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サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】アイドルの肌を白く変えること

ize訳 ファンドム・ファン活動

【ize訳】アイドルの肌を白く変えること
2016.11.14

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2016111307597257901


最近、ツイッター防弾少年団SEVENTEEN、INFINITEなど、ボーイズグループの写真が「ホワイトウォッシング(非白人キャラクターや人物を白人に変える行為)」されているという指摘が提起された。 アイドルメンバーを直接撮った写真を掲載する「ホムマ(ホーム・マスター)」たちの写真で、メンバーたちの肌が普段と違ってあまりにも白く補正されているという指摘だ。 'No Whitewash'や'w/o whitewash'という同じ名前で補正された写真をもともとの肌の色に戻した写真や、同じ日に撮られた記事写真と比較するアカウントも生まれた。

 

これに対して「ホワイト・ウォッシング」を指摘されるホームマスターたちは、写真を補正する過程に過ぎず人種的な含意はないと話す。 あるボーイズグループのホムマA氏は「肌だけではなく全体的な写真の雰囲気とトーンを調整している」と話した。 照明や撮影環境、写真全体を補正する過程によってメンバーが持った皮膚の色がもっとよく現われたりするというだけであって、白人に憧れているわけではないということだ。 しかし、「ホワイト・ウォッシング」に対する指摘は比較的明るい肌のメンバーたちだけでなく、ほとんどすべてのメンバーたちの写真で現れる。 既に放送された映像をキャプチャしたり、短い「チャルバング(添付画像)」に再編集する過程で肌をさらに明るくしたりもする。 あるボーイズグループでは比較的明るい肌色のメンバーのチャルバングに「白いシャツとほぼ同等の水準になるほど顔を明るくしてる」という書き込みがあった。 様々なメンバーがいる写真で、メンバー達間の肌色の差が感じられないほど補正したケースもある。

 

「ホワイト・ウォッシング」という批判はメンバーらの間の差異を無くし、全員を白くする行為の方にさらに集中しているようだ。 ホワイト・ウォッシングをする事は、アジア人の中でも明るい肌と暗い肌という多様性をアピールするよりも、お互いに異なる皮膚の色を持ったメンバーたちが白い肌をより良いものとする判断基準に合わせて似たような色に変えるということだ。 これは人種差別ではなく趣向問題という反論もある。 また、他のホムマB氏は「東洋でも白い肌に憧れる文化が昔からあったが、このような文脈を無視して白い肌は白人じゃないか、どうしてそうするんだと聞くことこそ人種差別だと思う」と話した。 たとえ白い肌の補正しているとしても、このような基準は東洋の文化の中で作られただけで、人種差別の含意はないということだ。 また、A氏は「個人的な趣向の違いだと感じるため、対応せずに、嫌ならアカウントをフォローしないでくださいと言っている」と付け加えた。 彼らの「ホワイト・ウォッシング」は人種差別ではなく白い肌を好きな嗜好であるだけで、社会的義務がない個々の人の好みについて不愉快ならばあえて見なければいいという主張だ。

 

ホームマスターたちの写真は各自の好みと美感を反映する二次創作物に属するともいえる。 ホームマスターの活動自体が対価がない自発的な活動だということを勘案すると、個人に政治的な正しさをどの程度まで要求できるかどうかは曖昧な領域でもある。 しかし、彼らが修正する写真のオリジナルは実在の人間だ。 実在の人物が持っている本来の要素である皮膚の色が誰かの好みによって変れられるのだ。このような状況で海外ファンが、白い肌を好むのはホムマの個人的な好みにすぎないという事を受け入れることは容易ではない。 tumblrで韓国アイドルメンバーの「ホワイト・ウォッシング」を指摘したあるファンは自分が南米出身であることを明らかにし、「彼らの写真を見るたびに私の肌について物乞いのような(shitty)気持ちになる」と話した。 他の色の肌を白い肌に変えてそれがさらに美しいというのは、ホムマの意図とは別に肌の色で優劣を分ける結果を生む。

 

このような問題は、結果的にK-POPの海外ファンをファン活動から排除させている。 ファンの活動がSNS中心に行われる状況下で、特定のコンテンツが閉鎖的な環境のみで共有されることは不可能である。 最近はホームマスターたちがサポートに参加しようとする海外のファンたちのために英語で公示を上げたりするように、海外ファンたちは企画会社だけでなくファンダム内でも一つの市場を形成している。 それでも海外のファンたちは美的な基準を白い肌に合わせた写真を受け入れるか、見ないかという選択をしなければならない。 誰かの趣向が異なる誰かを排除するようになるとき、これを単に好みの問題だけで残すのが正しい方向だろうか。 誰も「ホワイト・ウォッシング」を強制的に辞めさせることはできない。 ただ、ずっと疑問を提示する必要はあるだろう。 これが本当に好みの問題であるだけなのかと。


文|コイェリン

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最近世間で話題のいわゆるポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)に関する記事だったので訳してみました。
近い話としては以前、某グループのアイドルメンバー同士で「夜会うと気づかない」と言うような色黒をからかう冗談をしたところ、一部海外ファンから差別的だとかなり強い抗議が来て謝罪したりとか、似たような事が特に欧米圏のファンの間で起こっているのを見たような気がします。
この「ホワイトウォッシング」問題はKPOPのグローバル化に伴うペンドムの世界的拡大と、アイドル文化特有の慣習や国による文化の違いと言った複雑な問題をはらんでいるため、差別的という言葉だけでは単純に片付けられない問題だと思いました。


まずひとつめは、アイドルの写真における「修正」に慣例についてです。写真補正というのは一般誌の写真でも通常行われており、シミやほくろ、傷、皮膚のムラ、毛穴、肌色の修正諸々は特に芸能人の写真では普通に行われていますし、特にアイドルや肌の露出が多いグラビアなどには不可欠です。身長や身体のシルエットを変えたり日常茶飯事でしょう。そして、得に韓国のグラビアは日本よりもはるかに大きく修正や補正を入れているようです。以前写真修正を生業としているプロの方がとあるKドルの日本でリリースされたゲームアプリの修正の仕事が来たものの、事務所の要求する修正レベルが日本のそれよりもはるかに厳しく現実ばなれしており、最終的に仕事を断って他にまわしたという話をされていました。
この極度に修正したがる癖はアマチュアであるホームマスター達の間でも当然のようにあり、またテクニックもかなりのもので(仕事でやってるプロの人もいそうですが)、フェイスラインや鼻梁の骨隆起をとてもナチュラルにまっすぐに修正している写真なども割と見かけるレベルです。Kドルの美容整形についてまとめている英語のサイト(なかなかの悪趣味)を見かけた事がありますが、整形の判断にマスコミ写真や動画ではなくマスターの写真を多用しており、とあるアイドルの鼻に関して時系列順に写真を並べて混乱していた事がありました。マスターさんが写真の鼻の形を修正している事に気づかなかったようです。今やスマホのアプリですらかなりの修正が可能ですし、報道写真以外は素人が撮ったものでも常になんらかの修正が入っていて当然なんですけどね。

 

二つめですが、韓国における美の価値観というのがあると思います。韓国には完全な対象を最も美しいものとする価値観が昔からあり、朝鮮磁器でも完璧に対称で整っている形が尊ばれていた磁器があったそうです。これは「完璧な中にある不完全な乱れ」やアシンメトリーに美を見出したりする日本とは対称的なようです(これはギャラリーフェイクというマンガからの知識なんであれですが)。これがそのまま人間の美醜にも適用されるのではないかな?例えば整形に躊躇がないのも個性よりも「パーフェクトさ」を尊ぶというあらわれなのかもしれません。八重歯やほくろなどの日本のアイドルならチャームポイントとしてしまいそうなところも、韓国のアイドルは売れてくると矯正したりかぶせて治したり、とってしまったりという事がよくありますよね。それぞれの個性を際立たせようとするよりも多くの人がひとつの価値観に向かって完璧さを求めようとするのは現代の特にヨーロッパ的な価値観からすると受け入れられないという人もいるかもしれません。ただ、だからと言って他の国の基準を押しつけてもいいのか?というのはあるのではないかと思います。アイドルというのは美を売る職業でもあり、その国の美の価値観で作られたまさにある面で美の価値観を体現する存在でもあると思います。ユルさを許さない一糸乱れぬカル群舞なども、そういう価値観を反映している部分もあるのではないかと。そして、いくらグローバル化していると言えど彼らが生きているのは「その価値観を持っている国」そのものです。他の国ではこうだ、と言っても彼らが生きている場所での常識はまた別にあり、いずれは変わっていくにしても今現在、その価値観に逆らって生きればそれを揶揄する心ない人たちに傷つけられるかもしれない。そしてその同じ「価値観」の中で生きている本国のマスター達は自分のアイドル達が傷つけられる事は望まないでしょう。それゆえに、彼女たち/彼たちは自分たちから見た基準でなるべく「美しく」推しの一瞬を整えて世の中に見せたがるのではないかと思います。例えそれが不自然に見えたとしても。

 

三つめは、記事の中にもありましたがアジア全体に昔から肌に関しては「色白」を良いものとする価値観があると言うことです。日本でも平安時代にはすでに肌の美しさについての記述に白さというのがあったそうなので(この辺りは美白・歴史などでググって頂くとして)、いわゆる白人=コーカソイドの存在は関係のない価値観だと言うことがわかります。韓国でも昔話などを見ると西洋文化が入ってくるはるか以前より黒髪・白い肌・赤い唇というのが美人の条件だったようです。記事の中でマスターさんが言っていたように、西洋文化の影響を受ける前から存在していた東洋の価値観をそれを知ってか知らずか他の文化圏から肌のトーンを明るくしただけで「白人賛美じゃないか」と言われる事こそが差別というのも一理あるのではないかと思います。いわゆる「白人」に支配されていた歴史がある文化圏からするとそういう思考回路になってしまうのかもしれませんが、それこそ他国の歴史や価値観を軽んじているのではと反論されても仕方ないように感じます。

 

そして最後は写真を撮るマスター達は公式の存在ではなく皆個人で勝手にやっているという点であり、自分が好きにとった写真を好きに加工して公開するなり写真集としてまとめている(最近では展示会なんていうのもありますが)という活動を見ると、この記事にもあるとおり「二次創作的表現」が近いような気がするという事です。仮にこれを「公式が大目に見ている二次創作」と同等に考えるとして、個人の嗜好が強烈に反映されるというか個人の嗜好しかないと言ってもいい二次創作にどこまでの精度でポリコレを要求するべきなのか?ということ(もちろん明らかに特定の人種や属性を貶めるようなものは問題ですが)、問題があると思われたとしても対象となっている作品の著作者=この場合はアイドル本人と所属事務所以外にそれについて異議を申し立てる権利があるのか?という点です。「誰かの趣向が異なる誰かを排除するようになるとき、これを単に好みの問題だけで残すのが正しい方向だろうか」と記事にありますが、特定のものを指しているわけでもなく単に個人の主観で良いと判断されたにすぎない価値観の上で作られたものを見て、「自分はこの美的基準に当てはまっていない。排除されている」と感じるのもまた個人の主観であり、最終的には主観VS主観になってしまうのではないのかと思うのですが…。


このように色々な問題が絡み合っているように思うので、現状では文句を言われたら「じゃあ見ないでいいですよ」という対応しかできないんではないかと個人的には思います。勿論肌色に関するジョークで特定の国や文化圏を思い起こすような例えを入れたりするのは問題があると思いますが、色黒の人に「夜会ったらわからない」というのも色白の人に「シャツと同化して見える」というのも冗談として両方言える方が健全な気はします。韓国人の肌色からすると「修正で肌のトーンを明るくするとアラが飛ぶ」という程度のシンプルな理由でやっているだけのようにも思いますし。女優さんがライトあてまくって白くアラを飛ばすのと同じ手法というか。結果として白くなってしまうという。

 

しかし、個人的には肌の色に限らずあまりに修正しすぎるのは好きではありません。そもそも修正入れる前の生身を見て好きになってるわけなので、例え事故顔や肌荒れが見えちゃってる写真でも人間味があっていいと思いますし、あまりに修正された写真を見たら例えそれがとても美しい仕上がりだとしても本人が見たら複雑なんじゃないかなとも思いますし…だから「集合写真などでメンバーの肌の色をあわせようとする行為」が非難されるのは理解できます。他の人を基準にしてそこに合わせようとするという意図がより明確に見えてしまうので。
(そもそも韓国のアイドルがのべつまくなしに写真撮られすぎ問題というのもある気がしてきましたが)