サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】AKB48はK-POPの夢を見るか

【ize訳】AKB48K-POPの夢を見るか

 

2018.07.06

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2018070521457217111

 

日本のガールズグループAKB軍団の総責任者であり、Mnet「プロデュース48」に参加した製作者の秋元康は、1985年のおニャン子クラブを皮切りに日本の女性アイドルの歴史に変化を起こした。 隣にいるかのような身近な容姿の少女たちでグループを構成した後、夢・努力・成長という青春映画や漫画を連想させる敍事を詰め込んだのだ。


そして、偶然にも「プロデュース48」の演出家であるアンジュンヨンPDは制作発表会で「夢、友情、成長」と語った。「プロデュース48」が当初からAKB48のシステムを積極的に応用した事を考えると、これは単なる偶然のようには見えない。実際、「プロデュース101」でのキムソヒェは出演者の中で最悪に近い実力を見せてくれたが、成長する姿を通じてデビューメンバーを選ぶ投票に参加した視聴者たちの心を動かし、デビューしたりもした。 そして「プロデュース48」では、まさにそのAKB48のメンバーたちが成長の敍事を見せている。 HKT48のセンターでもある宮脇咲良をはじめとするAKB48メンバーたちが不足した実力を指摘され、その後に成長するという決意を示すのは、「プロデュース48」序盤の重要なストーリーラインでもあった。


成長は、日本のアイドルの重要なセールスポイントの一つだ。 「プロデュース48」に出演した武藤十夢の「私たちは踊りや歌を見せるというより、『楽しい』ということを見せるのが仕事じゃない」という言葉、そして浅井優花の「どれくらいファンたちを幸せにできるのかが重要なんです」という言葉には、日本のアイドルの核心が潜んでいる。 これは「プロデュース48」のトレーナーたちが、日本のアイドル達が振付練習をする時、たとえ上手にできなくても最後まで笑みを失わない姿を見て感嘆したポイントでもある。 日本の大衆がアイドルに期待するのは、実力がなくても努力して成長し夢を叶える事だ。そして「プロデュース48」で見られるように、成長はそのままで叙事だ。 どのようなアイドルでも成長する姿を見せるためには、その過程を描いたストーリーが必要である。 これは秋元康が持つ最大の権力でもある。 秋元康がAKB軍団のメンバーに機会を与えるのは、そのメンバーだけの誓詞を付与するということを意味する。 最も極端な例では2008年当時、25歳だった大堀恵AKB48のレギュラー番組である「AKBINGO」で、「1ヵ月でソロアルバムを1万枚売れなければ、君はAKB48を卒業しなければならない」というメッセージを聞いた。そして彼女は1ヵ月以内に1万枚を消化するため、ビキニ1枚とハイヒールだけのステージ衣装姿で直接アルバムを積んだリヤカーを引き、全国を回って広報活動をした。 全身が満身瘡痍になったのはもちろん、ストレスによって自傷行為過呼吸発作を起こした。 母はうつになったほどだ。


大堀恵がされた事は明白ないじめ行為だった。 しかし日本では、「でも、大堀恵はその企画を通じてソロアルバムも出して名前も知られたんじゃない?」という反応が出た。 AKB軍団ではなかなか個人が注目に値する機会が与えられないからだ。 人数が多いうえに、運営陣の意見によって注目されるメンバーが決まる場合が多く、メンバーが自分を打ち出すことができる方法が限定されている。 誰が見てもビジュアルがいいか、きれいではなくても自分だけの独特なキャラクターをうまく構築したり、握手会でファンたちを自分のほうに引っ張ってくるいわゆる「釣り」技術に長けていなければ不人気メンバーになる。 韓国ではまず歌と踊りをまともにこなすという前提の下でこのような要素が加わるが、日本ではこれは副次的な要素であるだけだ。


「プロデュース48」は、AKB48メンバーの扱われ方をこのような姿をしたプログラムに圧縮させたように見える。 多くの人々が指摘するように、「プロデュース」シリーズのシステムは過酷である。 すべての練習生が望んでやまない目標「デビュー」を掲げ、短い期間内に厳しく彼らをふりしぼる。 絶対権力であるPDのカメラの前で分量によって人気度が上がったり下がったりしながら、特定の目的を持って行われた「悪魔の編集」であらゆるデマと陰湿な攻撃に悩まされる。 ところが、AKB軍団のメンバーたちは日本ですでに「プロデュース」シリーズよりさらに過酷な環境で働いている。 ここで、「プロデュース48」は期間内に一生懸命に練習生を教えた後、その実力で評価するという名分を与えている。日本では個人的に受けなければならなかったトレーニングが出来て、なかなか受けられなかった「ワンショット」で見直される機会が出来ている。 ゆえに、最上位人気メンバー指原莉乃の「とりあえず売れそうな機会があれば応募する方がいいでしょう、売れない子は」という言葉は、必要以上に辛辣ではあってもものすごく間違っている言葉というわけではない。 「プロデュース48」の元祖と言えるAKB48が加わって生じた異常な領域である。 この6月29日に放送された「プロデュース48」で注目を受けた矢吹奈子は、韓国で注目されたのはもとよりYahoo!ジャパンの検索語ランキングに上がったこともある。 「プロデュース48」を通じて再発見された竹内美優は、7年間活動したにも関わらず「プロデュース48」が放映された後に日本国内で「あんなメンバーがいるとは全然知らなかった」「もう卒業したのかと思った」という言葉が出たこともある。


つまり、AKB軍団にとっての「プロデュース48」は彼らの成長に向けた叙事の拡張であり、グループの存在理由に対する名分を加えるもののようにも見える。 これは、日本のアイドル産業がK-POPの特性を自らと接合するやり方でもあるだろう。 偶然にも先月5月30日に発売されたAKB48の52枚目のシングル「Teacher Teacher」には、ガールズグループGFRIENDの振付を担当しているパクジュンヒのコレオグラフィを取り入れたりもしている。AKB軍団がKPOPと同様にTVプログラムを通じて活路を探しているという意味だ。 「プロデュース48」を皮切りに日本のアイドルとKPOP間に一体何が起こるのか、見当をつけることすら難しい。 まずは不安な気持ちで放送を見守るしかない。


記事 ベクソルフィ(コラムニスト)

校正 キムヨンジン

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「プロデュース48」始まりました。(見てない)

個人的にはこの番組によって、韓国では「実力」というバイアスである意味見えづらくなっている「アイドルとは何か」「何を持ってアイドルなのか」という定義を韓国の視聴者がある意味突きつけられる事になるのではないか?と思っています。

文中にある通り、韓国では「歌やダンスの実力がある事が前提で、キャラクター等は副次的なもの」とされていますが、実際に「アイドル」が消費される本質は日本と何ら変わりがありません。日本では歌やダンスはいまいちでもキャラが良いとか顔が良いというのがそれだけでセールスポイントになり得ますが、むしろどんなに歌やダンスが上手くても必ずしも人気が出るわけでもないというのがあからさまという点で日本以上に残酷な面はあると思います。実力でふるい落とされた上でさらにそれ以上のプラスアルファで人気が左右されるし、その時にいわゆる技巧的な実力が優先されるわけではありません。ものっすごく歌が上手いメンバーでも結局は「キャラクターがいい」という事が支持を受けるポイントだったりします。歌が上手いというだけならアイドルじゃなくても良いですし、良い歌を作ったりカッコいいダンスをするならシンガーソングライターやダンサーの方がぶっちゃけよくできると思います。つまりはアイドルという存在においては実は「実力」というのが一番優先されて支持を受けるポイントではないという事だと思います。もちろん歌やダンスの技巧や作曲能力なども、ルックスやキャラクターと同等に魅力を形成する一部ではあると思いますが。

 

韓国の大多数のオタク以外の聴衆は今も「アイドルはただ歌って踊る人」と思っている人が多い(日本もそういう人はいるとは思いますが)ようですが、実際は「パフォーマンスを含めた全人格的に評価/消費される存在」ではないかと思います。宇多丸が以前「アイドルというのは魅力が実力を凌駕する人」と言っていてむちゃくちゃ膝を打ったんですけど、韓国ではまず技能的な実力でふるい落とされた上でメンバーを選んでデビューさせているので、「実力は不足しているが魅力がものすごい」というアイドルに対面する機会が今まであまりなかったのではないでしょうか。その片鱗をのぞかせたのが「プロデュース101」でしたが、登場する練習生達は実力やトレーニング期間はバラバラでも韓国の事務所所属で、あくまで韓国での一般的な価値観でスカウティング&トレーニングされてきた練習生が主体だったので、やはり根本的な「アイドルとは」というコアのコアである部分は曖昧だったと思います。しかし、「プロデュース48」に参加しているAKBグループのメンバー達は韓国の芸能事務所とは異なる基準でスカウティング&活動してきた人たちで、AKBは日本のアイドルの中でも特に「全人格的に消費される」という「アイドルとは?」のコアの部分に特化されて人気が出たアイドルだと思います。そういう価値観で活動してきた「全身アイドル」とこれまた韓国のアイドル練習生という別の意味で特殊な環境にいる練習生達が共闘するという事は、必然的に韓国の視聴者たちに「アイドルとは何なのか?」「なぜ自分たちはアイドルを支持するのか?」という事を考えさせざるを得ないのではないでしょうか。


まあ、私は見てないんですけどね。

(サバイバルは終わった後まとめて見る派)