サンダーエイジ

韓国のアイドルとか音楽についての自分が後で読み返ししたい記事のふんわり訳と覚書。

【ize訳】「アイドル学校」では教えることがない

【ize訳】「アイドル学校」では教えることがない

 

2016.07.26
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017072514117239661


Mnet「アイドル学校」は、ガールズグループを夢見る練習生たちのための学校というのがコンセプトだ。出演者の多くをアイドルになるためのトレーニングをしっかりと受けたことのない一般の人たちで満たすことができる名分である。しかし、この学校では実質的には何も教えない。教師であるキムヒチョルの授業では、ガールズグループの歌において特に目を引く「キリングパート」の重要性を教える。しかし、肝心の試験科目はダンス、歌、体力テストなどである。踊りと歌を教える教師がいることはいる。しかし、2回までの彼らの役割は順位をつける監督官により近かった。教師が出演者に専門的なトレーニングをしてくれる時間はない。代わりに経験と実力のある出演者らが教師の役割を担う。 「アイドル学校」販売促進のミュージックビデオ撮影のための群舞を練習するとき、Mnet「プロデュース101」シーズン1に出演したイヘインは何人かの出演者たちが出演者たちが群舞隊形を崩したと話した。 指摘された彼らはそうでないと反論した。 認知度と実力がすべてそろっている出演者とそうでない出演者間の葛藤。授業は試験と関係がなく、それさえも試験勉強をさせてくれる教師やトレーナーの役割を最小限に抑えている。その結果、出演者たちは何とか調和しようと葛藤しながらドラマを作り上げる。

 

群舞練習中、実力のある何人かの出演者は演壇に上がって他の出演者の群舞を評価し、指示した。練習中に教師がいないような状況では、彼女たちもやらざるを得ない状況だった。ただしそれだけ彼女たちの放送分量は増えた。 「アイドル学校」は100%視聴者投票で成績を決定するため、放送分量は投票に大きな影響を及ぼしかねない。そして、すでに実力を備えた出演者はJYPエンターテイメント出身のナッティのように事務所のトレーニングを受けている場合が多い。 「アイドル学校」は、この番組出演前からキャリアを積んだ出演者にとって絶対的に有利である。他のサバイバルオーディション番組も同じだ。しかし、いちいちすべて批判するのは難しいほど問題が多かった「プロデュース101」ですら出演者たちの合宿期間中、いつでもダンス、歌、ラップなどをトレーニングしていた。認知度は低くても実力のある出演者はグループステージ評価の練習中に注目されたり、現場の評価投票1位になって得票数の劣勢を挽回する「ベネフィット」を得ることができた。一方、「アイドル学校」には序盤から有利な出演者とそうでない出演者の格差を埋める最小限のシステムもない。

 

下位出演者たちが競争システムを介して浮上できる機会がないとしても問題はない。そうなるほどにショーの楽しさを生み出すことのできる劇的なドラマが生じる可能性も低くなる。 「アイドル学校」の問題は単に非倫理的なものではなく、そのような問題があるにもかかわらず出演者たちがこの番組を耐えなければならない理由をまだきちんと与えていないということにある。そして制作陣は、この問題を出演者に転嫁する。リアルタイムで投票結果が発表されている間、最下位の成績を記録した出演者は生放送で自分の心境を明らかにしなくてはならない。人生の中で最も困惑している可能性がある瞬間にも、出演者は、何とか自分の魅力をアピールしなければならない。 「プロデュース101」では、出演者たちを分けて複数の部屋に配置した。製作陣は出演者たちの宿舎での会話の中で目立つものを編集した。一方、「アイドル学校」は軍隊の旧式兵舎を連想させる宿にすべての出演者を押し込んだ。その間で少しでも注目されるためには、目立つ行動をしてしなければならない。

 

製作陣がこの学校の校長にイスンジェを活用する方式は、ショーの問題を集約的に表している。彼は校長だが、実質的には何もしない。学校を歩く2人の出演者におやつを買ってあげながら挨拶をするだけだ。 学校運営の哲学も、成績を高めるための実力もない。 それでももっともらしい言葉でステレオタイプの校長のイメージを作り出す。 「アイドル学校」も同じだ。 出演者たちを成長させ、味を作り出すための綿密な計画はなかなか見えない。 代わりに出演者たちにはあまり関係ない内容の授業を進める。 それだけショーの緊張感は落ち、出演者のキャラクターとストーリーを解く時間は減る。 しかし、このような授業は「アイドル学校」が出演者達を残忍に追い込んでいるという事実を希釈させる。 「アイドル学校」で出演者たちは朝、兵隊のように駆け足をする。 製作陣はこの場面を短く明るい雰囲気で編集する。 製作陣は出演者らに肉体的・心理的にあらゆる圧迫を加えながらも、彼らが自ら明るくて愉快にプログラムを進めて行っているかのように描写する。 そして教師と校長の存在をほとんど消しているようにしながらも、出演者の中で誰かが悪役になるような状況を作る。

 

「プロデュース101」が数多くの批判にもかかわらず興行に成功した理由の一つには、いわゆる「悪魔の編集」の中で苦しんでいる出演者達に投票するというストーリー性があった。支持する出演者を見るために我慢して番組を見るという場合もあった。しかし、「アイドル学校」の制作陣は悪役にはならない。代わりに頑張ってここが良い学校だということを強調し、実際のストーリーとは関係ない部分に時間を費やしている。その負荷はそのまま出演者たちに返ってくる。この欺瞞的な態度がショーをより非倫理的でつまらなくしている。出演者たちを兵舎のような宿泊施設に押し込むからには、少なくとも非難されるような悪役になるという決意は必要ではないだろうか。 「プロデュース101」でさえも良いショーだったと思うような奇妙な考えを持つようにするとは、ある意味ではすごい事だが。


文 カン・ミョンソク
校正 キム・ヨンジン

【ize訳】「SHOW ME THE MONEY6」、楽しさを失った代わりにリアリティを得た長寿バラエティ

【ize訳】「SHOW ME THE MONEY6」、楽しさを失った代わりにリアリティを得た長寿バラエティ

 

2017.07.24

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017072400147215784


今年の初めにMnet「高等ラッパー」を見ながら、Mnet「SHOW ME THE MONEY6」がどのような方向性を取るのか気になった。成功の軌道に乗ったショーが本人たちが作った一定のフォーマットの中で安全に運用された後に面白みを失っていくケースを多く目にしたので、どのような方法の新しさを示すのかが重要だった。初放送から今まで見た結果としては、確かに前と同じような楽しみはなかった。しかし、前のシーズンと確実に異なる点がいくつかありそうだ。
 
「SHOW ME THE MONEY6」の最大の特徴は、プロデューサーをはじめとするすべての参加者がこの番組のルールについてあまりにもよく把握しているということだ。韓国ヒップホップのブランドであるTiger JK、Dynamic Duoは一緒に音楽を作る仲間プロデューサーというよりは自分自身をメンターと想定しており、そうしてみるとかなり鋭く斬っていたDok2も今季での審査基準は寛大になった。参加者も以前のシーズンで話題になった参加者と既存のミュージシャンたちが大挙参加し、ルールや編集によって無駄な犠牲者にされないように本人を演出する。ゆえに誰かに滑稽な役割が与えられる事もなく、これまでになくお互いを「リスペクト」しているのである。 Mnetサバイバルの必殺技である「悪魔の編集」や参加者との間の挑発と葛藤のようなものは「SHOW ME THE MONEY」の原動力であり、すべてのものであり、たとえ誰かが指摘をしてもヒップホップ文化固有のプロパティと言いはなっていた過去のシーズンの雰囲気とは全く違う。 2次予選審査中、Gaekoが「ヒップホップはもはや主流の音楽になった」という場面と、「高等ラッパー」の勝者ヤンホンウォンに向かって「自分が望まないとしても、(影響力ができてしまったら)責任を負いながら暮らさなければならない」と言う場面は、重い責任感となって返ってくるこのショーの副作用を本人たちが責任を負うという意志のように見られた。

 

まだ否定的な視線が多いが、とにかく「SHOW ME THE MONEY」はシーンの構造を少しずつ変えており、計画も変わってきている。 以前まではジャンルとしての認定闘争的な性格がより強かったが、今シーズンではジャンル内でどのような変奏が可能かどうかを示すように、多様なスタイルのラッパーたちに注目している。 まだ不足している部分は多くあるが、前シーズンまでの「SMTM」がずっと指摘されてきた性別比不均衡問題についてもプロデューサーたちが直接女性ラッパーの参加者たちの実力を督励して、公正に審査をしようと努力する姿を見せている。 この5年間、放送の外の厳しい非難にも耳をふさいで目を閉じた製作陣らと数多くの参加者たちが、激しく戦いながらも築いたとても小さな変化と見ることができる。 このような方向で引き続き展開されれば、今季が大して面白くはなくてもいいのではないかという気がした。 6年目になった長寿バラエティがショーとしてよりは更に素材の本質を追求しながら、自分たちが指摘されてきたことに耳を開くのもいい発展だと思う。

 

ショーが残り4回程度の放送を残している時点で、最も注目したい参加者はウウォンジェだ。
「母さんは言った/ハッピーエンドなんてものはないのよ/母さん地獄なんてものもないんだよ/あえて説明すると」
2017年に突然世紀末的、思春期的な感性で現れた闇の参加者が、楽しさを失ってリアリティを得た今回のシーズンでどのような伏兵になるのか知りたい。 そして今シーズンは特に小学生参加者と、ヒップホップには大して興味はないがテレビに出たい予選支援者たちがたくさん登場した。 現在の「SMTM」はEBS「生放送トーク!パンチ!見てみよう」SBS「世の中にこんなことが」過去のMnet「スーパースターK」のすべての役割をはたす総合バラエティになってしまったのだ。 常にこのショーの問題点を指摘しながらも、こんなにも面白い部分をしつこく見つける事が出来て、それなりに期待通りのことが訪れる遊戯でもある。 今「SHOW ME THE MONEY」は面白いコメディーと娯楽のない韓国のTV放送で唯一のバラエティの役割を果たしているのだから。

 

文 ボクギル(コラムニスト)


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今回のSMTMだとやっぱり、ウウォンジェの自分のストーリーを訥々と語るダークなスタイルは独特で気になります。

【ize訳】オンソンウの余裕

【ize訳】オンソンウの余裕

 

2017.07.19
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017071823227296874

 

Mnet「プロデュース101シーズン2」でオンソンウはいつも余裕があった。 上位圏の練習生たちが大挙布陣したチームでも、彼は自分の主張を掲げる代わりに地道に冗談を投げながらピリピリとした雰囲気を和やかに変えた。 ずっと4位を維持していたが順位の下降傾向を経験し、7位まで落ちた時も同じだった。 「ラッキーセブン」7位の椅子に座った瞬間に彼が小さく口にした一言は、まるで彼が最終11人に名を上げる事を予見しているようだった。

 

序盤にはトレーナーたちがオンソンウを見ながら「やっぱり俳優の事務所らしい。 テレビ映りがいいね」と話した。 しかし、オンソンウは自らを「俳優賞」とアピールする時さえ「僕を羨んでも無駄だ。 生まれ変わるしかない」と言い、いたずらっぽい態度を示して、練習生たちの間では「第一印象と違って行動やその表情やジェスチャーが愉快で面白い(キムジェファン)」人として通じていた。 スラップスティックコメディに近いアクションを披露した後に練習生達が笑うと、「みんなを笑わせるのが一番楽しくて少し胸が一杯になった」と喜んだりももした。 視聴者投票でデビューする男性アイドルを選ぶプログラムでは、出演者たちは素敵な姿を見せなければならないというプレッシャーを受けがちだ。 しかしオンソンウは、結果的に緊張と涙で綴られた「プロデュース101シーズン2」でまれに見る余裕を見せ、ユーモアのあるキャラクターとして残った。 ユンジソンと共に明るく運動会MCを務めとぼけたトーク力を自慢し、最終的に5位でWANNA ONEに抜擢された後に感想を言う時も、自分が作った流行語である「本当に本物の完璧(정말 진짜 완전)」を叫んで緊張した座に笑いを起こした。 BoAが、「(WANNA ONEで)楽しいポジションを作るという気持ち」を表現してくれと注文すると、カメラの前という事実を顧みず変顔で歓声をあげたりもした。

 

競争を避けられないプログラムから一歩ちょっと退いたような余裕は、舞台を飾る時も同じだった。 オンソンウが「プロデュース101シーズン2」で特にセンターに対する意志を見せてくれた曲は、成熟した男性のイメージを見せられるスーパージュニアの「Sorry Sorry」と「プロデュース101シーズン2」最後のミッション曲「Hands on Me」だった。 一方、神秘的なイメージが目立った「NEVER」ではファンミンヒョンをセンターに推薦した。 「(ファンミンヒョンが)センターにいる時のバランスがとても良いから、ミンヒョンがするのが良いだろう」と思ったからだ。 自分の長所を隠すことはないものの、ほかのメンバーが持つ能力が必要な時は積極的に支持する。 オンソンウはそんな風に、対決がコンセプトのプログラムで戦わなくても余裕があるように勝った。

 

最近、ウェブドラマ「アイドル権限代行」で彼は後輩の練習生に助言した。 「バスケットボール選手がボールを入れる時、自分が何か神秘の力で入れるんだって思ったとしたら、それのどこがバスケットボールなんだ? それじゃシャーマンだ。 そのまま左手を添えて、足はしっかり立って。 それでボールをたくさん撃てば、入るんだよ。 どんどんやったらいいんだ」彼が「プロデュース101シーズン2」を通じて知ったことがこの2行のセリフに盛り込まれた。 オンソンウは他人を牽制するよりも、自分の長所を堅固に積みかさねて勝利した。 そして今、本番を待っている。

 

文 パクヒア
校正 キムヨンジン

【ハンギョレ訳】ガールクラッシュの初めての記憶、心で焦がれてさようなら

【hani/ハンギョレ訳】ガールクラッシュの初めての記憶、心で焦がれてさようなら

 

クドゥレ記者
登録2017-02-12 20:12
修正2017-02-13 10:39

http://m.hani.co.kr/arti/culture/music/782331.html

 

WONDER GIRLS・2NE1解散
KPOPの世界進出を導いた代表的ガールズグループWONDER GIRLS、ビルボードのメインに最初に登り、後半期には自作曲で音楽性を認められた2NE1は、少女性やセクシーなイメージを越えていた。破格の振り付け・ファッションに女性たちは熱狂した。

 

"たまにでも良い/私を抱きしめてくれた手で描いて/そして少しだけでいいから/ああ、私を恋しく思って描いて/私は毎日100のあなたを描く"

 

 WONDER GIRLSが10日0時、最後の音源「Draw Me」を発表した。 イェウンとユビンが直接書いた歌詞には、10年間応援してくれたファンたちに対する感謝が盛り込まれている。 JYPエンターテインメントは先月26日「ユビンとヘリムは再契約を締結し、今後は音楽・演技・MCなど多方面で新しい姿を披露する予定であり、イェウンとソンミはたくさん悩んだ末に自らの道を新たに開拓しようと、残念ながら会社を去ることになった」と解散を公式に発表した。

 

"散らばって壊れた言葉は信じないで/君の小さな気持ちを手離さないで/一緒にした約束が思い浮かぶ/涙が流れる 忘れないで"

 

昨年11月26日解体を公式に発表した2NE1も先月31日「アンニョン」を発表し、別れの挨拶をした。 「アンニョン」は、米国iTunesで34位まで上昇し、「I am the Best」よりもよく売れた。 「Draw Me」も公開されるやいなや音源チャート4つで1位、音源チャート2つで2位を記録した。 2つのガールズグループは音楽的に大きな足跡を残した。 WONDER GIRLSの「Why So Lonely」は2017年の韓国大衆音楽賞で「今年の歌」候補に上がった。 WONDER GIRLSは2016年にも「Reboot」アルバムが最優秀ポップ・アルバム部門の候補に上がって2年連続候補になった唯一のガールズグループだった。2NE1も2011年、アルバム「2NE1」が最優秀ダンス&エレクトロニック・アルバム賞を受賞した。

 

韓国の両代表であるガールズグループは、世界進出でも先駆者となった。 WONDER GIRLSの「NOBODY」はビルボードのメインチャート(シングル76位)に上がった最初の曲だった。 2NE1は2014年「Crush」アルバムが米国「ビルボード200」の61位に入った。 2つのガールズグループは「ガールクラッシュ」の代表でもあった。 2NE1は少女だったりセクシーなイメージを超える新しいコンセプトのガールズグループだった。 破格的な振り付けとファッションスタイルで女性たちの熱狂を一身に受けた。 少女としてスタートしたWONDER GIRLSも、やはりデビュー以降成熟しながら少女たちのロールモデルとなっていった。 音楽評論家チャウジンは2つのガールズグループは「韓国アイドルの音楽的、産業的側面でのターニングポイントの事例」と評価する。 結局は同じ年に解体を迎えた。 音楽評論家キムユンハは「音楽、スタイル、グループコンセプトすべての面で、保守的で消耗的なKPOPガールズグループシーン(音楽界)の先頭で自生するべく最善を尽くした。 しかし結局解体するしかなかった」と惜しんだ。 2つのグループのファンたちが覚えている彼女たちの最高の瞬間と評価をまとめた。 最高の瞬間は、DCインサイドのファンギャラリーに意見を要請しており、そのコメントを整理した。 「KPOPアイドル史」においてどのように記録されるかどうかについての音楽評論家の意見も集めた。

  

#WONDER GIRLS(2007~2017年)

 

最高の瞬間

 

 ○2007年 全国民が「Tell Me」ダンスを真似して踊る
「Tell Me」はWONDER GIRLSの最初の正規アルバム「ザ・ワンダー・イヤーズ」のタイトル曲だ。 各家庭で手を後ろに集めてさらさらと振り、「あら」の部分で頬を打ったものだ。 軍人たちも制服を着た男子生徒もよってたかって踊った。 この様子を撮影した動画を猫も杓子もインターネットに載せ、「UCC(User Created Contents=ユーザー製作コンテンツ)」という単語が一般名詞化された。 発表された9月から3ヵ月間、韓国のすべての音楽チャートのトップに上がった。

 

○2012年 スティービー・ワンダーとの国連デー合同公演:
米国に進出したWONDER GIRLSは、ニューヨーク国連本部で開かれた国連創設67周年記念公演の舞台に立った。 同日の公演にはスティービー・ワンダー、スティング、ポール・サイモンが同席した。 WONDER GIRLSはスティービー・ワンダーと共に「What the world needs now is love」を歌った。

 

○2015年 自作曲で埋めたアルバムで復帰:
多くの人々は、ワンダーガールズの真の底力を「Reboot」アルバムからと指摘する。 ソヒが演技活動のために抜け、ソロ活動中だったソンミが合流し、4人に再編成して登場したWONDER GIRLSは楽器を持って現れた。 タイトル曲を除いたアルバムの曲はすべてメンバーの自作曲だった。

 

○2016年 ミニアルバム「Why So Lonely」の音源チャート掌握:
昨年7月に発表した「Why So Lonely」は昨年の第3四半期に最も多く聞かれた音源だ。 WONDER GIRLSのメンバーたちは彼女たちを仕立てたパクジニョンプロデューサーの手も離れ、自作曲をタイトル曲とした。 どのようなガールズグループも歩いたことのない道を歩みだした瞬間だった。

 

独歩的記録

 

・年間1位3曲(2007年Ollehミュージック「Tell Me」、2008年Melon「So Hot」2008年Mnet「NOBODY」)。
・2009〜2012年 4年連続ワールドツアー、40回以上。

 

「歴史」はどのように記憶するか

 

キムユンハ/音楽評論家:
KPOPガールズグループの喜怒哀楽をすべて経験して解散した、まだ別れるには惜しいグループ。

 

ミミョウ/<idology >編集長:
企画物としてのアイドルの光と影という宿命をすべて経験し、最も素晴らしい復活を成し遂げた存在。

 

ソジョンミン甲/大衆音楽意見家:少女たち、国民たちのガールズグループだったが、新しい市場に挑戦して最後まで止まらなかった。

 

イデファ/音楽評論家:第2のガールズグループ熱風の始まり。

 

#2NE1(2009~2017年)

 

最高の瞬間

 

○2009年「FIRE」デビューステージ:

2NE1は「FIRE」でガールズグループとしては初めてデビュー曲で1位を占めた。 正式デビュー前、BIGBANGと一緒に歌った「Lollipop 」で胸を膨らませた期待を充足させる瞬間だった。

 

○2011年 米国<MTV>新人グループに選定:
2NE1は独歩的なスタイルで世界を舞台に可能性を広げていった。 2011年日本で発表した初のミニアルバム「NOLZA」はオリコン週間アルバムチャート1位に上がり、MVTワールドミュージックチャンネルの「2011年最高の新人グループ」投票で1位を占めた後、ニューヨークのタイムズスクエアで公演をした。

 

○2011年 「I AM THE BEST」:

「I AM THE BEST」は2枚目のシングルだ。 YouTubeで開催されたこの歌のダンスコンテストには4万人余りのダンスチームが参加した。 MicrosoftのCM音楽でも使われ、最近1億7千万ビューを突破した。

 

○2015年、再び4人が集まる:

BOMの事件で完全体活動が中断された2NE1だったが、全メンバーが1年4ヵ月ぶりに全員で集まった。 MAMAアジアンミュージックアワードの舞台でデビュー曲「FIRE」と「I AM THE BEST」を歌ってファンを騒がせた。 完全体としては最後のステージとなった。

 

独歩的記録


・2010年初のフルアルバム「2NE1」3曲音楽放送1位
・2枚目のアルバム「Crush」5曲音源チャート1位。
・2014年、2枚目のフルアルバム「Crush」Billboardのメインチャートであるアルバムチャート61位、最高記録。
・ガールズグループ初2度のワールドツアー、20万人観客動員。

 

「歴史」はどのように記憶するか

 

キムユンハ/音楽評論家:「2NE1を連想させる」という表現はKPOPシーンでの永遠の絶賛として残るだろう。

 

ミミョウ<idology>編集長:韓国女性アイドルというくびきを解き放ち、最も遠くまで進んで行って海外KPOPファンダムを引き寄せたアーティスト。

 

ソジョンミン甲/大衆音楽意見家:2000年代ガールクラッシュの不埒な出発。彼女たちは自分たちのすべてを見せたのだろうか。

 

イデファ/音楽評論家:ガールズグループのキャラクターの拡張をもたらしたグループ。

 

 

クドゥレ記者 anyone@hani.co.kr

【ize訳】K-POPはAKB48の夢を見るか

【ize訳】K-POPAKB48の夢を見るか

 

2017.07.12
http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017071122557266373

 

日本の「国民的アイドル」と呼ばれるAKB48は初動売上だけで100万枚を越え、30個のミリオンセラーを記録した。最近は下落傾向にあるとはいえ、まだAKB48をはじめとするAKB軍団を超えるほどのアイドルグループは出ていない。彼らは劇場公演・選抜総選挙・じゃんけん大会・リクエストアワーなど独自のシステムを構築しているが、隣国である韓国では冷ややかな反応を見せていた。日本文化に好意的ではない韓国人には、メンバーたちの人気をベースにした複雑なシステムが拒否感を呼び起こしたのだった。そのAKB軍団のシステムは、永遠に外部のものとして残ると思われていた。

 

しかし、状況は変わった。 2016年にはAKB48総選挙を積極的にベンチマーキングしたMnetの「プロデュース101シーズン1」が、2017年には「プロデュース101シーズン2」が放映された。 「プロデュース101シーズン1」で1位を取ったチョンソミは85万8333票を獲得し、「プロデュース101シーズン2」で1位になったカンダニエルの得票数は157万8837票でチョンソミの約2倍だ。そしてMnetは13日、投票制に基づく別のサバイバル番組「アイドル学校」を放送する予定だ。絶対に入ってきそうになかったAKB軍団のシステムが「プロデュース101」を通じて成功的に定着したものである。

 

ファンが行使した票がセンターを決定するという点において総選挙と「プロデュース101」の投票システムは同じである。しかし、その点を除けばすべての部分で異なっている。 AKB48の総選挙は一時的なイベントであり、総選挙の順位に応じたポジションは総選挙シングルにのみ適用される。今年のランキングが低くても、来年を眺めながら希望を持つことができ、1年の準備期間中にメンバーたちはSNSや劇場公演、握手会などを通して自分自身をアピールする。しかし、韓国の投票制は違う。グループ内のポジションではなく、デビューが賞として与えられる。最終的な順位に応じてデビューメンバーを選抜するため、その順位が固定される。ファンがポジションやリーダーなどの役職に敏感な理由だ。 「プロデュース101シーズン1」が終わった後に結成されたガールズグループI.O.I「Crush」のミュージックビデオ公開後にメンバーの登場割合などによって特定のメンバーが非難を受けたり、「プロデュース101シーズン2」のデビューグループWANNA ONEの一時的リーダーとしてユンジソンが決定された後にいくつかのファンが反発したのも、同じ延長線上にある。

 

また、AKB48の総選挙は1年ごとにファンとメンバーが一緒にすることができるイベントという雰囲気が強い。総選挙の日程が発表されると、メンバーは、出馬宣言をして選挙ポスターを撮影する。ファンは各メンバーの選挙対策委員会を立ち上げる。中間順位をチェックする速報発表も、最終的な順位発表も、感想のスピーチまで、すべてのイベントがファンと一緒に行われる。 2017年6月に開かれた第9回選抜総選挙「まずは戦おう!話はそれからだ」が批判を受けた最大の理由も、運営スタッフが気象悪化を予想できず初めてファンがいない場所でランキングを発表したからだ。一方、韓国の投票制はファンとメンバーの両方にとってストレスだ。メンバーは短期間に客観的でない放送でのみ自分をアピールしなければならない。さらに、順位が高ければデビューできるが低ければ放出される。見守るファンたちの心も楽であるはずがない。WANNA ONEが広告モデルであるイニスフリーは「カラーマスク101」という投票イベントを開催したが、「うんざりする投票制から脱出したメンバーたちを巡って、なぜ再び投票をするのか」というファンの抗議を受けてイベントをしばらく中断した。投票権の資格も異なる。 AKB48の総選挙に投票できる人は投票券が入っているシングルCD購入者、公式ファンクラブ会員、AKB48関連モバイル・インターネット有料会員などだ。 つまりある程度の金額を払って地道に活動を行ってきた人たちが投票権を行使することができる。しかし、「プロデュース101」をはじめとする韓国の投票制プログラムは、国民投票を標榜している。すべての人が有権者になる。そのために投票が行われる日には、ウェブサイトやSNSなどに「私たちの○○をちょっとでいいから選んでくれないか」と泣訴する文章が殺到する。誰でも投票することができるため、いわゆる「オグロ(釣り行為)」も容易に可能である。そうでなくても短所が多い制度である総選挙が、競争を重視する韓国社会の雰囲気と出会って奇妙に変質されたものだ。

 

既存の韓国アイドルは結束力が強かった。 一度決まったメンバーは引き続き一緒にやるという不文律があった。 ファンたちも個人的に好むメンバーとは別にグループそのものを好きだった。 しかし投票制が導入され、チームワークを中心に動かしていたグループは個人単位に解体された。 ファンたちは人気度でメンバーを並ばせることを当然と思うようになった。 多様な事例をベンチマーキングして新たな試みをするのは良いが、投票制を導入するのがいいことなのかどうか分からない。 しかし個人的見解とは別に、話題集めは十分果たしているので、今後はさらに多様な方式を借用した投票制が登場するのではないか。 ただ、投票制に参加した・参加している・これから参加する彼らが、まともな待遇を受けて才能を広げることを願うだけだ。

 

文 べクソルフィ(コラムニスト)
校正 キムヨンジン


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原文では「AKB師団」という表記で「AKB軍団の中にSKEやHKTなどの師団が存在するAKB師団システム」の事を指していると思うのですが、日本語の文章的には少し意味がわかりづらいかなと思ったのでAKB軍団と訳しました。 

(今年の総選挙、自分的に一番非難を受けたのは結婚宣言のイメージだった)

【ize訳】ガインとチョアが怒った理由

【ize訳】ガインとチョアが怒った理由

 

2017.07.03

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017070223017299376

 

去る6月4日、ガインはインスタグラムに短い文をひとつ掲載した。
「死ぬ覚悟をして、刑務所に行く覚悟をして、今から私が狂った理由を一つずつ申し上げます」
彼女は自分が精神的に非常にきつい状況であり、大麻を勧められたこともあると述べた。しばらくして彼女が付け加えたコメントは、さらに慢性的な社会的偏見を指摘した。
「なぜ、すべての女性芸能人たちが産婦人科に隠れて通わなければならないのか?」
しばらく後にAOAのメンバーであったチョアが自分の脱退説について口を開いた。
「私は妊娠もしていなかったし中絶もしておらず、結婚をするために脱退することもありません」
ガインとチョアが怒った理由は、最終的に一つの点に集約できる。なぜ女性アイドルにとって恋愛と結婚、妊娠が傷になるのかについての疑問だ。

 

最近放送されたKBS「鍋敷き」ではPRISTINのメンバーソンヨンがガールズグループとして苦しんでいる不快なポイントと関連して生理について言及したが、それすら「魔法」という隠語で置き換えられた。大韓民国の半分が女性であり、彼女たちが苦しむあまりにも当然の身体現象についても、大衆の気持ちを不快にする可能性があるという理由ではしてはならない話という扱いを受ける。いまだに韓国社会では、女性が自分の体の変化や性欲について言及することを恥ずべき事とする傾向が強い。昨年ある地域区議員が定例会で「『生理用ナプキン』という言葉が窮屈なので、他の表現(衛生帯)と呼ぼう」という発言をした事実が知られて非難を受けたが、重要なのはそのような発言が2016年に行われたという事実そのものだ。このような環境では、女性アイドルが自分の話を率直に打ち明ける事はさらに容易ではない。有名アイドルの所属事務所の関係者A氏は「新人開発チームではトレーニングの時に喋ってはいけない題材にについての注意を多く与える。それでデビューしてからも着実に状況を見て話をするようになる」と言う。異性や恋愛、政治に関する話は男女のグループに関係なく注意しなければならない素材だ。しかし、女性グループと男性グループは主なターゲットが異なるため、この部分において多少の違いがある。 A氏は「ボーイズグループがファンドムを対象とするとしたら、ガールズグループは大衆がターゲットである子達が多いのでその部分により気を使う。大衆が敏感に反応するような話は、さらに慎重にする傾向にある。妊娠や生理のような話題もそこに含まれる」と説明した。

 

すべての女性アイドルは大衆が決めたタブーに悩まされる。チョアの事例は、大衆がどのようにして女性アイドルの自主的な決定を拒否しているかを直接的に示している。チョアは精神的、身体的に力尽きてグループを脱退したいという意思を明らかにしたが、一部のネチズンたちは引き続き妊娠と結婚の噂を広めた。なんと6年もの間芸能界生活をして自分のキャリアを構築してきた彼女にも、自由な発言が許されていない。もちろん、男性アイドルも活動序盤には女性アイドルと同様の水準で発言に制約を受ける。しかし、男性アイドルはある程度キャリアが積もればふざけながらも恋愛や性についての話をすることができる。このような話を面白く話することができる能力がトーク上手として認められる事もある。一方、ほとんどの女性アイドルはキャリアを問わず性的なニュアンスが込められた言葉を話すと、様々なコミュニティで露骨な非難と嘲笑の対象になる。過去JTBC「魔女狩り」に出てきたガールズグループのメンバーが自分の性生活について数回話を取り出したことがあるが、これは男性MCが女性である彼女たちに、このような話を聞きたいのだろうと思わせるような雰囲気を誘導した点が大きい。一方、女性アイドルが芸能プログラムなどや男性の雰囲気的な誘導なしに性的なニュアンスの言葉や行動をすることは、多くの場合議論がされたりする。ガインとチョアの投稿記事には、「どうして女性アイドルがあんな言葉を言えるのか」と言うようなコメントが走っている。まだ韓国社会において、女性アイドルは主体的に自分の意思を明らかにすることを個人的には認められていない。

アイドルの所属事務所関係者B氏は、「個人的には、女性アイドルがちょっと気の毒に思う」と言う。一言を取り上げられる時にも、常に女性というアイデンティティが上回っている。この間で彼女たち一人ひとりが持つ長所や歴史は関心の外に押し出されている。 それゆえにチョアの一言は重要な意味を持つ。
「なぜ私の脱退が熱愛説と関連付けられているのかわからない」
この言葉は長い間熱心に活動してきた誠実なガールズグループメンバーの嘆きに近い。 男性と二人きりの写真が撮られたという理由でチョアは、一瞬のうちに自分のキャリアとグループを捨てた人になった。 意図してはいなくても、チョアの言葉は韓国社会では結婚や妊娠が女性の仕事を中断させるほどの重大な「引退」の要件であるという点を指摘する。 そしてガインはあるファッション誌とのインタビューでこのように話した。
「丈の短い服を着ているといやらしくて、まるで誰かを誘惑しているように見えるんでしょうか? 私はただこの服が着たくて着るんです。 そんなに気に入らなければ私が服を買ってあげましょうか」
これは単にチョアとガインだけがぶつかる問題ではないのだ。


文 パクヒア
校正 キム・ヨンジン

 

【ize訳】BLACKPINK、YGの最初のガールグループのように

【ize訳】BLACKPINK、YGの最初のガールグループのように

 

2017.6.28

http://m.ize.co.kr/view.html?no=2017062721497286475


ガールズグループBLACKPINKの「最後のように(As If it's Your Last)」には、おなじみの公式が盛りこまれている。多くの人が指摘するように「私たちが知らなかった2NE1の曲」だ。様々なジャンルを分節的に盛りこみ、サウンドソースを重視する。 「リズミカルなverseと相反するリフレインのメロディー」という曲の説明は、メロディー区分ごとにずれた断層のように争っている多様なスタイルの衝突に比べれば、過度に淡白に感じるほどだ。しかし、BLACKPINKがデビュー以来見せてきたユニークな要素を捨てたわけではない。 2NE1より一層ソフトなアティテュードを維持しながらも、ありきたりのガールグループにはならない情緒、「パラバラバムバン」あるいは「オッパ」のように予想していなかったタイミングで出てくる、時代を誤って生まれてきたような「twerking」は80年代風リフレインという少々衝撃的な形でつながる。そして、このすべてのものが一つになった結果は、言葉で表現したり頭の中で予想していたよりも定型を外れない。

 

ゆえに、「最後のように」がリリースされた後に出てくる相反的な反応は十分に理解することができる。2NE1のある歌に直接言及したりする人もいれば、歌い方やポジショニングの面でふたつのグループのメンバーを合わせて見せて既視感を指摘する人もいる。一方、これまでBLACKPINKが発表した曲の中で最も大衆的な反応が即時に出たのも事実である。それなら私たちはYGガールズグループの成功が2NE1スタイルの忠実な再現によるものと言えるのだろうか? 実はその逆に近い。 「最後のように」は、「YG」のアイドルグループ戦略においてBIGBANGと2NE1以降の始まりのように見える。

 

2NE1の音楽とアティテュードにおいて、各メンバーの役割は絶対だった。時折、実際は常にルックスとスタイルの話につながっていったこれらの個性は、音楽的に差別化された試みを可能にした。おかげで彼女たちは「YGガールズグループ」という一つのカテゴリーを作成し、自らがその唯一のメンバーになるという威厳を享受した。サンダラパクに「若々しい美しさ」を越えて攻撃性を備えた複雑なキャラクターを付与した背景も2NE1というグループである。BIGBANGはクリエイターとしてYGレーベルのアイドルを他の存在と差別化した。 2NE1はここで、従来のアイドルの代案や反体制的なオーラまで付け加えた。ところが似ている曲をBLACKPINKに適用したとしても、「美貌を搭載した2NE1」程度の単純な結果が出るわけではない。グループの色に合わせて感情的な緩和をするには当然の調整である。しかし、「私が一番最高(I'm the Best)」と「Ugly」を同時に備えることができた、チーム自体に内在する複雑なストーリーを解くことはできない。


結局YGは、自分たちが差別化の対象としていた存在になることを甘受する。つまり、「最後のように」は「平凡な2NE1」または「すでにおなじみの2NE1」が存在するのだという事を知らしめた歌だ。だからと言ってTEDDYをはじめYGのガールズグループのクリエイティビティが退化したり停滞しているとは思わない。 「2NE1のような歌」には罪がない。代わりに、この決定が「口笛(Whistle)」のミニマルなアプローチや、「火遊び(Playing With Fire)」のような完成度の高いEDM曲以降にリリースされたというのが興味深い。2曲は音源チャートで良い反応を得たが、BLACKPINKにはTWICEのようなグループに比べれば親しみやすさが不足しているのも事実である。 「最後のように」はBLACKPINKを、2NE1そのものというよりは2NE1が活用していたサウンドソースを使うことにより、より近づくことができそうなグループに見えるようにする。 YGはあたかもガールズグループを初めて製作するようかのように漸進的な軌道修正をしているようだ。そして、現在までの調整の結果として「まるで最後のように」という耳にかかるフックを得た。果たしてYGは、この「平凡になる」事への誘惑を振り切ることができるのだろうか?

 

文 ソソンドク

 

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「最後のように」初めて聴いた時はそのまんま「2NE1 feels」を感じたんですが、何回も聴いているうちに過去自分の中にあった「2NE1っぽさ」というものの記憶が上書きされていくような奇妙な感じになってきました。聞けばきくほど「似てる部分」よりは「違う部分」が耳につくというか。
2NE1がいる時にBLACKPINKにこういう曲を与えていたら似てるというのがネガティヴな意味合いになるでしょうけど、今は2NE1はいないので、あえてこういう方向に行ってるのかなぁとも思わないでもなく。「姉上の面差しはあるが、知れば知るほど君は姉上には似ていないな」っていうやつですかね...(わかりづらい例え)
文中では「あえて大衆にすでに馴染みのある『2NE1っぽい曲』にする事によって、デビュー曲では完成度と引き換えに足りていなかった大衆への『親近感』を出そうとしたのではないか」と解説されていたように読みました。
同じ会社の後輩だからこそ可能なアプローチ方法かもしれません。

 

余談ですがこの曲に対する韓国での表現がレゲエとムーンバートン要素が入ってるというのが多いんですけど、イントロからこんなにもサンバなのにサンバという表現を全く見かけないのが不思議で...韓国では日本ほどサンバがメジャーな存在じゃないのだろうか。