サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】雑誌が消えるときに起こること

【ize訳】雑誌が消えるときに起こること

 

2018.09.14

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018091400007250210

 

この8月「Ceci」と「Heren」が休刊した。 そして同月16日、この2つの雑誌の出版社であるJTBC PLUS社屋のいたるところに「休刊の仮面をかぶった廃刊」「会社の一方的な決定」と批判する張り紙が貼られた。 ここに明示されたように、JTBC PLUSが発行する8つの雑誌の中今年だけで4つの雑誌が休刊になった。「Ceci」をはじめ、「Heren」と「In Style」、48年の歴史を持つ「女性中央」が一瞬で消えた。

 

インターネットとスマートフォンが登場して以来紙の雑誌の終末は地道に予見されてきており、会社の立場でこれといった収益を上げていない媒体をなくすことは一見、当たり前に思えるかもしれない。 しかし、雑誌が消える過程でその構成員たちが経験することは決して当たり前ではない。 JTBC PLUS関係者によると、廃刊された雑誌の構成員の大半は締め切りが迫った状況で休刊が決定されたという事実を知った。 当該媒体の所属だったA記者は、「編集長から末っ子までみんな集まった席で、初めて休刊の話を聞いた。 編集長もこの事実を知らなかったですし、事前に知ったとしてもできることはありませんでした。何のために休刊が決定されたのかは誰も知らない。 これに対する答えを聞くことができたならそもそもこのようなことは行われなかっただろう」と話した。 残っている雑誌の状況もそれほど楽観的ではない。 最近、「COSMOPOLITAN 」では産休に入った編集長が突然交代されることが分かった。 キムウンジ編集長は「時事IN」とのインタビューで、「出産休暇に入って2週間もしないうちに、他の人材を私のポストに辞令するという事実を一方的に報告された。 今年の初めから代理について数回の会議を経て、引継ぎを完了した状況だった」と明らかにした。 会社のやり方は、張り紙にあった主張のように構成員たちの立場からは十分に一方的に感じられるほどだった。 休刊についてJTBC PLUS側は「数十億ウォンの赤字で休刊を決定したものであり、市場景気が好転し、経営状況が変われば再び復刊することができる」という立場をまとめた('メディア今日')。問題は景気とは関係なく、これらは「雑誌業界」でいつも展開されてきたという事実だ。

 

なんと十数年前、今は名前さえ言えば誰でもわかるほどにに有名になったB記者が経験したことだ。 徹夜の締め切りを終えて家でいびきをかいていた彼は突然かかってきた電話を受けて目覚めた。 今日の明け方まで仕上げていた雑誌が来月からなくなるという話を聞いた彼はしばらく当惑し、電話を切ってまた寝たという。 「一応は本は作ることにしておいて、のっぴきならない状況下で通知」する方式は、ほとんど伝統と言っていいほど長年の悪習だ。 このようなことが可能だった理由は雑誌が作られる独特のシステムにある。 月刊誌の場合、記者たちは1ヵ月以上前もって次号を準備する。 遅くとも6月末に8月号の企画会議が終わってその時に渉外と取材、撮影などに入って7月中旬には締切を終わらせなければならない。 1ヶ月に満たない期間で平均200〜300ページ近くになる本を作らなければならないため、記者たちは一心不乱に仕事にしがみつくほかはない。 そのような状況で休刊や廃刊の通達を受けるとしても、すでに進行中の記事を最後まで完結させるしかないのだ。 雑誌を作るのは、会社との契約を離れて取材員や読者たちとの約束でもある。 また、会社の不当さに対抗して独自で取引をボイコットする場合、その分はそのまま残っている同僚たちに帰ってくる。 どのような抵抗もできない状況で最後まで雑誌を作ることを選択した人たちは最小限の責任を尽くした。 反面、会社は何の責任を負ったのか。

 

A記者は「今回のことを労務士に相談をしたが、できる事はないという返事を聞いた。 会社側としては部署移動の申請を受けたり、慰労金を提案するなど最善を尽くしたというのがその理由だった」と説明した。 法的に問題にならない線で休刊と関連する人事措置は急速に終了した。 業界関係者たちは「大手のJTBC PLUSの状況はましな方だ」と口をそろえている。 雑誌市場で中堅企業ともいえるC社も、ここ数年の間に発行していた雑誌の半分を休刊させた。 ここの所属記者Dは「1年前から廃刊の話が始め、すべての記者たちが契約社員へと転換された。 これまで人員が不足している状況で補充人員もなく雑誌を作ってきて、結局今回で契約終了となり、休刊になった」と話した。 構成員の契約終了を名分に、会社は自然に「売れない」雑誌を整理することができた。 希望する人に限って残っている雑誌への移動を約束したが、それもまた、会社内で「廃刊候補1位」とされている雑誌だ。 同じ会社所属のE氏は「斬首刑の順番を待つ気持ちだった。 売り上げが少ないため、人は足りないが仕事はますます手に負えなくなるほど増えている。 酷使され、その次はなくなるのが決まった手順だ」と打ち明けた。 雑誌市場のほとんどを占める零細な会社の状況は、さらに悲惨なものだ。 7年前に廃刊に追い込まれたF誌でキャリアを開始した記者Gは、「借金取りに追われながら雑誌を作った。 数ヵ月間も給料をもらえず、発行して一週間も経たない雑誌をリサイクルに売ってそのお金を分けあった事もある」と話した。 これが過去も今もあまり変わらない雑誌の現実だ。 ただし、今はすでに1日ごとに構成員たちを切り捨てる状況が大企業でも起こっている。

 

10年前、人々は雑誌がすぐなくなるだろうと話した。 それにもかかわらず、これまで数多くの雑誌が作られ、また消えた。 2012年に発行された「マガジン・カルチャー:今日、韓国の雑誌の最前線」は雑誌とこれを作る人々を扱い、雑誌の存在意義と展望についての質問を投げかけた。 ある人は「同時大成」挙げ、ある人は「TVの登場でラジオが死ぬかについての論議と似ている。 結局、ラジオはラジオだけの生命力を持って生き残った」と楽観した。「専門誌はインターネットでは到底得られない専門的な情報を持って、その権威を守って行かなければならない」と主張する人もいた。その論議さえが消えた今は、張り紙を通じて投げかけられた疑問だけが残った。 「『コンテンツハウス』というこの場所で、私たちはコンテンツに対する一切の尊重も探しにくい。 廃刊の過程で同僚として、人間として守るべき最小限の礼儀を守ったと思うか?」この質問にいかなる答を下せるのか、私たちは最後まで問わなければならない。 当初雑誌は今よりもましな生活を夢見るために存在したからだ。


記事 ソジヨン

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アイドルファンとしてお世話になった雑誌が廃刊と言うことで訳してみました。アイドルグラビア目当てで始めて韓国の雑誌を買った時には豪華おまけやその分厚さ重さにびっくりしましたが、あれだけスキャンがネットに回ってたら確かに売れなくもなるかも...

世界的に年々その辺の権利を守ろうという意識が希薄になっているのに、もともと薄い韓国で何かしらの対策をしなかったら現場にしわ寄せが来るだけではないかという気もします。日本の場合も雑誌が苦しいというのは以前から言われていますが、小型化とか電子版セットとか、通販サイトを併設するとか、色々工夫はしているようですが...ドラマにもなった漫画「重版出来!」でも雑誌が廃刊される時が描かれていました。