしいけど今はネタにもならない...BLネタは数年前にありましたが。男性性の壁というのもすでにこの20年でアニメや漫画がマニアを超えてアメリカ市場に溶け込んでる事を考えると、特に若年層ではその辺りの価値観の変容が起こってても全然おかしくないと思います。実際KPOPオタとOTAKU部分的にかぶってるし(アニメ的なFAもかなり多い)Kドルにアニメキャラを重ねる層はオタク以外でもいるみたいですし。この辺り二次オタではないし女性文化にさほど関心がない人たちはいちばん気づきにくいポイントであるかもしれないと思ってます。だから、何かしら特別視されなくなった瞬間からが真の「市場に入りこんだ時」ではなのかもと思ったりもしました。