サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】BLACKPINK、YGの最初のガールグループのように

【ize訳】BLACKPINK、YGの最初のガールグループのように

 

2017.6.28

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017062721497286475


ガールズグループBLACKPINKの「最後のように(As If it's Your Last)」には、おなじみの公式が盛りこまれている。多くの人が指摘するように「私たちが知らなかった2NE1の曲」だ。様々なジャンルを分節的に盛りこみ、サウンドソースを重視する。 「リズミカルなverseと相反するリフレインのメロディー」という曲の説明は、メロディー区分ごとにずれた断層のように争っている多様なスタイルの衝突に比べれば、過度に淡白に感じるほどだ。しかし、BLACKPINKがデビュー以来見せてきたユニークな要素を捨てたわけではない。 2NE1より一層ソフトなアティテュードを維持しながらも、ありきたりのガールグループにはならない情緒、「パラバラバムバン」あるいは「オッパ」のように予想していなかったタイミングで出てくる、時代を誤って生まれてきたような「twerking」は80年代風リフレインという少々衝撃的な形でつながる。そして、このすべてのものが一つになった結果は、言葉で表現したり頭の中で予想していたよりも定型を外れない。

 

ゆえに、「最後のように」がリリースされた後に出てくる相反的な反応は十分に理解することができる。2NE1のある歌に直接言及したりする人もいれば、歌い方やポジショニングの面でふたつのグループのメンバーを合わせて見せて既視感を指摘する人もいる。一方、これまでBLACKPINKが発表した曲の中で最も大衆的な反応が即時に出たのも事実である。それなら私たちはYGガールズグループの成功が2NE1スタイルの忠実な再現によるものと言えるのだろうか? 実はその逆に近い。 「最後のように」は、「YG」のアイドルグループ戦略においてBIGBANGと2NE1以降の始まりのように見える。

 

2NE1の音楽とアティテュードにおいて、各メンバーの役割は絶対だった。時折、実際は常にルックスとスタイルの話につながっていったこれらの個性は、音楽的に差別化された試みを可能にした。おかげで彼女たちは「YGガールズグループ」という一つのカテゴリーを作成し、自らがその唯一のメンバーになるという威厳を享受した。サンダラパクに「若々しい美しさ」を越えて攻撃性を備えた複雑なキャラクターを付与した背景も2NE1というグループである。BIGBANGはクリエイターとしてYGレーベルのアイドルを他の存在と差別化した。 2NE1はここで、従来のアイドルの代案や反体制的なオーラまで付け加えた。ところが似ている曲をBLACKPINKに適用したとしても、「美貌を搭載した2NE1」程度の単純な結果が出るわけではない。グループの色に合わせて感情的な緩和をするには当然の調整である。しかし、「私が一番最高(I'm the Best)」と「Ugly」を同時に備えることができた、チーム自体に内在する複雑なストーリーを解くことはできない。


結局YGは、自分たちが差別化の対象としていた存在になることを甘受する。つまり、「最後のように」は「平凡な2NE1」または「すでにおなじみの2NE1」が存在するのだという事を知らしめた歌だ。だからと言ってTEDDYをはじめYGのガールズグループのクリエイティビティが退化したり停滞しているとは思わない。 「2NE1のような歌」には罪がない。代わりに、この決定が「口笛(Whistle)」のミニマルなアプローチや、「火遊び(Playing With Fire)」のような完成度の高いEDM曲以降にリリースされたというのが興味深い。2曲は音源チャートで良い反応を得たが、BLACKPINKにはTWICEのようなグループに比べれば親しみやすさが不足しているのも事実である。 「最後のように」はBLACKPINKを、2NE1そのものというよりは2NE1が活用していたサウンドソースを使うことにより、より近づくことができそうなグループに見えるようにする。 YGはあたかもガールズグループを初めて製作するようかのように漸進的な軌道修正をしているようだ。そして、現在までの調整の結果として「まるで最後のように」という耳にかかるフックを得た。果たしてYGは、この「平凡になる」事への誘惑を振り切ることができるのだろうか?

 

文 ソソンドク

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「最後のように」初めて聴いた時はそのまんま「2NE1 feels」を感じたんですが、何回も聴いているうちに過去自分の中にあった「2NE1っぽさ」というものの記憶が上書きされていくような奇妙な感じになってきました。聞けばきくほど「似てる部分」よりは「違う部分」が耳につくというか。
2NE1がいる時にBLACKPINKにこういう曲を与えていたら似てるというのがネガティヴな意味合いになるでしょうけど、今は2NE1はいないので、あえてこういう方向に行ってるのかなぁとも思わないでもなく。「姉上の面差しはあるが、知れば知るほど君は姉上には似ていないな」っていうやつですかね...(わかりづらい例え)
文中では「あえて大衆にすでに馴染みのある『2NE1っぽい曲』にする事によって、デビュー曲では完成度と引き換えに足りていなかった大衆への『親近感』を出そうとしたのではないか」と解説されていたように読みました。
同じ会社の後輩だからこそ可能なアプローチ方法かもしれません。

 

余談ですがこの曲に対する韓国での表現がレゲエとムーンバートン要素が入ってるというのが多いんですけど、イントロからこんなにもサンバなのにサンバという表現を全く見かけないのが不思議で...韓国では日本ほどサンバがメジャーな存在じゃないのだろうか。