サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】防弾少年団を見に行った米国のファンは誰なのか

【ize訳】防弾少年団を見に行った米国のファンは誰なのか

 

2017.11.23
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017112222217275021&pDepth1=i2301

 

アメリカン・ミュージック・アワード(AMAs)の舞台に防弾少年団の「DNA」が鳴り響いた。 2012年、PSYが江南スタイルで上がってから5年ぶりのことだ。 当時は韓国ミュージシャンが近い将来には再び上昇する可能性はないだろうと思われていたところだ。 アメリカン・ミュージック・アワーズ側は、防弾少年団が新人アーティストであり、海外のミュージシャンであることを懸念して米国アーティストとのコラボレーションの舞台を提案したが、あえて単独公演を貫徹させた。 授賞式場内に鳴り響いた歓呼はその選択を正当化した。 米国のポップスアーティストたちの好意的な態度、主流メディアの集中的なスポットライトは現在、防弾少年団が持っている商業的潜在力と位相を反映する部分がある。 依然として米国民になじみのないK-POP「アイドル」というカテゴリーが一人立ちできる土台を作ったのだ。

 

ここで誰かはK-POPの成功として取り上げることができるだろう。 これといって間違った言葉ではない。 実際にK-POPはこの5年間、国内外の専門家たちの懐疑的な視線にもかかわらず、飛躍的な成長を見せてくれた。 K-POPアルバムがビルボードトップ200iTunesチャートに載ることも、もはや見慣れぬ風景ではない。 映画「ジャスティスリーグ」にはガールズグループBLACKPINKの「最後のように」が登場した。 ブロードウェイでは劇作家Jason Kimのミュージカル「K-pop」が初演された。 米国文化のメッカであるマンハッタンで、それもKPOPのシステムと練習生の成功談がブロードウェイのミュージカルの素材になって初回完売を記録したことは、もはやKPOPの地位が全く新たな段階に突入しているということを暗示する事件だ。 しかし、人々がKPOPは海外でどれほど知られているかといった問題で議論している間、より大きなことが起きてまた速いスピードでその局面が転換されている。

 

KPOPフェスティバル「KCON」には、今年LAのみで有料観客8万人が殺到した。 毎年新たなラインナップが構成されるが、観客は持続的に増加している。 現場で数年間見守ってきたが、米国内のKPOPの主力ファンの人種構成はもはやアジアコミュニティ中心ではなく、欧州系米国人、ラティーノアフリカ系アメリカ人などで目に見えて再編されており、経済的には中間層以上のファンが増えているという統計も出ている。 韓国人でもない平凡な米国人たちが数百ドルに上る経費を工面して米国全域でこの行事を見るために集まる姿は、確かにKPOPが作った「現象」的人気の断面だ。 しかし、このような量的な成長は現在のKPOPを完璧に説明できない。 端的に防弾少年団の成功がそうだ。 現在彼らの人気と「現象」に近い爆発力は、KPOPの成長だけでは成長できないある独特な視点に対する分析を要求する。

 

防弾少年団の成功に意味があるのは、彼らが世界中の音楽市場、特にこれまでK-POPの最後の挑戦課題のように思われていた北米市場の進出において、典型的な商業的策略を活用するよりも音楽が持つ普遍的な魅力と人間的魅力、そしてファンダムとの疎通を武器に根底から大衆を捕らえるのに成功したという点だ。 大手事務所、プロモーター、放送局に代表される制度圏システムの全面的な支援をほとんど受けなかった防弾少年団の米国進出と成功は、それ自体がKPOPの新しいモデルのように見える。 彼らは英語で録音したシングル1曲もなしに米国内に強力な支持勢力を構築している。 ビルボード及び米国のマスコミはこのような波及力に驚きながらも、速やかに消化している。 韓国がアイドル音楽に対する偏見をそのまましまいこむ前に、いざポップスのメッカである米国は韓国から出発し、グローバルポップスターに新たに浮上した「BTS」を、ちょうど自国内の空席になってしまったアイドルの新たな顔として受け入れる準備を終えているという感じを受ける。

 

特にファンドムの力は注目すべき部分だ。 2014年のKCON以降、北米や南米諸国などで爆発的に増えた防弾少年団のファンドムA.R.M.Yは強い結束力と連帯感を持った。 彼らはもはや国内ファンダム、あるいは米国内の韓国人及びアジアコミュニティに付属しないまま、SNSを媒介に多様な人種と民族、都市にまで拡張して結合する。 これが韓国大衆音楽の世界と出会い生まれつき限界とされてきた言語的、地域的障壁を崩す決定的要因となっている。 AMAsが防弾少年団の米国進出において頂点ではなく始まりである可能性が高い理由だ。 米国でA.R.M.Yを中心に集まった国籍と人種を越えたファンドムは今、彼らの影響力に対して注視されている状況だからだ。 SNSを通じて自発的に防弾少年団を広報して熱狂する彼らの動きは米国の音楽市場では新しいタイプのドムであり、既存メディアが知らない魅力的な市場である。 K-POPがアーティストだけでなくファンドムまで結合して単に「韓流」ではなく、個別文化圏を中心とした下位文化への移行、そしてそれを超えた新たなモデルの登場に進んでいるのだ。 多くの人たちが新しい時代の到来に追いつけない間、KPOPは私たちの考えよりもはるかに大きく、多様化している。

 

文 キムヨンデ(音楽評論家)

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防弾少年団を見に行った米国のファンは誰なのか?」って結局は「アメリカのARMY」って事でいいのかな?実際そうだろうけど。

 

欧米社会に浸透したアジアンカルチャーといえば、この文中の各アワードをアカデミー賞アングレーム国際漫画祭、KCONをコミケやコミコンに置き換えると日本のアニメや漫画・ゲームなどの2次元文化が他文化圏に浸透していった姿とちょっと似ている感じもしました。
(BABYMETALもちょっと浮かんだのですが、あれは「メタル」という欧米での歴史が長いマニアの多い音楽ジャンルそのものにピンポイントで食い込んでファンを拡大しているところが、ちょっと今回のケースとは違うかな...現地のガチのメタルファンからの人気があるので)
映画「ジャスティスリーグ」の中でBLACKPINKの曲が出てくる事にも触れていますが、「最後のように」のMVが流れるシーンはオタク青年という設定のフラッシュの部屋のモニターです。多分10年くらい前だったらこのモニターに映るものの殆どが日本のアニメーションの可能性が高かったのではないかと思いますが、アメリカでは「オタク・NERD」をあえて表すキーワードが2017年の今だと「KPOP好き」という設定なのかなと思いました。(そこで流れたのがBPというのは将来的に何かアレがアレする力がはたらいたのかもしれませんが)(追記:NERDっていうよりGEEKの方が近いのかな?と投稿した後に思ったのでメモしときます)それだけ日本のアニメはもはや特にオタクを表すための記号を超えて欧米に一般的に定着したのかなとも。勿論オタク的記号になりうるマニアックなアニメもありますが、今やアカデミー賞に日本のアニメーションがノミネートされるのは珍しくないですし、ポケモンのアニメーションのように人種や世代を問わず定着している作品やキャラクターたくさんいますし。東西を超えて異文化圏のカルチャーが定着するというのはこういう事かもしれません。欧米のKドル好きは割と高い比率でアニメなども好きだったりしますし、ファンドム内でのKドルの消費のされ方もちょっとアニメやマンガなどの2次元キャラクターに近い傾向も感じます。

 

ここ最近の防弾少年団のアメリカでの活動やインタビューなどを見ると、個人的にはやっぱり一般メディアからは所謂ボーイバンド=アイドルグループと見なされてるんだろうなと言う感想でした。確かに欧米ではOne Direction以降日本的にいえば「アイドル」と見なされるグループの席はずっと空いている状態でしたので、ある意味そこにはまった側面もあるんじゃないかと思います。そして別にボーイバンド扱いで当然と思うのですが(実際ボーイバンドですし)なんとなくスッキリしないのは、自分が欧米における90年代末〜2000年代のボーイバンドの隆盛を多少ですが見てきたからかもしれません。私的な話になりますが、私が初めてアイドル的なものを好きになったのは小学生か中学生の時で、イギリスのボーイズグループでした。それ以来他のものにハマりつつも片目では欧米のアイドル業界をチラチラ見てきましたが、結論として欧米からはグループアイドルというものはほぼ消滅したし(彼らをとりまくメディアなど環境的な事だったりファンの熱狂ぶりなどを見るにつけ仕方ない事だとも思います)、そういうアイドルを消費して消耗させて消滅させるような環境は今も変わらないしむしろ加熱していると思うのですが、まさにそこの地位に突然据えられるというのが一体どういう事なのか。自分はただのファンでファンドムに所属して中から見ている面もあるだけに、そういうものの中に置かれる可能性のある状況を純粋には喜べないのかもしれません。

 

また、欧米ではそういう風にアイドル文化が時代で分断されてきたせいか、楽曲やパフォーマンスのクオリティとは関係なくまともに「アイドル」という存在をきちんと歴史的だったり統計的・社会的に分析したり評価するメディアは未だにほとんどないんじゃないかと思います。アイドルを多面的にポップカルチャーの一種として評価するという事に関しては、途切れる事なくアイドル文化が続いてきた日本や韓国の方が進んでいるんじゃないかと思います。なので、そういう国で「ポップスグループ」か「KPOPグループ」と見なされるのか、「ティーンアイドル」と見なされるのかで見られ方がガラッと変わる可能性もあるように思います。KPOPやJPOPはマニアのついている音楽ジャンルの一種という分類がついたので、アイドルミュージックに限らずそのジャンル内でののcriticや評価と言うのが出来つつありますが。

 

文中でファンドムの力について触れていましたが、確かに防弾が明確に他のグループとどこが違うかというと、楽曲参加等の音楽でもパフォーマンスでもキャラクターでもなくてはっきりと「国を超えたファンドムの熱意」じゃないかと思います。欧米での注目された点もSNSでの盛り上がり=ファンが英語圏のメディア統計に引っかかる程度にネットコミュニティで活発に「英語で」情報発信や発言をしたことが始まりです。むしろ本人たちそのものよりは「ARMY」という熱狂的なファンドムそのものが興味や分析の対象の中心になっている節は感じます。ファンの熱狂によってその場に連れてこられたのは間違いないですが、逆にそのファンドムの威力がバイアスになって本人たちの能力や作品に対する正当な評価を阻害する事は特にアイドルによくあると思うのですが(例えばアイドルグループのメンバーが俳優の賞にノミネートされた時、接戦だったりするとファンの投票でとれる賞は確実に取れるだろうということで、ファンドムが巨大であるほど肝心の本賞はなかなか取れなかったりとか)、ちょっとその気配も感じなくないです。正当な評価をされてないとファンドムが思うほどファンドムは排他的にアイドルを称えて保護する傾向に行きがちですし、それがまたファンドムの外の一般社会に対しては余計にバイアスをかけていくという悪循環というのもあると思うのですが。これからの動向は米国内のファンドムの動きや行動に結構左右される部分があるのかもしれないと思いました。端的に言うと、本人たちの音楽やパフォーマンスそのものよりは米ARMYの振る舞い方次第というか。

 

とはいえ、これも単純に私というアイドルに対して楽曲ファーストで好きになりがちな偏った個人の考えですし、「推しGにはファンドムの外に飛び出してあわよくば楽曲やパフォーマンスでファン以外の人も『グループのファンてわけじゃないけど曲は好き』と言ってもらえたり、ファン以外も曲にノッてるのを見るのが一番嬉しい」というのも、いちファンのエゴにはすぎないんですけどね。

 

これから先欧米での防彈少年團含めたKドル界隈にどういう展開があるのかちょっとワクワクする気持ちと、下手に欧米でティーンアイドルセレブになったりしたら本人たちの意向とは関係なくセクシャリティや交友関係恋愛関係がらみのプライベートを韓国や日本以上に詮索されたり、パパラッチに追い回されたり、サセンもビックリのストーカーが現れたり殺害予告されたりしないかな〜(もうすでに何回かされてるけど)という若干ハラハラする気持ちと、色々な感想が交錯したアメ活(?)でした。