サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【melon/weiv訳】アイドル、ペンを取るー作詞するアイドル(上)

アイドル、ペンを取るー作詞するアイドル(上)


2018.07.27

https://m.app.melon.com/musicstory/detail.htm?mstorySeq=6694


アイドルが自分の歌のための歌詞を直接書くというのは、よく自分の音楽的力量とアーティストとしての自我を全面的に繰り広げる行為として受け止められている。 これはアイドルに対してひねくれた目線を持っている人はもとより、アイドルのファンの間でも広く使われている論理だ。 しかし、そのような見方が果たして正しいのだろうか。 自分が書いた歌詞ではなく専門の作詞家やプロデューサーが書いた歌詞を歌ったとしても、そのアイドルが歌わなかったらその歌詞は決して"音楽"として機能しなかっただろう。 そして逆にこういう考え方もできる。 私たちはあるアイドルが"作詞をした"という事実自体には集中しながらも、そのアイドルが"何をどのように"作詞したのかについては見逃しているのではないか。

 

作詞がすなわち"音楽的真正性"につながるという単純な論理の前で、私たちはアイドルが書いた歌詞により詳しく接する機会を逃しているかもしれない。 今回と次回の"アイドル探究生活"では、そうした古い命題に少しでも亀裂を起こしたいと思う。洗練された快感をのある自己顕示から感情を描く歌詞まで、K-Popシーンで歌詞を書き続けているアイドルに会ってみよう。

 

文  チョン・グウォン(ウェブジンWeivエディター)

 

#G-DRAGONー最も重いSWAG


"Yes sir I'm one of a kind

俺は才能が多い熊 No

熊寄りの狐 "

「One Of A Kind」


「swag」という要素が韓国大衆音楽の歌詞の一つの軸となって久しい。 これに対して「大胆でもないミュージシャンたちが誇張をする」と非難する人もいるが、かならずしもそのように色眼鏡で見る必要があるだろうか。 swagの持つ快感がアーティストの持つ実際の地位以上の誇張をどれだけウィット的に解くのかということから始まるということを考えると、あらゆる歌詞に溢れているワードプレー(wordplay)に価値がないという話は余りある。


こうした主張を受け入れるなら、「本当にすごい」ミュージシャンであるG-DRAGONの歌詞から示されるswagが、なぜそれほど強烈な印象を残すのかも理解できるだろう。 "ポキガヨ"や"COUP D`ETAT"の傲慢な図々しさから"BANG BANG BANG"や"BULLSHIT "の気まぐれなエネルギーまでを行き来するさまざまなテーマのスペクトルは、GD特有のねじくれた発音と鼻音の混じったトーン、GDでなければ消化しづらい洗練されたフロウと結合し、消せない印象を作り出す。単に自慢を新鮮に描くことを超え、それを自分の表現できる強みと結びつけて一つの音楽的アイデンティティとして活用すること。GDの歌詞にはそのような重いswagが存在する。

 

もちろんそのような歌詞を書くことができるのは、逆説的にGDがswagにだけ埋没しない多様なジャンルやスタイルの歌詞をワーカホリックのように吐き出すおかげでもある。 "I'm so sorry but I love you 全部嘘"(「嘘」)から、"LOSER 一人ぼっちのふりをする" (「LOSER」)まで。 "またペンをつかまえて書き下ろす歌詞" (「少年よ」)という歌詞から感じられる経験の厚さは、決して無視できるものではない。


[選曲リスト]

One Of A Kind/G-DRAGON

ポキガヨ/GD&TOP

嘘/BIGBANG

LOSER/BIGBANG

少年よ/G-DRAGON


#IUーこんなにもクラシックな


"ただ消えない小さな明かりが

ここにきらきら生きています"

「心」


一般的にIUの歌詞に関する話は、彼女が本格的に「自分」についての語りを解き始めた"CHAT-SHIRE"と、それ以降の"Palette"に焦点が合わせられやすい。 しかしその前の "私一人の帰り道" を描いた"嫌いな日"や愛する人を待つ一週間を描いた"金曜に会いましょう"、春への愛らしい愛情を描いた"春、愛、桜ではなく"をまず思い浮かべてみる。

 

"CHAT-SHIRE"以前からIUの歌詞は一度も何かを"描く"ことを止めなかった。ここでいう"描く"というのは、21世紀の大衆音楽においてますます加速している「歌詞のイメージ化」とは異なる路線に位置する行為である。 それが特定の場面であれ感情であれ、より直接的で単純化された言語で表現しようとする最近の傾向とは異なり、IUは自分あるいは歌詞の中の話し手の感情を、遠回りしながらも整理されている描写と共感を導く敍事を通じて「描く」。


それが「イメージ化された」歌詞よりも良い選択だとは軽率に判断したくはない。 しかし、作詞に直接飛び込んだ頃から見せてくれた賢くて愚直なその方向性が、最も落ち着いた言葉で最も大きな懐かしさを描く"夜の手紙"の歌詞や簡潔な好みの羅列だけで25歳の自分を表現し、受け入れられるようにした。 そういう意味で、IUは大衆音楽の歌詞から感じられる古典的な美学を今現在、最も忠実に具現化しているアイドルである。 その姿が優雅に美しいということは、わざわざ強調する必要もないだろう。


[選曲リスト5]

嫌いな日/IU

春・愛・桜ではなく/HIGH4 feat.IU

夜の手紙/IU

Pallette(feat. G-DRAGON)/IU

心/IU


#ジョンヒョンー時を越えた歌詞


"僕のこの愛が 小さな部屋を

去る日が来たら

僕たちが向かい合ったら

そうなったら"

「一人芝居 (MONO-Drama)」


いくら詩の起源が韻律など音楽的要素と密接に結びついているとしても、私は大衆音楽の歌詞を詩と等価に置く事については警戒しなければならないと思う。 音という概念と密接に相互作用し、自分の役割を果たして自分だけの領域を作り上げる歌詞は、詩と似てはいても厳然として区分されるべき独自の体系だ。

 

ジョンヒョンが最後にリリースしたアルバムのタイトルは"Poet | Artist"だ。 「Poet」という言葉の後ろに「Artist」がついていることに注目したい。 単独でみても十分「詩的な」としか思えない歌詞だが、彼が書いた歌詞に本当に生命力を吹き込むのは、多くの波長を持つ彼の声と緻密でありながらダイナミックなサウンドとビートだった。 "僕たちは一緒にいるけど / 一緒には歩かないじゃん" (「Lonely」)というただ心の隅がチクチクする詩も、いたずらっ気ととぼけた感じのある "Stay Oh It's a déjà vu / どこかで見たようだけど / どこかで見たようなんだ" (「Deja-Boo」)という誘惑の言葉を耳にした時、それがジョンヒョンの音楽と一緒でなければ脳裏にこれほど強烈に残っているだろうか?

 

ジョンヒョンが「Poet」と「Artist"」のうちどちらに自分がもっと近いと思ったのかはわからない。 しかしはっきりしているのは、彼が書いた歌詞がダンスポップの快活さから悲しみを隠さないバラードまで振幅の大きいさまざまなテーマを超えており、それにも関わらず単一な集中力を保っていることだ。 それは彼が大衆音楽家として、そして自分の話を聞かせたい人として、それを媒介する音楽についていつも熾烈な悩みを重ねてきたお陰で可能なのだという事だ。 それによって彼が聞かせたい"話"は、もう少し長い間私たちの心に残っていることだろう。


[選曲リスト5]

Deja-Boo(Feat. Zion.T)/ジョンヒョン

一人芝居(MONO-Drama)/ジョンヒョン

Lonely (Feat. テヨン)/ジョンヒョン

光だ(Shinin')/ジョンヒョン(JONGHYUN)

私たちは春が来る前に(Before Our Spring)/ジョンヒョン

 

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いわゆるswagが出てくる自作アイドルソングは韓国では今や珍しくないですが、上手い下手というかセンスがモロに出てしまうので難しいジャンル(ジャンル?)というかスタイルだとは思います。要は見得を切ってるのと同じなので、そのままの事を言っても面白くないしだから何なんスカ?となりがちという...向き不向きがありそうですがラッパーは入れたがるんだなあ。

GD先生のswagは一見swagっぽくなくてなんかおしゃれ(?)ですね。