サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【khan訳】大韓民国における地方とは何か

【khan訳】大韓民国における地方とは何か

 

2017.5.27

http://m.khan.co.kr/view.html?artid=201705271337001&code=940100

 

韓国社会は、首都圏という頂点に向かって皆が渦のように走って行って、同じことを望んでいる。
地方もソウルと同等に存在することは出来ないのだろうか?
「もう一つの大韓民国」である地方社会は、生まれた時に咥えてきたスプーン(訳注:出自のこと)と出身地を気にしなくても良い世界を熱望している。

 

世宗市の公務員たちが昼食を食べ、政府庁舎に戻っている。世宗市は自立型都市としてますます変貌していくだろう。 /イ・ソクウ記者

 

「ろうそく集会に行ってきたというニュースに光化門広場が出ると、なんだか寂しい」 

何のことだと思うだろうか。釜山東亜大の韓国語文学の講義中に学生が吐露した内容である。釜山の西にあるジュディス太和デパート前の広場で毎週欠かさずろうそく集会に参加していた人ほど、全国的に放送されるTVニュースを見たときの空しさと不安感が大きいとクォン・ミョンア東亜大教授は言う。地域の放送局が利害関係の絡みでろうそく集会を積極的に報道することができなかったからでもある。これが韓国における地方の位相である。 「光化門広場」がまず先に取り上げられるし、「光化門広場」だけが存在しなければならない。

 

大韓民国における地方とは何か
ムン・ジェイン大統領は、地方分権共和国を約束した。来年の改憲の核心は、地方分権になるだろうと国政企画諮問委員会が明らかにした。革新都市事業も大部分、第1次完工を控えている。地方は、ソウルと同等に存在することができるだろうか。ろうそくと改憲の間、全国各地で「影」のように存在している話を引き出した。改憲の中核と地方分権だとするならば、彼らが主人公だ。

 

5月24日午後7時、夕闇が完全には敷かれていない頃、京釜線鳥致院駅から約5分ほど離れた閑静なワンルーム住宅街にあるチキン屋に人が並んでいた。大学生がほとんどだが、また場合によってはネクタイを結んでいたりもしくはワイシャツを着た人たちも目立った。パク・ソンファ氏(25)もそのひとりであった。 「忠清南道」という地方は他郷では枷だった。仁川で高校までを終えた彼は檀国大天安キャンパスに入学し、忠南に来た。 1年生が終ってから軍隊に行ったが、復学したら元々通っていた韓国語文学科が当然のようになくなっていた。元を複数専攻にして農業経済学(環境資源経済学)を選択した。一般的な大学生のように就職準備のために努力した。休暇になると仁川の家に滞在し、ソウルのTOEICの塾に通ったり流通関連の国家職務能力標準(NCS)試験の準備もした。 2015年、忠南道庁が運営する大学生記者団の活動を初めて約6ヶ月になった。

 

地方に移転してきた公共機関が希望の光
「文章を書くトレーニングを学校でより厳しくしました。締め切りを控えてストレスでキーボードに額をついたほどです。ローカルフードマーケットのように自分の専攻と関連した現場もたくさん行きましたが、おもしろくて農業に対する関心も起きました。 何よりも道知事の前で直接発表をした時、すっごく緊張しました。 無事に発表した後は何でもできるという自信ができました。 来年、忠清南道人育成奨学財団から奨学金まで受けるので、忠清南道がまさにわが町という気持ちまで生まれました」


絆は愛情だが、愛情はチャンスになった。彼は去る4月から農林水産食品教育文化情報源からインターンとして働いていた。
「どうしても近く(世宗市)に公共機関があるので『こんな仕事にも挑戦してみよう』という考えをするようになって、チャンスも開かれるのです。地域人材推薦もあり、公共機関がここに来たせいで人がたくさん辞めたというけど、代わりに地域出身者がそのポジションに入るのも見ました。 心構えも変わるようになりましたよ。 『自分はソウルではない場所に離れている』ではなく、『自分の住んでいる場所にこのような機関もある』という考えをするようになって、ちょうど愛郷心も生まれてきました」


行政首都や革新都市としてソウルにいた公共機関が移転し、ソウルの社員たちが通勤の不便を強いられたり、反感が高いという知らせは彼にとって大きな関心事項ではなかった。 彼には希望だった。 「地理的に隣接している」というのは、それ自体が重要な情報だった。彼は峨山のサムスンディスプレイ工場で短期アルバイトをしたりもした。稼ぎが良かったと満足した。今回のインターン勤務は12月までだ。

 

パク氏は、卒業したら農産物流通に関する仕事をするつもりだ。済州のみかん農家で握手した、荒れた手をした農民と話した時、農民自らが農民であることに誇りを持てる国になったらいいと思ったと言った。仁川よりも忠南で勤務する可能性が大きい。
「それでも、以前に両親が仁川にいる事で得した部分は多かったです。地方の友人は英語スクールに通う場合でも部屋代も必要でしょう。ソウルに住む人々は、語学研修などのような情報にははるかに明るい。大学生にとっては、地域も『スプーン』だと思います」

 

地域が「スプーン」であるという言葉に多くの青年が首を縦に振った。言い換えれば、階層である。忠清南道は首都圏と近いという地理的利点と、中央政府の公共機関の移転政策で大学生の記者団を運営して外地から来た学生にも奨学金を支給していた地方自治体の努力のおかげで、そして朴氏個人の関心事や心構えによってまっとうな「スプーン」になった。牙山順天郷大学を卒業したノ・ジュヨプ氏(26)は、「新聞放送学を専攻したけど、この科は忠清南道から就職するのは本当に大変です」と話した。 ノ氏は天安で公共機関のメディア製作外注の仕事をしていたが、今年下半期に入隊する予定だ。 全国10の革新都市の意義をここで見つけることができた。 2016年度12月基準で、移転対象の公共機関115ヵ所のうち105社が移転を完了した。 しかし、晋州、鎭川、蔚山、羅州を問わず金曜日には首都圏に向かうシャトルバスが並んでいて、商店街からは火が消える。 家族同伴の移住の割合は平均約27%だ。 それでも地域の青年たちは、自分の地域へ移ってきた公共機関のおかげで以前は見えなかった希望を見た。 良い雇用であり、中央の決定だけを待つのではなく、ここで重要な意思決定を行うことができるという考えが自尊感をもたらした。 「均衡発展」を乗り越えたい「分権」の欲望だ。

 

首都圏に生まれなかったという事実は、望まない経済的不利益をもたらす。光州でWebデザインを専攻したノ・ヒェジョン氏(30・仮名)は、あえてソウルで仕事を見つけようという考えはなかった。しかし、光州では仕事につくことができなかった。人口は約150万人。1980年5月の痛みを秘めた光州錦南路の昔の全羅南道道庁の建物の後ろには、国立アジア文化殿堂がある。 全南大学と朝鮮大学も近くにあって、商業地区は若者でいっぱいだ。 活力にあふれている。 このような都市でどうして仕事を見つけることができなかったのか?
「キャリア社員しか採用されませんでした。キャリアを積むにはソウルに行くしかなかった。それにそこには、新入社員も採用する企業もあるので」

 

住居費を節約するためにソウルの東端である地下鉄5号線の馬川駅の近くで生活し、3年働いたが手に入るお金がほとんどなかった。 堪えることができず故郷に戻り、幸い今回は仕事に就くことができた。 羅州革新都市や光州型の雇用事業は、ノ氏の後輩たちにとって更なるチャンスになることができるだろうか。 一度人が多くなると、派生される雇用も増えることを期待する。


ソウル市江南に似ていく大邱新都市
「分権」の見通しが全くピンとこない場合もある。釜山でインテリアの仕事をするチェ・スンヒョク氏(29・仮名)は、東南圏を襲った造船業の構造調整の影響を受けている。巨済と蔚山の造船所の仕事が途絶えると、昌原と釜山の部品メーカーも一緒に仕事が断たれ、彼らの家やオフィスを訪問しなければならないチェ氏の仕事もなくなった。下請け業者で働いていた友人も連絡がとれなくなった。ニュースを見る時間もない。給料140万ウォンもいつ受け取ったのか遙か前の記憶である。ソウルに行こうとしても家賃がまったく手に負えない。革新都市や企業都市の新設がそれほど彼に希望を与えたわけではないようだった。過酷なリストラは行われるが、何かを学ぶ機会はまったく得られずにいる。大企業の職業教育院には入る資格がなく、入った人たちも「高卒」の烙印から脱する為に個々で大学に行く場合が多い。 「結局、勉強熱心でもないしソウルに行けなかった自分のせいです」

「勉強ができなかった」と自虐する彼も大学時代に授業料として1年に500万ウォンずつ払っていた。 「スプーン」の上に「スプーン」がある。地域が「スプーン」である理由は、その中で最も良いところ、すなわち、ソウルと呼ばれる場所があるからである。

 

大邱市寿城区の塾。寿城区はソウル以外の地域のうち、ソウルにある大学に学生を多く送ることで有名であり、それに応じて不動産価格も高い。 /パク・ウンハ記者

 

キョンシン高校で昨年、修能試験満点者を4人出したそうです」
大邱市寿城区西吉新都市に居住するユ・ジウォン氏(52)は、時々個人タクシーを運転する。寿城区は大邱の南東にある。旧市街地である中区と寿城区に続く泛魚洞には、大邱地方裁判所検察庁がある。 大邱MBCもある。 ソウル市江南などと同じ方式で開発して早くから富裕層が目をつけ、大邱の教育のメッカになった。 デリュン高校、浄化女子高、慶北高校など名門高校が勢ぞろいして、大邱の8学区と呼ばれる。 「ソウル大学合格」を掲げた学習塾街もあふれている。 2000年代以降不動産ブームが起き、ロッテキャッスル、斗山ウィーブなど超高層マンションが大量に建てられ、依然として建築され続けている。 慶山にもっと近い時至新都市はそれらよりは庶民的な町だ。 他の慶尚北道地域から来た住民たちが好む町でもある。 ユ氏も浦項出身だ。 泛魚洞はソウルの大峙洞と似ており、時至新都市は盆唐に似ている。 寿城区の北側にある同区の新西革新都市や漆谷に時至新都心とそっくりな新都市が誕生し、慶尚北道の若者たちから脚光を浴びている。


ユ氏は、主に欧米の電子製品工場の従業員を紹介する業者も経営している。子供を学校に通わせており、副収入を稼ぎたい中年女性達が主に志願する。週3日働く時もあり、80〜100万ウォンくらいの額を稼いでいる。しかし、最近は月に1件も人材を求める声が聞こえなくなった。状況が厳しくなったのだ。
大邱のタクシー運転手には年を取っている人も多いです。工場に通うだけでは稼ぎが足りないから、タクシーの運転手もするのです。私は大学生の時バイトでタクシー運転手をしていたけど、稼げる金額は25年前も今も同じですよ。革新都市の効果は...そうですね。大邱近くの革新都市のおかげで大邱にお金が来るとは思わないですよ。地域の人材を採用すると言うけど、優秀な人材を選ぶとすれば大邱人だけを選ぶわけではないでしょう?」

 

ユ氏が山裾にある大邱美術館に連れて行ってくれた。大邱市内の景色が最もよく見えるところである。近代都市の路地として再建された旧都心と、マンションがきっちりと整備された新都市がそのままソウルの江南と江北を見るようだった。大邱の江南ではソウルに行く準備をするが、ソウルの江南では海外に行く準備をするという点が異なるが。


地方の大都市はソウルの複製品だ
地方の大都市は、韓国型成長方式のDNAを抱いたソウルのクローンである。東区革新都市の近くで会ったチョ・ミョンホ氏(70)は、「革新都市にはまだ恩を感じない。みんな仕事だけして週末にはいなくなってしまう。それでも大邱の失業率は過去最高だというんだから、若い人たちが就職できる場所が出来て欲しい」と話した。

参与政府時代の革新都市は、画期的な地方分権改革として評価されたと同時に、全国の不動産投機ブームを呼び起こしたという批判を受けた。しかし、地域社会に与えた影響は少なくない。東区に居住する社会福祉士パク・インギュ氏(43)は、「革新都市の住民が大邱に定着し、地域社会の一員になるためにはかなりの時間がかかると思われる。 (少数でも)定着して子供を学校にでも通わせるようにならなければ、地域社会の教育や文化に関心を持たないのでは」としながらも、「大邱地域に活力をもたらした」と述べた。 「今回の大統領選挙の地域別投票率を見ましたが、革新都市や新都市地域は全国平均と投票傾向が似ていました。とても画期的なことです。大邱も今回で雰囲気が大きく変わった。 40代だけで集まると議論したくないかのような沈黙がありましたが、今回は盛り上がる雰囲気でした。たとえすぐに交流はないとしても、若い人口が増えると政治性向が変わるというのが世論調査で明らかになって、これが地域に変化をもたらしたのです」

 

否定的な展望もある。寿城区が大邱教育特区になったように、革新都市が首都圏から来たエリートたちの特区になる可能性も存在する。従業員たちの地域定着を誘導するためには良い教育環境が必須だが、「彼らだけのリーグ」に該当する学校を作る方法で良い教育環境を実現することができる。天安の北一高や峨山のサムソン高校などの、全国単位で募集する自立型私立高校だ。すぐに寿城区の初期入居者たちが同じように大邱の名門を独占した。晋州のある私立高校教師は「地方は自立型私立高校が出来て以来、完全に教育が崩壊したと言っても過言ではない。 皆自私高に流れ、全校で5人だけを連れて授業を行っている。 敗北的雰囲気が濃い」と話した。 ソウルと地方は依然として韓国社会の問題的DNAを共有する。 地方ではもっと破壊的な形で現われている。 だから地方を見ると、破壊の文法がもっとはっきり見られる。 二極化だ。

 

大邱寿城区の大邱市立美術館から見た大邱市内全景写真。山の向こう遠くに見えるマンションが東区の新しい革新都市である。韓国ガス公社などが移転して来ている。 /パク・ウンハ記者


故郷に残った青年 「文化的な生活は難しい」

カン・ヒョンス忠南研究院長は「中央の公共機関を地方に分散したことで、中央政府は本当に難しい任務を果たしたと思う。今後重要なのは地域の革新都市を擁した共同体に融和させることであり、これは地方政府の役割だ」と述べた。チョ・ヒョンジェ蔚山社会学科教授は、「革新都市や地方産業団地が独自の研究開発の力量を備えていない。 本社や大学の研究力量は仕方がないとしても、中小企業の力量を整えれば多様な層位の人材を吸収することができる」と述べた。地域の二極化を防ぐための代案だ。核心は、教育である。イ・スヨン大学教育研究所の研究員は「政府の財政支援を餌にした大学の構造改革は、ソウルの大型総合大学にのみ有利で地方大学を枯死させている」と述べた。青年の誘致が切実な地域社会に対して、産業団地は作るのに学校はなくすというのは、パラドックスだ。


大学だけではない。文部科学省の全校生徒50人以下の小規模の小・中・高統廃合ガイドラインによると、江原道では45%以上の学校が消える危機に瀕した。小学校は半分の220校が消える。地方教育委員会はこれに対抗し、「江原教育希望財団」を2月に発足させた。江原教育庁の関係者は、「村に学校があるということは重要な意味を持つ。ソウルではないから教育環境にいくらか制限はあるが、小さな学校だけが行うことができる意味のある実験がある。その実験を大事にして良い事例を作っていく」と述べた。クォン・ミョンア教授は「釜山国際映画祭の事態も、中央による地方の主権侵害と見る必要がある」と述べた。 「2013年、釜山は映画や海運中心の産業を育てるように政府が計画して発表したにもかかわらず、ブラックリスト問題などで釜山国際映画祭を台無しにしました。また、大学の構造調整を強要して地方大学の人文学科は当たり前のように廃科され、学生は『地方の大学生が人文学なんか学んで何になるのか』という自己恥辱感に苦しんでおり、『ソウルに行けなかった自分のせいだ』という自虐に帰ってゆくのです」

 

すべての若者がソウルを志向するわけではない。公州大学で文化財保存学を専攻するキム・ハンソル氏(26)は、慶州出身だ。 彼は地方に住むと最も不利な点として「機会」もあまりなく、「視野」も狭くなるという点を挙げた。
「周辺に雇用があまりなくて何があるのか分からないし、広く宣伝もしてくれないようです。 自分もあれこれ悩みましたが、幸いにも関心がある事がちょうど見つかりました」
キム氏は公州あるいは慶州で職を得るつもりだ。 あえて大都市に住みたくはない。 煩雑なことが嫌いで、小都市だけの長所があるとした。
「でも、文化施設はもうちょっとあったらいいですね」
文化観光体育部は、毎年地域別芸術活動指数を指標と集計する。 視覚芸術の場合、釜山市ではソウルに比べて半分の水準だ。 大手企業に勤めるチャ・ヨンス氏(32・仮名)は3年間の地方勤務後に躍起になって脱出した。 彼は「私が勤務した所に比べたら、釜山は本当に文化的な都市だった。 自分がいた土地では酒を飲まずには時間を過ごすことができない」と話した。 産業団地だけがあって出版と大学の育成を疎かにした結果、産業団地も共倒れしている。 他の発展の方法は、地域社会自らも少なからず要求している。 まるで書面上のろうそく集会のように目に見えないだけだ。 大邱では市と非営利団体(NPO)たちが「大邱市民の公共活動支援センター」を去る4月に発足させた。 市民たちのアイデアを公募して、エネルギー自立という高級事業を推進することにした。

 

「ろうそく大統領選挙」後、韓国社会はこれまでどのように生きてきたのかを振り返ってみることになった。誰もスプーンと出身地を責めない世の中は「スポットライトを浴びなかった、「また別の大韓民国」で熱望されていた。

 

パク・ウンハ記者

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

写真や画像は載せていませんがキャプションは訳しています。元記事をご参照ください。
地方の地名が沢山出てくるので地名や大学名には最初漢字名にカッコで読みがなをつけて訳してたんですが、数が多くてくどくなったのでやめました。峨山(アサン)順天郷(スンチョンヒャン)大学とか長...。

 

「革新都市(イノベーションシティ)」というのはノ・ムヒョン政権時代に計画された公共事業で、ソウルに偏っている政府の公共機関の一部を地方に移転させて地域発展を助けようという計画だそうです。日本のさいたま新都心ロールモデルだったとか。一応2007〜2022計画で進められてはいるそうです。