サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ハフィントンポスト訳】 高等ラッパー:暴力で綴られた学びに耐える必要はない

【ハフィントンポスト訳】
高等ラッパー:暴力で綴られた学びに耐える必要はない

 

2017.03.05 by チョソダム
http://www.huffingtonpost.kr/amp/entry/rap_kr_5a9c9c4fe4b089ec353ba25a/


「こんにちは、自己紹介しよう。名前はキムハオン。職業はトラベラー。 (…)学びながら生きてる。たとえ学校を飛び出しても」

 

なんの気もなしに見たら、すっかりはまってしまった。 Mnet「高等ラッパー2」の話だ。 高校生たちのヒップホップサバイバル。参加者は制服を着て学校名が刻まれたバッジをつけている。 金曜日にポップコーンを食べながら見ている。 ところで、制服を着ていない何人かが目立つ。 高校生ではない高等ラッパー。学校を飛び出した子達だ。

 

ラッパー・キムハオンは自らに旅に出よと言う。 趣味は瞑想と太極拳。学校を飛び出してもずっと学んでいる。 ラッパー・イビョンジェはこのように問う。 「ママの息子は自主退学生なのに、隣の部屋のソウル大のヌナは俺を見たらどんな気持ちだろう」食事の時に一度に6000ウォン以上使うことが彼は怖いのに、お金の心配もなく3食食べたいものを食べる人を見る時。自主退学せずに耐えた友達が全校で何位になったという話を母親が聞いた時。彼は、心の中で尋ねる。君たちはどんな気持ちなのかと。つぶやくような彼のラップを聞きながらトイレットペーパーを取りに行った。涙も鼻水も出てきたから。

 

私が学校をやめたのは、高校2年生の時だった。 退学生のカフェ(ウェブのコミュニティ)の掲示板で優に2ヵ月はくすぶっていた。 理論的には納得していたが、決心が難しかった。 だから夏休み前の終業式を機に「夏休みを取る」つもりで自主退学した。 学校は学問ではなく、学習だけが存在する空間だった。 統制に、暴力に耐えてこそ教訓を得られた。 退学を決心する過程で多くの助言を求めた。 大人達は皆、「途中退場」は危険だと言った。途中で学校を出たり、途中で会社を出たり、途中でいかなる組織を出ても同様に落伍者の烙印を押されかねないと。 ほとんどの日を、社会の落伍者にならないためだけに登校した。

 

中退学生の退学以降の人生はまちまちであるが、多く語られたことはない。 10代の犯罪記事から社会混乱の原因のように話すのが大半だ。 皆どこにいるのだろうか。 どこで何をしながら、「どういう気持ちで」生きているのかは知りがたい。 だから学校の外の学びを語る彼らの登場は喜ばしい。 「中退生」と言うとまだ否定的なイメージを思い浮かべがちだ。 しかし、彼らは競争で失敗した落伍者ではなく、違う道を選択した旅行者だ。

 

旅行者のように人生を学ぶことができたら良いだろうな。私の経験では、韓国社会が言う「学び」のデフォルト値は暴力だったようだ。 体罰が当たり前だった学校の文化。申告式、会食や運動会など「動員」を基本とする組織文化の権威者に服従して派閥同士が過ちを覆い隠し、その絆に資源を動員して目標を達成する各界の腐った文化。不条理を我慢する多くの人々の忍耐心がこのようなシステムを維持する。 耐える人を燃料に使うシステム。だから、退学・退社・放棄のような「途中退場」が取り返す事のできない失敗になるのではないか。

 

私は、途中で退場してみた経験が人生を豊かにすると信じている。 暴力的な文化に耐えずに出ていく経験は重要である。 学校だけでなく、どの場所でもそうだ。 暴力で綴られた学びに耐える必要はない。 そのような学びに赤信号を灯さなければ、我々は旅行者としての暮らし方が永遠に分からなくなる。 自分の感情を麻痺させず、自分の人生が何で構成されているのか読み解く人々、旅行するように学びながら生きる彼らがもっと多くなればいいだろう。

 

*ハンギョレ新聞に掲載されたものです。

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申告式=大学の新入生や新入社員相手に行われる強制飲酒儀式の事。日本で言うところのいわゆる「一気コール」。