サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【idology訳】KCON LA 2017レポート:②「繊細かつ大胆に、生活の領域へ」

【idology訳】KCON LA 2017レポート:②「繊細かつ大胆に、生活の領域へ」

 

byキムヨンデ on 2017/09/07

http://idology.kr/9285

 


今年の「KCON」を通じて確認したもう一つの重要な変化は、「アジアの音楽」あるいは「ワールドミュージック」のサブカテゴリとして認識されたKPOPが徐々に独立した普遍的なジャンルとして受け入れ始めたという事実だった。イベントに参加したファンたちの多くは、KPOPをアメリカのポップの有力な代替としてあるいは一緒に楽しむことができるトレンディなポップスジャンルの一つとして認識して楽しむと言っており、日本や他のアジア諸国の大衆音楽との類似性よりもむしろ、彼らの聞いて育った米国のポップミュージックとの連携を強く感じているように見えた。文化的に柔軟で、国籍を問わずトレンディな大衆音楽を聴く若い音楽ファン、特に10代から20代前半までの若い女性音楽ファンにとってKPOPの訴求力は無視できないレベルにまで拡大している。彼らによると、K-POPはアメリカの音楽が与えられないことを提供しているという。もちろん、その核心はアイドル音楽だ。世界中どこでも簡単に見つけることができない多様なジャンルとフォーマットのKPOPアイドルは、ポップスの本場である米国がカバーしていない侮れない規模のニッチな市場を単独で占有しており、現在の米国の若者の好みに直接影響を与えているポピュラー音楽は、アメリカの破裂音を除けばK-POPアイドルが事実上唯一のジャンルだ。

 

これは一般的なKPOPファンだけの意見ではない。現在アイドル音楽業界で最も活発に活動しているスウェーデン出身の作曲家、アンドレアス・オベルグは前回の筆者とのインタビューで、韓国のアイドル音楽が米国のR&B、スウェディッシュポップとどのように感情的に接しているかどうかについて言及した事があるが、「KCON」に参加した作曲家や評論家たちもKPOPが米国のアーバンブラックミュージックに最も近い非米国圏の音楽の一つであると共通して指摘している。アイドル音楽をアメリカのポップスのB級バージョンとして貶めているという意見については、むしろ新しい音楽の実験と想像力を可能にするフォーマット、すなわち、最もホットでトレンディーなトータルパッケージ音楽であるという部分を指摘している。これに関連し、現場で会った作曲チームLDN Noiseは、複数の英米圏のアーティストたちとの作業ではあるがK-POPアイドルの音楽は彼らにとって「新世界」に感じたし、クリエイターとして拒否するのが難しい興味深い領域だと強調した。現場で会話を交わした米国の記者や有力ブロガーたちは、防弾少年団ビルボードアワード受賞や最近ラッパーJAY.Zの会社であるロックネイションと契約したパク・ジェボムの事例に言及し、これがKPOP人気の頂点ではなく前奏曲になる可能性を展望することもした。

 

「KCON」は明らかに「西洋のオタク」たちが繰り広げる「彼らだけの宴」だ。パネルはアイドルからKビューティーに至るまで、Kカルチャーをめぐる想像可能なすべてのトピックを上げていた。さらに「韓国で勉強し生活する」「バイラル動画の作成」など斬新なテーマを真剣に議論する姿は、果たして彼ららしい姿と言えるだろう。特に北米人の生活の領域に関連するテーマが過去数年間特に目立っているという点は興味深い。例えば、昨年あったLGBT +パネルは、最近の変化の様相を反映する代表的な事例である。YouTuberとして活動中のセクシャルマイノリティたちが集まって彼らの愛するKPOPについて話を交わし、ひいてはKPOPを媒介として一つになったアメリカのセクシャルマイノリティーのファンの結束と連帯を約束する姿はまさに「韓国」を飛び出しており、それらはより一層意味あることだと言える対話の場であった。今年最も印象的なパネルのひとつであったKPOPの中のブラック・ミュージックのアイデンティティに関する議論は、KPOPが現在直面しているもう一つの問題点に目を向けさせる議論であった。 KPOPの有力な消費層として浮上しているアフリカンアメリカンが発表者と観客で会場を埋め尽くした中で、アイドルとKPOP全体で行われている文化の転用と人種主義の明白な、あるいは微妙な事例について話を交わす姿は非常にユニークな光景だった。自由に批判をして反論をする渦中でも、それらを支持して愛することしかできない「オタク心」の矛盾について納得する彼らの姿は新鮮だった。ブラックミュージックではなく韓国の音楽を聞くと仲間から二重の差別を受けると涙を見せた黒人青年と、彼に励ましの拍手を送る観客たちの姿を見て、すでに複雑なアイデンティティになった進化したKPOPの現在と文化が持つ力を今一度確認することができた。他にもガールズグループファンとして生きる女性たちの集まり、KPOPアイドルのファンを親に持つ人々の悩み、中年に入ったKPOPファンの告白、KPOPファンから始まり現在KPOP関連の各業界で活躍している業界従事者たちのサクセスストーリー等は、もしも「KCON」がなかったらどこでも見る事が出来ないであろう彼らだけのカスタマイズ公論の場であった。 KPOPを韓国の大衆文化として認識しながらも、同時に北米のサブカルチャーとして新たに位置するようなこのような動きは、最近その傾向が驚くほど急速に進んでいる。彼らにとってKPOPは韓国人たちが考えているよりもはるかに、ディープな趣味というだけではなくそれ以上の意味を持つ生活の一部になっている。

 

過去10年間米国に滞在し観察したところによると、米国は世界のどの文化圏よりも高いポテンシャルを備えたKPOPシーンのひとつとして急成長している。そして「KCON」では、この成長と変化の様相が毎年正確に確認されている。初期の「KCON」が広報用ショーケースに近いニュアンスを帯びていたとすれば、今はすでに世界最大の音楽シーンの一つである韓国大衆音楽と、そこから付加的に派生した多様な文化の威力を誇示する性格で進化した。北米は韓国、日本に次いでKPOPのトレンドを作ることができる、新しいファンドムを保有している。 3年前に今まさにデビューしたばかりの防弾少年団が「KCON」に到着して巨大な歓声を受けるのを見て、北米市場が今とは全く異なるポテンシャルを持つ市場に変わると予想しており、実際に彼らは他でもない、北米の熱狂的な人気に基づいて全世界に影響力を拡散していった。歴史が深く、実質的な収益が発生する日本市場に比べるとまだ微弱な段階であるが、ブラックミュージックという音楽的共通分母を持っている独特のサブカルチャーを形成し、付加価値を上げる北米市場特有の熱狂的なファン文化を過小評価する必要はないだろう。 KPOPは韓国が作っているがもはや韓国だけのための音楽ではなく、アジアのコミュニティに閉じ込められている枝葉的なフローチャートではない。現在、KPOPは韓国が作った多国間でのコスモポリタン的なモダニティのモジュールに基づいて容易に崩れない強固な音楽システムを構築しており、これにより出てくる安定した品質の音楽は、アメリカの大衆に彼らの大衆音楽を代替、あるいは補完する最も魅力的な選択肢としてアピールしている。「KCON」はその可能性を圧縮して要約的に示しており、その意味では「KCON」の成功は、単にイベントの成功という概念を超えておそらく一つの文化現象と呼ぶべきかもしれない。

 

ビルボードK-POPコラムを寄稿するジェフ・ベンジャミンは2年前、筆者とのインタビューでKPOPの企画会社に対して積極的な態度を要求したことがあった。果たしてKPOPはより大胆に、より繊細に進んでいるのだろうか?北米で先に認められたと言っても過言ではない3年前の防弾少年団や今年のK.A.R.Dは、K-POPのトレンドがその起源から一方的に供給されるのではなく、循環的構造を介して拡散されることを見せてくれた最も劇的な事例であった。今年2日間の公演の中でも、圧倒的な歓呼を受けたWANNA ONEの驚くべき人気は、アイドルコンテンツがミュージックビデオやバラエティに寄らず、北米と韓国の両方で正確に同時に消費されていることを示した証拠であった。 NCT 127の人気はむしろ韓国よりも米国でより直接的に感じられ、2日目の公演のフィナーレを引き受けたばかりのSEVENTEENも米国でより熱狂的なファンドムを抱えることができるのではないかと思うほど良い反応を得ていた。北米カスタムアイドルの可能性はレトリックとして予想することができるが、彼らにとってより魅力的な音楽やグループがあるということは明らかだった。発売されたすべての音楽をすべて聞かないと気が済まなかったり、複数の歌手を同時に好きでも熱が劣らない北米のファンドム特有の「カケモ」の文化、言語と文化の近接性を感じる米国系のメンバーと多国籍のメンバー構成に対する愛着などは、企画者側の立場からは北米市場の攻略時に綿密に検討する要素になるだろう。特に人種や性差別、その他の政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)について、北米だけが持っている鋭敏さは、いくら強調してもし過ぎる事はないだろう。何よりも韓流ドラマの人気、YouTubeの登場そしてカンナムスタイルの爆発により起こった、多分「ありえなかった」かもしれないK-POPの人気を当たり前のように思わず、積極的に近づいていく姿勢が必要である。 3日間の「KCON」への旅を終えてシアトルに帰る飛行機の中で筆者はポップミュージックの本場であり、世界の音楽市場の絶対的な中心軸である北米で着実に存在感を高めていくK-POPの未来を考え、「繊細な市場分析」と「大胆な想像力」という二つのキーワードを改めて吟味した。

 

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 文中に出てきた過去のインタビュー訳へのリンクを前後に添付してあります。

筆者のキムヨンデさんはシアトル在住の音楽ライターでメインは洋楽(欧米音楽)の方ですが、idologyのレギュラー執筆陣でもありKPOPに関する記事やインタビューも多く、定期的にKCONのレポートも上げられています。すでに数年前のKCONでの防弾少年団の人気を見て今を予見されるような事をジェフ・ベンジャミン氏インタビューで言ってたと思います。

 

 

記事の内容とはあまり関係ないですが、昔は海外在住の韓国人の事は「キョポ(僑胞)」という呼び方が多かったですが(今も一般的な会話では出て来るとおもいますが)差別的なニュアンスがあるとの話が以前から出ていて、現在は記事などではほぼ「トッポ(同胞)」という記述になりつつあるようですね。

 

KPOPの欧米でのファンの増え方やファンドムのあり方は日本でいうANIMEやMANGA、あるいはGAMEなどの2次元コンテンツと似たような方向なのかな?と思わなくもないです。パネリングやディベート好きだったり、お金の掛け方に関するコメントがコミケやオタコン・アニメエキスポ等に参加するオタクのものと大体同じというか...笑 3次元コンテンツの方が人種的に客層に相違が出やすかったり、生きている分2次元よりも直接触れにくかったり変化や浮き沈みが起きやすいというのがちょっと違いますが、直面しがちなあるあるや問題は似ている気がします。特に文化の違う海外では「オタク現場でしかわからない事」と「オタク現場にいるとバイアスでわからなくなる事」というのもあるでしょうが。

 

しかしKCON来場者の人種割合って、どういう統計の取り方してるんだろう?そこが気になって仕方なかったです。漠然と見た感じ観客の非白人種の割合が多いというのははっきりわかりますが、アメリカ国外から来るパターンもあるし、一見白人に見えるようでも実は違ったりとかいう場合も少なくないんじゃなかろうかとも思うんですが...チケット買うときにアンケート的に記載したりするのか、チケット購入時のクレジットカードの情報とかなのかな...?

【idology訳】KCON LA 2017レポート:①「一体誰がKPOPを聞いているのか?」

【idology訳】KCON LA 2017レポート:①「一体誰がKPOPを聞いているのか?」

 

by キムヨンデ on 2017/09/05

http://idology.kr/9281


去る8月18日から20日まで、ロサンゼルスコンベンションセンターで開かれた「KCON LA 2017」の現場をキムヨンデが訪れた。 KCONのレポートは、2本の記事として掲載される。

 

LAX空港に降り立ち、その悪名高いLAの交通渋滞に1年ぶりに戻ってきてその中を突き抜け走りながら、4年前の暑かった夏、初めて訪れたその時の風景を思い出した。 USCのホーム球場であるメモリアル・スポーツアリーナの前を埋め尽くした多様な人種と服装の若いファンたち。計3万人という、当時としては記録的な訪問者だ。 LA地域のマスコミをはじめとする外信がポスト - カンナムスタイル時代のK-POPの成長と幅広い人気に注目していたそのシーンの真ん中で、私は文化の蠢きを感じた。今振り返ると、それは本当に素朴に感じられるほどだ。 「KCON」は、現在その規模と地位で全く異なる存在感を持つマンモス級のイベントに生まれ変わった。今年はLAだけでなんと8万5千人が殺到したが、先に行われたニューヨークの4万人とメキシコシティの3万人を合わせると、過去3年間の北中米だけでなんと5倍以上の成長を遂げたわけだ。 2012年のアーバインには1万人余りしか訪れなかったことを思い出すと10倍以上であり、直接見なければ信じられないほどの爆発的な増加率を記録している。

 

イベントの規模は、観客だけでなくスポンサーの数で判断されるものだ。 今年は50社のスポンサー、その中でトヨタ、アマゾン、AT&Tなど有力スポンサーだけでも20社以上のメーカーが参加した。 あえて数値を一つ一つチェックしなくても、単一国家の大衆文化関連行事としては最大規模に近いだろう。 ただ記録された数字だけでも、数年前から一部から出ている韓流の危機論やKPOPの後退に対する懸念、あるいは疑いに対する反論が可能だろう。 昨年の記録的な成功がヘッドライナーだった防弾少年団の爆発的な人気を通じて可能だったとしても、すでに全く違うラインナップで再び1万人以上参加客を増やした今年の結果は、KPOPの全般的な成長ということ以外にこれといった別の理由を見つけられなさそうだ。

 

「KCON」は通常のK-POP公演とはその性格が根本的に違う。ロサンゼルス・コンベンションセンターを埋め尽くしたまま3日間進行されるパネル発表やワークショップでは、KPOPだけではなく韓国の大衆文化関連のあらゆるテーマが扱われ、週末にステイプルズセンターで開かれる「M COUNTDOWN」コンサートは一般的な音楽放送とは次元が異なる圧倒的なスケールで行われる。さらに重要なことは、「KCON」は、時間とコストと労力を投資するKPOPファンの情熱に基づいたイベントという事実である。ほんの数年前まで、オンラインの趣味がすべてだった米国のアイドルファンは今、「KCON」を通じて自分の好みや経験を共有し同質感を確認するだけでなく、彼らが支持するスターに直接会う滅多にない機会を得ている。会場のどこでも感じられる肯定的で熱を帯びた雰囲気は、海外通信社の表現通り米国の「コーチェラ(Coachella)」音楽フェスや「コミコン(Comic-Con)」のようなイベントの韓流バージョンのような雰囲気を与える。

 

熱狂的な趣味のコミュニティを作成して確認するその貴重な経験を得るために、彼らが支出する費用は決して少なくない。 CJ E&Mの資料によると、「KCON」を毎年訪問するアメリカのファンの場合、2泊3日間の日程のために総額2,300ドル、韓国ウォンで260万ウォン相当のお金を費やしているという。アメリカ人にとっての韓国文化のメッカ同然であるLAで、レコードショップなどに立ち寄ってアルバムやグッズなどの追加的な支出をする分は除いた金額である。現場で話を交わしてみたファンたちの事情も同様だった。金銭的に余裕のない学生の場合は、この3日間のイベントのために通常よりアルバイトを追加し、いわゆる「KCON」のために「弾丸装填」をすることは1年の中で最も重要なことだという。ニューヨーク州の小さな都市から来た一人の女性ファンは、自分の学校はもちろん近所で事実上唯一のKPOPアイドルのファンであると自分自身を紹介し、個人の都合で近くの「NYコン」に参加できずより多くの費用のかかる「LAコン」にきたが、それでも自分のように音楽が好きなファンは自分が好きな歌手により多く会う事ができるという期待感に対する費用は考えないと言っていた。現在1,500ドルに達するプレミアムチケットは、なんと2万人を収容することができるステープルズセンターの座席層の中でも最も早く完売する。もう少し立体的にデータを見る必要があるが、「KCON」がますますメインストリームである中産階級の関心を得ているという解釈も可能である。

 

一体アメリカでは誰がKPOPを聞いているのか?KPOPは本当に人気があるのか?PSY以降の可視的な成果を期待したり、あるいは疑っている韓国のファンたちなら自然に持つ疑問である。 「KCON」はこれについていくつかの答えを示している。一つ前提としなければならないのは、米国は地理的にも文化的にも人々が思うよりもはるかに大きく、複雑な国であり、その中でもよく「メインストリーム」と呼ばれる白人主流文化は、あえて目を背ける事もできないほどにその成功の大きさに威力があるというだけでなく、その構造は非常に閉鎖的ということだ。 この100年以上の米国大衆音楽の歴史において、絶対的な主流のジャンルとして受け入れられたのはヨーロッパの白人とアフリカ系黒人たちの音楽系統が唯一で、ここにラテンアメリカの音楽伝統が加味されただけだ。このような歴史と環境を考慮すると、私はKPOPのような外国の文化やサブカルチャーの文化の成否は、単にビルボードiTunesのチャートの成果と同じ数値ではなく、「KCON」 のような参加型イベントの全体的な規模の変化や参加者の面を介して把握する必要があると思う。

 

もう少し詳しく見てみると、現在、米国内のKPOPシーンはよく同胞(トッポ)と呼ばれる韓国系アメリカ人を中心に、その主力電波の対象であるアジア系アメリカ人が主な消費層だった数年前とは全く異なる様相を呈していることを発見することができる。ニューヨークの「KCON」のみに基づいて見てみても、非アジア系人種の参加率は今年を基準に60%を超えており、驚くべきことにその中の30%以上を白人のファンが占めている。よく「南米のファン」と呼ばれるヒスパニック系がその次が続き、伝統的にアジア系のポピュラー音楽とは縁がなかったアフリカ系アメリカ人の数が全体の10%を占めるほど大幅に増えたことが数値で証明されている。 (「LAコン」では黒人とラテン系の参加者はこれよりはるかに高い数値を示している)K-POPが数年前からダンスポップのカテゴリーを越えてR&Bやヒップホップなどのブラックミュージックを積極的に受け入れており、YouTubeや音源中心の流通構造で米国内の黒人コミュニティからの流入が容易になった状況で、米国内のアーバンミュージックのファンがKPOPの潜在顧客として浮上している状況に注目しなければならない。そしてこの変化の面はKPOPが米国内でアジアンコミュニティを徐々に出て普遍的な方法で拡大される様相とも直接的な関係を結んでいると見るべきだろう。



【ize訳】ソンミ、見慣れぬ美しい가시나(ガシナ)

【ize訳】ソンミ、見慣れぬ美しい가시나(ガシナ)

 

2017.09.06
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017090523157224274

 

ソンミは去る8月22日に発売した「ガシナ」のミュージックビデオで、ソンミは長い髪がぐしゃぐしゃになるほど体を振り、泰然自若とした顔で悪口を連想させる手の動きをしたりする。前所属事務所から発表された "24時間じゃ足りない" や "Full Moon" で見せた姿とは全く違う。振り付けも "Full Moon" でのバレエの動作のように優雅に満月を描いたものから、過激に男性ダンサーの腕を折るものに変わった。

 

デビュー10年目のソンミは大衆に様々な姿を見せてくれた。 2010年にガールズグループWONDER GIRLSを脱退するまでは、大きな瞳と華奢な体つきでガールズグループに要求されたりする、まるで人形のようにきれいな女子のイメージを提供していた。 "So Hot" のミュージックビデオで犬の人形を抱いて通ったり、ショーウィンドウ越しに大きな宝石の指輪を眺める姿のように、典型的と言えるキャラクターを演じたりもした。その点では "24時間じゃ足りない" は反転とも言うことができた。自分のボディラインを積極的に強調させたりする振り付けはWONDER GIRLSではまだ示されていない様なものだったし、曲は最初から最後までセクシャルな緊張感を呼び起こした。続いてWONDER GIRLSに復帰した後リリースした "I feel you" のミュージックビデオでは、ズボンのジッパーを下げる姿で登場する。 "Tell me" や "So hot" で活動する時は分別のない少女のイメージを演技するのに使われていた顔は、むしろ強烈な印象を残すことができるものへと変わった。その間に流れた時間のせいもあるだろうが、ソロ活動はソンミが大衆にもっと強い存在感を残すことができることが何なのかを見つけるきっかけになった。

 

"ガシナ" はソンミが再び現在の自分自身にふさわしい姿を見つける旅のように見える。 "ガシナ" という挑発的なタイトルから、曲のハイライトである「なぜきれいな私を残し/ガシナ」で目と口元の両方が半月のように曲がって笑ったかと思うと突然冷たい表情に急変するソンミの演技では、再び彼女の新しい姿を発見することが出来る。 "24時間じゃ足りない" と"Full Moon"でも破格な姿を見せてはいた。しかし、"Full Moon" の「満月の日/あなたの愛をください」という歌詞のように、ソンミが表現するキャラクターは愛を待つか、愛にしがみつく女性だった。ソンミの体が持つ長所をよく表現した振り付けも、それに合わせて誰かを誘惑するジェスチャーを表現しているように見えた。一方 "ガシナ" では、本当に狂ったように最初から最後まで過剰なエネルギーを見せ、「君は散る/私は咲いている」というように過去の愛に対する感情を表わす。dingoミュージック「イルシプ禁止」で新たな挑戦は怖くなかったのかという質問に対して「プレッシャーは大きかったが私には冒険だった。(ファンに)私と一緒に冒険に出かけてみましょう」と言ったように、彼女は再び大衆にとって見慣れぬ姿で帰ってきた。 KBS「ハッピートゥゲザー」で「同僚の芸能人から何度かアタックを受けたこともあるが、私は私が良ければいいというスタイルです。ありえなくはないし、気に入れば自分からアタックする事もありえます」と言ったように、やりたいことをせずにいられないという性格の反映かもしれない。その姿は見慣れないが、よりうれしいものだ。それは自分がこうありたいという姿を見つけていく過程であるからだ。

 

文 ソジヨン

 

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"Gashina" 가시나=「棘(ガシ)が出る」「美しい花の群れ」「去っていく」

 

읽씹(イルシプ)=既読スルー

 

대시=直訳するとダッシュ(dash)。韓国でも本来の走り出すという意味の「スタートダッシュ」のようにも使いますが、言い寄ること、告白することという意味もあるそう。日本語で言う「アタックする」と似たような感じかと思います。

【ize訳】「人間GUCCI」になったアイドル

【ize訳】「人間GUCCI」になったアイドル

 

2017.09.01
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017083122527260655

 

ガールズグループBLACKPINKのメンバー、ジェニのニックネームは「人間GUCCI」だ。 高級ブランドであるGUCCIの衣装と相性がよく消化するという意味から名付けられた。 BLACKPINKが去る6月 "As If It's Your Last" でカムバックしたとき、各種音楽放送で着た衣装は放送直後「おまけにニーソックスまでGUCCIだ」と言われ、大きな話題になった。 RED VELVETは1ヵ月後 "Red Flavor" のミュージックビデオでMIU MIU、DOLCE&GABBANAなどの商品を着用し、少女時代も先月4日に公開した "Holiday" のミュージックビデオでBALENCIAGA、アレクサンダー・ワン、マーク・ジェイコブス、MSGMなどを網羅した。

 

アイドルが空港ファッション、インスタグラムでの私服ファッション、マガジングラビアを越えて音楽放送やミュージックビデオでもブランド品を着ているのは、ブランド品に対するアイドルの進入障壁が低くなったことが最も大きな理由だ。 デビューしてから1年しか経っていないBLACKPINKは、YouTube照会数1億件以上のミュージックビデオだけでも4つある。 防弾少年団は先週5月、米国「ビルボードミュージック・アワード」で「トップソーシャル・アーティスト賞」を受けた。 G-DRAGONは北米8つの都市や欧州5都市など、全世界29都市でのソロツアーを企画するほどグローバル認知度が高い。 ブランド品の立場としては歩く広告塔の役割をしてくれるアイドルに反対する理由がない。 アイドルの立場としても、高級ブランドは他のアイドルとの差別化・高級化戦略を駆使できるアイテムになる。 例えば有名ブランドを着たアイドルの音楽番組映像のコメントには、「今日のステージ衣装はどこどこの」というようなものが大量に流れている。 ファッションに関心が高い20・30代の女性ファンの目につくのも当然だ。

 

しかし、企画会社とブランドの関係はしばしば破裂音をあげたりもする。 2013年のSHINee "Everybody" のようにメンバー全員がトム・ブラウンのコレクションを揃って着たりしない以上、様々な高級ブランドのそれぞれ違う衣装は「それぞれの服は綺麗だけど、コンセプトが思い出せない」という不満を引き起こす恐れもある。 例えば、RED VELVETのアイリーンは去る7月Mnet「M COUNTDOWN」で、スタイリストが過度に短くリメイクした3.1フィリップ・リムのワンピースのおかげで "Red Flavor" の振り付けをこなすことができなかった。 ファンが「美しく見せたいという気持ちは分かるが、まともに踊って歌うことができる服を着せてほしい」とYouTubeにユーチューブに抗議の動画を掲載するほどだった。 ただ着て立っている訳ではなく、激烈な振り付けを消化しなければならないアイドルの立場からするとブランド品の衣装は、一歩間違えれば邪魔になる事もある。 再びアイリーンだが、去る2月3日のKBS「ミュージックバンク」で "Rookie" を歌う時に着ていたMSGMのワンピースは、同月26日Lovelyzの "WOW!" ミュージックビデオ、やはり同月28日のgugudan "A Girl Like Me" ミュージックビデオにも登場した。 直接制作した衣装ではないだけに、衣装が簡単にかぶることも起こりうる。 MSGMのほかにも、クリエイティブ・ディレクターのアレクサンドル・ミケーレによって華やかに復活したGUCCI製品に対する偏り現象は深刻なほどだ。 IUが去る4月に発売した"Palette"アルバムのカバーで着ていたGUCCIのワンピースは、5月にPSYの"New Face"ミュージックビデオの中のソンナウンのワンピースとして再登場したりもした。 いちアーティストのイメージと作品のコンセプトを決定するミュージックビデオとステージ衣装が重複する現象が相次いで起きているのだ。 2015年の "Bae Bae"ミュージックビデオでのBIGBANGのように、10年以上前のビンテージの高級ブランドをまといでもしない限りは、衣装がかぶるのを避けがたい。

 

Mnet「プロデュース101シーズン2」のように、最近はファンがメンバーの組みあわせまで決定しようとする時代だ。 このような時代的な流れで、アイドルファッションもファンにとってはいわゆる「DIY欲求に火をつけている。 単にきれいかきれいではないかを超えて、振り付けの動作や着る服のブランド間のマッチングはもちろん、振り付けとの適合性、季節との関連性まですべてチェックしている。 いくら有名ブランドの製品であってもコンセプトと合わなかったり、アーティストの表現力を制限するとなったら徹底的に批判する。 難解なファッションがいわゆる「イプドク(オタク入門)」妨害要素に挙げられるほどファッション写真に敏感だ。 それほどファンダムの要求はますます精巧で細密になっている状況で、ブランド品の活用は最初は視線を集めるのに有利だが、ややもするとそのブランドを着ているというもの以上を見せられないという問題を抱えることとなる。 安定的にきれいに見せるか、それともより積極的な試みをするのか。 アイドルのファッションにもう一度変化が必要な時期がやってきている。


文 キムソンジュ(ライフスタイルリスト)
文 キムヨンジン


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以前BIGBANGや2NE1のスタイリストをやっていた方がインタビューで、昔は高級ブランドから衣装をリースしたくてもブランド側からなかなか許可されなくて、わざわざ日本の事務所を通して同じブランドの日本の支店から希望の衣装をリースした事もあると言っていました。そういう苦労と信用の蓄積があって今は割と自由に借りれるようになったとか。


男子版「人間GUCCI」は防弾少年団のVかな...あれはプレゼントの私服が多いようですが、ステージ衣装じゃないけどジェニとSUGAが同じグッチのブラウスを着てたりとか。同性同士でかぶるパターンはそれこそBLACKPINKとRED VELVET みたいに割とありますが、異性で衣装がかぶるのは結構珍しいかも。アワードの時にBLACKPINKのスタイリストがインスタグラムで衣装用のアクセサリーをDIYしてる様子を上げてましたが(パーツをいくつも繋げてベルトを作っていた)、最近は逆にどこかしらで違いを出すというのがスタイリストさんも大変なんだろうなあと思いました。

 

この記事のトップの写真はBLACKPINKなんですが、彼女達のステージファッションで新しいと思ったのは、ハイファッション誌のグラビアからそのまま出てきたみたいなのにこんなにガンガン踊るんだなあと思いきや、よく見るとステージの時の足元はいつもフラットでゴツめのブーツというスタイルです。2NE1はブーツでももっとハイヒールだったし、その辺のバランスが今っぽいのかなと。振付も激しくて元々スポーティなイメージの衣装とスニーカーが多いRED VELVETですらアワードや衣装によってはサンダルやヒールで踊ってますが、BLACKPINKはレッドカーペットではヒールでもステージではやはりゴツくてフラットな靴で、「安・全・第・一」って感じ。YGだとWINNERも "2014 S/S" の時期はモデルっぽいコンセプトだったからか、ハイブランドのフォーマル寄りな衣装でステージをこなしていた記憶があります。

 

確かに最近衣装に関するトラブルはちらほら目にします。文中のRED VELVETだけでなくTWICEでもオフショルダーの衣装が下がってきてしまって止むを得ず振付をアレンジして踊ったりとか、BLACKPINKも時々アクセサリーが取れてしまったり、毎回しっかり黒のアンダーパンツを履いてるとはいえフィットするタイプのワンピースがずり上がって来るのを少し引っ張って直してたりとか見ますし。男性だとSMTソウルでユノユンホ先輩のパンツが思いっきり破れて赤パンご開陳事件がありましたね...あの件で本国ペンがスタイリストの解任要請をしたとか?(あの件だけじゃなくて他にも過去にアクセサリーで怪我をしたりというのがあったかららしいですが)生放送中にパンツが破れてやはり赤パンが放送で流れてしまったBTOBミニョクというのもあったけど、個人的にはあの後のミニョクの対応は最高だなって思いました。


特にSMは曲のテンポが異常に早かったり振付の激しいダンスが多いので、超伸びる特殊生地とかでパンツをオーダーしてもいいんじゃ...とちょっと思います。生地じゃなくて縫製の問題なのかな?SHINeeでもSJでも本番中にパンツが破れた場面に何回か遭遇してるので...笑

ここ数年の韓国アイドルの傾向とSMエンターテイメント(とYG)

 

前述の最近のSMエンターテイメントに関する記事を読んでいて、ここ2、3年のSMの目指す方向はどこなんだろうとなんとなく思ってきた事が急にちょっとだけクリアになった気がしたので、脳内整理の代わりにブログに書いておこうと思います。すぐ忘れるので...ほとんど想像と妄想ですし長い。

(しかもSMメインになるかと思いきや1/3くらいYGが占めてしまった)

 

SMという芸能事務所は昔から「大衆音楽」を主にしてきた会社で、多少の浮き沈みはありながらもその都度大ヒットや国を代表する一般受けするメジャーアーティストを作ってきた、とにかく芸能界の王道を行く会社だったと思う。特に90年代末から今に続く「韓国のアイドル」「KPOP」というものを完成させて海外にも広めてきた最大の功労者のひとつではないかとも思う。しかしここ数年、他の会社や企画ものなどが伸びてきたのもあるとはいえ、それとは別に今までとは違う方向を目指しつつあるのではないかという気がしてきていた。

 

韓国のアイドル業界にはパフォーマーとしての才能や華がある子を事務所がオーガナイズしてトップに仕上げるSMという王道があり、そこにカウンター的に現れたのがYGだったのではなかろうか。元々YGはhiphopR&Bという、かつて韓国では超メジャーとは言い難かった「ジャンル音楽」をアンダーではなく一般のメジャーシーンで韓国人が韓国のスタイルを取り入れてやって売れるというのを目的としてずっとやってきた会社なのではないかと思う。楽曲スタイルとは別に世間のフォーマットの流行形態には割と敏感であるがゆえに本場(欧米)こそが至高というそれぞれのジャンルのマニアからは阻害されても、元々は「パーフォーマー兼クリエイター」の集まった会社というのもあり(もちろん会社が企画して世に出した作詞作曲をしないシンガーもいるけど)、一般層からは「音楽的な信頼」というものがある事務所なのだと思う。それ故に今でもYGのアイドルや練習生ですら、YGという冠がつくだけで売れる売れないに関係なく「アーティストや歌手としての実力はあるんだろう」というイメージが無条件に持たれているのではないだろうか。

KPOP前夜として当時大人気だったJYPのRainの流れで男性ソロアイドルとしてSE7ENをデビューさせたりヒップホップグループだった1TYMがアイドル的な人気を得ていた部分はあったものの、2004年に東方神起の登場で韓国の音楽業界が再び一気にボーイズグループアイドルブームに乗った時、流行のフォーマットには敏感なYGがアイドルとして真剣にデビューさせたグループが、自作やセルフプロデュースのできるメンバーを中心に据えたBIGBANGだったのだろう。本人の話によると当初はG-DRAGONとテヤンの2人でアイドルではなくヒップホップユニットとしてデビューすると思っていたそうで(それでサバイバル当時はアイドルグループとしてデビューする事に不満があったと言っていた)結果的にこれは当時はYGにしかできなかった事かもしれないし、10年後にKドル全体の流れを新しくさせる大きな決断だったのではないかと思う。そもそも考えてみれば三大事務所の社長でバリバリの「国民的アイドル」であるという事を自分が経験しているのはヤンヒョンソク会長だけで、しかもソテジワアイドゥルは自分たちで作詞作曲していたけど同時に国民アイドル的な人気もあったという、今でいうまさにBIGBANGみたいな存在だったようだ。

しかしBIGBANGというアイドルが登場して人気が出たといっても、それはあくまで王道であるSMの作り出していたアイドル像があったからこそ「アイドルだけど、自分たちで作詞作曲もするしダンスやプロデュースもできる」というスタイルが特別なものとして輝いた側面もあったのではないかと思うし、G-DRAGONという特例的な存在がいてこそのいい意味でのアイドル界の「邪道」だったのではないかと思う。少なくとも、2013年ごろまでは。

 

しかしその後、YGのグループ以外でもZICOというGDとも比較されるクラスの実力と人気があると大衆から認められるような存在をリーダーとするBlock.Bが一般的に脚光を浴び(2016年に一番音源がDLされたボーイズグループはBlock.B、同じくソロアイドルはZICOだった)ZICOのようには大衆的ではないながらもSMのグループと比肩されるようなファンドム人気を経た防弾少年団のブレイク(2016年もっとも売れた音盤は防弾少年団の『WINGS』アルバムだった)、10代〜20代に絶大な人気を誇ったSHOW ME THE MONEY3から4にかけてのアイドルグループラッパーの活躍や優勝などが続けて起こり、「作詞作曲やセルフプロデュースができる男性アイドルは今や当たり前」というような方向に韓国内の雰囲気が傾いてきてしまったのではないだろうか。
クリエイティビティが重視されるヒップホップ系のアイドルグループだけではなく、近頃はB1A4のような一見アイドルの王道のようでも自作曲で活動をしてきたグループの地道な活動にもスポットが当たっているし(そういえば以前、B1A4自身がロールモデルはBIGBANGと言っていた)、それを売りにしているグループも新人ですら全く珍しくなくなってしまった。一見SMの作ってきたアイドル像に一番近く見えるようなSEVENTEENのようなグループまでもが、「自作ができる」事を特徴とする時代になってしまったようだ。

 

人気のある自作ドルがBIGBANGだけの時はお互い対極の存在としていわば「2大政党制」のようなスタンスでいればよかったわけで、所詮は「与党」であるSMの存在は揺るぎなかったのではないかと思う。2012にデビューして2013にブレイクしたEXOは世界的なブレイクは果たしたものの、ファンドム規模では1位のボーイズグループでも国内の大衆性という面ではSHINee以上の先輩グループ達程認知されていないのがどうやら2012年以降の流れの様で、その後の自社ボーイズグループのアイデンティティに関して、SMはまだしっかりとした指針を決めかねているようにも見える。女子グループに関してはまだ韓国の風潮的には自作やセルフプロデュースは求められていないしまた別種の要求があるので、曲やコンセプトが多少難解でも「可愛い」「かっこいい」に集約されて一般層に受け入れられやすい部分はありそうだが。
(特にSMの女性アイドル達はみんな素材の部分で大衆的にも受け入れられやすい美しさや愛らしさを持っていると思うし、そういうチョイスもされてきているのではないかと思う)


しかしボーイズグループに対する一般層からの要求が大きく変化しつつあるここ数年、あくまでも今までの「王道」アイドル路線を貫くのか?それともクリエイティビティや主体性を売りにする側面も出していくのか?もしくはどちらでもないまた新しいスタイルが出てくるのか?曲やコンセプトやパフォーマンスの精度とは関係なく、そのあたりにそこはかとないどっちつかずを感じなくもないここ数年だった。既存のベテラングループはある程度現状の認知度やファンドムをキープしていけば良いのかもしれないが。

 

SMが音楽的に妥協せずクオリティの高いものを生み出し続けていて、それはむしろ年々上がっている事はアイドルオタクやアイドルの歌も聴く音楽好きやマニアや評論家なら理解していることだと思うが、ぶっちゃけ一般層の間でSMが音楽的に真剣な評価をされる機会というのは、未だにあまりないのではないかと思う。SUPER JUNIORのキュヒョンが同級生にSMの練習生になると言った時、歌手になりたいのにSMに入るのかと若干馬鹿にされたそうで、その頃からのダンスやパフォーマンスのレベルは高いが歌や曲は所詮はアイドル、というイメージは今でも根強いのだろう。あくまで世間的には「煌びやかなイメージで人気アイドルを作るのがうまい事務所」であり、数々の訴訟うんぬんで「アイドルは操り人形」というイメージを世間に植えつけたのもある意味SMではあると思う。
(アイドルに限らず、事務所に全くコントロールされていない芸能人がいるのか?とも思うけど)

 

ゆえにSMがいくら頑張ってクオリティの高い楽曲を各方面から集めて良い仕事をしても、決して本当の意味では「楽曲」に対する正当な評価はされにくかったのではないかと思う。「王道のアイドル」を手堅く作ってきたがゆえに世間的なアイドルへの偏見も同様にそのまま受けていて、一部のソロシンガーの仕事を除いては一般層からの「音楽的な信頼」があまり高くないのではないかとも。いわゆる「自作ドル」達が大衆的に支持を受ける理由のひとつとして、「アイドル本人が制作に関わっているのだから音楽的にも『ホンモノ』に近いのだろう」と思われやすいというのがありそうだが、どんなにクオリティの高い楽曲を持ってしても音楽的なレベルを測る物差しとしては「一般人から見た音楽的な本物っぽさ」という一点のせいで越えられない壁のようになってしまっている部分もあるのではないのだろうか。そしてSMがここ数年EDMレーベルを立ち上げたりSM STATIONを立ち上げたりしたのは、今まで世間的なイメージからは足りていなかった「音楽的信頼」を得ようとしているからなのかな...と個人的には思えて仕方がない。昨年はSM STATIONで音源での人気が高い=一般人気の高い歌手やグループとコラボレーションした曲をたくさん出していたし、アルバム活動させるまではいかずともグループメンバーの自作曲やTV番組との企画曲、チャリティ的な曲を出したりはたまた突然ジャズやインディーズバンドや海外ミュージシャンの曲をリリースしたりの脈絡のなさも、音楽的な幅を見せたいのだと考えるとなんとなく納得というか。シンガーソングライターであるCEOがバラエティでおなじみの顔であるが故に、大衆的ながらも実力派歌手やシンガーソングライターが多く所属しているイメージのMYSTICと提携を結んだのもその一環じゃないだろうか。他にもEDMのレーベルを作ったりEDMのフェスを主催したり、世界的なDJとコラボしたりもしていたし。しかし最近一般的な人気のあるEDMが年々ヒップホップよりになってきてる感じはするのが、SMが本来得意とするEDMのジャンルとも少しズレている気も...そこでラップの上手いマークを高等ラッパーに出したり、Cherry Bombという曲が誕生したのかなとも思う。

 

実はプデュやWANNA ONE人気とここ数年のSMや人気グループの動向が鏡のように背中合わせで関係してるのではという内容の文章を書いていたのだけど、まだまとまりきらないうちにizeの文章が出たのでこっちの文を先に書き終わってしまった。今のSMはNCTで同時に色々な試みをしている時期なのかもしれないけど、個人的にはNCT DREAMのようなシンプルなアイドルの喜びは忘れないで欲しいとも思う。対極の存在にあったYGは自社アーティストをCMですら選んで出していたというイキリ時期(swagと言おう...)は過ぎてキャラクター的にはかなり大衆的な親しみやすさを出すことに躊躇しなくなり、しかし音楽的には根本のアイデンティティは捨てないできていると思う。SMがYGのような「アーティストっぽさ」に寄ってきているのと反対に、YGはSMの持っている「アイドルっぽさ」に寄ってきているとも言える。しかし一方で、アイドル的にはそんなに興味がないという「アイドルファン層」にも一般層にも、曲は良いよねと聴いてもらえるというのがYGのアイドルの傾向にもなりつつあるような気がする。次にデビューさせる予定らしいU20のボーイズグループも、作詞作曲プロデュースが出来る中心メンバーが候補に当然含まれているようだ。こうしてかつては邪道だったはずのYGのアイドル音楽があわや王道になりそうな2017、世間の荒波に流されないためにはどこか根本でブレないことが大事なのかも...と月並みすぎる事を思う今日この頃だったりした。

 

SMが守るべきコアとはなんなのか?何を目指していくのか?この先どうなっていくのか?なんていうことは自分は会社の人ではないからわからないし考えたりもしないけど、やはりこの先の展開がずっと気になり続ける事は間違いないと思う。自分にこんなにも飽きない、アイドルの楽しみというものを教えてくれたのは、何と言ってもSMエンターテイメントなので。

【ize訳】2017年夏、SMが行くところ

【ize訳】2017年夏、SMが行くところ

 

2017.08.31
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017083023147269114&pDepth1=i2301


今のSMエンターテインメントはどんなレーベルなのか? もう終りに向かう夏を見てみよう。 夏の始まりがいつなのか分からないが、6月からで十分だとするとヒョヨンから始まる。 その次はこの会社が毎週音源を発表するSMステーションを通じたUVとシンドン、そしてVINICIUSで全部だ。 そしてNCT 127の"Cherry Bomb"が出て、再びSMステーションでAstrid Holidayがデビューした。 ここまで半月ほどかかった。 ここにはダンス中心のポップス、レトロ風ギャグトラック、ミドルテンポのエレクトロニック、海外アーティストのフォークが混ざっている。 一方、NCT 127=直近のSMエンターテインメントのアイドルエントリーの中でも最も新しいグループは、その会社の伝統的スタイルを更新する。 興味深いのは、NCT127でさえ大衆的アピールを狙っているという積極的意図は見つけにくいという点だ。

 

SMエンターテインメントは、グローバル水準のポップミュージックを収集してそれをビジュアルとコンセプトを含めた最終結果、要するにKPOPを作り上げることにとても長い間投資した。 2013年を前後とする時期にその戦略は決定的瞬間を迎え、会社のレベルでは誰もついて行くことができない境地に至っているものと見られていた。 例えば、"Growl"当時のEXOは一つの象徴だ。 その時期のSHINeeあるいはそのメンバーのソロ作業、または少女時代はどうだったか? 個別アーティストの成果には議論があることもあるが、「レーベル」としてのSMは異様に強かった。 何より韓国音楽界に限定して評価する理由がないしっかりとした完成度が、それに相応しい大衆的反応と共にあった。 これを指していわゆる「趣向を先導」したり、「半歩リードしている」感覚と説明することもできただろう。 しかし2017年の時点で見るとき、当時の「半歩」は精巧な速度調整の結果ではなく、絶え間ない加速の過程で直面した象のようだ。

 

SMエンターテインメントはその後ももっと良い音楽、ビジュアル、コンセプトという技術発展を遅らせたことがない。 それらの集合であるプロモーションビデオが、最終生産物のように見えるのは当然だ。 "Cherry Bomb"は夏の間、SMエンターテインメントの主要作品がどんな姿なのかを示す青写真に該当する。 平面的な空間にレイヤーを利用して深さを付与しており、日本中心のサブカルチャーが趣向のベースとして活用されている最近のデザイン傾向が生きている。 ここに彩度の高い鮮やかさと演出された現場感という、SNS時代の流行まで備えている。 そしてKPOPならではのメンバー別コンセプトや衣装や振り付けが加わる。 この組み合わせはRED VELVET、EXO、少女時代の仕事でも様々な形で再登場する。 少女時代の10周年は、歌詞やミュージックビデオまたは芸能活動まで、彼女たちの主体性というのが大きなテーマとして解釈されている。 ここに"All Night"をアイドルプロモーションビデオの本分とメッセージ伝達の間で、画面構成比から編集まで細心に選択した要素で埋め尽くした功労は決して軽くない。 曲全体のリフレインを、言葉通り「ブチアゲる」最後の武器だったドラァグクイーン(drag queen)が登場するやいなや団体の振り付けに差し代わり気が抜けざるをえないという限界があるにもかかわらず、このプロモーションビデオは本当に多くの仕事をしている。

 

しかし、このすべての成果を大衆的な指標で測定すると、残念なものに見える。 BoAの"CAMO"のような今年の女性ソロのうちで最も光る作品も、一瞬で通り過ぎた。 RED VELVETの"Red Flavor"程度を除けば、幅広く大衆に認識された曲があるのだろうか。 これを単なる会社のプロモーション戦略、あるいは誠意の問題として解決することは難しい。 彼ら自身よりも、時代の変化が大きい。 アイドル市場の競争はますますひどくなる。 TVのような伝統的なメディアの影響力が消え、SNSのように気を使わなければならない接点は日増しに増える。 これ以上に人々の関心を独占するメディアはない。 良い結果物を支配的な媒体で展示し、直ちに比較優位を確保することは不可能である。 すべての人たちが、ある日の歌謡番組でS.E.S.を見て恋に落ちていた集団の記憶は再現されていない。 この環境の変化において、音楽市場を害する「鮒」として貶されるという歴史を経験してきたSMエンターテインメントという会社は、クオリティに対する姿勢が頂点に達した瞬間、市場では過去よりも多少存在感が不足しているという矛盾を経験している。

 

SMステーションはシーズン2を迎え企画の幅と深さを増しつつあるが、昨シーズンのような話題性はない。 一種の垂直系列体系を放棄するようにも見えない。 ここにも長所があり、ブランドの価値も健在だ。 かつてよりも多彩な音楽を出しているが、KPOPまたはアイドル中心の会社だということが変わったわけではない。 人々はNCTのようにメンバー構成が自由な流動的概念というのが消費者の志向ではなく、供給者の側の事情なのだということを察知する程度にはしっかりしている。 ここに適切なストーリーを付け加えてラッピングする必要がないほど、市場は平然と巡ってゆく。 今のSMはどんなレーベルなのか? 次はどうするのか?


文 ソソンドク(音楽評論家)
校正 キムヨンジン

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最近のSMのデザイン傾向が「日本のサブカル風味」と解釈されてるのを見て、それがまた日本の一部では日本よりもオシャレととられていたりもするのがいとをかし。

(確かに最近のSMとか韓国でおしゃれとされてるデザインには日本の90年代から00年代前半のサブカル風味を感じて、新しさというより懐かしさを感じるというような声はちらほら見かける気はする)


そしてソシの10周年活動は「アイドルを放棄せずにアイドルというくびきから自由になって主体性を持った少女時代たち」的な解釈をされてたりもするんですね。

 

この記事を読んでNCT以降のSMに関して思っていた事が漠然と形になってきたように思ったので、次あたりメモがわりにまとめようと思います。

【ize訳】ある女性ミュージシャンたち

【ize訳】ある女性ミュージシャンたち

 

2017.08.30
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017082923387245802


2017年は、アイドルやかつてアイドルだった女性ミュージシャン達にとって象徴的な年になりそうだ。 ガールズグループ少女時代のテヨンとWonder Girlsのメンバーだったソンミがソロでカムバックし音源チャートで2人とも良い成績を収め、2年ぶりにフルアルバムを発表したIUはチャートを総なめしており、4年ぶりにカムバックしたイヒョリはJTBC「ヒョリの民宿」に出演中だ。 そしてこの29日に復帰したヒョナは先週、インスタグラムで過去Wonder Girlsで一緒に活動していたソンミの新曲"Gashina"を聞いていることを認証した。 イヒョリがFin.K.Lで活動していた1998年、もしくは少女時代やWonder Girlsがデビューして一緒に活動していた2007年には想像しにくかったことだ。

 

ガールズグループのメンバーではなかったが、IUは会社の企画を通じて手入れされた「妹」キャラになり、「私はお兄さんが良いの」と歌いながら最高の人気アイドルになった。 ところが、そのIUは今年のアルバム"Palette"のタイトル曲"Palette"でその時代を、「長い髪よりまっすぐに切ったショートヘアが好き/そういえばそれでも『Good Day』歌ってた時はほんとうに綺麗だったよね」と回想する。 さらにタイトル曲中、自分のあるいは自分に対する他人の好き嫌いについて話す。 これはソンミが"24時間じゃ足りない"時代と今でどこか変わった理由でもある。 ソンミは"Gashina"でも"24時間じゃ足りない"のようにセクシーな姿を見せてくれる。 しかし、"Gashina"のミュージックビデオで口に牛乳を含んだままセクシーな雰囲気を見せたソンミはすぐ自分の空間を駆け回り、まるで指で悪口を表すような動作をすることもある。 "24時間じゃ足りない"のパフォーマンスを代表していた伏せて踊るダンスは"Gashina"のパフォーマンスのイントロ部でも繰り返されている。 しかし、ソンミはすぐ起きあがって観客に向かって銃を発射するように手を振る。 セクシーなファンタジーを想起させる動作が今回は"Gashina"と名付けられ、自分自身を表現する過程の一部になる。

 

男子アイドルが自我を掲げたソロ活動を通じ、いわゆる「アーティスト」として認められるのは既に一つの公式のように考えられている。 G-Dragon、ZICO、RAP MONSTERなどロールモデルにされる事例も多い。 反面、女性アイドルが自分自身を表現するのはいつも冒険的な試みとされてきた。 ガインは女性としてのアイデンティティセクシュアリティと結合して見せながら、着実に大衆的な反応を得た。 しかし、彼女が属したBrown Eyed Girlsはガールズグループの中で最も独特な領域にあり、ソロで発表した新曲はどれほど破格的なコンセプトを見せてくれるのかに関心が集まったりした。 イヒョリがアルバム"Monochrome"の"ミスコリア"と"Bad Girl"などで、他人から視線を受ける女性でありスターとしての自分について歌ったのは、アイドルからは完全に距離が遠くなった後だ。 一方、IUは"夜の手紙"のように大衆が従来の自分に期待する曲とともに、"Palette"を発表した。 "Palette"も、退屈に思えるほど心地よいポップスの形式を帯びていた。 ソンミは曲のハイライトにトレンディーなビートを掲げ、セクシーな歌手として大衆との接点を設けている。 ヒョナは依然としてセクシーで、時には身体の露出で物議を醸したりもする。 ただ、最近は自分に対する非難に堂々と「私が上手くやっているからそう見える」と言い返すようになった。 ヒョナの歌"どう"の歌詞は「つまらない偏見の中に私を合わせないで面白くない」だ。

 

少女時代やワンダーガールズのデビュー10年目にこのような現象が起こるのは、当然偶然ではない。 この期間にIU、ソンミ、ヒョナ、テヨンたち全員が再契約をしたり所属会社を移籍した。 その過程でコンテンツ制作への彼女たちの影響力が上がることは十分に予測可能なことだ。 また、ソンミはWonder Girlsから脱退した後ソロで劇的に復帰し、またWonder Girlsに戻ると以前とは全く変わった音楽を披露したりもした。 大衆は"Tell Me"を歌っていた時代のソンミと"Gashina"の間でソンミが見せてくれた変化の流れを知っている。 テヨンの"Fine"は「頭をぎゅっと縛って散らかった部屋を整理」し、失恋を反芻する女性を描写する。 少女時代のタイトル曲では見られなかった姿だ。 しかし、少女時代のメンバーたちはこの10年間、多様な方式で自分の考えと日常、時には愛について述べてきた。 その結果"Fine"のように少女時代のメンバーが失恋について話すことが自然に受け入れられることができたのだ。

 

つまり、彼女達は韓国において、女性で、アイドルであり、なおかつミュージシャンとして自分の声を音楽に反映できるようになった初めての世代なのだ。 彼女たちの前の世代は、イヒョリを除けばアイドルのスター性とミュージシャンとしての人生を同時に平行することができなかった。 通常の場合、グループは声をあげる前に解体されてきた。 市場はイソラのような一部のアーティストにだけ女性が自分を表現してあらわすことに商業的な反応を見せた。 少女時代やWonder Girlsの世代に達し、女性アイドルは自ら大衆の真ん中で、「私」を表現することを彼女たちなりの基準で世に出している。 彼女たちがインスタグラムを自らの重要な宣伝窓口にすることは注目に値する。 ヒョナは自分の新曲パフォーマンスをインスタグラムで事前に披露しており、ソンミがインスタグラムで見せてくれる自分を撮った写真はソロ活動のビジュアルスタイルと繋がっている。 彼女たちはインスタグラムを通じて自分について語り、自分の好みで選んだ写真とイシューを伝え、それを結果に反映する。 "Fine"のミュージックビデオでテヨンの家として設定された空間は、現実の女性がインスタグラムに載せるために少し演出した場所と言っても過言ではない。 ガールズグループのメンバーではなく、リアルな女性が経験しそうな別れにふさわしい空間。 ガールズグループも、ヒップホップに限らずどんな世界の感性と趣向でも音楽産業の主流に入ってこられる。 おそらく今後ずっと目にするようになるであろう、新しい出来事の始まりだ。

 

文 カン・ミョンソク
校正 キム・ヨンジン

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ソンミの"Gashina"(가시나
)には「棘(ガシ)が出る」「美しい花の群れ」「去っていく」の3つの意味があるそうです。