サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【国民日報訳】[ミミョウのアイドル列伝]SEVENTEENは実験中、KPOPだから可能であり、しかしK-POPとは違う

【国民日報訳】[ミミョウのアイドル列伝]SEVENTEENは実験中、KPOPだから可能であり、しかしK-POPとは違う

 

2018.2.12
http://m.kmib.co.kr/view.asp?arcid=0923900219&code=13230000&sid1=kmi

 

のびのびとして攻撃性のない清涼感で
デビューとともにアイドルグループの新しい道を提示
ミュージカルのようなステージに様々なジャンルを取り入れ、2016年末に「重くなった」コンセプトに挑戦
昨年荒いロックサウンド・ボーカルも披露
リスク許容し、継続的な変化を追求

 

2015年「ADORE U」でデビューしたときのグループSEVENTEENは新しい傾向の総決算のように見えた。のびやかで攻撃性もなく「きれいな言葉」だけを言う少年は、まるでガールズグループの「清純」を翻訳したかのようだった。フリーデビュー活動を通じて強固なファンドムを確保したのも新しかった。アイドルに興味持つ人にとっては誰にとっても爆発的だった。ボーイズグループ市場の流れも、SEVENTEENが指した方向とかなり似たように流れて行った。

 

これまでの話だと、SEVENTEENがトップに君臨していなければならないようだ。 しかし、そうはならなかった。 「MANSAE」「PRETTY U」「VERY Nice」などは皆良い反応を得て説得力も高かった。 SEVENTEENの魅力を形容する「爽やかさ」がまるでボーイズグループの流れであるように多くの人々の口に登ったのを見てもそうだった。 実際に、SEVENTEENはファンドムを着実に増やしながら成長してきた。 しかし、大衆的な波及力はいつかからか停滞するような姿を見せた。

 

2016年末「BOOM BOOM」と昨年の「泣きたくない」は、すべて印象的な曲だったが、なんとはなしに重たかった。愛の歓喜の前でひたすらウキウキとし、精一杯笑いを作った姿とは違いがあった。アルバム収録曲も複雑で構成が難しく、少し負担になった。情緒も暗かった。イメージの変身というだけで説明するには、どこか釈然としなかった。 「爽やかさ」という表面的なキーワードの裏に一体何があったらこれだけとんでもない方向を選択する必要があったのだろうか。強力なファンドムの支持があるからこそ可能な選択だった。

 

SEVENTEENはメンバー13人を舞台装置のように活用して演劇的な性格が強調されるパフォーマンスを表現している。メンバーたちは演技するように歌い、背景や画面効果を振り付けに演出したりする。一本のミュージカルを見るようだ。それが彼らの「無害であること」に華やかな生気を与える。たくましく、しかしただ「きれいな」少年の姿を表すものでもある。それ故に彼らの選択は、初期の成功の秘訣であるダイナミックで活気に満ちた構成という最も重要な「技術」だけを維持し、これによって新たな姿を見せることだった。

 

その核心技術を音楽に適用すると、ひとつの曲の中で様々なジャンルが歌謡曲と絡み合いながら頻繁に雰囲気が切り替えられるという点である。作品はステージの上で初めて完成される。彼らの頭の中でステージはまるでミュージックビデオのように、複数の「シーン(場面)」で構成されているもののように扱われている。そして、それぞれの「シーン」に必要なジャンルを急いで引用してくるというやり方である。 KPOPだからこそできる特徴だ。また、パフォーマンスを直接実行する人がステージを最も中心に置いて作り出す事で可能なのである。自作曲を書くアイドルは多いが、このような方式はKPOPでも珍しい。

 

1年余りの時間がこれを適用するための実験だったとすれば、昨年末に発売された「拍手」は暫定的な結論である。ダイナミックなロックサウンドと俺様っぽいボーカル、「爽やかさ」はない。しかし、変化する曲をぼんやり追っていくと、いつのまにか彼らが誘うままに手を打ってしまっている。去る5日、スペシャルアルバム「Director's Cut」を通じてタイトル曲「THANKS」を発表して活動しているSEVENTEENがこの実験に最終的に成功するかどうかは、もっと見守らなければならないようだ。 しかし、多少危険があっても新たに発展していく意志は注目に値する。 それがKPOPであるからこそ可能だったし、またどのようなKPOPとも異なるものに向かっているからだ。

 

ミミョウ<大衆音楽評論家・作曲家>