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サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【idology訳】防弾少年団「Not Today」が語る今日

【idology訳】防弾少年団「Not Today」が語る今日

 

by ミミョウ on 2017/03/01

http://idology.kr/8564


防弾少年団が「Not Today」が収録されたリパッケージアルバム「You Never Walk Alone」を発売したのは2月13日。私はある疑問を持った。論争を引き起こした歌詞の 「ガラスの天井」という部分をはじめ、この曲はフェミニズムの誤った移植に見えた。そして2月19日、「Not Today」のミュージックビデオが公開された。私は違和感を感じた。歌詞と音源に接した時とは全く異なったイメージを持ったのだ。考えが変わった。その理由を見つけ出すのにはかなりの時間が必要だった。

 

まずひとつ、GDW作成のミュージックビデオが本当に素晴らしいという可能性だった。 「DOPE」(2015)に続いてもう一度込めた「洗練されていてダイナミックな肉体」というK-POPの正統的セールスポイントは、再び海外において特に爆発的な反応を引き出したことに対する一つの説明になりうる。映像の中のエネルギーは、扇動的な「革命」のイメージを込めて作られている。何よりも、鋭い鳥のように走るダンサーが見事に描かれている。顔の露出や一人一人のクローズアップがなくても、彼らの与える強烈な印象は彼らが脇役以上の、むしろコンセプトそのものとしての背景に近い位置に置く。
ミュージックビデオに視線を奪われている間、歌詞は少々耳に入ってきにくいのも事実だ。ブリッジの中核である「ガラスの天井なんて壊して」を除けば、問題視された、または問題視の根拠になった表現はほとんど散り散りになっている。例えば、「自分はそれをやりとげた だからお前も頑張ればガラスの天井なんて壊すことができる」という部分や、文脈の解釈の口実となった「成功したラッパーのswag」の部分がそうだ。 「Too hot 成功をdoublin ' / Too hot チャートをトランポリン」で始まるこの2節のverse前半部は、歌詞をテキストとして読むときと音源で聞いたときに感じられる比重の違いが結構ある。他のラップパートに比べてはるかにボソボソとつぶやかれ、ほとんど言葉を濁しているのに近いラップモンスターの声は、続くJ-HOPEの 「お互いがお互いを信頼しきっていたから」から「一緒にという言葉を信じて」の背景説明のように配置されている。
一方、聴き逃すことは難しいほど耳に刺さる歌詞は別にある。リフレインの後半で音律に乗って流れ、最も顕著に刻みつけられているのは、「死ぬことはない  Not not today 」である。これは、1節の後半でのラップモンスターのきちんと再現されていく「今日は絶対に死なないで」ともつながる、この曲の中核の主題であり、結論である。もちろん、曲の他のディテールに対する論点をすべて無視する理由にはならないが。


私は感じた違和感は、この時点である程度整理された。今まで論じたことは、私が曲に対する先入観をひっこめなければならなかった理由である。逆に、まだ問題提起をすべき事項もある。

 

 

まず、最も話題になった「ガラスの天井」の部分がそうだ。ラップモンスターは、この用語を誤用はしていないという立場を明らかにした。すべてのマイノリティに該当する概念であるからだということだ。これは正しい。問題は、ガラスの天井がすべての少数者に該当するかそうではないかという点ではない。闘争的イメージに満ちた歌の中で激しく強調される依存名詞「따위(〜ごとき)」(訳注:軽蔑のニュアンスがある)の有無ですらない。パフォーマンスをしている当人たちがマイノリティに該当するかどうかだ。昨年から防弾少年団の「中小企画会社アイドル神話」が浮上してきている。しかし明らかなことは、ガラスの天井の概念が適用されるマイノリティのカテゴリを最も広義の部分まで拡大して行く時、韓国では「中小企画会社所属の男性アイドル」が数えられる順番はかなり後ろの方であるということだ。ミュージックビデオ後半を多義的に解釈することができるとして、上記のセットを見てすぐに「ガラスの天井の上で踊っている」

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と解釈した人もいた。女性の地位は完全に地面の下だと感じるほどに韓国社会の現実が凄絶であると捉えることもできる。ほとんどの女性はまさにそのような連想をするほどに、防弾少年団より(マイノリティとして)前方に立っているのだから。

 

だから「ガラスの天井なんて壊して」は、疑惑を持たれかねない表現である。この曲の中で防弾少年団がマイノリティと同一視されていないと見るならば、少数者に向けてガラスの天井なんて壊せと簡単に言う人々なのだと見なすこともできる。一方で防弾少年団がマイノリティと同一視されていると見るならば、彼らが「マイノリティ・コスプレ」をしていると見なすこともできる。そしてこのような疑問は、男性として女性の戦いを(または既に成功したアイドルとして弱者の戦いを)支持し連帯すると言うならば、あえ​​てロールモデルやリーダーを自任する必要はなかったはずだが、歌い手とターゲットであるリスナーの間に設定された権力的な優劣は何を意味するのか、などの疑問につながることになる。

 

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ダンサーたちと一緒に走る防弾少年団の姿は、「お前たち自身でよく壊してみろ」というスタンスであるという誤解を軽減させる事に大きく貢献している。

 

韓国メジャー大衆音楽において「弱者」とは概ね10代の事だった。しかし、振り返ってみればソテジと子供たちの「教室イデア」も、「あなたがたはなぜ変えようとしないのか」という教育システムをすでに外れた者の声だった。 H.O.T.やSechskiesは10代の仲間としての声を示したが、等価交換をするようにそのメッセージははるかに表層的なものへと後退した。以後K-POPには「弱者」という主題自体がほとんど登場しなかった。クリシェと化した「ブス情緒」や、男性の自己憐憫程度がせいぜいである場合がほとんどであった。闘争的イメージのK-POP男性アイドルとマイノリティの連帯のメッセージの間にどのような関係構築のモデルが可能なのかどうか、その答えはまだ私たちの手の中にはいない。 「Not Today」が示す今日というのはまさにその部分だ。

 

最も肯定的に見るならば、「Not Today」は誤解の余地を残す原因の一つである、これだけ直接かつ具体的に弱者、特に女性を名指ししたという点を問題視する必要がある作品であるという事だ。曲の議論点は、彼らが青年世代の絶望についてはっきりと歌ったように今後において的確かつ破壊的な作品を生み出すための試行錯誤である。最も否定的に見るならば、彼らがマイノリティの問題について気を配る準備をしていた努力量の限界と、コアファンドムおよび海外のK-POP層が結集すべき妥協点がこの曲で出会ったという事だろう。今日においてどの視点を選ぶのかは読者に任せる。未だ、これからの観点の鍵はもちろん防弾少年団の中にある。防弾少年団が下した今日の選択は、公の論議の場に入るのだから。

 


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「ブス情緒(못난이 정서)」の描かれてるKPOPってなんぞ...と10秒くらい考えてみましたが、GOT7の「Just Right」みたいな事かなと思いました。
(Uglyはクリシェ的ではないのでちょっと違うか)

 

「ガラスの天井」というのは日本でも言われますけど、いくら努力したり才能があってもマジョリティ(=ここでは主に男性)と比較するとマイノリティ(=ここでは主に女性)の社会進出には見えない天井のような障壁があるという例えですね。ぱっと見では向こう側が見えるけどけして向こう側には行けない上下関係があるという。
NOT TODAYのMV見た時はやけにツルツルしたところで踊るなとしか思いませんでしたが、あれはガラスの表現だったのか...???

 

EXOにおけるEXOプラネットな部分が防弾における「大人たちの社会と戦うマイノリティの未成年である僕たち」だったはずと思うんですが、防弾少年団がある程度成功してしまった現状において「男性・芸能人・イケメン(少なくとも芸能人になれる程度には)・売れてるアイドル」というのが枷になってしまうという皮肉。しかももう未成年ではなくなってしまう...今は何をやってもPC的に叩かれるターンに入ってるみたいですけど(そういう事柄に敏感な国で特に人気があるというのはあるでしょうが)それでもリスクを取って現実的で社会的な内容を歌うアイドルってほぼ絶滅しそうなのでめげずに続けて欲しいです。でもパンPDはセカイ系好きすぎてるようなので、適度なところでそっちの戦う少年少女的ファンタジー世界にスイッチングしていくのも手かもしれない...(?)ファンタジー歌うと叩かれにくいですよ多分。