サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【rhythmer訳】ラッパーの承認欲求が作り出した流れ、「グローバルコラボ」

【rhythmer訳】ラッパーの承認欲求が作り出した流れ、「グローバルコラボ」

 

2015-03-19

http://m.rhythmer.net/src/magazine/feature/view.php?n=16060


最近韓国のラッパーと海外の有名ラッパーの間のコラボレーションが月に一度の割合で殺到している。 「ついに来るものが来たのか!」と、皆を驚かせたOutsiderとTwistaの"Star Warz(星の戦争)"を皮切りに、San-EがKRS-Oneをはじめとして多様な国家のラッパーを招待した"#HIPHOPISHIPHOP"、防弾少年団のラップモンスターがWarren Gのビートに乗せてラップをした"P.D.D"がそれぞれ3月初めに発売された。 面白いのは、3人ともがヒップホップシーンの中で言うWack MC扱いされたり、マニアと評壇からの持続的な酷評に耐えている彼らという点だ。 「ヒップホップ」という言葉を叫んでいるのだ。 2015年が彼らにとっての逆転の年になるかは知らないが、彼らに同時に突破口として訪れたのは、まさにこのような(全盛期は過ぎたが依然として名声のある)米国のヒップホップスターたちとのグローバルコラボレーションだ。 そしてこれを可能にした力がまさに「承認欲求」というのは興味津々に捉える必要がある。 どのような意味であれ、韓国ヒップホップの歴史に残るこの3曲を注目してみよう。

 

Star Warz(星の戦争)ーOutsider/Twista

認定欲求:速度を除いては大したことないって? 悔しい。
突破口:地球の裏側で自分と一緒に孤独な道を歩く(?)Twistaと戦争

「誰より早く俺は人々とは違う 新しくリズムに乗るビートの上の旅人」をモットーにするOutsiderは、猛烈なスピード感にも関わらず優れた伝達力を持ったラップで話題を集め、疎通を渇望するテーマの「ひとりぼっち」で一気に大衆を虜にした。 そしてOutsiderは高速ラップによって4枚のゴールドアルバムと1枚のプラチナアルバムを保有したスピードラップスターTwistaとよく比較されたこともある。 特に、Twistaの全盛期がOutsiderが人気を得ていた時期と大差はなく、国内ではこれはいい宣伝材料になることができた。 しかしOutsiderは、大衆的な人気とは反対にスピード感と伝達力のほかにはあまり注目しうるポイントがなく、だんだん飽きてくるラップと強引な感性に訴える粗悪な構成の音楽のせいでヒップホップシーンの中では認められなかった。 このような状況ゆえに何人かのラッパーの嘲弄、あるいは怒りを盛り込んだdissトラックの対象になったりもしたが、このような彼が突破口として見つけた人は当然Twistaだった。 「俺はブレーキを粉砕 やっちまったVenom GT/これはスピードスターとTwistaのPhilosophy」とラップ哲学を共有して開始する"Star Warz(星の戦争)"は2人のコラボ自体に集中してアピールし、耳目を集めることに成功した。 しかし、面白いイベントとして軽く受け入れられるには時期が遅すぎたし、真剣に受け止めるには多少の失笑を催す。 聞くなり、首を落とすほどの散漫さが曲全体に見られるからだ。 「ラップという言語で駆使する光と光の摩擦/新しい歴史を書いていく60億分の1の対決」という歌詞と「地球の裏側で同じ道を歩いてきた両ラッパーの歴史的な作業」と書かれた報道資料として2人を同一対象に入れるという企画は、Outsiderが今まで発表した結果物とこの曲が盛り込まれたアルバムを考えてみれば、ただのきまり悪い認定欲求の発現のように読まれるだけだろう。

 


P.D.Dーラップモンスター/Warren G

認定欲求:アイドルだからと言って認めないことは認められない!
突破口:米国のギャングスタラップ系の名プロデューサー、Warren Gに認定を受ける

プロデューサーパンシヒョクが企画したボーイズグループ防弾少年団は、ヒップホップジャンルを前面に押し出すことで巷のあふれているアイドルグループたちの間で差別化を狙った。 露骨にジャンルアイデンティティを標榜するというのはジャンルのマニアと評壇の視線を受けやすいということであり、また説得力のある差別化に向けてその視線を切実に必要とする。 ジャンルシーンの認定を受けなければならない試験台に自ら上らなければならないのだ。 デビューのタイトル曲"No More Dream"において「90年代Golden Eraへの回帰というモットーで90年代に大きな人気を集めたギャングスタラップを再解釈」したという呆気に取られるような報道資料を作ったり、ショーケースに音楽評論家たちを招待して評壇の暖かい視線を渇望したのもこのためだった。 そのためだろうか。 防弾少年団の音楽にジャンル的な価値を見つけたがった評論家が、似たような部類の他のグループよりも多かったのも事実だ。 結果的にヒップホップアルバムとしてはこれといった注目をする必要のない完成度のせいで支持を得ることは難しくなったため、多分そうした人間的欲求がさらに悪化したのだろう。 彼らが得た人気の理由もジャンル的完成度とは距離が遠く、その反対に近かったからだ。 このような防弾少年団の看板であるラップモンスターが「ミックステープ」というジャンルのアーティストとして行動を意識した結果物を準備し、米国ウェストサイド、ヒップホップの代表的なプロデューサーであるWallen Gとのコラボレーショントラック"P.D.D"を発表した。 彼らを主人公にしたMnetの番組「アメリカン・ハッスルライフ」の延長線上で作られたトラックで、いわゆる「米国の名プロデューサーが認めた韓国のラッパー」という企画であるわけだ。 防弾少年団に友好的な音楽活動家のキムボンヒョンが時を合わせて進行したWallen Gのインタビューにおいて、ラップモンスターの話が相当部分を占めたのも同じ流れとして見ることができる。 ラップのテーマも自分を認めない人々に捧げる宣戦布告だ。曲自体だけを見ればプロダクションとラップの両方を楽しむに値する。ただし、「ミックステープ出たらつけてみろRating」という類の歌詞は鑑賞を妨害したりもする。 ヒヨコマークのラッパーがよく口にする話が「正規アルバムが出れば証明」なのに、さらに正規アルバムを出したボーイズグループのラッパーが「ミックステープ」を通じて何かを証明しようとしている。 なぜしきりに違う方法で何を証明しようというのかは、さっぱりわからない。

 

 

#HIPHOPISHIPHOPーSanE/KRS-One

認定欲求:俺がヒップホップじゃないって? 韓国ヒップホップシーン全体がすべてhate me?
突破口:「ヒップホップそのもの」であるKRS-Oneと全世界のラッパーが出て一緒にコラボ?

優れたラップの実力で大きな注目を受けJYPエンターテインメントと契約までして相当な期待を集めたSanEが、数年間の経歴を続けた後に彼に熱狂したヒップホップコミュニティの嘲弄を受けている現実は興味深い。 ブランニューミュージックと契約した後に本格化したいわゆる「バラードラップ」に代表されるSanEの行動は、実はもう少し綿密に調べれば、自分との熾烈な戦いであると読むことができる。 ヒップホップとあまり関係のない音楽の成功をヒップホップのトラックを通じて誇り、「音楽は俺の自尊心だが自分の自尊心を売った/親と俺の家族守ることができるならこれしきの自尊心」という荒唐無稽な歌詞で音楽的正当性を得ようともした。 韓国ではヒップホップ、ラッパーとしてのアイデンティティをみせているが、チャートで1位になったような曲のディスクのトラックを適切に割り当てることも忘れず、ヒップホップをテーマにしたプログラムに着実に出演してヒップホップに関する多くの話をしたりもする。 しかし、それにもかかわらずますますヒップホップミュージシャンとしては認められていない。 このような彼が最近、突破口として選択した方法はまさにヒップホップのマスターと呼ばれるラッパーKRS-Oneとのコラボレーションだ。 このプロジェクトには2人のほかにも多くの国のラッパーたちが参加した。 テーマはタイトルの通り「ヒップホップイズヒップホップ」だ。 ヒップホップミュージシャンとして認められたい欲求が天を突く勢いのSanEとブランニューミュージックとしては、ちょうど適切なテーマなのではないかと思う。 面白いのは、このトラックのメインゲストであるのKRS-OneNellyとdiss戦(訳注:"#1" "Clear 'Em Out")を展開する際に、主なテーマだったのがhop repだったという事実だ。 SanEが音源チャートを露骨に狙う「韓国型hop rep」の代表走者という点で皮肉だと言わざるをえない。 そのような意味で、今回のコラボはSanEの挑発的な発想として受け入れることがこの粗悪で散漫なトラックを最後まで聞く唯一の方法だ。

 

 

ヒップホップデュオJinuseanがかつて2001年「The Reign」で韓国ヒップホップ界の10年分の客演の気配を使いきっていたのか、これまでは非常にまばらだった米国の有名ラッパーとの共演の知らせが一気に押し寄せている。 それもかなり驚くべき組み合わせでだ。 しかし、その主体が大衆的にはある程度成功したが実際のシーンではヒップホップミュージシャンとして認められていないラッパーたちという点は逆説的だ。 彼らのなかなか解消されない認定欲求が今まで簡単には見られなかった新しい流れを生み出しているのだ。 結果の満足度は聞く人によって千差万別だろうが、韓国ヒップホップの奇妙な現在を読む興味深いコードであることは明らかだ。


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hop rep=hip hop represent/reputation

 

訳しかけで放置してたものをいくつか発掘したので載せておきます。

 OutsiderもTwistaも高速ラップで有名なラッパーですね。プデュ2のチャンムンボクはOutsiderの高速ラップに憧れてラップを始めたそうですが、結果的に今Outsiderの事務所にいるという。
しかしさすが大衆音楽ではなくヒップホップのメディアだけあってめちゃくちゃシビアで意地悪な文章だと思いましたが、とはいえ当を得ている部分もありというか、日本でも多分昔はこういう事言われてたんだよなぁという。一口にコラボと言っても、純粋にアーティストとして認め合ってというわけではなく色々な事情でされたりする事もありますもんね...。でもそもそもヒップホップ自体が承認欲求そのもののジャンルじゃないのかな?とも思うので認定欲求のために海外コラボする事が悪いとは思いませんが...要はその認定欲求の表し方ということかな。
コラボうんぬんよりの内容よりも、メジャーシーンにいるラッパーのアンダー界隈での扱いがうかがえる感じでそこが面白いと思いました。

 

ちなみに文中にあるジヌションの「The Reign」は2001年のアルバムですが、Mobb DeepCypress Hill、Chino XLといったアメリカのラッパーや日本からはm-floがコラボで参加しています。当時の韓国音楽業界的にはかなりすげぇという感じだったみたいです。YGは今みたいに大手事務所ではなかったし、ウェブもそこまで発達してなかった時代の事なので。

【ize訳】ONE│インタビュー ②「音楽は一人でするものではないんだということに気付いた」

【ize訳】ONE│インタビュー ②「音楽は一人でするものではないんだということに気付いた」

 

2017.07.27
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017072523387248962&pDepth1=i2201

 


ーYGは通常内部のプロデューサー達との作業が多いですが、新人なのに外部プロデューサーのチャチャ・マーロン、Groovy Roomなどと作業しましたね。

 

ONE:最初は「SMTM」が終わってすぐ、自分が生き残るためにむやみに音楽作業を開始しました。 具体的なプランもなかった。 そんな風に始めたからなのか、会社にTEDDYヒョンやタブロヒョンのように良いプロデューサーの方がたくさんいるのに自分一人でやってみたかった。 今の自分は2曲しかない状態だから、この曲がどのようにどのような過程を経て制作されたのか人々がすべて知ることは不可能だ。 会社側が考えた通りに持って出たと考えてくることも可能だ。 そうではないという事実を分かって欲しいというわけではない。 しかし自分の立場としては、最初から誰かが作ってくれた作品を歌ったりしたら自分でもさらに混乱しそうだった。楽しくもなさそうだったので...。

 

ー全体的なアートワークやスタイリングにも積極的に参加したと聞きました。

 

ONE:スタイリングの方向を決めるのにとても長い時間がかかった。 スタイリングチームに僕が好きな映画を見てもらって、一緒に話もたくさん交わした。 もちろん、惜しい部分は相変わらず多い。 音楽でもスタイリングでも映像でも、最大限自分らしく素の自分の姿に近い姿をお見せしたいんですが、ちょくちょく不自然に感じられる場合があるので。 ところが、最近は自分を少し抑えようかなという気持ちもあります。 自らとても欲を持って参入すれば、むしろ後々になって自分が堪えられなくなりそうで。 一緒に働く人を信頼してこそ、より長くいい結果を作ることができるのだという点を学びました。

 

ー「自分らしい姿」を強調されますが、本来の性格はどうですか。

 

ONE:憂鬱な映画よりは明るい映画を見なければならないタイプだ。 憂鬱なのを見ると、とめどなく憂鬱になる。 幼い時子供の頃「SOS特攻隊」のようなプログラムをたくさん見ていて、母や兄にはそんなものあまり見るものじゃないと言われていた。一度見たら一週間はその内容について考えていたので。そしてアメリカのドラマの中に本当に好きな作品がある。 「How to Make It in America」で自分がいわゆる「人生のドラマ」として挙げる作品だ。 二人の男が一生懸命に服を作っていく過程が盛り込まれたドラマだけど、すごく苦労する。 実はそういうことが好きだ。 観客としての自分が見る時は、そのような姿もとても美しく見えるから。 今自分が苦労している姿も後で第三者の誰かの目には美しく映ることができるのではないかという考えもあって。 青春ドラマや成長ドラマのようなものに引惹かれる。 「千と千尋の神隠し」もそういう理由で好きだけど、OSTを聞く度に彼らの姿が思い出されて、自然に心が楽になります。


ソフィア・コッポラ監督が好きだとおっしゃってましたが、今回のプロモーションビデオでコッポラ監督特有の色合いが見られますね。

 

ONE:そうですね。 僕がずっとそう提案しました。 ビンテージっぽいイメージでやりたいとずっと話していて、自分がどんな感情でこの音楽を作ったのかお見せしたくてミュージックビデオの監督とも引き続き相談した。 それで「Gettin' by」は最後の修正作業時の最初から米国に送った。 幸いにもその雰囲気が出たのは嬉しいです。

 

ーもしかして演技もしてみたいですか。

 

ONE:もし演技ができたなら、暗くてかわいそうな役をしてみたい。 身体的に苦痛を受けている役割であるかもしれないし、精神的に追いつめられる役かもしれないし。 現実とは違う世界を演じてみたい。

 

ーたくさんの経験をしてみたいように見えます。 難儀な役割もいとわないなんて。

 

ONE:そうじゃないです。苦労するのはもうやめなくちゃ。 僕も「花道」を歩かなければ (笑)正直言うと年を取るのは嫌だけど、大人っぽくは見られたい。 年を重ねた人たちだけが持っている趣が存在すると思うので。 経験をたくさんしたせいか、彼らの中に蓄積したものが見えるので...まだ自分はそうじゃないから。

 

ー最近になって新たに気づいたこともあるかもしれませんね

 

ONE:欲をちょっと捨てたい。 珍しい事なんですが。これまでは自分に欲があるからこそ何かをすることができるのだと思っていたけど、欲が過ぎて崩壊する人たちをよく目にして。 あ、それで自分の音楽に対する考えがちょっと変わったんですね。 音楽を作っている時は、これが自分に最も似合う感じだと思って作る。 でも、人は時間の流れとともに変わっていくものではないか。 自分だけではなく、音楽を作る人たちは皆そんな感じだ。 作ったからといってすぐに世に出られるわけではないから。 自分の姿は変わったのに、人々は以前の僕の姿を今の僕として記憶することになる。 でも、最近はこの音楽が自分に似合うんだという事を一人で下手に判断しないようにしたほうがいいという気持ちもある。 そう考えると、自分の心がちょっと楽だ。 この作品が今世に出るとしても、見る方からしたらその時の僕も今の僕も同じなんだと。


ー "そうだねヒョン / 人気は俺には無駄なものだね"「Comfortable」のステージでこの部分歌詞は短いですが…最も印象的でした。 デビューした今は少し欲が出ますか。

 

ONE:人気が第一です(笑)自分は部屋で一人で作業してる人ではないので、人気を得たいと思うのは当然です。 自分のシングルが出る前までは「気にしないようにしよう」「僕はやるだけやった」という風に考えるようにしてました。 でも、いざ音源が公開されてみるとチャート成績がそんなに良くはなかった。 それを見たら急に自分にもっと人気があったらいいのにという気持ちになった。 僕と一緒に仕事をしていたプロデューサー、スタッフの方たちがいるじゃないですか。 チャートの成績に満足できなかったので、彼らの事を思い出すと気分が良くなかっです。 自分一人ですることじゃないんだということがその時わかりました。

 

ーでは、どのようなミュージシャンとして記憶されたいですか。

 

ONE:最近一番多く思うのは、誰も自分の代わりにはなれなかったらいいのにという事ですね。 単に自分の色がはっきりしていると言うのとはちょっと違うけど…。自分じゃなくて他の人も自分のようにできると思ったらとても悲しくないですか。 そういう意味です。 ああ、今日はとてもいっぱい喋った。

 

ーもともと口数は少ない方ですか。

 

ONE:そうです。一週間は喋らなくても平気(笑)

 

 

記事 パクヒア
インタビュー パクヒア
校正 キムヨンジン

【ize訳】ONE│インタビュー ①「愛の歌をとてもくすぐったい雰囲気に作りたくはない」

【ize訳】ONE│インタビュー ①「愛の歌をとてもくすぐったい雰囲気に作りたくはない」

 

2017.07.27
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017072523317289067&pDepth1=i2201

 

1PUNCH時代のあどけない少年を思い出す人もいれば、Mnet「SHOW ME THE MONEY」時代のハンサムラッパーを覚えている人もいるだろう。しかし、ONEは新しい会社に移ってソロでデビューし、2番目のスタートラインに立った。 「SMTM」の後、決して容易ではなかった2年余りの空白の後に出てきたONEの物語である。

 

ー「SHOW ME THE MONEY」以降、多くのことがありましたね。

 

ONE:SMTMの頃の記憶はもうまったく消してしまって(笑)覚えていません。 最近は忙しいのでむしろ落ち着いてきました。 当時は一日にプランというのがなかった。 自分ができるところまでするのが一日だった。 それは本当に大変なことだった。 なるべく早く、さらに年を取る前に自分と言う人が世の中に公開されなければならないというストレスがひどかった。 ところが、今は何かをしているからあの時よりずっとよくなった。 ただ、初めてデビューしたような気分です。 環境が変わったということもあり、全体的に自分の考えや多くの部分が変わった。


ー先日のメディアデーはただご自身のためだけの場所でした。 プレッシャーは感じませんでしたか。

 

ONE:幼い時から自分に関心が集中する状況は耐え難かった。 親戚たちが家に来る時も自分に関心が来るか心配して、わざと避けていたくらいで。 メディアデーの時も最初はすごく緊張したけど、徐々に時間が経つほど楽になりました。

 

ー関心を受けているだけに、ご両親も心配をたくさんされてるでしょうね。

 

ONE:もともと放任主義なんですよ。 父は絵を描いていたけど、おじいさんが反対してやめたんです。 その影響のせいか、17歳の時に僕が学校をやめると言った時も反対しなかった。 音楽に本格的にハマったのは中学生の時でしたが、今よりも音楽をもっと多く聴いてましたね。 ジャンルも問わなかったけど、ブラックミュージックが好きだったので勉強をきちんとしてみたくてヒップホップのワークショップにも参加しました。 17歳の時にJinboヒョンがジャムレッスンのようなものを開いたんですが、その時は隣にZion.Tがいました。 その後は映画にハマって短編映画祭に出品すると乗り出したりもして。 その時自分が見て聞いて感じたものが今最も大きな影響を及ぼしてるみたいで。 そのお陰で学校に通っていないことを後悔したことがないです。 10時、11時まで自習していたらこんな経験を得られなかったから。 両親のおかげです。

 

ー今回発表したシングルのうち「Gettin' by(그냥 그래)」は少年のような感じがあり、「heyahe(해야해)」では相手のセクシュアルな姿に敏感に反応する青年の顔が出ている。 あえて相反した感じを見せようとしたんでしょうか。

 

ONE:実はその2曲を作業した当時は、「世の中に公開される歌を作らなければならない」「チャートにランクインするような歌を作らなければならない」という考えが強かった。 たくさん曲があったんですが、会社がその2つの曲を気に入ったし、雰囲気がとても違うので自然に昼と夜というコンセプトに持っていくことになりました。 しかし、この過程を経て、もっとやりたいことが見えました。 自分に本当に似合うものが何かという悩みもあります。 もともと自分はとても余裕がなく生きている方なんです。 色々考えてしまう方だし、敏感で。 自分でもそういう性格がとても嫌だった。 幸い、今は何かしらずっと忙しくしているので、自然に余裕を持って作業したいという気持ちになります。

 

ー「Gettin' by(그냥 그래)」は非常に淡泊な口調で愛について語っています。 まるであなたの日記を読んでいるような気がします。

 

ONE:是非一度は愛に関する歌を書きたかったんですが、でも、愛の歌だとしてもとてもくすぐったい感じで作りたくはなかった。 どんな感じにしなければならないか悩んでいた時にチャチャ・マローンヒョンが録っていたコードを聴いたら、それがすごく暖かいように思えて。 過度にくすぐったいような感じもないし。 歌詞もこの感じの通りに解放してみようと思った。 現に僕が愛について感じる感情もちょうどそんな感じで。 「死ぬほど好きだよ」「あなたじゃなきゃだめだ」というような新しい言い回しの感じは嫌だった。 ここにはありふれた言葉を使う一方で、ありふれていない感じのタイトルを浮かべようと努力した。 「그냥 그래(まぁまぁ)」もよく使う言葉だけど、実際に歌のタイトルに出たケースはないのではないかと。 でも、「그냥 그래」というタイトルをつけてから率直に言えばちょっと心配でした。 「歌手はタイトルの通りになる」という言葉があるので。 実際、悪質な書き込みの中で多いのが「そうだな。まぁまぁの歌だ」ですし(笑)

 

ー近況も「まぁまぁ」ですか? (笑)

 

ONE:最近は楽しく過ごしたいと努力してます。 2曲を作業している時は本当に憂鬱でした。 しかし、今は自分でも明るくなろうと努めているし、わざとでも軽い雰囲気をよく生かした音楽を作ろうとしてます。

 

ー「しなくちゃいけない(heyahe)」は英文タイトルが独特ですね。

 

ONE:ハングルを英語に変えたとき「heyahe」こんな風に形作られるのが良かった。 視覚的にアルファベットの配列がとても気に入ったというか。 音楽を作るとき、視覚的な要素をかなり重要に考えているようだ。 作業する時も編曲してくれるヒョンたちと一緒に集まると、まず様々な映像を探して見ている。 気に入ったものを発見すると「こんな感じに仕上げよう」と話した後に本格的な作業を始めます。

 

ー「heyahe」には「温度」という感覚的な要素から「意味ありげな微笑」や「もつれた髪」、「完璧なシルエット」のような視覚的な要素までくまなく入っていますね。

 

ONE:「heyahe」の仮題が「眠るにはもったいなくて」だった。 その仮題の下に先に書いておいたいくつかのストーリーがあって、最初にぴったりビートを聞いて「ああ、それをそのまま使えばいいや」と思ってそのまま書きました。 その後にタイトルを「heyahe」に変えた。 いつもは歌詞を書く前に普段から自分が今何を想像しているのか先に書きとめておいてるんです。 例えば「パーティー」に関する歌を作ると想定した時は、幼稚で1次元的でもまずそのまま書いてみます。 自分はプレイボーイで、とかなんとかかんとか…その次に表現を変えます。幼稚にならないように。

 

ー絶対書いてみたい歌詞の内容はありますか?

 

ONE:楽しく遊ぶ青春に関する話は必ず書いてみたいです。 英国のドラマ「Skins」に出てくる若者たちの姿から連想されるイメージがあって。 そんな雰囲気が盛り込まれた音楽を作ってみたい。 実は、個人的には歌詞を書く事が音楽を作る過程の中で最も容易な作業だ。ビートの作業をする時もたくさん意見を言う方なので時間が本当に長くかかるんですが、それに比べれば歌詞をつける方がより簡単だ。 かつては最大限素敵な表現を見つけようとしていた。でも今は、本気を表現しようという考えさえあれば、例え幼稚な表現であってもそのまま使おうとしてます。

 

(2へ続く)

 

 

記事 パクヒア
インタビュー パクヒア
校正 キムヨンジン

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言い回しや語尾は日本語でのインタビューっぽく変えて意訳しているところがあります。
チャチャマローンヒョン...

【ハンギョレ訳】誰もが作曲をする必要はない

ハンギョレ訳】誰もが作曲をする必要はない

 

2017-07-28 08:00
http://m.hani.co.kr/arti/culture/music/804672.html?_fr=tw#_adtel

 

[ミミョウのアイドルマインドマップ]

アイドルはよく「他人の曲」を歌う人たちだと認識されている。すべての分野を専門家が担当し作り上げられた存在なので、これは少なからず事実だ。歌と踊りに才能があり、ルックスも素晴らしい人が必ず作曲も上手とは限らないからだ。それでも自作曲を披露し、印象的な活動を繰り広げるアイドルは徐々に増えてきている。彼らはアルバム収録曲の一部を作曲したり、着実にタイトル曲を担当することもある。時にはジョンヒョン(SHINee)、ZICO(Block.b)、HA:TFELT(イェウン、WONDER GIRLS)のように優れた成果を達成しながら、グループとソロ活動を並行することもある。 「作曲ドル」が大幅に増えてきたのは、やはりG-DRAGON(BIGBANG)が注目すべき成果を収めたからだ。特にボーイズグループを中心に作曲するメンバーがいるグループが大幅に増えた。人の魅力と才能を育てるアイドル産業は、個人の犠牲を対価とする。次にその結実した果実をもとに個人として自分自身の統制権を握ることは、多分すべてのハッピーエンドだ。アーティストとしての成長は、明らかに歓迎すべきことである。

 

ただし、アイドルの自作曲がすべて素晴らしい曲というわけではない。周りのプロデューサーたちに大小の助けを受ける場合も多くあるが、利用できる資源を借りてより良い音楽を作り出すのは音楽家として明らかな美徳だ。 しかし、「専門家の手」でも整えられなかった初心者の足りなさがそのまま露出されているケースも珍しくはない。時にはジニョン(B1A4)が作曲したGirl On Topの「こんな場所で」のように、少しつたないような表情が大きな魅力になって、これを模倣する曲が溢れ出ることもある。しかし、そのような素敵な奇跡はみんなに起こるわけではない。 さらには立派なアイドルが大雑把な自作曲を発表するときは、そのアイドルとプロダクションが持っている完璧なイメージがむしろ壊れると惜しんだこともある。

 

多くの場合、アイドルの自作曲は依然として報道資料の中での名ばかりの修辞に過ぎない。 これらがなかなか認められないという事は、これが実際には習作の水準の作品が多いからであるということを否定し難い。 事実「自作曲」というありふれた単語さえも、依然として多くのアイドル作曲は非専門的な試みに過ぎないという内外の認識を反映している。 自分の作品を「自作曲」と呼ぶ専門の作曲家がいるだろうか。中には完成度の高いアイドル自作曲が登場すると不当なゴーストライティング疑惑を暗にひそひそと話す人々がいるのも、やはり部分的にこれと無縁ではない。

 

実力の成長を着実に見守るというのも面白くはある。ファンにとっては素晴らしいサービスだ。むしろ不足するほど、より率直な姿のように身近で格別に感じられることもある。しかし、そのグループのファンではない大衆から見れば、高度に商業化された市場の中で仕上げのみが良い完成度の低い曲をあえて聞く理由があるのだろうか​​?ファンだけが喜ぶ自作曲も悪いことではないが、ファンサービスを通じて大衆にも認められたいというのはほぼ矛盾である。アイドル産業は「各自が上手なこと」を組み合わせるものである。ダンスと歌が優れた人たちがいて、作曲が上手な人があり、コンセプトに優れた感覚を持った人もいる。例えば、最近シンガーソングライター路線を本格化したイヒョリは、過去に自分自身をテーマにして果敢な演出をする一種のコンセプトプロデューサーとしてK-POPの歴史の一時代を興した。彼女は当時作曲をしていなかったし、その成果を誰が卑下することができるだろうか?音楽の各分野には優劣がない。それぞれに違った得意なものがあるなら、それらをうまくすれば良いのだ。 誰もが作曲をする必要はない。

 

<idology>編集長

【ize訳】「アイドル学校」では教えることがない

【ize訳】「アイドル学校」では教えることがない

 

2016.07.26
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017072514117239661


Mnet「アイドル学校」は、ガールズグループを夢見る練習生たちのための学校というのがコンセプトだ。出演者の多くをアイドルになるためのトレーニングをしっかりと受けたことのない一般の人たちで満たすことができる名分である。しかし、この学校では実質的には何も教えない。教師であるキムヒチョルの授業では、ガールズグループの歌において特に目を引く「キリングパート」の重要性を教える。しかし、肝心の試験科目はダンス、歌、体力テストなどである。踊りと歌を教える教師がいることはいる。しかし、2回までの彼らの役割は順位をつける監督官により近かった。教師が出演者に専門的なトレーニングをしてくれる時間はない。代わりに経験と実力のある出演者らが教師の役割を担う。 「アイドル学校」販売促進のミュージックビデオ撮影のための群舞を練習するとき、Mnet「プロデュース101」シーズン1に出演したイヘインは何人かの出演者たちが出演者たちが群舞隊形を崩したと話した。 指摘された彼らはそうでないと反論した。 認知度と実力がすべてそろっている出演者とそうでない出演者間の葛藤。授業は試験と関係がなく、それさえも試験勉強をさせてくれる教師やトレーナーの役割を最小限に抑えている。その結果、出演者たちは何とか調和しようと葛藤しながらドラマを作り上げる。

 

群舞練習中、実力のある何人かの出演者は演壇に上がって他の出演者の群舞を評価し、指示した。練習中に教師がいないような状況では、彼女たちもやらざるを得ない状況だった。ただしそれだけ彼女たちの放送分量は増えた。 「アイドル学校」は100%視聴者投票で成績を決定するため、放送分量は投票に大きな影響を及ぼしかねない。そして、すでに実力を備えた出演者はJYPエンターテイメント出身のナッティのように事務所のトレーニングを受けている場合が多い。 「アイドル学校」は、この番組出演前からキャリアを積んだ出演者にとって絶対的に有利である。他のサバイバルオーディション番組も同じだ。しかし、いちいちすべて批判するのは難しいほど問題が多かった「プロデュース101」ですら出演者たちの合宿期間中、いつでもダンス、歌、ラップなどをトレーニングしていた。認知度は低くても実力のある出演者はグループステージ評価の練習中に注目されたり、現場の評価投票1位になって得票数の劣勢を挽回する「ベネフィット」を得ることができた。一方、「アイドル学校」には序盤から有利な出演者とそうでない出演者の格差を埋める最小限のシステムもない。

 

下位出演者たちが競争システムを介して浮上できる機会がないとしても問題はない。そうなるほどにショーの楽しさを生み出すことのできる劇的なドラマが生じる可能性も低くなる。 「アイドル学校」の問題は単に非倫理的なものではなく、そのような問題があるにもかかわらず出演者たちがこの番組を耐えなければならない理由をまだきちんと与えていないということにある。そして制作陣は、この問題を出演者に転嫁する。リアルタイムで投票結果が発表されている間、最下位の成績を記録した出演者は生放送で自分の心境を明らかにしなくてはならない。人生の中で最も困惑している可能性がある瞬間にも、出演者は、何とか自分の魅力をアピールしなければならない。 「プロデュース101」では、出演者たちを分けて複数の部屋に配置した。製作陣は出演者たちの宿舎での会話の中で目立つものを編集した。一方、「アイドル学校」は軍隊の旧式兵舎を連想させる宿にすべての出演者を押し込んだ。その間で少しでも注目されるためには、目立つ行動をしてしなければならない。

 

製作陣がこの学校の校長にイスンジェを活用する方式は、ショーの問題を集約的に表している。彼は校長だが、実質的には何もしない。学校を歩く2人の出演者におやつを買ってあげながら挨拶をするだけだ。 学校運営の哲学も、成績を高めるための実力もない。 それでももっともらしい言葉でステレオタイプの校長のイメージを作り出す。 「アイドル学校」も同じだ。 出演者たちを成長させ、味を作り出すための綿密な計画はなかなか見えない。 代わりに出演者たちにはあまり関係ない内容の授業を進める。 それだけショーの緊張感は落ち、出演者のキャラクターとストーリーを解く時間は減る。 しかし、このような授業は「アイドル学校」が出演者達を残忍に追い込んでいるという事実を希釈させる。 「アイドル学校」で出演者たちは朝、兵隊のように駆け足をする。 製作陣はこの場面を短く明るい雰囲気で編集する。 製作陣は出演者らに肉体的・心理的にあらゆる圧迫を加えながらも、彼らが自ら明るくて愉快にプログラムを進めて行っているかのように描写する。 そして教師と校長の存在をほとんど消しているようにしながらも、出演者の中で誰かが悪役になるような状況を作る。

 

「プロデュース101」が数多くの批判にもかかわらず興行に成功した理由の一つには、いわゆる「悪魔の編集」の中で苦しんでいる出演者達に投票するというストーリー性があった。支持する出演者を見るために我慢して番組を見るという場合もあった。しかし、「アイドル学校」の制作陣は悪役にはならない。代わりに頑張ってここが良い学校だということを強調し、実際のストーリーとは関係ない部分に時間を費やしている。その負荷はそのまま出演者たちに返ってくる。この欺瞞的な態度がショーをより非倫理的でつまらなくしている。出演者たちを兵舎のような宿泊施設に押し込むからには、少なくとも非難されるような悪役になるという決意は必要ではないだろうか。 「プロデュース101」でさえも良いショーだったと思うような奇妙な考えを持つようにするとは、ある意味ではすごい事だが。


文 カン・ミョンソク
校正 キム・ヨンジン

【ize訳】「SHOW ME THE MONEY6」、楽しさを失った代わりにリアリティを得た長寿バラエティ

【ize訳】「SHOW ME THE MONEY6」、楽しさを失った代わりにリアリティを得た長寿バラエティ

 

2017.07.24

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017072400147215784


今年の初めにMnet「高等ラッパー」を見ながら、Mnet「SHOW ME THE MONEY6」がどのような方向性を取るのか気になった。成功の軌道に乗ったショーが本人たちが作った一定のフォーマットの中で安全に運用された後に面白みを失っていくケースを多く目にしたので、どのような方法の新しさを示すのかが重要だった。初放送から今まで見た結果としては、確かに前と同じような楽しみはなかった。しかし、前のシーズンと確実に異なる点がいくつかありそうだ。
 
「SHOW ME THE MONEY6」の最大の特徴は、プロデューサーをはじめとするすべての参加者がこの番組のルールについてあまりにもよく把握しているということだ。韓国ヒップホップのブランドであるTiger JK、Dynamic Duoは一緒に音楽を作る仲間プロデューサーというよりは自分自身をメンターと想定しており、そうしてみるとかなり鋭く斬っていたDok2も今季での審査基準は寛大になった。参加者も以前のシーズンで話題になった参加者と既存のミュージシャンたちが大挙参加し、ルールや編集によって無駄な犠牲者にされないように本人を演出する。ゆえに誰かに滑稽な役割が与えられる事もなく、これまでになくお互いを「リスペクト」しているのである。 Mnetサバイバルの必殺技である「悪魔の編集」や参加者との間の挑発と葛藤のようなものは「SHOW ME THE MONEY」の原動力であり、すべてのものであり、たとえ誰かが指摘をしてもヒップホップ文化固有のプロパティと言いはなっていた過去のシーズンの雰囲気とは全く違う。 2次予選審査中、Gaekoが「ヒップホップはもはや主流の音楽になった」という場面と、「高等ラッパー」の勝者ヤンホンウォンに向かって「自分が望まないとしても、(影響力ができてしまったら)責任を負いながら暮らさなければならない」と言う場面は、重い責任感となって返ってくるこのショーの副作用を本人たちが責任を負うという意志のように見られた。

 

まだ否定的な視線が多いが、とにかく「SHOW ME THE MONEY」はシーンの構造を少しずつ変えており、計画も変わってきている。 以前まではジャンルとしての認定闘争的な性格がより強かったが、今シーズンではジャンル内でどのような変奏が可能かどうかを示すように、多様なスタイルのラッパーたちに注目している。 まだ不足している部分は多くあるが、前シーズンまでの「SMTM」がずっと指摘されてきた性別比不均衡問題についてもプロデューサーたちが直接女性ラッパーの参加者たちの実力を督励して、公正に審査をしようと努力する姿を見せている。 この5年間、放送の外の厳しい非難にも耳をふさいで目を閉じた製作陣らと数多くの参加者たちが、激しく戦いながらも築いたとても小さな変化と見ることができる。 このような方向で引き続き展開されれば、今季が大して面白くはなくてもいいのではないかという気がした。 6年目になった長寿バラエティがショーとしてよりは更に素材の本質を追求しながら、自分たちが指摘されてきたことに耳を開くのもいい発展だと思う。

 

ショーが残り4回程度の放送を残している時点で、最も注目したい参加者はウウォンジェだ。
「母さんは言った/ハッピーエンドなんてものはないのよ/母さん地獄なんてものもないんだよ/あえて説明すると」
2017年に突然世紀末的、思春期的な感性で現れた闇の参加者が、楽しさを失ってリアリティを得た今回のシーズンでどのような伏兵になるのか知りたい。 そして今シーズンは特に小学生参加者と、ヒップホップには大して興味はないがテレビに出たい予選支援者たちがたくさん登場した。 現在の「SMTM」はEBS「生放送トーク!パンチ!見てみよう」SBS「世の中にこんなことが」過去のMnet「スーパースターK」のすべての役割をはたす総合バラエティになってしまったのだ。 常にこのショーの問題点を指摘しながらも、こんなにも面白い部分をしつこく見つける事が出来て、それなりに期待通りのことが訪れる遊戯でもある。 今「SHOW ME THE MONEY」は面白いコメディーと娯楽のない韓国のTV放送で唯一のバラエティの役割を果たしているのだから。

 

文 ボクギル(コラムニスト)


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今回のSMTMだとやっぱり、ウウォンジェの自分のストーリーを訥々と語るダークなスタイルは独特で気になります。

【ize訳】オンソンウの余裕

【ize訳】オンソンウの余裕

 

2017.07.19
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017071823227296874

 

Mnet「プロデュース101シーズン2」でオンソンウはいつも余裕があった。 上位圏の練習生たちが大挙布陣したチームでも、彼は自分の主張を掲げる代わりに地道に冗談を投げながらピリピリとした雰囲気を和やかに変えた。 ずっと4位を維持していたが順位の下降傾向を経験し、7位まで落ちた時も同じだった。 「ラッキーセブン」7位の椅子に座った瞬間に彼が小さく口にした一言は、まるで彼が最終11人に名を上げる事を予見しているようだった。

 

序盤にはトレーナーたちがオンソンウを見ながら「やっぱり俳優の事務所らしい。 テレビ映りがいいね」と話した。 しかし、オンソンウは自らを「俳優賞」とアピールする時さえ「僕を羨んでも無駄だ。 生まれ変わるしかない」と言い、いたずらっぽい態度を示して、練習生たちの間では「第一印象と違って行動やその表情やジェスチャーが愉快で面白い(キムジェファン)」人として通じていた。 スラップスティックコメディに近いアクションを披露した後に練習生達が笑うと、「みんなを笑わせるのが一番楽しくて少し胸が一杯になった」と喜んだりももした。 視聴者投票でデビューする男性アイドルを選ぶプログラムでは、出演者たちは素敵な姿を見せなければならないというプレッシャーを受けがちだ。 しかしオンソンウは、結果的に緊張と涙で綴られた「プロデュース101シーズン2」でまれに見る余裕を見せ、ユーモアのあるキャラクターとして残った。 ユンジソンと共に明るく運動会MCを務めとぼけたトーク力を自慢し、最終的に5位でWANNA ONEに抜擢された後に感想を言う時も、自分が作った流行語である「本当に本物の完璧(정말 진짜 완전)」を叫んで緊張した座に笑いを起こした。 BoAが、「(WANNA ONEで)楽しいポジションを作るという気持ち」を表現してくれと注文すると、カメラの前という事実を顧みず変顔で歓声をあげたりもした。

 

競争を避けられないプログラムから一歩ちょっと退いたような余裕は、舞台を飾る時も同じだった。 オンソンウが「プロデュース101シーズン2」で特にセンターに対する意志を見せてくれた曲は、成熟した男性のイメージを見せられるスーパージュニアの「Sorry Sorry」と「プロデュース101シーズン2」最後のミッション曲「Hands on Me」だった。 一方、神秘的なイメージが目立った「NEVER」ではファンミンヒョンをセンターに推薦した。 「(ファンミンヒョンが)センターにいる時のバランスがとても良いから、ミンヒョンがするのが良いだろう」と思ったからだ。 自分の長所を隠すことはないものの、ほかのメンバーが持つ能力が必要な時は積極的に支持する。 オンソンウはそんな風に、対決がコンセプトのプログラムで戦わなくても余裕があるように勝った。

 

最近、ウェブドラマ「アイドル権限代行」で彼は後輩の練習生に助言した。 「バスケットボール選手がボールを入れる時、自分が何か神秘の力で入れるんだって思ったとしたら、それのどこがバスケットボールなんだ? それじゃシャーマンだ。 そのまま左手を添えて、足はしっかり立って。 それでボールをたくさん撃てば、入るんだよ。 どんどんやったらいいんだ」彼が「プロデュース101シーズン2」を通じて知ったことがこの2行のセリフに盛り込まれた。 オンソンウは他人を牽制するよりも、自分の長所を堅固に積みかさねて勝利した。 そして今、本番を待っている。

 

文 パクヒア
校正 キムヨンジン