サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】WANNA ONEの新曲について語る

【ize訳】WANNA ONEの新曲について語る

 

2017.11.20
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017111923077290439&pDepth1=i2301


ボーイズグループWANNA ONEは、何の歌を歌っても各種のチャート1位になる事が当然だった。 そして同アルバムの「1-1=0(NOTHING WITHOUT YOU)」は予想通りの成功を収めた。 誰もが成功を予測できる状況でWANNA ONEの製作会社であるCJ E&Mミュージックは何を出して、どのような反応を期待したのだろう。 同アルバムのタイトル曲「Beautiful」を中心にWANNA ONEの音楽やダンス、衣装、映像などをそれぞれ異なる視線で見つめてみた。


WANNA ONE「Beautiful」のMovieバージョンのミュージックビデオ再生のボタンを押した後、たったの1秒も笑いを我慢できなかった。 中盤で誰かのボクシングコーチと推定される人物が「一体何をしている奴らなんだ!」とカッとする場面が出た時はほぼ失神するところだった。 本当に見ている間、一体何をしている奴なのか分からなかったからだ。 しかし、このビデオが行う機能は非常に明瞭だ。 メンバー間の分量の格差がかなりある理由が知りたいが、とにかくカンダニエルがボクシングをしバイクに乗って、オンソンウが柔道をして、ファンミンヒョンが警察の制服を着ている。 国民プロデューサーの選択で結成されたアイドルグループなので、プロデューサーたちの要請が高かったシーンを先に構想して残りを埋めたんじゃないかと思われるほどファンサービスに忠実だ。前述のシーンを通して語る物語は多分、どんなことでもかまわなかったのだ。 しかし、このプロモーションビデオが選択したのは、IMF(訳注:通貨危機)の時期に悲劇的に別れた兄弟がまた再会し、9人の他の孤児院時代の友人と家族になるというストーリーだ。 11人のWANNA ONEメンバー達が空の下、お互いだけを頼るしかないという強力な設定であることは間違いないが、必ずそうしなきゃいけないものなのかはよく分からない。 映像は全体的に90年代を献呈する一種の時代劇のように見える。 青年の登場人物たちの間で引き続き繰り返される不安と悲劇、バッカスの青春キャンペーンや映画「ビート」を連想させる、「善良だが、外部の環境によってさまよい互いに頼りあう兄弟たちの姿」はほとんどウォンカーウァイの初期作で見られるような技法で撮影された。 そのためか、平均年齢21歳のアイドルグループが2017年に発表したMVとしては少し古くさいように感じたりもする。 隠喩的なイメージが繰り返される現在のK-POPミュージックビデオの間での差別化をはかるのが意図だとしたら、目立つことは目立つが新しく新鮮には感じない。 制作会社側でこのプロモーションビデオのリリース時に一緒に掲載したコピーは「ひとつになる前の、僕たちの物語」だ。ひとつになる前までの結成過程が全国民のドラマだったトップアイドルWANNA ONEの2番目のアルバムにここまで過剰なストーリーが必要だった理由が何だったのかは、永遠に気になりそうだ。
ボクギル(コラムニスト)


WANNA ONEの「Beautiful」ミュージックビデオ(Movie ver.)は意図的に90年代の大学生・高校生スタイルを召喚している。 大学生スタイルを務めたオンソンウは、家でひとりで勉強をしても工事現場で労働をしてもシャツのボタンを首元まできっちりと閉めている。高校生スタイルはカンダニエル、パクジフン、ユンジソンが分担していたが、どういう理由だろうか、90年代のティーンファッションの核心だった床をすべて掃いてしまう勢いのヒップホップ・パンツは着ない。代わりにデニムジャケット・パンツ、ストライプ・Tシャツ、フードジップアップを活用して1997年に公開した映画「ビート」のチョンウソンファッションをほぼそのまま模写している。 オンソンウが整って清純な「教会のお兄さん」イメージを、カンダニエルなどが適度に反抗的な高校生のイメージを構築したのだろう。 WANNA ONEはこのようにして20〜30代、広くは40代の女性達に向かって強力な信号を送っている。青春の雰囲気、90年代のレトロ的な感性は表に出して、最大のファン層が負担に思う程の攻撃的なイメージはクリアしたという信号だ。 カンダニエル・パクジフン・オンソンウ・ファンミンヒョンを通じて、運動服と制服を着た男性に対する長年のファンタジーにまで触れながら。 かの有名なカンダニエルの「肩」を絶えず強調しつつ。「Beautiful」のスタイルコンセプトはしかし、コンテンツ供給者が消費者のレベルを飛び飛びに見た時に生じる不祥事とは何かを明確に示している。 まずこういう風な粗雑なストーリーテリングに感情移入するには20〜40代の女性消費者たちの目線が高すぎる。話の流れと関係なくタイムスリップするかのように右往左往する衣装配置のずさんさ、90年代のスタイルの中で最近の若者が着てもぎこちないことないアイテムを選んでいる安易さも彼らのファッション的感性を充足させるには不足している。WANNA ONEだから我慢してもらえるであろう清純な大学生のイメージも、バイクに乗って疾走する高校生のイメージもあまりにもあからさまだ。その時その時代を完璧に再現するか、そうでなければIUの「夜の手紙」のように、時代的背景が不明なスタイリングで昔の感性だけを少し借りるかだ。どちらも生かせなかった全体的な難局は、YouTube世代が望む感性爆撃に失敗するしかない。 まともな復古ファンタジーだったら歓呼してくれるファンがあふれただろうにという言葉に尽きる。
キムソンジュ(ライフスタイリスト)

 

「Beautiful」は「プロデュース101 2」の大きな成功、そして「Energetic 」や「Burn It Up」から完全に方向転換したように見える。 「勢い」そのものをコンセプトにしていた頃のWANNA ONE活動とは違う。 2000年代初頭風のミディアム・テンポ・バラードとレトロ風のスタイリング、「孤児院出身の少年たち」と「幼い時に別れて、また会った兄弟」のように陳腐な素材だけを集めて作ったドラマ仕立てのミュージックビデオのように、やや高い年齢層の大衆にも幅広く受け入れられるような要素を緩く合わせて出しただけだ。 「1-1=0」というアルバムのタイトル、「不完全な君と僕 美しいぼくたち」というティーザー、イメージ中のキャッチフレーズなどは、チームの一体感とメンバー間の切なさを強調しようとしつつ、実は別れと懐かしさに関した平凡な歌にもっともらしい説明をかぶせた結果に近い。 彼らは盛んに勢いよく活動しており、ファンや他のメンバー達との別れも経験しておらず、I.O.Iが「夕立」を歌った時のように活動終了に至ったこともまだない。 WANNA ONEというグループの特性とストーリーを全く考慮しないようなこのコンセプトは置いておいて、メンバーひとりひとりの消化能力を考えてみた方が意味があるのか? あえて言うなら、コンセプトと曲の情緒はすべてのメンバーが一緒には活動していない今のNU'ESTの方がもっと似合うだろうし、まさにその点で今回のアルバムとよく合うメンバーを挙げるなら、ファンミンヒョンくらいだ。 つまり、WANNA ONEのアルバムなのにWANNA ONEはどこに行ったのだろうか?
ファンヒョジン(コラムニスト)

 

秋だから秋に似合うポップスバラード曲を作って、他のボーイズグループより購買力の高い30〜40代のファンが多いので彼らが熱狂した映画「ビート」とウォンカーウァイの1990年代の映画スタイルをその時代のチョソンモのミュージックビデオのように編集する。 また、曲のイントロと抑えはセンターであるカンダニエルが務め、ミュージックビデオで彼に分量を重点的に置いてデビューアルバムでの分量議論に答えた。 WANNA ONEの新曲「Beautiful」はそんな風に市場の様々な要求を反映している。あらゆる映画のために様々な観客層の要求を分析して反映するCJ E&Mの映画と似た格好だ。 商業性を満足させるための戦略としては適切な答えを出したと言うこともできる。 しかし、WANNA ONEのデビュー曲「Energetic」がMnet「プロデュース101シーズン2」を通じて巨大な反応を得ながら始まったグループの勢いをそのままグループのイメージとして具体化していた反面、「Beautiful」はこの曲がWANNA ONEの魅力の何を表現しようとしたのかも曖昧だ。 聞きやすく流れていく曲であるため、メンバーたちのボーカルが持っているカラーがよく表れているわけでももなく、ミディアムテンポの曲にボーイズグループとしての群舞を入れたいと試みるもパートの動作がうまくつながらず、メンバーたちは各自のパートで群舞の中から抜け出してひとりで歌うことを繰り返す。 1節の「I miss you…(後略)」部分で、メンバーたちが優雅ながらも躍動的な群舞をする瞬間は神話が「T.O.P」で活動していた時代を一瞬連想させるほど印象的だが、無難に流れて行くメロディーの中で振付がこのエネルギーを維持することはできない。 リフレイン(サビ)の振り付けは、ハプニングに近い盗作問題よりもなぜ曲の最も重要な部分で遅いステップを踏むだけがすべての動作が入ったのかという事が本当の問題だろう。 無難な代わりに幅広い人気を狙った結果として出てきた無難な曲に、まともな流れを持った振付をつけることは難しく、その分舞台の上でメンバーひとりひとりの個性も息を吹き返すのは難しい。WANNA ONEが「プロデュース101シーズン2」を通じて作られたメンバー個々人の魅力がアイデンティティに他ならないグループという点を考慮すると、「Beautiful」は商業性に必要な要素を全て満足させたが、メンバーのキャラクターが成長したり実力をアピールする機会を失った。 莫大なファンドムを持ったグループなので、どうやっても今は良く見えることができる。 しかし、ステージの上でメンバーのキャラクターと成長を表現できないグループならば、そのグループのアイデンティティはどこで見つけなければならないのか。 結局、メンバー個々人の人気で「ハード・キャリー」することだけがこのチームの残りの答えなのだろうか。 他の多くの人々もも考えそうな簡単に出た答えは、一度くらいは疑ってみる必要があるだろう。
カンミョンソク(マガジンize」編集長)

 

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原文では「保育院」となっていてこれは韓国での「孤児院」の改称なんですが、日本語だとちょっと紛らわしいのでそのままにしました。「養護施設」にも色々ありますし、このMVのレトロコンセプトには孤児院があっている気がしたので。

 

デビューアルバムでの分量議論=デビュー曲のMVでのカンダニエルが写っている分量が、「1位でセンターなのに少ない」とファンから抗議があったことだと思います。

 

バッカスの青春」というフレーズ、韓国では青春ものの例えによく出てくるのですが、以前読んだ塩野七生さんの本に出てきたロレンツォ・イル・マニーフィコの「バッカスの歌」のフレーズの事でしょうか。

「青春とは、なんと美しいものか とはいえ、みるまに過ぎ去ってしまう 愉しみたい者、さあ、すぐに たしかな明日は、ないのだから」
(訳は塩野七生「わが友マキアヴェッリ」より)

 日本でも昔はよく使われた言い回しのようですが、最近は一般的にはあまりきかないような。韓国の人は詩が好きみたいなので、そういう影響もあるのかな?

 

しかし「ひとつになる前の、僕たちの物語」って前作のSEVENTEENのコンセプトみたいな笑 こういう暗めの青春映画ものっぽいMVって普通3年目くらいにやりがちっぽいですが、寿命の決まってる生き急いでるグループと考えたらデビュー作のリパケ(よく考えたら2番目のアルバムでもない)で出すのも特におかしくはないんじゃないかなと思いました。

 

文中の「ステージの上でメンバーのキャラクターと成長を表現できないグループならば、そのグループのアイデンティティはどこで見つけなければならないのか。」っていうのは個人的に他のいろんなグループについてもたまに考える事なんですが、でもぶっちゃけそれがバチっとハマってなかったりあやふやでコロコロ変わっても人気のあるアイドルグループも結構いるから!アーティストじゃなくてアイドルだからね!という結論に達します。