サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】REDVELVET、ベルベットなアティテュード

【ize訳】REDVELVET、ベルベットなアティテュード

 

2017.11.22
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017112123427222436

 

ガールズグループREDVELVETの新曲「Pee-A-Boo」で、彼女たちは誰かの愛を待ってはいない。 誰かを愛し続けると積極的にアピールすることもない。 代わりに彼女たちは、愛に対する態度を描写している。 「新しいものだけが好きな」彼女たちにとって愛は「高鳴る時だけ」で、だからこそ相手には「途中で私の心が変わっても驚かない」と語る。 「Peek–A–Boo」のミュージックビデオで「高鳴る時だけ愛」にあわせて見せる映像はイェリが男性のピザ配達員からピザを受けとる場面だ。まだ冷めていないピザ。 彼女たちにとっての愛、または男性はその程度の意味だ。 彼女たちが愛から望むことは「退屈する暇」を与えずに「あの月がジャングルジムにかかる時間まで遊ぶ」ことだけだ。 すると友達がみんな叫ぶ。「あんたは本当に問題があるよ!」なぜ問題なのかは正確に描写されていない。 ただ現在、韓国のガールズグループのうちで最も人気のあるグループは、一日中男性が自分を好きであるという想像ばかりの歌詞を繰り返すTWICEだ。 ところが、ガールズグループが男を待ったり誘惑したりしがみつく代わりに、食べる残すピザ程度という意味を置く。 「問題」であるかは分からないが、「問題的」であることは明らかだ。

 

すぐ恋に落ちることもあるし、すぐに飽きる事もある。ピザを配達させて食べながらそのピザの上に宝石をまいて遊んだりするように、世俗的な価値観ともかけ離れている。 この女性は「清純」や「セクシー」のようなひとつの単語だけでは説明できない。 当然、複雑で理解し難い。 また、自らを理解させようとしているわけでもない。 「Peek–A–Boo」のミュージックビデオを見る人たちは、カメラを通してREDVELVETの家の中に入る。 しかしREDVELVETは訪問者にどのようなアピールもしない。 当然、どれだけミュージックビデオを見ても彼女たちの考えを完全に理解することはできない。 代わりに「Peek–A–Boo」の意味を解釈しようとするほどこの女性たちについてずっと考えるようになるだけだ。 完璧に理解することも、統制することも、そんな自分を他人に説明しようともしない女。 しかし、この女性の予測不可能であり魅力的な行動は、訪問者にこの世界を理解しようともがかせる。過去、ある男性たちはこのような女性を魔女と、または悪女と呼んだ。「Peek–A–Boo」のミュージックビデオがホラー映画のスタイルを持たざるを得ない理由だ。 これは、ガールズグループの場で魔女について歌ったからだ。

 

愛をピザやジャングルジムのような楽しみの一つに過ぎないと語る女。 問題があると言う人もいるが、「キツネ」であることを自任し、予測不可能な行動をする女。こんな女性が自分の頭の中や世界を開き、自分を理解してみればと誘う。 ガールズグループが、現実に存在するが韓国のエンターテインメント産業ではなかなか出てこない女性を表現した。「Peek–A–Boo」のミュージックビデオでREDVELVETの他のメンバーがジョイの周りを回る映像は、すぐジョイの席にピザ配達員がいるものに変わる。 見物の対象として消費されるのが当然だと考えられていたガールズグループの一つが、位置を変えて自分たちを理解することを要求する。 韓国のガールズグループがもう少し多様に存在する女性、または自分自身について話す方法を見つけたのだ。

 

「Peek –A–Boo」の曲とパフォーマンスがすべて必死そうには見えない体裁をとった事は、本当に重要である。 「Peek–A–Boo」のボーカルと編曲は、なかなか感情を明るくて活気に満ちるようには引き上げない。 だんだんと速くなるリズムは楽しいが、ボーカルは音を引き上げて雰囲気を盛り上げたりせず、サビは乾燥しているように感じられるほど短く切ったリズムで構成されたいくつかのメロディーを繰り返すだけだ。アイドルグループの必須要素のように入る後半部のアドリブも、やはり他の音の間に隠されたり、音を高めて増やす代わりにそっと手を触れて行く程度だ。ボーカルトーンだけは軽くし、明るい感じをそっと吹き込むくらいだ。REDVELVETはこの曲に合わせて手を腰に当てて骨盤を弾いたり、かわいく腕を広げる動作をすることもある。 多くのガールズグループたちが自分たちを可愛いかったりセクシーに見せようとする動作だ。 しかしこの動作の間に手を望遠鏡のように作って目に当てる、意味のわからない動作が入ったりして、メンバーたちの表情はめったに笑顔を見せない。 そしてほとんどの動作は曲のビートに合わせて多少硬く、動作や動作の間が遮断されたまま行われる。 TWICEが私の心を分かってもらいたいと絶えず笑顔と小さくてかわいらしい動作を取るなら、GFRIENDは「ガラス玉」と「今日から私たちは」で好きな相手に自分の心を熱唱した。 しかし、REDVELVETは熱心に笑って気持ちを伝えさえしない。 愛はジャングルジム程度の楽しさを与えるものと考えている、ちょうどそれくらいの表情と動作。REDVELVETの所属会社SMエンターテインメントは、なかなか説明し難い女性のキャラクターをティーザーからパフォーマンスまで、近年で最も首尾一貫性のある結果を通じて説得してみせた。 複雑なキャラクターに対し、想像して具現化できるビジュアルディレクターと作詞家、A&Rを同時に持った会社だけにできる仕事だ。

 

ガールズグループが愛されるために愛嬌を振りまいていない。 かわいかったりセクシーに見せようと勤めない。 商業的には危険な選択のように見えるかも知れない。 しかしREDVELVETは、アイリーンがたびたびバラエティ番組でよく笑わないという理由で議論の対象になったり、JTBC「知っているお兄さん」で誰かの愛を受けることに対する負担を打ち明けたりもしたことがある。 彼女たちは以前から、自ら韓国でガールズグループに要求される規範から少しずつ抜け出していた。「Peek–A–Boo」はこのような魅力を、アイリーンのキャラクターをまさに舞台の上で表現したも同然だ。 そして魅惑的な瞬間が行われる。 無条件にぱっと笑ったり愛嬌を振りまく代わりに、メンバーごとにまた歌詞によって表情が微妙に変わりREDVELVETのメンバーたちは彼女たちがどれほど多様な魅力を表現できるのかを示している。 「Peek–A–Boo」のエンディングでクローズアップされるアイリーンの表情は、一般的なガールズグループの曲では見ることができない。ジョイが短いワンピースを着てウェーブを踊った時の奇妙な雰囲気を、ただセクシーという表現だけで説明できるだろうか。 愛されるために努力しない態度が、むしろ感情を表現する人の多様な姿を見せる。 このような態度は全員には愛されないかもしれない。 しかし、誰かにとっては代え難い魅力でもある。 正確に知ることはできないが、自身が他人に向かって露出しなければならない姿の代わりに、自分が見たいと思っていた自分の姿を見ることになる女性もいるかもしれない。 「Peek–A–Boo」はREDVELVETの忘れられたも同然だった「ベルベット」コンセプトを再定義しながら、彼女たちの核心的なアイデンティティを規定した。 もちろん「Peek–A–Boo」と「ベルベット」彼女たちの唯一の路線にはならないかもしれない。 「Peek–A–Boo」で持たせた期待が失望に変わる瞬間も来るかもしれない。しかし、常に一つの期待だけはできるようになった。 完璧なベルベットになって戻ってくる時、彼女たちは魔女になるだろう。

 

文 カンミョンソク

【idology訳】1st Listen 2017. 7月前半〜7月後半抜粋まとめ

【idology訳】1st Listen 2017. 7月前半〜7月後半抜粋まとめ

 

idologyの「1stリッスン」アルバムレビューの7月分の部分粋と5月のiKON&SEVENTEEN訳をまとめました。7〜9月はリリースが多かったのでこの3ヶ月分は載せる予定です。

 

[レビュー訳した曲リスト]

「COME BACK HOME」防弾少年団(ソテジカバー)
「Young&Free」EXOシウミン&NCTマーク
「The Red Summer」REDVELVET
「Television」ZICO
「The War」EXO
「Hola Hola」K.A.R.D
「Summer Episode」AKMU
「流星」SNUPER
「swimming 」イムヒョンシク(BTOB)
「If You」NU'EST W
「prequel 」DREAMCATHER
「Good Day」Brandnew Boys
「Verse2」JJ Project
「the.the.the.」ヨングク&シヒョン

「NEW KIDS:BEGINS」iKON
「A1l」SEVENTEEN

http://idology.kr/9119
http://idology.kr/9157
http://idology.kr/9196

 

2017.07.01~07.10


防弾少年団「Come Back Home」
2017年7月4日

 

ランディ
「Come Back Home」が2017年に出てきたらこうなるだろうな、という期待をそのまま再演して出したようだ。もともとトラップ曲だったように適当な服だ。 ソテジが歌った最初のヴァースをJHOPEが特有のトーンでよく生かして期待感を増幅させ、合間合間に原曲の慣れたラインとメロディーが新たに書いたパートと交差しながら、楽しみを与える。 防弾少年団の初期作を考えて見れば、このように青少年に社会的メッセージを伝達するテーマの歌を選んだというのは非常によく似合う選択ではなかろうか。ただ、そのメッセージが最初のコーラスの後ろに入ってくるラップヴァースで曇っている様子があるが、「トロフィー」や「家門の栄光」など防弾少年団のキャリア的成功を連想させる歌詞が原曲が伝達していた啓蒙的メッセージや慰労とよく交わることができず、空回っている。このような点は彼らの前作「Not Today」でも観察されたことである。 「防弾swag」をどうすればもっと自然に溶け込ませられるのか、更に深く悩む必要があるだろう。

 

シムデャン
ソテジのデビュー25周年記念リメークプロジェクト「Time:Traveler」の最初の曲、「Come Back Home」だ。 原曲特有のリフレインとベースライン、ビートを除いたすべての部分を「防弾少年団化」した。 不安な青春を謳歌する防弾少年団なので、この歌を歌う姿が自然に見える。 20世紀に行き場を失った怒りを見せていた青春は、21世紀の不安な未来の中でも強かに自分の道を歩いて行く。 曲を歌う人は変わったが、曲の話者はそのままのようだ。 曲の生命力と、この曲を自分のスタイルで消化した防弾少年団を再び見ることが出来る。 複雑な感情を抑えきれず、1人疾走する彼の手の中に捕われたカセットテープが印象的なプロモーションビデオも見どころだ。

 

オヨ
ソテジと子供たちのオリジナルと大きく変わった点はない。 サウンドが更に洗練されたということ以外には曲の構成も、全般的な雰囲気も似ている。 原曲が大衆音楽史における記念碑的な曲と評価されていた最も大きな理由はこの曲が発表された時期が1995年という点、その前までは韓国で知られていなかったギャングスタ・ラップというジャンルをほぼ最初に発表したからだ。 しかし、2017年にこのリメイク曲が持つ価値と意味は果たして何なのか、すぐに把握するのは容易ではない。


シウミン&マーク「Young&Free」
2017年7月7日

 

ランディ
久しぶりの正規アルバムカムバックと、NCTそして「雪だるまプロジェクト」などで目が回るほど忙しいEXOのシウミンとNCTのマーク二人が出会ったSMステーション企画。 90年代感を出すピアノを全体的に敷いて後半に行くほどフューチャーベースが入ってくる構成である。軽く聴けるのが長所であり短所だと言えるだろう。多少聴いた後、「Young&Free」するだけで、「Wild」の面がなく軽く仕上げられているのが少し寂しくもある。

 

シムデャン
SMステーションシーズン2はシーズン1よりプッシュが少ないが、着実に良いコンテンツを示している。 SMアーティスト同士のコラボでこんなにさわやかなトラックが出てきたことがうれしい。これまでグループに合わせて自分の色を中和させてきたアイドルグループのメンバーたちに個性を生かす機会を与えることも、SMステーションの企画の一部である。非日常を扱っている「Young&Free」は、のびのび澄んだシウミンとマークの組み合わせによって自然に笑顔にさせてくれる。年の差を感じさせず肩に力が入ってもいない。余裕のある軽く踏み出す足取りは、散歩よりも遠くに向かっていく旅を描くようだ。似ているイメージのふたりのアーティストが作ったシナジーと、コラボを提案したデビュー6年目シウミンのプロデューサー的感覚を確認することができる。

 

オヨ
「90年代的な雰囲気のレトロなピアノ演奏とモダンなフューチャーベースサウンド」と自信満々に導入したときから、一体どのような結果が出るのか疑問だった。レトロとフューチャーベースはいくら考えても上手く調和しなさそうであるし(フューチャーファンクならまだしもだが)当然のことながら中途半端なトラックになってしまった。特にサビの部分に至っては到底フューチャーベースとみなす事はできないレベルで数多くの電子音とボーカルなどが濁ってしまい、退屈なことこの上ない。

 

ヘムチョワ
曲自体よりメンバーの組み合わせの特別さが先に目をひくユニットである。何よりも二人のメンバーが持つ長所と個性が何なのかをよく表わしてくれる曲だ。歌唱力ではなく涼やかな音色が最大の魅力であるシウミンと、マークのよどみなく滑らかでかつフレッシュさがにじみ出る声のラップが調和し、「Young&Free」というタイトルのように軽くて涼しいイメージをよく伝えている。 SMステーションの存在意義というのは、曲を発表する量よりも今回のように普段のグループ活動だけでは触れることができない意外性や新鮮さを伝える事が最も大きくないだろうか。


REDVELVET「The Red Summer」
2017年7月9日

 

ランディ
「Red Flavor」は今年の夏に出たトラックの中でも最も重いインパクトで夏と真っ向勝負している曲だ。 コードを移すことがほとんどないAメジャーの曲で、サビで始まる最初の6小節までAベースだけのリズムで通し、7番目の小節で初めて登場するコードワークがF#m-E-D-Aという超シンプルな進行だ。 このような粗々しさが声を握りしめるようなREDVELVETのボーカル処理、そしてコード変化の直前に登場しはじめるハーモニーと交わって破壊力を持つ。 しかし、以前までのREDVELVETの夏とは清涼さの中にも若干の奇怪さを混ぜて冷ややかな魅力を披露する面があったことを記憶しているために、このような露骨なサマーソングはREDVELVETらしくないと思うファンたちもいそうだ。SMのA&Rは、この歌がREDVELVETの代表曲になっても本当に大丈夫なのか? いい曲だが、結構重大な方向転換のようで本音が気になる。

 

微妙(今回の推薦作)
かわいくて突拍子もなく、さわやかで騒々しく騒ぎながら、顎の下で手をひらひらとさせるような外見だが、じっと聞いているととても扇動的でカリスマのある曲が「Red Flavor」だ。 RV特有のコマーシャルソングな雰囲気の中で、「私が一番好きなのは」と宣言する瞬間はほとんど威風堂々としなければならないほどだ。 前作の片隅で胸がきゅんとするような感性を描いたエレクトロ・ポップの基調は、ダンスミュージック伝統のクリシェをぐいぐい集めてくる「You Better Know」を通じて今回は2番目のトラックでより華やかで自信あふれる様子で表されている。低い声と空間感覚の大きなハーモニーが、余裕はあるがキュルキュルと廻っていくフィルムのようにスピーディーな「夏の光」も印象的だ。 このようなトラックが意味するところは、「The Red Summer」がただかわいくて生き生きとしたガールズグループREDVELVETのサマースペシャルアルバムである事にとどまらず、「少女的」な外観の中でより堂々として強烈なパフォーマーとしての成熟を図っているということだ。

 

シムデャン
SNSで「REDVELVETにだまされて夏を好きになってはいけない」という笑い話が出るほど、「The Red Summer」は夏の浪漫的かつ光る部分だけを選別して留めておいた、魅力的なアルバムだ。 しかし、これはREDVELVETの夏なのだろうか? それともSMが描きたい夏なのか?確信できない。 確実なのは多彩なリズムに輝くSMの包装紙の中でREDVELVETが頭角を表しているという事実だ。 必聴トラックは「Zoo」と「海が聞こえて」だ。 前者は果物の味のREDVELVETではなく熱帯雨林の中の彼女たちを発見することができる。 不慣れな空間の中で会った愛を原初的な感覚で表現している。「海が聞こえて」は暑い風が過ぎ去った夜の海を歩きながら、ゆらゆらと足を濡らす波のように揺れる感情を歌う語り手が見える。REDVELVETが聞かせる静かなロマンスが好きならお勧めだ。ガールズグループが見せられる最も鮮やかで美しい夏の一切れ。このアルバムと一緒になら、暑い夏に耐えることができそうだ。

 

オヨ
「Red Flavor」は「もはや夏といえばREDVELVETだ」と宣言するような、非常に意欲溢れるトラックだ。 確実なリズムを柱にベースをブーストして最後まで爽やかに伸びていく。 アルバムの収録曲も遵守しているが、確実に「Red Flavor」ほどの疾走感とスリルはプレゼンしていない。(ひょっとするとこれが収録曲の美徳かも知れないが)

 

ヘムチュワ(今回の推薦作)
「Red Flavor」はティーザーの時から現れたヴィヴィッドな色感と熱帯風のイメージからデビュー曲「Happiness」を連想させたかったのだろうが、曲の雰囲気も同様に従来の活動曲の中でこれと最も類似した印象を与える。 休む間もなくよく弾みながら繰り返される伴奏の上にファンファーレのように響く五人のハーモニーは、メドレーソングのように曲の余白を切断せずに詰め込み、後半部に涼しげに伸びていくウェンディの高音は単なる技術としての歌唱力だけでなく、スラスラと書いて下がっていく歌の上に申し分なく適切に割り振られていく感嘆符のようだ。 少女時代の「Party」やf(x)の「Hot Summer」に続くSMガールズグループの夏のシーズンソングリストに入れるのに遜色はないし、今後REDVELVETが新興の夏音源の強者に位置づけられることもあり得るという期待さえ抱くように作られた曲だ。

 

2017.07.11~07.20


ZICO「Television」
2017年7月12日

 

シムデャン
自意識が強くきらきらと光っている。 アーティストが自分だけの世界を見せてくれる時、しばしばリスナーを疎外することがあるが、ZICOの音楽はリスナーが考える隙を与えず、自分の世界をまっしぐらに収めている。 彼の特徴といえば、他人に向かう棘を自分に向かって回すかのように見せる強度の高い自我省察だ。 溌剌とした「Artist」よりは、彼の自我がそのまま現われている「天才」と「ANTI」の方がもっと濃く残るのはなぜだろうか?自分の才能が長く続かないのではないかと不安そうな姿が、悪童のように見える彼の本当の姿なのかを見たかったのだ。内面の不安さえも音楽で流麗に磨く彼の多様な顔を見たい。 自分の話をする20代、その中でこのように率直な語り手は稀な存在だからだ。

 


EXO「The War」
2017年7月18日

 

キムユンハ
恐ろしいアルバム販売量に包まれているが、事実EXOはまるで毎月スローガンを変えるかのように毎年音楽的方向性を変えてきた。 2015年「Call Me Baby」「Love Me Right」ではグルーヴィなファンキーナンバーを、2016年には「Monster」と「Lotto」で変形のネオ−SMPを披露した彼らは2017年「Ko Ko Bop」を選択した。 レゲエサウンドをチルアウト風にきれいにブランディングした歌は、これまで比較的安全な道を歩んできたグループの歴史を考慮すればかなり思い切った行動のように見える。 ややもすればつまづきかねない状況で、Underdogs・LDN Noise・Kenzieなど見慣れた名前といつのまにか活動5年目に入ったメンバーたちの熟練度がバランスを保つ。 タイトル曲を除けば多少慣れた収録曲の面々で、長期間業界のトップを享受している彼らの余裕が自然ににじみ出ている。 「The War」いう好戦的なタイトルをつけた理由が疑わしいほどだ。

 

ランディ
EXOが久しぶりにまとめた正規アルバムのタイトル曲「Ko Ko Bop」は熾烈な夏ダンスチャートにおいて、驚いたことに少しも急ぐことはないというように、リズムからしてハウスでもダンスホールでもなく本当にそのままレゲエをベースにしている。こんなにchillingしている歌は予想できなかったので1回驚いて、そんな歌ですらチャートの頂上に乗せてしまうグループとファンダムの効力にもう一回驚く。 中堅グループとして熾烈な雰囲気は後輩たちに譲って、余裕で満たすという企画はでないかと推測する。 全体的に溢れないながらも蒸し暑く、昨年から続いてきた夏の音楽トレンドをよく反映したアルバムだ。 タイトル曲よりは少し涼しくて爽やかな歌を聞きたい人は「What U do?」を聞いてみよう。

 

微妙(今回の推薦作)
SMが夏のシーズンを迎え、しきりに非正規作品のふりをしながら真剣にリリースしている。 ゆったりしているようだがかなり気合が入ったアルバムで、特にEXOのアイデンティティに対する悩みがうかがえる。 アルバム全体を貫いている夢想的な空間感と非現実的な種類の暗く重いビート、そしてボーカルの歌声に華やかな光沢を出す手法は組み合わせるとEXOのシグネチャーといってよいだろう。それはEXOが今掲げられる強力なカードである「イケてる感じ」を作り出す公式でもある。 また、企画方式やグループのギミック、ファンの傾向とも緊密につながったもので、めったな事で変えるのも難しい性質のものだ。 刺激的なサウンドや見慣れない選択で力を推し進める「Ko Ko Bop」のほかにも、「Love Me Right」などで見せた明るい華やかささえも今回のアルバムの公式に駆使できるという証明のような「What U do?」、刺激的なサウンドとドラマチックな展開の「Chill」と「Going Crazy」などが重厚な足どりに感じられる。

 

シムデャン(今回の推薦作)
トラック構成がきれいにうまく抜けている遵守したアルバムだ。 EXOだけのカラーが明確に感じられるアルバムであるため、単一の音源を聞くよりはアルバム全曲を聞くことをお勧めする。 今回のアルバムではEXOの潜在能力を考察することができる。 チェンとベクヒョン、チャニョルが作詞に直接参加し、「EXOが解釈するEXO」というカラーが追加された。 メンバーたちのスキルも全体的に向上して彼らが解釈できる感情の深さがさらに深まった。 今回に目立つボーカルはチャニョルとカイだ。チャニョルのハスキーな声は、正確になった発音と自然な呼吸でメッセージをはっきり伝える。 「Forever」や彼が作詞とラップメイキングに参加した「Chill」などで曲に自然に溶け込んでしまう彼のボーカルを探すことができるだろう。 カイはグループのカラーを最もよく見せてくれているセンターだが、ラップとボーカルを消化できるメンバーでもある。 「Touch It」でムードを主導する彼のボーカルを聞いてみると、ソロとしての可能性を占ってみることもできるだろう。 まだ見いだせる事が多い5年目のグループだ。 今EXOが証明しているのは、健在力よりは彼ら自身の力量であろう。

 


K.A.R.D「Hola Hola」
2017年7月19日

 

キムユンハ(今回の推薦作)
リメイク曲を含めた計6曲の収録曲のうち、3曲が既発表曲だ。 常識的に考えると聞く前からすでに少し飽きているのではないかと思うが、それは間違っている。KARDの熱帯ドラッグパーティーはたとえそれがすでに慣れたラインナップだとしても、私たちを決して失望させない。「Oh NaNa」以降「Hola Hola」に至るまで少しずつ下落している底力が残念だが、すべての曲を集めて聞く楽しさだけでもこのアルバムの価値は十分だ。 頭上に果てしない疑問符を浮かべるように作ったリメイク曲「私は止まらない」の目新しさと、90年代的な浮かれた雰囲気の定型を代入した最後の曲「Living Good」まで適度にスキャンダラスで、2017年のひと夏のアバンチュール的な1枚として遜色がない。

 

ランディ
KPOPのダークホースKARDがついに正式デビューを成し遂げた。 南米でとくに熱い反応を得たグループであるだけに、正式デビュー曲である「Hola Hola」では南米を意識したタイトルと歌詞であることが明らかになっている。 曲を重ねて発売するほど、メロディーに更にインターナショナルなトロピカル・トレンドを取り入れており洗練された感じもあるが、デビュー曲だった「Oh NaNa」のメロディーを記憶する立場としてはやや残念だ。「Oh NaNa」があまりにも、メロディーには韓国の歌謡曲的な通俗性が生きていながらも、夏の雰囲気のシンセサイザーとハウスビートを適度に取り入れた素敵な曲だったからだ。

 

ヘムチュワ
興味深い3曲のプレデビュー過程と正式デビュー前に北南米をはじめとする海外ツアーという前代未聞のキャリアを経て、ついにミニアルバムを発売したKARDの「Hola Hola」。「Oh Nana」や「Don't Recall」で見せてくれた冷たくて敏感なイメージを少し取り出し、真夏に似合うサウンドに軽くて楽しい雰囲気を倍増させてより容易に大衆にアピールできるイメージの正式デビュー曲だ。 その昔DSPの大先輩格グループだったZAMの「私は止まらない」がリメイクされて運ばれているが、とても現代的に再解釈しようとして残りの原曲が持っていたエッセンスを揮発させてしまったという残念な結果の印象をぬぐえない。 最後のトラック「Living Good」はデビューの喜びとこれまでの感想を描いたような曲だが、やや私的な歌詞であるにもかかわらず曲のクオリティは通常の曲に劣らずしっかりしているので、KARDに関心があるなら聴いてみて欲しい。

 


AKMU「Summer Episode」
2017年7月20日

 

シムデャン
頭の中だけで考えていたような些細な話を魅力的な音楽で聞かせる楽(悪)童ミュージシャンが、2つの視線を持ってカムバックした。 「My Darling」が我々の知っていた楽童ミュージシャンだとしたら、「Dinosaur」はタイトルのように想像できなかった楽童ミュージシャンである。 幼いときの夢の中で恐竜を見たあの時の衝撃は、楽童ミュージシャンが従来持っていたアコースティックさと日常の中で見出した才気溌剌とした歌詞、暖かいボーカルトーンと透明なEDMサウンドとの出会いで連結されて、新鮮さを醸し出している。 「思春期」以降の楽童ミュージシャンは「歌詞はあっさりと、音楽はスペシャルに」見せようとしている。 彼らの鋭敏な感覚が新たなジャンルに出会った時、どのような新たな足し算の答えが出てくるのか楽しみだ。

 

ヘムチュワ
「Dinosaur」は幼年時代のある種の事件に対する記憶を基にした、あるトラウマを恐竜に喩えたような歌詞が印象的な歌だ。 誰でも経験したことのある、幼い時代の自分だけの暗い経験に対する隠喩と見てもいいが、楽童ミュージシャンはこのシンプルな歌1曲でその記憶を振り返るように作っている。レビューを行う立場では無責任な言葉かもしれないが、楽童ミュージシャンの歌を聴いているといつも「どうでもいいや」という気持ちになる。長所も短所をあえて指摘したくなくなるように、聴く人を怠けさせるようにする力があるというか。 楽童ミュージシャンの歌詞の中の世界が「成長しない」という批判をする人もいるが、彼らの音楽世界は幼年あるいは思春期にとどまっているというよりは、その時代の大切な感情を忘れないように必死に記録しておく過程なのかもしれない。

 


SNUPER「流星」
2017年7月20日

 

 微妙(聴き逃せないアルバム)
前作「Back:Hug」のパロディー〜トロピカルのリパッケージから進化したと言うべきだろうか。 ジャンルで非常によく耳につく音数曲分を一ヵ所に集めて注いだ感じだ。きれいだが平凡なpluck(つかみ)を中心に、それぞれ少しずつ異なる位置で高音域が刺す音たちが塊を成す。 その質感が非常にフェティッシュな煌めくあかりを作り出して、夢想的な空間を素敵に繰り広げる。 緊張の構造は地道に確実に踏んでいき、リフレインとポストコーラスはきれいに疾走している。 この辺で何か付け加えたくなりそうなものだが、ボーカルをオクターブで無駄なく積み上げていくあたりもセンスがある。 このくらいなら適当に長くして出すことが多いのに、情け容赦なく短く簡潔に切って出してしまうSweetune特有のメロディ感覚は、Sweetune最高のメロディーと言うわけではないがきれいで愛着がわくし、同時に意外にあっさりと耳に絡みつく。 負担にならず、優雅ながらも歌謡曲の魅力も逃していない立派なポップソングだ。

 


2017.07.21~07.31

 

イム・ヒョンシク「Piece of BTOB Vol.4 Swimming」
2017年7月24日

 

ランディ(聴き逃せないアルバム)
メンバーの楽器演奏やジャムセッションの映像がよくバイラルに乗っているのを見ると、BTOBは確かにいわゆる「音楽性の良いグループ」としてsellingしていると言うことができるが、グループ活動としてシングルカットする曲では彼らの趣向が何なのか、どんな世界を表現しようとしているのかは全くわからなかった。 各メンバーが連続的にソロシングルを出すこのプロジェクトで、「そうか、BTOBの中にこのような音楽があったのか」というような事を初めて推し量ることができる。 これは事務所が、あまりにも長い時間彼らの能力値と表現力をしまいこんでいたのではないかと疑わしい部分でもあって、このように会えて嬉しいことでもある。 2000年代の韓国歌謡界でモダンロックという名でたくさん聞くことのできたサウンドを、更に使うことのできる技巧を思い切って削除して断定的に描いた。 作詞、作曲だけでなく編曲とカバーアートにも参加したというのを見ると、イムヒョンシク本人も今回の機会に真心をたくさん入れたかったようだ。

 

チョソンミン(聴き逃せないアルバム)
おそらく、イムヒョンシクが聞いて育った90年代末~2000年代初めのインディーズ・ロックバンドのサウンドが影響しているようだ。 古風なサウンドに比べてイムヒョンシクのボーカルが非常に洗練されているが、似合わないようでいてよく合っていて、ややもすればあまりにもマイナーに聞こえる可能性もあった曲のジャンルを「KPOP」の中にドラッグ&ドロップする役割までしている。 意外な才能の発見。


NU'EST W「If You」
2017年7月25日

 

微妙
NU'ESTは何と言っても音楽はいつも良かったし、それもかなり力が入っている方だった。 一種の番外作なわけだが、力はかなり減らしたシングルだ。 生活感のあるナチュラル系統のサウンドと地道なビートは特に、最近のタイトル曲を思えば全くゆっくり聞こえる。 (もちろんいろんな文脈で切実に聞こえてくる歌詞の内容はまた別だ)だからと言ってNU'ESTのディスコグラフィーを害するほど「腑抜けた」トラックではない。 歌声を多く活用するメロディーラインと少々重いラップがペアを遂げたことで、セクションとセクションに対照感を付与して耳元を刺激する質感のディテールがただソフトなばかりではない雰囲気を造成する。 伝えたい話を中心に構成されたような、若干ミュージカルのように感じられる時間感覚も退屈を減らしている。 「プロデュース101」と相まって前作が見直されたりもした時点で、「見ろ、NU'ESTはこのようなことをするグループだ!!」というような恐ろしいトラックを流して欲しい気持ちもなくはないが、少しは息を整えていくことも悪くはないようだ。

 


DREAMCATCHER「Prequel」
2017年7月27日

 

チョソンミン(今回の推薦作)
彼女たちをあだ名で「へジャチング」(ブラックGFRIEND)と呼ぶという言葉を聞いた事を後になって度々思い出してしまう。JPOPアイドルのメタル音楽に極東地域の感性を刺激するマイナーコードのメロディー、そして少女性を存分に浮き彫りにした演出は確かにGFRIENDと共有するものであるが、ここにホラー映画のフィルターを装着すれば、まさにDREAMCATCHERになる。 明らかに目新しくはないのに、とても新鮮なこの組み合わせをさらにアルバム単位、ディスコグラフィー単位で粘り強く押していく。 一度や二度のイシューメイキングではなく、グループの色で固めていく過程は確かに注目される必要がある。 少女が愛されることを望むという、確かにエンタメの定型だがなんとなく受けたくなかった命題を「少女は愛されることを望んだ」に変えて新鮮なストーリーにし、ただジャンルのビートだけでメジャーなスタイルに反論した。明らかに興味深い点があるグループだ。もっと注されるべきだろう。

 


MXM(BrandNew Boys)「Good Day」
2017年7月27日

 

微妙
伸びやかで優しい質感が打撃感の良いビートと結合してさわやかな雰囲気を醸成するのはメリットだろう。ヒップホップシーンにおいて「大衆的なアプローチ」をするときの表現に近いしなやかさを作品の中心に置いて適当な引用句を持って入って来て、支離滅裂な曲になる準備を整えているが、微妙な限り点の差で罠をすり抜けて行く。古典的に聞こえてくる程度のヴァース〜コーラス構造を固持しながらもKPOP的なドラマチックさよりは気楽に流れ行く雰囲気を選択したが、一見(アイドルとして)新鮮なアプローチのように感じられたりして、その一方で「そこまでする理由があるのだろうか」という疑問が残ったりもする。エンジンをかけている段階であり「強烈な刺激」を与えるというよりは設定集を広げているような印象に近いのに、興味深く見守るしかないようだ。

 

チョソンミン(聴き逃せないアルバム)
BrandNewMusicというレーベルに対する期待を裏切らないシングル。SEVENTEEN・INFINITE H・MONSTA X・イェジ(FIESTAR)など様々なアイドルと協業してきたノウハウが集約されているという印象を与える。 練習生から脱したばかりのまだ下手なメンバーたちをよく作られた曲がとても立派にカバーしているが、不足な部分を隠すことばかりに汲々とした演出というよりは、不足な部分が赤裸々にさらされないように気を使ってスタイリングしてくれたという感じだ。「プロデュース101」初回から今まで見せてくれたBrandNewMusicの賢さに注目するようになる。

 


JJプロジェクト「Verse 2」
2017年7月31日

 

微妙(今回の推薦作)
思ったより淡々として上品なアルバムというのが第一印象だ。 荒々しく少々変則的で華やかだった、2012年の最初のシングルとは全く異なる色彩だ。 時には悲哀を、時には希望を語るミニ・アルバムはR&Bの話法だが、少なからぬプレイングタイムにモダンロックの香とヒップホップのビート感を加味しつつ、思索的でありながら堂々とした空気の中で独特なメランコリーを形成する。 アンドリューチェ、Def soul、Royal Diveが一緒に作業した「Icarus」と「Find You」は叙情の中に強固になった自分を維持してわりとスケールを大きく作り出す方法論が、多分このEPの表情を代弁しているのだろう。この中で最も「JYPっぽい」タイトル曲「明日、今日」のメロディーがむずむずするようで親しみやすく近づいてきて、最も弱い感性的な「Do not Wanna Know」も滑らかで叙情的に仕上げている。あたたかく力のある2人のメンバーのボーカルも魅力的に適時適所で明確に姿を現す。 「大人っぽいKPOP」の例を探すとしたら非常に高い順番に挙げられる、ジャンルのミクスチュアを洗練させて出した豊かで優雅なポップスだ。

 


ヨングク&シヒョン「the.the.the」
2017年7月31日

 

ヘムチュワ(聴き逃せないアルバム)
国内ではあまり見かけない「病弱/無気力美少年」イメージの2人のメンバーのグループソングも、そのようなキャラクターにふさわしくよく作られたという印象を与えるが、感情が高まってビートがある程度速くなり、曲が絶頂に向かう瞬間再び力を抜いて絶妙に恋の駆け引きをする構造が新鮮に感じられる。 全体的に暗くてクールなトーンで演出されたミュージックビデオと、常に体を動かしながらも静的に見えるように組まれた振りつけまで、皆がEnergeticに走る時はちょっと脱力したコンセプトも目を引く戦略の一つなんだと、改めて考えさせる企画だ。

 

《おまけ》
http://idology.kr/8938

 

iKON「NEW KIDS:BEGIN」
2017年5月22日

 

ランディ
「Bling Bling」とともにシングルカットされた「B-Day」は同じshow off swagでもこちらの歌の方がはるかに愉快だ。 「蜂の群れ(ボルテ)」と「birthday」の言葉遊びが継続して交差する中、「Bling Bling」のように女性をトロフィー程度に扱う部分もなく、終始楽しい雰囲気だ。 マイナー曲の合間にわざと入れたメジャーコードが冒険家的な雰囲気を漂わせ、サビのリズムで狂ったように進んでいく時は本当に楽しくなる。 「Bling Bling」の第一印象は「光のWINNER・闇のiKON」のようなコンセプトを意識したのかなと思ったが、「B-Day」を聞くとそのような区分は敢えて必要ないだろうという気がする。

 

オヨ
「Bling Bling」と「B–Day」を並べて見れば、きっちり「B–Day」の方がましだ。 「Bling Bling」は陳腐な自己誇示がすべての通俗的なヒップホップトラックに過ぎない反面、「B–Day」は少なくともそれよりはもっと多彩な音を追求しているという点でそうだと言える。ビートは平凡な方であるし、「さあ、ここから落ちていくぞ」と叫ぶようなビルドアップもないが、ハーモニーと声を築いて十分な上昇感を確保している。


ヘムチュワ
SMエンターテインメントにSMPがあるようにYGに「YGP」があるとしたら、iKONは現在、YGPの直系の継承者である。「RHYTHM TA」から「Bling Bling」と「B-Day」までiKONのメインテーマは「偉そうな(swag)自分」と「よく遊んでいる自分」の二つに集約されているとしても過言ではないだろう。 繰り返されるテーマに「若さのエネルギーを表現する方法がこれしかないのかなあ」というような残念な気持ちもあったが、気にせずに突き進んだ一貫性に、いつの間に納得できるようになる力がある。 何よりも歌が陽気という点がiKONの最も大きな武器だ。楽しさというのはJINUSEAN、1TYMを過ぎ、BIGBANGを経て続いてきたYGPの核心キーワードだ。 両曲だけでは空白期の間に起こったこれらの渇きをすべて満たすのにほんの少し足りないということが残念なばかりだ。

 

SEVENTEEN「Al1」
2017年5月22日

 

ランディ
活動曲ではいつも告白ソングを歌っていたSEVENTEENが初めて別れの歌をシングルカットした。 礼儀とウィットのきいた振り付けの構成が「最近のEDMスタイル」の曲に洗練されたようのよく移植されていた。 以前は動線を才気煥発に織りなすのが目立つ要素だったとするなら、今回の曲のステージはメンバーごとに各自の空間を置いて一定の間隔で踊るのが、大人数でありながら欠点なく一糸乱れず独特の美感をプレゼンする。 一つ致命的な問題は、この「最近のEDM」スタイルということを意識しすぎて、同時代に存在する人気のEDMソングと過度に似た印象を与えるということだ。 トレーシングと同じような部分はないが、よりによってこのような拡張する感じのビートによりによってこのようなメロディーをのせて(本意なのかどうかはさておき)似たような効果を得ている曲になってしまったのか、この点がかなり気になる。 よい振り付けパフォーマンスが添えられて「プラスアルファ」になったので、見過ごさなければならない問題なのかな?


微妙
昨年末からSEVENTEENを眺める温度差の核心は、「爽やかさ」よりは「型破りな感じ」にあるようだ。「ADORE U」や「MANSAE」は爽やかさが目立ったりもしつつまた型破るな曲だったが、その破格の方向が変わり、生じる感覚の違いがあるようだ。 今のSEVENTEENはより伝統的な歌謡の美学に混種を加えて新たなものにチェンジして出すいわゆる「異種歌謡」を追求する過程にあると考える。 それが比較的長い将来を眺めた時の道でもあろうが、同時に衰退した感じを与えないことは決して容易なタスクではないはずだ。 そのような意味で、収録曲の「態度」の目が行く。 「If I」は(いくつかのソースがちょっとショボく聞こえたのが残念ですが)ミュートギターとパッドなどがいっぱいに暗く重さを握っている中、流麗なR&Bが流れるのが魅力的だ。 ディープハウスで大人びたグルーヴを抽出する「Swimming Fool」、気品が目立つ「Habit」も注目に値する。


パクヒア
タイトル曲「泣きたくない」はウジがこれからもずっと注目に値するソングメーカーであるということを宣言するような曲だ。 導入から最後まで全般的に抑えたメロディと流れを構成して、単純なリフレイン「泣きたくない」に全力を吹き込んだ。 むやみに特定のパートや特定のメンバーのサウンドを育てて殺すような流れを構想してできることではない。 パフォーマンスとファンドムまでを考慮するアイドル音楽でこれが可能にするためには、メンバーたちの特徴を詳しく分析してそれをどのようにして一曲に盛り込むか、細やかに分析しなければならない。 ウジはそこに確かに多くの力を注いでいるだろう。 ただ、リフレインの一行に向けてあまりにも多くの部分で気力を削ぎ落としたという印象もある。 同じ文脈で言えば、複雑だった音楽の構造が単純になってメンバーひとりひとりに対する注目度は相対的に落ちる。 おかげで統一感は完璧に伝達されるというメリットはある。 多分アルバムのタイトル「Al1」の本当のメッセージもここにあるのだろう。


オヨ
ウジは良いソングライターだということを「泣きたくない」を聞いてふたたび確信するようになった。「泣きたくない」という歌詞だけが繰り返されるリフレインがややもすると単調に聞こえることもあり、クライマックス部分に予想を破ってラップを配置したセンスで「やはり普通ではない」という気がした。 惜しいのは声を後押しする音たちがやや陳腐という点だ。 さらに果敢に楽器音を使えたらどうだったろうかと、悔しさが非常に大きく残る。


ヘムチュワ
「泣きたくない」は「ADORE U」や「イェップダ」と同じような歌を歌っていたSEVENTEENに慣れた人々にとっては不慣れに感じられる歌で、タイトル曲では初めて別れを描いた歌詞から変化の試みが感じられる。 収録曲全般でも以前よりは落ち着いて沈んだようなイメージが共通でありながら、曲ごとに個性がはっきりしている。 ただし、以前のアルバムと比較すると、新しい試みをする過程でアルバムを一つにまとめることできる求心点がやや薄れた印象もある。 大衆が見慣れたSEVENTEEN、ファンが好きなSEVENTEEN、そして自分たちが望むSEVENTEENのイメージの間で方向性に対する悩みが感じられる、一旦跳躍に向けて模索する過渡期的アルバムかもしれない。

 

 

【ize訳】WANNA ONEの新曲について語る

【ize訳】WANNA ONEの新曲について語る

 

2017.11.20
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017111923077290439&pDepth1=i2301


ボーイズグループWANNA ONEは、何の歌を歌っても各種のチャート1位になる事が当然だった。 そして同アルバムの「1-1=0(NOTHING WITHOUT YOU)」は予想通りの成功を収めた。 誰もが成功を予測できる状況でWANNA ONEの製作会社であるCJ E&Mミュージックは何を出して、どのような反応を期待したのだろう。 同アルバムのタイトル曲「Beautiful」を中心にWANNA ONEの音楽やダンス、衣装、映像などをそれぞれ異なる視線で見つめてみた。


WANNA ONE「Beautiful」のMovieバージョンのミュージックビデオ再生のボタンを押した後、たったの1秒も笑いを我慢できなかった。 中盤で誰かのボクシングコーチと推定される人物が「一体何をしている奴らなんだ!」とカッとする場面が出た時はほぼ失神するところだった。 本当に見ている間、一体何をしている奴なのか分からなかったからだ。 しかし、このビデオが行う機能は非常に明瞭だ。 メンバー間の分量の格差がかなりある理由が知りたいが、とにかくカンダニエルがボクシングをしバイクに乗って、オンソンウが柔道をして、ファンミンヒョンが警察の制服を着ている。 国民プロデューサーの選択で結成されたアイドルグループなので、プロデューサーたちの要請が高かったシーンを先に構想して残りを埋めたんじゃないかと思われるほどファンサービスに忠実だ。前述のシーンを通して語る物語は多分、どんなことでもかまわなかったのだ。 しかし、このプロモーションビデオが選択したのは、IMF(訳注:通貨危機)の時期に悲劇的に別れた兄弟がまた再会し、9人の他の孤児院時代の友人と家族になるというストーリーだ。 11人のWANNA ONEメンバー達が空の下、お互いだけを頼るしかないという強力な設定であることは間違いないが、必ずそうしなきゃいけないものなのかはよく分からない。 映像は全体的に90年代を献呈する一種の時代劇のように見える。 青年の登場人物たちの間で引き続き繰り返される不安と悲劇、バッカスの青春キャンペーンや映画「ビート」を連想させる、「善良だが、外部の環境によってさまよい互いに頼りあう兄弟たちの姿」はほとんどウォンカーウァイの初期作で見られるような技法で撮影された。 そのためか、平均年齢21歳のアイドルグループが2017年に発表したMVとしては少し古くさいように感じたりもする。 隠喩的なイメージが繰り返される現在のK-POPミュージックビデオの間での差別化をはかるのが意図だとしたら、目立つことは目立つが新しく新鮮には感じない。 制作会社側でこのプロモーションビデオのリリース時に一緒に掲載したコピーは「ひとつになる前の、僕たちの物語」だ。ひとつになる前までの結成過程が全国民のドラマだったトップアイドルWANNA ONEの2番目のアルバムにここまで過剰なストーリーが必要だった理由が何だったのかは、永遠に気になりそうだ。
ボクギル(コラムニスト)


WANNA ONEの「Beautiful」ミュージックビデオ(Movie ver.)は意図的に90年代の大学生・高校生スタイルを召喚している。 大学生スタイルを務めたオンソンウは、家でひとりで勉強をしても工事現場で労働をしてもシャツのボタンを首元まできっちりと閉めている。高校生スタイルはカンダニエル、パクジフン、ユンジソンが分担していたが、どういう理由だろうか、90年代のティーンファッションの核心だった床をすべて掃いてしまう勢いのヒップホップ・パンツは着ない。代わりにデニムジャケット・パンツ、ストライプ・Tシャツ、フードジップアップを活用して1997年に公開した映画「ビート」のチョンウソンファッションをほぼそのまま模写している。 オンソンウが整って清純な「教会のお兄さん」イメージを、カンダニエルなどが適度に反抗的な高校生のイメージを構築したのだろう。 WANNA ONEはこのようにして20〜30代、広くは40代の女性達に向かって強力な信号を送っている。青春の雰囲気、90年代のレトロ的な感性は表に出して、最大のファン層が負担に思う程の攻撃的なイメージはクリアしたという信号だ。 カンダニエル・パクジフン・オンソンウ・ファンミンヒョンを通じて、運動服と制服を着た男性に対する長年のファンタジーにまで触れながら。 かの有名なカンダニエルの「肩」を絶えず強調しつつ。「Beautiful」のスタイルコンセプトはしかし、コンテンツ供給者が消費者のレベルを飛び飛びに見た時に生じる不祥事とは何かを明確に示している。 まずこういう風な粗雑なストーリーテリングに感情移入するには20〜40代の女性消費者たちの目線が高すぎる。話の流れと関係なくタイムスリップするかのように右往左往する衣装配置のずさんさ、90年代のスタイルの中で最近の若者が着てもぎこちないことないアイテムを選んでいる安易さも彼らのファッション的感性を充足させるには不足している。WANNA ONEだから我慢してもらえるであろう清純な大学生のイメージも、バイクに乗って疾走する高校生のイメージもあまりにもあからさまだ。その時その時代を完璧に再現するか、そうでなければIUの「夜の手紙」のように、時代的背景が不明なスタイリングで昔の感性だけを少し借りるかだ。どちらも生かせなかった全体的な難局は、YouTube世代が望む感性爆撃に失敗するしかない。 まともな復古ファンタジーだったら歓呼してくれるファンがあふれただろうにという言葉に尽きる。
キムソンジュ(ライフスタイリスト)

 

「Beautiful」は「プロデュース101 2」の大きな成功、そして「Energetic 」や「Burn It Up」から完全に方向転換したように見える。 「勢い」そのものをコンセプトにしていた頃のWANNA ONE活動とは違う。 2000年代初頭風のミディアム・テンポ・バラードとレトロ風のスタイリング、「孤児院出身の少年たち」と「幼い時に別れて、また会った兄弟」のように陳腐な素材だけを集めて作ったドラマ仕立てのミュージックビデオのように、やや高い年齢層の大衆にも幅広く受け入れられるような要素を緩く合わせて出しただけだ。 「1-1=0」というアルバムのタイトル、「不完全な君と僕 美しいぼくたち」というティーザー、イメージ中のキャッチフレーズなどは、チームの一体感とメンバー間の切なさを強調しようとしつつ、実は別れと懐かしさに関した平凡な歌にもっともらしい説明をかぶせた結果に近い。 彼らは盛んに勢いよく活動しており、ファンや他のメンバー達との別れも経験しておらず、I.O.Iが「夕立」を歌った時のように活動終了に至ったこともまだない。 WANNA ONEというグループの特性とストーリーを全く考慮しないようなこのコンセプトは置いておいて、メンバーひとりひとりの消化能力を考えてみた方が意味があるのか? あえて言うなら、コンセプトと曲の情緒はすべてのメンバーが一緒には活動していない今のNU'ESTの方がもっと似合うだろうし、まさにその点で今回のアルバムとよく合うメンバーを挙げるなら、ファンミンヒョンくらいだ。 つまり、WANNA ONEのアルバムなのにWANNA ONEはどこに行ったのだろうか?
ファンヒョジン(コラムニスト)

 

秋だから秋に似合うポップスバラード曲を作って、他のボーイズグループより購買力の高い30〜40代のファンが多いので彼らが熱狂した映画「ビート」とウォンカーウァイの1990年代の映画スタイルをその時代のチョソンモのミュージックビデオのように編集する。 また、曲のイントロと抑えはセンターであるカンダニエルが務め、ミュージックビデオで彼に分量を重点的に置いてデビューアルバムでの分量議論に答えた。 WANNA ONEの新曲「Beautiful」はそんな風に市場の様々な要求を反映している。あらゆる映画のために様々な観客層の要求を分析して反映するCJ E&Mの映画と似た格好だ。 商業性を満足させるための戦略としては適切な答えを出したと言うこともできる。 しかし、WANNA ONEのデビュー曲「Energetic」がMnet「プロデュース101シーズン2」を通じて巨大な反応を得ながら始まったグループの勢いをそのままグループのイメージとして具体化していた反面、「Beautiful」はこの曲がWANNA ONEの魅力の何を表現しようとしたのかも曖昧だ。 聞きやすく流れていく曲であるため、メンバーたちのボーカルが持っているカラーがよく表れているわけでももなく、ミディアムテンポの曲にボーイズグループとしての群舞を入れたいと試みるもパートの動作がうまくつながらず、メンバーたちは各自のパートで群舞の中から抜け出してひとりで歌うことを繰り返す。 1節の「I miss you…(後略)」部分で、メンバーたちが優雅ながらも躍動的な群舞をする瞬間は神話が「T.O.P」で活動していた時代を一瞬連想させるほど印象的だが、無難に流れて行くメロディーの中で振付がこのエネルギーを維持することはできない。 リフレイン(サビ)の振り付けは、ハプニングに近い盗作問題よりもなぜ曲の最も重要な部分で遅いステップを踏むだけがすべての動作が入ったのかという事が本当の問題だろう。 無難な代わりに幅広い人気を狙った結果として出てきた無難な曲に、まともな流れを持った振付をつけることは難しく、その分舞台の上でメンバーひとりひとりの個性も息を吹き返すのは難しい。WANNA ONEが「プロデュース101シーズン2」を通じて作られたメンバー個々人の魅力がアイデンティティに他ならないグループという点を考慮すると、「Beautiful」は商業性に必要な要素を全て満足させたが、メンバーのキャラクターが成長したり実力をアピールする機会を失った。 莫大なファンドムを持ったグループなので、どうやっても今は良く見えることができる。 しかし、ステージの上でメンバーのキャラクターと成長を表現できないグループならば、そのグループのアイデンティティはどこで見つけなければならないのか。 結局、メンバー個々人の人気で「ハード・キャリー」することだけがこのチームの残りの答えなのだろうか。 他の多くの人々もも考えそうな簡単に出た答えは、一度くらいは疑ってみる必要があるだろう。
カンミョンソク(マガジンize」編集長)

 

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原文では「保育院」となっていてこれは韓国での「孤児院」の改称なんですが、日本語だとちょっと紛らわしいのでそのままにしました。「養護施設」にも色々ありますし、このMVのレトロコンセプトには孤児院があっている気がしたので。

 

デビューアルバムでの分量議論=デビュー曲のMVでのカンダニエルが写っている分量が、「1位でセンターなのに少ない」とファンから抗議があったことだと思います。

 

バッカスの青春」というフレーズ、韓国では青春ものの例えによく出てくるのですが、以前読んだ塩野七生さんの本に出てきたロレンツォ・イル・マニーフィコの「バッカスの歌」のフレーズの事でしょうか。

「青春とは、なんと美しいものか とはいえ、みるまに過ぎ去ってしまう 愉しみたい者、さあ、すぐに たしかな明日は、ないのだから」
(訳は塩野七生「わが友マキアヴェッリ」より)

 日本でも昔はよく使われた言い回しのようですが、最近は一般的にはあまりきかないような。韓国の人は詩が好きみたいなので、そういう影響もあるのかな?

 

しかし「ひとつになる前の、僕たちの物語」って前作のSEVENTEENのコンセプトみたいな笑 こういう暗めの青春映画ものっぽいMVって普通3年目くらいにやりがちっぽいですが、寿命の決まってる生き急いでるグループと考えたらデビュー作のリパケ(よく考えたら2番目のアルバムでもない)で出すのも特におかしくはないんじゃないかなと思いました。

 

文中の「ステージの上でメンバーのキャラクターと成長を表現できないグループならば、そのグループのアイデンティティはどこで見つけなければならないのか。」っていうのは個人的に他のいろんなグループについてもたまに考える事なんですが、でもぶっちゃけそれがバチっとハマってなかったりあやふやでコロコロ変わっても人気のあるアイドルグループも結構いるから!アーティストじゃなくてアイドルだからね!という結論に達します。

【ize訳】「MIXNINE」ヤンヒョンソクが考える成功

【ize訳】「MIXNINE」ヤンヒョンソクが考える成功

 

2017.11.15
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017111423547234731

 

「なぜ僕の心に引っかかる人が1人もいないのかな?理由を言ってみてください」
YGエンターテインメントのヤンヒョンソク代表がJTBC「MIXNINE」で言った言葉だ。 自らが製作するグループのメンバーを選ぶこのプログラムで、彼はオーディション参加者らに対して具体的な評価をしない。 ある出演者の踊りを見て「肩を使っていない」と言った程度だ。 「(グループ名が)ボーナスベイビーだからボーナスにして(合格させて)おきます」と言って合格させたり、実力以前に他のオーディション番組の経歴があるという理由で不合格にさせたりもする。 それでも彼は参加者に対して自分の気に入らない理由を言ってみろという。 説明はないのに評価は酷評なので、議論は避けられないことだったのかもしれない。この4日「MIXNINE」における参加者たちに対する毒舌は論争になり、ヤンヒョンソク代表は、ある参加者と再び会って激励する写真をインスタグラムに載せた。 しかし、おそらく彼の審査方式は大きくは変わらないだろう。 先立って言及したインスタグラムの掲示物に彼は次のようなハッシュタグを上げた。 「#関心があってこそ毒舌も可能」「#審査は冷静に」

 

SBS「KPOP STAR」で審査員をした時、彼は今のような毒舌をしなかった。 20代後半になった参加者に対して「引退する年なのに何をしていたんですか」とか、参加者が活動していたグループが崩壊したからといって「とにかくめちゃくちゃだな」というような罵詈雑言はしなかった。 理由は分からない。 ただ、彼は「KPOP STAR」より「MIXNINE」の方がやらなければならないことが多い。 「KPOP STAR」は優勝者が審査員たちのいる会社のうちひとつを選択することを除けば、審査員が参加者をキャスティングしなくてもよい。 ほとんどは1人または2人が一緒に出演し、アルバムを製作することになってもYGエンターテインメントのような会社に大きな負担になることはない。 一方、「MIXNINE」終了後にはアイドルグループを製作しなければならない。 アイドルグループはメンバー数だけでなく、多くの会社の売上において最大の部分を占める。 当然、競争と投資が伴う。 さらに、YGエンターテインメントからここ数年デビューさせたiKON・WINNER・BLACKPINKはBIGBANGや2NE1と同じ席に上っているとは言い難い。 「KPOP STAR」は放映期間中の視聴率が重要な芸能番組だったとしたら、「MIXNINE」はプログラムよりもグループを成功させることがより重要なオーディションを芸能プログラムとして作ったものに近い。

 

実際のオーディションで毒舌を飛ばす必要はない。 しかし、ヤンヒョンソク代表は先月まで20年以上「デビューの達人」だった。 初めて製作したグループだったキープシックスを除けば、デビュー当時から大きな注目を受けた。 WINNER・iKON・BLACKPINKもデビュー当時音源チャート1位を記録した。 「#関心があってこそ毒舌も可能」と「#審査は冷静に」は彼が自分の成功を可能にした基準の一つだろう。 会社の未来がかかった事業の開始点で、彼は自分の成功をもたらした方法を変えるつもりはなさそうだ。 「MIXNINE」でのヤンヒョンソク代表の毒舌は、どうして編集しないのか不思議に思ったほど深刻なレベルのものまで出たし、その結果視聴者たちの批判を受けた。 しかし、その時のヤンヒョンソク代表は毒舌を吐いた出演者を合格させたりする。 「#関心があってこそ毒舌も可能」と「#審査は冷静に」は「MIXNINE」の隠れたルールでもある。 ヤンヒョンソク代表は自分だけが知っている基準を押し付けて必要な参加者を選び出し、「MIXNINE」はそれが結局は良い結果に向けた選択だったことを証明しようとしている。 「MIXNINE」のハンドンチョルPDはやはり自分が演出したMnet「プロデュース101」でいわゆる「オグロ(釣り)」を切った後、参加者たちが結局これを克服したり認知度を得る結果になり、この編集が必要悪だったのだという説得をしたりした。

 

しかし、「プロデュース101」の「オグロ」は参加者のキャラクターや参加者たちの人間関係に関するものだった。 一方、「MIXNINE」の議論は視聴者投票前までのすべての権限を握った審査員であり、番組制作者から出ている。 すなわち制作するチームのためのオーディションを受ける過程で出る毒舌を演出者が編集せずに見せながら、視聴者たちは過去のサバイバルオーディションよりさらに赤裸々な芸能事務所のオーディション時の素顔を見た。 参加者の発展に向けた助言はほとんどなく、参加者は人身攻撃性の非難を聞いたりしなければならない。 そして「MIXNINE」の参加者たちは現在の所属事務所からデビューが困難であったり、デビューで失敗を味わっている。彼らにとってヤンヒョンソク代表は、所属ミュージシャンたちをすべて成功的にデビューさせたという事実だけでも絶対的な存在に近い。 甲と乙という表現だけでは不足するほど差がある審査者と参加者の関係で、参加者は何かをしなければならない。 大衆を楽しませるエンターテイメント業界の挑戦者たちが成功するためには、審査基準さえきちんと説明してくれない人の言葉を無条件に受け入れなければならないという状況が放送される。 そして彼と演出者は、全てこのことが成功のために必ず必要なプロセスだということを強調する。 本当に、成功するためにはこのような過程を経なければならないのか。 そして視聴者たちは敢えてそれを見ながら理解しなければならないのか。 このような状況で視聴者たちが感じる感情は怒り交じりの好奇心なのか、でなければ幻滅なのか。 それが「MIXNINE」に対する反応を決定するだろう。もちろん「MIXNINE」や、同プログラムを通じてデビューしたグループの成功はまた別の問題だ。 ヤンヒョンソク代表が今度も成功的なデビューを果たせることもあるだろう。ただひとつ疑問がある。その成功がここまで「ヤンヒョンソクのオーディション」を現してこそ成し遂げられることだとしたなら、その成功とは一体何なのだろう。 そしてその成功に同意する人たちはアイドルに一体何を、どこまで望むのか。

 

文 カンミョンソク
校正 キムヨンジン


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「MIXNINE」部分的な動画のみでまともに見てないんですが(サバイバルは後で一気見する派)過去のYGサバイバルでもヤンヒョンソクはかなり毒舌だったし特に具体的なアドバイスとか明確な基準もそんなに言ってなかったように思うので、基本変わってないと思うんですけど...KPOP STARの時は他の事務所の審査員もいたし、あの番組の参加者は専門的なトレーニングを積んだ事がない原石的な参加者も多かったので抑えてたのかなと思います。MIXNINE出場者は一応ほとんどがエンターテイメントのプロを目指して専門的な教育を受けてきた人たちなわけで、そうなると素人相手よりは厳しくならざるを得ないんじゃないでしょうか。でも今回の番組が今までのYGサバイバルと決定的に違う大きな点は、参加者がYGの教育を受けてきた子達ばかりではないという事だと思います。いわば「よその子」である他事務所の練習生や所属芸能人に対して自事務所の練習生達に対するのと全く同じ感じで評価するから批判が出たんじゃないかと思うんですが...前の記事の時にも書きましたが、特に既デビュー組のファンにとっては不快で当然というか。

 

でもこの評価って、練習生を通して各事務所の指導体制を反映してる面もあるわけで、出させたのも事務所でしょうし一番の悪人を探すとしたら結局各所属事務所なのではという...サバイバルの時の人気や注目を生かすも殺すも、最終的には所属事務所次第というのはもう結構はっきりしてきているように思いますし。大手事務所の権力には逆らえないのではと考える人もいるかと思いますが、CJ E&Mとは違ってYGは別にメディアを運営してるわけではないですから番組制作を始めたと言ってもTV局の協力がなければ何も出来ませんし、プデュと比較すれば圧的には大した事ないんじゃないのかな?(知らんけど)

 

「審査の基準が明確じゃない」と言っても世の中で「誰かに選ばれる」という場面でその基準が明確に示されることの方が少ないんじゃないんですかね...入試とか就職面接もそうだし。明確に合格基準が明らかになるのって国家試験とかTOEFLみたいな資格試験くらいじゃないのかな。それを考えるとエンタメや芸術の分野の現場で明確な良し悪しの基準などあるわけがないだろうという。結局ヤンサの基準なんてものも多分YG所属の子達も誰もわからないだろうし、シックスセンス的な部分が大きいんじゃないかと思わないでもないです。そして芸能の分野では最終的には案外そういう「説明できないもの」がポイントになったりするのかなとも。

【ize訳】MBCストライキ│①MBCの人々の語ること

【ize訳】MBCストライキ│①MBCの人々の語ること

 

2017.09.05
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017090420277266824&pDepth1=i2101


MBC労組は先月24〜29日にスト賛否投票を行い、93.2%を超える賛成でストライキを決定した。そしてこの4日、MBC労組は芸能、ドラマ、時事、報道、編成、経営、技術、映像美術などすべての分野で2012年にキム・ジェチョル社長退陣に向けた170日間のストの時よりももっと更に強力なストを開始する。 なぜ彼らはここまで強くストをし、現在役員の解任を含めてキムジャンギョム社長の退任を主張するのか、過去10数年間、各自の場所でMBCを作ってきた人々の生々しい声を聞いた。 また、先月28日からKBS記者500人余りが制作拒否に突入し、来る7日にゼネストを行う予定だ。 今のMBCの人々の声は、何故現在公営放送の関係者たちがストライキをしているのかについて例示の一つとなる。

 

入社したばかりの時に帰りたい。 元々バラエティ局は自由だった。 嫌なら嫌だともいいとも言えたし、PDたちによる自主性が与えられていた。今はそれが完全に崩れた。 私たちはマンパワーに自負心のある組織だった。 PDたちが部長や局長たちの言葉も聞かず、互いに競争したりもしていたが、それでも彼らがプログラムを十分に導いて行くことができる能力がある人たちだと認める雰囲気があった。 だからそれでも個人的に憎むのではなく、プログラムがうまくいってほしいという気持ちから意見が違って衝突するんだという雰囲気だったし、本当にたくさん喧嘩した。 今は会社の雰囲気が硬直してそのような雰囲気にはなれない。 放送環境が変わったことも影響がある。 しかし、2012年のスト以降に公開採用システムが崩壊し、15人程度が全員で突然どっと入ってきて歓迎会もできず、誰が誰なのかもわからない。自然と所属しているという気持ちも落ちたし、人々の間のネットワークも完全に途絶えており、そんな状態で入ってきた新人やキャリアは孤立した状態でOJT(On the Job Training =実務研修)もなく一人で勉強しなければならない。 以前は毎日夜を徹して、週末に一日休んでも次の日になれば会社に行きたくなった。しかし今、バラエティ局は完全に味のない職場になってしまった。
マイリトルTV」イジェソクPD

 

キャリア職で入ってきた人の中で公正な放送に対する考えがある友人も、労組に加入すればこのような不利益を受けると思って労組に加入しなかった。 契約社員として入ってきてキャリア職になり、労組に真っ先に加入をしたが、製作PDを手本に主調整室(放送送出をするところ)に行くことになった。 2012年にストをしながら私が先輩に聞いた言葉の中で最も印象深かったのは、ノムヒョン政権のときにもFTA(韓米貿易自由協定)問題に対してMBCは目の敵のようにしていたという事だ。ところが、故ノムヒョン前大統領の時はFTA反対の内容を放送した後にMBCに対して「討論をしたい」と連絡があったという。 こうだったりああだったりという理由があるのでFTAは挙国的にやれば国力が良くなると言い、説明と対話をしたいと言ったのがノムヒョン大統領だった。 イミョンバク・パククネ元大統領の時はデスクを刺激し、担当PDへ不当な電報が送られた。 放送局はもともと放送して議論になっていることについて話をできるようにするところではないか。 MBCはいつも政権が可視出来るような存在であり、もともとマスコミの機能というのはそういうものだ。もともとの機能を果たすことができるようにして欲しいという事だ。
「覆面歌王」オヌリPD

 

私がストを開始した最も決定的だったきっかけは、先の3月のセウォル号引き揚げだ。 私たちは週刊放送なので2〜3週間は準備しなければならないが、4日前に取材許可が下された。 珍島まで2日もかかるのに。それでも取材をして来たが、上層部は前政権にとって批判的な内容をすべて削除しろといい、「真実を明らかにしなければならない」と書いたが、「真実」という単語を削除しなければ放送してはならないと言っていた。 それで辞職フォームの様式を受け取っておいて、私は一文字も修正しない、勝手にしろと言って潜水艇に乗った。 すでにパククネ前大統領が弾劾された後だったが、死んだ権力すら払いのけなければならないとは、これは本当に何もできないという話にしかならない。 人々がみればただの平凡な報道のために、我々は命をかけなければならなかった。愉快ではないか。みんなが特ダネをスクープするために努力しているのに、我々は傷ができないように、滅びた報道をしないために命をかけなければならないなんて。 すべての人の記憶に残るような最悪の報道を避けると懲戒を受けるなど、「これから先の自分はMBCにいないだろう」そんな考えをしなければならなかった。
「時事マガジン2580」チョウィミョン記者

 

記者の研修を終えて入ってきた2014年にはああなりたいと思った先輩たちがいた。 ところが、だんだんとロールモデルたちが視界から消えていった。 例えば、不当な記事に抗議して掲示板に文を書いたとして、突然すぐ翌日に報道局の外に人事異動させられるようなやり方だ。 デリケートな記事を台無しに(幹部たちが望むように)書いた見返りに、好きな担当区域にまわしてもらうような人もいた。個人的には記事を歪曲して使ったことはない。 しかし、ニュースというものはどのような文脈に配置されるかによって変わるものだが、自分がレポートの形式で中立的な記事を書くとその下に政府に都合の良い記事が相次いでつく。 では、自分が書いている文章には一体何の意味があるのか。 MBCで懸命に働くこと自体が罪を犯しているようだった。 それで同期3人で反省文を書いたこともある。 今年のろうそく集会の際に取材に行ったが、誰も取材をしなくてほとんどメディアとしての取扱いを受けなかった。 そうでなくても記者研修生活をしていた時にセウォル号の事故があって、その過程で起こった報道の惨事に対しても自ら罪悪感と原罪意識に悩まされていたが、見習い中の身でできることはなかった。 私たちはそういう考え方を今まで継続し猶予してきた。 しかし、このように生きていては一生何もできずに死ぬと思い、友人と反省文を書いて動画を掲載した。 私たちとしてはそれなりに心からの反省であり、さらに罵ってくれという内容だったが、今まで贅沢な暮らしをしてきたくせに、今になって大勢が杞憂だから大勢に便乗するんじゃないかという反応が最も多かった。 正直に言うと先輩たちを見て作ったのだった。 あまりにももどかしくて。 このように言うと無作法な後輩のように見えるかもしれないが、内部で小さな波紋でも立って今迷っている人も動くようになったらいいという気持ちだからやれたのだ。 私たちが願った効果はあったと思う。 内部でこのような小さな抵抗が累積され、今のゼネストに到達する可能性があったと思う。
報道局社会2部記者 ガクドンゴン

 

私は「MBCニューストゥデイ」を進行しているが常に不安だ。 朝のニュースは前日夜にやる「MBCニュースデスク」の主なニュースを受けてきて、夜の間に生まれた新しいニュースを追加してコーナーが入るというやり方だ。 それで前日に「MBCニュースデスク」を常に確認してから寝ているが、8月11日、デスクへの最初の一報は放送通信委員会委員長が公営放送の正常化に向けて公営放送委員長を解任できるというその発言についての「公共放送の弾圧だ」というコメントで、3番目が公共放送の正常化を支持する「市民たちひとりひとりの声をきいている」というコメントだった。 その言葉は、会社側からの「君は何故市民の声を無視するのか」というニュアンスだった。 そして翌朝来てみると、キューシートにその3番目のコメントが私の台詞としてあった。PDにこのコメントを調整してほしい、もしくは見出しを調整をしてほしいと二度も要請した。 もしも他のアンカーも読めないと言えばPDもそれなりの措置をするだろうと思った。 事実をレポートする場合、コメントを言わないつもりだった。 いずれにせよ放送がやりにくい事はあった。 ニュースをするアンカーたちはそういう面で苦労したのだ。 同意するのが難しいニュースを口にしなければならない時だ。根本的にニュースが正常化されない限り、アンカーが持つ自主性には限界があると言わざるを得ない。
MBCニューストゥデイ」アナウンサー・イムヒョンジュ

 

部屋の中(アナウンサー局では局の事をを部屋と呼ぶ)では本当にパククネとチェスンシルの関係のように、言葉にしてはいけないことがたくさん広がっていた。 縮小版のパククネとチェスンシルがアナウンサー局にもいたのだ。もともと権力を嵩に着ない会社だったが、ある瞬間から評価等級制が生じた。 Sが最も高く、Rが最も低い等級だが、少なくとも1人にはRをつけなければいけないというのだ。 当初は適当に持ち回りにすればいいと語っていた。 その後まもなく、本音が何だったのか分かるようになった。 後になって目上の人にとって良く見える人たちに放送をまとめさせ、ストに参加した人たちには放送の仕事を与えなかった。 そんな風にして反旗をひるがえす人やストで積極的に行動していた人たちにRを与え始めた。 Rを3回受けると解雇される場合があるという事だったが、R認定されるとまず生産性についての教育を受ける。 なぜ自分は自尊感が弱まり生産性が落ちたのかについて教育する講師が来て、レクリエーション形式で9時から6時まで1日中、1週間続けなければならない。教育を一度受けた人は気が抜けて帰ってくる。 講師たちが笑って拍手して絵描かせるような授業を受けるのは、ジャーナリストとして入ってきた人の立場からすると恥ずべき瞬間だ。 それにも耐えた場合、「もう君は放送の仕事もないしRも受けているんだし、ほかの部署に異動したら。アナウンサー局では必要のない人だね」と不当な電報を送る。さらにはアナウンサー局会議で「この先輩は本当に後輩たちの模範となる良い方だ」と話しておいて、すぐに他の部署に送る場合もあった。後には露骨に差別をした。そして新たに選んだ契約職を選別する際は生殺を握っているだけだ。 最初から最終面接の際、(アングァンヒョン社長の時)「セウォル号のテントを光化門から除去しなければならないんじゃないかな?」と堂々と尋ねたという。 それでもグォンソンミンPDが復職した時、キムジェチョル社長は悪口を言われて退陣の圧力を受けながらも、最終面接で「MBCはとてもいい会社だ。 グォンソンミン氏が復職しても私に退陣せよと迫ってもいい会社だ」という言ったが、今「セウォル号のテントを片付けなければならないんじゃないか?」ときかれて「いいえ」と言った人の中に選ばれた人はいない。 先日アナウンサー局に座っていて周辺を見渡してみた。みんな机に顔をぶつけてじっとしていた。 もともと汝矣島にある時はお互いに放送について会話をする楽しい雰囲気だったが、上岩に引っ越して来てからは、みなが口を閉ざしている。 社会について話し、お互いに考えを分かちあって交流すべきアナウンサーたちが、口を閉ざして生きていくのだ。 絶対そうしてはならない事だ。
MBC標準FM「ラジオマガジントークのパクチャンヒョンです」アナウンサー・パクチャンヒョン

 

マスコミ掌握以前のMBCは、本当に「品格のある若い放送」だった。 社会的弱者を優先した。 熾烈な悩みがあり、いつも水平的討論が行われていた。その結果、新しいものがあふれ出ていた。 今は、浅はかで旧態依然とした放送を行っている。 品格どころか水準以下の報道をして、新しいプログラムは企画段階でストップしている。 水平的な雰囲気だったラジオスタッフの間の雰囲気も殺伐としてきた。 「品格のある若い放送」はこの数年間会社側が掲げているスローガンだが、毎年新たに提示するべきことなのに、アイデアもなくその程度の能力もないようだ。 ラジオでもやはり突然の辞令が出て再編になる。 最初に改編という言葉も使わせない。 討論を経た正常な改編は表示されづらくなり、いつでもプログラムを変えてディレクターも交代する可能性があるという見方だ。 労働環境が不安にならざるを得ない。 職場は一定のルールによる碁盤であると思っていたが、いつでも弾かれる可能性のある「アルカギ」(訳注:碁盤と碁石を使う韓国のおはじき)の中の碁石になった気分だ。 先輩から放送は「勢い」だと学んだ。 出演者、作家、ディレクターなど各分野の専門家が勢いを駆使して聴衆に良い気を伝えるものだと聞いていた。 スタッフたちが沈んだ状態で製作される放送がその役割を果たすだろうか。 私心なく、ひたすらリスナーと視聴者だけを考え、興に溢れて働ける「元気で強い」職場になることを願っている。
MBC FM4U「グッドモーニングFMノホンチョルです」ハチョンミンPD


セウォル号の全員救助」報道も、実際に木浦MBC誤報の可能性についての話をしたにもかかわらずそれを無視して報道して、セウォル号惨事にあった遺族を侮辱する記事が出た。 これにからんで政府と保守系新聞が、セウォル号惨事のために景気が低迷して社会の活力が落ちるという話をした。 その時はこのような状況で笑って踊っているようなバラエティ番組などできないという雰囲気だったが、そのように政府と保守系新聞の書き込みが出てからアングァンヒョン社長の指示でMBCが一番先に放送を正常化した。 そしてセウォル号惨事が起こった次に政府が「基本と原則を守っておらず、社会全般の安全不感症とシステムのためにセウォル号惨事が起こった」というフレームを政府が後押ししているとき、2014年下半期にMBCで「基本と原則」キャンペーンを開始した。 一つ一つ見れば「基本と原則を守ることの何が悪い?」そう言われると返す言葉がないが、政府がセウォル号惨事の原因究明をせず、また責任まで負わずに国民に責任の矛先を向けて、MBCがこのようなキャンペーンを置くのだ。 また、ムンチャングク首相候補者が極右的発言、歴史歪曲的な発言、慰安婦非難発言をして問題になった時、MBCが突然「私は一人で住んでいる」を放送せずにムンチャングク候補者に関する対談を編成した。 編成は、特補の編成の要請を受けてそのような放送を流すことになりかねない。 これは莫大な編成権侵害だが、そんなことが日常となった。 このようなやり方で経営陣の描きたい大きな絵が編成の全般で具現化されていた。企画を持ち出したくてもそうせず、その中で最小限の均衡と意味を探さざるを得ないことをするしかない。 もともと相次ぐ放送中止に対する最も大きな責任は編成にあるので放映中止に対する罪責感が最も大きいが、これ以上失うものが何もない。
チェヒョンジョン・ホンソクウ編成PD

 

2012年のMBCスト当時にいた役員らが反復して社長や副社長を続けている。 アングァンヒョン社長も当時は副社長だったが社長になり、ベクジョンムン理事もスト当時に編成理事であったが、その次には未来戦略本部長になった。 人事部門での公開採用をこれ以上選ばず、年俸制を実施し、内部の人員を引き裂く戦略を使いながら、一方で役員が自分たちの給与は引き上げて高価な研修に行き、お金をどんどん使って制作費を引き続き引き下げた。 そして、社長が特別に大切にするプロジェクトには惜しみなく金をつぎ込んできた。 ドラマ「獄中花」はアングァンヒョン社長のプロジェクトであり、チョンユンフェの息子がそのドラマに登場する。 そして「DMCフェスティバル」だ。 コンセプトもターゲットも曖昧であり、どのターゲットにも大して訴求しない奇形的なコンテンツが出たが、社長が押し通した結果だ。 「DMCフェスティバル」をするなら当然芸能PDたちが必要だが、だからといって芸能PDたちが企画に参加して自分が望む企画をさせてくれるのではなく、社長が願う企画をして芸能PDたちはほとんど「モムパンしてろ」というレベルだった。 アングァンヒョン社長が「韓流の伝道師」というタイトルを持って望み、MBCを通してしたかった「なにがしか」があるようだった。 「創造経済」を推進していたパククネ政府の品を合わせてVRコンテンツを「DMCフェスティバル」に入れ、大使を招待して会社内の英語のできる全ての職員を派遣して大使の行事に動員したこともあった。 この過程で実務の合理的な意見は全く反映されなかった。 職員たちから見れば未来志向的なものをしない状況が繰り返されており、人事、財務や会社に害を及ぼすことをした職員たちは自責感と羞恥心のためにつらかった。 このような幹部たちの私的経営によって経営不振が続き、MBCは赤字の状況だ。 特に、広告売上が多く下落した。 MBCの収益基盤となっている広告収益は最高点を記録した2012~2013年時比の60%水準に落ちた。 広告主たちを訪問すると、「MBCを見ない。 MBCニュースのために広告をしない」という広告主たちがいる。 2011年まではMBCは地上波で広告の予算配分をすれば放送3社中でMBCが4を受け取り、残りが3:3だった。MBCニュースの信頼度やドラマ、芸能競争力のふたつが全部備わった時に可能なことなので、これはふたつが崩れたという事だ。幹部らが会社を私的な道具として使用し、お金を湯水のように使って制作費はずっと削り、そして競争力も弱くなってPDたちを大切にしない。それでPDたちが出て行ったから更に競争力が下がった。 広告主を訪問したり外部顧客に会うと、広告主の方にMBCの状況について謝罪しなければならないことが繰り返されている。 MBCに広告をすると効率が悪くて自社のブランドイメージが悪化すると言う広告主が増えるからだ。視聴者だけでなく、広告主たちにもMBCディスカウントは現実化された。 MBCが新たな食べ物を捜し求めなければならない状況だが、今のMBCの状況では本当に何もできない。
チョソヒョン広告局次長


記事 イジヘ
校正 キムヨンジン


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グォンソンミンPD=MBCバラエティ局に入社後、2015年に自身のSNSに職場についてのウェブコミックを描いて投稿したところ、名誉毀損だとしてMBCから解雇された。裁判で解雇は無効という判決が出て2016年にMBCに復職し、デュエット歌謡祭などの製作に関わっているとのこと。

 

몸빵(モムパン)=罰金を納める代わりに刑務所に入ること。

 

MBCやKBSは今も人気のバラエティ番組が多いですし、韓国においては政界と芸能は常に隣り合わせなのでただのアイドル好きにとっても関係ないや〜とは言えない事だなと思いました。運動会に続いて年末歌謡祭もやるかどうかわからないし。ドルオタの間では音楽番組のカメラワークが部長クラスになったら見やすいという事が話題になってましたが笑


DMCフェスティバル」は開催当初からよくわからないイベント(まあこういうイベントは韓国にはとにかくたくさんあって、アイドルの国内仕事では結構な割合を占めてるわけですが)と言われてましたが、これに出てたアイドルの事務所は政府覚えがめでたいとか繋がりが濃いという事なのかな。DMCというのはいろんなメディア会社が移転してきた上岩の「デジタルメディアシティ」の略で、日本だと夏にやってるお台場や汐留のイベントみたいなものでしょうか。それ自体は別に悪いことではないし(韓国ではアイドルは産業的には全体から見ると小さくても、文化的イメージ的に国家的事業みたいなものなので)断ることも難しいでしょうけど。

 

盧武鉉(ノムヒョン)大統領時代から朴槿恵(パククネ)大統領までの各世代の政治的事件や各大統領が国民からどういう見方をされていたのかに関する多少の知識がないとわかりづらい部分があるかもしれないと思いましたが、パククネと李明博(イミョンバク)は最近の大統領なので日本でニュースを見ていたら大体わかるかな?盧武鉉大統領については韓国で大ヒットした映画「弁護人」のモデルになったのが有名かもしれません。ちなみに盧武鉉大統領が弁護士だった時代にその弁護士事務所で働いていたのが現文在寅(ムンジェイン)大統領で、「弁護人」に出てきた公安検事のモデルになったと言われてるコヨンジュは今はMBCの大株主である放送文化振興会の理事ですが、共産主義者呼ばわりしていた文在寅氏が大統領になったことで名誉毀損公職選挙法違反で捜査中との事です。MBCのストとは特に関係があるわけではありませんが、MBCは国営放送であるのでまったく関係ないとは言えないかも。
(8月末に最初の公判があったところでまだ進行中)

ちなみに大統領の名称は日本のニュースなどでは漢字表記が多いため表記方法に迷いましたが、記事中で他の人物の名称は全てカタカナ表記のためカタカナで統一しました。他の人名の漢字表記がわからないので...

 

個人的にはセウォル号事件に関する報道規制とか政府の責任云々はよくわからないんですけど(大惨事には違いないですが、そもそも民間の企業の事故だし...)しかし公営TVとはいえ突然番組編成が変わったりとか、色々政治的なあれこれがわかりやすいんだなあとは思いました。

 

これをのんびり訳してる途中でMBCのキムジャンギョム社長が理事会決議で解任されて70日あまりのスト終了という記事が出たので、慌てて終わらせました。前のキムジェチョル社長も理事会で解任されたんですけどね...。

 

【ize訳】The Unit vs MIXNINE│② 審査員から編集まで、勝者は誰か

【ize訳】The Unit vs MIXNINE│② 審査員から編集まで、勝者は誰か

 

2017.11.07
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017110700337226111

 

KBSアイドルリブートプロジェクト「The Unit」とJTBCアイドルサバイバルプログラム「MIXNINE」がよく似た時期に始まった。先に放送されたMnet「プロデュース101」「アイドル学校」などと異なり、両番組は混成フォーマットであり、それぞれ男性ユニット9人女性ユニット9人を選抜する。 しかし、事実上公営放送のKBSとYGエンターテインメントの対決という点で、共通点よりはその差の方が更に多いのは事実だ。「The Unit」と「MIXNINE」の似ているようで違う、6つの点を探った。

 

先輩軍団vs「ヤンサ」が決める
「私たちの誰もが分からないことがあったし、何者でもない時があった。だからそういう風に苦労したときが心に届くから、みんな悲しんでくれることができるんだ」
失敗を経験したアイドルたちが再び注目を浴びるようにさせるという「The Unit」は審査委員に「先輩軍団」と名付けた。 彼らは、それだけに参加者たちの踊りの腕や歌の実力評価よりも「目をカメラから放すな」というような実質的な助言をしたり、ファンチヨルのように「長い間無名生活をすごした」過去を振り返りながら褒め言葉と慰めの言葉をかけている。 彼らに比べると「MIXNINE」は「SMエンターテインメントのある歌手を見ながらYGエンターテインメントの音楽をやらせてみたらどうなるだろうと考えた事がある。面白いのではないだろうかと思った(OSEN)」というヤンヒョンソク代表の言葉のように、自分の基準によって出演者たちを評価する。 それだけに彼は出演者らに自らの基準を話し、役立つ助言や慰めを与える前にデビュー組と練習生班に分かれて、競争構図を作る。 それだけ徹底したビジネスマンであり、企画者の立場からの審査といえる。

 

テミン+ヒョナ vs CL+スンリ
「The Unit」のテミンとヒョナはまだ20代半ばで、オーディション番組の固定審査員としては幼い方だ。 また、現役で活動しているため出演者の立場に感情移入する姿が多く見られる。 テミンは研修生時代から一緒にしていたキム ティモテオが出ると涙を我慢できず、ヒョナは「長い間一緒にしてきた仲間です。 ステージを見ながら格好いいと思ったことが何回もあった」と自信なさげにステージを披露したBOYFRIENDのメンバーたちに応援の言葉をかけた。 一方、「MIXNINE」でのCLとスンリは現役アイドルとしてのアイデンティティよりも審査員の姿を見せてくれる。 ヤンヒョンソク代表が審査を主導し、CLとスンリがコメントを加えるやり方だ。 また、スンリは制作発表会で「練習生時代にヤンヒョンソク代表が投げたスリッパを集めて店を開いたら商売がうまくなっただろう」と言い、「『MIXNINE』は短い時間で実力を増幅させなければならないから、スリッパは飛ばないと思うが強くなって欲しい(スポーツ傾向)」と言ったが、このプログラムが練習生に望む態度と自分の役割が何なのかを示してくれたものといえる。

 

ブート数 vs すべては「ヤンサ」の意のままに
「The Unit」の出演者たちはオーディションを見ていちる観客の90%が「ブート」を押すと「スーパーブート」として自動的に合格になる。「スーパーブート」にならなかった場合、「先輩軍団」の「ブート」を受けなければ合格できない。 それだけ多くの人の反応を総合しているものであると同時に、「先輩軍団」それぞれが見る出演者の長所をすべて反映するものといえる。 また、6人のうち1人だけがブートを押しても合格が可能という点で、特定の審査員の影響が強く介入したり位階秩序が影響を及ぼす可能性も少ない。 Rainが先輩軍団のトップの役割をするが、彼の意見によって合格と不合格が分かれるわけではない。一方、「MIXNINE」ではひたすらYGエンターテインメントが練習生を選ぶ基準がすなわち合格基準であり、これはイコールヤンヒョンソク代表の心に響かなければならないという意味だ。 ゆえに実力が不足している出演者に対しても自分が補完してやれる部分が多いとして合格になったり、アイデンティティのような「再びアイドルに戻れると思うか」という質問に「そんなことはないだろうと思う」と答えた出演者を選ぶこともある。 STAROエンターテインメント所属のアイドル2人をデビュー組バスに乗せ、「STAROエンターテインメントにとっては喜ばしい事だと思う」と話したのは、ヤンヒョンソク代表が「MIXNINE」出演者たちに接する態度を見られる部分だ。どのような理由であれ、自分に気に入られる事は「喜ばしい事」なのである。

 

ヤンジウォンの事情 vs FMエンターテインメントの話
ガールズグループSPICA出身のヤンジウォンは、グループ解散後は青汁を配達しながら再び歌手の夢を育てていた。 Mnet「スーパースターK」時から頻繁に見られた感動的な話のひとつのパターンだが、制作スタッフの編集は彼女の切実さを伝えるにはやや不足していた。 彼女がどうして青汁の配達をするのか、どれだけ長い間生活苦で困難を経験したのかなどは説明されておらず、幼い頃の夢の話など、彼女の現状とは大きな関係がないインタビュー内容は劇的な雰囲気を演出するのに限界があった。 一方、「MIXNINE」はFMエンターテインメントを紹介しつつ会社がある江華島に向かう時に混乱して見せたり、それとなく彼らを無視するソウル出身の練習生たちの姿と、まともなトレーニングを受けていなくてもむしろ明るくステージを消化するFMエンターテインメントの練習生たちを対比させた。 まるでそのギャップを克服することがオーディション番組の意義なのだということを強調するようで、3人全員が合格して他の練習生たちが衝撃を受けた姿と涙を流して彼らを応援する所属会社の代表の姿を見せながら、一つのストーリーが完成していた。 「プロデュース101」プロデューサーの編集能力が目立った部分だ。

 

MY TURN vs JUST DANCE
「The Unit」のメインテーマ「MY TURN」のミュージックビデオは「プロデュース101」での三角形を組み合わせたセットを連想させる場面があったが、もう少し多角的な姿に変わり、原色に近いように演出した照明はむしろより華やかに見える。 しかし、統一された衣装で女性パートにピンク色の照明、男子部門でブルーの照明に変わる導入部や「あなたは私を見つめるようになるだろう」という歌詞は「Pick Me」と「僕だよ僕」を合わせたら出てくるようなイメージという感じはぬぐえない。 むしろ男性ユニットの「光」で数字の1を象徴する指の動作を強調して抱負を表したり、「周りを見渡すと 一人ではないという小さな慰めが力になった」という女性ユニットの歌「Shine」の歌詞の方がこのプログラムのメッセージをさらによく表わしている。 一方、「JUST DANCE」は季節にふさわしく落ち着いたメロディーがメインになっており、TEDDYがプロデュースしてYGエンターテインメント特有の情緒が滲んでいる。 リフレインの「just dance」はYGエンターテインメントのアーティストたちが見せてくれる自由奔放な雰囲気と連結され、大変なことはあったが、もう私は踊ってそのことを忘れるという内容は、あまりにも真面目すぎないように練習生たちの現在を表現する。 ただ「考えを整理みても眩暈がするよう 私の心どうして」という歌詞で床を活用してセクシーな動作を披露する部分は非常に当惑する。

 

KBSの積極的な支援 vs まだ決定されたものはなし

「The Unit」はKBSが主導してアイドルグループを制作するだけに、デビューが決定された出演者たちの他の放送会社への出演が可能かどうかについて関心が集まった。 これに対して「The Unit」製作陣側は「消極的になるところもあるだろうが、各種他の放送会社に出演した子たちに一番先にチャンスを与えたチームがKBSだと思う。 自社利己主義よりも文化コンテンツの市場拡大性に中心を置いて、この子たちについて他の放送局でも配慮してくれたら良いだろうと思うが、内部的にも支援を惜しまないだろう」と明らかにした。 契約問題と関連してもハンギョンチョンCPは「KBSは番組制作に専念して、文化産業専門会社がその後マネジメントを管理することになる」と明らかにした。 このグループの活動のために別の会社を作って管理するという意味だ。 KBSが公営放送であるため、アイドルグループを通じて直接収益事業をできないために下した決定と見られる。 最終メンバーが決定され次第、最大18社の企画会社と文化産業専門会社の協議を通じて、今後の活動計画が決まる予定だ。 また、ハンギョンチョンCPによると、「(WANNA ONEの時よりも)既存の企画会社に対してもう少し多くの収益が配分されるものと予想している」と収益分配についても立場を明らかにした。 一方、「MIXNINE」のヤンヒョンソク代表は"「まだ決まったことは何もない(スポーツ朝鮮)」という意外な答えを出した。「優勝グループが決定されれば、その後に企画者たちと会って相談をしなければならないこと(OSEN)」だとして、自社が持っている海外ベースファンダムをもとに「ワールドツアーを回ることができるようなグループができたらいいだろうなと思う」という希望を述べるにとどまったラインで立場を明らかにした。 彼は「プログラムが終わったらあの方々(出演した企画会社代表たち)と会って一度会食を催したい」という余裕を見せもしたが、YGエンターテインメントレベルの会社でなければ簡単には示すことのできるような余裕と自信ではない。「MIXNINE」の出演者たちもYGエンターテインメントの他のミュージシャンたちのようにデビューに長い時間がかかるのかどうかも見守るべきポイントだ。

 

文 パクヒア
校正 キムヨンジン

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FMエンタのある江華島って区分としてはソウル特別市の島とのことで、日本に置き換えたら東京都に入る伊豆諸島とか小笠原に芸能事務所があるって事かな...
SMの練習生だったHOTSHOTのムンギュが改名(?)して本名もティモテオになってたのはびっくりしました。

 

こうして並べてみると、2つのサバイバルの目的は全然違うことのような感じですね。アイドル再生プロジェクトである「The Unit」の方が日本で言えばNHKが作ってるだけあって真面目に作ってて出ている方も切実だし、公平に見せている分落ちた時のショックは大きいかも。そもそも出てる時点で「一回失敗している」というお墨付きになってしまうわけでもあり。MIXNINEは個人的にはYGに新しく迎え入れたプロデューサーの為の番組だと思っていて、もしも他事務所の練習生をYGがジャッジしたら...?というそもそも非常に上から目線な企画の分、落ちてもYGとかヤンサの好みに合わなかったんだなって事でそこまで気にしなくていいと考える事も出来そうだなと。サバイバルそのものよりどちらかというとヤンサの突撃隣の芸能事務所(ヨネスケ)っぽい部分と、よく言えば中小の芸能事務所の育成状況やシステムをたくさん見る・見せることでお互い勉強になるというかそういう意味での底上げを図りたいのかなという。一緒に色んな事務所に行ったスンリも「事務所の代表が練習生を叱れない」とか「ちゃんとした教育システムがあるところが少ない」と言っていたし。
でも悪い言い方をすれば「帝の遊びかよ?」に尽きるかもしれない...。

【ize訳】The Unit vs MIXNINE│①こちらにつきなさい

【ize訳】The Unit vs MIXNINE│①こちらにつきなさい

 

2017.11.07
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017110700217279475


「YGが参加することがこのプログラムが他と違うところだ(OSEN)」
最近放映を開始したJTBC「MIXNINE」の製作者ヤンヒョンソク・YGエンターテインメント代表はKBS「The Unit」との比較についてこう語った。 両番組はすべての多くのプロダクションのアイドルを集めて新たにデビューさせるオーディション番組だ。 この2年間音楽産業全体を揺るがしたMnet「プロデュース101」の成功以降、他の企画会社と放送局が同様のプログラムに向けた挑戦に乗り出した。 「MIXNINE」は「プロデュース101」ファーストシーズンの演出だったハンドンチョルPDが演出する。 そしてヤンヒョンソク代表は、相次いで出ているアイドルオーディション番組との差別化としてYG、より正確には自分自身を挙げた。 これは今のアイドルオーディション番組が何なのかを示す象徴的な場面だ。

 

「プロデュース101」を通じて結成されたガールズユニットI.O.IとボーイズグループWANNA ONEは大きな人気を得た。 従来のオーディション番組の目標が放送中の視聴率と話題性だったとしたら、「プロデュース101」は放送中の人気がデビュー後にもつながりかねない可能性を示した。 オーディション番組が巨大なフリーデビューショーになったわけだ。 制作発表会で「BIGBANGや防弾少年団を超えるファンダムをMIXNINEを通じて逆転したい気持ちもある」述べたハンドンチョルPDの発言は、「MIXNINE」の核心がどこあるのかを示している。 そしてデビューするアイドルグループには資本と企画力が必要なのはもちろんだ。 ヤンヒョンソク代表がYGエンターテインメントを差別性の根拠にした理由である。 「プロデュース101」のプロデューサーで、JTBCが放送をして、YGエンターテインメントがデビュー後の資本と企画力を出す。 それでも成功するかは分からないが、普通のグループよりは成功確率は高まるだろう。「MIXNINE」初回に登場した企画会社YAM&HOTCHICSのベユンチョン代表は「資金が足りない」と涙を流したりもした。 このような状況の企画会社にとって「プロデュース101」や「MIXNINE」は資本、企画、メディアを一度に解決できる方法でもある。 「The Unit」もデビューの経験があったアイドルたちがKBSを通じて再び自分の名前を知らせ、デビューする機会を得る。 「The Unit」と「MIXNINE」中小事務所、その中でも「小」に該当する企画社たちがアイドルグループを直接製作することより自発的に大きな企画会社とメディアの力を借りるのが当たり前と思い始めたということを示している。

 

多人数のアイドルグループを制作するのは他の歌手たちよりもっと多くの費用がかかり、踊り、ラップ、歌、更に演技や外国語まで教えなければならないという点でもっと長いトレーニング期間が必要である。 しかし、それにもかかわらず「The Unit」に出演したユナキムとイスジが所属していたガールズグループThe Arkのようにデビュー2ヵ月で解体されるケースもある。 「The Unit」と「MIXNINE」とはこのような問題を提示しながら、彼らにとってオーディション番組が必要な理由とともに企画会社にはリスクを減らそうという信号を送る。 ヤンヒョンソク代表は「海外基盤が良いので、ワールドツアーをできるようなグループになったら良いかもしれない」と話した。 運営するグループの海外進出に自信があるからこそ、ここに合流するようにというメッセージだと理解しても無理はないだろう。「The Unit」のハンギョンチョンCPとパクジヨンPDが「一度どこかで傷受けた人々がこのプログラムを通じて、治癒を受ける過程を感じて欲しい」と言ったことも、KBSが名前すら知らせなかったグループにとって大きなチャンスを与える可能性があるという意味でもある。

 

しかし、両番組に参加した瞬間、それぞれの所属事務所と出演者は事実上できることが何もない。 「MIXNINE」でヤンヒョンソクがあるガールズグループを見て審査中で柔和な態度を見せた時、一緒に審査を見ていたラッパーCLに「社長、お好きなタイプですか。さっきとあまりにも違ったんじゃないですか」とつっこまれたりしている。「MIXNINE」の最初のオーディションは完全にヤンヒョンソク代表の好みによって決定される。 どんなに多くの研究生が参加しても、彼の判断によって一人も選択されない可能性もある。 場合によってはいわゆる「悪魔の編集」によっての所属演習生の実力やイメージが悪い反応を得る可能性もある。しかし、そもそもヤンヒョンソク代表がこのプログラムのアイデンティティである「MIXNINE」においてこれに不満を提起することはできない。 練習生だけでなく、企画会社も更に大きな企画会社の代表からオーディションを受けるようになったわけだ。 6人の審査委員が出演者を評価する「The Unit」は相対的により客観的な装置を設置している。 6人の審査委員が投票をする前にも観客たちに票をたくさんもらったらすぐに合格することができる。 しかし、アイドルを「リブート(再点火)」させるというプログラムの名分らしく、デビューの経験がある出演者たちは審査のために自分の歌ではなく他のアイドルたちのヒット曲を歌っている。 また、芸能人ミナのボーイフレンドであるフィリップのように事情がある出演者によりスポットライトが行くのは避けられない。 自分が活動しながら作ってきたキャラクターや所属事務所の企画が反映されたステージは不可能だ。 企画会社から出演者を確保するアイドルオーディション番組が増えるということは、大多数の会社がもはや練習生をある程度トレーニングしてオーディション番組に送り出す役割だけにとどまる可能性が高いという意味だ。

この新しい環境で、企画会社たちは未だにどのような立場を取るべきか混乱している。 プロデューサーA氏は「オーディション番組が持つ話題性を無視できなくなり、子供たちを出さざるを得ない」と言いながらも、「従来私たちが持っていこうとしていた方向性は使えなくなった」と話した。 グループとしてのアイデンティティを掲げた企画で着実にファンを増やそうとしたが、彼の言葉通り「一度死んだ」ということだ。 また、関係者B氏は「参加者たちが見せる姿があまりに『生々しい姿』に近すぎる。私たちがあえてアイドルたちを参加させようとしない理由だ」と話した。 「プロデュース101」のように大きな成功を収めたプログラムであれば出演だけでも利益だが、そうでなければイメージを消費された状況で再びデビューを準備しなければならない。 「長い間一つのグループ作るために一生懸命企画したんですが、きちんと試みもされずに一見で終わるのを見ると悔しい」というアイドル産業の関係者の言葉は誇張ではないだろう。 「MIXNINE」と「The Unit」の登場は多くの「小」企画会社にリスクを減らすことができるという提案をするが、これらの番組が定着すればするほど、小さな会社は番組出演のほかにできることが減らざるを得ない。

 

トレーニング〜企画〜デビューという従来の方式の代わりに、オーディション番組出演で成功するかどうかが産業の新しいシステムとして登場した。 直接何かをすることが可能なスタイルは段々とさらに減っていき、代わりにオーディション番組を制作する放送局と、大手事務所の資本と企画力を信じなければならない。 放送局と肩を並べるほどではなければ、いくらトレーニングをさせて企画をうまくやっても何もできないかもしれない時代がきた。 その間誰かはメディアと結合したり、「プロデュース101」以降のNU'EST のように鋭敏な選択で成長することもできる。 一方、大手企画会社ではなかったりNU'ESTのようになれなかった多くの会社は、練習生たちがデビューすらできないまま消える可能性もある。 アイドルグループが音楽産業の最も大きな市場に定着してから20余年ぶりに、一番大きい変化の時期がきている。 そして多分、かなり多くの彼らにとっては以前よりも更に大変な氷河期になるだろう。

 

文 パクヒア
校正 キムヨンジン