サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】「アイドル学校」では教えることがない

【ize訳】「アイドル学校」では教えることがない

 

2016.07.26
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017072514117239661


Mnet「アイドル学校」は、ガールズグループを夢見る練習生たちのための学校というのがコンセプトだ。出演者の多くをアイドルになるためのトレーニングをしっかりと受けたことのない一般の人たちで満たすことができる名分である。しかし、この学校では実質的には何も教えない。教師であるキムヒチョルの授業では、ガールズグループの歌において特に目を引く「キリングパート」の重要性を教える。しかし、肝心の試験科目はダンス、歌、体力テストなどである。踊りと歌を教える教師がいることはいる。しかし、2回までの彼らの役割は順位をつける監督官により近かった。教師が出演者に専門的なトレーニングをしてくれる時間はない。代わりに経験と実力のある出演者らが教師の役割を担う。 「アイドル学校」販売促進のミュージックビデオ撮影のための群舞を練習するとき、Mnet「プロデュース101」シーズン1に出演したイヘインは何人かの出演者たちが出演者たちが群舞隊形を崩したと話した。 指摘された彼らはそうでないと反論した。 認知度と実力がすべてそろっている出演者とそうでない出演者間の葛藤。授業は試験と関係がなく、それさえも試験勉強をさせてくれる教師やトレーナーの役割を最小限に抑えている。その結果、出演者たちは何とか調和しようと葛藤しながらドラマを作り上げる。

 

群舞練習中、実力のある何人かの出演者は演壇に上がって他の出演者の群舞を評価し、指示した。練習中に教師がいないような状況では、彼女たちもやらざるを得ない状況だった。ただしそれだけ彼女たちの放送分量は増えた。 「アイドル学校」は100%視聴者投票で成績を決定するため、放送分量は投票に大きな影響を及ぼしかねない。そして、すでに実力を備えた出演者はJYPエンターテイメント出身のナッティのように事務所のトレーニングを受けている場合が多い。 「アイドル学校」は、この番組出演前からキャリアを積んだ出演者にとって絶対的に有利である。他のサバイバルオーディション番組も同じだ。しかし、いちいちすべて批判するのは難しいほど問題が多かった「プロデュース101」ですら出演者たちの合宿期間中、いつでもダンス、歌、ラップなどをトレーニングしていた。認知度は低くても実力のある出演者はグループステージ評価の練習中に注目されたり、現場の評価投票1位になって得票数の劣勢を挽回する「ベネフィット」を得ることができた。一方、「アイドル学校」には序盤から有利な出演者とそうでない出演者の格差を埋める最小限のシステムもない。

 

下位出演者たちが競争システムを介して浮上できる機会がないとしても問題はない。そうなるほどにショーの楽しさを生み出すことのできる劇的なドラマが生じる可能性も低くなる。 「アイドル学校」の問題は単に非倫理的なものではなく、そのような問題があるにもかかわらず出演者たちがこの番組を耐えなければならない理由をまだきちんと与えていないということにある。そして制作陣は、この問題を出演者に転嫁する。リアルタイムで投票結果が発表されている間、最下位の成績を記録した出演者は生放送で自分の心境を明らかにしなくてはならない。人生の中で最も困惑している可能性がある瞬間にも、出演者は、何とか自分の魅力をアピールしなければならない。 「プロデュース101」では、出演者たちを分けて複数の部屋に配置した。製作陣は出演者たちの宿舎での会話の中で目立つものを編集した。一方、「アイドル学校」は軍隊の旧式兵舎を連想させる宿にすべての出演者を押し込んだ。その間で少しでも注目されるためには、目立つ行動をしてしなければならない。

 

製作陣がこの学校の校長にイスンジェを活用する方式は、ショーの問題を集約的に表している。彼は校長だが、実質的には何もしない。学校を歩く2人の出演者におやつを買ってあげながら挨拶をするだけだ。 学校運営の哲学も、成績を高めるための実力もない。 それでももっともらしい言葉でステレオタイプの校長のイメージを作り出す。 「アイドル学校」も同じだ。 出演者たちを成長させ、味を作り出すための綿密な計画はなかなか見えない。 代わりに出演者たちにはあまり関係ない内容の授業を進める。 それだけショーの緊張感は落ち、出演者のキャラクターとストーリーを解く時間は減る。 しかし、このような授業は「アイドル学校」が出演者達を残忍に追い込んでいるという事実を希釈させる。 「アイドル学校」で出演者たちは朝、兵隊のように駆け足をする。 製作陣はこの場面を短く明るい雰囲気で編集する。 製作陣は出演者らに肉体的・心理的にあらゆる圧迫を加えながらも、彼らが自ら明るくて愉快にプログラムを進めて行っているかのように描写する。 そして教師と校長の存在をほとんど消しているようにしながらも、出演者の中で誰かが悪役になるような状況を作る。

 

「プロデュース101」が数多くの批判にもかかわらず興行に成功した理由の一つには、いわゆる「悪魔の編集」の中で苦しんでいる出演者達に投票するというストーリー性があった。支持する出演者を見るために我慢して番組を見るという場合もあった。しかし、「アイドル学校」の制作陣は悪役にはならない。代わりに頑張ってここが良い学校だということを強調し、実際のストーリーとは関係ない部分に時間を費やしている。その負荷はそのまま出演者たちに返ってくる。この欺瞞的な態度がショーをより非倫理的でつまらなくしている。出演者たちを兵舎のような宿泊施設に押し込むからには、少なくとも非難されるような悪役になるという決意は必要ではないだろうか。 「プロデュース101」でさえも良いショーだったと思うような奇妙な考えを持つようにするとは、ある意味ではすごい事だが。


文 カン・ミョンソク
校正 キム・ヨンジン