サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【質問箱】防弾少年団というアイドルグループについて

質問箱の方にきたご質問(?)への回答が長くなったのでこちらに書いておきます。

 

今回のBTSの一連の問題に関して個人的見解を感情的に述べると際限がないのですが、またか、という呆れが少なからずあります。(そしてぐだぐだ続くので、感情論部分は以下割愛)

世界を股にかけて活動し大きなファンダムを持つ彼らは、人種や国籍、言語や宗教の違いさえも飛び越えてひつとになることが可能だという証明をしてくれたように思います。互いを尊重し合うには、相手を認めて理解しようとする心がなくてはなりません。それをまさに彼らは体現してくれたのではないでしょうか。

だからこそ今回のことを沈黙で乗り切れると本人や事務所も含め関係者が考えているとしたら、本当に残念でなりません。彼らが国連でした素晴らしいスピーチも今までの活動の原始的な部分も、もはやわたしには聞こえのいい台詞やパフォーマンスを模倣しただけのものに成り下がっています。

今まで彼らが自身の音楽で表現してきた通り、しっかりと自分達の気持ちを世界に伝えるべきだと思います。それが彼らの根本であり、それに共鳴したファンのためでもあります。
そして、彼らにはそれを示す責任があると思います。

https://odaibako.net/detail/request/aaaaf876de8345628ebb8a2b5ddaf9cb

 

 

まず、ご質問者の方と私では防弾少年団というグループそのものに対する見解が少し異なるようです。

個人的にはデビュー時からの流れを見ると、一番「グローバル人気」になったらマズい過去を持ってるグループなのではないかとずっと思っていましたが...それぐらい他国の文化やポリコレ的な事柄に対して、悪意は勿論ないんだろうけど鈍いというか迂闊な事務所だったと思います。その都度謝罪はしてきていますが。
今言われてる事の中には「KPOPはイルミナティに支配されている」レベルの無茶なこじつけもありますが、ナチスの件などは国内では公式で謝罪済みであってもやはり今更ながら欧米圏で問題になってしまいました。

(秋元康氏がプロデュースしている欅坂も過去に同様の件で問題視されて謝罪したというのがまた皮肉というか)

 

それが何故今のようなイメージを構築するに至ったのかというと、やはり2016年以降のイメージ戦略が効果的だったのではないかと思います。花様年華でカムバした当時は主にPDによる世界観が主に語られており、現在多く持たれているような彼等の主体性のようなイメージよりは、あくまで事務所の作った世界観の中でのリアリティという認識がされていたと思います。そこからリアルと世界観のクロスオーバーが始まり(この辺がまさに秋元康氏プロデュースの欅坂や初期AKBの一部の曲のイメージとも重なるような戦略だというのがまたも皮肉なのではないかとも思いますが)、見ている方が最も良い具合にリアル=コンセプトとみなしてしまうような成果が出たのがLYSシリーズなのではないかと思います。


デビューから今までの行動をリアルタイムで一貫してみていると、彼らは自分たちの意思で国境や人種は関係ないというメッセージを送ってきたというよりは、事務所の定めた「そういうメッセージを曲に込めて活動するアイドル」としての役割を、実に真面目に従順に成し遂げてきただけなのだろうと思うのです。もちろんその過程で自分達なりに考えて成長するところはあったと思いますし、楽曲にもその痕跡は見えますが。アイドルとしての自由度もクリエイティブな面での自由度も、他の事務所と比べて特に優れているとか裁量権が広いというイメージはありません。どちらかといえば「自由に創作はさせるけど、それらの断片をコンセプトとしてまとめて作品として完成させるのは事務所のプロの大人たち」というイメージです。ここ数年の自分を愛そうというテーマもコンセプトはコンセプトであって、もちろん他のアイドルと同様に事務所が「連作のコンセプトとして」考えたものであると思います。なぜならデビュー時からずっとそうでしたし、彼らより先にかの有名なジャスティン・ビーバーが同名の曲をすでに出していました。だから最初からずっとそういう印象で見てきている方からすれば、正直今回の件は「毎度の事だけど事務所がもうちょっとセンシティブに注意を払っても良かったのでは?衣装じゃないけど仕事の撮影が入ってるんだから」という気持ちでした。


韓国ではむしろポリコレ的無神経さに我慢できずファンをやめるという層も過去一定数いましたし、今は韓国の外で「そういうイメージ」として認識されてしまい「そういうイメージ」でグローバルな人気がでた(という風に一般的には説明されている)ので、ファンの方もそういうスタンスを出してくるかもしれませんけど、根本的に最初からそういう事をきちんとできていた事務所とグループではないと思います。

 

でも、ご質問者の方のようにBTS=メンバー自身であり、彼ら自身がそのままグローバルなメッセージを彼らの意志だけで発信してきたと信じている(た)人たちにとっては、今回の事で彼らの自身から「直の言葉」がない事に何よりの不信感を感じるだろうというのはわかるような気がします。でも、だからこそそう思わせてきたことの罪深さも感じます。ファンの側が勝手にそう思ってのめり込んでいった部分もあるのかもしれませんが。メンバーが繰り返し言っている「どうしてこんなに人気が出たのか、自分ではわからない」という言葉は、その戸惑いも含めて多分素直な気持ちなんだろうなと感じます。

 

自分が常々「アイドルは政治的なものをわざわざ主張して背負う必要はない」と思っているのは政治というものが各国を分断する壁になっている現実があって、政治的になったアイドルは振る舞い方が制限される立場上自分自身が壁に取り込まれてしまい、壁そのものを壊すことはできなくなると思っているからです。政治的主張をする事で特定の熱狂的な層を引きつける事はできるかもしれませんが、メッセージの対象が大きくなればなるほど、彼ら自身が特定の国の人間で政治的メッセージを発しているという立場との矛盾が大きくなっていくのではないかと思うのです。国連のスピーチとの矛盾を感じられている方もいると思うのですが、「人種や国籍、言語や宗教の違いさえも飛び越えてひとつになることが可能だという証明をしてくれた」というの、確かにその通りだと思うのですが、実際にさまざまな違いを飛び越えて人々を結びつけたのは「BTSの発してきたメッセージ」そのものではないんじゃないかと思うんですよ。メッセージの内容が心に響いたと言う事も要素の一部ではあるかもしれませんが、基本は彼らのことを好きになった人々の単純な「好き」という気持ちが国境や人種を超えたんじゃないかと思います。

 

「好き」のチカラは絶大だと思います。「好き」になるのに理由は必要ありませんし、むしろ好きになってしまうとその理由を説明する事の方が難しくなったりしますし、ほぼ言葉が通じないのに結婚までする人もいますから言語や国境も関係ない。好きじゃない人から見たら欠陥にしか見えないことが、好きになってしまうと途端に魅力に見える事もあるでしょう。韓国アイドルとの出会いがきっかけでネトウヨ嫌韓をやめた人もいるぐらいですから、「好き」には諸々イデオロギーを飛び越える強大なパワーがあるという事だと思います。アメリカのファンだって好きな理由をきかれたら色々理屈はつけると思いますが、顔から入ったって断言してる人もいますから(そもそも歌詞は全くわからなくて後づけで訳で知る人が圧倒的に多いわけで、まずはビジュアルイメージありきだと思います)本音のところでは必ずしもメッセージ性が最重要というわけではないと思います。パフォーマンスや楽曲や歌詞やメンバーのキャラクターや関係性やルックスや、諸々の要素の中が合わさって「好き」という気持ちはできてると思いますが、「ファンにとって彼らが社会的に誇れる存在であること」というのはその中の一部に過ぎないんじゃないかと思います。人によって要素の配分は色々だと思うので、上記の事が「好き」のうちの多くの部分を占める人もいるかもしれませんが、その要素がなくなってしまってもまだ残る「好き」なところはあると思うんですよね。それが全てならなくなった瞬間は離れればいいですけど、他の「好き」な要素がまだあるからこそ諦めきれないし、最初からそうでなくても構わないというファンもいるでしょう。特に昔からずっと彼らを好きという人たちは、最初から「社会的に誇れる〜」の部分が無い状態からスタートしてる人も多いんじゃないかと思います。
(それをお花畑と呼ぶ人もいますが、本来のアイドルというもののあり方を考えるとそれでいいと自分は思います)

「好き」というある種の信頼感ありきでのメッセージだからより良いものにきこえるわけで、そこの部分の信頼感がない人がきけば「ただの聞こえの良い台詞」にしかきこえないかもしれません。

 

基本的にアイドルと言うのは「(音楽的なパフォーマンスをして)人から好きになってもらう仕事」だと思うんですよね。彼ら彼女らが様々な理由で愛されることで愛している方もまた幸せになるという、稀有な職業だと思います。人から愛されることそのものが仕事なので、本当はそこに大層な大義名分はいらないと思います。そういうものがないとアイドルを好きになれない(好きと表明できない)という人もいるかもしれませんが、基本はそういう事全てから解き放たれた純粋な「好き」で構成された自由な世界のはずです。だからこそ「好き」という事だけで国境や人種やその他のイデオロギーを超えたファンの間の共通認識やつながりが生まれてくるんだと思います。好きだからこそ通常は超えにくい壁や感情や、理性的な自分なら許せないような事でもいい方に考えてしまったり、時にイデオロギーが塗り替えられるくらいの考え方の変化も起きるんじゃないでしょうか。

 

そういう「好き」のパワーをどのような経緯であれ生み出してきたBTS(と事務所)がすごいのであって、曲でメッセージを発したり国連で立派なメッセージを言うから彼らが素晴らしいんだというわけではないと思います。ここまで彼ら自身が愛されるようになった彼らがただそれだけで凄いです。色々な事があってもBTSの日本盤ニューシングルは今のところ40万枚以上売れてます。やはり外野が何を言おうと「好き」は強いと言う事の何よりの証明だと思います。

 

しかし、グローバルにアイドルとして人気があるからと言って、それはただ世界中で愛されているという証明ではあるけれど、彼らが本当に国家やイデオロギーから自由になって自分たちの意志だけでメッセージを発している・発する事が出来るのだという証明や根拠にはなりません。だから実際は一介のアイドルに過ぎない彼らに、全ての国や人に対しての政治的な正しさを要求しすぎるのは酷なのではないのかという、今はただそう思います。

 

注:ご質問いただいてから何日かかけて書いているあいだに若干状況が変わってきましたので、後から追記した部分があります。

 

注2:私は別に防弾のファン=ARMYではないです。好きですけどね。

 

注3:すぐ謝ればいいだけなのになぜそれができないのか?という素朴な疑問がある方もいるとは思いますが、韓国でのそのあたりの事柄の報道や認識のされ方は日本とは違います。アイドルを取り巻く韓国の社会的目線、特にBTSを取り巻く複雑な環境についても日本のアイドルの状況しか知らない方にしてみれば理解しがたい面はあるかと思います。ご質問された方はある程度その辺りの知識や経験があるという前提で回答させて頂いています。