サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】故チェ・ジンリ②残された人々の役割

【ize訳】故チェ・ジンリ②残された人々の役割

2019.10.22

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2019102121457218485

 

誰かは今さら何の意味があるのか、また他の誰かは他人の死を利用するなと言う。 彼女がなぜそのような選択をしたのか、本当にそうすべきだったのかも判断できない。 ただ、いつ誰が去ってもおかしくない社会を記録したい。 喪失の時代に残った人々にできること、しなければならないことについて。

 

今も暴力を振るうあなた、人間ですか。

ソルリは先月、SNSでライブ放送を行っている最中に見知らぬ男性に脅威を感じ、放送を中止したことがあった。知人と会っていたプライベートの場で自らファンだと主張する男性から何度も声をかけられ、ソルリは繰り返し拒否の意向を伝えた。ソルリは「怖かった。私はもう外に出られない」と話し、隣にいた知人も「今年初めて(家の)外で会った」と説明した。しかし、男性は再び「一言だけ喋ってほしい」と近づいてきた。ソルリは怯えてうつむいて体をすくめ、知人は「さっきから何度も断っているでしょう」と再度断ってからライブ放送を終了した。拒否の意思を明確にしたにもかかわらず、引き続き接近してきた男性と恐怖に震えるソルリの姿は、彼女が日常で経験してきた不便を垣間見せた。しかし、その事実が記事を通じて知られた後、矢はとんでもないところに戻ってきた。ポータルサイトのコメントの大多数は「過敏な反応だ」「知人はなぜ笑っているんだ」など、ソルリまたはソルリの知人を非難する内容だった。ソルリが経験した状況そのものを「芸能人なら当然甘受しなければならない生活の不便」や「自ら招いた問題」と主張する書き込みも少なくなかった。論点をすり替えてむしろ被害者を非難する二次的加害、三次的加害が起こったのだ。

 

「人々は変わらなかったんです」20代の女性Aはソルリの死去後も継続された悪質なコメントを置いて「何が問題なのか、問題意識すらないようだ」と話した。そして、「悪質な書き込みが直接的な死亡原因でないとしても、故人を性的に侮辱する書き込みを簡単に目にすることができる今のこの社会が正常ではない」と強調した。ソルリだけでなく、その周辺の人々に向けた「サイバーブリング(cyber bullying=ネットいじめ)」も続いている。クリスタル、ビクトリアなどf(x)で一緒に活動していたメンバーをはじめ、関連芸能人のSNSに悪質な書き込みが殺到する。SNSに哀悼の書き込みを掲載しない、哀悼の書き込みを掲載した、ソルリと親しいと知られている、ソルリに言った言葉が気に入らなかったなど、理由はさまざまだ。哀悼のためではなく、暴力を振るう名分のために哀悼を利用するのではないかと思うような姿だ。20代の男性Bは「ソルリについたコミュニティの一部掲示物は男性の自分から見ても窮屈に感じるほど扇情的だったが、死亡後にようやく削除された」「反省どころか『誰がソルリを死なせたのか』を他人のせいにしようとする多くの姿を見て幻滅した」と伝えた。「悪質な書き込み」で苦しんでいたソルリを口実に、再び「悪質な書き込み」を再生産する人間たちは、いったいどうすればいいのだろうか。


人間の尊厳に対する悩み

ソルリはJTBC2"悪質な書き込みの夜"に出演した当時、自分に向けられた侮辱と非難について言及したことがある。彼女は女性グループのf(x)として活動していた青少年期に、ソルリとエレファント(象)の合成語である「ソルファント」と呼ばれるなど、容姿の指摘を受けたり性的嫌がらせやデマに苦しんだ。これは芸能人のなかでも特に女性が経験する問題であり、彼女らが苦痛を訴えるたびに「解決が急がれる」と議論される社会の弊害だ。「スタイル」「露出」などソルリという名前の関連検索語も「誰が私を見るのも嫌だった」と言った彼女がどのような方向の「関心」を受けてきたのかを見せてくれる。ブラジャーを着用しない権利、「視線レイプ」から自由になる権利を主張していた彼女の所信は、「論争」や「奇行」と片付けられたものだった。これについてソルリは、「称賛を含むすべてのルックス評価はしてはならない」と釘を刺し、「認識が変わらなければならない」と力説した。「私を見てると興味深くないですか?もっと興味深い人達が増えてほしい」というソルリの言葉のように、彼女は自分に対する関心を影響力に変えようとした。悪質なコメントについて直接反論し、世相の問題提起のために声を上げており、シンジ、スンヒ、Ha:tfeltなどゲスト出演した女性芸能人と連帯した。

 

ソルリが世を去った後数日間のポータルサイトのリアルタイム人気検索語1位は、「ソルリ動向報告書」だった。彼女の死亡後、管轄消防署が消防災難本部に報告するために作成した動向報告書、管轄交番が警察署及び警察庁に報告するために作成した状況報告書がすべて流出したものである。機関の報告用であり、消防隊員と警察が出動した当時の状況が詳細に描写されているために外部には公開しないのが原則だが、内部の職員達はこれを破り、文書は瞬時にSNSやインターネットコミュニティを通じて流布された。ソルリは過去、病院へ行った時に職員がチャートを流出させて生まれたデマを例に挙げ、「プライバシーが守られなかった経験が多かった」と語ったことがある。しかし、彼女は死後も再び「望まない」興味の的になってしまった。ネット上のコミュニティでは、「解剖検査係がうらやましい」といった故人に向けた性的侮辱が後を絶たず、YouTubeには「怨霊と対話した」というシャーマンからチョ・グクの長官辞任の原因と関連付ける強引な主張まで、ソルリの死を掲げて「クリック」を誘導するコンテンツが氾濫した。ソルリの尊厳は今、この瞬間にも絶えず侵害されている。一人の生と死を娯楽だけにするこの社会で、人間としての尊厳性はどこにあるのか。

 

記者の役割

ソルリの死亡後、マスコミは過去の発言から露出写真、遺体が運ばれる現場と遺族が非公開を頼んだ遺体安置所まで関連記事を掲載し、最低限の報道倫理も守らない行動を見せた。記者に一次的な責任があるが、記者個人「だけ」の問題とは考えにくい。「キレギ(訳注:記者+ゴミ=スレギの造語。所謂マスゴミ)」が活動する背景には、ポータルサイトの記事掲載システム、収益だけを追うマスコミがある。記事には広告が貼られ、広告は露出頻度が高いほど収益を出しやすい。また、メディアにとってポータルサイトはマスコミ社独自のホームページを訪問しないネチズン流入させる機会であり、他の多くのマスコミ各社と競争する空間でもある。似たような内容の他の記事より上段に上がるために、ポータルメインに引っかかるために、マスコミ各社はより早くより多く刺激的な見出しの記事を抜き出している。この過程で、取材なしに以前の記事をそのまま「コピペ」する記事が殺到する。ここに何の取材もなく、最低限の事実確認すらせず「脳内妄想」だけで記事を書く一部の水準に達していない記者、そんな記事もアクセス数が高く推奨するデスクが加われば、読者に幻滅を与える昨今のメディア環境が完成する。

 

「熱愛説の記事が出てもクリックしないでほしい。そうする事で、デスクがそのようなスクープを掘り起こそうと急き立てなくなるから」と、あるインターネット新聞社の記者Cは言う。記者は自分でどんな事案を扱うかを決めて動くが、上の指示に従い取材アイテムを決めて記事を作成したりもする。Cは「ゴミの音を聴くのに等しいので、自己恥辱感がある」としながらも、「熱心に取材した記事が質の低いアビュージング(abusing=いじめ)記事より注目されなければ、デスクはまた『ゴミのような』記事を書くように指示し、悪循環が繰り返される」と語った。また、別の記者Dも「質の低い記事には無関心が答え」とし、「需要が消えてこそ供給はなくなるだろう」と語った。記者自身も知らないうちに「キレギ」になっている時もある。記者が書いた記事は編集局長、編集長など編集権限を持つ「デスク」の編集(デスキング)を経て世に出るが、この過程で記事の文脈自体が完全に覆されたり、刺激的なタイトルに変わることも多い。デスクが自分の名前では書きづらい記事をヒラの記者の名前で出稿する場合も少なくない。「国民の知る権利」を「知るべきこと」と「知らなくていいこと」に分けるとするなら、ポータルサイトとマスコミの奇異な構造は前者、芸能人の違法ではない私生活は後者だろう。しかし今のマスコミがこのように悩んでいるのかどうかは、非常に疑わしい。

 

全ての心をいたわる

「嬉しい時に喜び、悲しい時に泣いて、お腹がすいた時には力が出なくて辛く能率が落ちるという、自然なことが自然なままに自然に受け入れられるようになるといいですね。アーティストの方々は人々を慰める仕事をしている方だからこそプロ意識もあるし、でも良き人としてまず自分の面倒をみて、そんなそぶりを見せないようにする事でむしろもっと病んで痛がっているようなことがなかったら...本気でなかったら、本当になかったらいいなと思います」

IUは昨年「2018度ゴールドディスク」の授賞式でデジタル音源部門大賞を受賞し、このように述べた。芸能人は職業の特性上精神の健康が脆弱になりがちだが、プライバシーを保護してもらえないため、病院や相談センターなど関連機関に助けを求めることは難しい。中央自殺予防センターのペク・ジョンウセンター長兼慶煕大精神健康医学科教授は、「芸術文化分野の従事者の精神疾患の発病率は他の分野より高いと知られているが、彼らは大衆の反応を見極めなければならない深刻な感情労働者でもある」とし、「文化コンテンツが発展するほど、先進的にメンタル健康を汲み取ることができる環境が与えられる必要がある」と説明した。


現在、さまざまな企画会社が大学病院や専門家と連携し、所属芸能人のメンタルヘルスを気にかけている。いくつかの企画会社の場合、アーティスト管理チームと心理カウンセラー、所属芸能人を観察し、カウンセリングするまた別の専門家などと引き合わせて芸能人の心理的な問題の解決に努めたりもする。しかし、大半の企画会社は関連福祉は不備なのが現状だ。公正取引委員会の「大衆文化芸術人標準専属契約書」は、「乙(芸能人)の人格教育及びメンタルヘルス支援」条項を通じて企画会社が芸能人の身体的・精神的準備状況を考慮するようにという内容を含んでいるが、これはあくまでも法的義務ではない勧告事項だ。制度的改善が急がれるが、直近では周辺の支援を積極的に活用することも重要だ。韓国コンテンツ振興院は2011年から大衆文化芸術支援センターを通じて、青少年の芸能人、練習生たちのための心理相談を提供している。企画会社または個人が直接ホームページを通じて申請すれば、心理相談士が訪問して1:1の相談を実施する方式だ。2019年には83人が1人当たり平均1.9回(10月現在)相談を受けた。性倫理、ストレス管理などの素養教育プログラムもある。大衆文化芸術支援センターの関係者はこれについて、「心理相談の場合個人の申請も受け付けているが、実質的なケースは少ない。あまり知られていないようだ」と伝えた。

 


メンタルヘルスのケアは芸能人だけでなく、彼らを大事にし応援する皆にも必要だ。20代の女性Eはソルリの死亡消息に接した当時を「最初は信じなくて、その次は音が出すのが嫌で、タオルに顔を埋めてわあわあと泣いた」と回想した。20代の女性Fも「私がこんな風に生きていてもいいのかと思ってしまい、食事が喉を通らなかった」と話した。EとFはどちらもソルリの知人やファンというわけではなく、ただソルリを見て時には心の中でエールを送っていた大衆だった。Eは、「ソルリの痛みを和らげることができなかったことが申し訳なく、後悔し、ク・ハラのSNSに応援のコメントを掲載した」と話した。彼女は「大丈夫です、一生懸命生きる」と話す映像を見て、彼女インスタに応援のコメントを書き込んだ。「ちっぽけな私の言葉が届くかどうかは分からないが、こうでもしたかった」と説明した。20代の女性Gは「いざ大きな過ちを犯した男性に対してはは『無視する』という名目で論外にするのに、女性だけに『完全無欠』という物差しを突きつけたのではないかと振り返るようになった」と打ち明けた。ペク・ジョンウセンター長は、「故人の行動に共感した方々、彼女を尊重していた方々が経験する喪失感は、極めて正常なこと」としながらも、「すでにストレス要因が多く蓄積され、かろうじて耐えていた人々にとっては非常に絶望的なことなので、周囲から『こんなことでそうなるのか』と思われれば大きな傷になるだろう」と要請した。悲劇の繰り返しに歯止めをかけるためには、メンタルヘルスに対する認識改善とともに政策的レベルでの福祉が必要だ。ベク・ジョンウセンター長は、これに対して「英国やオーストラリアには"ヘッドスペース"として地下鉄駅やショッピングモールなどに万満25歳以下の青少年なら誰でも無料で利用できる精神健康福祉センターがある」「10代と20代の死亡原因の1位がメンタルヘルス(自殺)だが、未だに私たちの社会には偏見と不利益への懸念など、助けを求めることができないようにする障壁がたくさんある」とした。また、「最後の瞬間ではなく、美しく情熱的な人生全体を記憶する過程が必要だ。こうした心を一つにして議論し、これ以上悲劇が起きないようにする社会的な方法を探さなければならない」と力説した。大事なことは、「私」を含む周辺、ひいてはみんなの心を顧みることだ。今この文を読んでいる、あなたの心も。

 

文 イム・ヒョンギョン


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【ize訳】故チェ・ジンリ ①ドロシーのための祈り

【ize訳】故チェ・ジンリ ①ドロシーのための祈り

 

2019.10.22

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2019102121467254094

 

約1年前の昨年10月25日、リアリティー番組"真理商店(ジンリサンジョム)"の初回が公開された。ソルリはこの番組で本名である「チェ・ジンリ」をかけてポップアップストアを運営し、人々と直接会う姿を見せた。彼女はこの番組に出演した理由について、「私の味方」または「私だけの人を沢山作れるように」するためだと語った。この6月21日にはJTBC"悪質な書き込みの夜"に出演し、自身に対する悪質な書き込みを読みながら麻薬をしているという疑惑について明確に釈明し、ノーブラについて「個人の自由」だという自分の所信を明らかにした。同月29日には収録曲3曲すべての作詞に参加したシングルアルバム"Goblin"を公開した。ソルリはアルバム発売直後に開催したファンミーティングで、「『Dorothy』は夢見る私、『On The Moon』は眠る前の私、『Goblin』は現在の私を盛り込んで、皆さんがご覧になっていない多くの部分をお見せしたかった」と収録曲を紹介した。SNSだけでも検索語1位に上がっているスターが一日中ポップアップストアを守りながら人々に直接会い、自分を巡る否定的な視線に対して正面から声を出しながら、歌手としては自らを歌の素材にして真の自分を伝えようとした。この1年間、ソルリは芸能人として受ける視線に隠された人間「チェ・ジンリ」を見せるため、多様な試みを行ってきた。


「子どものころから機嫌をうかがうような行動を嫌がった」"悪質な書き込みの夜"でダンスの練習中に「上の人たちが来た時に急に頑張っている姿を見せるのはプライドが傷つくので、大雑把に踊っていたダンスをそのまま見せた」というエピソードを打ち明けながら、こう語った。普段の性格そのままに、彼女はSNSでも自分ではない姿を無理やり作り出そうとはしなかった。恋人とデートしたりキスしたりする写真、自由に遊ぶ写真、あるいはブラジャーを着用していない「ノーブラ」状態で日常を送る写真をそのままアップした。しかし、これを眺める世間の視線は矛盾していた。"TVリポート"と"Dispatch"が私生活の領域である彼女とチェザのデートを密かに撮影して報道したことは問題視されなかったが、ソルリ自らが恋人への愛情を表わすのは、まるで不都合なことのようにマスコミに絶えず取り上げられた。女子グループ活動当時の未成年者だったソルリに「セクシーに肌あらわ」(2010年ソウル新聞)、「危険な反転後ろ姿」(2012年テレビデイリー)などのタイトルをつけるもの、あるいはこのように女性の身体を性愛化して窃視する社会的視線の中で女性だけが不便な下着を着用し、身体を隠さなければならない現実は議論されなかった。一方、彼女が単に「楽だから」という理由で選択したノーブラ姿は、写真の中であえて隠さなかったという理由で非難の対象になった。女性グループの女性芸能人として大衆の固定観念から逸脱した行動をするほど、そして自分の考えを現わすほどにソルリは問題のある人物として消費された。


ソルリのシングルアルバムのタイトルであり、タイトル曲の"Goblin"は、このように大衆に愛されにくいにもかかわらず、ありのままの姿で愛されることを望んでいた自分に対する自伝的なストーリーとみられる。「ゴブリン」というタイトルは、彼女が飼っていた無毛種のスフィンクスキャットの名前であり、人々を惑わし苦しめることで知られているこびとの魔物を意味する言葉でもある。彼女は"Goblin"発売直後に行われたファンミーティングで、「SNSに猫のゴブリンに対して『いやらしい』『自分みたいなものばかり飼う』と怖がる書き込みが多かった」と言い、「(曲で)先入観についての話をしたかった」と語った。"Goblin"の歌詞は「君をいっぱい抱きしめていたいのは/君の心の白い霧/黒く染めるよ」と、白を善・黒を悪と思う世の中の固定観念を覆したいという想いを語り、「Don't be afraid of the cat without fur(毛のない猫を怖がらないで)」「just wanna tell you hi(あいさつだけしたかっただけ)」というメッセージを伝える。人々の期待と違う姿は、まるで毛のない猫や魔よけ「ゴブリン」のように馴染みが薄く思えるが、実はただ真実に近づこうとする挨拶に過ぎないという心の表現。実際にソルリは"悪質なコメントの夜"でノーブラが話題になっているにもかかわらず写真をアップする理由について聞かれると、「怖くなって隠れてしまうこともあるけど、多くの人がこれ(ノーブラ)に対して偏見を持たなくなってほしいという思いからやめなかった」と話した。


しかし、芸能人は常に大衆の愛を必要とし、同時に愛されてこそ生存できるジレンマに陥る。"Goblin"のミュージックビデオは「解離性人格障がい(いわゆる多重人格)」を持っているという説明を土台にソルリの3つの自我を見せながら、彼女が経験した心理的葛藤を描写する。一番目のソルリは見知らぬ人々が率いる車に運ばれて家に入り、無気力に椅子に座っている。彼女は家の中に侵食してくる人を避けようとするが、結局は他人がささやく言葉に囲まれる。一方、二番目に登場したソルリは顔にメイクをして人と区別されるような華やかな服装を身につけ、人々に先に話しかける。しかし、他人の動作をまねて彼らに混ざろうとする試みは彼女を疲れ果てさせ倒れさせ、人々は終始目を覆いながら彼女の努力を認めてはくれない。大衆の視線に対する恐怖と愛されたいという気持ちが衝突する昼が過ぎて夜になると、戦士の服装をした三番目の自我は、最初の自我をなくす。他人の視線を恐れる気持ちを毎晩抑えてこそ、芸能人の「ソルリ」として大衆の前に出ることができたという意味だろう。それでも人間「チェ・ジンリ」として愛されたいという気持ちまでを抑えることはできなかった。この1月、インスタグラムにアップされた"真理商店"スタッフや友人たちとのホームパーティーの写真が赤裸々という理由で議論になると、ソルリは"真理商店"の最後の映像で「私を知っている人たちは悪意がなかったというのをよくご存知だが、私にだけ特に色眼鏡をはめて観ていただいている方が多くて心が痛いことはある」と言いながらも、このように付け加えた。「真理商店に多くの関心を持って、また最初から精読してください。真理(ジンリ)をもう少し知ることができます。真理(ジンリ)を求めて記者の皆さん私を少しは可愛がってください。視聴者さんたち、私をかわいがってください」


ソルリが"悪質なコメントの夜"で、容姿の評価に対する自分の考えをしつこい程に語ったという点は象徴的だ。彼女は容姿に対する悪質なコメントや評価についてキム・ジミンとサンドゥルの会話を聞きながら「称賛度評価」という考え方を示し、特に最後に放送された回でイタリアでは容姿への称賛について韓国より慎重だというアルベルトの話を聞いて「容姿の評価については本当に慎重にするべきではないかと思う」と話したこともある。ルックスが競争力の一つと言える芸能産業に従事し、彼女自身も常にルックスで話題になったり愛されたソルリがルックス評価に対する問題意識を語ったというのは皮肉に思える。しかし、彼女は"悪質なコメントの夜"でf(x)時代の「ソルファント(ソルリ+象を意味するエレファントを合成したもの)」というニックネームが付けられた時期について直接言及し、「あの時は誰に見られるのも嫌だった」という苦しい心情を語った。"真理商店"でも、ソルリはオーディションを受け容姿への指摘を受けたファンから「痩せろって書いてほしい」と要請されると、「あなただけに痩せろと言うのは嫌だ。一緒にダイエット頑張ろうって書いてあげるから」と話した。彼女は芸能人として大衆から愛されるための外見管理と、ダイエットが必要な現実を否定しなかった。ただ、容姿の評価が人を尊重するよりも品評化したり対象化することになりうるという問題意識を表現し、自らの日常の会話でも、誰かを品評の対象にすることに気をつける姿を見せた。このような彼女姿は、芸能人の「ソルリ」である以前に人間「チェ・ジンリ」として尊重され愛されたいという表現でありながら、他人が当然だとか正しいと思う「白い霧」を、「黒く染める」変化を作り出すための努力でもあった。


自ら「夢見る私」についての話だと明かした”Dorothy"の歌詞の中で、ソルリは自分が夢見た多様な自我を見せてくれた。「嫉妬のドロシー/ 愛のドロシー/ 真理のドロシー/ 派手なドロシー」という歌詞を歌うソルリの声を包むバックミュージックは、まるで"オズの魔法使い"の中のドロシーが去った冒険を表現するように遅い速度で始まり、だんだんと速いビートと多様なメロディーの重なりに転換されていく。反面、多様な「ドロシー」を歌うソルリの声は曲が終わるまで最初から始まったリズムとメロディーをしっかりと維持しながら、「未来のための祈り」という歌詞にたどり着く。これはまるで自分を絶えず攻撃する世の中でも、自分だけの歩き方で真実の「チェ・ジンリ」であるのを止めなかったソルリの生前の姿を思い浮かばせる。すべての人間がそうであるように、ソルリも道徳的に常に完璧な姿だけを見せることはなかった。f(x)脱退当時はファンに失望を抱かせたり、自らも認めたように失敗もあった。それでもソルリは、常に大衆から愛されるべき芸能人の立場から人間としての真実を示そうとしたし、自らが思う信念を語った。特にこの1年の間には、自分の位置と影響力を認識して声を上げ、芸能や音楽で自らをコンテンツにしてますます多様な「ドロシー」を見せてくれていたところだった。もし、もっと多くの時間が与えられていたら、自分だけの声で大衆と疎通する方法を徐々に探していく彼女の成長期が見られたかもしれない。しかし、そのドロシーはもはや、世界の知られざるところへ永遠の冒険に出かけた。もうソルリのためにできることは、遅ればせながら「未来のための祈り」をささげることしか残っていない。どうか彼女が今旅立った冒険では自分だけの歩き方を止めないことを、そしてどんな「ドロシー」の姿でも愛されることを願って。


文キムリウン

【ize訳】SuperM「ビルボード200」1位、その次が気になる

【ize訳】SuperM「ビルボード200」1位、その次が気になる

2019.10.18

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2019101806227286651

 

この13日に公開された、10月19日付「ビルボード200」1位はSuperMの「SuperM:The 1st Mini Album」だ。SHINee、EXO、NCT127、WayVはそれぞれ「ビルボード200」で成績を出してはいる。しかし、「NCT#127 We Are Superhuman:The4th Mini Album」が11位まで上がってきたことを考慮すると、いわゆる「スーパーグループ」を生み出した価値はある。アルバム発売につながる活動やシングルを公開したことがない状態で「ビルボード200」1位に上がったこと自体が珍記録だ。K-POPの特異な市場状況と近年の「ビルボード200」戦略が統合され、面白いことが可能だった。

 

成績をもっと詳しく見てみよう。「ビルボード200」はアルバム販売チャートで、アルバムだけでなく、ストリーミングと音源の販売成績も換算して反映する。「SuperM:The 1st Mini Album」の成績は16万8000枚単位であり、その中の実物アルバム販売量は11万3000枚、デジタル音源は5万1000枚だ。ストリーミングの成績はアルバム単位で4000枚、約500万回程度になる。SuperMのアルバムは米国市場以外には発売されず、韓国を含む米国以外の地域のファンは米国で直接購入をするしかなかった。アマゾンなどのショッピングモールから韓国に直接配送されるとチャートの成績に反映されるかどうかは定かではない。(訳注:buzzfeedなどの記事によると、海外からの直接購入分はビルボードチャートには入らないようになってるとの事です)とにかく多くの人が直接配送ではなく、配送代行を利用していた。


アルバムはメンバー別7つのバージョンと「united」バージョン、計8つのバージョンで発売された。公式サイトでは60種以上のMD、公演チケットバンドル(訳注:グッズや公演のチケットとアルバム音源DL権の抱き合わせ販売)を販売した。米国市場でMDや公演チケットをアルバムと合わせて売るのはよくあることだ。特に、アルバム/コンサートバンドルは、ここ数年間特別な最新ヒット曲がない有名アーティストの名前を維持するために「ビルボード200」を攻略したり、最近の人気アーティストでもアルバム発売初週の成績を確実に確保するための戦略として人気が高かった。確実なフィジカルアルバム購買層を攻略するためにパッケージを多様化することも、もはやおなじみである。テイラー・スウィフトは最近、アルバム「Lover」のデラックスバージョンを4種類作った。先日、カムバックした伝説的なバンドTOOLは、アルバム/コンサートバンドルはせず、独占動画が再生される4インチ画面がついた45ドルのアルバムパッケージを売って「ビルボード200」1位に上がった。程度の差はあれ、問いただすほどの商法ではない。


要するに、SuperMの戦略に疑問を持つ必要はない。SuperMは米国市場に成功裏にデビューし、所属会社のSMエンターテイメントは米国市場で歴代最大の成果をあげた。ただし、他の質問をしてみよう。SMエンターテイメントは今やアメリカ市場で通じるようなメジャーグループを持つようになったのか? 質問をもっと具体的に変えれば、SuperMは固定的なKPOP需要層を超えて、大衆的な基盤を持つようになるのだろうか。K-POPグループが「ビルボード200」1位になることも注目すべき成果だ。しかし、それが今のSMエンターテイメント、または全世界でスタジアムツアーを行う防弾少年団を除いたK-POPアーティストが、一般的にアメリカ及び西欧圏で持つ市場のパイを超える成功を約束する証となりうるのか?「ビルボード200」1位は「スーパーグループ」を証明する結果なのか、そうでなければそうなるために必要な過程だったのだろうか?


これは、K-POPにおける「スーパーグループ」とは何かを問う質問になるだろう。言い換えれば、SuperMをK-POPの「アベンジャーズ」と呼ぶのは理にかなっているのだろうか?「アベンジャーズ」は個別のキャラクターの叙事と性格を一堂に集めて衝突とシナジーを楽しむものだ。その中で文脈はさらに豊かになり、各キャラクターは鮮明になる。しかし、SuperMの全てのメンバーはそれぞれのチームの中で既に数年間、その仕事をしてきた。彼らは「文字通り」各自のユニバースを作っていっているところだ。この疑問に対して「SuperMは既存グループのファンを失望させることはないし、一種のクロスオーバーだし、メンバーでさえ流動的なのだ」と答えるとしたら、最初の質問に戻ろう。SMエンターテイメントは今やアメリカ市場で通じるメジャーグループを持つようになったのか? もしくは、できるすべてを動員して「ビルボード200」1位のアルバムをひとつ持つようになったという事なのだろうか?


文/ソソンドク(大衆音楽評論家)

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SuperMのアルバム売り上げ、TEAが1000くらいだったのでMDとチケットバンドルの分もその程度かと思っていましたが、実際は5万1000枚(DL)分がMD&チケットバンドルだったみたいですね。

(最初このデータがビルボードの記事になかったんですが、ニューヨークタイムズにNielsenのデータとして載ってたのでこちらが正しいと思います)

色々言われてはいますが、バンドルがあるにしてもBTSが初めてビルボード200で1位をとった「LYS:Tear」(4バージョン販売)のポイントよりも多いし(13万ポイントくらいだった)フィジカルの枚数もSuperM11万枚とBTS10万枚で、Tearの時はアマゾンのトラブルがあったらしいにしろそこまで大差があったわけでもないようです。つまりBTSの「最初」も似たようなポイント内訳ではありました。BTSの場合はファンがスミン(ストリーミングの空回し)も同時に長期に渡って仕掛けていたという背景もありますので、今回とは少し異なってきますが。チケットバンドルについてはBTSも「LYS:Answer」の時のキャパ4万5千のシティフィールド公演はバンドルチケット(チケットを買うとアルバム1枚分購入になる抱き合わせチケット)でしたし、これで2回1位とってたと思います。

NCT127のアルバムもあのくらいの活動期間で11位までいってた(しかもNCT127はBTSほどアメリカ外のファンの規模も大きくない)という下地を考えると、作戦がどうであれ「アメリカ国内で」お金を出したファンがこれだけいるのは事実なのでそれがチャートに反映されたに過ぎないということでしょう。

だからこの文章のように今回の成績には文句のつけようがないはずで、むしろこの先これをたたき台にしてどうやって欧米圏でもより大衆的にメジャー化していくのかという方に目を向ける方が建設的じゃないかと思います。そっちの方が重要。

【W Korea】スーパースター来韓す

【W Korea】スーパースター来韓す

キム・ヒェミン(フリー)

2019-09-02T21:40:38+00:00

http://www.wkorea.com/2019/09/03/슈퍼스타-내한에-부쳐/


トム・ヨークが韓国で単独公演をした。ステージを作るだけで数億が消えるU2はついに12月に来韓を控えている。韓国公演市場は確実に大きくなった。しかし、国内の洋楽音楽市場も成長したと言えるのだろうか。  あんなにも多かった夏の大型ミュージックフェスティバルはなぜ突然消えたのか。つじつまが合わないこの状況を、業界の長年の企画者が地道に構造的に見てみた。


韓国に本格的なロックフェスティバルが出現してから数年足らずの時、オンライン上の掲示板や書き込み欄には、「我々のフェスラインナップは隣国の日本に比べて足りない」という批判の書き込みが多かった。それはもちろん、以前にもなかった現象というわけではなかった。たとえば「あるミュージシャンはよく日本へ行くのにどうして韓国には来ないの?韓国が嫌いなのか?」という書き込みは90年代PC通信の時から存在した。このようにいつも同じパターンの不平を書くのが退屈だったのだろうか。レディオヘッドトム・ヨークは幼い頃に韓国人の同級生にいじめられ、韓国を嫌っているという根拠のないうわさまで出回った。自分が好きな誰かが韓国に来ない理由をどうしても知りたかったファンはこうした噂を広め、もしかしたらある人たちはまだこのような話を「ファクト(事実)」として認識しているはずだ。


しかし、韓国を嫌うというトム・ヨークのいるレディオヘッドは2012年に韓国を訪れた。うわさの主人公トム・ヨークは先日、ソウルで単独公演まで行った。彼らが、あるいは彼が突然韓国を好きになったという事ではないだろう。それならその間、韓国の音楽市場が、公演市場が急成長したおかげだろうか。それとも、多くのメディアやファンたちが誇らしく語るように「世界最高」に近い韓国のオーディエンス特有の熱狂的な反応が口コミで彼らに伝わったのだろうか。訪韓はほとんど不可能なのだと多くの彼らが思ったUは来る12月、初の来韓公演をする。確かに来韓公演の量は飛躍的に増えたが、一方で「韓国の夏の音楽フェスは滅びた」という話も聞かれる。これまでに何があったのだろうか。


韓国コンテンツ振興院では、毎年夏ごろに「音楽産業白書」を発刊する。国内の音楽産業に関連した統計が掲載されるほぼ唯一の資料集である(通常発刊年度を起点に2年前の統計資料が出ているので、最近出た音楽産業白書の資料は2017年度基準だ)。ここに紹介された国内音楽公演市場の成長速度は信じられないほどだ。2007年に1,988億ウォンだった市場が2017年には9,441億ウォンの市場へと拡大したという。音楽公演の成長はソウルと首都圏だけに限られた話ではない。人気のあるオーディション番組を全国ツアーとして連携して成功を収めた事例もあり、首都圏で成功したフェスティバルが地方に進出したり、自治体で首都圏の成功的な公演をベンチマーキングした事例もある。このように公演市場が成長する間、音楽を消費するパターンは完全に変わった。10年以上前までは、「ダウンロード」が音楽産業の話題だったが、誰もが知っているように今は「ストリーミング」で音楽を聞く。公演市場は、この現象の反対給付として存在してきた。人々はいつでも簡単に聴ける音楽をあえて保存したり購買したりする代わりに、反復できない音楽的瞬間、すなわち公演を見た経験を購買し保存している。公演会場で写真を撮ったり、会場で記念品を買う行為などが「保存」に当たると見られる。


一連の過程を通じて、国内音楽市場(すべての音楽関連事業の売上を加えた市場規模)はさらに大きくなった。2007年には2兆ウォンに及ばなかった規模は2017年基準5兆以上に拡大された。BTSのように国際的な人気を得ているスターたちの登場と活躍(2009年3千万ドルにとどまった音楽輸出額は2017年基準5億ドル以上の規模に増加した)がこの成長の勢いに大きな役割を果たしたが、ストリーミングをサービスしたり、音源を流通するオンライン会社と公演事業主体の急激な売上上昇が占める割合はそれ以上だ。これだけ見れば、人々は以前よりもっと多くの音楽を聞いて、さらに多くの人が公演場に行っているということだ。


誰でもスマートフォンを通じてより頻繁に音楽を聴けるようになったが、これによって人々がより多種類の音楽を聞いているとは言えないだろう。関連統計がないため根拠を提示できないという限界はあるが、音源市場や公演市場と「ランキング」内の違いが大きいからだ。音源市場で絶えず買いだめ疑惑が出てくるのも、チャートの成績と直接的に関係のある良い場所に音源を広報するために企画会社と流通会社が全力を尽くすのもこのためだ。「以前よりもっと多く聞くようになった音楽」は結局「チャート内の音楽」で、「より多くの人が行く公演」もほとんどは「有名な音楽家の公演」だ。国内ヒットチャート上位100位をのぞき見ると、楽曲のほとんどが国内の音楽家の曲だという事実も容易に知ることができる。ドラマや映画、あるいはその他特殊な要因によってヒットしたごく少数の外国曲を除けば、このチャートはいつも韓国歌謡の独壇場だった。「ボヘミアンラプソディー」の場合のように例外的に映画のサウンドトラックのヒットが続かない限り、国内に進出している海外の直配会社が海外の音楽部門で成長を期待するのは大変難しいことになった。海外の音楽ライセンスを通じて名を知らせたインディーズ系の会社は、今ではほとんど消えたり他の分野の事業をしている。音源·音盤の販売チャートだけを見ると、以前に比べて韓国人が海外の音楽をよく聴いているという証拠を見つけるのは確かに難しいようだ。にもかかわらず海外音楽家の来韓公演が増えているとすれば、何かつじつまが合わないことだ。確かに理由がある。


アジア音楽市場で圧倒的な存在だった日本の事情から考えてみよう。2018年国際音盤産業協会(IFPI)の資料を見ると、日本は依然として米国に続き世界2位の市場の職を維持している。しかし、日本の音楽市場は以前とは大きく変わった。70年代のベビーブーム世代や80年代のバブル経済時代の世代とは違って、現在の日本の音楽市場を主導する新しい世代は海外の音楽を積極的に消化しない。多彩な海外音楽を購入していた世代は今や中年を超えて老年に入り、音楽市場での影響力もますます弱まっている。市場規模を支えるのは、アイドル産業や伝統的な人気ジャンル、人気歌手たちだ。そのため、海外の音楽家たちが新しいアルバムの発表と共に日本へ行って熱心に放送プロモーションをしたり、ツアー公演をすることはもはやだんだんと珍しくなっている。


「もう大阪公演も簡単ではないんです」

アジア各都市を行き来しながら公演と関連した仕事をする八幡幸樹さんは、「海外の音楽家が日本で公演をする際、東京以外の都市で興行に失敗することが多くなる傾向にある」と話す。日本国内のアルバム市場が縮小し、すなわちアジアの他の国には行かなくても日本に行ってプロモーション活動をする音楽家たちが多かった理由であり原動力であった部分が弱まり、西欧の音楽家にとって「アジア市場=日本市場」という公式はますます昔話になりつつある。日本市場が少しずつ弱まっている間にアジア各国では新しいフェスティバルが生まれ、海外のミュージシャンを渉外する新しいプロモーター(企画会社)が大挙して誕生した。厳しい審議手続きで悪名高い中国にも、西欧の音楽家を渉外してプロモーションする企画会社がオープンした。韓国と中華圏、あるいは東南アジアをつなぐ新しいツアー市場が生まれ、アジア市場ツアーを専門にする公演エージェントも登場した。この「新しい市場」はアルバム市場が急速に下り坂に入り音楽市場が停滞期に入った2010年前後の世界の音楽市場で注目され始めたが、この時期から来韓公演が大きく増加したのは決して偶然ではない。


2010年代に入り、国内音楽市場では成功したフェスが登場した。例えば、海外のミュージシャンを呼ばずに成功した「グランドミントフェスティバル」、初期の難関を乗り越え、最近は本格的に成功街道に突入した「ザラ島ジャズフェスティバル」など。このような成功事例が出ると、「資本」と「ブランド」を持つ人々が公演産業に関心を持ち始めた。彼らが公演に投資したりマーケティングやプロモーションに費用を使い始め、以前は高いリスクや資金力の限界のために企画会社が思いもよらなかったようなスーパースターが初めて韓国で公演する事態も起きた。韓国の夏のフェス、夏のロック・フェスが一時5・6ヵ所にまで増えた背景には、このような投資者たちとブランドの姿があった。


しかし、市場規模に比べて過度に多くのフェスが乱立すると、各フェスの赤字規模が深刻な状態になり、結局投資したり後援した企業が大挙して去ってしまった。こうして「夏のフェスが滅びた」という話が出るようになったのだ。今年の公演直前にキャンセルされた「ジサンロックフェスティバル」や、ヘッドライナー公演のキャンセルやずさんな進行で話題になった「ホリデーランドフェスティバル」は、主催会社がフェスティバルをした経験や資本力が豊富でない状態でイベントを準備したという共通点がある。自ら蓄積した経験と資本で成長した事例もあるが、国内のミュージシャンたちが出演するフェスが飽和状態に入った今、新生のフェスが企画力だけで成功の道に入る確率は以前よりかなり低くなった。一方、大型公演と大資本がベースになったフェスを経験した人々の目線は非常に高くなっただろう。依然として人々は海外のミュージシャンたちが出演するフェスティバルに対して高い期待値を持っており、その期待値を満足させるためには巨額を賭けなければならない。不幸にもそのような賭けをすることができる彼らは、業界からはほとんど離れたようだ。一例を挙げれば「圧倒的ラインナップ」で「より快適で楽しい観覧環境を提供」したと自評していた現代カードの「シティブレイク」はたった2回だけ開催されて消えた。資本とノウハウがあった人々にとっても、「成功的なフェスティバル」とはあまりにも難しい課題だったわけだ。もうポスターの上段に海外ミュージシャンの名前とともに企業ブランドが刻まれるフェスは5tadiumのようないくつかのEDM系列のフェスだけだ。いわゆる「傀儡フェスティバル」がどんなものなのか知りたければ、企業のロゴが前面に登場するフェス、スポンサーのロゴが多いフェスを訪れればよい。資本はいつも安全なものを素早く探すからだ。


ここまでくると、国内で海外音楽市場が拡大していないにもかかわらず韓国の公演が増えた理由が、以前には来なかったスーパースターたちが韓国に訪れる理由が分かるだろう。音楽市場が急変する間、アジアという新興市場が浮上し、成功的な大型ライブを通じてブランディングや投資に成功する資本家たちが生まれた。その過程を通じて公演産業従事者が増え、公演企画をしようとする人もさらに多くなった。


問題は観客だ。これまで公演会場に頻繁に行った人々は支出を無制限に増やすこともできないし、公演会場に頻繁に行ける金銭的な余裕や文化的な関心、「ナイトライフのある人生」をすべて備えた音楽ファンは決して多くないため、彼らは選ばなくてはならない。先日、企画したあるインディーズバンドの韓国公演の前売りを買った観客の一人が、公演をキャンセルしつつもこのようなメッセージを残した。「すみません。ライブ鑑賞に使える予算が多くけどU2の公演を予約しようとしたため、このバンドの公演を見るのはまたの機会しなきゃいけなくなって」ライブを直接準備してみると、彼と似たような悩みと苦悩が盛り込まれたメッセージや書き込みをたびたび見かける。韓国ではU2の公演を見るファンとケンドリック・ラマーの公演を見るファン、そしてインディーズバンドの公演を見に行くファン層の多くが重なる。普段インディーズバンドの公演を見に行っている人なら、ケンドリック・ラマーの公演にも、U2の公演も見に行く趣向があるという意味だ。西欧の音楽産業従事者たちにこの話をすると信じられないという表情をするが、国内で公演を企画してきた私のような人なら、これが間違っていない話であることをよく知っているはずだ。


そのため、同じ時期に来韓公演がいくつか開かれると、適正観客を動員する公演は常にごく少数に過ぎなかった。公演回数が増え公演産業の規模は大きくなったが、個別の企画会社や公演の収益性は落ちかねない。実際に関連統計を見ても、音楽公演企画会社の平均売上が2016年の13億5千万ウォンから2017年には12億6千万ウォンに減少したことが分かっている(この期間、全体の音楽公演産業の売上は17%以上増加した)。時折メディアには、韓国のファンの熱狂的な反応が海外のミュージシャンを感動させ、その影響で来韓する音楽家が増えたという報道が出ることがある。そのような熱気が感じられる公演が全体で占める比重は大きくなく、実際、観客の反応がその次に行われる公演の実現可否に及ぼす影響力といえば微々たるものだ。韓国の観客を喜ばせるその記事の裏には、決して単純ではない重層的で複合的な要因がお互いに影響しながら存在している。


とにかくレディオヘッドポール・マッカートニーは来韓しており...U2も来る(U2はもっと早く来る事も可能だったようだが、彼らが公演できるレベルの適当な場所がなかった。1万人以上を収容できる室内空間であるコチョクドームができなかったら、U2のソウル公演は今回も実現が難しかったのだ)。確かに私たちの公演市場は大きくなった。しかし、市場の健康状態はそれほど良くない。背は高くなったが栄養不良で、そのためしばらく雨と風に吹かれたある野外フェスティバルのステージのような状況かも知れない。ここ数年間、アジアの企画者らが西欧のミュージシャンを媒介に協業を始め、これらの間の直接的交流も大幅に拡大されたが、例えばこの地域内で新しい音楽家を発掘し交流しながら小さくて面白いフェスティバルを作っていくことも、健康状態の改善のための一つの処方になるだろう。政治外交状況のため、しばらく日本との交流が萎縮するだろうが、最近では国内公演市場に成功裏に定着したアジアのミュージシャンがかなり多かったことを記憶する必要がある。市場が停滞期に入った頃に欧米の音楽市場主体がアジアで新しい機会を見出そうとしたように、我々も新しい発見のために目を向けなければならない時期かもしれない。

 


アルバム市場が滅亡すると予測した人は多かったが、ビニルレコードがこれだけ爆発的に成長すると予測した人はそれほど多くなかった。そのように、停滞を繰り返す国内の洋楽音楽市場や飽和状態に至ったかも知れない韓国のライブ市場も、意外な動力源を見つけることができるかもしれない。悲観したり失望するにはまだ早い。

 

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文中に出てきたホリデーランドフェスティバル、アン・マリーがフジロックの翌日に出る事になっていたのがアーティスト都合で直前キャンセルと発表されてたけど、実際は直前にフェス側から舞台上の事故については自己責任という契約書にサインを求められたので出られなくなったと本人のインスタグラムで暴露するというトラブルがあったようです。

(アン・マリー本人の希望もあって当時急遽場所を借りてファンのために無料公演を開催した)

同様にダニエル・シーザーとH.E.Rも直前で公演中止になっていたけど理由は不明。

(そのフェスの主催プロモーターは過去にも似たような契約を結ばせていたり、招聘したアーティストのホテルをとり忘れてカラオケボックス泊まらせたりという事もあったという韓国語のツイートがありました)

 

数年前まで確かに韓国フェスに自分が好きなアーティストが出るというので韓国まで観に行く日本の洋楽ファンも結構いたように感じます。

最近は日本公演の翌日韓国、あるいは逆のスケジュールでワンセットでライブをしにくる欧米アーティストが増えてるような。確かに十何時間もかけてアジアに来る事を考えると、東京から大阪に行くようなものなので効率的かも。

 

日本で欧米のミュージシャンの公演が難しくなってるという話、若い人たちが関心がないというよりも来日公演のチケット代の高さと若年労働層の収入減が関係してるのではという話もあったような。

日本の若い層が邦楽にしか関心がないというの、例えばバンドなら昔は洋楽に影響を受けた日本のバンドを好きになってその影響源の洋楽を聴いたり好きになったりというのがありましたが(自分もそれで好きになったバンドとかあった)最近の若手バンドはすでに日本国内のバンドがロールモデルだったりして、洋楽を掘る機会が減ったのかなと。それ自体は国内でのミュージシャンのバリエーションが増えて層が厚くなったという事でもあるでしょうし、「海外の音楽が必要なくなった」という事でもあると思うので、文化的な面では良い悪いではなく歴史の流れのひとつなんじゃないかと思います。欧米のヒットチャートそのままみたいなチャートでしかない国もあるので、そういうのに比べればいいんじゃないかなと。DYGLみたいに海外バンドに影響を受けたとあえて公言するバンドやBO NINGENみたいに日本国外から逆輸入みたいなバンドも最近多いですし。

 

一方でKPOPは「海外の音楽」ではあるけどシェアを伸ばしていますが、そこには音楽以外にグループそのものの熱狂的なファンがついているというスタンパワーの付帯がありきだと思いますし、エミネムのリリックに出てくるくらい世界的に音楽の世界も「成功するにはスタンをつけたもん勝ち」という方向がなきにしもあらずという事なのかもしれません。

【ize訳】「人脈ヒップホップ」には罪はない

【ize訳】「人脈ヒップホップ」には罪はない

2019.09.27

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2019092709227212381

 

毎年、Mnetの「SHOW ME THE MONEY」の視聴率と影響力がますます落ちているという主張が出ているが、論争の頻度が高いのは依然変わっていないようだ。最近では数人のラッパーの判定をめぐって、いわゆる「人脈ヒップホップ」という議論が起こった。そして、いつもそうだったように、挑戦者の身分であるラッパーたちと韓国のヒップホップファンの怒りと諸説乱舞が交錯する。一言で言えば、問題だということだ。ところが、実はヒップホップシーンで人脈を重視するのは非常に自然なことだ。歴史的に数多くのラッパー、DJ、プロデューサーらが出身地、あるいは絆をもとに人脈を形成して活動してきた。つまり、ヒップホップシーンはもともと人脈ヒップホップの場だったのだ。

 

1980年代、ニューヨークのクイーンズブリッジ出身のラッパーたちが団結した伝説的な集団Juice Crew、エミネムを中心にデトロイトで親交を深めたメンバー同士で結成したD12、アトランタに基盤を置いたヒップホップ/R&Bアーティスト集団のDungeon Family、ニューヨーク・ハーレム街出身のアーティスト集団A$AP Mobなど、いわゆる人脈ヒップホップの事例は溢れかえっている。これは特にクルーという概念を重視するヒップホップ文化の特性から始まったものだ。普通集団を構成する時に、実力も重要だがもっと優先順位を上に置く部分は、出身地と親交だ。

 

もちろん、細部ではそれぞれ温度差がある。最初から正式にグループを結成したりクルーを構成したり下から苦楽をともにしてきた人々がいるかと思えば、まず富と名誉を手にし、ラップスターになった人の名声に基づいて集まる場合もある。同じアーティストでもただのアントラージュ(取り巻き)でも関係ない。過去、無名だったエミネムDr.Dreと契約するとすぐに一緒にラップをしていた友達(D12)を呼び集めたというエピソードが後者の好例だ。そのように、過去はもとより現在も多くのヒップホップアーティストたちは、前からは引っ張り後ろからは押しながらシーンでの勢力を広げ、メイクマネーのために邁進している。一般的には社会で人脈によって行われることは否定的に映る場合が多いが、ヒップホップシーンの中では全くそうではない。重要なことは、人脈の質如何ではなく、そのように集まった彼らの音楽的成就、あるいは説得力の有無だ。

 

そういう意味で、「人脈ヒップホップ?そもそも僕自身が上手いと感じ、良いと思って一緒に働いている同じクルーのメンバーを選ぶ事の何が間違っているのか」というGiriboyの抗弁は、少なくとも表面的には正しい。Giriboyだけでなく、現在議論の中心にある他のプロデューサーの場合も同じだ。むしろ「一緒に働いている同じクルー」である人を選ばずに突き放すことこそヒップホップシーンの中では不思議であり、disrespectfulな行動なのだ。それ故に、現在の状況はあまりにもおかしいし奇怪だ。議論が起きた場所が、韓国ヒップホップだけに存在すると同時にシーンを支配する奇形的なシステムの中にあるからだ。

 

「SHOW ME THE MONEY」の制作陣と参加アーティストたちは、誰よりも熱烈にヒップホップ文化の守護と拡張を叫ぶが、誰よりも早く既存のヒップホップ文化の歪曲化(韓国ヒップホップは何故「SHOW ME THE MONEY」に呑み込まれたのか?参考 http://m.ize.co.kr/view.html?no=2019082307137250616)とラッパーの階級化を実現した。しかし、アーティストのほとんどはひたすら生計の解決と有名税を得ることに血眼になってこのような現実に背を向け、あるいは無視してしまった。韓国ヒップホップファンの相当数を占めるラッパー志望生とアマチュアのラッパーの殆どもやはり、プレーヤーとファンの境界から、ある瞬間この流れに参加してしまった。巨大なシステム「SHOW ME THE MONEY」の長いヒップホップ조지期には沈黙していた彼らが、唯一怒って抗弁し問題を提起するのは、各自に攻撃が加えられる時でなければ「身分上昇の為の機会の場所としてのヒップホップ」が脅かされる時、そしてポリティカル・コレクトネスに対する批判が加えられる時だけだ。今回の論議もこのような背景から始まったわけだ。

 

ジャンルと文化の根本を壊し、崩壊したシステムの中で公正さを見出すことは非常に虚しい。すなわち、皆が批判の弾丸を誤った標的に向けているのだ。極めてヒップホップ文化的な行動である「人脈ヒップホップ」がむしろヒップホップの為にと構築されたシステムのルールと趣旨に反するとの理由と公正性を根拠に批判されているが、実はそのシステム自体がヒップホップをめちゃくちゃにした根源である現実。現在の韓国ヒップホップは、それこそ途方もない矛盾の塊だ。今の論難は結局、「SHOW ME THE MONEY」、ヒップホップアーティスト、ヒップホップファンみんなの合作で作られたと言っても過言ではない。もう一度強調するが、ヒップホップの中では「人脈ヒップホップ」は罪ではない。

 

文| カン・イルグォン(「RHYTHMER」音楽評論家)

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SMTM8で言われている「人脈ヒップホップ」というのは、プロデューサー達が以前から知り合いのラッパーを贔屓しているのではないかという議論の事です。しかしこの文章にあるように、本来の「ヒップホップ文化」では人脈で繋がったり身内で繋がることは普通で、「レペゼン(出自)」や「マイメン(ツレ)」地元の友達などが重視されることがそのまま「文化」だという面があると思うんですよね。むしろ人間関係=人脈こそヒップホップの文脈だという見方もあるくらい、音楽と人間関係が絡み合っている特殊なジャンルというか文化なんじゃないかと思います。そもそもこいつ上手いなとか何かしらの良いと思う部分があるからつるむんでしょうし、アングラのラッパーでもある程度「うまい」人はすぐに声をかけられて誰かしらの知り合いでしょうしね。そういう意味での「人脈」でもあるんだと思います。


前の記事(【ize訳】韓国ヒップホップは何故「SHOW ME THE MONEY」に呑み込まれたのか? - サンダーエイジ)でもありましたが、特殊なルールや考え方のある文化を理解しないで自分たちだけのルールでジャッジしようとする事はオリジナル文化へのdisrespectであるし、特にヒップホップのような「上手いか下手か」よりも「リアルか否か」「かっこいいかダサいか」の方が重視されている文化圏では根本的な判断基準が異なる事もあり。例えば「発音がクリアで聴きやすくトラックもよく作られているけどどこかつまらない」ものよりも「何言ってるかわからない発音だしトラックも既存のつぎはぎだけどなんだかカッコいい」ものの方が評価が高かったり、リリックも「正しい」か否かよりも本人の身の丈にあった「リアルかどうか」の上で、言葉の選び方やフレーズが独自で面白いものが評価されるという風潮はあると思います。

(「ラップの技巧」と「ヒップホップとしての評価」が必ず一致するわけではない)


また、一般的にはパクリや剽窃とされがちな無断サンプリングや既存の曲や詩、小説などからのフレーズを拝借してリリックを作ること自体は罪ではないし、それを「どう使うのか」という事の方が評価の対象になるはずですが、これもまた半端にヒップホップがメジャー化した韓国のリスナー(ヘッズとは限らない)の間ではパクリだと問題になることもよくあるという。

和歌の本歌取りみたいなものだと思いますが、iKONの楽曲には出典が書いてあるのでアイドルの楽曲の場合は明記した方が好ましいと思います。意識的に取り入れて歌詞を書いている人は自覚があるから出典を明記できるけど、無意識のうちに混ぜちゃった場合は本人気づいてないから難しいのかもしれない。

(だから周囲の大人がよくチェックしなきゃいけない案件だと思いますが)

しかし「大衆化」するということは「わかってる」人たちだけでなく色々な種類のリスナーが増えるということで、端的に言えば「バカに見つかる(有吉)」という事でもあり。文化的な背景を知らない、あるいは知らない事も知らない(もしくはどうでもいい)という人たちが無闇に騒ぐという事は、ある程度注目を集める事柄に関してはあるあるなのかもしれません。

 

【idology訳】防弾少年団「Boy With Love」レビュー

防弾少年団「Boy With Love」レビュー

by ランディon 2019/07/24

http://idology.kr/12566

 

前作「Love Yourself」を終え、新しいシリーズを始めるEPのタイトル曲だ。国内外の多様なリファレンスがまず目につく。アルバムのタイトル「Map of the Soul:Persona」ではEPIK HIGHの「Map of the Human Soul」シリーズが、タイトル曲「Boy with Luv」はNucksalの「The God of Small Things」や防弾少年団の初期作「Boy in Luv」が、「Come be my teacher」のような歌詞では最近活動中の米国アイドルグループPretty Muchがコミカルに歌った「Teacher」が、また「Oh my my my」が繰り返される歌詞ではトロイ・シヴァンの2018年の曲「My My My!」が思い出される。過去の韓国ヒップホップと同時代の欧米のティーンポップをすべて横切って「防弾少年団」の今を築いた。


曲全体に流れるタイトなリズムギターがディスコ時代の心象風景を呼び起こす。サラサラした素材のオーバーサイズな衣装だったり古典映画をオマージュしたセットなども、レトロブームを忠実に反映した。ミュージック・ビデオのカラーパレットは青い空と黄金色の日差し、踊る防弾少年団のピンクの衣装程度にまで狭めることができ、KPOPシーン全体で人気だった80年代を終わり、いまではサンシャインポップやディスコが流行した6〜70年代まで遡ったという印象を与える。歌詞に似合ってダンスがよく、些細で肯定的だ。


主なテーマはほとんどをマイナー・ペンタトニック音階の中で遊ぶが、ド、ミ、ソを多く使ってメジャーのような感じを与える。メッセージもそうだ。「もうここは高すぎる/僕は自分の目に君を当てたい」や「高くなったsky 大きくなってしまったhall/時には逃げるようにと祈った」のような歌詞では高い人気の負担感を語るが、そのソリューションで提示する方向は聴衆(もっと正確に表現するならば、ファン)とのたわいもない交流だ。(それが実際に可能かどうかはさておき)最後のトラック「Dionysus」を除けば、全てが「ファンソング」と呼んでいい歌詞だ。ファンを対象に、いつもあなたが気になるし切なくてありがたいという内容一色だ。

防弾少年団が海外でその他のKPOPグループとの差別化を図り、強固なファン層を築き始めたのは、「アイドルグループは完全に他の人々によってプロデュースされた商品」という偏見から少し離れた、歌詞で自分の話をするグループだという理由からだった。アイドルの歴史が長い韓国内では、どの道アイドルにはそのようなことを期待しない消費者が多く、そのため初期の「防弾少年団」はそのような面で「田舎臭い」という扱いを受けたりもした。しかし、海外では皮肉にもその点が最大のアピール要素になった。


そして、今のように大きな成功を収めた時点で「防弾少年団」ができる自分の話とは、大体このようなものなのだろう。ファンの愛に感謝し、慰めになる歌で報いること。多くのものを得たためにともすれば福音に映るだろうし、わざと使うswagではない以上、全体的なメッセージは上記のポイントに焦点が当てられるだろう。すでにビルボードで一番の「ヴィラン(villains)」ポジションは、ビリー・アイリッシュやCardi Bなど、若い女性アーティストたちが占めている。コダック・ブラックなどはキャラクターとしての「ヴィラン」ではなく、本当に悪口を言われる遊び人のポジションだ。防弾少年団が現在のビルボード上でピンを刺すことのできるポジションは「グッドボーイ」だ。その「グッドボーイ・メッセージ」の内容をどのように多様化するかが今後の課題と考えられる。

「Boy with Luv」にフィーチャーしたホールジーは、アメリカのテレビ舞台やフランスのコンサートなどで一緒に舞台に上がった。オーディオだけ聴く分には担当の持分が思ったより多くはない。この作業の主なコラボ要素は、ステージに一緒に上がって踊るという事そのものだったのだ。防弾少年団とは人種が異なる「外国人」として、「私も防弾少年団と一緒に踊りたい」という心理をホールジーに投影するファンも多かったと思われる。韓国中心のプロモーションでは見られなかった光景だ。

 

 

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だいぶ前に訳したのを下書きに入れっぱなしになってたのを発見したので今上げました。

多分デビュー当時から見てる韓国内の人の見方として、個人的に自分のイメージとあまりズレのないレビューだと思って訳したんだと思います。

特に「ビルボードで今ピンを打てる場所はグッドボーイ」というの、ちょうど新しいチャーリーズ・エンジェルOSTマレフィセント2のアンジェリーナ等、あえてのバッドガール路線(「女が悪くて何が悪い」的な)流れが若い女性アーティストの中でキテるっぽい一方、若い男性アーティスト達は草食路線というか、ノンジェンダーとかグッドボーイ路線が有利な今なのかな?となんとなく思っていたので...

それを考えると仮面デス扱いされてカッとなったのか(?)カミラとのベロチュー動画をアップしちゃったショーン・メンデスは下手こいたのでは?とちょっと思いました。割とグッドボーイ路線だったように思いますし、BTSみたいな熱烈なファンドムを作るにはどうしたらいいのかってチャーリー・プースと語りあってたらしいのに...

(ビリー・アイリッシュがコメント欄でyikes言ってるのにも笑った)

 

最後ただのアメリカセレブゴシップ好きみたいになってしまった。BTSアメリカセレブゴシップ好き文脈に取り込まれる日が来るんでしょうか。

関係ないんですけど、最近ロバート秋山の動画を見すぎて、私の中の去木アコが「現在長期休暇中のB○Sジ○ン。パリのクラブでの動画が流出してネットをお騒がせ中。酔いどれで女子にデコピンされる姿は楽しそうで何より」とかすぐ言ってくるんですよね...これ言いたくて仕方なかったけどツイッターで言うのもあれかなと思ってここにどさくさに紛れて置いておく。

(何を言っているんだ)

 

 

【お知らせ】Real SoundでBTSについて色々書きました(2019年上半期1〜6月)

Real Soundさんで書いたBTSこと防弾少年団に関する記事まとめです。上半期でまとめるつもりでしたが、個人記事シリーズが7月にまたがったのでそちらのみこちらにまとめておきます。


映像から日記、ウェブトゥーンまで BTSが『花様年華』で展開する“二次元と三次元の融合”

LINEコミックで「花様年華」のコミックが始まったタイミングの記事だったと思います。その後の展開を見るとSticky Monsterとコラボして花様年華フィギュアを出したり、ゲームのグッズでイラスト絵のグッズを出したりと、自社アイドルの二次元化にはやはり積極的なようで。SMEイラストレーターコラボとはまた違った「拭いきれない二次元オタ臭」を感じ取ってしまうのは自分が二次元オタだからかもしれない。

(でも韓国のファンでもパンPDはOTAKUだからさ〜って言ってる人いた...)


BTSアメリカのポップカルチャーの一部に ボーイバンド=男子アイドルグループの歴史から考察

New Kids On The Blockが出した「Boy In The Band」の歌詞にBTSが登場っていう流れでの記事でした。欧米圏での「アイドル」の歴史に関する文献はちゃんとしたものが殆どなかったんじゃないかと思うんですが、ちょうどこの後イギリスでボーイバンドの歴史と男性性に関する研究本が出ていました。よくブリティッシュインベイション以来という流れでビートルズと比較される事が多かったように思いますが、ビートルズはデビュー当時は完全な「アイドル」でしたけど、今までエンタメの歴史上にはっきり足跡を残している理由は当時の「人気」だけじゃなくて、後世にも残る「楽曲」そのものを数多く残したからなんじゃないかと思います。「人気」というのはその時の瞬間的な体感の比重が大きいけれど、楽曲の方はいつまでも残りやすい、という事なのかもしれません。


BTSの“黄金マンネ”ジョングク、なぜ人気メンバーに? アイドルグループの側面リードする活躍ぶり

BTSの個人メンバーに関する記事が日本の音楽系メディアでは殆どないので、という流れで依頼があったシリーズです。とりあえずファンの間で人気の1・2位を争うであろうジョングクから始めましたが、View数が良かったようで全員やる事になりました。

記事が載ってしばらくしてから韓国のNaverに載った記事で引用されたらしく、後でも引用が伸びててびっくりしました。海外ファン(英語)の反応を見てみたら韓国ではジョングク個人の能力が低く見られてる!みたいな意見が結構あってそうか...?と思ったりもしました。個人インタビューの機会はラップラインとかよりは少ないと思いますけど、デビュー当時なんかは韓国ではジョングク一点人気ってくらい人気ありましたが(もちろん今はもっとばらけてるでしょうけど)のファンからしたらまだまだ外部からの評価が足りないって永遠に感じるのかも。でも彼らの場合デビュー時から一貫してファン向け活動な感じなので、そもそも外部から評価される機会自体が少ない感じですけどね。ソロ音源にしても商業的にリリースされる事がなくてフリーなので、そうなると韓国ではファン以外の一般層に届く機会はぐっと減ってしまいますし。


BTSの“4次元”キャラ V、味が際立つボーカルと自然体なパフォーマンスに迫る


日本では今はひょっとしたらテヒョンの方が人気があるのかもしれない。ルックス以外でも独特の魅力があるのは間違いないと思うんですけど、それを自分で言語化するのが難しかったです。個人的には以前より落ち着いたキャラクターというか、しっとりした雰囲気になってきた感じがします。アートに目覚めたから...?


BTS ジミンが表現する、“感性的”なダンスとボーカル リスナーを盛り上げるブースターとしての役割

ジミンの顔になりたいって整形したイギリス人男性がいたり、何回もアメリカで殺害予告されたりと特に海外では熱狂的なタイプのファンがついているのかなぁと思ったのですが、この辺のエピソード全部なしにしてくださいと言われました。そりゃそうか。


BTS、デビュー6周年までの背景 “グループ内のバランサー”ジンが果たした役割

デビュー当時はもっとおとなしい感じでしたが、年々おかしな動きというか強引だったり愉快な部分も出てきていて楽しそうで何よりです。海外ファンは彼の俳優キャリアを事務所が破壊していると思ってる人も多いみたいですが、どこかのインタビューで昔は俳優やりたかったけど今は他にも興味がいっぱいあるし、特にこだわってないと言ってたような。勝手に髪の毛切ったりダメと言われてたっぽいVlive中の飲酒もしてましたし、性格的に自分が本当にやりたかったらなんとしてもやりそうです(個人の感想です)


BTS SUGA、“沼”と呼ばれる所以は? ラッパーとしての実力とグループ内での役割に迫る

人気上位メンバーというわけではなくてもコアな太客がついてる人というイメージです。(他に言い方なかったのか)

2015年くらいまではもっとギラギラとんがってた感じですが、年々好々爺化している気がします。やっぱり嫌っちゅうほど売れたからかな。個人の感想です。


BTS J-HOPE、“スマイル・ホヤ”と呼ばれた理由 ダンスをベースにした音楽的才能に迫る

わたしの記事管理ミスにより初稿を読んだ人には意味がわからない部分があった事でしょう...すみませんでした。ミックステープの内容だと個人的にJ−HOPEが一番好きです。他の2人と違ってダンスをメインにやってて後から音楽を勉強したからか、こだわりがいい意味で薄くてトレンドの入れ方が上手い感じがしますし、ダンサブルで歌詞の内容もポジティブで無心で楽しく聴けます。「KPOPアイドルへのインタビュー」を読んだ感じではそこまでズレた内容になってなかったようなので少し安心しました。


BTSのリーダー RM、グループの歩みと重なる成長 知的なイメージと“破壊王”のギャップも魅力に

結構うかつみたいな事を書いたらトルツメされてしまいました。そりゃそうか第二弾。

昔から誰よりもクサい事を言うのに躊躇がなく、普通の同い年くらいの人なら照れちゃって言えないような愛の言葉やシリアスな話を真摯にできる(乙女ゲームイベント...)のがここにきて欧米圏ではものすごい強みなのではないか、という気がしています。ある程度年齢を重ねた本当に大人のオタクに人気があったり、欧米圏でセクシーとみなされてたり(brainy is new sexy)for president ジョークが出るのがわかる気がします。


記事の裏話というよりただのメンバーへの個人的イメージになった。この個人記事のシリーズの後、他の媒体(モ○ルプ○スとか)も防弾メンバーの個人記事を出していたのを見かけたので、今後増えたりするのかなとか笑

しかしこうして見ると今年は特に防弾関係記事多かったですね。自分でも編集さんに理由を尋ねたたことがあるのですが、実はあまり防弾について書ける人がいなくて...との事でした。アメリカのチャートに載るようになってから日本国内のKPOP以外の音楽媒体でもとりあげられる機会は増えましたが、やはり防弾に関しては韓国のアイドル・音楽業界やファンドムについての知識がある程度はないとどこかピントの外れた話になりがちなのと、初期から流れで追っているという人を探すのが難しいのかもしれません。実際アメリカでも突然人気が出たというわけではなく積み重ねがあると思うんですけど、チャートの順位だけ見ても理解しづらい人気の出方ですし、アイドル業界に限らずファンドムの傾向やバズり方って中にいたりリアルタイムで感じないと分かりづらい事が多いなと、他のファンドム見てても思います。

(長年ビルボードチャートを淡々と見ているチャートマニアの方の分析のほうが納得するようなものだったりして)


色々とそういう事情もあり、自分に記事がまわってくる事が多かったようです。アメリカでの防弾の見られ方みたいな記事を書いた時は特定の思想がある方々に「所詮KPOPファンの書いた記事だから信用できない」(KPOPある程度知らなきゃ逆に書けないのでは?)とか言われたり、「金をもらって書かせたんだろう」(正直お金払ってあの記事だったら特に賞賛も持ち上げてもいないので怒られそう)とか、記事中でこの件には触れないでくださいとか言われる事はあるけど実際そんなんありえんですよ...というような事を言われたりもしてたみたいなので、世の中いろんな人がいるしツイッターはありえない事を断言する人もいっぱいいるんだなと勉強になりました。